●
「自分だけでは止まれないんですね」
ファズラの声に、雫(
ja1894) は呟きで応じた。
「おおっ、あの牛と豹は本当に懐かしいですねー」
出現した八体のディアボロに目を配っていた袋井 雅人(
jb1469)の声に、クリフ・ロジャーズ(
jb2560)も記憶が蘇る。この二〇一三年初頭、彼も雅人と同じ二つの依頼に参加した。
洞窟での牛退治を経て、豹の一件の際にクリフとミリオール=アステローザ(
jb2746)が穣二と平和裏に接触したことで色々なことが始まり……この月夜の下、一つの決着がつこうとしている。
「血沸き肉躍りますワ♪」
クリフの感慨に対し、戦闘狂のミリオールは肩をぐるぐると回し、今から始まるバトルに意気軒昂。
と、雅人が冷静さの戻った声で誰にともなく問う。
「……こいつら全員が厄介な攻撃をしてくるんですか」
ついさっきの戦闘時は、押し寄せたディアボロの群れに寸断されていた雅人とミリオール。その折は無用な刺激を避け戦わずに済んだが……
「俺は全タイプと交戦経験がありますが、どれもこれも厄介です」
「象に踏み潰されて腕をへし折られたことがあります」
「わたしは足を折られましたワ!」
クリフの断言に雫とミリオールが続く。
「前は二体ほどで撃退士一チームと互角だったからな。俺たちも力をつけたとはいえ、八体はちと多すぎる」
桝本 侑吾(
ja8758)が彼我の戦力差を指摘した。
「なのでここは、お二人に力を貸してもらいたいです」
ヴァニタス二人がクリフの言葉に肯いた。ファズラが来るまでの短い間に、ディアボロの封じ込めなどについて話していたのである。
「ただ全部は抑えきれないぜ。お嬢に逆らうのはかなり力を使う」
「全部抑えてもらったらファズラさんも俺たちと話をする気にならないでしょうしね。では、幻影対策が手間な蛇と、指揮能力が面倒な獅子と、回避能力などで手こずりそうな白虎と、当然マンモ――」
「マンモスと真正面から力比べするよ! タイマン希望!」
桜庭愛(
jc1977)がやる気満々で手を挙げる、が。
「残念ですが、マンモスは封じて欲しいですね。長い鼻を振り回されたら複数人がしばらく戦えなくなる危険があります」
「遠距離の氷攻撃も、当たると動きを縛られるのが厄介ですワ! リベンジはしたかったところですけれど」
「俺も、マンモス封印に一票」
「あのでかさはちょっとやばいですね……」
雫、ミリオール、侑吾、雅人らが言う。
「どうするの?」
撃退士間で意見が割れ、八津華は視線を行き来させる。
「マンモスは、封じてください」
クリフが言った。
四体の動きが止まったのを見て、ファズラは視線をヴァニタスへ向ける。
「まあ、それも撃退士たちの得た力、ではあるか」
軽トラの中、一人ハンドルにもたれると、戦えないものを下がらせた。
「まずは、以前苦戦した牛に当たりますよ」
「わたしも最初はそちら中心に」
雅人の表明に氷月 はくあ(
ja0811)が応える。
「わたしは戦場中央に『銀の鍵』を展開してからハイエナに向かいますワ」
「お手伝いしますね」
天魔の翼を広げたミリオールには、「堅甲龍亀」召喚で能力を底上げしたRehni Nam(
ja5283)が。
「アダム、行こうか」
「うんっ! クリフと一緒にがんばるからな!」
クリフとアダム(
jb2614)も翼を展開し、禿鷹へ狙いを定める。
「私は、まず豹を」
「面倒事もこれで最後だといいけどな」
雫と侑吾が黒豹へ。
「大丈夫、きっとうまく行くよっ」
