●片翼の巨竜
魔具の射程距離に到達する遙か前から、ゲリュオンの巨体は嫌でも目に入った。
向こうもこちらの接近に気付いているのだろうが、まだ攻撃はして来ない。
高度20mほどの低空を悠然と旋回している。
さらにその上空を飛び交う飛行サーバントのグレムリンが十数体。
そして巨大ドラゴンの背に乗った小さな人影――シュトラッサー・ヒルコ(jz0124)はいつも通りのセーラー服姿で長い黒髪を風になびかせていた。
(ドラゴンの討伐か‥‥)
黒翼の堕天・ランベルセ(
jb3553)は決戦を前に思った。
(今回はややこしいことが少なくていい。戦う、勝つ、それだけだ)
「あれだけ? 意外に少ないな」
グレムリン以外に護衛サーバントの姿が見えないことを、笹鳴 十一(
ja0101)が訝しむ。
「敵にも何か誤算があったか‥‥とはいえゲリュオンだけでも十二分に脅威だってのな」
いずれにせよヒルコとゲリュオンは天使アムビルにとって事実上の切り札。
それを前線投入してきた以上、敵もいよいよ背水の陣を敷いたということだ。
「‥‥頑張るしかねぇやなこりゃ」
亀山 淳紅(
ja2261)は同行する国家撃退士部隊の指揮官と、今回の戦闘方針について打ち合わせていた。
本来は指揮系統が違うため、学園生徒が国家撃退士に直接指揮命令を下すことはできない。とはいえ限られた戦力、強大な敵を前に両者の連携なくして勝利はあり得ない。
「若輩者が生意気言うてすんません。でも、とめたいんです! どうか少しだけ力をお貸しいただけんでしょうか?」
土下座せんばかりの勢いで頭を下げる淳紅を前に、先方の指揮官も頷いた。
「了解しました。我々もその方針でご協力しましょう」
西の方角ではアムビルがゲート生成のため呪文詠唱を始めている頃だが、そちらへはこの戦場を迂回した別働隊が向かう手はずだ。
「ここは直接阻止するところではありませんが‥‥それでも邪魔はさせません。ゲート生成を許せば再び悲劇が生み出されます」
遙か西方にそびえる両子山を睨み、レイラ(
ja0365)が決意を込めて呟く。
その傍らには夜見路沙恵も立っていた。撃退士として双子の妹であるヒルコ=夜見路沙奈と戦場で対峙するのはこれで2度目となる。
そんな沙恵の頭を、戻って来た淳紅が優しく撫でてやる。
「1番大事なんは沙恵ちゃん自身が死なんこと。ヒルコちゃんに殺されんこと‥‥それを覚えといてな、約束や」
「はい。必ず‥‥」
撃退士といってもまだ新米に過ぎない少女は、緊張した面持ちでこっくり頷いた。
偵察部隊の報告によれば、ゲリュオンの体に何らかの異変が生じているらしい。
あるいは旧支配エリアで受けた神器の一撃が、今になって効果を現してきたのかもしれない。だとすれば人類側にとって朗報だが。
(ゲリュオンを失ったら‥‥かわいこちゃんは、どうするんだろーな?)
七種 戒(
ja1267)の胸中は複雑だった。
サーバントとしては異例だがゲリュオンは「自我」を持ち、ヒルコはあの竜を「友人」と見なしている。
おそらく今現在、唯一の心許せる相手であろうドラゴンを目の前で失った時、その心境はいかばかりか?
