●生贄の師弟
灰色の雲が垂れ込めた空の下、廃墟の中を進む撃退士の一行は、北の方角から響く若い女の悲鳴に足を止めた。
『一般人……森田香澄らしき女の子を確認! ディアボロの群に追われておるぞ』
先行して上空から偵察していたハッド(
jb3000)より、スマホを通して報告が入る。
魔獣どもの先頭に立つのは以前にも出現したガンガ竜。腹部には中山浩二らしき男性が囚われているという。
「偶然にしては出来すぎ……奴ら、どうやら私達の接近に気付いたようね」
即座に光纏、手許に天羽々斬を召喚した神喰 茜(
ja0200)の視界には、早くも昔大通りだった路上をこけつまろびつ走って来る高校制服の香織と、背後からつかず離れず追って来るディアボロ群が入っていた。
『ゲルダんが香澄んに化けてる可能性もある。救出は慎重にな』
ハッドの忠告は後方に待機する伊勢崎那由香(jz0052)ら別動の撃退士達と警官、レスキュー隊員らにもリアルタイムで送信されている。
今回の作戦はあくまで拉致された一般人の救出、冥魔との戦いは二の次だ。
「なあに、偽者かどうかは接触すれば自ずと分かる!」
不敵に笑うと、向坂 玲治(
ja6214)は肩に担いでいた白銀の槍を前方へ構え直した。
視認できる敵戦力はガンガ竜の他、カジキマグロのような半魚人6体、そして上空には大バエ4体。この悪趣味な魔獣どもはゲルダの配下というより、盟友の悪魔マレカ・ゼブブ(jz0192)が提供したものだろう。
「デスマルグからの情報が正しければ、ゲルダ側は手持ちのディアボロ全てを投入してきたようですね」
ざっと陸と空の敵戦力を数えた彩・ギネヴィア・パラダイン(
ja0173)が仲間達に告げる。
(あの騎士悪魔がこの件に関係してなかったのは心外だが、敵である奴の情報を鵜呑みにする事は出来ない)
郷田 英雄(
ja0378)は無言で大鎌グリムリーパーを召喚した。
とはいえ一連の事件を裏で演出していた「元凶」へあと一歩という所まで迫っていることだけは、彼自身の直感から確信していたが。
「あと範囲攻撃の使用はくれぐれも気をつけて下さい。ガンガ竜を巻き込むと人質のナカヤマさんまで死なせてしまいます」
「了解だ」
彩の警告に頷きながら闇の翼で舞い上がったアスハ・A・R(
ja8432)は、先制攻撃としてガンガ竜を射程に入れず、上空から迫る大バエに向けて手をかざした。
蒼く輝く微細な魔法弾が篠突く雨の如く降り注ぎ、撃退士達を目がけて急降下中の大バエ複数を包み込む。
上空でアスハの攻撃魔法が炸裂するのとほぼ同時に、矢野 胡桃(
ja2617)は逃走中の香澄の位置を確かめた。
数秒後の到達位置を予測するや、
「終点確認。それじゃ、行きましょう、か」
次の瞬間、逃げる香澄の真横に胡桃の姿が出現した。
「――えっ?」
「お待たせ、ね。それじゃあ、私の真後ろに逃げ続けて頂戴」
瞬間移動してきた年下の少女に当惑する香澄だが、少なくとも「味方」であることは理解したのだろう。
言われるままに胡桃の背後に回ると、そこで力尽きた様にへたり込む。
「邪魔者」の出現に反応したガンガ竜が、咆吼を上げ跳び蹴りを仕掛けて来た。
緊急障壁を展開、胡桃はその一撃を耐え凌ぐと、アウルの力で生み出した猛烈な冷気と突風をガンガ竜に放つ。
「鬼ごっこの次は、だるまさんが転んだ、は如何?」
後方へ吹き飛ばされた魔獣の巨体が、一時的な麻痺状態に陥った。
他の撃退士達、そしてガンガ竜の後ろに従っていた半魚人どもが互いに駆け寄って来る。
「雑魚は失せろ!」
玲治がオンスロートを発動、虚空から出現した数知れぬ影の刃が、ガンガ竜の右側に位置していた半魚人どもをまとめて切り刻んだ。
