●久遠ヶ原学園〜斡旋所会議室
「ま‥‥そう全てが上手くいくワケもないわな」
伊勢崎那由香(jz0052)から事情を聞かされた笹鳴 十一(
ja0101)は腕組みして深々と嘆息した。
(皆が皆拒絶はしなくても、風当たりはかなりキツいみたいで‥‥辛い、だろうなぁ)
顔を上げると、テーブルを囲んだ仲間の撃退士達と共に、元シュトラッサーのヒルコ(jz0124)――いや今は既に人間へと戻った夜見路沙奈が言葉少なに顔を伏せていた。
そんな沙奈を気遣うように双子の姉、夜見路沙恵が見つめている。
「むー、二人が素直に笑えていない現状は心苦しいのです。何か良い方法を考えないと‥‥」
Rehni Nam(
ja5283)(レフニー ナム)も首を捻って思案にくれた。
「ふむ‥‥まぁ、割り切れない人がいるのもわかるけどねぇ☆」
室内の重い空気を払拭すべく、あえて軽い口調で肩を竦めるのはジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)。
「それでも法的な精算が終わっている以上、それ以上の制裁は単なるリンチってやつさ。同じ撃退士として恥ずかしい限りだね」
沙奈とは初対面となるが、そんなこと関係ない。
「こうして関わりを持った以上、何としてもキミを幸せにしてみせる。ハッピーエンドの到来は誰にも邪魔させない」
学園に来てまだ日も浅い佐藤 マリナ(
jb8520)は、この場を借りて夜見路姉妹、そして同席の撃退士達にも自己紹介した。
「初めまして、マリナと言います。ハーフでつい最近に編入したばかりですが今日は、宜しくお願いします」
「‥‥ハーフ?」
「人間だけど、天使や悪魔の血を引いた人達のことだよ」
沙恵が手短に説明してやる。
「まだ新人のアスヴァンですが、依頼を見て沙奈ちゃんや沙恵ちゃんの少しでも助けになれればと思い参加しました」
ハーフの自分と元使徒の沙奈。立場は違えど「異端者」という点でどこか相通じるものを感じる。
「使徒として行動しなければいけなかった悲しい過去、その鎖を壊して人として新たに生を受けたのは本当に素晴らしく凄いことだと思います。でも、それによって沙奈ちゃんは苦しんで進む道を見失っている気がします」
斡旋所で沙奈の身の上を聞いて以来思っていたことを、マリナは誠実な口調で言葉に出した。
「沙奈ちゃんの感情を全て理解して導いてあげることはできませんが、少しでも進む先を見つけるお手伝いと、生きていること、そして大切な人が傍にいることの素晴らしさを気付いてもらいたいです」
「大切な人なら、いる‥‥」
沙奈は傍らにいる沙恵を横目で見ながら小声で呟いた。
「でもあたしは‥‥自分の身勝手で、長いこと沙恵ちゃんを苦しめてきた。それだけじゃない。何人もの撃退士を殺して、傷つけて‥‥あの人達にだって大切な家族がいたはずなのに」
人形の様な少女の紅い双眸から、それだけが精一杯の感情表現であるかのように涙がこぼれ落ちる。
「ちょっといいかな?」
十一は席を立つと、沙奈の側まで歩み寄った。
(そういやこれだけ長く依頼で関わっておいて、この子と面と向かって話すのは今日が初めてか)
「最初に言っとくと、励ましとかそういうんじゃなく俺さんが言いたいこと言うだけだ、すまんがガマンして聞いてやって?」
改まった十一の口調に、沙奈も涙を拭いて顔を上げた。
「俺さんは一度はお前さんを殺そうとした身だ、今後拒絶してくれて構わんよ。でも沙恵や、これまでお前さんに会ってきたヒト達はお前さんの味方だよ、頼って、甘えていいんだ。それだけは覚えといて欲しいと思うな」
「‥‥」
「生きてていいのか、なんて言ってたらしいね」
何か言おうとした沙奈を両手で制し、
「いいと思う、てか生きてて欲しいよ」
国東で幾たびも繰り返した戦いの記憶が脳裏を過ぎる。
「お前さんに生きて欲しいって頑張ったヒト達がいて、そして何よりお前さんが生きたいって願ってさ‥‥その念願が成就してんのが今この瞬間なんだよ。なら、生きてていけない理由は少なくとも俺さんには見つけられんよ」
