●大分県・豊後高田市東部
廃墟と化した集落跡に輸送用トラックを停め、ビニールシートをかけてカモフラージュを施した後、撃退士一同は人質の「引き渡し地点」として指定された場所を目指して徒歩の移動を開始した。
「ヒルコ(jz0124)が名指しで撃退士の引渡し要求‥‥となりゃあ、そいつらが多分」
仇――と言いかけ、笹鳴 十一(
ja0101)はメンバー中でも最年少の少女を気遣うように横目で見やった。
「おっと、こいつは失礼」
「いえ‥‥あたしも、皆さんが考えてる通りだと思います」
夜見路沙恵はやや固い表情で答えた。
今や学園撃退士となった彼女のジョブはバハムートテイマー。
一通りの初期訓練は済ませたといえ、実戦は今回の依頼が初となる。
「まさかとは思ったが‥‥」
大炊御門 菫(
ja0436)も憮然として呟く。
斡旋所の掲示版で情報を知った時から嫌な予感はあった。
その後、担当オペレーターの伊勢崎那由香(jz0052)を通して撃退庁に照会したところ、ヒルコが引き渡しを要求した撃退士4名の経歴が判明したのだ。
夜見路茂明、すなわち夜見路姉妹の父親は悪魔の手でディアボロ化され、管区の撃退署から派遣された国家撃退士部隊に殲滅された。
その依頼に参加したのがヒルコに指名された4人、そして今回人質となった中の1人である原田吾郎を加えた計5人の撃退士達。
厳密にいえば茂明自身は悪魔にディアボロ化された時点で「死亡」しているので、その撃退士達に「殺された」わけではない。
理屈でいえばそうなる。
だが自らシュトラッサーの道を選んだヒルコ=夜見路沙奈がそんな風に納得していないことは明白だろう。
今回の事件が起きる以前、百瀬 鈴(
ja0579)が撃退庁に対し使徒ヒルコ誕生の切っ掛けとなったディアボロ討伐依頼に関する調査を要求し、その際に(多分に形式的なものだったが)吾郎を含む5人の撃退士は上司から事情聴取を受けている。
おそらくそのこともあり、「ヒルコから名指しで身柄を要求された」と知った途端、捕らわれた吾郎を除く4人は身の危険を感じて恥も外聞もなく逃亡したのだろう。
公務員たる国家撃退士にあるまじき行為であり、後日何らかの処分は免れないだろうが、自身の命に比べれば安いもの――そう判断したと思われる。
「名指し喰らってとんずらなんぞ、ちっと根性と正義が足りてないんじゃないんですの?」
そういって肩をすくめるのは十八 九十七(
ja4233)。
公務員としての規則云々はさておき、彼らの行動は(現在の任地は違えど)同僚である吾郎を見殺しにするのも同然だ。
そして思う。
かつて仲間達を守るため単身強敵に挑み、そして散っていったかけがえのない「友」のことを。
「わざわざあちらからご指名頂いたんです故、こっちから出向く手間が省けました、と」
沙恵のほうへ振り向き、
「‥‥ですが沙恵ちゃん、くれぐれもご自愛を。戦いは力を突き合わすのみにあらず。まだまだこれからですの」
「は、はい」
学園儀礼服、そして取り急ぎ買いそろえた初期装備に身を固めた少女は、緊張した面持ちで頷いた。
ただでさえ不安な初の戦闘依頼。
しかも敵は双子の妹――。
まだあどけなさの残る沙恵の胸中で、様々な葛藤が渦巻いているのは想像に難くない。
本来ならヒルコとの戦闘が予想される現場に連れて来るべきではなかったのかもしれないが、「もう一度沙奈ちゃんに会いたい」という沙恵の強い想いを誰も押しとどめることが出来なかった。
「今更ですが撃退庁は考えが甘いのです」
鎧に固められた足で荒れ地を踏みしめながら、Rehni Nam(
