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わびさびのある閑静な住宅街に、狐憑き邑上静の住まいがある。
リビングで、三人の男女が静を出迎えた。突然の訪問客に戸惑いながら頭を下げる静へ、葛葉アキラ(
jb7705)が挨拶を交わす。
「いきなり押しかけて、堪忍な。うちらは、陰陽師や。百鬼夜行を使役する側のモンや」
まっすぐとアキラはそう告げて、にっと笑う・
「うちは葛葉アキラ、よろしゅう」
「儂は陰陽師の小田切 翠蓮(
jb2728)。狐を払いに遣って来た者だ」
「同じく、ボクもこうみえて陰陽師なんだ」
アキラたちに続けて、藤井 雪彦(
jb4731)も自己紹介を行う。
「話を聞かせてくれるかな?」
柔らかな笑みを浮かべて、雪彦が促す。
最初は迷っている静であったが、
「今からな。静ちゃんに憑いてるお狐様を鎮めてくるねん」
「但し、あの狐めは稲荷社の御遣いにあらず。――ただの天魔じゃよ。静殿が気に病む事等、何一つ無い」
アキラに続けて、翠蓮が告げる。
天魔、と小首を傾げる静へ手短に、事情を説明する。疑わしげな部分の残る彼女であったが、おずおずと状況を話してくれた。
なぜ、狐憑きと思うのかも雪彦が尋ね、ピアノの話を本人から聞き出す。
「そっか……静ちゃんに憑いてる狐は、ちゃんと祓ってくるから安心して」
天魔であれ、祓ってみせると雪彦は静を安心させる。
「その間、静ちゃんに直接の厄災が訪れへんよう、九字切っとくさかい。安心しぃや?」
もっともらしく目を閉じ、アキラは九字を切る。
「臨! 兵! 闘! 者! 皆! 陣! 列! 在! 前!」
「これで安心じゃろう。儂も保証するのじゃ」
翠蓮が大仰そうに告げ、席を立つ。
「ほな、後でまた会おな」とアキラも静に笑いかけた。
二人に合わせて立ち上がった雪彦は、ふと振り返った。
「ねぇ、ただ、仕方がないって言ってるけど。ピアノ……弾けなくてもいいの?」
雪彦の問いかけに、静は肩を震わせた。
「あ、勘違いしないでね。有能だから弾かなきゃいけないよ、なんて言うつもりはないよ」
軽い口調で、雪彦は続ける。
「色々あったみたいだし……今はそうかもだけど、弾き始めた時なんかは弾くのが楽しくて楽しくてしょうがなかったんじゃないかな」
だから、今は無理して弾かなくていいよ。
互いにまっすぐに見合う。
答えられず苦しげな表情を浮かべた静に、雪彦は微笑みを返した。
「続きは、後でね」
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「祟りなんてもんがあるとすりゃ、祟りだと思い込むこと事態だな」
稲荷社へ続く石段を踏みしめながら、向坂 玲治(
ja6214)は呟く。
「そのとおりやね。憑き物は自らが自らにかける、呪の一種やさかい」
アキラが頷き、稲荷社の鳥居を見上げる。
「ほな、実害を齎したお狐様を拝みに行こうか」
「あぁ。先ずは目の前の敵を倒すことだ」
戒 龍雲(
jb6175)の言葉に呼応するように、狐の鳴き声が上から響いていた。
鳥居から見える境内は、石畳が広がり灯籠が所々に立っている。
奥に見える木造の社は、壁面が煤けたようで歴史を感じる。
「なるべく神社にも被害が出ないよう行動した方がいいだろうな」
ファーフナー(
jb7826)が境内を見渡し述べた言葉に、龍雲が頷く。
「この神社のヤツはココが傷つくのは仕方ないと言っているが、それに甘えるわけにもいかないな」
「そうだね。傷をつけたら静ちゃんが余計に気負うかもしれない」
彼女の様子を知る雪彦が、そう付け加えた。
方針を固めているところで、逢見仙也(
jc1616)がカメラを用意する。
動画を撮影し、静に見せることで納得してもらうためだ。