ディアボロ四体を倒し、ファズラを投降させる。ともに難題と感じながらも、はくあは笑顔で努めて前向きに言った。
●
雫が駆け、黒豹の背後に回り込む。仕掛けるは飯綱落とし。だが敵を捕えようとした腕は空を切る。
しかし雫は動じない。
「話をしましょう」
ディアボロを警戒しつつ横目に軽トラを捉え、中のファズラに声を掛ける。
「ずいぶんと、余裕のあることよ」
「余裕がないから、あなたのことを早く知りたいんです」
雫は落ち着いた口調で応じた。
「穣二さんとも八津華さんとも、あなたの領地を狙う悪魔たちとも、トゥラハウスとも話をしました。けれどあなたとは、春の象と半球型の件でちらりと顔を合わせただけです。なぜ県庁防衛に参加しなかったのかも、正確なところは知らない」
歴戦の少女は、悪魔の少女へ言葉を掛ける。
「あなたのことを、教えてください」
「さて、行きますよ!」
雅人は鳳翔からアウルの矢を牛へ放つ。かつては苦戦した相手だが、今はそれなりに戦えるようになった。
「特に厄介な連中は封じたわけですし、一気に倒しましょう!」
牛の気を惹くように後退しつつ周囲を鼓舞したが、続く状況はそれを裏切る。
ただの不運か、連携などについてバタバタしていたのが尾を引いたか。
ハイエナが素早く三個の爆弾を出した。レフニーとミリオールの間。アダムの横。そしてはくあの横、下がった雅人をギリギリ範囲に収められるような位置に。
さらに続いて禿鷹が爆弾の範囲を避けながら降下しスリープミスト。アダムは抵抗できたが、クリフとミリオールと愛は眠りに落ちる。
「これは、やばいかな……!」
はくあは爆弾の範囲から逃れつつ、牛へ「赤狼霧」を撃つ。爆発前に全員が退避できるよう、誘爆役の注意を惹ければいいのだが……
クリフと愛が寝ている中、牛は雅人もはくあも無視して動き。
撃退士六人と爆弾の一個を範囲に収め石化ブレスを吐いた。誘爆を招き、三個の爆発が撃退士七人をのべ十二回襲う。
さらに黒豹が来て十字方向に電撃。ただしこれは精度が甘く、ほぼ全員がかわせた。
「みんな、生きてるかー?」
「爆発はかわせました」
「一発で半分は持っていかれましたよ」
「目覚ましにしては物騒すぎますワ!」
侑吾の呼びかけにレフニーと雅人、ミリオールが応じる。侑吾本人もマイナス突入。
問題は、返事ができない面々。アダムは気絶し、クリフと愛はまず石化したところに爆発を食らって、正視に耐えないことになっている。
「お二人さん、頼む!」
「あいよ」
重体のクリフと愛に、穣二と八津華が力を注ぐ。二人は傷が癒えて石化からも回復した。
「いくらでも使えるわけじゃないから、気をつけてね」
「ありがとうございます」
「マスモトさん、こちらへ」
侑吾は剣魂を使いつつ、レフニーの癒しの風の範囲内へ。愛とアダムとクリフとともに回復する。
当初の予定はずいぶん狂わされた。
「むふー、それでも、ここはこれが最善と信じますワ!」
ミリオールは前に出て銀の鍵。範囲内の味方の防御力を上げる。
●
雫は豹を追い、再度飯綱落とし。しかしまたもかわされる。
「おしゃべりしてる暇があるなら、味方の世話でもすればよかろうに。あのお節介な眼鏡のはぐれなぞ、酷いことになっておったぞ」
「ここまで来た仲間たちですから。簡単にどうこうなるとは心配してません」
「仲間、か」
ファズラの声が沈む。
「抵抗したって重ね撃ち!」
「来るならこっちへ!」
はくあの再度の赤狼霧が腐敗効果へ抵抗した牛をまた穿ち、そこに雅人も攻撃を連ねる。
愛は「八極拳」で戦闘態勢を整え、レフニーはハイエナへコメットを落とした。
