●大分県〜豊後高田市西方
長引く天使との抗争で荒野と化した北九州の大地を、十人の撃退士を乗せたHMV(高機動車)がガタガタと車体を揺らしながら走る。
「ドライブだーっ! ‥‥なんて、浮かれてられない景色だね」
かつては豊かな田園地帯だった不毛の地を見渡し、ハンドルを握る百瀬 鈴(
ja0579)は呟いた。
(途方もない相手や事件ばかりだけど‥‥一つ一つ確実に止めて、皆がいつかまた無事に暮らせる場所を取り返さないと)
ちなみに車両は依頼主である警備会社からの貸与品。しっかり保険代込みのレンタル料を取られているが。
「経験積んだ先輩達がやられてるってなると中々、厳しい戦いになりそうだ」
後部座席から後方警戒にあたる傍ら、笹鳴 十一(
ja0101)は依頼についての資料に目を通す。
「‥‥しかし、ケルベロスか。地獄の番犬というから、天使が連れるには少々不釣り合いな気もするが‥‥」
と佐倉 哲平(
ja0650)。
「地獄の番犬を従える神の従僕か、奇妙な組み合わせだが強力無比‥‥か」
会敵すればこの人数でも苦戦は免れまい――と、獅童 絃也 (
ja0694)は思案顔で腕組みする。
「にしても度重なる撃退士襲撃に前回ぁ直接の接触まで‥‥愉快犯、か?」
十一が疑問を呈した。
背後に何らかの意図か隠されているのは間違いないだろう。
今のところ、それが何かは不明だが。
「先のドラゴンの件は報告書で読んだけど‥‥京都がやっと少し落ち着いたばっかりやっちゅうに。平穏は続かんもんやなぁ」
スマホのGPS機能で鈴をナビゲートしつつ、亀山 淳紅(
ja2261)が嘆息をもらす。
(嵐山のドラゴンもこっちから‥‥いったいこの地で何が起ころうとしてるんだろう?)
犬乃 さんぽ(
ja1272)も被害に遭った撃退士たちの証言記録を読みつつ考え込んでいた。
「狙いは市役所? ‥‥でも、只襲うのが目的じゃない気がする、それ自体が陽動かもっと別の目的が」
「‥‥いや、相手の思惑ぁ仲間に任して、俺さんぁ戦闘に集中だな」
そう腹を括り、十一は自らの装備を再点検。
その隣で、
「あ、あのっ‥‥頑張ります!」
車内の物々しい空気にややテンパりつつも、氷月 はくあ(
ja0811)は健気に拳を握りしめる。
「首輪も付けずにワンコを連れ回すなんて悪い飼い主なのだよー‥‥後でしっかり注意してあげないと駄目なのだなー」
不満顔の鈴蘭(
ja5235)が夜戦に備えて召喚したアサルトライフルにマグライト(これも警備会社からのレンタル品)をテープで固定。
「糞犬は飼い主に似るそうですのよ。ええ、はい」
十八 九十七(
ja4233)もまた、ライトをスナイパーライフルMX27の下部にテープで括りつけ、スコープを覗いて遠方の索敵にあたっていた。
「ん、もう少し西にいった辺りが前回の現場やねー」
淳紅の言葉に、鈴はゆっくりブレーキを踏んだ。
ここ数回の事件記録を照合すると、撃退士襲撃の現場は少しずつ東の市役所方向へ移動しているらしい。
市役所を起点としてここまで車で来たが、今のところ怪しい気配はなかった。
つまりここから先、前回の襲撃地点までの間が、敵出現の「危険地帯」ということになる。
故に貴重な帰りの足であるHMVはここへ停め、一同は徒歩で西を目指し捜索を続けることとした。
「さてさっさとすませようじゃないかね‥‥お土産頼まれたんだよな」
(何にしよう? 九州限定のうめえ棒にするか)
少々場違いなことを思いつつ、七種 戒(
ja1267)はアサルトライフルをかつぎ降車する。
その後に続きながら、
「百瀬先輩、一緒に悪い魔犬やっつけて、父様の国の平和を守ろうね!」
さんぽが鈴に声をかけた。
すでに陽は西の両子山に落ち、周囲を宵闇のヴェールが覆いつつある。
はくあはスキル「夜目」で周辺を警戒、他の者も各々装備や自分の体に固定したマグライトを点灯した。
車を降りて10分も行かないうち、その人影は撃退士たちの行く手に現れた。