「私もそう思います」
これまでの戦いで幾度か沙恵の護衛役を務めてきたレイラ(
ja0365)も口を添えた。
「沙奈ちゃんの未来。沙恵ちゃんの未来‥‥今度こそ護ってみせます」
あり得たかもしれない「最悪の結末」を想像し、レイラは胸の奥でチクリと痛みを覚えた。
「――ふたりが笑顔で生きられる未来を見たいから」
「そもそも、高々14年やそこらの人生じゃ色々考えんのに足りねぇだろ。この先長いんだから、ゆっくり成長して、考えればいいよ」
「‥‥うっし!」
突然立ち上がった亀山 淳紅(
ja2261)が己の両頬をすぱーん! と叩いた。
「今から沙奈ちゃんのクラスメイト全員に会って来るで! あっ那由香ちゃん、例のもの持ってきてくれた?」
「ほい、クラスの緊急連絡簿や。もし教室に行って会えへんでも、これ見れば連絡つくやろ」
事情を鑑み沙奈の担任に掛け合った那由香が、どうにか使用の許可を得たのだ。
「でも‥‥」
「大丈夫、沙奈ちゃんはみんなとここにおって」
ニカっと笑い、レフニーと共に会議室を出ていった。
●幸せの形
「ここで待っているだけじゃ沙奈ちゃんも退屈だろうし‥‥ちょっと場所を変えて気分転換しよっか?」
淳紅達を見送った後、百瀬 鈴(
ja0579)が仲間達に提案した。
(そうだよ、これからが正念場‥‥レイラさんがいった通り、二人の笑顔を取り戻さない限りあたし達の『依頼』はまだ終わってないんだ)
「よかったら、これからみんなで俺の店に来ないか?」
続いてジェラルドもいった。
彼は島内でダーツバーを経営するオーナー兼マスターでもある。
「行こうよ沙奈ちゃん。面白そうじゃない?」
「沙恵ちゃんがそういうなら‥‥」
校舎を出た一同は、しばらく後ジェラルドが経営する【BlackHat】の店内に入っていた。
「こういう所は、お嫌いかな?」
もの珍しそうに店内を見回す夜見路姉妹に、ジェラルドは慣れた手つきでシェーカーを振り、取っておきのノンアルコール・カクテルを振る舞った。
「ね、バイト、してみない? このお店はボクの裁量で喧嘩なんかさせないし‥‥キミみたいに可愛い子ならお客さんも増える♪」
沙奈は少し考え込んだ。
「‥‥いいの?」
「過去は過去☆ こだわる人は居るかもしれないけれど‥‥少なくともボクや店の仲間は気にしない。そもそも過去に過ちを犯さなかった者など、居はしない。さっきキミが流した涙はその真摯な償いの心の証明になる‥‥と、ボクは想うんだ☆」
「あたし、働きたい‥‥せめて生活費くらい、沙恵ちゃんのお荷物になりたくないし」
「沙恵ちゃんのお手伝いなら、お金だけとは限りませんよ?」
カウンターでカクテルを傾けつつ、レイラがいった。
「お料理やお裁縫‥‥家庭科の授業でも習うでしょうけど、もし興味があるなら私がコーチします。生活していくには必要なスキルですからね」
「教えてくれるの? 本当に?」
「いいなあ沙奈ちゃん。ねえレイラさん、あたしも都合が合う日は一緒に教えて頂けますか?」
「ええ、喜んで」
穏やかに微笑むと、レイラは鞄から1冊の真新しいノートを取り出し、姉妹に手渡した。
「これは?」
「お二人に差し上げます。これからどこに行きたいのか、何をしたいのか‥‥要するにお二人が『やりたいこと』を思いつく限り書き出してみて、それが実現できたら1つずつシールを貼って達成した証にする。如何ですか?」
「へえ〜面白そう。ね、沙奈ちゃん、二人でやってみようよ!」
「‥‥うん」
(たとえ小さなことでも、一歩ずつ‥‥二人が生きてる幸せを『形』として実感できれば)
「そうだ!」
ふいに掌を打ち、鈴が声を上げた。
「まだ沙奈ちゃん入学の歓迎パーティー、やってなかったよね? 来週あたり、どこか教室を借り切ってぱーっとやらない?」
「パーティー?」
