●久遠ヶ原学園〜教師用女子寮
「今日からこの部屋で一緒に生活するRehni Nam(
ja5283)(レフニー ナム)さんと鈴蘭(
ja5235)さんです」
リビングルームに呼ばれた夜見路沙恵に、部屋の主である女性教師が2人の学園生徒を紹介した。
「お二人の女子寮はいま改装中で、急遽こちらに泊まることになりました。ちょっと手狭になるけど、夜見路さんも仲良くしてあげてくださいね?」
「あ、はい‥‥」
「にゅ、暫く一緒によろしくお願いするのです」
着替えや洗面用具などお泊りセット一式を詰めたボストンバックを脇に置き、レフニーはペコリと頭を下げた。
「リリーって呼んで欲しいのだー。それより一緒に食べないかー?」
お土産とばかり大量に持ち込んだお菓子の袋を開け、さっそく沙恵に差し出す鈴蘭。
「こちらこそ‥‥」
やや戸惑いながらも、沙恵は行儀良く頭を下げた。
数日後。女性教師は学園に出勤し、入れ替わりに昼間の家庭教師として笹鳴 十一(
ja0101)が寮を訪れた。
(塞ぎこんでるか、まぁそうだよなぁ)
受付で入館手続きをしながら、十一は思う。
(気持ちぁわからなくも‥‥いや、想像を絶するトコだ、苦しみの10分の1もわかっちゃやれねぇだろう)
沙恵の心境を察し、ため息をもらした。
十一より一足早く、七種 戒(
ja1267)も同室を訪れていた。
「や、始めましてだなかわいこちゃん? ‥‥始めましてな気はせんけどもな」
ノートと筆記具持参、「同じ生徒」として沙恵たちと共に授業を受ける役回りだ。
授業にはレフニー、鈴蘭も同席する。
さらには犬乃 さんぽ(
ja1272)も勉強道具一式を手に姿を見せた。
「夜見路ちゃん、一緒に勉強しよ!」
「あれ?」
九州でヒルコ(jz0124)の襲撃を受けた際、己の替え玉を演じたさんぽの顔を目にして、沙恵は思わず声を上げた。
「あの時はありがとう。それより、今日は勉強頑張ろうね!」
「は、はい‥‥」
驚いたように目を瞬かせながら、沙恵も自分のノートを広げる。
十一の担当教科は国語。
後輩から借りた中等部の教科書を取り出し、テキストとして「走れメロス」のページを開いた。
主人公のメロス始め、登場人物の心情の読み解きを中心に授業を進める。
教室で授業を受けているかの様に、熱心にノートを取る沙恵。
「生徒役」の撃退士達も同じく授業を受けているのだが‥‥。
「や、やる気だけはありますんですよマジで‥‥ぐぅ」
戒は早くも眠気と戦い始め。
鈴蘭に至っては落ち着き皆無、くだらない質問、無意味に挙手、というやんちゃぶり。
もっともこれは、場の空気をあまり重くしないため事前に申し合わせ済みの演技であったが。
「うん、まぁこんなモンかね。なんか質問あるかな? 俺さんのコトについて、とかでも何でもいいよ〜」
教科書を閉じ、十一は少しおどけた口調で沙恵に尋ねてみた。
「妹の‥‥沙奈ちゃんのこと、聞かないんですか?」
一瞬、室内が静まりかえった。
「知りたくないといえば嘘になるが‥‥話したくないことを無理には聞かねぇ。逆にそっちで何か質問がありゃ遠慮無く聞いていいぜ?」
「沙奈ちゃん、殺されちゃうんでしょうか?」
「その可能性はあるな。だから覚悟を、なんて今すぐ無理強いはできないさ。ゆっくり、自分の納得のいく答えを出して欲しい」
「やっぱり‥‥」
「でもね‥‥諦めたくねぇのさ。最後まで、血ヘド吐いてももがくよ、メロスみたくね」
目に力を湛え、十一はいま自分が答えられる精一杯の言葉を少女に贈った。
「‥‥」
最初の授業が終わり、次の「教師」が来るまでの休憩時間、戒は沙恵に話しかけた。
天使と契約しシュトラッサーとなった人間の運命について。
