●極めて現実的な
「周りがバケモノだらけで怖くて出て来れないだなんて、もう。あたしならとりあえず怖くないようにボコボコにしちゃいます!」
転移装置の向こう側、七月に相応しい日の下に降り立つなり豪放に言ってのけたのは鳳 飛鳥(
jc1565)だった。
「……とか言ってたらまた『女の子らしくしなさい』って言われるのかなー」
おしとやかに、耳にタコができるほど言われ続けている両親の言葉を思い出しては、飛鳥は肩を竦めた。
「でも、不思議な話だね」
狩野 峰雪(
ja0345)は穏やかな相好のまま言葉を続ける。
「他の人からは一切通報がないのに、通報者は切羽詰まった雰囲気だったんだよね」
「通報がほんまなら周りの人らも避難させへんとあかんやろぉけど、通報は他にはないんが腑に落ちへんな……」
峰雪の言葉に、藍那 禊(
jc1218)が眠たげな表情のまま首を傾げて考え込む。
そう、不思議だ。なんとも奇妙な光景だ。
だって、一同が到着したその町は、何の変哲もない、平和な普通の町だったのだから。
夏の日差しに暑そうにしながら、歩いているのはバケモノではなく人間で。
どこもかしこも、恐ろしいバケモノの姿など――なかった。
「……バケモノわんさか?」
シュルヴィア・エルヴァスティ(
jb1002)が日傘の下で柳眉を寄せたのも無理もない。
「化け物は、見当たりませんね」
通報があった以上はと六道 琴音(
jb3515)は辺りを警戒しているが、幾ら目を凝らせど不穏な気配すら感じられず。
「ただのイタズラであれば、それはそれでいいのですが……」
疑問ばかりが募りゆく。
「ドラッグとかで幻覚を見ているのか、天魔に幻覚を見せられているのか……それとも何者かに脅されて通報させられているとか?」
推察を述べる峰雪。「そうね」とシュルヴィアが怪訝な様子のまま頷いた。
「……一度連絡とるわ」
手にしたのは携帯電話。
(奇妙な依頼……何かしら、嫌な予感だけはする)
打ち込んだ電話番号。耳元で響くコール音。
彼が出たのは間もなくだった。
『は、はい』
震えた声。憔悴しきった声。ふぅふぅと呼吸が荒いのは、半ばパニックなのだろう。
シュルヴィアは彼を宥めるように、ゆっくりと言葉をかけ始めた。
「もしもし。撃退士、シュルヴィアよ」
『げっ撃退士の方、ですか。ははははやく助けて下さい!!』
「……落ち着いて。貴方は助かるわ。えぇ、きっとよ」
『本当ですか、お願いしますっ……』
「大丈夫、今向かってる。確認するけど、そこら中に、居るの?」
『はい、そこら中に、うようよと……』
「……分かったわ。また連絡する」
『お、おね、お願いします、早く、どうか助けて下さい、死にたくない』
「気を強く持ちなさい。もう少しの辛抱よ」
そして通話は終了した。
シュルヴィアが、深刻な眼差しを一同に向ける。
「……あれ演技なら、赤絨毯狙えるわ。走るわよ……嫌な予感がする」
●入道雲は見ていた
そろそろ蝉も鳴き出しそうな町を、六人の撃退士が行く。
田村 ケイ(
ja0582)と禊と飛鳥は道中にも一般人へ「何か不審なものを目撃していないか」と聞き込みを行い、更に件のアパートへは近付かないよう避難を呼びかける。
「うーん」
ケイは表情を変えぬまま奇妙な現象に困惑の呟きを漏らした。
「妙なものの目撃情報はゼロ、と」
寧ろ避難を促せば「天魔が出たんですか!? どこに!?」と驚かれる始末。
そしてバケモノの話も姿も見つからないまま、一同は通報者のアパートに辿り着いてしまった。
「やはり、いませんね」
再度、周囲に天魔がいないか確認した琴音が結果を告げる。
「そうだねぇ」
重複確認を行った峰雪も首を降る。
「しかし、斡旋所の方によると悪戯には思えなかったとのこと……シュルヴィアさんがお電話した時も、とても演技には思えなかったと」