宵闇に溶け込むかのような長い黒髪と黒いセーラー服。
――まだ小学生のようにあどけない顔の少女。
(戦わないと‥‥だよね‥‥)
同い年位の女の子を目前に、はくあは僅かな躊躇いを押し殺す。
戒はスマホを取り、他エリアで警備にあたる企業撃退士部隊に少女発見を報告した。
「‥‥今日はずいぶん大勢なんだね」
魔具を構え、慎重に接近する撃退士たちに虚ろな視線を投げかけ、少女が口を開いた。
「名前、なんて言うのかな?」
最初に話しかけたのは鈴だった。
聞きたいことは色々あるが、「セーラー服の少女」では呼びにくい。
「ヒルコ」
少女はあっさり答えた。
むろん本名かどうかは知れないが。
「で、わざわざ撃退士を狙うのはなんで?」
鈴が重ねて尋ねる。
「教えてくれなくても、キミの行いを止めるのは変わらないんだけどさ。何かあたし達に言いたい事やしたい事、あるんじゃない?」
「‥‥」
少女は黙り込む。
さすがに一筋縄ではいかないようだ。
「始めましてだなかわいこちゃん?」
次に声をかけたのは戒だった。
「‥‥オトモダチに、厄蔵ってオジサマ、おらんかね?」
コクン、とヒルコは頷いた。
「知ってる。あたしは彼に誘われて此処に来たから」
「ならば新たなオトモダチ募集中‥‥だったり?」
「違うよ」
今度は首を横に振る。
「だって厄蔵とは契約した天使が違うもの。あたしの『主』はこう命じた‥‥」
それまで硝子玉のように無感情だったヒルコの紅い瞳が、初めて笑うように細まった。
「『撃退士どもを狩れ』って」
少女との会話は仲間に任せ、自らは阻霊符を発動し周囲を警戒していた哲平の視線の先に、地面から湧いたように黒く巨大な影が浮き上がった。
犬のような四肢で大地を踏みしめ、三つ首を振りたててケルベロスが咆哮を上げる。
同時にヒルコは踵を返し走り出す。
サーバントが大きく跳躍、少女と入れ替わるように撃退士たちの前に立ちはだかった。
「‥‥さて、犬退治といくか。少々首が多いが‥‥!」
哲平はフランベルジェを構え先制攻撃の封砲を放つ。
「‥‥最初から全力だ。叩き潰すぞ‥‥!」
渾身のアウル力を収束し、切っ先から黒い光の衝撃波が走るが――。
まっすぐケルベロスに向かった黒い光は、命中の寸前で不自然に歪曲し、虚空へ飛び去った。
魔犬のすぐ後方についたヒルコが、何らかの支援スキルを使ったらしい。
「ビッド・スタート(命がけのギャンブルを)」
短く呟きながら、後方に位地どった九十七がスナイパーライフルのトリガーを引く。
「かわいこちゃんとお近づきになりたいんでな‥‥番犬はご退場願うんだぜ、っとな!」
戒は敵の3つの頭部を狙いアサルトライフルの弾幕を張る。
「むー、飼い主さん! 首輪も付けずにワンコを散歩させちゃ駄目なのだよー! 悪い子なのだー!」
プンプン怒りながら、鈴蘭は後衛から立射によるフルオート射撃を浴びせた。
パーティーに回復役が少ない以上、長期戦はこちらが不利になる。それゆえに初手から出し惜しみなしの最大火力による集中砲火だったが、それらの銃撃は悉く魔犬に命中する前に弾道を捻じ曲げられ避けられてしまった。
ケルベロスが吼え、三つの口から立て続けにブレスを吐いた。
炎・冷気・雷――属性の異なるブレスが各々90度コーン、合わせて270度に及ぶ広範囲に残酷な破壊の吐息が荒れ狂った。
その効果範囲は撃退士の中では最も超射程を誇る九十七のSライフルすら上回る。
サーバントを包囲するように展開していた撃退士たちは、この一撃で全員が多かれ少なかれダメージを負っていた。
魔犬の背後についたヒルコの手に、いつしか短いワンドが握られている。
ワンドから放たれた赤い光がケルベロスを包み、三つ首の魔犬は全身の獣毛を逆立て突進した。
ヒルコ自身は戦わず、あくまでケルベロスの支援役に徹するつもりらしい。
「敵は強力、手足を縮こまらせては話にならん、空間を最大限に使用し攻めるのみ」
敵のブレス攻撃、シュトラッサーによる支援のタイミングなどを見極めた絃也ははくあの援護射撃を受けつつ魔犬に肉薄。