各人が自身の担当した敵を攻める。
しかし、ディアボロ側がそれに従う理由はない。
コメットが効いたか、ハイエナは三個の爆弾すべてをレフニーが範囲に入るように置く。しかし他の撃退士も巻き込む形で。
黒豹の電撃がレフニーと侑吾を襲いつつ、爆弾を誘爆させた。
レフニーは爆弾も三発すべて、ミリオールは三発中二発、雫は三発中一発を食らう。一発だけ範囲に入っていた侑吾は巧みに回避したが、愛は食らった。
そして気絶から回復したばかりの天使は。
「アダム!」
ぎりぎり範囲外にいた、隣のクリフに引かれて安全圏へ逃れた。
「ヤツカさんの爆弾に比べれば、ですね」
電撃も含めて四連撃。だが銀の鍵や堅甲龍亀召喚の効果もあってレフニーを削りきれはしない。さすがに、体力半減は間近だが。
「味方まで巻き込むか」
侑吾の視線の先には、爆弾に巻き込まれて傷つく禿鷹。
しかしそいつは、地上へ降下するとクリフを襲う。
「く、くりふー!!」
クリフがかなりの傷を与えられ、その肉を食った禿鷹はたちまち全快した。
「おっと」
牛が雫を仲間たちから引き離す方向へ押し込もうとしたが、軽やかに回避。
「敵から生命を戴くのはわたしも得意ですワ!」
飛んでハイエナに「吸引黒星」を仕掛けたミリオールだが、これは外れる。
ここまで、ディアボロは四体とも健在。一方撃退士九人は六人が生命力半減以上。
最も危険なマンモスがいなくても、それに次ぐ白虎を封じても、獅子の指揮や蛇の幻覚がなくても、ファズラのディアボロはやはり強力だったということか。
穣二と八津華は力を使えば短時間ディアボロの動きを止めることもできるが、先ほどのように誰かが重体になったらと考えると迂闊に消費することもためらわれた。
「よくもクリフを!」
アダムが射掛けるが、禿鷹は回避。
が。
「地上に降りてりゃ、斬れるよな」
アダムの攻撃で生じた隙を逃さず、禿鷹を侑吾の大剣が斬り裂いた。
●
「連携を、意識しましょう!」
雅人が声を張り上げた。
「敵は分断できず、むしろ我々が我々を分断してしまっています。一体ずつ落としていくべきかと」
「賛成です」
雫は豹から意識を切り換え、目の前にいる手負いの牛に剣を抜く。
「出し惜しみする理由はありませんね」
放つ萬打羅が、一気に瀕死へ追い込む!
「続きますよ!」
雅人が牛にとどめを刺した。
雫は新たに爆弾を三個出したハイエナの近くへ、雅人は大きく前進して軽トラの近くへ。
「間違ってると思えば、改めればいいんです」
軽トラの前を横切りながら、雫は言う。
「冥魔の感覚では人を収穫するのが正しかった。でも、状況とあなた自身の変化によって、正しかったことも間違いに変わってしまったんです」
「……簡単に言う」
「まず一体!」
はくあが次に狙うは禿鷹。「螺旋白虹」の三連射が二発命中した。
「回復される前に、いけるか」
侑吾の斬撃も禿鷹をさらに削り。
「この戦いで死んだすべての群馬人の同胞よ、今、この不動明王の剣に宿れ」
進み出た愛の「心象結界闘神剣奉」が続く。
親族は悉く悪魔に殺された。虐待する親から逐電した矢先の出来事。
「怨嗟の恨み、この一戦ののちに昇華し、転生の輪を廻せ!」
舞い踊る剣が禿鷹を斬り刻み、息の根を止めた。
だが残る二体はともに範囲攻撃が得意。
豹が電撃を食らわせ、レフニーと愛、そしてはくあも今回初めて食らい「儚き聖盾」で傷を減らす。ただ、先ほどと同じ位置関係だったアダムは再びクリフに助けられる。
「もー! おれがクリフをまもるやくめなのにー!」
「ごめんごめん」
