●未だ知らず
灰は灰に。
●私は
「――私と彼等を、どうするかね?」
そう言ったのは声も姿もこれまでとは異なるけれど、正真正銘Xであった。
閑静な住宅街には似つかわしくない事態、異様な光景。本来ならばなんでもない極一般的な民家の居間に、撃退士と悪魔が向かい合っている。
「X、ようやく『初めまして』ですわね」
静かな声、静かな眼差し。けれどユーノ(
jb3004)の内にあるモノは研ぎ澄まされた刃の如く。状況は一触即発――Xと撃退士だけで事が済むなら爆発しても構わないがそうも言っていられない。
「……貴方がX? ――随分と変わるものね……」
巫 聖羅(
ja3916)は柳眉を寄せる。あの車椅子の少女の正体が、斯様な老人だったなど。
「驚いたか?」
「そりゃあ、ね。成程、だから『父』だったのね」
何故見た目が少女だったのにXが『父』を自ら演じたのか――それは『正体』へのヒントだったという訳か。
メリッサ・アンゲルス(
ja1412)は過去二回の家族ごっこを思い返す。あの時のような賑やかな雰囲気はそこにはない。本当にごっこ……ごっこだったのだと、思い知る。
それでも少女はこう思ったのだ。
(全く世話が焼けるのだ、あの『お父さん』は!)
と。小さな拳を握り締めながら。
「それが、本当の姿か……」
油断無くXを見据える翡翠 龍斗(
ja7594)が彼に問う。いかにも、と老紳士は頷いた。最早この皮の下は肉と臓器と骨のみであると。
龍斗は言葉を続けた。
「聞くぞ、X。新田弘道、マザーマリア、ゆうたくんを創造したのは……お前か?」
「いかにも」
至極アッサリとXは頷いた。瞬間、それまで撃退士の登場に目を見張っていた坂嶺恵太が再び殺気を噴出させる。
その様子、そして状況にテト・シュタイナー(
ja9202)は内心で顔を顰めた。
(Xめ、随分と振り回してくれるな……兎に角、最悪な事態は避けねーと)
八人の撃退士は既に作戦通り動き始めていた。
作戦の方針は『この場で戦闘を起こさない事』。
というのもここでの戦闘はあまりにもデメリットが多いからだ――周囲には一般人がいる民家だらけ、この場にもサユリとユリカという無力な一般人がいる。そして何より、狭い場所では戦闘もやり難い。
その為に――
聖羅はサユリを背に庇える位置に陣取り、もしもの事があれば彼女を連れて即脱出できるよう、出入口を常に意識している。
星杜 焔(
ja5378)はXと坂嶺夫妻の間に立ち、万が一の時に盾になれるようその射線を塞いでいる。
ユーノは恵太の前に立ち、その背で彼の暴発を阻止すると同時にXへ向き視線で牽制を。それはあくまでも敵はXであるという意思表示であり、行動による言葉だ。今更彼等の心に届く言葉は持たぬ、邪魔だと刺されるならばそれまで。
(……それだけの仕打ちをしたとは思いますしね)
彼等の行為は坂嶺家を護る為であると同時に、恵太による戦闘行為を起こさぬ為の予防線でもあった。
しかし――撃退士の行動は恵太にとっては迷惑である他になく。今日の午後に撃退士から受けた『仕打ち』を坂嶺夫妻は忘れようがなかった。復讐を邪魔され、悲願を否定され、真犯人であるXではなく彼等こそが悪役のように扱われ。撃退士は決して彼等を傷付けるつもりではなかったけれど、結果としてはそうなってしまった。結果だけがただただ事実。
ギリ、と奥歯を噛み締める音が聞こえた。
「何だ、貴様等……また俺達の邪魔をするのか!」
周囲全てを睨め付ける恵太のその声は怒りと憎しみに満ちていた。後ずさるサユリも警戒と侮蔑の眼差しを撃退士に向けている。二人は深く、撃退士に失望していた。味方だと信じ希望していたからこそ、掌を返され絶望していた。