現時点では人には戻れない事。
沙恵を手に掛ける事を躊躇わなかった事など。
「ただ涙していた、と、そう聞いた‥‥まだ、心は人に戻せる」
「沙奈ちゃんが‥‥」
あの日、沙恵はヒルコの姿を見ていない。
だが双子の妹がもはや「人ではない何か」に変えられてしまったことは理解したらしく、ただハンカチを出して目頭を押さえた。
正直、シュトラッサーとなった人間を再び人類側に引き戻せるかは判らない。
むしろ不可能と考えた方が妥当だろう。
たとえそうであっても、戒はヒルコ=沙奈を、彼女の父親の二の舞にはさせたくなかった。
「というわけで私は彼女に興味があってな‥‥頑張って口説いちゃいるんだが、いま一つ足らんくてさ。あの子はひどく撃退士を嫌ってるようだが、何か心当たりはないかね?」
「父さんが‥‥いえ父さんだったディアボロが殺された時‥‥あたしと母さんは避難所にいました。ただ沙奈ちゃんだけはその場を目撃して‥‥それが原因かもしれません」
「‥‥数学を担当する、高等部2年の佐倉 哲平(
ja0650)だ。宜しくな‥‥」
次に部屋を訪れた哲平がややぶっきらぼうに挨拶した。
「‥‥最初はちょっとした、パズルをやろう」
授業の前振りとして、魔方陣やナンバープレースなどゲーム感覚で解ける問題のプリントを配る。
沙恵も最初は面食らったように考え込んでいたが、哲平から少しヒントをもらうと、
「あっそうか。こうなってるんですね?」
夢中になって解き始めた。
「さて、それじゃ勉強だ‥‥。‥‥気が重いかもしれないが、頑張ろう」
頭の体操が済んだところで、中等部用の数学教科書を取り出し、本格的な授業開始。
今度は本格的な数学の問題を前に、沙恵も苦戦気味だ。
「沙奈ちゃんなら、これくらい解けた‥‥かな?」
「‥‥妹さん、数学得意だったのか?」
「はい‥‥あ、ごめんなさい。こんな情報役に立ちませんよね」
「‥‥いや。彼女の事は、俺達も知りたいと思う‥‥もしかしたら、彼女を知る事で、救う道が開けるかも知れない。あくまでも、可能性の話だが‥‥」
沙恵はシャーペンを置いた。
「あの帽子のおじさんが来たのは‥‥お母さんのお葬式の晩でした‥‥」
「帽子の男」とは厄蔵のことだろう。
「神の力だの、天使との契約だの‥‥何だか夢みたいな話だし、あたしただ怖くて‥‥でも沙奈ちゃんは――」
そこまでいって沙恵は唇を噛む。
妹の件を「失踪」として届けたのには、その場で引き留められなかった後ろめたさもあったのだろう。
「‥‥どんな物語も、ハッピーエンドがいいに決まってる。ハッピーエンドってのは、自分から求めてたぐり寄せるものだと俺は思う‥‥だから、諦めないで信じて欲しいのだが。彼女と、俺達を」
残りの問題の解法について丁寧に説明してやり、哲平は自分の授業を終えた。
午前中最後の授業はそれまで生徒だったさんぽが教師役を務める。
その担当は「国語以外なら何でも」と非常にアバウトである。
こう見えても成績は悪くない。
『国語以外の教科ならドンとこい!』‥‥のはずだったが。
「えっと、次は社会だね‥‥卑弥呼が治めた国は邪魔大王国、千利休はニンジャだった」
なぜか時折トンデモが混じる。
沙恵は思わず笑った。
先刻までの重苦しい表情が和らぎ、ようやく打ち解け始めたようだ。
「ねぇ、夜見路ちゃん、将来はこれになりたい! って夢、有る?」
授業の合間、さんぽは何気なく尋ねてみた。
「撃退士に‥‥なりたかったです。沙奈ちゃんと適正検査受けて、一緒に落ちちゃいましたけど」
そういってからまた考え込み、
「でも、できれば婦警さんか看護師さん‥‥困った人達を助けられるようなお仕事、できればいいなと思ってます」