「大丈夫ですか!?」
胡桃に続いて香澄の元へ辿り着いたヴァルヌス・ノーチェ(
jc0590)は彼女を庇いながらやや後方に移動した。
周囲の撃退士達を見回し、自分が「助かった」ことを自覚した少女は、震えながら泣き始めた。
そんな香澄の両肩にヴァルヌスが手を置き、
「気をしっかり持って。君の他にさらわれた人達を知ってますか?」
「あ、あのビルの中に、ま、まだ4人……男の人が3人と、女の人が1人……」
そこではっと顔を上げ、再び動き出すガンガ竜を見やった。
「あの怪物を殺さないで! あの中に、中山先生が――」
「心配ありません。あの人は僕がなんとかする……!! もう1つ大事な質問です。君達を今まで監禁していた悪魔の居場所は?」
「……あたしと同い年くらいの、銀髪の女の子……あとパンクルックのチンピラや、小さな女の子みたいなのもいたけど……最後に部屋の中で会ったのは銀髪の子だけ……でした」
ちょうど空から降りて来たハッドに、
「ビル内に残る人数は確認できました。ゲルダもまだビルに籠もっているようです。それとこの子をお願いします」
「心得た。後方の友軍に身柄を引き渡したら、我が輩もすぐ戻る!」
頭上に接近し行く手を遮ろうとする大バエをファイアワークスの大火球で蹴散らすと、ハッドは香澄の身体を抱えて舞い上がり、そのまま南の市街地目指して飛び去った。
●廃墟の乱戦
ひとまず森田香澄の救出には成功したものの、上空では大バエ、地上ではガンガ竜と半魚人、3つに分かれた敵を相手に激しい戦いが続いていた。
新型の半魚人は飛び道具こそ持たないものの、カジキの「吻」に相当する鼻先の鋭い槍を振りかざし果敢に突撃してくる。
さらに厄介なのは腹に人質を捕らえたガンガ竜だ。
「撃退士さん、私に構わずこいつをやっつけて下さい! そしてビルに残された人達を!」
教え子の香澄が保護されたことを悟った浩二が悲壮な顔で叫ぶ。
「自己犠牲は美しいですが……貴方が死ねば、彼女はきっと自分を責め、苦しい思いをする! 熱意も善意も、独りよがりじゃ意味がない!」
浩二を叱責しつつ、ヴァルヌスはガンガ竜の頭部や後ろ足を狙い魔銃フラガラッハの銃撃を加えた。
「貴方も必ず助ける! ……だから、頭を出さないようにしていて下さい!!」
ガンガ竜の側面に周り込んだ英雄は烈風突きを繰り出し、仲間の半魚人から突き放した。
残ったディアボロ群の中心に飛び込むや、氷の夜想曲を発動。
英雄を中心に周囲の空間が急速に凍てつくと、巻き込まれた半魚人達は深い眠りに誘われ動きを止めた。
棒立ちになった魔獣どもを、撃退士達は据え物斬りとばかり1体また1体と仕留めていく。
ヴァルヌスを狙いガンガ竜が吐きつける炎ブレスを庇護の翼が遮った。
「おいおい、俺を無視するたぁ寂しいじゃねぇか」
両者の間に割って入った玲治がニヤリと笑い、アウルを注ぎ込んだ槍を一閃させる。
(殺さずに追い払え? 勝手なことを……ッ)
デスマルグの一方的な「取り引き」に内心怒りを覚えつつも、茜は剣鬼変生で内なる闘気を解放し、目の前のガンガ竜に対し薙ぎ払いを乗せた斬撃をお見舞いした。
またもやスタン状態で動きを止めた大型ディアボロを囲み、撃退士達は魔獣の頭部、後ろ足、背中、尻尾など人質にダメージを及ぼさぬ部位を狙い集中攻撃を加える。
さしものガンガ竜もついに力尽きたか、苦しげに吼えつつ路面に横倒しとなった。
上空で大バエを狙い銃撃を浴びせていたアスハは、肩口を何かがかすめる感触を覚えた直後、廃墟に木霊する銃声の轟きを聞いた。
「ついに現れたか……」
