●鬼
「鬼……人型ならば、ヴァニタス以上か?」
ファーフナー(
jb7826)は眉根を寄せた。「しかし不自然だ」と口にする。
「あんな弱い子はエネルギー源になるでしょうに、放っておくとは……」
「たった一人を明確に守ろうとした? そんな天魔、いないはず、よ」
同様、橋場 アイリス(
ja1078)と矢野 胡桃(
ja2617)も『違和感』を感じていた。
「そんな特殊な敵がいるとも思えないし……少し確認が必要かしら」
「すこし探ってみますか」
二人が交わしたそんな言葉に、
「なにかひっかかるなぁ。もしかして、この天魔は女子高生を助けようとしたんじゃないのかな」
と、六道 鈴音(
ja4192)は言う。けれどそれは推察の域を出ない――関羽(
jc0689)も立派な顎鬚を撫でながら思案に暮れた。
(人を救うためか、それとも天魔の事情で殺めたか……。後者なら捨て置けぬ)
天使でこそあるが、関羽にとって人間は同族で。倫理観も人間のそれに極めて近く、彼自身も己を人に近い天魔だと認識している。
であるからこそ、仲間への礼儀は忘れない。
「我が名は関羽。初任務ゆえ、足を引っ張るかもしれぬがよろしく頼む」
深々と頭を下げる。百目鬼 揺籠(
jb8361)が「こちらこそ」と会釈して、そのまま夜の街へすいと視線を移し。
「街の夜も随分明るくなりましたね。鬼というなら、どんな奴でも同胞にゃ違いねぇ」
斯くして、撃退士は捜索を開始する。
悪魔の翼――アイリスが背より顕現させたそれに続き、胡桃も妖精の翅に似た黒透翼をふわりと羽ばたかせる。
天使の翼――関羽は天の翼を顕現させ、揺籠はアウルを纏わせた布を翼として『偽った』。
「さぁ……おにごっこを始めましょう?」
胡桃の言葉を皮切りに、四人の天魔血族が一斉に空へ飛び上がった。
それを見送り、鈴音は上向けていた首を元に戻す。
「で、私は空飛べませんから。地上から探しますよ」
それに続くのはファーフナーだ。さて……思考を整理する。状況だけ見れば少女を救ったようにも見える。無差別でないなら、何故少女を生かしたのか?何故逃げた?ゲートの下見?どこから来た?
彼は学園へ目撃情報や行方不明者の有無を訊いたが、現在調査中との事だ。何分、人が多い。街一つの話となれば、情報が大規模すぎる。目撃情報に関しても、既に与えられた情報以上のものは手に入らなかった。
(そして、俺達に情報を大人しく待っている暇はない)
足を止める。そこは件の事件が起きた場所。
撃退庁と警察とが封鎖していたが撃退士である二人は入る事ができた。死体は既に片付けられているが――未だ生々しい事件の痕に「う、わぁ」と鈴音の声。人間らしい反応だ。少し羨ましい――等とは口に出さず、ファーフナーは周囲をぐるりと見渡す。
「これだけ派手にやったなら、かなりの返り血を浴びている筈だ」
「成程! それを辿れば」
ならばと鈴音が辺りを見渡し、「見つけた!」と走り出した。
上空の撃退士も送られた情報に従い、血痕を探し始める。辿り始める
血痕の道標から迷走したのではない事が理解できた。そして大通りではなくひとけの無い方に向かっている。
(犯人は、地理に明るい……?)
