●破れ祭囃子
「なんか、ややこしい上に差し迫った事態なようね……急ぎましょう」
「ああ。戦闘訓練してないなら一般人と同じ、助けないとな」
緊急事態。慌しい出撃準備。シュルヴィア・エルヴァスティ(
jb1002)の言葉に礼野 智美(
ja3600)が頷く。
「腹に一物あるなんて、人間生きてりゃあるもんよ。天魔も、それは変わらなかった……そういう事よ」
そんな、蝙蝠令嬢の言葉と共に。
踏み込んだ転移装置の蒼――燐光が消えた後に見えたのは、夜に浮かぶ赤い提灯。祭りの面影。けれど賑わいは聞こえない。その理由を撃退士達は知っていた。
目の前――開けた神社の境内に映った光景。
倒れた二人。それを庇う女。彼らに牙を剥く、ディアボロ。
「いた! なんかヤバ気ね、突っ込むわよ!
「神社の境内にディアボロ一体と団員三名を確認。――突撃するぜ!」
冥府の風を纏うシュルヴィアの声、それと同時に飛び出したのは小田切ルビィ(
ja0841)。愛剣ツヴァイハンダーフォースエッジを構え、戦いに挑む心を以てディアボロ『オオイタチ』への間合いを詰めんと踏み込んだ。
そんなルビィの背後より、轟雷の音をたてて撃ち出される弾丸があった。稲妻の名を持つ拳銃を携えた、狩野 峰雪(
ja0345)による脅威の早撃ちである。天の力を帯びたそれに冥魔がギャッと悲鳴を上げる。
「久遠ヶ原学園の者だよ、もう大丈夫だ」
見世物小屋団員へ向けられる峰雪の穏やかな微笑み。
「このディアボロは俺達に任せて」
続けられた言葉は智美が放ったもの。アウルを集中させた脚で強く地を蹴って、躍り出るのは空中。宙返り。
「せァッ!」
一つに結わえた黒い髪を靡かせて、重力と速度を武器に繰り出すのは鮮烈な急降下蹴り。その姿はさながら空より得物を狙う隼。そのままオオイタチと団員の間に着地した智美は鋭く前を見澄ました。
そして立て続けに、振るわれたのはルビィの剣。それは『ただの一閃』だ。けれど彼の血に流れる悪魔の遺伝子によって向上された力は『悪魔を殺すことに特化した力』。
再びディアボロの悲鳴が響く。だがここでオオイタチが毛を逆立て、撃退士へと敵意に塗れた視線を向けた。素早い攻撃、目の前のルビィに振り下ろされる鋭い爪。
ルビィは攻撃の剣を護りの盾として構え、受け止める。オオイタチの爪が芸術品のように美しい剣の表面を引っ掻く。「ジュウ」と響いた不穏な音。それは腐敗の毒素が染み込んだオオイタチの爪が、ルビィの剣を溶かして傷跡を付けた音だ。
彼は咄嗟に剣を振り払ってオオイタチを下がらせた。
「そこのアンタ! 今の内に負傷者を連れて後退しな……ッ!」
最中にも油断なく剣を構え、ルビィは蛇女へ声を張った。
「はっ……はい!」
突然の出来事に驚きつつも、状況を理解した蛇女は仲間を抱え、負傷した足を引きずりつつも後ろへと。
「なるほど。これは一刻を争う事態でござるな」
そんな彼女を、そして団員達を護るようにディアボロへと立ちはだかったのは南条 政康(
jc0482)。
「久遠ヶ原守政康、助太刀いたす!」
威風堂々、戦国武将然と張り上げる声。その右手には彼の忠実にして冷静なる軍師、腹話術人形のタダムネが。
『殿! 敵はかなり素早いですぞ! まずは敵の足を止めるのです』
「心得た! 然らば――頼んだぞ、ドンベエ!」
と、政康が召喚するのはドンベエと名付けられたストレイシオン。
賢竜の咆哮が響いた。更に、スレイプニルの勇ましい嘶きもそこへ加わる。それは久遠 冴弥(
jb0754)が召喚していたスレイプニルの布都御魂だ。通常固体より体の各所が剣めいた幽馬は空を翔け、眼光鋭く獲物を見下ろす。
