●進撃と休息
暗い森を撃退士一行が歩いていた。
今回の任務は救出を最優先とするため、村に繋がるある程度整備された道を通る事なく、一行は道なき道を自分たちで文字通り切り開きながら進んでいた。
時間としてはそろそろ正午だろうか。しかし生い茂る木々に光は阻まれ、まるで夜のような暗さだ。鳥の囀りが聞こえる事もなく、歩く度に誰かが踏んだ枝の折れる音が辺りに木霊する。必然的に皆の動きは緩慢となり、枝を踏まないよう一歩一歩に気をやるそれは、全員の精神を端から削り取っていた。
「伝説だと呪われる前は美人さんらしいんだけどね〜」
そう皆の緊張を解そうと言ったのは、囮兼迎撃班として先頭を歩いている大城・博志(
ja0179)だった。果たして皆を思いやってか、それともただ単に下心の働いた結果によるものなのか。本当の事は分からないが――――そんな彼も、苦しげな表情を浮かべていた。
超常的な身体能力を保持する彼ら撃退士もやはり人の子。幾度となく死線を渡り歩いて来てもそう慣れるものではない。心の異常は身体にも影響を及ぼし、全体の士気は下がる所まで下がっていた。
――――そんな状態のメンバーを救ったのは、ソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)だった。
「みんなストップ!」
前を歩く囮班に声をかけ、同時に後ろの救出班にも合図をして自らの荷物を下ろす。
「一度休んで万全の状態で、ね」
そう笑顔を見せる彼女の荷物からは、食器不要でゴミも少なく、手軽に食べられる軽食が出てきた。
オニギリにサンドイッチ、滋養効果のあるチョコレート。胃痙攣を防ぐために水は程好い温さ。
――――その魅惑的な誘いを断れる程、一行に余裕はなかった。
●索敵と発見
つかの間の休息も終わり、撃退士一行は救出班をその場に残し囮班が先行する形をとっていた。
囮班は事前に容易した無線機を一人一台の割合で所持しており、全滅を免れるため数十メートル間隔で離れて進んでいた。
「…………全員止まって下さい」
無線機に向かって指示を出したのは戸次 隆道(
ja0550)。隆道の視線の先には石化した鳥。辺りには幾つも馬の蹄の痕があり、メドゥーサが近くに居る事を否応なしに訴えていた。
こちらはメドゥーサを発見したら仲間に報告し、囮として別の場所に誘き寄せ余裕があれば撃退というプロセスを踏まなければならない。しかしメドゥーサはただこちらを視認する。それだけで全ては終わってしまう。
漂う緊張感。だが――――思わず呆気なさを感じる程すぐにメドゥーサは見付かった。暗がりで多少見えにくいものの、輝く黄金の翼は非常に分かりやすかった。
「最優先なのは救出だから、離れてもらおうかな」
皆がメドゥーサを発見した事を確認すると、囮としての責務を果たすべく代表してソフィアが、木々を揺らす事によってメドゥーサにこちらの存在を示した。
「――――――――!!」
声なき叫び。しかしそれは音の揺れとなって一行の鼓膜を叩く。
「行くぞ」
ユリウス・ヴィッテルスバッハ(
ja4941)の声を無線機越しに聞いた一行は、それを合図としてその場から離れた。
メドゥーサは木々に溶け込む迷彩服の所為で視認出来ないのか、現状石化した者は居ない。しかし音や気配で何かが居るのは分かるのだろう。メドゥーサは撃退士たちを追い、森の中へと消えて行った…………。
●救出と問題
「囮班がメドゥーサを発見したようです」
凛とした声で無線機からの報告を皆に通達したのは、レイラ(
ja0365)だった。
メドゥーサが既に遠退いた事を確認した救出班一行は即座に移動を開始する。
既に撃退士の石像の位置は把握しており、メドゥーサと言う危機が無い今となっては楽な仕事だ。しかしその危機がいつ戻るかは分からない。
一行は囮班の負担をなるべく減らすため、作業を分担し速やかに行動する。
(…………俺が石像を持つと、いざって時に蛇までけしかけられそうだな)
そう石化した撃退士の前で思考するのは佐倉 哲平(
ja0650)。しかし一般的に考えて、力仕事は男が担当した方がいい。故にその考えは口には出さない。
「…………しかし、本当に細部まで石化しているな」
救出と言っても担いで帰る程度にしか考えていなかったが、レイラは石化された男が砕かれにくいように毛布のような布とソリを持ってきており、現在それの準備に終われている。他の女子メンバーもそれを手伝っており、救出班唯一の男である哲平は少し手持ちぶさただ。だからその暇を潰すために石像を眺め、髪の毛一本一本が石となっている様に感心した。――――そこで、悲劇が起こった。