ファーフナーがそう思った時、通信機から揺籠の声が飛んできた。
「妙なモンを見っけましたよ」
上空から調査を行っていた揺籠の視線の先には、路地裏の隅。血だらけのスポーツバッグ。
「周囲には死体――否、それ以前に、争った形跡すらない。鞄も無造作に置いたような、落としたような、……血糊の乾き具合から言っても、丁度『例の事件』と同じぐらいじゃないですかね?」
つまり、これは被害者のものではなく加害者のもので――返り血を浴びた存在、『犯人』のものである可能性。
慎重に、揺籠は鞄のジッパーを開けた。
「柔道着?」
であるならば、ゼッケンや名前の刺繍がある筈。かくして予想通り。揺籠は、その名前を読み上げた。
「――菅生 貴隆」
先程、ファーフナーは行方不明者等の捜索を学園に依頼した。だが情報があまりにも膨大すぎて実質は不可能だった。
が、情報の範囲さえ狭めれば、それは可能となる。
すぐさま彼の情報が撃退士の耳に入る。近辺に一人暮らしの大学生、男。最後の目撃情報は今夜、近所の柔道場。携帯電話は繋がらない。アパートにも不在。
即ち、行方不明。
鞄の血糊を返り血とするならば、犯人は彼だ。
だが、彼はアウルに覚醒していない一般人。
少女の情報によれば犯人は恐ろしい天魔。
被害者だと仮定しても、死体が全く見つからない。
謎が謎を呼ぶ。
そんな中、ビルからビルへと翼で翔けていたアイリスは、索敵の能力を発動させていた胡桃から連絡を受ける。屋上に不審な人影を発見した、と。
(あれは――)
目を凝らした。
それは物陰に隠れるように蹲っていた。
人型の、男の、鬼。
血だらけだった。傷ではない、返り血。
目撃情報と一致する。
「!」
こちらの気配に気づいたか、鬼が振り返りアイリスを見遣った。見開かれる目玉が遠くからでも良く分かった。鬼はすぐさま逃げようとする――ので、アイリスは一先ず友好的に言葉をかけてみる。
「こんばんはー?」
が、それに返って来たのは息を呑むような声。焦燥?直後、空を割いたひとつの弾丸が鬼に命中する。
「ストップ。そこまで、よ。動かないで……なんて難しそう、ね。大丈夫。痛みはないわ。シルシをつけただけ、だから」
胡桃のマーキングだ。しかし、鬼は「攻撃をされた」と、思ってしまったらしい。空を飛んでいる謎の生き物から。
絶叫。影の刃――オンスロートに良く似た暴力が迸った。
「っ……」
殺意や敵意というより無我夢中、無意識の類か。それ故に『タチが悪い』。リミッターなどない。胡桃の体に血の花が幾つも咲いた。アイリスも、Scut de Ajax――攻撃重視の彼女にしては珍しい防御技、血色の花弁盾でダメージを和らげた。
「少し……落ち着いて貰わないといけないようですね」
アイリスは攻勢に出る。と言っても全力では無く殺意も無く。接近、ひゅるりと振り上げた指先から葡萄酒色の糸が煌めいて、しなやかに、襲いかかる。
「ぐッう!」
アイリス自体に殺す気はないが、それは激しい、そして重い一撃だ。退魔【虚数】の力も相俟って、鬼にとっては痛打になったのだろう。苦悶の声。
そのままアイリスは鋼糸で鬼を縛り上げようとしたが、相手が素早く飛び退いた為に能わず。
落ち着かせるつもりが……裏目に出てしまったか。完全に、鬼はこちらを敵と認識してしまったらしい。攻撃して冷静にさせる、など、少し無茶な話だったのかもしれない。いくら撃退士に敵意がなくとも、伝わらなければ意味がない。
どうする――このまま攻撃し続けていいものか?