「……布都御魂」
そして、主である少女が冥魔を指差し命令を下せば。宙を蹴った布都御魂が一気に加速し――目視すらも能わぬ速度。一瞬その場の色が影により断絶されたかのよう。断絶の軋み<ペインブラック>、オオイタチは一歩遅れて自らが布都御魂の刃に切り裂かれた痛みに気付く。
翼を持たぬ地上型のオオイタチにとって、空中からの攻撃は正に一方的。布都御魂の一撃は牽制、そして冥魔の気を引くには十二分。
(ディアボロの出現を『私の所為かもしれない』とは穏やかではないですね)
冴弥はチラと後方に下がりつつある蛇女の姿を見やった。
(狙われる心当たりでもあるんでしょうか……)
もしこんな襲撃が続くようであれば対策の為にも話を聞いておきたいが、今は事態解決に専念しよう。彼らを護りきれなくては、聞きたい話も聞けないのだから。
さて、撃退士の登場にオオイタチの気は完全に撃退士へと向いたようだ。
目論見通り。ならば本格的な攻勢を仕掛けるのみ。
「手早く片付けちゃおうか」
峰雪は専門知識によって銃の能力を最大効率化させた。戦場であろうと変わらぬ、一見して人畜無害な飄々さに――敵の隙を決して逃さぬ狡猾さを、潜ませて。
(しかし……)
最中にポツリと思うのは。
(見世物小屋かぁ。見世物って聞くと、人身売買とかが思い浮かぶけど……今は時代が違うし、色々と人権問題もあって、経営も大変そうだなぁ)
おっと脱線。集中集中。視線の先。そこではルビィが挑発を、智美が再びの雷打蹴によってオオイタチの気を強く惹きつける。彼らは前衛にして、下がる団員達や後衛の仲間を護る壁。決して敵を前へは、進ませない。
冥魔の唸り声が響く。ルビィと智美へ毒の爪牙が襲い掛かる。
その、横合いから。
「こんばんはイタチモドキさん! 狩りを邪魔してゴメンなさいねっ!」
纏う冥府の風に白い髪を翻し、イタチを見澄ますコウモリの赤眸。
「でもね、ここでの狩りは、認められてないのよ。お引取り遊ばせ!」
三日月に笑うシュルヴィアの唇が紡いだ皮肉の言葉。その白い両手から溢れるのは、夜すら塗り潰す黒い闇。それはオオイタチに纏わり付き、黒の帳で目を隠す。
ディアボロを討伐し、団員を助ける。目的は単純なんて、優しい話だ。
「――だからこそ、確実に守られるべきは守らなきゃね」
「然り!」
政康が力強く同意する。右手のタダムネから放つ魔法弾は、冴弥の布都御魂が再度繰り出す断絶の軋みとタイミングを揃えて繰り出された。
オオイタチの前方に立ち塞がり、徹底的にその気を引く撃退士の立ち回りに、ディアボロの狙いが団員達に向くことはなかった。その間に団員達は完全に安全圏へ逃れたようだ。
そして互いに連携しあう撃退士の淀みなき攻勢に、オオイタチは早くも追い詰められているという状況であった。冥魔も攻撃をするけれど、撃退士の損害は軽微。
「吹き飛べッ」
その身に血色の紋様を浮かび上がらせた智美が烈風の如く吶喊し、凄まじい速度の刺突を繰り出した。護神姫流、それは剛ではなく速度で急所を突く柔の技。
激しい勢いにオオイタチが吹き飛ばされる。冥魔は反撃に牙を剥くも、布都御魂の戦車が如き突進攻撃に更にまた押しやられた。
冴弥は必要以上に言葉を発しない。ただ、凛と戦場を見澄ましている。撃退士優位のこの流れを崩させる訳にはいかない。冷静な、そして最低限の指示で、的確に布都御魂に攻撃を繰り出させる。幽馬もそんな主の想いに答えるかのように、強く嘶き宙を蹴った。
『同じ召喚獣同士、ここは一つドンベエに任せられては』
