●「旧支配エリア」〜捜索
「‥‥嫌な天気だな」
佐倉 哲平(
ja0650)は空を見上げて呟いた。
上空にはどんよりと雨雲が垂れ込め、何処かから遠雷の轟きが聞こえてくる。
「ひと雨来そうですね。早めに用事を済ませてしまいましょう」
神城 朔耶(
ja5843)が答える。
普段は瞼を閉じた彼女も、肌を通して感じる湿気や遠雷から、怪しい雲行きを察しているようだ。
広大な旧支配エリアのうち「東」エリアを受け持つ撃退士15名は、転移装置から現場に到着後、部隊をさらに3班に分け捜索活動を開始していた。
哲平と朔耶は出発点を基準に右方向を重点的に捜す1班に所属している。
「‥‥堕天使にはぐれ悪魔に、か」
かつて天使陣営から冥魔陣営へと身を投じ、今度は悪魔達の元からも逃亡した彼らは堕天使でもありはぐれ悪魔でもある。出自を考えれば単純に「堕天使」と呼ぶのが適当かもしれないが。
ただでさえ天魔の世界における離反行為は重大な命の危険を伴うというのに、それを1度ならず2度までも。
求めたものは自由か理想か、あるいは保身か?
(あまり深く考えてなかったが、連中も結構複雑なんだろうか)
哲平はため息をもらし、意識を捜索に戻した。
同じく1班所属の大炊御門 菫(
ja0436)はもう1つの捜索対象である「神器」について考えていた。
「神器」すなわち聖槍アドヴェンティ。
極めて強力な魔具であり、その槍で致命傷を受けた敵は塩になって崩れ落ちるという。
既に学園に保護された堕天使の1人アルドラに接触した生徒会筋の情報によれば、どうやら人間のアウル能力者にも使用可能らしい。
ただし同じ魔具でも撃退士が使うそれとは装備コストも桁違いであり、「実際に使った人間がどうなるかも分からない」という厄介な代物であるが。
それでも天魔と戦う者として、その存在に惹かれざるを得ない。
サーバントやディアボロならいざ知らず、彼らの主たる天使や悪魔と人類の間には、未だに越え難い力の壁が存在するからだ。
(神器か‥‥)
「それさえあれば‥‥いや私は私に出来る事をしよう」
菫はかぶりを振った。
私欲で動くのではない。これは皆を活かす為の任務なのだと己に言い聞かせて。
一方、十八 九十七(
ja4233)の場合、神器にも堕天使にもあまり感心はなかった。
彼女が今回の依頼を受けた動機の1つはその報酬の魅力、加えて九州からこの界隈に移動が確認されたというシュトラッサー、ヒルコ(jz0124)への興味からである。
かつて国東で戦った時は配下にケルベロスを従えていたが、今回は何と全長30m級の巨大ドラゴンに騎乗しての遠征だという。
「狗使いからドラゴンライダーへの華麗なる転職系‥‥?」
ともあれ、遭遇すれば以前にも増して強敵となることは間違いない。
『キシャアーッ!!』
上空から翼を生やした鬼の様なサーバントが舞い降り、牙を剥いて威嚇してきた。
すかさず光纏した九十七がショットガンSA6を召喚、対空砲火を放つ。
散弾で傷ついたサーバント「グレムリン」は、悲鳴を上げて逃げ去った。
「何とも歯ごたえのない連中ですねぃ」
もっとも奴らが与えられた命令も戦闘ではなく、神器と堕天使の捜索なのだろう。
撃退士達が先にそれらを発見すれば本気で襲って来るだろうし、その時は多分奴ら以上の「大物」もやって来る。
暗雲の彼方から、明らかに雷鳴とは異なる何者かの咆吼が轟いた。
「‥‥ゲリュオン‥‥」
立ち止まり、暗い空を仰ぐマキナ・ベルヴェルク(
ja0067)の口からその名がもれる。
「できれば相手にしたくない敵ではありますが‥‥」
眉をひそめていいながら、朔耶は感知と生命探知を使用して探索を続けた。
「精神的にもキツイ依頼になりそうですね」
エリア中央の捜索を受け持つ2班の楯清十郎(
ja2990)は、上空を飛び交うグレムリンの群れを見やってため息をついた。
現在「旧支配エリア」には天使・悪魔陣営を問わず多数の天魔が徘徊し、そのくせ小競り合い以上の衝突は発生していない。だがこれも神器や堕天使が見つかるまでの話。とりわけ神器の所在が判明すれば、彼らもそれを狙ってなりふり構わず動き出すことだろう。
つまりは一瞬即発。この依頼は目的を達成した後にこそ真の困難が待っているのだ。
「ゲリュオン、やばいねー」
百瀬 鈴(
ja0579)はまだあのドラゴンと戦ったことはない。しかし過去の報告書に目を通し、その脅威は充分認識していた。
「ヒルコのお目付け役も兼ねてるのかも?」
ゲリュオンはサーバントとしては珍しく人間並の知性と自我を備えている。主の天使がシュトラッサーとしてまだ経験の浅いヒルコに不安を感じるなら、あるいはその可能性も否定できないだろう。
(‥‥ん? お目付役?)