ja5283)(レフニー・ナム)は不満そうに呟いた。
「あれは終わった案件などではなく、現在進行中なのに。そしてこれからも起こりうる事態なのに‥‥!」
ディアボロ、サーバントなど下級天魔(奉仕種族)の原材料は人間の遺体――これは事実であるにも拘わらず、あまり公に語られることは少ない。必要以上にこの点を意識させてしまうと撃退士の士気を低下させる怖れがあるからだ。
通常の依頼において奉仕種族の「原材料」たる人間は身元不明のままに終わるケースが大半であるが、それでもヒルコを生み出したような悲劇は世界の各所で起きているに違いない。
そしてその「悲劇」を利用して新たな憎悪の連鎖を紡ごうと企む、 厄蔵(jz0139)の様な邪悪な使徒が暗躍していることも。
「捕虜にされた原田吾郎、それに行方をくらました4人の撃退士‥‥沙奈ちゃんはこいつらを『お父さんの仇』と思ってるのかな?」
一同が察しを付けつつもあえて避けていた話題を、鈴は思い切って口に出した。
「だと思います。あたしはこの人たちの顔も知らないけど、沙奈ちゃんはその場に居合わせましたから‥‥で、でも!」
それまで黙りがちだった沙恵が、顔を上げ感情も露わに叫んだ。
「あの子だって分かってるはずです! お父さんを殺したのは悪魔で、あの撃退士さん達じゃないってことは――けど、あれから一杯辛い目に遭って、辛い気持ちを吐き出せる場所もなくって‥‥」
叫びながら、少女の頬をポロポロ涙が伝う。
「本当は、あたしが気付いてあげなくちゃいけなかった‥‥双子なのに、ずっと一緒に暮らしてたのに‥‥!」
「分かってます。分かってますよ‥‥」
傍らにいたレイラ(
ja0365)が歩み寄り、沙恵を抱きしめた。
「親しい人を喪うのは哀しくて、心が裂けてしまいそうですけれど‥‥誰かが哀しみと憎しみの連鎖を断たねば、誰も前に進めなくなってしまいます」
「‥‥」
「泣いても叫んでもいいんです。でも、立ち止まって考えてほしいの‥‥大丈夫、私はいつだっているから。大丈夫ですよ」
「レイラさん‥‥」
それまで抑えつけてきた想いが堰を切って溢れ出した様に沙恵は嗚咽を漏らした。
今にも壊れてしまいそうな少女の心を支えるため、レイラは彼女を抱いたままその背中を優しく撫でてやる。
「沙恵ちゃんのいうとおりだよ。沙奈ちゃんだって、心の奥ではもう分かってるはず。まだ手遅れなんてことはないよ」
ひとしきり泣いた沙恵が落ち着くのを待ち、鈴が声をかけた。
顔を上げた少女にしっかり目線を合わせ。
「だから、今は沙奈ちゃんのために助けてあげよう。いつでもあの子が沙恵ちゃんの処へ戻って来られるように、さ」
「夜見路ちゃん、一緒に頑張って、絶対助け出そうね」
犬乃 さんぽ(
ja1272)がにこっと笑いかけると、沙恵もようやく涙を拭き、気を取り直した様にこっくり頷いた。
(さて、かわいこちゃんは何を考えてるんだろーかね‥‥?)
七種 戒(
ja1267)はもう一方の当事者、ヒルコの真意を図りかねていた。
彼女が心底復讐鬼と化しているなら、原田吾郎は捕まった時点で殺されていたはずだ。
だがわざわざ吾郎を生かして残り4人の身柄を要求してきた。
(それほどの冷静さを残しているなら、彼女とて理解できるだろうに)
たとえ4人が自ら望んだとしても、撃退庁がそんな要求を呑むわけがないことを。
ひとたびそんな前例を作れば、他の天魔たちに格好の「カード」を与えてしまうのも同然なのだから。
――だとしたら、ヒルコの本当の狙いは何か?