政康の『右腕』が主に進言する。「うむ」と彼は頷いた。
『敵は高機動、必ずコチラに側面や背後を向ける一瞬がある筈ですぞ』
「そこを狙えば良いのだな。頼んだぞ、ドンベエ!」
下された使命。賢竜が鳴く。開かれたそのアギトより放たれたのは、一条の雷。
オオイタチが一撃に怯む。けれどまだ、戦意は喪失していない。
「あら強情! だったら悪いけど、無理矢理にでも消えて貰うわ!」
ならば容赦はしない。シュルヴィアが指先で天を指す。
「『使う』わ! 注意して!」
言下にすいと振り下ろされる細い指先。オオイタチへ堕ちる漆黒の逆十字架が、逃れえぬ罪の如く重く重くのしかかる。
そこへ一斉に、峰雪の早撃ちが、政康のドンベエが繰り出す雷撃が、そして仲間達の攻撃が集中する。
が。その猛攻の中から、オオイタチが鋭い動きで飛び出してきた。塗れた殺意、爛々とした眼光の先には――ルビィ。
彼は待ち構えていた。左足を前に、切っ先を相手に、右の頬の横で雄牛の角の如く剣を構え。
そして刹那に距離は詰まる。牙を剥き出す冥魔に、ルビィが繰り出したのは刺突……ではない。頭部を狙っての水平斬り。巨大な刃が、けれど羽根のように軽やかに。冥殺の力を以て、冥魔の頭部を切り潰す。
「“Ochs(オクス)”――雄牛の角のお味はどうだ?」
浮かべた不敵な微笑。見下ろすルビィの赤い瞳に、崩れ落ちるディアボロが映った。
●平穏と剣呑と
オオイタチ討伐を終えた撃退士は、神社の外にいた見世物小屋団員のもとへと。
「ディアボロは……」
「倒しましたよ、ご安心を」
不安そうに問うてきた蛇女に、冴弥が答えた。
「今、傷の手当をしますね」
救急箱を手に、智美。横たわった串刺し少女と鷹男、それから蛇女に、峰雪と協力してライトヒールを施した。重体を治すことは出来ないけれど、それでも重体の二人の表情が少しだけ和らいだような気がする。
「大事ないか? よく耐えたな。立派でござった」
次いで声をかける政康。傷が治った蛇女は、しかし沈痛な表情のままこうべを垂れた。
「すみません、ご迷惑をおかけしました」
「なに、謝る必要はない。……そうだ、重体になったこの二人であるが、撃退士用治療施設に搬送して貰えるよう学園に相談してみようか?」
「何から何まで……よろしいんですか、是非ともお願いします」
「うむ、相分かった」
頷く政康に「お願いします」と蛇女は今一度頭を下げた。余程、仲間である二人を心配している――それだけ大切であると見れる。
「生きてるかしら? ……生きているようね」
そこへ、「怪物のよう」と自嘲する光纏を解いたシュルヴィアが。
「運がいいわね。大事よ、どんな時でも。チャンスを得るのは、常に生きてる人だけだもの」
「でも……私の身勝手の所為で、仲間が二人死にかけてしまいました」
「それでも、最悪のケースは回避できた。結果オーライじゃない。……座長が心配してるわ。貴方達、名前は?」
「『蛇女』……と、名乗っています。こちらが鷹男、串刺し少女」
「そう。なら、私は『蝙蝠女』とでも名乗っとこうかしら」
クスリ、シュルヴィアが洒落っぽく微笑んでみせた。それに釣られてか、顔を上げた蛇女も小さく微笑む。
「素敵なお名前ですね」
「それはどうも。……日本では『縁』って言うそうよ。世界は広いようで狭い。また会うかもね。その時は、貴方達の興行を観れるといいのだけれどね。私、サーカスとか好きなのよ」
「そうですね……」
答えた表情は、複雑なような、どこか影があるような。肯定的に思いたいけれど、純然に肯定を返せぬ何かがあるような様子だった。