銃弾が飛んできたと思われる方角を見やると、廃屋と廃屋の間を小さな影が素早く移動し、別の建物の屋根に舞い降りたマレカがアサルトライフルを構え狙撃してくる。
距離が遠いため命中率はさほどでもないが、残存ディアボロとの戦闘、及びガンガ竜の体内に残された中山の救出を妨害しようという意図は明白だ。
「そうはさせないぞ」
射撃武器を拳銃から長射程の135mm対戦ライフルに持ち替えると、アスハはマレカの動きを封じるべく応戦を開始した。
地上で専ら半魚人を相手に戦っていた彩は、ふと近くの瓦礫の陰に何者かの気配を感じた。
近づくと、ヴァニタス・壬図池鏡介が地面にしゃがみ込み、スマホに向かって何やら小声で喋り続けている。
おそらくこの場所から、密かに戦況や撃退士の位置を主のマレカに伝えていたのだろう。
彩の接近に気付くと大慌てで立ち上がり、その両手に禍々しいチェーンソウが出現した。
「て、テメー、この前の……!」
「強い駒を当ててあなたを倒しても趨勢に影響ないので、この中では弱い私が担当です」
「あんだとぉ〜舐めとんのか、ゴルァ!?」
彩は右文左武の双剣を構え直し、フェイントの斬撃を仕掛ける。
一瞬ポカンとする鏡介だが、「ヒッ」と叫んでなりふり構わずチェーンソウで受け止めた。
「こ、この嘘つき! 何が『弱い私』だっ」
「さあ? どうでしょう」
小物とはいえ腐ってもヴァニタス。
暗黒のオーラで刃渡りを伸ばしたチェーンソウを力任せに振り回す鏡介に対し、彩は致命的な攻撃は空蝉で回避しつつ、フットワークを活かした戦法でヒット&アウェイを繰り返した。
●死神の館
ディアボロが全滅すると、マレカと鏡介は意外にあっさり撤退した。
あるいはデスマルグの存在に気付いたのかもしれない。
残る人質は敵アジトのビル内だが、ガンガ竜の死骸に囚われた中山を放置するわけにもいかない。
そこで彩と玲治、戻って来たハッドが残って中山の救出にあたり、残りの5人がビルへと直行することになった。
走って10分もかからぬ場所にそのビルはあった。
玄関のガラスドアを叩き割り、最初に飛び込んだ英雄がハンドサインで「敵」の存在を警告する。
後から踏み込んだ撃退士達が見たものは、そこそこ広いエントランスに後ろ足で立つ豚のように醜いディアボロが4体。
「何よこいつら?」
デスマルグの情報にはなかった魔獣を前に、茜はいきなりの攻撃は控え、刀を構えたまま様子を見守った。
『助けて! 私は人間です!』
魔豚の1匹が人語で叫んだ。
隣の同族を指さし、
『こいつが本物の怪物です! 早く退治してください!』
『何を!? 怪物は貴様の方だろうが!』
『殺さないで! 私は人間よ!』
『うるせー雌豚! よくもそんな台詞が吐けるなっ』
撃退士達はおおよその状況を把握した。
彼らは全て人間だ。ディアボロは人語など解さないのだから。
「いい加減にして下さい!」
ヴァルヌスが耐えきれず叫んだ。
「僕らは貴方がた全員を助けにきたんですよ! なのに……」
「ウフフ、言うだけ無駄よ。これがこいつらの本心。だからそれに相応しい姿に変えてあげたの」
せせら笑うのは、エントランス奥のソファに腰かけた銀髪の少女。
黒い軽甲冑をまとい大鎌を肩にかけた姿から見て、悪魔ゲルダに間違いないだろう。
「確かに、人は愚かだよ。生きることは綺麗ごとじゃない。でも、苦しくても辛くても、孤独で、何も感じないよりはずっといい」
「何も感じない……それが一番幸せなことじゃなくって?」
ゲルダはゆっくり立ち上がり、怒りに顔を歪める。
「あんな兄でも、私にとってはたった1人の大切な家族だった……その家族を、一番愛しいあの人に殺されるなんて……おまえたち撃退士さえいなければっ!」