(どう動くのか、それとも動きすらしないのか‥‥何にせよ、コレ以上、あまり傷付くことがないといいが)
だとしても、あの竜はここで討たねばならない。
でなければゲート生成阻止に向かった別働隊を窮地に陥れ、豊後高田市陥落という最悪の事態を招きかねないのだから。
●頭上の脅威
撃退士部隊がいよいよゲリュオンへ接近すると、まず数匹のグレムリンが高度を下げ、クロスボウの矢を放ってきた。
「目障りだ」
獅童 絃也 (
ja0694)がアサルトライフルの銃口を空に向け弾幕を張る。
同様に十一の和弓から放たれたアウルの矢を肩に受け、飛行鬼の1体が悲鳴を上げて上空へと逃げた。
これはヒルコの指示により、様子見の牽制攻撃と思われる。
南北、そして正面。3方向に分かれてアムビル本陣を目指す撃退士側の動きに、使徒の少女も戸惑っているのだろう。
だが間もなく彼女も覚悟を決めたらしい。
騎乗したゲリュオンに何事かを命じると、雷鳴のごとき巨竜の咆吼が四方に轟き、低空を滑るように正面へ突入してきた。
「ヒルコちゃんも、ゲリュオンもここで止めて見せます。傷だらけのこの姿でも‥‥私は、負けないのです!」
先の依頼で負った負傷の癒えぬRehni Nam(
ja5283) (レフニー ナム)は、傷の痛みを堪えつつコメットを発動。
降り注ぐアウルの流星群がゲリュオンの行く手を阻むが、すかさず集結したグレムリン達が盾となり、竜の背に騎乗したヒルコを庇った。
コメットを受けたグレムリンは見るからに動きが鈍ったが、ゲリュオンは速度を落とすことなく滑空して来た。
竜の口から吐き出される炎ブレスが地面を舐め、撃退士達に容赦ないダメージを与えていく。
いったん頭上を通過してから上昇・反転し、再び炎による攻撃を浴びせてくる。
その場合でも高度20mから上に行こうとしないのは、あまり上昇するとその隙をついた撃退士達が戦場を突破しアムビル陣営へ向かうのを警戒してのことだろう。
だがこれは撃退士部隊にとって好都合だった。
相手が最も高度を下げた瞬間を狙い、遠距離用の魔具や魔法で対空砲火を浴びせられるからだ。
後衛から援護射撃を行う国家撃退士部隊が、風上から複数の発煙筒に点火した。
濛々とした煙が戦場を覆う。
目的は目眩ましだが、ゲリュオン相手にどれほど効果があるかは分からない。
その煙を巻き上げ、突き破るように巨竜が吶喊してくる。
幾度となく頭上から吐きつけられる竜の炎。
明らかに状況は不利だ。
だが撃退士達が注目したのは、ドラゴンの巨体の胸の辺り。過去に聖槍アドヴェンティの一撃を受けた部位を中心に、白い痣のような模様が蜘蛛の巣のごとく放射状に広がっている。
(やはり、あの時の‥‥)
当然、ヒルコもこの異変には気付いているはずだ。
(友がその体をおして戦いに赴く、その時彼女は‥‥)
ゲリュオンの胸の傷、あるいは残った右翼の付け根付近を狙い狙撃を繰り返す仲間達をグレムリンの妨害から守りつつ、百瀬 鈴(
ja0579)はヒルコの心情を慮った。
(心配? 諦め? 何であれゲリュオンは戦う‥‥もしあたしなら、友の生き方を全力で支える)
槍を構えて舞い降りてきた飛行鬼を、アウルの光に輝く烈光丸の刃が切り裂く。
「なら、あたし達はゲリュオンが納得のいく戦いをするだけ。なんてカッコつけられる相手じゃないけどね」
およそ1年半前、京都近郊で初めてゲリュオンを迎撃した際、撃退士達はその飛行能力に散々翻弄されたものだ。
だが今回、彼らはドラゴン対策に有効な手札を用意していた。
イカロスバレット――空中の敵をアウルの力で強制的に大地へと引きずりおろす新スキル。