「暑い、な」
ランベルセ(
jb3553)は焼け付くような真夏の太陽を眩しげに見上げた。
撃退士達が捕虜にされてはや数日。アウル能力者といえども、負傷した身でこの熱暑の中に放置されるのはさぞや堪えるだろう。
早急に助けるのに越したことはない。
「しかしゲリュオンは移動したというのに、撃退士が5人もいて捕虜か」
過去の記録を見る限り、ヒルコは単体のシュトラッサーとしてはそこまで圧倒的な力の持ち主ではなかったはずだが。
悪い予感がする。
「ヒルコは新たに力を得たか、天使でも来たか?」
もし後者なら、自分達はドラゴン以上に厄介な敵とぶつかることになる。
いずれにせよここまで来た以上、後戻りはできないが。
(覚悟の程はともかく、夜見路沙恵は選んだ、がヒルコはどうするのか)
敵を嬲り殺したいという欲求は理解しかねるが、その結果、人間の感情をどれだけ揺さぶるかは知っている。
ただしランベルセ自身は復讐や憎悪といった負の感情に振り回された体験がないため、「親しい者が嬲り殺しにされたら」といった心境までは想像できない。
堕天である自分は人間の「弱さ」に対して鈍感なのかもしれない。
とはいえヒルコという使徒に対し、いくらか興味が抱いているのも事実だ。
かつてランベルセが「我が蒼」を追って天界を捨てたように、彼女もまた自ら欲するもののために「その瞬間までの自分」を手放した者だからだ。
では何を望んで得た力だったのか、捨てたヒトだったのか?
(己を手放して、何を掴めるのか‥‥あるいは掴もうとしているのか?)
●
小高く盛り上がった岩山の上に立ち、ヒルコは双眼鏡で西の方角を見張っていた。
今回は偵察用サーバントではなく、己の目で確かめたかったのだ。
双眼鏡の視界の中、街の方から歩いてくる撃退士達は既に顔かたちまで判別できる距離まで近づいていた。
「‥‥全部で11人」
双眼鏡を下ろし、長い黒髪とセーラー服のスカートを翻して地上へ飛び降りる。
そこに、両手を後ろ手に縛られ、地面に座らされた5人の撃退士がいた。
自力で立って歩ける程度には回復しているものの、すぐ側から2体の不死騎が槍を突きつけ監視しているため身動きがとれない。
「原田吾郎」
使徒の少女に名を呼ばれ、撃退士の1人がビクっと身を竦めた。
「あの中にあなたの仲間は1人もいない‥‥あの4人はあなたを見捨てたわ」
吾郎の顔が引きつる。
「そ、そんな‥‥」
若者の顔から血の気が失せ、瞳から涙が溢れ出た。
「石原‥‥田中‥‥藤井‥‥山崎‥‥何でだよぉ、俺たち友達じゃなかったのかよぉ」
「ふん。これが人間どもの『返答』というわけか」
やや後方で、氷の台座に悠然と腰掛けた天使アムビルが嘲るようにいった。
「もういいだろう? さあ、そいつらをさっさと始末して、死体をあの撃退士どもへ突き返してやれ」
「‥‥いえ」
ヒルコは主の女天使に向き直った。
「いま近づいて来るのは、世間体のためとはいえ撃退庁が送り込んだ救出部隊‥‥まず彼らから先に倒して、完全に希望を打ち砕いたうえでこいつらを処刑します」
「ほほう、面白い座興だ」
アムビルの唇に酷薄な笑みが浮かんだ。
「それでこそ我が使徒よ。ならば、私はここから見届けてやろう」
「ありがとうございます」
「――ちょ、ちょっと待ってくれ!」
口々に声を上げたのは、吾郎を除く4人の捕虜達だった。
「あんたの父親を殺したのはその原田だろ?」