「ゲルダ、もうやめろ。こんなことに意味はないし、お前の兄も、お前が死ぬことを望んでない」
「貴様の居場所を僕らにリークしたのはデスマルグだ。この意味が分かるな?」
一歩進み出たアスハが、騎士悪魔との「取り引き」について打ち明けた。
「僕らは被害者の一般人さえ救出できれば貴様の命なんかどうでもいい。痴話喧嘩の続きは悪魔同士で好きにやってくれ」
「私が死ねばあの人がおまえ達を殺すの? アハハハ、望むところよ!」
笑いながら大鎌をかざし、歩み寄ってくるゲルダ。
もはや交渉の余地はない。
「皆さん、こちらの方へ!」
胡桃はついに取っ組み合いの喧嘩を始めた人質4人を、力ずくで壁際へと退避させた。
戦闘は呆気なく終わった。
なぜかゲルダは得意の幻覚魔法を使わず、大鎌だけを武器に挑んで来たのだ。
悪魔としては戦闘能力の低い彼女が練達の撃退士5人を相手に敵うはずもなく、数分後には深手を負って床に倒れ伏していた。
同時に魔法の効果が切れ、人質達も元の人間へと戻る。
会社社長とその部下、大学生のカップル。
つかみ合いこそ止めたものの、呪った者と呪われた者の間に出来た亀裂は深く、互いに不審と憎悪の眼差しを向け合っている。
「こっちの争いも彼ら同士の問題だ。ともあれ僕らの仕事は終わった」
アスハの言葉通り、殆どの撃退士達は依頼成功に安堵した。
――ただ1人を除いて。
「俺は彼女を監視してる」
それだけいうと、英雄が倒れたゲルダの方へと向かう。
他の4人も人質の介抱、中山救出に残った仲間や後方部隊への報告など、各々依頼の後始末にとりかかった。
「てめえを見てるとあいつを思い出す。まるで俺をまやかす様に」
英雄の言葉に、ゲルダは辛うじて顔を上げた。
「俺はまだ、あの時の光景もあいつの重みも、何一つ忘れちゃいない」
「……ああ、いつぞや兄さんから『人間の撃退士に興味深い男がいる』って聞いたけど……あなたのことね」
ゲルダの傍らに近づくと、英雄は彼女だけに聞こえる小声で囁いた。
「偽者には消えてもらう。命を奪う前に、願いを1つ叶えてやる」
「願い? 私はそんなものに縋りはしない。でも……」
女悪魔の唇に微笑が浮かび、意味ありげな上目遣いで英雄を見上げる。
「兄さんに会ったら謝らなくちゃね。勝手に2つ名を使ったこと」
「それが望みか」
闘気解放。
英雄の持つ紅炎村正と同じ刀が数本、空中に出現する。
「郷田さん!?」
異様な気配に気付いた胡桃が瞬間移動で止めに入るが、時既に遅し。
アウルが生み出した妖刀の複製はその全てがゲルダの背中に突き立ち、女悪魔の息の根を止めていた。
轟音と共に天井が崩れ、黒い翼を広げてデスマルグが降下してきた。
「おまえらならもっと賢く立ち回ってくれると思ったんだがなぁ……失望したぜ」
刃渡りおよそ2mの大剣を振りかざすや、スキル使用でアウルの尽きた英雄の胸板を一気に貫く。
その姿を見た瞬間、茜は我を忘れて死活を発動、紅炎村正で斬りかかった。
斬り結ぶこと数合。
不意にデスマルグの剣が漆黒の竜に姿を変え、茜の利き腕にかぶりつく。
鈍い音を立てて骨が噛み砕かれ、刀を取り落とした少女はその場に膝をついた。
「お前は必ず、私がこの手で……!!」
「ここでケリつけてやってもいいがな。悪いが今日は気分じゃねぇ」
天井の穴から、翼を持つ飛行ディアボロが十数匹突入してきた。
撃退士達に襲いかかり、数の力で有無をいわせず4人の一般人をさらう。
「こいつらは手土産に貰ってくぜ」
ゲルダの亡骸を抱き上げたデスマルグが天井の穴へと舞い上がり、ディアボロ達もその後を追う。
その日、4つの命が地上に別れを告げた。
<完>