自分がふと口にしたその言葉に、鈴は妙にひっかかるものを感じた。
それが何なのか、その時点ではまだ分からなかったが。
「もっと高い建物があればいいんだけどな」
犬乃 さんぽ(
ja1272)は周囲を見回していた。
手頃なビルでもあれば、壁走りで一気に屋上まで駆け上り、高い場所から付近を一望するつもりであったが、あいにくめぼしい建築物は基礎だけ残してほぼ倒壊している。
ここ東エリアにおいて、天魔は過去よほど徹底した破壊を行ったらしい。
だが「建物がない」ということは、堕天使が隠れたり神器を隠したりする場所も限られるということだ。
さんぽの目は自ずと大地へと向けられ、舗装が剥がれた地面に最近掘り返した跡がないかとチェックし始めた。
時折上空からちょっかいをかけてくるグレムリンに対しては、フレイヤ(
ja0715)がファイヤーブレイクで迎え撃つ。
空中で巨大な火球が爆ぜ、降り注ぐ炎が飛行サーバント達を焼いた。
(こんな何もない場所で‥‥きっと寂しい思いをしてるに違いないわ)
フレイヤ自身は、神器よりも堕天使達の安否が気がかりだった。
彼女にとって相手が堕天使だろうが人間だろうが、そんなことはどうでもいい。
ただ「困っている人」がいるなら、何としても助けて笑顔にしてあげたかった。
「神器‥‥これが私達にとって、何を成すのか‥‥」
夏野 雪(
ja6883)は聖槍アドヴェンティに思いを馳せていた。
「盾の一族」を自認する彼女だが、だからといって攻めるための槍(矛)を否定するつもりはない。
しかし人類がいま上位天魔と互角に渡り合える「矛」を手にすることは、果たしてこの世の秩序を回復し人々の幸福に繋がるだろうか?