気を練り、アウルの力で加速した沖捶を敵の前脚めがけ打ち込む。
反撃の頭突きを受けしたたかに地面へ叩きつけられるが、すかさず立ち上がり、次は頂肘(懐に飛び込んでの肘打ち)で仕掛ける。
「こいつぁ気ぃ引き締めねぇとな。マジでやばい相手だ!」
側面に回り込んだ十一がウォーハンマーを振り下ろした。
一度間合いに踏み込んでしまえば、相手の巨体は格好の的。空間歪曲のスキルも至近距離からの肉弾攻撃をかわし切る程のものではないようだ。ただし一撃ごとに食らう反撃によるダメージも大きいが。
「根比べだな。俺の体力が尽きるまで、どこまで削れるか‥‥!」
覚悟を決めた絃也は背後のはくあへ意味ありげな視線を送った。
遁甲の術で気配を隠したさんぽはケルベロスを迂回、ヒルコの正面まで接近することに成功した。
「どうしてこんな事をするんだ、‥‥それから君に、その戦闘服を着る資格はない!」
「戦闘服‥‥?」
ヒルコが不思議そうに小首を傾げる。
が、素早くワンドをさんぽに向け魔法攻撃を放ってきた。
「‥‥!?」
衝撃も痛みもない。
だが体内の生命力が急速に奪われていくような脱力感にさんぽは目眩を覚えた。
忍術書から烈風の刃を放つが、これはかわされてしまう。
やはりシュトラッサーだけあり、身体能力は撃退士のそれを大きく上回るようだ。
2発目の魔法攻撃。
「うっ‥‥」
気力を振り絞って耐えようとするが、肉体を傷つけぬまま生命力そのものを削っていく敵の魔法の前に抗う術もなく、さんぽの意識は急速に遠のいていった。
地面に跪くように倒れた少年にとどめを刺そうとしたヒルコだが、はっとしたようにワンドを引くと前方に顔を戻した。
さんぽに注意を奪われている間、配下のケルベロスが撃退士たちの集中攻撃に晒されていたからだ。
距離をとればブレスの範囲攻撃。
接近すれば巨体から繰り出される爪や牙による肉弾攻撃。
大型サーバントの猛威に圧倒されながらも、撃退士たちの死闘は続いていた。
鈴をサポートする形で動いていた淳紅の視界に、こちらに向かってくるヒルコが入った。
「Io canto ‘velato’.」
自らの歌声を光の障壁に変え、魔法攻撃に備える。
少女が立ち止まった。
「へえ‥‥お兄ちゃんの声、綺麗だね」
ほんの僅か、その表情が年相応に和んだかに見える。
「前に襲った撃退士さんに『試させて』って聞いたそうやな? どういう意味なん?」
「いった通りよ。これはお稽古。アムビル様が仰ったの。この子を使いこなせるようになったら――もっともっと大きくて強い子を、あたしに任せてくれるって」
アムビル、とは彼女と契約した天使の名らしい。
「自分の歌が分かるちゅうことは、君も人間なんやろ? 感情あるんやろ? だったら、何でこんなこと――」
「あたし人間は嫌い。撃退士はもっと嫌い」
再びヒルコは無表情に戻り、ワンドから迸る攻撃魔法が淳紅を襲った。
徐々に生命を奪われ意識が朦朧とするのに耐え、淳紅も詠唱で対抗する。
その間、ケルベロスの足下まで接近した鈴の手から、最も厄介な雷のブレスを吐く首を狙いカーマインが伸びた。
紅い鋼線が首に巻き付いた所で、全身の力を込めてサイドステップを踏む。
怪物の首が不自然な方向へ折れ曲がり、苦しげな悲鳴を上げた。
カーマインを巻き戻した鈴めがけ、別の頭から冷気のブレスが吐きかけられた。
骨まで凍てつく様な寒気の中で彼女の手足が痺れ、そのまま意識を失い倒れ伏す。
「そう簡単にはやらせんよ、っと」
戒が突撃銃を乱射しながら突入、戦闘不能になった鈴を担いでケルベロスから引き離す。
鈴蘭、九十七ら他のインフィルトレーターたちもブレス攻撃のダメージに耐えつつ、鈴がダメージを与えた頭部に狙いを定め銃火を浴びせ続けた。
「仕掛ける、暫し頼む」
頃合いと見た絃也がはくあに合図した。
呼気と共に気を丹田に集め練り上げて蓄積、
「我が武の真髄、その身に刻め」
高く跳躍しながらケルベロスの頭部に拳を叩き込むと同時に一気に爆発させる!