そして誘爆。レフニーとミリオールと雅人は一回ずつ巻き込まれ、雅人はマイナス突入。
「これはなかなか!」
「……おぬし、それだけの傷を負ってなぜ笑っていられる?」
ファズラが問う。
「失うもののない戦闘中毒というやつか? マゾか?」
「どちらでもないですよ。失うものは少ないですが」
雅人は語る。記憶喪失で学園に来たことを。
「あ、少ないからって疎かにしてるわけじゃないですよ! 学園で巡り合えた恋人や友人たちのために絶対死ねません」
「なら、なぜ……」
「楽しいからですよ。頼れる仲間とともにハッピーエンドを目指して困難に挑む。こんな楽しいこともなかなかないでしょう?」
「ますもとはだいじょうぶかな?(ちらっ」
「大丈夫だ、心配すんな」
侑吾は敵に向きつつもアダムに手をひらりと振る。
アダムは豹を射つつ移動、癒しの風の範囲に入り、クリフと侑吾と愛とともに回復。
「『仲間』という言葉、私はもう素直には使えなくなってしまいましたね……」
少し前の、九州での一件を思い出し、レフニーは誰にも聞こえないよう小さく呟いた。
「前々からお会いしたかったですワ!」
ハイエナへの吸引黒星はまた外したもののあまり気にせず、ミリオールもファズラと会話を始めた。
「穣二さんに初めてお会いしてからずっとファズラさんのことを敬愛してましたの! そのスタンスと才覚、素敵ですワ!」
「……ふぇ?」
●
「あなたが築き上げてきたものを産む過程で、確かに多くの血が流れました。だからと言って、無理に血を流し続ける必要はないはずです」
ハイエナへも萬打羅を叩き込みながら、雫が言った。
「これからは、血を必要としない新たな何かを築けば良いのではないですか?」
「ちょ、ちょっと待――」
「その通りですワ!」
ファズラの混乱状態へ当のミリオールが追い打ちをかけ、雅人もヒールで己を癒しながら続く。
「生き甲斐をなくしたのならば我々の生き様を観察とかどうですか? とんがった刺激的な生き方をしているのは保証しますよ」
「いや、なくしたと言うか、それを生き甲斐にしていていいのかという点が――」
会話しつつも戦闘は続く。豹が電撃を浴びせ、ミリオール、レフニー、侑吾が食らう。そして今度は――
「おれがいる! あんしんしろ!(どや」
クリフをアダムが、ボロボロになりながらも庇ってみせた。
愛の剣奉、クリフのファイアワークスは、ハイエナに回避される。
「雅人さんがおっしゃるように、そして穣二さんたちにも言いましたが……学園へ来ませんか?」
次にファズラを困惑させたのは、彼女の数少ない撃退士との直接接触で二度とも声を掛けてきたはぐれ悪魔。
「あなたは最後の義理を果たした。あの蛇たちは、もしかするとトゥラハウス本人より厄介だったかもしれません」
「世辞にしても大袈裟すぎる」
アバドンの補佐役が、弱いはずもなかろうに。
「魔界の価値観に殉じるのも生き方です。でも、あなたはそれに疑問を抱いてしまっている。昔の俺のように」
「…………」
「雫さんの言う通り、大切なのはこれからだと思うんです」
「……当ててから、物を言え。さっきから話しかけてくる者は外してばかりではないか」
返す言葉は、力ない。
ハイエナへはくあは照準を合わせた。彼女は会話を聞きながらも、自らは参加しない。
(同じ状況になったら、わたしも沈んでしまうはず)
ファズラの色々なことがわかったし気持ちが理解できる。だからこそ、よく知らない自分が良き言葉をかけられるとも思えなくて。
(その分周りの方々が思いを告げられるように!)