「秩序を守る矛となるのか‥‥それとも‥‥いや、全ては回収してから、か」
どちらにせよ、回収しなければ始まらない。
そう思い直し、雪は先祖伝来の大盾を担ぎなおした。
(堕天使、か。恩を売っておけば後々役立つかもしれんな)
エリア左側担当の3班所属、地領院 徒歩(
ja0689)は密かに考えていた。
即戦力となる神器ばかり注目されているようだが、天使と冥魔双方に属した堕天使達が有する情報の価値はあの槍に勝るとも劣らないはずだ。
「敵は強大だが、なに倒す必要がないのならやりようもある」
黒雲の下、グレムリンどもが飛び交う荒野を見渡す。
そんな徒歩に、
「さてと‥‥どっから手をつけよーかね」
同班の七種 戒(
ja1267)が声をかけた。
索敵スキルに優れたインフィルトレーターである彼女にとってこの種の捜索依頼は得意分野だが、何しろこのエリアにいるのが堕天使か神器か、そしているのかいないのかさえ分からないのでは雲をつかむような話だ。
「ここに堕天使がいるなら、追手がたくさんいる中空にはいないだろう」
徒歩は自らの推理を答えた。
「少なくとも地上の何処かにいることは確かだ」
数カ所で足を止め、「魂結魄繋る認知と因縁の心眼」を発動、地に足をつけている生物を探索した。
――反応はない。
「このエリアにはいないのか? では神器は‥‥」
槍というからには相応の長さを持つ物体。天使や悪魔に空中から見つかるような場所には隠さないだろう。
そして槍を隠せるような建物も殆ど見当たらない。
「‥‥地面に埋めたか」
そうアタリをつけた徒歩と戒は、地面を掘った跡や瓦礫の影等を注視し始めた。
「国東半島はわたくしの実家・佐伯に近い地‥‥早く見つけるものを見つけ、この地から少しでも危険を遠ざけたいものです」
御幸浜 霧(
ja0751)は故郷の地への思いを語りながら、徒歩と手分けする形で生命探知を発動させ堕天使の気配を探っていた。
「申し訳ありませんカタリナ(
ja5119)様。ご迷惑をおかけして」
自分が座った車椅子を押してくれる年上の女性への感謝も忘れない。
「どういたしまして。ところで具合はどうです?」
「駄目ですね‥‥この近辺にいる生き物は、あの妖精達ばかりです」
その妖精(グレムリン)の一匹が威嚇のため接近して来るや、霧は冷静にピストルを抜き銃撃。
同班の柊 夜鈴(
ja1014)も協力してゼピュロスランスを振るい、醜悪な「妖精」を空へと追い返した。
「これだけ捜して見つからないとなると‥‥やはり堕天使はいないのでしょうか?」
カタリナが少し気落ちしたようにいう。
他の2班ともスマホでまめに連絡を取り合っているのだが、堕天使発見の報せはない。
「となると、残るは神器‥‥ですね」
時にはカタリナも自ら瓦礫をひっくり返し、邪魔な倒木は霊符で燃やす。
狭い場所は手鏡で中を覗いたり傘で探るなど、地味で細かい作業を根気よく続けた。
「おい! ここの地面、少し色が違う――最近誰かが掘り返してるぞ!」
少し離れた場所で捜索にあたっていた徒歩が声を張り上げる。
3班のメンバーはその場に集合した。
戒が鉄パイプを地面に突き刺すと、土の中で何かに当たる感触。
5人の撃退士達が各々手持ちの道具をスコップ代わりに穴を掘ると、やがて布に包まれた細長い物体が現れた。
布の変色具合からしても、ごく最近埋められたことは明らかだ。
興奮を抑えつつ慎重に布を解くと――。
「これが‥‥神器?」
奇妙な装飾が施されているものの、それが「槍型の武器」であることは人間の目から見てもすぐに判った。
一際甲高い叫びを上げ、上空からグレムリンどもが群がってくる。
槍はカタリナが預かり、解いた布はダミーとして途中で拾ってきた長い木の枝に巻き付ける。
その間、残りの4名は他班への緊急連絡を済ませ、カタリナを守るようにして各自の魔具を空に向けた。
低く重々しい咆吼が天空に響き渡った。
垂れ込めた雲を突き破り、巨大な黒い影が急降下してくる。