「…………あ」
ぽきり、と音を立てて折れたのは男の髪の毛。思わず触れてしまった手の平に、男の髪の毛の残骸が残る。
哲平は左右を確認し誰も目撃者が居ないのを知ると、黙って女子メンバーの準備が終わるのを待った。
「佐倉さん、お願いします」
準備が終わり、哲平に声をかけたのは菊開 すみれ(
ja6392)。
余談だが、廃れた村故にまともな地図が無く、それでも無事この場に辿り着けたのは、地図を見る事が趣味であるすみれのおかげだ。しかし本人は目立つ事をしようとしないため、その地味に重要な事実を知る者は殆ど居ない。
「…………あぁ」
手の平に残った髪の毛の残骸を払い、哲平は布にくるまった男をソリに乗せ、下山するべく一歩を踏み出した。すみれもそれをサポートすべく歩き出し、レイラも全体が見渡せるように数歩下がった場所を維持しながら歩いた。
「――――ちょっと待って!」
動き出した皆を止めたのは染 舘羽(
ja3692)だった。
「おばあちゃんも助けてあげないとね!」
祖父祖母っ子である舘羽はそう進言した。本音としては撃退士の男よりおばあちゃんを優先的に助けたかったが、そうするわけにはいかない。
舘羽のその案に反対する者は居なかった。しかし、生憎な事に布もソリも無い。二度の往復は囮班の危険を増大させる。
「…………何故こうなる」
――――結局舘羽がソリを押し、哲平がおばあちゃんを背負う事で落ち着いたのだった。
●石化と把握
『…………取り敢えずは救出成功だ』
無線機から聞こえる、哲平からの報告。
「無線によると、救出班は無事救出に成功したようです」
隆道はそれを他のメンバーにも報告する。皆は張り詰めていた空気を僅かに弛緩させ安堵の息を吐いた。囮班は見られただけで石化させられる状況の中、この山の中で殆ど無い木漏れ日のある場所までメドゥーサを誘い出し、手鏡で影を確認しながら撹乱していた。撃退士といえども、流石に危なかった。
「どうします? 一応依頼の方はこれで完了ですが」
隆道の問いに、最も早く言葉を紡いだのはユリウスだった。
「一応の目的は達成出来た……とは言え、放置しては遠からず再び犠牲者が出る事になるだろう。石化の解除には、首から出る涙が必要という伝承も多いし、今からでもアレは倒すべきだと思うのだが…………」
その意見に肯定する者は居たが強く否定する者は居らず、事前に話し合った通り二人石化するまでは退治する方向で動く事になった。
そのため、救出班からは石像を護衛するために哲平とレイラがその場に残り、舘羽とすみれが囮班と合流する運びとなった。
問題は二人が合流するまでどうするか。このまま待っていても問題は無いが、出来れば鏡の有用性は把握しておきたい。
そこで一人の男が、人柱となるため挙手をした。
「私が行きましょう」
宣言したのは隆道だった。外見的に取り立てて特徴がなく、人の記憶にも残りにくい、悪く言えば影が薄いとも言える彼だが、別段それがメドゥーサに何か影響を及ぼす事は無い。それでも隆道は、自分が石化する危険を厭わなかった。
皆は隆道の意を汲み取り、止める事をせずに動いた。隆道はその場で息を殺し、ひたすらチャンスを待つ。焦らなくても、仲間はきっとそれを作ってくれる。
そうして木陰に隠れ――――ついにその時が来た。
残念な事に激しい動きに耐えられるような丈夫で大きな鏡は用意出来なかったため、メドゥーサの後ろを取って突き出したそれは少し大きめな手鏡だった。――――だが、やはり鏡はメドゥーサに効果が無かった。
「…………くっ!」
木々が石化せず、迷彩によって一行にも被害が無かった時点である程度は分かっていた。メドゥーサは視界に収め、対象を認識する事で始めて相手を石化させる事が出来るのだと。
しかししっかりとその効果を把握出来たため、これから危ない橋を渡る必要は無くなった。…………無論、隆道の右腕が石化するという代償を払う事にはなったが、幸い石化したのは右腕だけであったため、自力で戦闘を離脱する事が出来た。
「…………っつ、後は頼みましたよ」
その無念の声に敬意を表し、皆は離脱する隆道を視線で追いながらしっかり頷いた。
●存在と忘却
「大丈夫ですか!?」
すみれは右腕が石化した人が居ると聞いて、囮班の所へと向かう舘羽と別れ隆道の所まで来ていた。
心配して来てみた。来てみたのはいいが――――誰か分からない。
これといった特徴が無く記憶に残りにくいだけあり、隆道の存在はすみれの中から忘却されていた。
「……私は大丈夫です」
しかし、すみれも基本的に目立つ事を極力しないタイプの人間である。囮と救出で班が別だった事も影響してか、見事隆道もすみれの存在を忘却していた。