と、その時である。
「落ち着けぃ!! 我々はお主を救えるかもしれぬ! ……救うためにきたのだ!!」
一喝の声が空一杯に響き渡った。空気が揺れた様な心地さえした。
そこには関羽が、空中にて威風堂々と仁王立っていた。近くには揺籠もいる。
駆けつける前、揺籠は撃退士と鬼の戦いを遠きから見ていたが、この鬼は戦いを楽しんでいる様子などなかった。そこには恐怖、焦燥、狼狽。とてもじゃないが、四人を殺めた者のそれには、思えない。
「ビルの屋上とか! 私、飛べないんですけど!」
一方、ビルの麓にて走ってきた鈴音は息を荒げながらも瞬間移動の魔法を発動させ屋上に現れた。息を整えるのもほどほどに、鬼の方へ顔を向け。
「貴方……菅生貴隆さん、ですね?」
顔中に浮かんだ黒い模様で見え難いが、確かに。その顔は『行方不明者』のものと一致する。
だが彼は人間で、なのに目の前の彼は天魔の姿をしている。
数々の謎が鈴音の脳裏を駆け巡った。
そして点と点が――繋がる。
「彼、ハーフなんじゃ」
そう。全て。偶然的にハーフ天魔の血に目覚めた、と仮定するならば合点がいくのだ。
視線の先、鬼は狼狽している。だが、襲いかかってくるような様子はないし、逃げようとしていた足も止めたようだ。尤も、まだ落ち着いているとは到底言えないが。
だから冷静にさせねばならない。
悪魔の翼で、屋上に降り立ったファーフナーは淡々と言い放った。
「我々は久遠ヶ原学園の撃退士だ。この荷はお前の物か? お前は天魔のハーフとして覚醒した可能性がある。事情を話して貰えれば、我々学園側でお前を保護して解決法を提示できるかもしれん」
相手の思考を先読みしつつファーフナーは発見した『菅生 貴隆』の鞄を提示した。その声はひたすらに感情を伴わず説明的、まるで冷静さを伝播させるが如く。
「う…… あ、あぁ……?」
狼狽。だが恐怖や焦燥は和らいだか。状況を飲み込むのに手間取っている、という様子である。
「さて、落ち着いてくれましたかー?」
そこへ、武装解除したアイリスが声をかける。
「さてさて、なんか似てますねぇ、私たち。貴方のお名前は? 貴方は、なんというヒトですか?」
「ひ、と……? いや、俺は」
「人間じゃなくても、貴方、ヒトでしょう? 菅生貴隆さん」
少女は自らの左頬を指さした。暗赤色の刺青の様な痣。笑いかけた。貴方を否定したら私もヒトじゃなくなっちゃいます。「俺も似たようなものだ」と、ファーフナーも翼をゆらりはためかせた。
「貴方が本当に天使や悪魔の類なら、壁の一つくらい、透過出来るはず、よ」
続けて胡桃が、言う。その手には銃ではなく石ころ一つ。投げた。緩やかに弧を描く質量。鬼の爪先に『当たる』、転がる。
「よほど高度なヴァニタスやシュトラッサーでなければ、誰かを守ろうという考えも抱かない、わ」
それは、彼が紛れもなく人間であるという証明。バケモノなどではないという証明。
鬼がぎゅっと目を閉じた。何かに耐えるように。ガクリと膝を突く。震えていた。震えながら、彼は自分の名前が菅生貴隆である事、あの鞄が自分のものである事を肯定した。
それからはもう、貴隆は懺悔と謝罪をただただ繰り返す。
「落ち着いて。大丈夫だから。なにか事情があるなら、話してみて」
震える肩にそっと手を乗せ、鈴音が言う。声を押し殺す貴隆は、嗚咽の最中にこう告げた。「俺は人を殺しました」と。天魔人に関わりなく殺人は罪である。許されない事だ。でも殺す気じゃなかった。どうしてハーフの血に目覚めたのか。どうして。
慟哭。彼は天魔の血に目覚めただけで、精神はただの一般人。だからこそその精神負荷は計り知れない。
鈴音は「大丈夫だからね」と繰り返し、彼の額に指先を触れる――その記憶を読み取った――暴漢に囲まれた少女へ駆ける視界。伸ばした手、が、天魔のそれへと変貌して、そして、影が男四人を粉砕した。余りにも残酷無慈悲に。
「――」