それはみるみる片翼のドラゴンとなり、撃退士達の目前に舞い降りた。
●巨竜を駆る少女
「や、久しぶり‥‥」
戒は小山のごとく立ちはだかったドラゴンではなく、その肩の上辺りに騎乗したセーラー服姿の少女に向かって軽く片手を上げた。
「今度のオトモダチは、随分とでかい、な?」
「問題ないわ。あたしと『彼』は、いまお互いの知覚を共有してるから」
抑揚に乏しいヒルコの声が響き渡った。
竜の鱗が細かく振動し、ちょうどスピーカーの様に少女の声を増幅しているらしい。
「あんま神器とか興味なくてな‥‥会いたかったぜ、かわいこちゃん?」
「あたしはその神器に用がある」
にべもない返答。
「それは元々天界の物。返してくれれば、今日は戦わなくていい」
「悔しいですが、差し上げます‥‥!」
カタリナが布を巻いたダミーを放り投げた。
が、竜の口から吐き出されたごく弱い炎に包まれ、一瞬にして燃え尽きる。
「偽物ね。本物の聖槍なら、この程度の炎じゃ燃えない」
「バレちゃいましたか‥‥」
2班の撃退士達が駆けつけてくる足音。
「犬乃さんぽ、ここに見参‥‥ヒルコにゲリュオン、こんな所で会う事になるなんて、でもお前達の野望見逃すわけには行かないよ!」
巨竜の頭が動き、低い唸り声を上げた。
さんぽの言葉に反応したのは、スキルで気を惹いたことだけが理由ではない。
ゲリュオンとさんぽは、かつて嵐山の山中で交戦している。
僅かに遅れて到着した1班メンバーの中にマキナと朔耶の顔を見た時、巨竜の隻眼がカッと見開かれ、その唸りは咆吼へと変わった。
「お久し振りですね、ゲリュオンさん」
同じく嵐山でドラゴンと戦い、自らの拳でその片眼を潰したマキナは、再会した強敵に向かっていくばくかの敬意を払い挨拶した。
「健勝そうで‥‥とは、言えませんが。調子は如何ですか?」
『見ての通りだ』
己の鱗を振るわせ、竜が人語を発した。
『人間の顔など一々覚えていないが‥‥貴様らは別だ』
「落ち着いてゲリュオン。あたしたちの任務は神器の回収よ」
ヒルコに釘を刺され、巨竜は黙り込んだ。しかしその全身に漲る闘気はいささかも収まらない様子だが。
「‥‥よくよく縁があるようだな」
哲平がヒルコの方へ声をかけた。
「そうね」
「ケルベロスの次はドラゴン? 国東の天使は豪気ですねぃ」
世間話のような調子で、九十七はそれとなく探りを入れる。
「彼は大天使様の竜。特別に任せてもらったの」
「ヒルコ、夜見路ちゃん今も悲しんでる、辛い思いをしてる、それでもこんな事続けるの?」
さんぽの問いかけに一瞬目を伏せるヒルコだが、すぐに表情を消して顔を上げた。
「もう一度だけいうわ。その槍は置いていって」
カタリナが聖槍を強く抱きしめ、他の撃退士達は彼女を守る形で展開する。
それを撃退士達の「返答」と判断したか、ヒルコは軽くため息をついた。
「‥‥いいわゲリュオン。あの槍を取り返して」
主の許しを得たドラゴンが歓喜の咆吼と共に舞い上がった。
片方は光で構成された両翼を広げ、地上すれすれの超低空を滑るように突進して来る。
「あの頃とは私も違いますよ。戦うと言うのならば、是非もなく」
マキナの光纏と同時に、彼女の右腕が黒焔をまとった。
それはいかな理不尽も不条理も摧滅する終焉の炎。
「私はもう逃げない。そんな選択肢はあり得ない!」
傍らにいる菫も光纏、紅の炎に包まれる。
マキナの黒焔を終焉の炎と呼ぶなら、彼女の紅蓮はいわば創世の炎。
命を滅するのではなく活かすために。
2人の炎は表裏一体――生と死、破壊と再生、終焉と創世を繰り返す運命輪のごとく。
「ドラゴンでもシュトラッサーでもかかって来なさいよ! フレイヤ様が余裕でボコボコにしてあげるんだから!」
迫り来るゲリュオンに向かい、フェアリーテイルを高く掲げる。
「ついでに前髪ぱっつん女子ナンバーワンは私だって証明してあげるわ! 貴女に言ってんのよヒルコちゃん!」