午前の授業終了後は昼食となるが、この時間は十八 九十七(
ja4233)が担当する家庭科の授業に割り当てられた。
つまりは料理実習である。
当初は「情報さえ聞き出せばOK」と考えていた九十七も、相手の微妙な年頃・前々回からの微妙な雲行きの根源に対する興味等々の事情から、極限まで猫を被っての積極的協力に方針転換していた。
日頃のスラングを封印し、ごく普通の女性服に着替えたその姿は、普段の彼女を知る者が見ればそれこそ「誰てめぇ」仕様である。
「お母さんの得意料理、聞いても良いです?」
レフニーは一緒に台所に立つ沙恵に尋ねた。
「後、サエちゃん、サナちゃん、お父さんの好きだった料理とか」
「カレーライス‥‥ありがちですけど」
照れくさそうに沙恵が答えた。
その結果、メニューは九十七得意の中東料理をアレンジした「レバノン風カレー」に決定。
「今ある現実は辛いものでしょうけど、それでも願いや希望を捨ててはいけませんよ」
鍋の火加減を調節しつつ、ほんわり笑顔で九十七が言い聞かせる。
いや本音では(んなモンどーでもいいから、ビチクソ天魔ブッ■したい以下略)なのだが、さすがにこの場の空気を思えば口には出せない。
もちろん沙恵を慰める気持ちに偽りはないものの、やはり彼女の性格上、事件の元凶ともいえる厄蔵を何とかせねばとそちらの方に気が逸ってしまう。
午後は屋外授業。
一同が寮を出て学園のプールに向かうと、そこに百瀬 鈴(
ja0579)が待っていた。
彼女の担当は体育。夏らしく水泳の授業である。
「悩んでる時は思いっきり体を動かす。プールなんていいんじゃないかな♪」
予め学園から借りていたスク水に着替えた沙恵にクロールの初歩を教える。
その間、やはり水着姿になった撃退士達も思い思いに水遊び。
「今から自分勝手な話をするね」
休憩時間、プールサイドに並んで座った沙恵に鈴が話しかけた。
「あたしの大切な子に贈り物をもらったんだけど、それ国東のものだったんだ」
ビーチバックの中から取りだした開運ひよこのストラップを見せながらいう。
「だから、ね。人助けよりも何よりも、あたしは国東での出来事を悲しい思い出にしたくないんだ‥‥そのためなら全力で頑張れる」
「‥‥」
「沙恵ちゃんもそれでいいの。自分がどうしたいか、沙奈ちゃんとどうしたいのか正直に教えて?」
「あたしは‥‥」
「もし何もなければ、あたしは絶対にあの子を倒す。あの子に人殺しを続けさせる事も、悲しいことだから」
「それは‥‥仕方ないと思います‥‥でもあたし、もう一度だけでいいから沙奈ちゃんに会いたい。会って、もう悪いことしないでって‥‥」
それ以上は言葉にならず、沙恵は両手で顔を覆った。
「それが沙恵ちゃんの望みなら、あたしは自分のために、その望みを全力で叶えるよ。一見実現不可能でも、どんなやり方があるか、一緒に考えよう?」
そういって、鈴は年下の少女の頭を撫でた。
「高等部2年の亀山 淳紅(
ja2261)や。自分は音楽担当! よろしゅうね、沙恵ちゃん」
シャワーと着替えを済ませて音楽室へ移動した一同を相手に、淳紅の授業が始まった。
まず沙恵の一番好きな曲(とあるアイドルのヒットソングだった)を聞き出すと、その曲の合唱用楽譜を速攻で作成。
「好きな曲のほうが楽しいやろ? よしゃ! まずは楽譜の読み方やねっ」
中学生のレベルに合わせ、何より「音楽を楽しむこと」を第一に教えていく。
簡単なレッスンとリハーサルを経て、いよいよ本番。
戒、鈴、レフニーも交え、淳紅の指揮で合唱が始まる。
楽譜を見ながら懸命に歌う沙恵の姿は、どこにでもいる中学生の女の子だった。
