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凄惨な辻斬りがあったとしても、江戸八百八町は蠢き続ける。
人は行きかい、物は動く。その隙間を縫うように闇は生きる。
表の闇を狩る同心の詰所で、一人の男が素っ頓狂な声を上げた。
「例の辻斬り? んなこと聞いてどうするんだい」
質問主、黒羽 拓海(
jb7256)は肩をすくめる。
「ちょっとした興味だ。お前も噂ぐらい聞いたことあるだろ?」
「お前が知っているのと変わらないと思うがな」
噂好きの同僚から、アレコレと聞き出す。
適当なところで話を切り上げると、外へ出た。
ちょうど昼時である。馴染みの飯屋を拓海は目指した。
食事処「蛍」は、ここ一帯の中心的な飯屋である。
昼時の目まぐるしい忙しさの中で、二人の少女が客の間を行き交う。
「刀が盗まれたのですぅ〜? そのお話詳しく聞かせてくださいなぁ〜」
「それって例の瓦版の話ですよね! 気になる気になる!」
看板娘の神ヶ島 鈴歌(
jb9935)とグラサージュ・ブリゼ(
jb9587)である。
ときおり、瓦版を持った客と立ち話をしながらも、素早く動き回る。
愛嬌よし、器量よしとあって二人を目当てに来る客も多いとか。
「面白い話ありがとうございます。これおまけで付けておきますね!」
蛍の主人の目を盗み、客に団子を一串渡すのも人気の秘密か。
噂好きとの噂あり、何かと情報を仕入れて来る客もいる。
「妖刀ですかぁ〜? 怖いもの好きな人っているのですねぇ」
客同士の会話にも積極的に反応する。
今日の「蛍」は、刀と辻斬りの話題で持ちきりだった。
客として来た拓海は、端の方で飯をつつきつつ聞き耳を立てるのだった。
日が傾くと、逆に賑やかになる場所がある。
吉原大門をくぐった遊郭は、綺羅びやかな様相を呈していた。
「相変わらず眩いな。いいものだ」
そう呟く男は、遊郭に似合わない僧衣を纏っていた。
月詠 神削(
ja5265)、飲む打つ買うと三種揃った破戒僧である。
遊郭に馴染み深いのか、挨拶してくる小姓もいる。
「む?」
ふと、立ち止まれば花魁道中が向かって来るところであった。
遊郭内が、にわかに騒がしくなる。
「吉原一の花魁。瑞穂太夫だな」
「ほう」
「さっき聞いたんだ」
横を見れば、男物を来た川内 日菜子(
jb7813)が立っていた。
視線を戻せば、目の前を長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)。
しゃらんとした金髪をなびかせ、瑞穂太夫が通り過ぎて行く。
人々の見る目を奪い、歩く姿は満月が降り立ったようであった。
去り際に列から外れた一人の童子が、一枚の紙を渡してきた。
「なんだ?」
「揚屋の一室を開けておくそうだ。この紙が手形だと」
無遠慮に覗きこんできた日菜子に、神削が告げる。
早速向かおうとする神削に、日菜子が付いて行く。
瑞穂太夫の揚屋前では、一人の少女が用心棒であろうか、流れの侍と会話していた。
「ですから、私は使いで来たんですよ」
そう主張するのは、商家の娘神雷(
jb6374)だ。
一方の侍、ミズカ・カゲツ(
jb5543)はどうしたものかと固まっているようだった。
「お前さん、この子もコレだ」
神削が渡された紙を見せると、ミヅカは納得した様子をみせた。
「どうぞ」と短く告げて、三人を中へと招く。
揚屋の一室には、すでに拓海と蛍組が待っていた。
襖が開き、瑞穂太夫も姿を見せる。
「揃ったでありんすな。改めて、よろしゅう頼んます」
ここに、八人の撃退士が顔を揃えたことになる。
●
空に幕のように雲がかかり、月明かりが仄かに見える。