言葉は強気だが、高層ビルがそのまま飛んでくるような信じ難い光景を前に、足の震えを禁じ得ない。
(ドラゴン達と戦うなんて怖いに決まってる。今だって涙が出そう)
でもこの槍を持ち帰ることで、困っている人々を助けられるなら。
いま泣いている人が笑えるようになるなら。
「理由なんて必要ないでしょう? だって私は黄昏の魔女フレイヤ様だもの!」
魔法書から放たれたファイヤーブレイクの火球が、周囲のグレムリンを巻き込みゲリュオンを包んだ。
その炎を突破したゲリュオンの爪から仲間達を守るべく、清十郎は庇護の翼を広げ、さらにセレネで応戦。
「そう簡単には倒れませんよ」
仲間の分まで引き受けたダメージは血晶再生で速やかに回復、次なる攻撃に備える。
「夜見路ちゃんや平和を望む人々の為にも、ボクはこんな所で倒れない!」
巨体に任せたドラゴンの攻撃を空蝉でかわすさんぽ。
「こいつぁ外すのが難しい程の図体。ただし堅さもぱねぇすけどね、ええ、はい」
力押しで倒すのはまず無理な相手と判断した九十七はビーンバッグ弾でゲリュオンの四肢や尻尾を狙撃、味方への攻撃を逸らすことに専念した。
ただしチャンスと見ればD・フレシェット弾による攻撃も試みる。
赤い紫電を放つ銃弾が竜の鱗に食い込むや、ドス黒い霧を撒き散らし炸裂した。
京都での戦いから時を経て、撃退士達は大きく成長した。
だが敵のドラゴンもヒルコからの魔法支援を受け、一層恐るべき敵と化している。
何より不利なのは戦場だ。
身を隠す場所も殆ど無い荒野、しかも神器を守る都合上あまり散開するわけにもいかない。
仮に聖槍を持つカタリナを1人にすれば、上空に集結したグレムリンどもが一斉に襲いかかり、槍を奪われてしまうだろう。
結果的に密集隊形を余儀なくされた撃退士達に対し、ゲリュオンは縦横無尽に超低空から爪と尻尾による攻撃を仕掛け、瞬く間にその生命を削っていく。
だが炎ブレスや範囲魔法による攻撃を行わないのは、聖槍を巻き添えにするのを警戒してのことか。
「火遊びが過ぎるんじゃない?」
ヒルコに向けて叫びながら、鈴は縮地で間合いに飛び込むと一撃離脱で相手の巨体の各所を攻撃。
隙あらばアサシンダガーで残る片眼を狙いたいところだが、ゲリュオンも当然それを警戒してか、さかんに頭を振って顔面への攻撃を許さない。
哲平は神速を駆使してドラゴンの潰れた片眼の側へ回り込む。
敵の死角から回り込んで攻撃を叩き込むつもりだったが。
「そうはさせない」
ヒルコが放つ魔法攻撃に阻まれた。
「彼の失われた目と翼の代わりはあたしが務める。今のゲリュオンに死角はないわ」
「‥‥そう簡単には墜とせないか」
一時後退した哲平に朔耶がヒールを施す。
「あの使徒を何とかしなければ‥‥!」
アウルの衣を広げて周囲の仲間を庇う一方、梓弓を引き絞り直接ヒルコを狙うが。
光となって放たれたアウルの矢は、ヒルコのすぐ手前で急に狙いを逸らされた。
魔法により空間を歪め回避を高めているのだ。
「我は盾の一族‥‥我が盾を破る矛はなし!」
祈りの文句の様に唱えつつ、夏はドラゴンに踏み潰されないよう気をつけながらも前衛に踏みとどまり、執拗な攻撃を繰り返した。
当然急速に生命を削られていくが、竜の暴威も使徒の魔法も、彼女の誇り――心の盾まで削り崩すことはできない。
激戦の中、徒歩は衛生兵のごとく戦場を駆け回り、決死の抵抗を続ける前衛の仲間達を祝福とヒールで援護した。
カタリナも守られているばかりではない。
光纏して車椅子から降りた霧、夜鈴と共に前進。
霧の蛍丸、夜鈴のランスが妨害するグレムリンを蹴散らす合間を縫って、素早くゲリュオンの潰れた片眼側に駆け込む。
「無駄だといったでしょう?」
再び放たれたヒルコの攻撃魔法を銀の盾が食い止めた。
「今ですッ!」
カタリナの合図を受けた後方の戒が、ライフルの照準をゲリュオンの隻眼に定める。
「コレは外せないな、っと」
ダークショットを乗せた必殺の狙撃!