「そうだ、俺たちは関係ない!」
「諦めて‥‥原田と一緒に行動していたのが、あなた達の不運‥‥」
「ちっくしょぉぉぉ!! テメーのせいでっ!!」
捕虜の1人が立ち上がり、怒りに任せ吾郎の顔面に蹴りを入れた。
それを切っ掛けにして捕虜4人による吾郎へのリンチが始まった。
「勝手にやらせときなさい」
不死騎には手出ししないよう命じ、ヒルコは血まみれになって地面に倒れる若者の無様な姿を、冷ややかに見下ろす。
「醜い‥‥これが、人間の本当の姿‥‥」
顔色ひとつ変えぬまま小声で呟くと、ヒルコは前方に向き直り、槍や弓で武装したスケルトンタイプのサーバント達に迎撃態勢を取るよう指示を送った。
●
前方に捕虜とヒルコらしき人影を発見した撃退士達の前に立ちはだかったのは、硝子のような氷骨を陽光に光らせたアイスボーンの一団だった。
前衛に槍で武装した5体、その後方に弓を携えた5体が左右に広がり展開している。
「雑魚に用はありませんの」
九十七のPDW FS80から放たれたグレネードランチャーが氷骨兵達のど真ん中で炸裂。
「道は作る、後は頼んだぜ」
アサルトライフルAL54を構えた戒も貫通弾で前衛の敵サーバントを狙う。
さらにレフニーの召喚した流星群が敵兵の頭上に降り注いだ。
「冷静に。君が本当に伝えたいこと、したいこと、見失ったらあかんで」
亀山 淳紅(
ja2261)は沙恵に忠告しつつブラストレイを発動。
一直線に放たれた炎が、射線上にいた氷骨兵の骨を溶かす。
骨格の一部を溶かされた氷骨兵達はしぶとく再生を開始するも、その間陣型の中央にぽっかり穴があく形となった。
「帰り道は絶対守ったるから行っといで!」
「はい!」
淳紅にポンと背中を叩かれた沙恵を含め、救出担当の撃退士達が走り出す。
「あんな無法な要求に応じられるものか」
先制攻撃で舞い上がった土埃に紛れて突入した菫の槍から放たれた光が複雑な軌道を描きつつ走り、なおも妨害しようとする氷骨兵を打ち据えた。
「邪魔はさせません」
レイラも仲間達とタイミングを合わせ突入、神速の剣捌きで2体のサーバントを同時に切り捨てた。
遁甲の術で気配を殺したさんぽは、仲間達に先行する形で敵陣の奥、人質の近くに忍び寄っていた。
(何があるか分からないもん、用心の為‥‥)
そんな少年の目に映ったのは、4人の捕虜が倒れた1人を寄ってたかって蹴り続ける異様な光景だった。
「やめろ! 何してるんだよ、味方同士で!?」
思わず姿を現して制止したさんぽを狙い、ヒルコのワンドから魔法攻撃が迸る。
「夜見路ちゃんが悲しむのに、どうしてこんな事続けるんだ!」
苦痛に顔を歪めながらも、ヒルコに向かい叫ぶさんぽ。
「‥‥」
攻撃の手を止め、ヒルコが前方に視線を向ける。
さんぽに続いて突入してきた撃退士の中に沙恵の姿を見いだしたのだ。
既に厄蔵から話を聞いているのか、使徒の少女はさほど驚かなかった。
もっとも戦場で実際に双子の姉と対面し、赤い瞳に浮かぶ動揺の色は隠せなかったが。
「沙恵ちゃん‥‥何で撃退士なんかに‥‥」
「ごめんね。でも、もう一度沙奈ちゃんに会うには‥‥これしか方法がなかったから」
使徒となった妹と対峙し、沙恵が答えた。
「‥‥誰かに強制されたの?」
「違うよ。あたしはあたし自身の意志で‥‥たとえ敵としてでもいい、沙奈ちゃんと同じ場所に立ちたかったから」
「や、久しぶりだなかわいこちゃん‥‥」