琴音の言葉に、シュルヴィアが頷く。どういうことなんだろうか、考え込む琴音。
「もう一度、電話してみるわ」
シュルヴィアは再度、携帯電話を取り出した。四階、通報者の住む部屋の窓が見える位置。カーテンは締められている。コール音。通話開始。
『撃退士さんですか』
「ええ、私よ。今……いえ、ちょっと確認よ」
『確認……ですか?』
「逃げられると困るのよ……力を貸して頂戴。もう一度、窓から外を確認して?」
『ええ!? そんな、もし奴らに見付かったら』
「お願い、貴方の勇気が必要なの」
『……分かりました』
がさ、ごそ。受話器の向こうで聞こえたのは、おそらく移動している音だろう。
それから――間もなく。
四階のカーテンが微かに揺らめいた。
それはほんの間隙、一瞬の出来事。
けれど、撃退士は目撃する。
カーテンから外を窺っていたのは……、人間ではなかった。
『ひっ……』
再びカーテンが揺らめくと共に、聞こえたのは息を呑む音。
『い、いました、バケモノが……六体も! こっちを見ていたんです! あああ、どうしましょう!見付かってしまったかもしれない!』
(まさか……)
通話を聞いていた禊は呼吸が止まるような心地がした。彼も、通報者に外を確認させようと思っていたのだが――まさか、こんな。見開いた目で、周りを見る。
「ここに、おるんは……」
自分達だけ。
「数は……」
六。
繋がり始めた、点と点。
「……。……。……、」
シュルヴィアは、感情を噛み殺すようにぐっと目を閉じた。
『ちょっと、撃退士さん! はやっ、早く助けて、下さい……!』
「……えぇ、聞こえてる。えぇ、ありがとう。本当に。すぐ、助けてあげるから。すぐ……」
と、そこで禊が「代わって欲しい」とジェスチャーを。
「すんません、お電話代わりました。撃退士の禊です。落ち着いて……お名前は?」
『う、う、うううぐぐぐ』
「歳は?」
『ぐぐぐ』
「……せや、好きな歌は……?」
彼がそれに答えることなく、通話は一方的に終了した。
「通報者さんは天魔……しかも、他の人間が化物に見える幻視状態やったなんて」
禊の表情は苦い。
(……内容がおかしいと思ったら、そういうこと……。せめて、早く眠れるよう努力しましょう)
ケイも無表情ではあるが彼と同じ気分だった。
一方シュルヴィアはすぐさま地図を広げると、
「警察に。この広場とアパート近辺までの封鎖を。私は彼を避難させるから、アパートの住民避難をお願い。成功したら、広場。失敗したら、彼の部屋、よ。そこで、終わり」
「分かった。皆で手分けしよう」
峰雪が頷く。異を唱える者はいなかった。
「ではあたし、管理人さんに連絡してきます! それと避難誘導も!」
「私はアパートの住人の避難を」
勢い良く走り始めた飛鳥に琴音が続く。
「じゃ、警察への連絡は私がしておくよ」
ケイは携帯電話を取り出して、101。
「久遠ヶ原の撃退士のものです。ある方から自宅の周囲に大量の悪魔がでたと通報があったので、避難その他協力をお願いできませんでしょうか――」
「あ。俺はアパート周辺を封鎖します」
禊は仲間が用意していた封鎖用道具を受け取り、行動を始めた。立入禁止の標識テープを張り巡らせ、『立ち入り禁止 久遠ヶ原学園』と書いた紙を貼ってゆく。
飛鳥が説明すれば管理人は真摯に頷き、通報者を除いた周辺住民への連絡を行ってくれた。
「こんにちは。久遠ヶ原学園の者です。実は……」
おかげで、生徒手帳を見せながらの琴音の避難誘導はかなりスムーズに行うことができた。特に琴音が懸念していた、通報者の両隣の住人もしっかり避難させることに成功する。
アパートから不安げな顔で出てきた住人は、飛鳥と峰雪が手分けして誘導を行った。