雪がちらほらと舞い散る夜。橋の上にそいつが姿を現した。
薄汚れた姿、白刃の刀を片手に移ろうように歩く侍だ。
「さて、お前が巷で噂の辻斬りか?」
その侍を待っていたかのように、拓海がすでに立っていた。
拓海の問いかけに、侍は答えない。
虚ろな瞳に溜息で返して、刀に手をかける。
「何の因果か互いに妖刀。だが、妄執に憑かれて人を呪うをよしとするなら」
黒百合の意匠があしらわれた鞘から、刀を抜く。
昼間は黒塗りの鞘であったが、今は妖刀「黒百合」本来の姿を見せていた。
「……貴様は折らねばな」
一気に間合いを詰めにかかる。
火の粉を振り払うように、侍が刀を振るえば、氷の刃が舞う。
静かに闘気を放ち、二連の斬撃を放つ。
「おっと、予想以上に素早い」
素体は浪人と思っていたが、軽業師のように動く。
数刻前。
「妖刀は、刀のことが好きでありんす。でありんすから二本差しのお方におびき出してもらう必要がありんす」
瑞穂太夫は情報から、囮を用いることを提案した。
「黒羽の旦那。囮になっておくんなまし」
今も、瑞穂太夫の声が聞こえていた。
「はぁあああっ!」
それは拓海に囮を頼んだ声とは、少し違っていた。
蝶の羽のように力を放出し、瑞穂太夫は侍に接近を果たす。
南蛮由来の拳法術。瑞穂太夫はそれを操る。
脇腹を目指した拳は、しかし、刃に弾かれた。
「しつこいでありんすね」
そのまま折りきれればよいのだが、氷の刃で覆い、威力を軽減していた。
なるべく盗人を傷つけないよう動いているためか、踏み込みが鈍い。
不利と悟った妖刀使いは、不意に刀を大きく回転させた。
何かがくると即座に悟り、瑞穂太夫は距離を取る。
吹雪くように、氷刃が橋の上で舞い散った。
「しまった」
視界を塞がれ、一瞬侍の姿を逃す。
気がつけば、橋から商家の連なる道へ移動していた。。
「だからといって、逃すわけがないのです」
その先には、ミヅカ。そして、神雷が控えていた。
「妖刀による辻斬り……楽しそうな戦いになりそうです」
楽しげに神雷は声を出すと、積極的に距離を詰める。
振り払うように繰り出される氷刃も意に返さない。
それを補助するようにミヅカが、斬りこむ。
「さて、俺の出番だ」
声がしたかと思えば、トスっと錫杖片手に袈裟坊主が降り立つ。
いうまでもない、神削である。屋根の上に飛び乗り、機を見ていたのだ。
神削は得意の法力によって、侍の動きを縛りにかかる。
髪が伸びてくるような、幻惑。しかし、侍本人の動きはそれでは止まらない。
「あくまで妖刀が主か。厄介だ」
「ならば、止まるまで攻め抜くのみぞ」
修羅の面をかぶった日菜子が距離を詰め、拳を振るう。
炎のような気で軌跡を描き、また、燃え盛る気で防御も見せる。
これこそ、川内流拳法の妙技。人でなく妖かしを打つ。
「同じ拳の使い手、負けてられないでありんす」
瑞穂太夫も蝶の羽を舞わせ、戦線に戻る。
二種の拳が入り混じり、確実に侍の動きを止めにかかる。
神雷らの斬撃を防ぎつつ、この拳は止められない。
「戒めろ、お前の業を」と赤い軌跡が走る。
「ーーっ!?」
人形のように動いていた手足が、止まった。
その時である。
「闇が潜むところに我らあり」
二人の少女の声が重なる。
「太陽を司るは明るく元気な光なり」
一人はグラサージュ。
「月を司るは優しく癒しの光なり」
もうひとりは鈴歌である。
「闇を照らし、心を支える……」
「闇を照らし、心を支える……」
「太陽のグラ参上!」
「月の鈴歌参上!」
「我らは蛍の守護者なり!」
「我らは蛍の守護者なり!」
決まったと言わんばかりに、ぴしりと身構え、侍に立ち向かう。
その間、侍は止まっていた。
「鈴歌ちゃん」
「グラさん」