「この辺りから撮るよ」
鳥居の側を指して、仙也は告げる。
ケータイの動画機能であるが、最近のものは解像度でも引けをとらない。奥側の建物まで、ばっちり映るしズームも行ける。
「これなら片手でも……」
画面を確認していた時、中央に黒い影が入ってきた。
出てきたよ、と一言告げると全員の視線がそこへ向いた。
「――ふむ。あの黒い狐が静殿のいう『お稲荷様』かのう?」
「だろうな」
冥府の風を纏い、玲治は面前の敵を睨む。漆黒の毛並みを持った二股の尾を持つ狐が、周囲に狐火を作り出し、撃退士たちの様子を伺っていた。
「先手必勝っ」
雪彦が風神の力を呼び起こすと同時に、龍雲と玲治が駈け出した。この動きに黒狐は機敏に反応する。
狐火が増えたかと思えば、揺らぎながら撃退士たちのいる鳥居側へ向かってきたのだ。
「邪魔だ!」
玲治は障害物となる狐火を打ち払い、龍雲は蛇行してこれを躱さんと試みる。だが、放たれる炎弾が時折、手脚をかすめていく。
「ほほう、狐火とは厄介な」
翠蓮もまた、赤色の扇子で狐火を打ち落とす。体当たりを仕掛けてくる狐火に気を取られている間に、黒狐は境内を脱しようと試みていた。
「……さすがは狐。小賢しく逃げまわってくれるのう」
「逃さないよっ!」
風神の力を借り、加速をつけた雪彦が一定距離から呪縛陣を発動する。黒狐の周囲にいた狐火をも巻き込んでの攻撃だ。
自由を奪う結界による攻撃に、黒狐は傷を追いながらも、束縛からは逃れ得る。
だが、逃げた先に龍雲が回りこんでいた。アウルを脚に込め、爆発的加速で距離を詰めた龍雲は、黒狐へと強力な一打を叩き込む。
弾き飛ばすような一撃を受け、一瞬動きが止まる。だが、周囲に作られていた狐火が割りこむように龍雲たちの動きを阻害した。
狐火の小爆発が更なる追撃を許さず、黒狐はすぐに動き出す。
駆ける間にも新たな種火が、黒狐の周囲に浮かんでいた。
「こっちも行き止まりだ」
狐火の特攻を盾で防ぎつつ、黒狐を玲治も囲う。味方の位置を見定めると、無数の影の刃が狐火を散らし、黒狐へ襲いかかる。
距離を詰めようとした玲治の目の前に、再び狐火。オンスロートで仕留めきれなかった、残り火か。あえて玲治は盾を構えて、狐火の自爆特攻を受けきった。
「むっ」
視界が晴れたとき、玲治の手中から黒狐は逃げていた。すばしっこく、小賢しい。翠蓮ではないがまさに狐だと思わざるをえない。
だが、そんな黒狐は一発の弾丸によって移動を制された。
「追い立てねばな」
弾丸を放った主ファーフナーは、社の上に翼を携えて構えていた。彼の弾丸は、黒狐をかすめるのみで、砂利を穿っていた。
時には、ただ砂利を抉るときもある。それでも黒狐は、死角からの攻撃に慌てていた。
だから、黒狐は気づかなかった。彼の狙いが、黒狐を中央へと誘いだすことであることに。
燈籠もない、がらんとした境内の中心部。
社を傷つけないためには、そこに追い込む必要があった。
ファーフナーの意図を汲み、龍雲や玲治も囲い、追い込む。次第に意図した方向へ、黒狐は逃げるようになっていた。だが、それは同時に狐火が集まりやすくなるということでもある。
頃合いを見計らい、ファーフナーは翼をはためかせ地上へと降り立つ。
「ほう、ここじゃな」
ファーフナーが降りたのを見て、翠蓮が動く。
カメラを意識してか。はたまた、彼自身が持つ気性故か。悠然と構え、四神の力を持った結界を張り巡らす。撮影役に徹する仙也に、ふと笑みを浮かべた。
「後で静殿にも見せるのであろう? しっかりばっちりと儂等の勇姿の撮影も宜しくのう」
飄々とした風情。自らの持ち味を映像に残せるよう、翠蓮は振る舞っていた。
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「おっと」