今日三度目の赤狼霧は今度も命中し、その装甲を薄くした。
レフニーの審判の鎖が、ハイエナを麻痺させる。
「どうにかなりそう、ではあるか」
侑吾の一撃がハイエナを沈めた。
「だと、いいのですけれど」
こちらが流れを掴んだように見える。しかし、最後の最後まで油断するわけにはいかない。
レフニーは、ディアボロやファズラたちだけでなく、「仲間」の動きにも目を凝らす。
「むずかしいことは分からないですが……わたしはファズラさんのこと好きですワっ! お話を聞いたらなおのことっ!」
ミリオールは上空へ。生命力はギリギリだし吸引黒星の方が望ましいが、射程の関係から「操空の第二腕」を豹へ。しかし今回も外れ。
「わたしも色んなところへ侵攻しましたワ! でもこの美しい星を知り、壊す形で侵攻なんてしちゃいけないと思い、堕天を選びましたの!」
「……力を失ったのか」
「また強くなる楽しみが得られたのですワ!」
軽やかに笑う。
「あなたが悩み惑うのは、それだけこの世界に心動かされているから。盲信していた常識を疑い苦悩する、そんな姿もまた美しく好ましいですワ」
●
「あなたは上司に裏切られ、友も仲間もいない」
黒豹に徹しをぶち込みながら、雫は身も蓋もないことを言う。ただしその声は、淡々としながらも突き放すものではない。
「それでも……あなたは一人ではないでしょう? 少なくともここに二人、あなたとともに歩んでくれる人たちがいる」
言われ、穣二と八津華に目が向いた。
「不興を買うのを覚悟で相手のために動く人なんてそうはいません」
雅人は外し、愛は三度の心象結界闘神剣奉で豹を斬る。
「まるでプロレスね♪ 自分の信念を賭けて闘うのが」
ファズラを見ながら愛は言う。
そしてクリフは上空からファイアワークス、豹を火花が包む。
「ファズラさん」
当たってよかったと内心安堵しつつ、呼びかける。
「俺はあなたに学園に来て欲しいとは言いましたが、もし不安なら、それでも来て欲しいなんて我儘は言いません」
「え?」
「俺もはぐれたばかりの時、不安になったことがありましたし……どうしても天使や悪魔を受け入れない人もいますからね」
話しながら、クリフは市へ侵入する際に一戦交えた撃退庁職員たちを思い出す。
気絶させ、唯一まともな職員である小笠原に預けたが……彼らは素直に帰るような手合いだろうか?
アダムが続く。
「学園は望めば誰も無暗に傷つけないで暮らすこともできるところだとおもう。でも、ファズラは……いろいろあったし、人間と顔を合わせて過ごすのはきついか……?」
言いながら放つ矢が豹を貫き、戦っていた最後のディアボロが地に伏した。
●
月夜の河川敷は静かになり、撃退士とヴァニタスはファズラを見ている。
しかしファズラは途方に暮れていた。
まず直接には、クリフの言葉。その道は間違っていると手を引かれたのに、道も何もない野原に放り出されたような気分。
より大きいのは、色々な方向から語りかけられたことによる困惑。
長く彼女を規定していた、冥魔の常識と死生観と義務感。まだそれは根を張っていて、投げかけられる意見に揺らぎながらも吹き飛ぶには至らない。
そしてまた、ほんのわずかな猜疑心。自分が今殺されずにいるのはディアボロの暴走という危険で桐生市の生き残りを人質に取っているからだ。ならばその危険が解消したら?