目配せをして、鈴歌が遠心力を利用し小太刀から衝撃波を飛ばす。
龍のように見える衝撃波に合わせ、グラサージュが雷撃を放つ。
「必殺! 飛雷龍円舞!」
声の揃った必殺技は、妖刀「白峰」の張り巡らした、雪の守りを突き抜ける。
侍の手から白峰は弾け落ち、白く禍々しい気を湯気のように立たせていた。
「南無……」
転げた妖刀を、法力を込めて神削が叩き込めば、残骸に成り果てる。
「これで終わりじゃ、ありませんよね?」
狐の面を取り出して、神雷が尋ねる。
「当然だ」
神削が答え、道の向こう、闇の先を睨めつけた。
●
「落ち着きましたか?」
昼間の喧騒と打って変わって、静かな蛍に三つの人影。
グラサージュは作った汁粉を、あの侍に与えていた。
半刻ほど前。
事実を告げられ、気力を失した侍に拓海が刀を突きつけていた。
「死にたいのか?」
答えない侍に複雑な表情を見せる。
緊迫した空気の中、鈴歌がやわらかな声を上げた。
「まあまあ、盗人さんは私達にお任せあれ。悪いようにはしないですぅ」
「皆さんにはまだ、やることがあるのでしょう?」
拓海は嘆息すると刀を納め、
「守りたいなら残すな」と告げて姿を消した。
二人は侍を連れ、蛍に来たのである。
「あなたには幸せにしなくちゃいけない人がいるんです。犠牲者の方達にも、です」
気を取り戻した侍に、グラサージュが優しく説き伏せる。
「その人達の分も精一杯生きて皆が幸せになれるよう考えて生きてくださいね?」
「それに、今回の一件は、もうすぐ片がつくのですよぉ」
楽しげに鈴歌は窓から外を見る。雪の隙間に見える月が、笑っているようだった。
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江戸内、某武家屋敷。
夜半なれば通常、静かであるはずの場所は大いに賑わっていた。
飛び交う怒号、鳴り響く剣戟の音、この場所だけが今、戦場だった。
「かかってくるなら、情け容赦はしないでありんす」
「悪鬼に慈悲をとは、片腹痛し」
屋敷に乗り込んだ複数の人影、その先陣を切るように二人の鬼がいた。
一人は修羅の麺を被り、紅き道を行く。
もう一人は綺羅びやかな金髪の下、背に鬼を背負っていた。
表の美しさに惑わされる事なかれ、背筋が隆盛し鬼を成しているのである。
「派手ですねぇ。あ、邪魔をする方はいらっしゃいますかぁ?」
楽しげな声を上げながら、続いて狐が入ってくる。
まずは一匹、神雷が遊ぶように控えていた者どもを切り伏せる。
「ここは任せて先に言ってください」
もう一匹の狐、ミヅカは気を滾らせ皆を送る。
避けることを重視し、なるだけ多くを引きつける。
峰打ちで一人二人と薙ぎ倒す。
「さて、上手くやってくださいよ」
またちらほらと雪が見え始めていた。
悲鳴を上げる間もなく、屋敷の主は逃げ惑ってた。
くつろいでいたのか帯刀すらしていない。
飛んだ腰抜け、壁にある刀はただの装飾品というべきだろうか。
「跋扈を赦した己の罪を呪え」
「影に隠れて影に生きる。そねえなことは許されんせん。あちきが、地獄の鬼さんに会わせてあげんす」
すでに修羅と鬼に会っているのだ。
男にとっては今が地獄である。
「言っておくが仏の慈悲はないぞ」
スラリと現れた僧侶姿の神削に、男は縋ろうとしたが、錫杖で払われる始末。
壁にぶつかった衝撃で、落ちた刀を拾う。
主の自慢の一本、如何様な手段で手に入れたかは知れぬ刀である。
「しからばぁああ!」
抜いた刀を振り上げ、振り下ろすまでの一瞬に日菜子が距離を詰めた。
不夜城の如く紅く光り続ける両手足から、拳撃が放たれる。
受け身を取ったように見えた主であったが、悶え始めた。
「命、風に舞散る華葉の如し」
柘榴の名を関する拳術が一つ。