仙也は撮影の傍ら、囲みの外へ出てきた狐火を警戒した。
とっさに、空いている手に鳳翼霊符を構え、様子をうかがう。
その間も、カメラは離さず、黒狐を捉え続ける。炎弾を避け、火の鳥の如き魔法攻撃で狐火を撃つ。二回ほど当てれば、狐火は収縮して消え去った。
「順調だな」
狐火を散らし、画面に意識を戻せば、黒狐は撃退士たちの中央付近に位置していた。間を縫うようにしてカメラの視線を通す。撃退士たちは同心円のように陣取っていた。
まず、黒狐に最も近く隣接する、二人。
至近距離から攻撃を放つ、龍雲と玲治である。
「あまりちょろちょろ動くな」
龍雲が強く拳を叩き込み、玲治は光を帯びた攻撃を放つ。黒狐は迸る光をわずかに避け、狐火を撒いてひた走る。
だが、一つ外側には詰めていたファーフナーが構えていた。
「まったく、おとなしくしてくれないか」
アウルによって植物を鞭状に形成し、黒狐を縛りにかかる。多少の抵抗に怯むことなく、ファーフナーは冷静に黒狐を捕縛する。
「うちのワイヤーみたいやな」
ふとアキラがつぶやき指をクイッと曲げた。ケータイで彼女も映像を取りつつ、ワイヤーを仕掛けていたのだ。邪念を振り払い、落ち着いた心で動いていた彼女を狐火は捉えられないでいた。
だが、黒狐の動きが鈍ったとなれば話は別だ。
「好機じゃ」
「任せときぃ!」
翠蓮とアキラが黒狐を挟みこむようにして、同時に動いた。ファーフナーの茨から逃れようともがく黒狐を澱みをもった気が包んでいく。
仙也のカメラは、翠蓮たちが構えた瞬間、黒狐が砂塵に飲み込まれる様子を撮っていた。さしもの黒狐も、二人の術には為す術がない。
足下から次第に、体が硬直する。
「狐火はまだ動けるんだね」
雪彦の声が耳に入る。彼の言うとおり、狐火は主の状態とは関係なしに、動いていた。逃れ得るための一手か、固まる前にも作り出し、辺りを浮つく。
「さすがに邪魔だよね。カメラ的にも」
狐火の光が幾重にも重なれば、フラッシュのようになる。光を打ち消すように雪彦は、結界をはり狐火の動きを止める。
「狐火に対抗するには……こうか」
雪彦の結界に重ねるように、ファーフナーが内側へと潜り込み、氷の夜想曲を発動させた。
周囲が凍てつき、炎弾を放っていた狐火の勢いが衰える。
翠蓮は近くの狐火を扇で打ち払い、仙也が鳳翼霊符で誘爆させる。
「小賢しい真似は、これで終わりじゃな」
石化が解け、黒狐が自由に身になった時、最後の狐火が玲治の手で破壊された。
新たな狐火を生み出すより前に、風神の力を得た龍雲が懐に入る。
「いい加減終わりにしよう」
龍雲の強烈な一撃を受け、黒狐の動きが止まる。
続けざまに、玲治が神輝掌を放つ。光の奔流に飲み込まれ、黒狐の体が揺らいだ。
「終わりや。もらったで!」
鳳凰を召喚していたアキラが鎌鼬を放つべく、槌を振るう。風の刃が黒狐の尾を切り落とした。地に伏せ、力なく崩れ行く黒狐が画面に収まる。
映像が終わる瞬間、カメラが手ぶれた。
一部始終を納めたカメラを手渡し、仙也は負傷を癒やしに向かうのだった。
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夕刻。西日が入る部屋の中で、静はケータイの画面を食い入る様に見ていた。
動画を見せながら、ファーフナーは告げる。
「あれは単なるディアボロだった。祟りではない。神職ではなく、撃退士が退治できたわけだしな」
「陰陽師ではあるがな」
「いずれにしても、帰るべきところに帰ってもわったわけや」
アキラがまずは憑き物は消えたことを、はっきりと述べる。
動画が終わり、ケータイを仙也がしまう。顔を上げた静に、
玲治が一つ間を置いて静を見る。
「というわけだが……さて」と納得しきれていない様子の静に、厳しく告げる。
「狐に祟られるほど、大したことをやっているのか?」