だがこの絶妙の連携も、ヒルコの空間歪曲に阻まれ虚しく宙に逸れた。
「どうすれば‥‥勝てるというのです?」
堅く唇を噛んだカタリナの視線が手許の聖槍に落ちた。
「生半な防御など‥‥!」
序曲により解放したアウルの力を拳に込め、ヒルコの魔法防御を突き破らんばかりの勢いで竜の鱗に摧破の一撃を加えたマキナは、引き続き封神縛鎖を発動した。
虚空から出現した黒焔の鎖がゲリュオンの巨体を縛める。
「菫――」
既に彼女も動いていた。
創世の紅蓮を身にまとい、炎の杖を携え身動きの取れぬゲリュオンの胴体を駆け上り。
その視線は、竜を操る使徒の少女に据えられている。
「全ての生命を活かすために――貴様は眠れ、ヒルコーっ!!」
杖の先から閃光が放たれ、ヒルコの体を消し飛ばした。
セーラー服の少女は咄嗟に片手を伸ばし、竜の体表から突き出た角状の突起に捕まる。
縛鎖を振り切ったゲリュオンの咆吼が天地を震わせ、長大な尻尾が菫を大地に叩きつけた。
主の使徒を傷つけられたことが、ドラゴンの文字通り逆鱗に触れたらしい。
上空の黒雲が灼熱を放ったかと見るや、流星雨のごとき火山弾が周囲一帯に降り注いだ。
配下のグレムリンを巻き添えにするのもお構いなしに、封印を解かれた凶暴な範囲魔法が撃退士全員を襲う。
火山弾の雨が止んだとき、数名の撃退士は戦闘不能となりその場に倒れていた。
「‥‥もう充分です‥‥みなさん、やめて下さい!」
まだ意識を残した者の耳に、カタリナの悲痛な声が届いた。
自らも深手を負いながら、カタリナは全ての魔具・魔装を外し、その両手で聖槍アドヴェンティ1本を握りしめている。
「これ以上みんなが傷つくところは見たくありません‥‥神器の力がどれ程のものか‥‥使いますッ!」
「やめて。それを使えば、あなただって」
辛うじて竜の肩に座り直したヒルコが警告する。
同時に生き残りのグレムリン数体がカタリナめがけ殺到した。
そしてゲリュオン自体も地響きを上げて突進して来る。
カタリナの決意を悟った霧と夜鈴は彼女の左右をガードし、群がるグレムリンを切り伏せ、槍で突いて近づけさせない。
カタリナが聖槍を構えた。
射程も正式な使い方さえも分からない。ただアウルの力が導くままに。
唐突に、聖槍が強い閃光を放った。
カタリナの長い髪が強風に煽られたかの様にフワリと浮き上がる。
彼女の手許から急速に膨れあがる混じりけのない光は周囲を照らし出し、上空の暗雲さえ一瞬真っ白に輝かせた。
アウル能力者の光纏にも似た、しかし比較にならぬほど強大な力を孕んだ聖なる光。
「これは‥‥!?」
周囲の撃退士達は、あまりの眩しさに腕で顔を覆いながらも、その光景から目を逸らすことができなかった。
全身が砕けるような衝撃、そして自らの生命が何者かに吸い取られていく感覚に必死で耐えつつ、カタリナは歯を食いしばって槍を支える。
「力を貸してくださいアドヴェンティ‥‥私の大切な仲間を守るために!」
エリア全体を包み込むまでに広がった光が次の瞬間カタリナの手許に収束し、長大な槍の輪郭を形成した。
光の槍はそのまま一直線に伸び、視界一杯に迫ったゲリュオンの胸を貫く。
七階建てのビルに匹敵する巨体が弾き返され、悲鳴を上げる間もなくもんどりうって大地にくずおれる。地震のごとく地面が揺れた。
「‥‥ただ一撃で?」
雪の口から驚きの声がもれた。
それはその場に居合わせた撃退士全員の感情でもある。
だがその驚きも、聖槍を持ったまま倒れるカタリナの姿を見た瞬間に忘れ去られた。
「カタリナ様!?」
側にいた霧達が、次いで徒歩が駆け寄り具合を診る。
「‥‥大丈夫だ。息はある」
「よかった‥‥」
仲間達が見守る中、徒歩と霧はカタリナの回復にかかった。
(沙奈ちゃん‥‥!)