打ち込んだ気が内部で柘榴のように弾けるのだ。
「せめて安らかに散り候へ」
日菜子の言葉に合わせるように、瑞穂太夫も大振りに右の拳を叩き込む。
解釈する武士の如く、刀のように鋭い一撃が主の刀を折った。
「専門は不思議相手だが、外道を生かす道理もない」
間を割って拓海が刀を振るう。
紫炎が火の粉のように刀の軌跡を残す。
刃が動けない主にあたろうとした時、何者かに弾かれた。
「やり過ぎるわけにはいかないですよぉ」
強撃を刀で受け止め痺れる手をさすり、神雷は立ち上がる。
気を失った主の髷に手をかけると、躊躇うことなく切り落とす。
「楽しめましたから、満足ですぅ」
屋敷の中でひと通り戦ってきたのか、狐面の下でうっとりした表情を浮かべる。
外からは朝日が漏れ、神雷は伸びをするのだった。
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江戸にも朝は来る。動き出した町で、一層騒がし場所が一つ。
夜、あの辻斬りと撃退士が出会った橋の上だ。
だが、辻斬りとの邂逅を行き交う人々が知る由もない。
『この者、世間を騒がせし辻斬りの下手人なり。撃退士がここに天誅を下す』
そう書かれた立て看板、そして縛られたあの屋敷の主人がいた。
傍らには、破壊された一振りの刀。真っ白な刃が、怖さを見せる。
屋敷の主人は何も語れない。ただうなだれているのだった。
「因果応報……だ」
野次馬の中へ僧衣を纏った男が消える。
神削は自分の居場所へと戻っていく。
同心の詰所は、朝から上へ下への大騒動。
管轄が外れるこの場所も、例の辻斬りの話題で持ちきりであった。
「聞いたか? 撃退士とやらが、例の辻斬りを退治したとか」
「そうらしいな」
噂好きの同僚が、早速、話しかけてきた。
拓海はありもしない噂話を、聞き流しながら表の職務に励む。
腰に差した黒百合の鞘は、黒塗りに戻っている。
「さて、飯の時間だ」
ミヅカは次なる場所を目指して、江戸を発つ。
瑞穂太夫に挨拶をとも思ったが、彼女の揚屋は生憎の休みであった。
休みといえば、食事処「蛍」も看板娘の不在で戸を占めていた。
「今回は妖刀白峰が関連、侍は撃退士が始末」
淡々と報告を述べるのは、件の蛍の看板娘。
鈴歌の前にいるのは、誰であろうかの大将軍であった。
「盗人は江戸の町から外れへと、追放するですぅ〜」
「その代わり、補填もしてます。例のあの子が」
何を隠そう、この二人こそ天下の将軍を時に護衛し、時に闇を葬る審判者である。
グラサージュの言葉を受けて、鈴歌が結ぶ。
「少しは良い暮らしができましょ〜」
グラサージュの言うあの子とは誰か。神雷である。
「先日は御亭主様に危ない所を助けていただき、ありがとうございました」
商家の娘、しゃなりとした姿で盗人の下を訪ねていた。
しれっと嘘を言ってのけた神雷は、盗人たちが呆けている間に金品を託す。
屋敷の主人を他のものが追っている間に、一人蔵へと突貫して手に入れたものだった。
「辻斬りとも戦えたし、大立ち回りもできましたし」
往来を歩きながら、一人笑みを浮かべる。
最後に受け止めた拓海の刀を思い出しつつ、満足した様子で神雷は自分の家へと帰っていく。
だが、江戸八百八町に闇が舞う限り、撃退士の戦いは終わらない……。
……。
…………。
………………ドンッ!
●
川内日菜子は自室の床で目を覚ました。
「はっ!?」
早朝、カーテンからはやわらかな朝日が漏れ込んでいた。
あの出来事が夢だと悟るのに、時間はかからなかった。
「派手に動きまわったからなぁ……顔洗ってこよ」
その後、ランニングでも行こうと独りごちて洗面台へ向かう。
窓の外では、白い雪が舞っているのだった。
了