思考は千々に乱れてしまい。
俯いて、運転席で動けずにいる。
その時。
「シンプルに考えた方がいいと思うぞ。結局は、『君』が本当はどうしたいかだけだ」
仲間が話すのをそれまでじっと見聞きしていた侑吾が、口を開く。
その率直な言葉は、心にしみて。
「二人も、それを待ってるんじゃないか」
釣られるように顔を上げると。
「ファズラさん!」
八津華が叫ぶように言う。
「わたしは、殺したくないし、死にたくない!」
「俺もだ」
八津華の隣で穣二も肯く。
言葉にすると、それだけのことだった。
「あ、さっきはああ言いましたが……学園に来ないならサヨナラというわけではないですよ」
言葉足らずだったかと、クリフは言い足す。
「学園以外の場所でもファズラさんたちが暮らしやすいところはないかな……とか、豆腐屋さんを再びできたらいいなとか、そういうのも考えていてですね」
話すうち、ファズラの強張りが心なしかほどけていくように見えた。よかった。
「とにかくあなたたちがここで生きていきたいと強く望む場所を選ぶのが一番ですし、もし学園で新たな道を歩むなら全力でお手伝いします」
「あなたが罪を感じているのなら生きて償いなさい。一人では辛いなら助けを乞えば良い。ヴァニタスのお二人はもちろんでしょうけれど、私もできる限りの協力はしますから」
「この星には素敵なものがいっぱいありますの。退場にはまだ早いのですワっ!」
雫とミリオール、二人の言葉も重ねられ。
ファズラが軽トラのドアを開けて外に出た瞬間。
「ゲヒャヒャヒャヒャ! ようやく岩戸が開いたかよ!」
下卑た声と車のエンジン音が、夜空に響き渡った。
●
「殺せ殺せ! 天魔と仲良しごっこなんか許せるか!」
「撃退士の風上にも置けねえ腑抜けどもめ!」
「殺す殺す殺す……」
高速でこちらへ突進してくるバンから聞こえてくるものは、ファズラがかつて想像していた「撃退士の言葉」だった。
クリフや侑吾たちを今さら疑いはしない。それでも、敵を滅ぼすためには色々な手を打つのが戦いというものだ。彼らは味方に利用されただけで……
「え?」
今日何度目かの、間抜けな声を漏らす。
味方のはずのバンに、雫たち久遠ヶ原の撃退士は立ちはだかろうとしていた。
まるでファズラを守るように。
「ひっ!!」
小笠原が、運転ミスをした。派手にスピンしてファズラや学生どものやや手前で止まってしまう。
「使えねえ運転手だな!」
「ま、傷を治したのはお手柄さ。ほらご褒美だ!」
降車しながら、岸は小笠原の腹に剣を突き刺す。名誉の戦死ということにすれば遺族もさぞ喜ぶだろう。
そして六人全員が降り立った直後。
一同を銃弾の嵐が襲った。
バンの接近に気づいた瞬間、はくあはそちらへ駆け出した。あの愚かな声を聞けば、連中が回復したのはわかる。
スピンしてくれたのは幸いだった。あの猛スピードで近づかれたら、こちらが何も対処できないうちに奴らの攻撃がファズラに届いていたろう。悪魔とは言えファズラ自身はとても弱い。どうなっていたことか。
「二度目を与えたのはこっちのミス、かなぁ。今度は……」
殺しても構わないかな。
愛らしい顔を暗く翳らせ、バンから左右へ降りた直後の六人へ「冥姫の軍勢」! 誰も逃すことなく、アウルの弾丸を雨霰と撃ち込んだ。
「小笠原さん、負傷!」
弾幕に身を隠しながら、仲間に伝える。
「無粋な真似はよしとけっての」
珍しくも苛立ちを面に出し、侑吾は動く。全力跳躍で職員たちとファズラの間に入った。
「お守りしますワ!」
ミリオールが再度展開した銀の鍵。今回は、ファズラもその対象に。
手近な「仲間」たちに三度目の癒しの風を使いながら、レフニーは撃退庁職員のみならず「仲間」全員を視野に収めようとしていた。
「あなた方が迎撃すると後で面倒かもしれません。ここは我々だけで」
躊躇なく「神威」を発動させて、死霊あるいは魍魎のようなものを全身に漂わせる雫がファズラたちに告げた。
「あやつらは、仲間ではないのか?」
「冗談を。殺しに飢えたケダモノです」
「撃退庁職員御一同様にはいつも煮え湯を飲まされた上になぜか見下されてきましたからね。本気を出しますよ!」
雅人は奥義・闇渡りを使用。
「……撃退士の間にも、色々あるのだな」
クリフは敵のど真ん中に飛び込んだ。
「こんなくだらない割り込み、認めるものか」
放つは氷の夜想曲!