「ヒル‥‥いや、沙奈ちゃん、よな」
授業の後、ちょっと仲間たちとは離れて淳紅は沙恵と話した。
終始落ち着いた声で、自分が最初にヒルコと戦った日からの事を語り聞かせる。
「ふふー、声が綺麗って褒めてくれたんよ。あとサーバントに『お疲れ様、もう休んでいいんだよ』って」
「沙奈ちゃん、音楽が好きだから‥‥あと動物の世話するのも好きだし‥‥優しい子なんです。なのに‥‥」
シュトラッサーとなった以上、最終的に殺さなくてはいけない現状の厳しさを、あえて淳紅は話した。
「解ってます。他の先生達にも言われましたから」
「けれど、現実はどうであれ、自分らが二人の未来を諦める理由にはならへん‥‥現状助ける方法が無くても、たとえどんな結末になろうと」
目を細め本気を声色に表す。
「沙恵ちゃんは、どうしたい?」
少女の答えは、鈴に話したものと同じだった。
別れ際、淳紅は沙恵に「沙奈が好きな曲」を尋ねた。
少女は一瞬首を傾げるが、すぐクスッと笑い。
「さっきの曲‥‥沙奈ちゃんも大好きなんです。家族でカラオケ行ったとき、よく2人で歌いました」
(そりゃ好都合や)
授業での合唱は録音してある。
淳紅は以前ヒルコに渡しそびれた音楽プレーヤーに入れておこうと思った。
その姿を遠目に見やりながら。
「‥‥あっちのかわいこちゃんは、どうしてるだろう、な?」
戒は九州の方角を眺め呟くのだった。
「道徳‥‥といっても大した事はいえんが、少し語らせてもらおうか」
撃退士達と女性教師の寮へ戻ってきた沙恵に、本日最後の授業を担当する獅童 絃也 (
ja0694)が自己紹介した。
「『人は何かを成す為に生を受け、なし終えた時に死んでいく』この言葉は俺の師が今際の際残した言葉だ。では夜見路、お前さんは何を成す為に生を受け今を生きているのかを、よくよく考える事だ」
「え‥‥?」
「無意味に思えることも何かを成す為の準備期間と考え行動してみろ、色々見える事も変わってくるはずだ」
「は、はい」
「他の者からも聞いていると思うが‥‥ヒルコの件、俺個人の意見を言うなら討つ。討たなければ成らない確率が最も高い」
「――!」
「それ以外の望みが皆無というわけでもないが‥‥現状では雲を掴むに等しい行為だと思っている故に討たざるを得ん事になると踏んでいる」
それだけ告げると、絃也は少女の顔を見ることもなく席を立った。
(納得も理解も共感もないだろう、覚悟までも行かずとも頭の角にでも残れば御の字だろう。今のところは)
覚悟無く討たれる事を知る方が酷だろうし、遺恨を残しやすい――それが絃也の考えだった。
「短い間だったけど、お世話になったのです」
寮の改修が終わった(という口実で)レフニーと鈴蘭は荷物をまとめ、沙恵に別れを告げた。
「また遊びに来てね?」
数日間とはいえ一つ屋根の下で暮らした沙恵が、名残惜しそうな顔で2人の手を握った。
「リリーには沙恵ちゃんの不安は分からない、でも一つだけ‥‥現実は残酷なのだ‥‥希望なんて容易に砕け散る、それが希望なのだよー‥‥」
それまで一貫してお気楽なキャラを演じていた鈴蘭は、初めて真顔で語りかけた。
「でもね、全てはパンドラの箱なのだ。いっぱいいっぱいの絶望の中に、たった一つだけの希望も残っているかもしれない‥‥ならさ、ダメ元で開けちゃえばいい、希望なんて持っても無駄と分かってても、人間は希望を持たなければ前に進めないのだー」
「‥‥」
沙恵は無言のまま、鈴蘭に抱きついてすすり泣いた。
その姿を見守りながら、
(何とか沙奈ちゃんを助けてあげたいのですよ。今は無理でも、いつかきっと‥‥)
レフニーはそう願い、一縷の希望を模索するのだった。
了