「沙奈ちゃんの進退今後の為にも、此処で死んでもらうですのよ、この大トカゲ‥‥!」
「誰だって、誰かの大事、だろう? だが優先順位は間違えない、そこまで聖人君子ではない」
十八 九十七(
ja4233)のスナイパーライフル、戒のウェルテクスボウが立て続けに弾丸と矢をお見舞いする。
ゲリュオンの巨体がふいに動きを止め、見えない鎖に引かれるように地響きを立て大地に落下した。
「‥‥!?」
驚いたヒルコが竜の背にしがみつく。
ようやく地面に落としたゲリュオンを再び飛翔させないため、撃退士達は一気に畳みかけた。
遠距離攻撃を得意とする者は右翼を集中攻撃、そうでない者は前進し果敢に近接戦を挑む。
「死ぬなよ、絶対にだ」
たった一言沙恵に告げると、十一も武器を蛍丸に持ちかえ駆け出した。
地上に降りたゲリュオンはがっしりした後肢でティラノサウルスのように立ち上がった。
その肩の辺りにヒルコが移動し、引き続き支援魔法で集中砲火の狙いを逸らそうとワンドを振るう。
大木のような四肢と鋭い爪、そして長大な尻尾。陸戦であってもドラゴンの脅威に変わりはない。
負傷して後方に搬送されてきた撃退士に、レフニーは回復スキルを施し少しでも早く戦線復帰できるよう努める。
と同時に遠目からゲリュオンの動きを観察し、過去の経験と照らし危険な兆候が見られれば直ちにスマホを通し警戒を促した。
「あの竜が胸を膨らませたら炎を吐く準備です。注意してください!」
「気を付けて」
敬愛する戒の指に軽く口づけすると、ランベルセ(
jb3553)は犬乃 さんぽ(
ja1272)の体を抱えて空に舞い上がった。
「ボクをあの竜に投げつけて欲しい」というさんぽの頼みを引き受けてのことだ。
タイミングを合わせ、沙恵も召喚したスレイプニルに跨がり飛び立った。ただしスレイプニルの上昇高度は精々10m。直立したゲリュオンの腹の辺りまでしか届かない。
姉の姿に気付いたヒルコが僅かに顔をしかめ、ワンドを振る手を止めた。
その隙を衝き、ランベルセは急加速して巨竜の上空に接近、爆弾を投下する様に力一杯さんぽの体を放り投げた。
「ミナミノ忍法ニンジャ☆砲弾!」
放物線を描いて飛ぶさんぽを炎ブレスが直撃する!
しかし炎に焼かれたのは空蝉で身代わりとなった犬のヌイグルミ。
空中で体を捻って躱したさんぽ自身は、竜の胴体に取りつくや壁走りで駆け上がる。
「夜見路ちゃんの為にも、まずはヒルコを地上に降ろしちゃうもん!」
固い鱗でゴツゴツした体表を伝い竜の肩まで駆け上ると、呆気にとられるヒルコに躍りかかった。
不意打ちのタックルを仕掛けるや、飯綱落としの態勢で思い切り竜の鱗を蹴る。
「一緒に来て貰うよ‥‥必殺ニンジャ☆ドライバー! ヒルコ、何処に落ちたい?」
抱き合ったまま真っ逆さまに転落する2人。
だが地面に激突する前、高度10mで待機していた沙恵とスレイプニルに受け止められた。
「ありがとう夜見路ちゃん、ナイスキャッチ」
「沙奈ちゃん!」
瞳に涙を浮かべた姉に抱きつかれ、一瞬放心状態となるヒルコ。
だが次の瞬間、
「‥‥だめ!」
沙恵を突き放し、自ら召喚獣の上から地面へと飛び降りた。
●塩と炎
ゲリュオンの足元に着地したヒルコは、ワンドの先端に光の刃を形成して短槍に変えるや、撃退士達をキッと睨み付けた。
あくまで巨竜と共に戦う覚悟なのだろう。
一方、ゲリュオンは困惑した様な唸り声を上げた。
ビル並みの巨体が災いし、下手に動けばヒルコをも踏み潰しかねない。
その機を逃さず淳紅はRequiemを詠唱。ゲリュオンの真下に血色の図形楽譜が展開するや、数知れぬ屍の腕が竜の巨体を束縛した。