渾身の一撃は命中したが、その代償に魔犬の前肢による攻撃を脇腹に受け、血飛沫をまき散らしながら大地に落下、そのまま動きを止めた。
絃也への攻撃のため生じた一瞬の隙。
その瞬間を待っていたはくあが武器をディバインランスに切り替え「光の剣」を発動。
「わたしの全てを武器と化して‥‥いっけーっっ、クラウソラス!」
膨大なアウルと自意識を長大な槍の穂先に集約、まさに我が身を槍に変え真下からケルベロスの喉元を突き上げる。
槍が下から魔犬の顎を縫い止める形となり、雷のブレスを完全に封じる。
しかし槍にぶら下がる格好で一瞬空中に静止したはくあの小柄な体に、残る頭部の一つが食らいついた。
食い込む牙、肉が潰れ肋が折れていくおぞましい感覚。
想像を絶する激痛の中ではくあは堅く目を閉じ、死を覚悟した。
「幻光雷鳴レッド☆ライトニング!」
突如ケルベロスの全身が硬直し、ぱっくり顎を開くとかみ砕く寸前だったはくあの体を取り落とした。
意識を回復したさんぽが、魔犬の背後から雷遁を放ったのだ。
慌ててヒルコが振り向いたとき、最後の力を使い果たしたさんぽは再びばったり倒れた。
「‥‥今度は外さん‥‥」
スタン状態に陥ったケルベロスの頭部を狙い、哲平が残り1発となった封砲を発動。
黒い光の衝撃波が命中すると同時に、ダメージの蓄積に耐えかね魔犬の頭部が血と肉の破片となって砕け散った。
ヒルコの目が驚きに見開かれる。
闇を切り裂き、全く別方向からの銃撃が浴びせられた。
付近に停車したHMVから複数の人影が飛び降り、こちらに向かって来る。
戦闘開始前に連絡した企業撃退士部隊が、ようやく現場に到着したのだ。
「‥‥」
潮時と判断したのだろう。
ヒルコはワンドを振り、頭一つを失ったケルベロスと共に西方へと撤退した。
友軍のアスヴァンからライトヒールと応急手当を受け、戦闘不能に陥ったメンバーも辛うじて自力で帰還できる程度に回復できた。
「運転してみたいんだけど‥‥だめ‥‥?」
帰路の車中、おずおず申し出たはくあがハンドルを握る。
密かに楽しみにしていた運転役だが、戦闘の疲れは如何ともし難い。
「す、すいません‥‥前良く見えないうえに何か霞んできま‥‥」
「誰かっ! 早く運転変われー!」
大きく左右に蛇行する車体に揺さぶられながら。
「しかしてこの体たらく‥‥目標は、まだ遠い、な」
戒は空を見上げ、ポツリと呟く。
その頃、あえて車には乗らず徒歩での帰参を選んだ絃也も、今回の戦闘を顧みて思案に暮れていた。
「あれとはまたまみえる事に成りそうだ」
余談ながら、九州限定のうめえ棒は辛子明太子味であった。
<了>