「…………」
「…………」
お互いがお互いに名前が分からず、気まずい沈黙が訪れる。まさか相手も自分の名前を知らないとは露知らず、その空気に耐え兼ねてすみれは囮班に合流すべくその場を後にした。無論、隆道もそれを止める事はなかった。
●緊張と成功
「安全を考慮し、遮蔽物を利用して代わる代わる攻撃しよう」
ユリウスのその提案に異議を唱える者は居ない。それが一番確実で、そもそもそれ以外に選択肢は無いようなものだ。
メドゥーサの能力は非常に厄介だ。しかし慣れればそうキツイものではなく、メドゥーサを挟んで自分と対極の位置に居る味方の方をメドゥーサが見ている場合、少々乱雑に攻撃しても問題無い。
遠距離から攻撃。隙を見て近距離。浅く切り裂き即座に反転。
たったそれだけだった。あれだけ脅威に思えた能力も、視認して発動するまでに数瞬のタイムラグがあると分かってからは、より一層問題の無い物となっていた。
男にとって厄介な蛇もただの蛇で、勢いよく踏むだけで呆気なく絶命する。
一行は危なげなくメドゥーサを追い詰め――――大音量で携帯が鳴った。
スピーカーでも付けていたのだろうか、それは辺りに響き渡る。メドゥーサはその音に即座に反応するが、撃退士一行は予想外の音に対応が遅れる。
(――――間に合って!)
辛うじて反応したすみれがピストルの引き金を二度引く。
一発は外れ、しかし一発はメドゥーサの胴体に直撃した。…………だが、止まらない。
――――一人、やられた。
誰もがそう思った中、その鳴っている携帯の音とは見当違いの方向から博志の声が響き渡った。
「エナジーアロォォー!!」
薄紫色の軌跡。
一瞬の時を於いて、煌めく光の矢がメドゥーサに突き刺さった。
「――――――――ッ!!」
言葉は無い。しかしそれは、誰が聞いても苦痛による叫び声だと分かった。それを見逃す程撃退士は甘くない。
「――――はっ!」
舘羽は視界に入らないよう最低限の注意を払いながらメドゥーサに肉薄、ハンドアックスを掲げ発動するのはスキル『石火』。体内で燃焼されたアウルにより、降り下ろす力は爆発的に加速する。
――――一閃。
既に限界の近かったメドゥーサがその一撃を耐えられるわけもなく、見事一行はメドゥーサの退治に成功した。
●失敗と完了
「俺に任せてくれ!」
無事にメドゥーサも討伐し、さて涙はどうやって採取しようか。そんな話になった所真っ先に名乗り上げたのは博志。
皆はこれといって確実な案があったわけではないので、何も言わずに博志の方を見た。――――その集まった視線の先には、卸し玉葱とレモン汁のブレンド液の入った水風船、七味と胡椒のブレンド粉の包みを得意気に構える博志が居た。
「ちょ、待――――」
誰かの制止の声を聞かず、博志はそれをメドゥーサに向かって投げた。――――結果は言うまでもなく、一番被害を受けたのはメドゥーサではなくこの場に居ない数人を覗く全ての撃退士だった。
無論博志は皆にこってりと絞られ、話は振り出しに戻った。
『――――石化を解除するといえば、メドゥーサの涙あたりですが、涙は血液から作られていると聞きます。ディアボロであるメドゥーサがどうかは不明ですが、流れ出た血から血球を覗けば案外イイのかも知れません』
行き詰まった一行にとって、レイラのその知識は正に神の救いと言えた。血球を覗く方法は分からないが、近くに丁度いい実験体である隆道が居たため、早速抽出した血液をかけてみた。――――結果は、成功。見事隆道の右腕は元に戻った。
伝承によると流れ出る血によってサソリが生まれただとか、左側の血管から流れて瓶に入った血には人を殺す力があると言われていたりするが、そこはやはりディアボロだけあって関係はなかった。
「…………伝承通りなら、女神があの首を盾に付けることで、かの有名な最強の盾となったそうだが……そういう訳には行かないとは言え、少し試してみたい気はするな」
ぼそりと呟いた言葉に反応したのは、あまり積極なタイプではないはずのすみれだった。
気に入らない事があるとついポロッと口に出してしまうすみれの毒舌にやられ、ユリウスは苦笑するしかなかった。
結局メドゥーサの死体は、大量の血液を抜いた後にソフィアが処理した。
「これでこの人もきっと安らかに眠ることができたんだよね…………」
そう呟くすみれの頬を、一陣の風が優しく撫でた。
蛇足ではあるが、この後無事石化が解除されたおばあちゃんに甲斐甲斐しく世話をした結果、やたらと気に入られて一人だけ帰るのが遅くなったとかならなかったとか…………。