「――しっかし、どうしてまた神社に湧いて出やがったんだ? あのイタチ……」
と、後頭部を掻きながらルビィが眉根を寄せつつ周囲を見渡した。「どっかの冥魔が置いてったのか?」と独り言ちつ、視線は蛇女へ。それに、と言葉を続けた。
「アンタ、今回の件に責任感じてるみてぇだが……どうしてだ? 何か訳があるんだろ?」
ルビィのその言葉に。蛇女がハッと顔を上げた。
彼が投げかけた質問は、誰もが気になっている事項でもあった。使用を終えた救急箱を仕舞いつつ、智美がそっと問いかける。
「……色んな事情で学園に所属しない方がいるのは知っていますけど。『私の所為』って言われた事が気になるんです。
また同じ事が起こるより……根本的に解決出来た方が宜しいかと思うんですけど……?」
「拙者も同じことが気になっておる。事情を話してはくださらぬか?」
政康も言葉を続けた。蛇女は薄く唇を噛む。視線が惑う。躊躇していた。言い淀んでいる。
そこへ声をかけたのは、微笑を浮かべた峰雪だ。
「訳ありが集まる一団なら、どんな過去があっても、暗黙の了解で探り合いはしないんだろうね。それは優しさかもしれないし、自分が探られたくないからかもしれない。
ただ、この混乱の後で、沈黙を続けるのは不要な憶測を招きかねないかもしれないね」
穏やかな声音。その通りだと冴弥が頷き、言葉を続ける。
「夢を売る大事な仕事をしているのでしょう? 仲間を悲しませては駄目ですよ」
「そうだねぇ。それに、ディアボロの出現と何らかの関係があるっていうのが本当なら……一座の人は聞きづらくても、部外者なら、と僕は思うよ」
蛇女にとっては見世物小屋が唯一の居場所で、帰る場所を失いたくないのかもしれない。そう思った峰雪はあくまでも強いることはせず、選択肢を彼女に選ばせんとする。
「まずは、撃退士だけが事情を聞くのでもいいし。本人が責任を感じる所があるなら、団員に明かすのでもいい。初対面の相手じゃ、すぐに信用できないかもしれないけれど……困っているなら、協力するから」
それは決して強制や追求でもない。そして正論だった。
「……ま、直ぐには答えられないってんなら無理強いはしないぜ。気が向いたら追々教えてくれや」
ニカッと微笑み、ルビィがそう締め括った。
そこから、僅かな沈黙。
静寂を破ったのは、蛇女だった。
「久遠ヶ原学園さんだからこそ、言い難いことなのです」
でも、と続けた。
「話した方が……、いいですよね」
「じゃあ質問一つ」
手を軽く上げたのはルビィだ。
「イタチの出現場所もすぐに見当付けてたようだし、この神社とも関係があるのか?」
「いえ、冥魔の場所は生命探知で……。この神社とは関係はないです」
「人間だから、所属していた所から追われてる、って線は薄そうだけど……襲ってきたのディアボロだし」
思案する智美が自分の考えを述べる。
だが、意外にもそれは。
「貴方が仰った通りです」
『言い当てられた』蛇女が、口を開いた。
「私は――『恒久の聖女』に所属していました」
『恒久の聖女』。
それは悪魔に唆されたアウル覚醒者による過激結社。
自然淘汰の原則に基づく「能力者は選ばれし者であり、この世界の正当な統治者として外世界に対抗する事で、人という種を守ることが出来る」という思想を掲げ、一般人を劣等種と蔑み駆逐を目論んでいる。
【双蝕】や【ギ曲】事件を介し、現在進行形で久遠ヶ原学園と敵対している危険な組織だ。
「でも、私は抜け出したんです、『恒久の聖女』から」
そして蛇女は、更に言葉を続けた――
『続』