●大分県・豊後高田市郊外
「むー‥‥まだ怖いワンワンを連れているのだよー‥‥」
首ひとつ失ったケルベロスの巨体が近づいてくるのを見て、ふくれっ面の鈴蘭(
ja5235)がこぼした。
「駄目な飼い主様なのだなー‥‥」
一方、佐倉 哲平(
ja0650)と笹鳴 十一(
ja0101)は臨戦態勢を取りつつも、夜見路沙恵がいる施設の建物をちらりと見やった。
「‥‥どうしても関連性を考えたくなるな」
「ヒルコの身内の可能性がある少女、か」
普段はあまり意識しなくとも、こうなると考えざるを得ない。
シュトラッサーも元は人間であったということを。
「沙恵ちゃんとヒルコの関係ってどう見ても‥‥」
やはり一瞬考え込む百瀬 鈴(
ja0579)だが、すぐかぶりを振った。
「‥‥理不尽なのはきっと、二人の過去と裏にいる黒幕。あたしは許さないっ!」
「さてはて。本心からの殺意か、はてまた上司に恵まれない系か‥‥」
召喚したマグナムにグレネード弾を装填しつつ、十八 九十七(
ja4233)が呟く。
「天魔抹殺は己の正義」を信条とする彼女だが、何かと雲行きの怪しいこの展開には少々興味があった。
「とはいえ、まずはやるべきことをやるだけか‥‥」
哲平の言葉どおり、いま戦うべき相手は目前に迫ったケルベロスとヒルコだ。
「だなぁ。今はもう使徒、つまり敵だし容赦ぁできねぇ――どんな事情があろうが沙恵も、施設のヒト達も、殺させるワケにゃあいかねぇだろ」
そう腹をくくり、十一は大太刀「蛍丸」の鞘を払う。
「さて今回は上手くやれるだろかね‥‥」
七種 戒(
ja1267)は周辺の状況を把握すると、仲間たちと防御陣の構築にかかった。
ちなみに戒にとって「上手くやる」とは戦闘もそうだが、ヒルコとの交渉も含めてのことだ。
むろんこの場で説得したところで、容易く寝返るというものでもないだろう。
しかし戒はヒルコというシュトラッサーを「ただ殲滅すべき目標」とみなしてはいない。
できれば彼女のことをもっと知りたいと思っていた。
既にケルベロスは交戦圏内に入りつつある。
そしてその後方にあのセーラー服の少女、ヒルコも姿を見せていた。
前回との違いといえば、彼女の周囲に6体のグレイウルフが従っていることだが。
体も小さくサーバントとしては下級クラスだが、その1体でも施設への侵入を許せば、いかなる惨事となるかは明白だ。
(やっぱりあの子の目的は‥‥)
亀山 淳紅(
ja2261)はケルベロスの背後をうろつき回る灰色狼の群れを睨む。
「片割れを生贄にして忠誠の証とでもするつもりか、本人の意思か命令か知らんが唾棄すべき行動だな」
獅童 絃也 (
ja0694)が眼鏡を外し、本来の厳つい相貌をサーバントたちに向けた。
犬乃 さんぽ(
ja1272)が素早く建物に駆け込むのを確認した後、撃退士たちも本格的な迎撃を開始した。
正面玄関前に陣取ったRehni Nam(
ja5283)(レフニー・ナム)は先制第一撃となるコメットを発動させた。
「アスヴァンはただの回復役ではないのです!」
アウルが生み出した無数の彗星が、流星雨のごとくサーバント群とヒルコに襲いかかる。
「おらぁ! 受け取れや糞犬どもぉ!!」
タイミングを合わせて九十七が投擲したグレネード弾もケルベロスの真上で炸裂。
初手からの強烈な範囲攻撃にケルベロスの巨体が震え、ウルフたちは苦しげな悲鳴を上げる。
敵が混乱している僅かな時間に乗じてレフニーの背後に回り込み、戒は阻霊符を発動した。
これで透過能力を利用した敵の奇襲は防げるはずだ。
「‥‥」
ヒルコは顔色ひとつ変えず、手にしたワンドを振った。