「実はあたし、趣味の合唱グループに入ってるんだ。ただの宴会じゃ月並みだし、二人が再会した記念にデュオで歌を披露してみない? 合唱仲間にも声かけてみるよ」
「歌なんて‥‥あたしに、できるかな」
不安そうに沙恵を見やる沙奈。
「心配ないよ、一週間みっちりレッスンしてあげるから。やりたいと思ったら、真剣に、そして楽しく、だよ」
「良い考えだと思います。私もピアノとヴァイオリンを嗜みますから、ぜひ伴奏させてくださいね」
マリナも賛同し、撃退士の少女達は沙奈の背を押す様ににっこり笑った。
●人と天魔と
「彼女がここにおることになったんは自分らが生きて欲しいと望んだからです」
一方、淳紅とレフニーは沙奈のクラスに赴き、放課後の教室に残っていた生徒達の説得にかかっていた。
「殺せと言った彼女を自分らが望んで生きてもらった。せやから、悪いんは沙奈ちゃんやないんです」
上級生の撃退士が現れた時点で、生徒達も沙奈の件だと直感したのだろう。
ある者は険しく、またある者は気まずそうな表情で二人を囲んだ。
(‥‥この人達の態度は、眼は‥‥何なのです‥‥いえ、これも分かっていた事ですね)
レフニーは内心の怒りを胸に押し込めた。
(ですが‥‥クラスの方は、サナちゃんの事情を、ヒルコの事情を、どこまで知っているのでしょう?)
ヒルコは撃退士が生んだ、いわば撃退士の罪の象徴。
(知ってれば自戒の念も生まれて辛く当たるなど出来ないと思うのですが‥‥いえ、だからこそいつか犯すかもしれない罪を見せ付けられる事が痛いのでしょうか?)
「‥‥幸せになってほしいんです」
ぽつりと淳紅がこぼした。
「仲良うしてやってくれ、とは言いません。でも少しだけ、少しだけ受け入れてやろうって思ってみませんか。沙奈ちゃんは、これからも罪を背負って生きる思います。そう生きるべきです」
生徒達は黙って淳紅の言葉に聞き入っている。
「でも、罪を背負った者が生きて幸せになっちゃいけないなんて、死んだ方がよかったのか、言うなんてそんなことあって良いわけない‥‥お願いします」
「‥‥悪気はなかったんだ」
最初に口を開いたのは、かつてヒルコと戦い、自ら重傷を負った生徒だった。
「ただ、自分の戦った相手といきなり出くわして驚いただけで‥‥それで夜見路を傷つけたんなら、俺、明日あの子に謝るよ」
負傷した本人が言い出したのをきっかけに、他のクラスメイトも次々に謝罪の言葉を口にする。
そんな中、不服そうな顔で睨み付けるのは、案の定「元天魔」の生徒達だった。
「俺達は自分が弱体化するのを覚悟であんたら人類の側について、今も撃退士として戦ってるんだぞ?」
「そうよ。自分は戦えもしないのに、学園の庇護だけ受ける使徒風情なんかと一緒にされたくないわ!」
「『天魔なのに人間風情に味方して弱くなって愚かやなぁ』」
「なっ‥‥!?」
「‥‥心に刺さりましたか?」
憤る堕天やはぐれ悪魔達に非礼を詫びてから、淳紅は更に続けた。
「彼女はもう使徒やない。自分らと同じ、人間や。貴方がたは、自分らを『人間風情』と罵りますか?」
「いや、それは――」
一通りの説得を終え、淳紅とレフニーは教室を後にした。
「‥‥あれで納得してもらえたでしょうか?」
「ダメならまた明日行くわ。それでダメなら明後日も」
教室にいなかった生徒に連絡を取ろうと名簿を開いた時、スマホが鳴った。
鈴からの連絡。沙奈の歓迎会を兼ねた、姉妹による合唱会。
それを聞くなり、レフニーの心からそれまでの不安も怒りも消え去っていた。
「やっと‥‥二人の歌が聞けるのです。この日をどれだけ待ち望んだか‥‥」
●それぞれの出発
再び仲間達と合流後、今度は合唱会の企画についての打ち合わせ。
その席上で淳紅が推薦した曲目は、元々ボカロ曲としてネット上で公開された歌。
歌詞カードを受け取った沙奈と沙恵が、熱心に歌詞を読みふける。
それは不幸な運命にうちひしがれ、自ら世界に背を向けようとする「あなた」を呼び止め、行かないでくれと願う美しくも切ない歌だった。
(‥‥もっと明るい歌がよかったやろか?)