気づいた時には体が動いていた。
鈴は縮地でダッシュし、大地に倒れたゲリュオンの胴体を駆け上る。
「近寄らないで」
巨竜の背に上ると、険しい表情のヒルコに呼び止められた。
「無事だったの? よかった‥‥」
「よかった?」
「だって、今キミが死んだらきっと沙恵ちゃんが悲しむ。だからキミは死なせられないんだよ」
「あたしは無事よ。彼が庇ってくれたから」
ヒルコは横目で、倒れたカタリナの方を睨む。
「‥‥だから、まだ戦える」
鈴は錐で胸を突かれるような気がした。
ヒルコ自身がシュトラッサーとしてどれほど強いのかは分からない。だが仲間の撃退士全員が戦闘不能寸前にまでボロボロになった今、それを蹴散らして神器を奪い取るのは容易いことだろう。
ふいに足元の巨体が揺れ、弱々しい唸り声が響いた。
「まだ‥‥生きてる?」
「‥‥!」
素早くしゃがみ込んだヒルコがゲリュオンの体に両手を当てた。回復魔法を施すつもりらしい。
「気が散る。早く行って」
「‥‥いいの?」
神器のことだ。
ヒルコは答えず、ただ巨竜の回復に専念している。
もはや任務のことも、いや自らが攻撃される危険すら忘れているのかもしれない。
いったん踵を返しかけた鈴は、ふと思い出したようにヒルコへと歩み寄り、その耳元に囁いた。
「沙恵ちゃんが沙奈ちゃんに会いたいって言ってる。そう言ってる限り、あたしは沙奈ちゃん、キミを助ける。キミはどう?」
「‥‥」
ヒルコは僅かに顔を上げ、戸惑うような視線を送った。
「なんて聞くまでもないか」
鈴はにっと笑い。
「いいよ、受け止めたげる。何回でも来なよ‥‥沙奈ちゃんの気が済んで、沙恵ちゃんの願いも叶うまで、相手になってあげる」
返事も聞かず、そのままドラゴンの背から駆け下りた。
応急手当されるカタリナを少し離れた場所から見守るフレイヤのポケットで、携帯が着メロを奏でた。
「メール着信?」
他エリアを捜索している部隊からの連絡かと思ったがそうではない。
鳴ったのは依頼のため貸与されたスマホではなく、フレイヤ自身がプライベートに使用している携帯だ。
「誰? こんな時に‥‥」
なにげに携帯を取り出し、非通知のメールを開く。
『オヒサシブリデス ヤクゾウ』
全身がぞわっと総毛立った。
「みんなっ! 気をつけ――」
警告の言葉を言い終える前に、高々と血飛沫が上がった。
●凶刃
いったい誰に、何をされたのかさえ分からなかった。
ランスを構えてカタリナの身辺を警戒していた夜鈴は肩口に衝撃を受けたかと思った瞬間、視界が赤一色に染まり意識が暗転した。
続いてカタリナの手当をしていた徒歩が、霧が、次々と血飛沫を上げて倒れ伏す。
地面に置かれた聖槍が、透明人間の手につかまれた様に浮き上がった。
「やれやれ、ヒルコにも困ったものです。ドラゴンなんぞほっといて、さっさと槍を回収してくれれば良いのに」
一見何もない空間から、ぬらりと人影が浮き上がった。
灰色のロングフロックコートをまとい、ソフト帽を目深に被った男の姿。
「ま、おかげで願ってもないお手柄がこっちに転がりこんできたわけですが」
シュトラッサー・厄蔵(jz0139)は、おどけたようにクルリと槍を一回転させた。
反対の手に握られたステッキは、柄から先が細長い直刀へ変化している。
「‥‥」
「おっとと、無駄ですよ」
無言で一歩近づいたマキナと菫を牽制するように、男は仕込み杖の先を振った。
「皆さんもう立ってるだけで精一杯じゃないですか。そんな状態で私に勝てるとでも?」
「‥‥っ!」