青白いオーラが配下のサーバントたちを包み、みるみるダメージを回復させる。
レフニーと九十七の範囲攻撃に引き続き、たたみかけるべくアサルトライフルを構えた鈴蘭は微妙な違和感に首を傾げた。
「小さいワンワンはまだこっちに来ないのですねー‥‥」
彼女としては先陣切って突入してくると思われたグレイウルフの掃討を第1目標に考えていたのだが、ウルフたちは相変わらずヒルコの周囲に控え、それ以上前に出ようとはしない。
ならばと壁のごとく迫ってくるケルベロスに目標変更、二つの頭部を狙いブーストショット併用でフルオート射撃の弾幕を張った。
「ちっ、デカブツの方が露払い役かよ!? どっちにしろこっから先は通さねぇ!」
やはり対ウルフ担当だった十一は魔具をウォーハンマーに持ち替えた。
鈴蘭の弾幕が魔犬の双頭を牽制している隙をついて突入、かつて真ん中の首があった傷痕を狙って重い一撃を叩き込む。
「こないだの借り、ノシ付けて返すぜ!」
「‥‥厄介な相手だが、なんとかするか」
十一と呼応する形で、大剣「フランベルジェ」を構えた哲平が大地を蹴って駆ける。
神速を発動し敵の懐に飛び込むと、左側の首の根元あたりを狙い斬りつけた。
「‥‥残った首二つ、ここで叩き落としてやる」
怒り狂ったケルベロスが二つの顎をくわっと開く。
左右の首からブレスを放とうとする体勢だ。
「みんな、左によけるのです!」
そう叫ぶなり、カイトシールドを掲げたレフニーが突撃。
大きく跳躍するや、魔犬の左側の口の手前でブレスシールドを発動した。
彼女の盾を中心にアウルの祝福を受けた魔法の防壁が出現、炎ブレスを塞き止め周囲へ拡散させる。
撃退士たちはとっさにレフニーが作った死角へ逃れ、ブレス攻撃をやり過ごした。
スキルの効果が切れたレフニーを狙いなぎ払われた敵の前肢を、横合いから吶喊した九十七のドラゴンブレス弾が弾き返した。
「足クセの悪い糞犬にゃお仕置きだぁー! って本物の犬に失礼ですねぃ」
他の撃退士たちも一斉に距離を詰め、ケルベロスに対して集中攻撃を再開する。
ヒルコとグレイウルフたちはまだ動かない。
後方から魔法でケルベロスを支援しつつ、時折遠距離の魔法攻撃を放ちながらも、少女の紅い瞳はじっと施設の建物を見つめていた。
施設の屋内。職員と子供たちが避難しているという大部屋へ飛び込んださんぽは、挨拶もそこそこに夜見路沙恵の名を呼んだ。
「は、はい‥‥あたしです」
地元の中学校の制服を着た少女が、おずおず立ち上がった。
(わっ!? ホントにそっくり‥‥)
一瞬驚くさんぽだが、よく見れば瞳の色は黒、そしてその表情や仕草はごく普通の女の子だ。
「ボク、犬乃さんぽ、宜しくね」
気を取り直し、にこっと笑いかける。
「あの‥‥一体どうなってるんですか?」
「詳しい話はあとで。それより、妹さんのこと少し聞きたいんだけど」
「妹が‥‥沙奈ちゃんがここに来てるんですか!?」
沙恵の顔からみるみる血の気が引いた。
撃退庁からはまだヒルコの件は知らされてないはずだが、彼女なりに何か心当たりがあるのだろう。
「妹に会わせてください!」
そう叫ぶなり外に出ようとする沙恵を、施設の職員たちが慌てて引き留める。
動揺する沙恵を落ち着かせるため、さんぽはそっと彼女の肩に手をかけた。
「大丈夫、天魔のことはボクらに任せて。それより君にお願いがあるんだ。ここにいるみんなを助けるため、君にしかできないことを」
「はぁぁぁ‥‥!」
己が丹田に練り溜めたアウルの力を、絃也は闘気に変え一気に開放した。
ケルベロスの双頭が放つブレス攻撃を警戒しつつ、その前足の1本を狙い舞うような動きで立て続けの拳撃を浴びせる。