間もなくしてアパート周辺から完全にひとけは失せる。
「これだけすれば、一般人もここには来ませんよね」
琴音は周囲を見渡した。キープアウトのテープに、学園の名前を書いた張り紙。
禊はそっと、携帯電話を取り出した。
「もしもし、禊です。周囲の『バケモン』は遠ざけました……」
『う゛う゛』
返事は、不気味な唸り声。ではとシュルヴィアが代わった。
「……聞こえて? 貴方の言う通りだった」
『ぎィ、い』
「今、封じ込めをしてる。他にも、生存者が居たの」
『ア゛ぁアアががアアア』
「そこから南にある広場、知ってる? そこに、生存者を集めて、警察が避難を行ってる。私達はバケモノの相手で手が離せないの。一人で、そこまで逃げて」
『ひ、ぐ、ふぐぅう゛』
「思い出して? 貴方は通報できた。電話に出た。窓を覗いた。それは、勇気よ。その勇気で、助けて。勇気を出せば、多くの人が助かる。不幸を止められる」
『ぎっ……ぎぎ、ぎ』
「お願い」
『ガァアアアァアア゛ア゛ッッ』
凄まじい咆哮と共に、通話は破壊音で途切れ去った。
つー、つー、つー。
無常に鳴り響く音。
シュルヴィアは白い指が更に白むほど、電話を握り締めていた。
「最低だわ。どっちがバケモノよ……」
俯く顔は白い前髪に隠されて。けれど、苦々しく唇が噛み締められていて。
『死にたくない』
ついさっき聞いた彼の言葉が、何度も脳内で繰り返されていた。
●約束された結末
通報者を外に誘き出すことは失敗に終わった。
心までもバケモノになってしまったのだろうか。もう、彼に言葉は通じない。
四階、彼の部屋の前。鍵がかかっていた。ケイが一同に確認のアイコンタクトを送る。頷きが返って来れば、握るドアノブ。
「はいお邪魔しますっと」
アンロック。ドアは最初から施錠などされていなかったかの如く、呆気なく開く。
琴音が光纏と共に阻霊符を発動する。
一歩、また一歩。
広くはないアパートだ。居間に辿り着いたのは、間もなく。
「これは……残酷なことをするね……天魔も」
峰雪が眉を顰めた。
彼の、そして撃退士の視線の先。
そこには、部屋の隅に蠢く不気味な異形――先程カーテンから垣間見えたものと同じ。
傍には壊れた携帯電話が落ちていた。それが何より雄弁に物語る。この異形こそが、通報者なのだと。人間がバケモノに見えていた、バケモノなのだと。
「キィ゛イイイイーーーッ」
鼓膜を掻き毟る唸り声は、どこか怯えているようにも感じられた。ざわざわと蠢く触腕が威嚇しているようにも見える。
(このまま現実を認識させないで、夢だと思わせたまま逝かせてあげるのがいいのかな……)
天魔を人間に戻す技術は、人界にも天界にも魔界にもない。
言葉が急に通じなくなったように、彼の精神は更に異形化するかもしれない。
つまり、彼を救う手段は、たった一つ――『死』という救済。
「これは悪夢なんだ、だから訳の分からないことばかり起こってるんだよ。目が覚めたら、きっとまた、いつも通りに戻ってる……だから少しだけ我慢して」
そう、峰雪は優しく告げて。
繰り出したのは審判の鎖。冥魔を裁く鎖が雁字搦めに通報者を縛り上げたことから、それが冥魔――ディアボロであることが判明する。
「すぐに終わらせるよ」
ケイも攻撃動作に入っていた。表情には決して驚きや警戒を出さず、幸運の黄金拳銃より腐蝕の弾丸を発射する。寸分違わず命中。ぐずぐずと肉が溶ける音。異形の悲鳴。
なるべく暴れさせないようにと峰雪の思惑のもとに縛られた通報者はその場からは動けない。だがその代わりと言わんばかりに触腕を振り回し始めた。
手当たり次第。狙いなどあってないようなもの。それは撃退士を打ちのめし、家具を吹き飛ばし、壁すらも破壊する。
(予め隣の住人を避難させておいて良かった……!)