戒が声をかけると、ヒルコの視線が彼女に向けられた。
「何が、あったね? 意味もなくこんな事をする君じゃなかろう」
「ここにいる原田吾郎、そしてあたしが指名した4人で、夜見路茂明‥‥あたし達の父だったディアボロを殺した」
そういうなり、セーラー服のポケットから取り出した携帯を沙恵の方へ放り投げた。
携帯のメモリに残された十数枚の画像を見て、沙恵の顔が強ばった。
そこに映されていたのは、既に虫の息となったディアボロを面白半分に解体していく吐き気を催すような光景。当人達にとっては、後で仲間内で見せ合い話の種にする「記念撮影」程度の気分で撮ったものだろうが。
「ひどい‥‥」
肩を震わせる沙恵の片手を、さんぽがぎゅっと握り締めた。
「取り乱さないで、今ここにはボク達が助けられる命しか居ない」
「な、何だよ! 俺が何か悪いことしたか!?」
吾郎が起き上がり、必死の形相で叫んだ。
待ちかねた救援部隊が来たと思ったら、その中にヒルコの姉妹らしい撃退士がいた。
彼にしてみれば最悪の状況である。
「あんた達だって撃退士なら分かるだろ!? いちいちディアボロやサーバントに同情してたらこんな仕事務まるかよ!」
ヒルコの顔が怒りに歪み、手にしたワンドを吾郎の方へ向ける。
断罪の白い閃光。
だが一瞬早く出現した青鱗のドラゴンが盾となって攻撃を受け止めていた。
沙恵が召喚したストレイシオンの防御結界が他の捕虜達をも包み込む。
「‥‥何で?」
「ダメだよ‥‥この人を殺したって、お父さんやお母さんは戻って来ない」
召喚獣が受けた同じダメージにふらつきながらも、沙恵が答えた。
「それに、沙奈ちゃんが今まで殺したりケガさせた人達にだって家族がいるんだよ? お願い、これ以上悪い事しないで!」
「やれやれ‥‥だからあの時、その小娘は葬っておけばよかったのだ」
事の次第を見守っていたアムビルが、険しい顔つきで立ち上がった。
「もういい、下がっていろヒルコ。おまえが人界に残した最後の未練は、いま私が断ち切ってくれる」
「アムビル様‥‥?」
真夏の太陽の下であるにも拘わらず、周囲の気温が急速に冷えていく気配。
撃退士達が初めて遭遇する女天使の姿は、これまで大規模作戦の戦場で刃を交えた他の天使達に勝るとも劣らぬ威圧感を放っていた。
「お初にお目にかかります。相当の実力者と、伺っていますよ」
抜刀・閃破を構えた十一が進み出た。
「それは光栄なことだな」
その言葉を聞き終えぬうち、素早く間合いを詰めた十一が鬼神一閃の轟撃を打ち込む。
一撃必殺の気合いを込めて繰り出された刃を上空に舞い上がって避けたアムビルの片手に雪の結晶を思わせる白光が生じ。
――沙恵を狙って一直線に宙を走った。
「危ない!」
体当たりするように沙恵を突き飛ばしたさんぽが身代わりとなって氷の刃を受け、一瞬にして全身が凍り付く。
だが、地面に落ちて砕け散ったのは犬のヌイグルミだった。
「なるほど。それが空蝉とかいう術か」
ニヤリと笑ったアムビルの手に、新たな氷の刃が形成される。
「今度は、外さん‥‥!」
「守れる命があるなら、ボクは負けられない‥‥!」
古刀を構え直し、沙恵を背後に庇ってアムビルを睨み付けるさんぽ。
「大人げないねぇ。『氷結の戦天使』ともあろうお方が、人間相手にそうカッカしなさんな」
いつからそこにいたのか、敵味方が対峙する戦場にゆらりと人影が現れた。
(新手の使徒か‥‥!?)