闘気が切れる最後の一撃に破山を加えて打ち込むと、魔犬の巨体がグラリと傾いた。
そのとき、おもむろにヒルコが駆けだし、グレイウルフたちもその後に続いた。
ケルベロスを援護するためではない。
むしろ前衛の撃退士たちが大型サーバントを包囲したその間隙をつき、戦場を迂回する形で施設めざし移動を始めたのだ。
これに対し、中衛と後衛にいる撃退士たちが迎撃にあたった。
「てめぇらにゃドッグフードの代わりにコレをくれてやるぜぇっ!」
魔具をショットガンに持ち替えた九十七のスラッグ弾が火を噴く。
銃口から打ち出されたアウルの一粒弾を脇腹に食い、1体の灰色狼が転倒した。
鈴蘭もアサルトライフルの照準をウルフの群れに合わせ、ヒルコの魔法攻撃の的とならぬよう、1発狙撃するごとに素早く移動を繰り返す。
自身の周辺空間を歪曲させ銃撃を回避するヒルコだが、あくまで施設への突入を優先するつもりか、配下の支援にまで手が回らない。
健気に主の盾役を務めるサーバントの1体を、淳紅の魔法書から放たれた雷球が打ち据えた。
「久しぶりだなかわいこちゃん?」
いよいよ施設の正門玄関まで迫ったヒルコの前に、アサルトライフルを構えた戒が立ちはだかった。
「‥‥どいて」
「本日のご予定は? なんて野暮な事は言わんよ。ただ、一言だけ――同じ顔と、人で在る事をやめる程の過去の象徴と、向き合う覚悟は出来ているかね?」
「できてるわ。だからここに来た」
「撃退士嫌いとな‥‥かわいこちゃんに嫌われるのは切ないんだがな?」
飛びかかってきた灰色狼を精密殺撃で受け流しつつ、重ねて問いかける。
「せめて理由を教えちゃくれないかね‥‥好かれる努力も出来んだろうて?」
虚ろに見開かれたヒルコの瞳が、ふいに強い光を放った。
「父さんと母さんを殺して‥‥あたしから全てを奪った。あたしは絶対に許さない。おまえたち撃退士を」
「? それは、どういう――」
戒の質問が終わる前に、施設の玄関から二つの人影が飛び出した。
戦闘に紛れて建物に入っていた鈴と、彼女に手を引かれた制服姿の少女。
バイク用ヘルメットからクセのない長い黒髪がはみ出ている。
ヒルコの顔が強ばった。
即座に戒から離れるや、猛然と二人の少女を追って駆けだす。
「よし、今なのだー! いっぱいいっぱい逃げちゃうのだよー♪」
主に従って後を追おうとしたウルフを、鈴蘭の放ったダークショットの銃撃が弾き飛ばした。
鈴に手を引かれて逃げるのは、変化の術で沙恵に化け、さらに服装も交換したさんぽだった。ただし声までは変えられないので、ひたすら無言で鈴の案内に身を任せる。
任務のためとはいえ、年上の女生徒に手を握られて走るのは少々照れくさい。
(‥‥でも、いざとなったら先輩はボクが守る)
駐車場までたどり着くと、鈴が職員から借りたキーでバイクのエンジンを始動させた。
「沙恵ちゃん、しっかり掴まって!」
変装したさんぽをリアシートに乗せ、裏門から車道へ走り出す。
バックミラーを見やると、すぐ背後から長い髪を振り乱し、セーラー服のスカートを翻したヒルコが凄まじい速さで追ってくる。
鈴はとりあえず人家の少ない方角にハンドルを切り、アクセルを踏み込んだ。
逃走すること数分――。
突然ダッシュをかけたヒルコに前方へ回り込まれ、鈴は急ブレーキを踏みバイクを止めざるを得なかった。
「この子には指一本――うぐっ!」
沙恵(さんぽ)を背後に庇って立つ鈴だが、立て続けの魔法攻撃を浴びその場に倒れ込む。
それ以上鈴には目もくれず、ワンドを差し上げたヒルコはさんぽに歩み寄った。
『どうして、こんなことをするの?』
さんぽはポケットに隠したICレコーダーのスイッチを入れ、沙恵に吹き込んでもらった音声を再生した。