けれど、そういうつもりじゃなかった。伝わらないかもしれない、もう遅いかもしれない、でも本当に、こんな結果を望んだのではなかった。だから焔は、こう言った。
「本当にごめんなさい。申し訳ありません」
「何を今更ッ――」
「顔も見たくないだろうと思います。憎くて鬱陶しくて赦せないだろうと思います。俺も冷静ではなかった。言葉にできない程、申し訳ない」
「謝れば収まるとでも思ってるのか、そんなにも薄っぺらな人間だとでも? この野郎ッ……何処までも馬鹿にしやがって!!」
言下、恵太は焔の肩を掴んで振り向かせ。
響いた殴打音。
「――、」
つ、と焔の切れた唇から血が伝った。恵太の拳を、焔はかわそうとしなかった。
殴って、彼の気が0,1でも済むのなら。何千発何万発でも、受け続けよう。焔の表情は『癖』である笑顔ではなかった。引き結んだ、血で赤い唇。じっと恵太を見澄ます淡い赤紫の瞳。
「『憎いなら望みを叶えない事です、殺したら楽になるだけ』――俺は今日、あなたにそう言った。けれど、真に仇なら、不幸が増えないなら、復讐したらいい」
アウルによる質実な雰囲気を纏い、一つ一つ、焔は言葉をゆっくりと放つ。
「復讐の否定が理由で、あの時止めたんじゃない。流れ弾やパニックによる被害の可能性から人命優先で動いた為。無関係の人を巻き込んで坂嶺さんが恨まれる側になる可能性を無くす為。何より、坂嶺さんご夫妻を護る為。
実際、久遠ヶ原学園の依頼報告書に何件も上がっています。撃退士が何人も集まって、ディアボロ一体にさえやられる事が。あそこで俺達が加勢しても、勝てる確立は100ではなかった」
恵太はいつの間にか焔の胸倉から手を離し、焔の言葉を聞いていた。恵太が心の中で何を思っているのか――焔には分からない。他人とは難しい。言葉とは難しい。見えない壁が、本当の想いを幾重にも捻じ曲げてしまうから。
ふ、う。焔は溜息と共に僅かに俯くと、『大きな独り言』を呟いた。
「己の事を他人事にして逃避する悪癖だ」
焔は我知らず目を閉ざしていた。瞼の裏側、浮かぶのは――凍て付く木の枝に貫かれた少女の体。どくどくと流れ続ける真っ赤な血。冷たく力が抜けてゆく、少女の体。或いは、家の前に待ち構えていた二体のディアボロ。散弾銃から飛び散る弾と飛び散る血肉。見覚えのある亡骸に変貌したディアボロの残骸。
「……義妹を流れ弾で亡くした。守れなかった。父さんと母さんは幼い頃奪われた。俺を襲い眼前で倒されたディアボロだった。
まだ仇は見つかってない。見つかったなら、そいつの望みが叶わないようにしたい。『死んだら楽になるだけ』――天魔の長い寿命全て苦しみになればいい」
瞳を開け、顔を上げる。その表情は……笑っていた。
「……こんな人間、増えないといいね」
力なく、自嘲するような笑みだった。
(被害者と加害者は、何があっても分かり合えん)
龍斗は焔の言葉に否定の念を抱かなかった。一先ずは撃退士に烈火の如く食って掛かる事は止めた恵太に、龍斗は言葉を続ける。
「個人的には『復讐』という行為には肯定する。ただし『復讐』を成し得た者の意見を言わせて貰えば、復讐の先には何もない。空っぽの虚無があるだけだ。
ならば何故肯定するのか――肯定するのは、一種のけじめであると思っているからだ。昼間止めたのは、焔も言った通りだが、新たな犠牲者が生まれ、違う形の被害者と加害者を作らない為」
何もせず、話をするだけ。だから武器も持たず身構えず、龍斗は静かに佇んでいる。
「『たられば』になるが、ディアボロとなったゆうたくんを討伐した祭、悪魔も一緒に倒したといったら、恵太夫妻は納得したか?