鬼道忍軍の蓑田以外全員を捉え、ディバインナイトの岸とアストラルヴァンガードの河本以外の三人を、これで一気に気絶へ追い込んだ。
その蓑田には、上空からアウルの矢が突き立って弱らせる。
「させないぞ!」
アダムが凛とした声で言った。
そこへ、愛が進み出る。
「お、お前、さっき聞いたぞ! 群馬の出身なんだろう?」
いきなりチームが半壊に追い込まれた岸が、もがく。
「その悪魔は故郷を滅ぼした奴らの一員だ! 殺すのが筋ってもんだろうが?」
「私がここに来たのは、故郷奪還のためだよ」
「なら!」
「滅んだ故郷を、さらに破壊しようとしてるのは――」
岸に詰め寄ると、「崩拳」をぶち込む! 岸は吹き飛び、気絶した。
「貴様らだと思うんだ」
悪魔に思うところはあるし、故郷への思いも複雑だ。しかしプロレスと出会いそれを志す少女にとって恨みは過去のもの。怨恨とは別に撃退士としてこの場に立っていた。
誰かが、息をついた。
雫が走る。勢いに乗せて河本に放つは萬打羅。カオスレート差もあって、圧倒的な力が殺戮狂を蹂躙する。
四肢の砕けた相手をさらに拘束、完全に無力化しながら言った。
「お前たちなんか、ファズラたちと比べる価値もない」
「日頃の恨みを込めて念入りにケツの穴を掘らせてもらいますね。撃退後に生きていたらの話ですが」
残った蓑田を雅人が追う。闇から闇を渡り、逃げたところへ先回り。
「逃げる相手を追って殺すのが好きなようですが、追われる気分はどうですか?」
「最悪に決まってるだろうが!」
「とりあえずてめーのその面、鏡で見てみろ」
侑吾が蓑田の前に立つ。敢えて攻撃を受け、カウンターで斬り倒した。
「痛みが足りませんでしたか?」
気絶から覚め始める撃退庁の連中に、はくあは酷薄な笑顔で対応する。最初の戦いを気絶で済ませたせいでこうなった。同じ轍を踏むわけにはいかない。
「どうお詫びすればいいか……」
レフニーに傷を癒してもらった小笠原に、雫が言った。
「なら、要求したいことがあります」
「あれが世間の反応なのだな」
「あれはあれで特殊ですから……」
クリフがフォローするがファズラの顔は暗い。
「わらわは何をされてもしかたないが、穣二と八津華は――」
侑吾は、ぐちぐち言い出したその口に持ってた金平糖を放り込んだ。びっくりした顔に言う。
「甘いものでも食べて落ち着けよ。豆腐の方が良かったか?」
「……豆腐の柔らかな食感に比べるといまいちぞよ。甘味は、悪くないが」
と、八津華が声を上げる。
「あーっ! さっきは飴持ってないって言ったのに!」
「飴じゃなくて金平糖だ」
「どっちでも同じでしょ! わたしにもちょうだい!」
レフニーの唇が、ほころぶ。
あの子を救えなかった過去が変わるわけではない。「仲間」への疑念は今後も心の奥底に冷たくこごり続けるのだろう。
でも、しんしんと冷えた冬の夜気の中、月の光に照らされて、救えた人たちと、救えたことを喜ぶ「仲間」たちを見ていると、いくばくか心が温かくなるような気がした。
●
「『武運拙く撃退士に包囲され、最早これまで。生き残りのディアボロを送還しますので、お役立てくださいますよう』……こんなもんでよかろ。危急存亡の最中に凝った長文でも不自然ゆえな」
走り書きを記した紙片を、ファズラは獅子にくわえさせた。
ファズラのゲートに、一同はいた。
桐生市解放に際して、当然ディアボロを処理せねば始まらない。殺処分を最初は考えていたのだが。
「ちょっともったいないような」
クリフのそんな呟きをファズラが聞き取り、少し妙なことになったのである。
「送り返したら、ディアボロとの接続を断つ。わらわの戦死はまず疑われまい」
桐生市全域のディアボロが、わらわらと集まってくる。どれほどの数になることか。