内心、不安もあった。
歌詞の中に登場する「あなた」の立場があまりにヒルコの運命に重なってしまうためだ。
それでも淳紅は賭けたかった。
自らの過ちと向き合う覚悟を決めた少女に、言葉だけでは伝えられない精一杯のメッセージを、祈りを届けたかったから。
およそ一週間後、校内の空き教室を借り、夜見路姉妹をメインに迎えたミニコンサートが開催された。
依頼参加の撃退士、鈴の合唱仲間、那由香を始め沙奈に関わってきた人々が見守る中、マリナが弾くピアノの伴奏に乗せて双子のコーラスが流れる。
やや緊張気味ながら、素人にしては良い声が出るのは鈴らのレッスンの賜だ。
レフニーは目を閉じ、じっと聴き入った。
(サエちゃん、サナちゃん。最初はずれて良い、ずれて当たり前なのです)
それが、二人が別々に過してきた時間の積み重ねだから。
でも、いつまでもそのままじゃない。
音は、いつか調和する。
その意思があれば。
(だから‥‥ね。私も、ジュンちゃんも、みんながいる)
みんなが間に入る。
二人の音を重ねる、その手伝いを。
(だから、貴方達の、二人の歌を聞かせて)
歌は5分ほどで終わった。
拍手が教室を包む中、ふいに沙奈がマイクを取り落とし、大声で泣き崩れた。
何事かと駆け寄る人々。
だが彼女を知る撃退士達は気付いていた。
それがこれまでと違う、心底から感情を吐露した「人間」の少女の泣きじゃくる姿だということに。
教室の後方から時ならぬアンコールがかかった。
見れば、いつしか沙奈のクラスメイト達が会場を訪れ、声を合わせてアンコールを叫んでいたのだ。
「みんな‥‥ありがとう」
沙恵に抱き起こされ、嬉し泣きで顔をクシャクシャにした沙奈の瞳が、いつしか姉と同じ色に戻っていた。
そこに使徒・ヒルコはもう存在しない。
マイクを拾い上げた沙奈が、沙恵と共に再び歌い始める。
「さて、と」
二人の笑顔を見届けた後、鈴はそっと教室を出た。
(あたしは行くよ)
既に学園への退学届けは出してある。
(天魔と人間の戦争、憎むべきはその状況。皆が信念を持って動いた、あたしはその事に何も言う気はない)
そして戦争の理不尽な暴力から人を守るために撃退庁が、久遠ヶ原学園がある。
だが武力組織としての「力」だけでは救えない人々もいる。
(だからあたしは、そういう人達を救う民間組織を作りたいって思うんだ。今は何ができるかわからない、そんな手探りでもあたしらしく駆けてみるよ。キミたちも今日の笑顔を忘れずに頑張って、ね♪)
己の信念に任せ、がむしゃらに駆け抜けてきたこの1年。
自分は撃退士として間違っていたのかもしれないが、そこに後悔はない。
「走りきったこと」それが彼女の宝物なのだから。
<了>