逆に、悪魔討伐の際に、巻き添えにしたのを誤魔化す為にそう言っているのではないかと、撃退士を恨んだのではないか?」
「それこそ『たられば』だが、今のように復讐心に駆られる事は、少なくともなかっただろうよ。それに俺達はあの時点では撃退士を心から信じていたんだ、君達を疑う事はないだろう」
「ディアボロやヴァニタスも元は人間。それを滅するのは、もう一度命を奪う行為だ。身内にとっては、撃退士も殺人者であると認識されてもおかしくない」
「……君が言いたい事や価値観をただ並べられても話が見えない」
「では……『言いたい事』ついでに」
自らの手に視線を遣り、龍斗は告げた。
「俺は、昔……目の前でディアボロになった友人をこの手で殺した。変化する時、力が欲しいといった声、斬り裂いた時の感触は、今でも残っている。
お前のように、子を失ったわけではない。ただ、痛みは分かるつもりだ。大切な奴は、二度と帰ってこないのだから」
龍斗は妻の姿を心に描いていた。結婚し、家族となった以上、ひょっとしたら、二人の血を分けた子供が誕生するかもしれない。それがもし、理不尽に奪われたのならば、もしかしたら……己も、復讐の鬼と化するかもしれない。けれど、だ。それで己が死せば、残された妻は?
だからこそ龍斗は恵太に訴えかけた。
「撃退士に失望しても構わん。だがな、Xに復讐をするなら機会を待て。今挑んでは犬死にするだけだ。ここで、死んでしまえば残された者はどうなる? ……妻も娘も、親も兄弟も友人も、いるんだろう?」
娘――龍斗が発したその単語に反応したのはサユリだった。ユリカ、と娘の名前を思わず呟く。二階で眠っている筈の愛娘。悪魔がもし、何かをしていたら。
「大丈夫だよ」
そっと耳打ちしたのは、Robin redbreast(
jb2203)。
「あなたも、恵太も、ユリカも、あたしたちが護る。あたしたちの仲間がもうユリカを安全な場所に避難させてるよ、だから大丈夫だよ」
「……本、当?」
「本当」
ロビンの言葉にサユリは一瞬息を詰まらせると、大きな安堵に思わずその場にへたり崩れんとして――聖羅が咄嗟にその身を支えた。聖羅はサユリを、そして恵太を見遣り。
「そう。だから、安心して。――私達を、信じて」
●おかえり、ゆうたくん
時間は撃退士がXの元に現れた所にまで遡る。
八人は坂嶺家に突入する前に『七人と一人』に分かれた。その一人というのが、ロジー・ビィ(
jb6232)。純白の翼を羽ばたかせ外から二階へ向かう。
(X……貴方は何の為に『家族の絆』が知りたいのです?
恵太……貴方は何の為に『復讐』を必要としているのです?)
知的好奇心の為。息子の為。
いいえ。
(『どちらも違う』と、お二方を見ていて、あたしは思うのですわ)
坂嶺夫妻やXと直接話したい気持ちは勿論ある。けれど今成すべきは、坂嶺夫妻の娘であるユリカを護る事。
(Xがその気になれば、ユリカにも手が伸びるでしょう。ともすれば……ゆうたの二の舞。それだけは避けなくては)
これも必要な事。窓を見渡し子供部屋を見つけると、ロジーはそっと近付いた。カーテンの隙間より見えるのは二段ベッドの二階で眠る小さな少女。窓の鍵は開いていた。
ふわり――静かな羽ばたきにカーテンが揺れる。
「ユリカ」
その耳元で名前を呼ぶ、星屑の様な声。
少女が静かに目を開けた。眠気の残るぼやけた視界に映ったのは、
「……天使さま?」
白い髪、白い翼。美しい微笑を浮かべた女。深緑の瞳は優しげで、幻想的で。
「そう。あたしは天使……お空から来たのですわ」
嘘ではない。ロジーは本当に天使だ。尤も、幼い子供が思い描くような幻想的なモノではないが――今は、今だけは、その幻想の住人となろう。
お空から? 少女が繰り返す。星に満ちた夜の空。暗闇でもきらきら輝くロジーの銀髪はまるで天の川のようで、幼い子供を信じさせるには十二分で。
優しく、ロジーは少女の髪を撫でる。