「というわけで、うぬの浅知恵は実現せぬぞ」
穣二に言った。
「うぬは豆腐作りが一番向いておる。陰のある使い捨ての駒など似合いはせん」
「へえへえ」
「これがみんな送られた後で暴走状態になるって……魔界へのテロになりませんかね?」
「…………これしき、余裕で制圧・再利用するであろ」
雅人の疑問にファズラもしばし返答をためらい。
「仮になったとして、それがどうした? あちらの常識では、力弱い方が悪い」
開き直るように、笑った。
「あ、弱くなった」
すべてのディアボロを送り終えてファズラが接続を断ち、ゲートが破壊された直後。
桐生市を出る撃退庁の大型車両の中で、八津華が言った。
その右腕はファズラが最後に調整し、ごく普通の見た目になっている。人間離れした力も消えた今、彼女は人間でないことを除けばただの少女に過ぎなかった。
その隣で、穣二はレースのカーテン越しに流れ行く桐生市の光景を眺めている。
雫らが今回の不始末を元に交渉したことで、ファズラたちの保護を撃退庁にも認めさせていた。穣二や八津華の身の振り方についても、クリフやミリオールが学園に掛け合っている。
このひっそりとした帰還もその一環で、ファズラを憎む住民は多いだろうと判断してのもの。はくあたちはどんな敵対行動にも即応できるようまだ警戒している。
「調子はどうですかー?」
ミリオールが、ファズラへ能天気な笑顔を向けてきた。
「元から弱かったので、よくわからぬ」
なぜ彼女がこんなに好いてくれるのかも、ファズラにはよくわからない。
と、ミリオールはファズラの隣に座って言った。
「今度はわたしと一緒に皆が笑って受け入れてくれるような、楽しく素敵な地球征服を目指しましょ?」
「へ?」
かつて力ある天魔だったというのも肯ける、包み込むような笑顔で、ミリオールはどこか不穏な提案をする。
「そのとても素敵な力と心……ぜひともに歩んで欲しいですの」
「え? え?」
「最初はうまくいかなくても、また小さな領地から積み上げていけば良いのですワ! そしていずれは八津華さんの力も回復! 今度こそ彼女に勝ってみせますの!」
どんな「征服」をイメージしているのかはわからない。しかしその熱量に押され、ファズラの中で何かが動き出す。
もし、人を殺さずにエネルギーを得る術を編み出したら?
もし、死体なんか使わなくてもディアボロを作れるようになったら?
悪魔が人を殺す理由を失くすことができるなら……
これまでとは比較にならない技術的な困難が、簡単に予想できる。
それでも、ただ贖罪の祈りをするよりは、自分に向いているように思えた。
●
時は流れ二〇一七年、クリフは桐生市で写真を撮っていた。
傷跡は残り、それでも、人が多く生き残ったことで復興は順調に進んでいる街。
久遠ヶ原で研究職に就いたファズラだが、三年以上経った今も、人前にはなかなか出ない。
そんな彼女が桐生市の光景を見たいと思うかはわからない。
でも、いずれそう思えるようになったらいいな、そんなことを考えて、クリフは桐生市へ行くたびに記録をしている。
「クリフー」
いちごみるくを飲みながらアダムがやって来る。そろそろ帰る時間だ。
「今夜は穣二さんのところへ行こうか」
「うん!」
久遠ヶ原の片隅にある山下豆腐店はなかなかおいしい豆腐屋として地味に好評を博していた。その利益の大部分を桐生市や群馬県の人たちに届くよう寄付していることは、あまり知られていない。
夜は隣の店舗で豆腐料理などを提供している。常連監修のおでんも人気メニューだ。
侑吾や雫やミリオール、あの時の仲間たちにも声を掛けよう。
きっとその輪の中には、豆腐好きな悪魔の少女も加わるはずだ。