一斉に警戒する撃退士達。
何らかの潜伏スキルを用いて忍び寄っていたのだろう。そこに現れたのは、細身の長身にカジュアルな衣服を着崩した青年だった。
「‥‥吉良峰か」
地上に降り立ったアムビルが怪訝そうに睨み付ける。
「何の用だ? 援軍を頼んだ覚えはないが」
「ご心配なく、余計な手出しはしないさ。ただ厄蔵の旦那からこっちで『ちょっと面白いことになってる』と聞いたもんでね」
シュトラッサー・吉良峰時々(jz0186)は苦笑まじりに肩を竦めた。
「ふん。あのお喋りめ‥‥」
「あと大天使からの言付けも頼まれてるんだが‥‥取り込み中なら後の方がいいか?」
「ベテルギウス様の?」
アムビルの細い眉がピクリと動く。
「――ヒルコ! 私は少し外れる。その撃退士どもはおまえが片付けておけ!」
よほど重要な用件らしい。
女天使は時々の側に歩み寄ると、それきり撃退士達の存在など忘れたかのように小声で言葉を交わし始めた。
再び采配を任されたヒルコがワンドを振ると、2体の不死騎を始めサーバント達が動き出した。
今度は捕虜ではなく、明らかに救出部隊を包囲する体勢である。
「もういい、沙恵ちゃんは捕虜撤収を手伝って」
一声かけるなり、鈴は脇目も振らずヒルコ目指して駆け出した。
「ヒルコ、そうまでして人を殺したいんなら、まずあたしを殺しなよ」
断罪の光を浴びながらも、痛みに耐えて間合いを詰めていく。
「そうじゃなきゃ、あたしがキミを殺す」
「――!」
ヒルコのワンドの先に魔力の刃が形成され、短槍と化して鈴の太刀を受け止めた。
慣れない近接戦に戸惑っているのは明らかだ。
もっとも鈴もこの場でヒルコを倒そうとは思っていない。
狙いのひとつは彼女の意識を自分に向けさせ、サーバント指揮を妨害すること。
そして姉妹の戦い、沙奈がこれ以上罪を重ねるのを阻むため――。
「なぜあなた達が来たの? 原田の仲間じゃなく」
つばぜり合いで間近に迫ったヒルコの顔。
その赤い瞳に浮かぶのは、怒りや憎しみより、むしろ失望と哀しみ。
ふと鈴の脳裏を疑問が過ぎった。
(もし要求通り、残り4人が丸腰で投降したら‥‥彼女はどうするつもりだったんだろう?)
「ヒルコ、キミはひょっとして――」
「‥‥」
「許してやるつもりだったの? あの5人を」
「かもしれない‥‥あんな奴らでも、仲間のために命を捨てられるだけの覚悟を持っていたなら――でも、もうどうでもいい。人間のことなんか」
後方に飛び退いたヒルコが再び断罪の光を放つ。
「あのお方は‥‥ベテルギウス様は仰った。いずれこの宇宙から、1匹残らず悪魔を絶滅させると」
「悪魔を?」
「だから私は大天使様と、アムビル様を信じて戦う――これから先も」
「そうはいかないよ。キミは夜見路沙奈‥‥沙恵ちゃんの、たった1人の妹なんだから」
攻撃魔法に生命を削られ、その場に膝を突きそうになりながらも、鈴は己を叱咤し再びヒルコに斬りつけた。
「キミの辛さも恨みも怒りも全部ぶつけるつもりで、全力できなよっ!」
レイラの大太刀が一閃、烈風突きで不死騎を後方へ押し戻す。
菫もまたもう反対側から突撃してきた騎士型サーバントの鎧の継ぎ目を狙ってアウルの光を叩き込む。
「ヒルコ、おまえのやりたいことは分かるが人質は帰して貰う!」
戦いの合間、ヒルコの方に向けて大声で叫んだ。
「人は人によって裁かれなければならない。殺してしまっては真実は闇の中だ――明るみにださなければまた同じ人間が生まれる! おまえの様に」
「てめぇらにゃとっておきのコレをくれてやりますの」
九十七の銃から発射されたアシッドフィルス弾が不死騎の鎧を穿った。
命中と同時に特殊な液体金属型弾頭が敵の甲冑を突き破り、内部から腐敗させる。
その威力は従来型の装甲車程度なら一発で撃破してしまうだろう。
彼らが不死騎の足を止めている間、他の撃退士達は捕虜達のロープを切り、自力で立ちあがらせ脱出のエスコートにあたった。
「もう安心なのですよ」
レフニーは癒やしの風を送り、疲弊した捕虜達の体力回復を図る。
そうはさせじと、再生を終えた氷骨兵達が退路を断つべく後方から迫ってきた。
「邪魔はさせないよ‥‥GOシャドー!」
電光石火、さんぽの影渡しが槍を構えた敵兵に斬り込み立ちすくませる!