「ゆうたが何処に行ったか、知っていまして?」
「遠いところにいっちゃったって、パパとママが」
「えぇ、ゆうたは星になったの」
星――随分と遠い所だ。だから、とロジーは続けた。ユリカに片手を差し出しながら。
「星を、ゆうたを見に行きましょう」
ロジーがユリカを抱えて空を飛ぶと、少女はすごいすごいと目を輝かせた。皆寝ているから静かにね、と天使が人差し指を唇に添えれば、少女は元気よく頷いた。
そして辿り着いたのは、程近い場所にある公園の丘の上。見晴らしの良い場所だった。街が空が一望できる。
ここならばXの手も及ぶまい――ロジーはユリカと共にベンチの上に腰を下ろした。顔を上げれば、冬の澄んだ空気に星々が所狭しと煌いている。
「ゆうたはどんなお兄ちゃんだったのかしら?」
「お兄ちゃんはね、いつも遊んでくれたよ」
「……しばらくいなくなって、それから戻ってきた時は?」
「かわんないよ! 夏休みだったから、いっぱい遊んだよ」
「パパとママのご様子は?」
「すっごくうれしそうだった! ユリカもね、あの時お兄ちゃんが帰ってきてうれしかったよ!」
「それじゃあ……今は?」
「うーん……さみしそうにしてる。パパもママも泣いてたの。ユリカもさみしい」
どうやらユリカには真実は伏せられているらしい。ならばその『優しい嘘』は暴くまい。「そう」と頷いたロジーはユリカを見遣った。幼い少女にこの時間帯は流石に眠気に勝てないか、舟を漕ぐユリカを抱き寄せる。
「ユリカにとってゆうたは。恵太は。サユリは。どんな存在なのかしら」
「パパもママもだーいすき! お兄ちゃんも大好き!」
即答だった。ロジーに凭れたまま、少女は語る。
「あのねぇ、ユリカ、うちゅうひこうしになる。それでね、星にまでいってね、お兄ちゃんを、むかえにいくの……」
そこまで言って、少女の意識は眠りに落ちた。
ロジーは彼女を抱き締めたまま、ただただ――星を見詰めていた。
●貴方を
「坂嶺殿が無抵抗のXを討つ、それが人の側にとって最良な選択であるのは否定しない……それでも、我はあえて問う」
メリッサは恵太へ振り返る。幼い故に、曲がらず怖気ぬ眼差しを。
「今ここでXを討ったとして、坂嶺殿は本当にXを『赦す』事は出来るのか? こやつは何の罪悪感も持たず、自身の研究に勝手に満足して、喜んで討たれるだろう。ハッキリ言ってXの勝ち逃げだ。それでいいのか?」
「……っ」
「恵太はXが死ねば赦すって言ってる。別に戦闘で倒さなくても、Xが自殺で死んでもいいのかな?」
言葉を詰まらせた恵太に続けてロビンが問うた。彼は唸る様に言う。
「自殺するぐらいならこの手で殺させろ」
「そう。だったら、日と場所を改めて、がいいと思うよ。家の中だと、奥さんが巻き添えになっちゃうから、一般人を巻き込まない場所を探して、他の日に」
「ロビンの言う通りだ」
テトも頷き、恵太を真っ直ぐ見据え言葉を続けた。
「こいつはあまりにも不明過ぎる。今やり合うのは危険だ、抑えてくれ。これは撃退士としてではなく、天魔に両親を殺された一人の娘からのお願いだ。頼む」
拳を握り締める。けれど視線は決して逸らさず、テトは言う。
「……昼には寄って集ってムカつく事を言っちまった。赦せないなら、気が済まないなら、土下座だって何だってする。だから」
「お願い、今は堪えて。Xの実力も未知数な上、ディアボロも居る。そんな状況下で貴方の家族を戦闘に巻き込むのは危険過ぎるわ」
聖羅も加わり、恵太にこの場は不戦を取るよう訴えかける。
恵太が口を開いた。何かを言いかけた。言いたい事は数え切れないだろう。何を今更、日を改めたとしてXが約束を護るとでも。
だからこそ。
「……頼む……!」
テトは恵太の手を握りしめ、『今までの経験を共有し合う』――父と母から受け継いだモノ。絆と云う名の道標。
父は死の間際に告げた。「生きる事を諦めるな。皆と共に生きろ」と。
母は死の間際に告げた。「幸せになる事を諦めないで」と。