琴音は心底ホッとしつつ、今の一撃で身体に重圧を刻み込まれた仲間へ聖なる刻印を施した。
同時、禊は波紋の揺らぎめいたオーラを足元に纏いつつ、通報者への間合いを詰める。あまり様子見している猶予はないだろう。その手に持つのは戦斧。
「……悪い夢やんな……。起こしたるさかい、ちょっと我慢してや……」
きっと怖いから、死にたくないから、暴れているんだ。通報者の目に映っているのはおそらく、襲い掛かってくる六体のバケモノの筈で。そう思うと胸にじわりと感情が滲む。
荒れ狂う風の如きアウルを噴出した斧が暴風めいた勢いで通報者を斬り付けた。避けた冥魔の肉から血が、噴き出す。人間と同じ色で。温度で。通報者は人間なのだと主張するかの如く。
「怖いものが実は自分だったなんて本人は思ってもみないんでしょうね」
禊とは別方向から通報者に迫るのは飛鳥。構える拳には虹色のアウルが煌いていて。
「初仕事だから、がんばりますよ!」
新参にも新参なりにできることがきっとある筈。無理はしない、けれど躊躇はしない。通報者は哀れだと、思う。けれど放置しておくこともできない。
故の真っ向勝負だ。たとえ危険だろうとも。それが彼女の、在り様だから。
「この拳ひとつで、守れるものがあるなら――!」
(なんて、女の子っぽくないかな?)
ごめんね、お父さんお母さん、娘はこういう風に育ちました。心の中で両親に詫びながら、叩き込む右ストレート。虹の残光。
状況は撃退士の圧倒的優勢のまま進んでいった。
ケイが継続して通報者の外殻をアシッドショットで溶かし、峰雪が審判の鎖で足止めし、仲間達が総攻撃を叩き込む。通報者が齎す状態異常は、撃退士達が手分けして施し合う聖なる刻印の前に消え去った。
そして、峰雪の破魔の射手が。ケイのスターショットが。強い天の力を持って通報者の体を貫き。そこへ飛鳥が追撃の拳を。
頽れる肉塊。不気味な唸りは虫の息。ひゅー。ひゅー。飛び出した幾つかの眼球が、撃退士を見る。その中には琴音もいた。
「……、」
彼女は手にしていた妖召呪符を下げて。放つのは、マインドケアだ。天魔には効果がないと言われている、けど、
「せめて、少しでも不安な気持ちを取り除いてあげられれば……」
攻撃しておいて、虫のいい話ではありますけど。そんな、自嘲。俯いた表情。通報者の瀕死の唸り声だけが聞こえている。
「歌も歌われへんなってもぅたか……せめて早めに寝かせてあげんとな……」
禊は、静かに斧を振り上げた。これが救いになるのだと、一途に信じて。
おやすみなさい。小さく、呟いた。
一閃、断頭台の如く。
●目覚めの時間
「終わっ、た……」
初めての依頼、初めての戦い。戦闘が終了しても、飛鳥の息はしばらく弾んでいた。心臓がドクドクと脈打っていた。
そんな少女に峰雪は「お疲れ様」と柔和に微笑んで――視線を通報者だったモノへ。その傍にしゃがみこむ。寸の間の、黙祷。
せめて、戻らない命以外は元通りに。
彼の手配により、通報者は『ディアボロに殺された』と家族や近所の者に説明された。
そして通報者の人に見える部位の骨は、人として葬られた。
彼の住んでいたアパートは、業者によって修理が施される。
けれど今でも空き室だという。
無人の窓ガラスには、入道雲が映っていた。
『了』