やや厳しい物言いだが、と前置きをしてファーフナーもいう。
「お前は単に、狐を逃げに使いたいだけではないか。狐のせいでピアノができなくなったと。狐のせいでピアノができなくなったとな」
言葉に詰まる静に、ファーフナーはまっすぐに瞳を合わす。
「そんなにピアノが嫌なら、狐のせいにしないで、自分の意思でやめてしまえばいい。 誰のために、何のためにピアノをやっているんだ? ピアノが好きなら、上手い下手に関わらず続けたらいい。 世の中にはハンディキャップを負いながらも、何かに打ち込むものは大勢いる」
大仰そうなリアクションを織り交ぜ、ファーフナーは一気に吐き出した。
表情が硬くなる静に、今度は優しい声色で翠蓮が話しかける。
「静殿。心に後ろめたい想いを抱えておるのなら、自分を責めるのでは無く、その想いから逃げずに立ち向かう事」
和らげな笑みを浮かべ、静の緊張をほぐしていく。
「それが道を切り拓く唯一の術だ。逃げた所で現実は容赦なく追って来る。そして何より――自分自身には嘘は吐けんのだから」
「……君が許さない限り誰が何と言おうと誰も君の心まで批判をすることはできないはずだ……」
龍雲も続けざまに告げた。
玲治も「あー、なんだ」と再び口を開く。
「神様がいたとしても、一人にかまってやれるほど暇じゃないだろ」
それに、神無月だから神様いないしな、と付け加えた。
神妙な表情で額にシワを寄せる静。
秒針の音だけが十回ほど響いた。
「さ、ここで今朝の続き」
そう切り直したのは、雪彦だった。
「そして…弾きたくなったら弾いていいんだよ?」
無理して弾かなくていい。昼前にはそう告げていた。
「ボク、コンクール用じゃなくて君が楽しんで弾く音色が聞きたいな☆それが聞けたら最高の報酬だね。弾きたくなったら教えてね」
声を弾ませながら、雪彦は静を元気づける。
すかさずアキラが、静の手を握った。
「スランプは自分が創るもんや。ほんでな、スランプは今までのやり方に納得いかんくなって訪れるモノ」
冷たい球のようなものを静は手渡されていた。それをしっかり握らせ、アキラは続けて言う。
「要は静ちゃんは今、まさに巧くなる一歩手前っちゅーことや!」
そうしてお守りを渡す。実際には、ただの煌めくガラス球だ。
しかし、彼女に必要なのは中身……ガラス球の持つ意味である。
「これはな、いつでも静ちゃんを護ってくれるお守りや。大事にしとき」
まじまじとガラス球を見つめる静の瞳には、意志が宿っていた。少しずつ戻ってきていた、強い思いである。
帰りの間際、ファーフナーは最後にこう述べた。
「自分のことだけでいっぱいいっぱいだろうが、宮下もまたお前に対して責任を感じている。
申し訳なく思うなら、自分のできることで宮下の心配を取り除いてやるといい」
「はい」
静はしっかりとした声で、ファーフナーに答えるのだった。
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翌朝、仙也は一人であの稲荷社を訪れていた。
片手には、奉納用の酒。昨日騒がせたことに対する、仙也なりの詫びであった。
「……よし」
「お参りですか?」
奉納を済ませて帰ろうとした仙也に、宮司が声をかけた。おそらく依頼人の宮下であろうことは推測がつく。向こうも、撃退士だとそれとなく察したのだろう。
「えぇ」と返事をする仙也に、それとなく宮下は切り出した。
「今朝方、一人の少女がお参りに来ましてね。ピアノコンクールのチケットを私にと持ってきてくれました」
「そうですか」
「……本当に、ありがとうございました」
静の行動は、おそらく前を向いてのことだろう。
伝えておきます、と仙也は返し鳥居をくぐる。
石段に足をかけた時、狐の声が聞こえた気がしたが、きっと、気のせいだろう。