それは憎悪に染まりかけた娘を支えた二つの言葉。決して切れない家族<絆>の証。だからテトは足掻き続ける。足掻き続けられる。
伝われ、と、伝える事を諦めない。
信じろ、と、信じる事を諦めない。
――からん。金属音が響いた。
それは恵太が武器を手放した音。膝を突き、頭を垂れる彼が発したのは――嗚咽。
やっと、ようやっと、撃退士の言葉がきちんと届いたのだ。言葉で武力で捻じ伏せるでも、真っ向から否定するのではなく、けれど正しい言葉で。それは誰か一人の功績だとか、誰かのお陰というものではない。『誰もが』、正しく言葉を選んだからこそ、皆の言葉が届いたのだ。
恵太は理解はしていた。けれど納得をしていなかった。しかし、ようやっと彼は気付き納得したのだ。ここでXへ戦いを挑んでも息子は帰って来ない。今彼が真に護るべきものは今いる家族なのであると。
溢れ出る感情。震える男の背に、ロビンはそっと手を乗せながら。
「Xとはお仕事で家族ごっこしてただけだから、討伐依頼が出れば、あたしたちも戦うことができるよ。撃退士は一般人よりすごい力を持ってるから、勝手に自分の好きなように力を使っちゃいけないんだって。だから、一緒に仇討ちに協力してって、他の人の家族がこれ以上犠牲にならないようにって依頼してくれれば、お手伝いできるよ」
仇をうつって約束したんだもんね。澄んだ少女の声に、男は「協力してくれるのか」と問うた。勿論だと彼女は頷く。
「学園にくる依頼は色んなものがあって、正しいとか間違ってるとかは、分からないけど、他の人を巻き込まない場所でなら、復讐もいいと思うよ。それで恵太たちが元気になるなら」
「素晴らしい」
ロビンの言葉の終わりに声を発したのは、これまで沈黙――或いは興味――と共に成り行きを見守っていたXであった。
「憎しみを鎮火させず、けれど彼の激情を抑えるとは」
「貴方が茶々を入れる様な無粋な御仁ではなかったお陰ですの」
皮肉を一つ、ユーノの冷めた紫眼がXを見据える。
「ともかく『私と彼らをどうするか』ですの?」
「聴かせて貰おう」
「正直に言えば、Xがこれも実験の結果として無抵抗で討たれるというのならば介入する気はありませんが……それでは実験の結果は見届けられないですし、納得しているならわざわざ私達にも問いませんでしょう。
そして、この場で戦いが起こるならば、無関係な者も含め犠牲者が出る。それは出来ませんの」
「ほう。ではそこの男にも言ったように」
「そうよ」
回答を引き継いだのは聖羅だった。彼女の手から離れたサユリが恵太へ駆けつけ寄り添ったので、聖羅は二人を護る様に立っている。
「突然押し掛けて、まともに考える時間も与えずに“家族を奪った者が赦される方法”の答えなんて、簡単に出せる訳が無いじゃない。……違って?」
「反論しない。一つ言い訳をするならば、彼等の感情が新鮮な内に接触したくてな」
「そう――」
聖羅は僅かに目を細めた。本当、本当にこういう存在なのだ、Xというものは。『家族ごっこ』を通して、多少なりともXに情が湧いたのは確かだ。けれど、学園から正式にX討伐のオーダーがあった時は、それを請ける覚悟がある。沸いた情とそれとは別問題なのだから。
(時間を巻き戻せない以上、犯した罪の対価は支払わなければならないわ)
だからこそ、かつてXの『娘』であった少女はキッパリと、言い放つ。
「――今回は退いて。また改めて解答の場を設けさせて欲しい。満足な答えも得られず、無益に血を流すのは得策では無いでしょう?」
聖羅の言葉を継ぐように、うん、とロビンも頷く。
「えっちゃんは、あたしたちを家族だと思って、家族と戦うのはどんな気分か試してみたらどうかな。何か新しいことが分かるかもしれないよ。2回の家族ごっこで、家族の絆ができたかどうか確認してみるといいかも? 今日ここだとちゃんとできないから、別の場所でもいいかな?」
「そういうこった」