「行かせへん。友達があっちで頑張ってるんよ‥‥邪魔は死んでもさせん!」
ほぼ同時に、事前の打ち合わせ通り後方の国家撃退士部隊が魔法や銃、弓等あらゆる手段でゲリュオンの聖槍痕を集中攻撃した。
「さて、そろそろ見飽きた顔だ、ここらで引導を渡しやる」
素早く接近し、巨竜の背後から首まで一気に駆け上った絃也は、その脳天へ回転と捻りを加え徹しを付与した踵落としを極めた。
『ぐっ‥‥』
仲間達がゲリュオンを足止めしている間、遅れて着陸したさんぽと沙恵を含め、撃退士達がヒルコを包囲した。
「貴女がしていることは貴女や沙恵さんの味わった苦しみを何の罪も無い他の人にも与えることなのに、何とも思わないのですか?」
レイラが声を張り上げて問いかける。
「あなたたちこそ何故抗うの? たとえゲートが完成しても、アムビル様はあの街の人間を虐殺したりはしない。ただ少しずつ感情エネルギーを回収するだけ」
「感情だってその人の大切な宝物だよ!」
沙恵が叫んだ。
「あたしが沙奈ちゃんを想うこの気持ち‥‥誰にも奪わせはしないんだから!」
「‥‥あたしはもう沙奈じゃない。アムビル様の使徒ヒルコ」
「キミたちの親を貶めて、キミたちを悲しませたやつらは最低のバカ。けど沙奈ちゃん、キミだってあたしから言わせりゃバカだよ」
ヒルコの槍を裂光丸で受け止めながら、鈴が語りかける。
「そしてこんな事言ってるあたしもみんなも一緒。バカばっかで辛い世界だけどさ――だからこそ、ヒトは手を取り合って強く生きていくんだ」
「‥‥」
「みんなの手、そして誰よりも必死に伸ばした沙恵ちゃんの手。まだわかんないかな‥‥沙奈ちゃんが必要だから伸ばしてるんだ、見えるなら握ってやってよ」
だがその間にも使徒と撃退士達の激しい戦いは続く。
次第にヒルコの方が押され気味となってきた。
鈴の痛打を浴びたヒルコが苦痛に顔を歪め凝固する。
(――今だ!)
少女の体を抱きかかえ、ゲリュオンから引き離そうと図る鈴。
だがその寸前、上空から急降下したグレムリンがヒルコの腕をつかみ、そのまま舞い上がった。
『それでいい‥‥死ぬのは俺だけで充分だ』
半ば意識を失ったヒルコをぶら下げたまま戦場から飛び去る飛行鬼を隻眼で見送りながら、竜が呟く。
直後、巨竜の全身が赤く輝き灼熱の炎に包まれた。
レイラは沙恵、鈴はさんぽを抱えて咄嗟に縮地で遠ざかる。
「自ら燃え尽きるまで‥‥それが貴方の奥の手ですか!」
近づくだけで超高熱に灼かれるダメージに耐えつつ、十一が蛍丸で鬼神一閃を叩き込んだ。
九十七は獣のごとく喚き散らしながら手持ちのスキルを出し惜しみなしに猛然と銃撃を浴びせる。
同じく戒は地上から、ランベルセは空中から炎の塊と化した巨竜へ攻撃を集中した。
「この一撃押し通す」
再び肉迫した絃也が大地を蹴り、我が身が灼かれるのもお構いなしにゲリュオンに向けて跳躍した。
「俺からの手向けの花だ、涅槃で主の帰りを待ってろ」
錬気に乾坤一擲を加えた渾身の靠撃(体当たり)!
ドラゴンがピタリと動きを止めた。
ふいに炎が消え、全身が見る間に白く変わって行く。
天を仰いだゲリュオンの口から哀しげな咆吼が迸り、その巨体は塩の柱と化して崩れ落ちていった。
「‥‥歴戦の竜に哀悼の歌を」
淳紅が歌う鎮魂歌が流れる中、かつてドラゴンであった大量の塩が風に吹かれ荒野へ舞い散っていく。
激闘を制した撃退士達の目は一様に西の方角へ向けられた。
天使アムビルによるゲート生成阻止――豊後高田市防衛戦の帰趨を決する最後の戦いが、今まさにあの地で繰り広げられているのだ。
(続く)