彼女は仲間へ重い視線を遣った。悲しい事だが、殺人事件の犯人は彼だ、と。
「でも、貴方は、女の子を助けようとした。誰かを傷つけるつもりなんて、なかったんですよね」
「すべては予測できなかったこと故、お主に非はない。……人を救う気持ちに偽りはなかったのだからな」
明王もかくやという風貌とは裏腹に、関羽の声は深く、優しい。
「人殺しが、なに? 心が痛むのなら、好きに罪を償いなさい。貴方の人生、よ」
「殺した人のことが気になるなら、殺した人の何倍もの人を助けましょう。それが贖罪です」
淡々と、人形めいた無表情で告げる胡桃、言葉を続けたのは真っ直ぐ貴隆の目を見つめるアイリス。銀髪の少女はちょっと冗句めいて薄笑んだ。
「嫌ならここで殺してあげますが、気が乗らないのでまた今度にしてくれたら幸いです」
「辛い。苦しい。悲しい。きっとそう、でしょうね。それでも、まだ歩くというのなら……同じ『人殺し』同士。私が貴方を、迎えるわ」
胡桃もまた小さく微笑み、貴隆の傍にしゃがみこむと応急手当でその傷を癒した。「さっきはごめんなさい、ね」と言葉も一緒に。
「会話もできる、罪悪感も正義感もある……いやはや、ちゃぁんと人間らしいじゃァないですか」
カラン、下駄の音を響かせて。揺籠(鬼)は、蹲った貴隆(鬼)を見下ろした。
「自分のことが怖ぇですか? 俺らのことが怖ぇですか? わかんねえまま、全て振り払った後で気付くのは哀しいことですぜ」
少し頭を冷やしなせえ。煙管を吹かし、百目の鬼は言う。事実関係を正してからでも遅くはない筈。それから「いっそ殺して」もご勘弁、からから笑った。俺は訳も分からず叩っ殺すのも、叩ッ殺されんのもごめんでさ!
そのまま揺籠は左手を差し出した。諦めない。手を伸ばす事を。
「頼ってくれてもいいんですよ。貴方は一人じゃありませんぜ」
貴隆は項垂れていた。
ポツリと呟く。
「俺は、許されるんでしょうか」
「許す、許さない、を決めるのは……果たして、誰、なのかしら、ね?」
胡桃が言う。貴隆が顔を上げた。
そして、差し出された手に手を、伸ばして――握り締める。
●幕間
「はむぁぁっ、だめです。思い出したからだめですーっ」
アイリスはクラレットをポーイと投げ捨てその場で転がった。男性に対するトラウマ、という奴である。
一方、ファーフナーは無言のまま貴隆を見つめていた。
脳裏。初めて人を殺めた時の記憶。仕事だと言い聞かせ、感情を麻痺させた。
そして、アウルが暴走したあの時、悪魔混じりと知られたあの日、感じた、絶望感。
(苦しむのならここで終わらせてやるのも――)
思いかけ、こうべを振った。それは自身の願望。蓋をすべき感情。気の迷いだ。仕事に何ら思うところはない――目を閉じる。
●後日談
「ひと1人の人生がかかってるんです。お願いします」
鈴音は少女Aとの面会を望んだ。真相究明の協力をして欲しい、と。
渋る両親であったが、親の立会いの下で短時間ならと許可される。ので、鈴音は少女に「ちょっとごめんね」と指先で触れた。
記憶――かなり混濁している。赤い。血の色。飛んでいった鬼。
いいや、鬼ではない。
鈴音は真実を告げる。あれは鬼ではない。少女を守ろうとした人間。偶然ハーフ悪魔の血に目覚め、あの事件が起きただけ。
少女は目を見開いた。
それから、泣き崩れる。
「わたし、なんてこと」
震える少女が鈴音を見遣った。彼はどうなったのか、と。警察に捕まってしまったのか、それとも撃退士に討伐されてしまったのか、と。
鈴音は首を振った。
「彼は今――」
――久遠ヶ原学園。
貴隆に殺意は無かった。アウル能力及びハーフ天魔能力覚醒による事故だった。
そう正式に認められた故、殺人罪は適用されず、彼は学園で保護観察という名目で入学する事となった。
しかし事情があれど、彼が人を殺めたという事実は消えない。貴隆はそれを受け止めた上で、今度は過ちを起こさず、誰かを守る為に――撃退士になる事を決めた。
『了』