一言、それからテトは一間を空けると、Xへ示す様に周りを見渡し。
「……やっぱ、この状況下じゃ宜しくねーよな。悪いけどよ、X。今のこの状況はフェアじゃねぇと思うぜ」
撃退士からすれば、周囲の人達までも人質に取られているようなもの。そうした不特定多数への影響を考慮せねばならぬ以上、彼等の言動にも制限が生じる。
ここで争えばサユリや周辺住民といった一般人に危険が及ぶ。撃退士が恵太を諭した通り、この場はあまりにもXにとっては好都合で、撃退士には悪条件であった。テトはその事を、指摘する。
けれど「Xと戦う事」にはNOではないと、言葉を続けた。
「皆が言ってる通りだ。今日は帰れ。そんで今日じゃない日、ここじゃない場所で、もう一回だ。
場所は……そうだな。俺様達が最初に会った、あの家なんてどうだ? あそこなら他の誰にも迷惑をかけねぇし、お前にとっても邪魔が入らねぇ良い場所だろ?」
「諸君は来るのか?」
「Xとしてはどうなんだ?」
「構わない」
「……どうすんだ、恵太?」
テトは恵太へ視線をやった。助太刀が要るのか、要らないのか。立ち上がった男はこう答えた。
「哀しいが、俺は撃退士としてはまだまだだ。そこの少女が言ってくれたように、事情を説明して学園を通して、正式な依頼としてXに挑もうと思う。……その時に、協力してくれると心強い。勿論、散々罵ってしまった後だ。私に良い印象を持っていない方もいるだろう。だから、もし」
「いいのよ」
言葉を遮り、聖羅が言う。その表情には微笑が浮かんでいた。
「――同じ、久遠ヶ原学園の生徒<仲間>でしょ? 困った時はお互い様よ。それに……私達だって、『関係者』なんだから」
「すまない……ありがとう」
そのやり取りを見届けたテトは再度Xへ向いた。「てな訳で」と言葉を切り出す。ニッと笑みを浮かべながら。
「仇討ち、ってやつだな。江戸時代にあったやつ。知ってるか?」
「知っている。絆故の行為、興味深い」
「ああ、『面白そう』だろ? 今度はこちらに付き合えよ、X。たまには嗜好を変えるのも悪く無いだろ。また違ったモノが見えるかもしれないぜ?」
「X、貴方のやり方で続ける限り、撃退士は貴方の疑問を満たさない。ただ、貴方がこれ以上被害を広げないよう警戒し、隙があれば討つのみですの」
ユーノが言葉を続けた。淡々とした言動の裏には嫌悪と敵意が潜んでいる――彼女は最初からXに対し懐疑的であった。彼の行う実験を激しく厭うた。それは人間が行う動物実験のような、罪悪感情など芽生えぬものと同じであったからだ。
「貴方が保身に興味が無く、ただ好奇心を満たすことを是とするなら、今しばし付き合いましょう。その為にこちらが用意する場に、出向く用意はおありですの?」
「研究結果として赦される為に死ねるか、という事か」
「そうなるね」
と、頷いたのは焔。
「成程」
表情を欠片も変えぬXは一つ、そう言って。その場にいる撃退士を一人一人、見渡した。
「良いだろう。諸君の言う所に反論は無い。その『仇』、受けよう」
「その言葉、信じて良いな?」
薄く開いた睥睨と共に龍斗が問うた。無論だ、とXは答え、皆に問い返す。
「他に何かあるか?」
「あ……一つ、個人的に聞きたい事が」
焔がそっと切り出した。
「先ず。きみのヴァニタスが息子との出会いになった事にはお礼を言うよ」
マザーマリア。撃退士と二度目の邂逅の時に抱いていた赤子は今、焔の養子として育てられている。
「人々を冥魔にした事はいけない事だけど……新田氏は娘と供に在る事、マザーマリアは子供達を守る事、彼ら自身の欲求が核だった。生前の彼らの冥魔化した経緯を訊きたい」
「一人目はディアボロ――私が創ったモノではない――による事件で瀕死状態である所に遭遇した。娘を酷く気にかけているようだから、願いを叶えてやった。
二人目は、どういう事情かは知らないが、死んだ赤ん坊を抱いて泣き叫んでいるところに遭遇した。子供を護りたい、私にそう縋り付いたから、力を与えた」