アムビルが戦場から離れてしまったため、引き返した十一は得物を愛刀「紅文字」に持ち替えアイスボーン相手に振るった。
「ほらほら、撃退士様のお帰りだ。邪魔する奴ぁ火傷するぜ!」
その名の通り紅い紋様の浮かぶ刀身が閃く度、氷で出来たサーバントの手や足が宙に舞う。
遠距離から矢を放ってくる厄介な弓兵に対して戒のライフルが向けられた。
「ちょとお試しで、かな」
銃口から吐き出される嵐の如き弾幕に、アイスボーン達はたちまち算を乱す。
淳紅が空中に生み出した火球が炸裂、飛び散る炎が氷骨兵の体を溶かす。
さらにランベルセが黒い翼を広げて飛翔、後衛の弓兵へ頭上から容赦なく炎陣球を浴びせた。
「叶うなら仇討ちもいいだろう。それが鎖ならば衝動のままに引き千切ってみればいい――得るも失うも本人が感じるだけのことだ」
かつて自らの衝動に従い天界を捨てた堕天使は、同じく自らの衝動で人界を捨てた使徒の少女に――届いているかどうかは分からないが――呟いた。
「ただ今回は邪魔をすることになる。俺が撃退士を選んだからだ」
それにしても不可解なのはアムビルの動きだ。
敵方では唯一飛行能力を有するにも拘わらず、後から現れた若い使徒と何やら話し込みながら、こちらの戦闘には既に見向きもしない。
(どういうつもりだ? それにあの使徒、キラミネか‥‥気になるな)
鈴と切り結んでいた少女がふいに戦いの手をとめ、ワンドを降ろした。
「もう、いい‥‥そいつらを連れて帰って」
「ヒルコ‥‥?」
全身の痛みで目の前が霞んでしまいそうだが、それでも鈴はまだ余力を残していた。
人質5名は既に撃退士側が確保。
対するサーバントのうちアイスボーンはほぼ全滅、不死騎も1体が倒れている。
これ以上の戦闘は無意味――使徒の少女はそう判断したのだろう。
「沙恵ちゃんは前から撃退士になりたがってたよね‥‥だから、自分のしたいようにすればいいと思う」
ヒルコは顔を上げ、今や敵味方に分かれた双子の姉を哀しげに見つめた。
「沙奈ちゃ――」
「でもアムビル様の邪魔をするなら、あたしは容赦しない」
「ヒルコちゃん、その荷物は君一人でしょうべきもんやない」
声をかけたのは淳紅だった。
「君の名前呼んで、一緒にいたいって叫ぶ沙恵ちゃんの歌‥‥ちゃんと聴いたってな」
「‥‥」
「自分は君らが二人で謡う歌が聞きたい。ただ、それだけやで」
「‥‥行って。アムビル様が戻って来る前に」
涙に声を詰まらせる沙恵の肩を抱き、淳紅はやむなく撤退行動に移った。
残存サーバントやアムビルの追撃を警戒しつつ、撃退士達は救出した5名を庇いながら車両を隠したポイントへの移動を開始。
殿として最後までその場に踏みとどまった鈴は、去り際にふとヒルコの方へ振り返った。
「受け止めるって、言ったよね」
何か言いかけたヒルコにニッと歯を見せて笑い。
「あたし達はしぶといんだ、また会おうね」
●
「貴様の、軽率な行動のせいで‥‥!」
トラックで戦場を離脱、無事人類側防衛ラインまで到着したところで、菫は吾郎を車から引きずり下ろし、その胸ぐらをつかみ上げた。
彼の行為については聞いていたが、動かぬ証拠――携帯の写真を見たことで、ついに怒りを爆発させたのだ。
傷だらけの拳を握り締め、殴りつけるべく腕に力を込めるが。