あの夜の屈辱が胸中に蘇り、菫はきつく拳を握った。
「さて、逃げますか戦いますか? それとも――」
能面のような男の無表情が歪み、世にも冷酷な嗤いに変わる。
聖槍の穂先はカタリナを始め、地面に倒れた撃退士達に向けられていた。
「お仲間が塩になるところでも見物していきますか?」
「その槍は渡さんぞ」
呆然と立ちすくむ撃退士達の背後から黒い影が飛び出し、厄蔵に襲いかった。
咄嗟に身をかわす男の手から聖槍が弾かれ、回転しながら高々と宙に舞った。
●戦乱の兆し
「――!」
はじけ飛んだ神器を追って動こうとした厄蔵の前に、赤と黒の甲冑をまとい、長い銀髪をなびかせた少女が立ちふさがった。
「あの光を見てもしやと思ったが‥‥案の定だったな」
ヴァニタスのアシュラはむすっとした顔のままいった。
「漁夫の利狙いですか? いやはやあさましい。さすがは悪魔の屍人形ですな」
「天使の傀儡風情に言われる筋合いはない」
厄蔵が仕込み杖を構えると、アシュラもまた剣を構え直す。
そのまま切り結ぶかと思われた両者だが――。
何かの気配を感じたように周囲を一瞥すると、お互い徐々に間合いを開き始めた。
撃退士達も異変に気づいた。
西から、北から、南から。
数知れぬ異形の者達が近づく気配。
「どうやら‥‥こんな所で争っている場合ではなさそうですね」
「そのようだな」
「では、お先に失敬」
現れた時と同様、厄蔵は光学迷彩に身を包みぬらりと空間に消えた。
「‥‥ふんっ」
アシュラは不機嫌そうに剣を収め、撃退士達に向き直った。
「おまえ達、自分が何をしでかしたか解ってるのか?」
「どういう意味だ?」
応急手当で辛うじて自己回復した戒が聞き返す。
槍が飛んだ方向では、いつの間に現れたのか、多数のディアボロ、サーバントが群がり奪い合いを演じている。
「見ての通りだ。神器の光を見て、この界隈にいた天魔連中が押しかけて来ている」
「‥‥あんたもその1人だろう」
「私の任務は神器の回収だ。あれさえ取り戻せれば無益な争いは避けるつもりだった」
哲平の皮肉にも顔色ひとつ変えず、アシュラが答えた。
「だが皆がそうとは限らん。手柄のため、普段は上から止められている天使どもと大っぴらに戦うため‥‥中には理屈抜きでただ暴れたい奴もな。要するにおまえ達は寝た子を起こした。この星では比較的抑えられてきた天魔の闘争本能に火を点けた――これから先どうなるか、私にも分からん」
「‥‥抑えられてきた? あれでか」
「今日のところは見逃してやる。というか、今おまえらに構っている暇はない」
それだけ言い残すと、ヴァニタスの少女は再び黒い疾風となって何処かへ駆け去った。
ポツポツ降り出した雨が、いつしか篠突く大雨となった暗い空へ向けて、ヒルコを乗せたゲリュオンの巨体がよたよたと舞い上がった。
魔法で回復したといっても、もはや戦うだけの力は残ってないのだろう。
「僕達も‥‥長居は無用ですね」
その姿を目で追いながら、清十郎が呟いた。
朔耶と雪が残る回復スキルを使い果たした結果、辛うじて戦闘不能の者を担いで移動できるだけの人数は確保できた。
離脱するヒルコ、ゲリュオンと入れ替わる様に、他エリアから移動してきた天魔達が神器を求め、至る所で血みどろの死闘を繰り広げている。
激しい嵐と相争う異形の群れの中、もはや神器が何処へ消えたか探る術もない。
(一体、これからどうなるんだ‥‥?)
おそらくは人類をも巻き込むであろう戦乱の予感をひしひしと感じつつ、撃退士達は言葉少なに撤退を始めた。