ヒルコが目を伏せ、唇を噛んだ。
「沙恵ちゃん‥‥ごめん。本当に、ごめん」
少女の白い頬を涙が伝う。
「あたしもう人間じゃないから。もう後戻りできないから‥‥」
ワンドの先に白い光が収束し、さんぽを貫いた。
――が。
ポワンと煙が上がったかとみるや、そこに残されたのは大きな犬のヌイグルミ。
「え‥‥?」
空蝉の改良版・エクソダスシャドーで攻撃を回避したさんぽがすぐ傍らに現れた。
「‥‥騙したのね」
怒りに顔を歪めたヒルコがワンドを振りかざし、断罪の光がさんぽを襲う。
「ボクは鏡‥‥この姿は、キミ自身だよ」
凶暴な魔法攻撃に耐えながらさんぽは叫んだ。
「攻撃から動揺が伝わってくるのが分かるもん。ほんとは夜見路ちゃんを殺したくないって」
ふいに攻撃の手を止め、ヒルコはワンドを下ろした。
「本物の沙恵は、どこにいるの?」
「もうあの施設にはいないよ。今あたしの仲間がばっちり保護してる」
辛うじて立ち上がり、鈴がはったりをかけた。
「キミがシュトラッサーになった理由は何?」
「‥‥」
「もちろんどんな理由があっても、あたしはキミが人を傷つけた事実は許さない。いつか全力でキミを倒すつもりでいた‥‥けどね」
鈴はヒルコの目をまっすぐ見つめた。
「まだそんな辛そうな顔ができる沙奈ちゃんにお姉ちゃんを殺させたり‥‥お姉ちゃんがいるこの世界で沙奈ちゃんを殺すわけにもいかないんだ」
「あたしは、もう沙奈じゃない」
「今日は帰りなよ。これ以上やるんなら‥‥沙恵ちゃんと沙奈ちゃん、両方を悲しませる。そんなの嫌だから、さ」
「沙恵がいないのなら‥‥もうここに用はないわ」
施設の方角から哀しげな断末魔の咆吼が響く。
ヒルコは踵を返し、再び走り出した。
「いい加減くたばりやがれぇ!」
ケルベロスの背後に回り込んだ十一が豪快にハンマーをなぎ払う。
後肢に鉄槌の一撃を受けた魔犬が、雷に撃たれたごとく一瞬動きを止めた。
その気を逃さず、絃也は再び闘気を解放。
「我が武の真髄をこの一撃に」
山をも破るアウルの気を込め、渾身の沖捶を叩き込む。
悲鳴を上げてもんどりうったサーバントに、淳紅のマジックスクリューが追い打ちをかけた。
「‥‥これで、終わりだ」
神速で間合いを詰めた哲平の刃が振り下ろされる。
ケルベロスの胴体から左首が落ち、力尽きた魔犬は大地に頽れた。
再びヒルコが姿を現したのは、ケルベロスが倒れた直後だった。
「本物の沙恵ちゃんはもう逃がした。今から追っても遅いで」
「知ってる」
そのまま撃退士たちの傍らを通り過ぎ、息絶えたケルベロスにワンドを向けた。
「おつかれさま‥‥もうゆっくり休んでいいんだよ」
サーバントの亡骸が炎に包まれ消滅していく。
「人間なんか捨てても構わん。好きなだけ捨て。‥‥でも、自分がほんまに捨てたくないもんは捨てたらあかんよ」
ヒルコは不思議そうに淳紅をみやった。
「何で? あたしは敵なのに」
「声が綺麗って言うてくれた。それだけやけど、自分にとって十分命かけて君の『心』を守る理由になる」
「もう駄目なのだよ‥‥ヒルコちゃん悪い事しちゃ駄目なのだ。皆悲しい想いばかりしてしまうのだよー‥‥」
寂しげな目で、鈴蘭も声をかけた。
「‥‥」
撃退士たちの言葉を、ヒルコがどう受け取ったのかは分からない。
少女は無言のまま、日没も近い両子山の方角へ立ち去っていった。
「‥‥距離は、はたして縮まっているのだろうか、ね」
その背中を見送りつつ、戒が小声で呟く。
「渡したかったけど‥‥今回は、無理やったなぁ」
淳紅は手許の携帯音楽プレーヤーに目を落とした。
それは年頃の女の子の好きそうな様々な曲を収めたものだった。
<了>