「……酷い事はやってないんですね」
「直接殺して冥魔にした者はいない」
「祐太君も?」
「然り。彼は……おそらく公園の遊具より転落して頭部を打ったか首を折ったか。私が見付けた時には事切れた直後だった」
「何故彼だけディアボロ?」
「ヴァニタスを創るのは中々力を使うのでね。手抜きと思われたらそこまでだが。……姿が変わっても家族の絆が通じるか、見てみたかったのだ」
恵太は咄嗟にサユリの耳を塞ぐと共に、激しい殺気の視線をXへ向けた。襲いかからぬのははち切れんばかりの憎悪を理性で押さえつけているからだ。
「……俺からは以上だよ」
これ以上Xをこの場に留めて置くのは恵太やサユリの精神に悪い。焔がそう言えば、「では」とXは踵を返す。
と、その時。
「Xよ」
声をかけ引き止めたのは、メリッサ。少女は振り返る老紳士の前に堂々と立って、言った。
「我を『本当の娘』にしろ。家族の絆としでかした事の重さ、叩き込んでくれる。ぶっちゃけ我は一生涯、命を懸けてもお前の家族になってやると考えておるが、嫌なら次までの間だけでも構わん。我を連れていけ。共に暮らさせろ。興味が湧かぬなら拒否すればいい、それだけだ」
その言葉は確固たる決意と覚悟の発言だった。じっと、メリッサがXの目を決して逸らさぬのはその証拠である。
「あの言葉を聞いた時から考えていた事だ。答えは『悪い事をしたら“ごめんなさい”だ』と、我は単純にそう考える。だが、X自身に悪い事をしたという気持ちがなければ意味がない。
……今のままでは、Xは己のした事の重さは死ぬまで理解は出来ぬだろう。そしてそんなXを今討っても坂嶺夫妻は『赦す』事なんて出来ない筈だ。だから我が叩き込んでやるのだ。僅かな間でもXと家族になった、我が」
血の繋がりが無くとも『家族』には成り得る。メリッサはそれを知っている。
しん、と静けさが二人を見守った。
Xの答えは早かった。
「お前を連れては行かん。今ここでお前を連れて行く事を、おそらく他の者は『人質にされるのでは』『危険では』『裏切りでは』と快く思わんだろう。次回に合うその時まで、我々は『フェア』でなくてはならないのだ」
「……っ」
間違ってはいなかった。メリッサは薄く唇を噛む。けれど、と言いかける。その言葉はXが彼女の頭に置いた手に、遮られた。
「賭けをしよう。もし仇討ちの果てに、私が勝利し、生き残ったのならば」
ぐしぐしと撫でる手は、撫で慣れていないのだろう、雑っぽい。けれど優しかった。
「メリッサ。その時は、今度こそ本当の、家族になろう。共に暮らそう。いつまでも一緒にいよう。
勿論勝負はフェアでなければならん。私のこの言葉を聞いたからと、情に揺らめき手を抜いたならば、今の話は無しだ。いいな」
「……分かった。約束なのだ」
「良い子だ」
「約束、なのだぞ!」
「約束だ。……お前の言葉はいつも、私の心を沸き立たせる」
Xは手を離すと、メリッサの真っ直ぐな目を見返した。仄暗い目。けれど確かに、メリッサを見ていた。
「――これでも家族の絆を、その重みを、少しは理解したつもりだ」
そう言って。
Xは空の車椅子を押すレイコと共に、再び何処かへ消えて行った。
残された七人と、二人。ロジーからも連絡が入り、ユリカは無事だという。
一段落だ、一先ずは。戦闘を起こさず、けれど遺恨や燻りを残さず、それどころか撃退士への失望すらも晴らしてみせた撃退士の行動は見事の一言である。
坂嶺夫妻は深々と撃退士へ頭を下げた。そんな彼等に、焔は問う。
「……祐太君の朝顔は?」
「冬なので枯れてしまいました。でも種が。娘が大事にとってます」
「そうですか」
あの時しなびた、赤い花。種が残っているのなら、きっとまた、あの暑い日に、赤い花を咲かせるだろう。
けれどその花を迎える前に――撃退士には、やるべき事が待っていた。
どのような未来が待ち受けるかは、誰も未だ知らず。
『了』