(この力は敵を殲滅する為の物じゃない。ましてやこの男を殴るための力でもない)
「‥‥くっ」
結局思いとどまり、吾郎の体を突き飛ばした。
「貴様と仲間達のした事全て世の中に白状するんだ!」
もう二度と、新たなヒルコを生まない為に。
「な、何だよう‥‥俺はただ‥‥」
つかつか歩み寄った鈴が、吾郎の肩をぐいっとつかむや力一杯平手打ちを食わせた。
「ごめん、頭の悪いあたしには今こんな事しかできないんだ」
それだけいうと、瞳に涙を浮かべた沙恵をギュっと抱きしめてやった。
救出された同僚達からさえも白い目で見られ、吾郎は殴られた頬に手を当て呆然と立ち尽くす。
「‥‥わ、悪かった‥‥よ」
自らが虐殺したディアボロ、その素体となった男の娘を前に、気まずそうに俯く他なかった。
「キミも、みんなも、痛みを持ってる。それでも人は進むんだ、その人の大切なモノのために」
せめて吾郎1人でもこの件を反省してくれたら。
夜見路家の人々が味わった痛みを分かってくれたなら。
自分が今回の依頼に参加した意味があった――鈴はそう思った。
●豊後高田市〜撃退署
「なるほど‥‥事情は概ね分かりました」
撃退士達は救出した捕虜を同市の国家撃退士部隊に引き渡した後、署長室で依頼成功の報告を済ませた。
もちろん1年ほど前に原田吾郎、他4人の撃退士がディアボロとなった夜見路茂明を殲滅したときの行動について、証拠の携帯と共に報告するのも忘れずに。
「確かに彼らの行動は撃退士としての本分を逸脱していたといわざるを得ませんね」
一通り映像に目を通した署長の神志那麻衣は、デスクに携帯を置いてため息をついた。
「この件については、改めて再調査するよう私から本庁に要請します。その上で事実が明らかになれば、彼らには然るべき処分が下されることになるでしょう」
「現場の人間として、一言よろしいですか?」
レフニーが一歩進み出し、麻衣に告げた。
「ディアボロを倒す際には、その素体にされた人間・動物の関係者のメンタルケアも任務の内とするのが望ましいと思うのです。‥‥それに少なくとも、ディアボロやサーバントだからといって不必要な残虐行為は絶対に許されるべきではないのです」
「分かりました。その件も併せて本庁に伝えます‥‥もっとも、その時間があればの話ですが」
「どういう意味でしょうか?」
「つい先程、本庁から通達がありました。現在この街に応援のため駐屯している久遠ヶ原学園の撃退士たちを、全て引き上げさせるようにと」
四国を始め、日本の各地で天魔の動きが活発化している現在、撃退庁としては九州の田舎町に過ぎない豊後高田市のため、200人近い戦力をいつまでも拘束しておくのは不適当――と判断したらしい。
「私の部下‥‥つまり本署に所属する国家撃退士の数はそう多くありません。いわば辺境の村を守る自警団レベルの戦力ですから」
ゴトッ‥‥かつてベテルギウス配下との戦いで片足とアウル能力を失い、今は義足を装着した元撃退士の女署長は片手杖を掴んで立ち上がり、窓の彼方にそびえ立つ両子山をひどく遠い目で見やった。
「いずれゲリュオンが戻れば、アムビルはゲート生成のため武力侵攻に踏み切るでしょう‥‥そしてその時、この街は丸腰同然の状態でその攻撃に晒されることになります」
(続く)