●北風と太陽
鉄パイプがぎしりと鳴った。
野襖 信男(
jb8776)は腕を組んだまま何も言わない。
無味乾燥なスチールデスクを挟んで向かいのはTシャツ短パンの天使タナ(jz0212)。かつては大技の10や20を打ち込まれても死にはしなかったが、天界からのエネルギー供給を絶たれた今は実戦経験皆無の堕天使より弱い。
鼻歌を歌えていたのは最初の十数分だけだ。
信男は静かだ。
服の上からでも分かる分厚い胸板は髪の毛一筋分も動かない。
緊張に耐えかねたタナの額に、じっとりと粘りけのある汗が浮かんだ。
「そのアニメ、好きなのか?」
Tシャツの刺繍に目を向ける。
タナは一瞬に満たない間混乱し、即座に精神を立て直し満面の笑みをつくる。
「もっちろんです!」
「そうか」
天使が続けるつもりだった賑やかで中身のない解説は、平坦な声に機先を制せられ潰される。
「ここに居ると、見れないな」
単に事実を指摘する口調で言って黙り込む。
天使としては平凡な顔に汗が流れ、無駄に美麗な刺繍に複数の染みが出来る。外部に通じる唯一のドアからノックが響いたとき、タナは無意識に安堵のため息をついてしまっていた。
「昼ご飯だよー」
軽い口調と足取りで現れたのは五辻 虎々(
ja2214)。体重は信男の半分もないが明るさと華やかさは倍以上だ。
「おー」
若者のお洒落を初めて見て驚くタナ。
「うわぁ」
全力で駄目人間もとい駄天使であることを主張するタナのファッションに気づき表情を引きつらせる虎々。
信男は表情を変えず計算する。
これまでタナに精神的圧力を加え続けた。鞭役……悪い警官役はこれで十分だろう。虎々から熱々のどんぶりを受け取り、信男は悠然とカツ丼を食べ始める。
「ごくり」
わざわざ擬音を口にしてから生唾を飲み込む。
そんなタナに呆れと興味の籠もった視線を向け、虎々はいくつもの情報を拾い上げる。たとえばTシャツにポテチのかすがついているとか、髪がふわふわして柔らかそうだとか、カツ丼じゃない甘いかおりが漂ってくるとか。
「あー……そう言えば」
こほんと咳払い。頬が熱くなるのを気のせいにしてタナに語りかける。
「なんか、ゲームとか、してんの……?」
声がうわずらなかったことに深く満足する。良い意味で女の子慣れしていないので、虎々は正直てんぱっていた。
「課金用の金なら差し入れて良い、って聞いたから、なんか面白いのとかねぇかなって。俺も結構ゲームとか好きだし、ソシャゲ系なら招待して貰えると、ほら」
ごまかすような早口だ。
対するタナには虎々の焦り具合を馬鹿にする気配はなく、逆にようやく安堵したような雰囲気があった。
「けーう゛ぃーは基本だよね」
ぐっと親指を立てる。
「それ知ってるよ。俺もアカウントを……」
撃退士と天使の会話は一見とてもほほえましい。
「200歳っ?」
信男の鞭がよく効いたからこそ天使の口は軽くなり、自分の年齢で登録できないなどと言って情報を漏らしてしまう。
信男は目立たぬよう気配を抑え、久遠ヶ原に提出するための報告書を書き始めるのだった。
●とらうま
「はふう」
行儀悪くカフェの机の上に胸を乗せる。
残念ながら変形するほどのふくらみはなく色気も行方不明だ。
「外出許可が出て良かったね」
ウェイトレスに飲み物を注文しにこやかに微笑むのは鈴木悠司(
ja0226)。
無表情の上に貼り付けた友好的な笑顔なのだけれど、タナはそれに気付けるほど頭がよろしくない。
「逃亡許可を出してくれてもいいのにー」
「あはは、さすがにそれは無理だよ」
何度も顔をあわせたことがあるせいか、2人の間で会話が弾んでいた。
天使は情報をもらするもりはなく、悠司もこの場で尋問らしい尋問をするつもりはない。
「やっぱり課金アイテムあると欲しくなるしねぇ」
タナが超高速でうなずく。
「天使がサーバント作るみたいに、自分からアイテムとか作り出せると良いんだけどね。サーバント創るのって、難しいのかな? どんな風に作るんだろ」
「支給された材料にエネルギー注いで」
視線が悠司から離れていく。
「こねこねして創るだけなら多分簡単じゃないかな」
ウェイトレスが運んできたのは、アニメの名場面を再現したカフェラテだ。
「具体的にはどんな感じ?」
「んー、中身を弄りまくった黒球タイプとか他のひとののコピーとか、後人間モデ……あっ」
はっとしてタナが両手で自分の口を覆う。口を滑らせかけたことに気付いたからだ。
悠司はわざと軽く残念とつぶやきカップに口をつけた。
からころと鐘が鳴る。カフェの入り口から一定のリズムで足音が近づいてくる。客である女子学園生の甘いため息がいくつも重なり、興味を抱いたタナが行儀悪く身を乗り出した。
「久しぶりだね、タナ」
制服を英国紳士風に着こなしファング・CEフィールド(
ja7828)が微笑む。
「相席いいかな?」
「ぴぃっ」
天使の翼が広がる。
本人の性格とは無関係に白い翼は高速で上下してタナを運ぶ。具体的には悠司の背中へ。
「オレは君を悪い天使にはどうしても思えなくてね」
淡く頬を染めたウェイトレスに注文し、タナが直前までいた席の隣に腰を下ろす。
「前回の事を君に謝りたくてね、すまない」
真摯に頭を下げる。
タナの翼は縮こまり、悠司の背中に押し当てられた手は小刻みに震えていた。
「君を捕まえる為だったとはいえ、婦女子を蹴り込む等紳士のする事ではなかった」
戦場では決して躊躇わない。弁解するつもりもない。
しかし戦場の外では紳士として筋を通す。そのためなら頭を下げることなどなんでもなかった。
「いや、もちろんサーヴァントを創造されるのは十分腹立たしいのだけれど。そんな事はどの天使だって、本人にとって正しい事だと信じていたのだから」
他者の誇りは尊重する。ただし。
「それが人類を追い詰め、今に至るのなら――――オレは牙を剥く。人類は決して、大人しく死の闇に消えたりはしない、戦わずして死にはしない」
威嚇ではない。宣言でもない。ただの事実を指摘する言葉であった。
タナの分の甘味を注文して、ウェイトレスが運んできた紅茶を飲み終え立ち上がる。
「次ぎ会えるときに、貴女が久遠ヶ原の生徒になってることを祈っています」
羨望の視線と切ないため息を背に受け去っていく。今日のうちに、タナの待遇改善のため動くつもりだった。
●悪意無き罪
牢屋の隅っこで両膝を抱えるタナ。平坦な腹から元気な音が響いた。
「あー、いつの間にか捕まってたんだね、タナ」
夢前 白布(
jb1392)が開けっ放しのドアをノックする。ノックするのとは逆の手には紙の包みがあって、焼きたてのパンの香りが漂ってくる。
「ゲートと接続切れたら、おなか空くんじゃないかな? あ、自白剤みたいなのは入れてないから大丈夫だよ」
跪き、タナと目の高さをあわせる。
袋を開いて見せられ、タナは意地を張ることなく素直に中のサンドイッチを受け取った。
匂いを嗅ぎもせずかじり付き良く噛んで飲み込む。
「他の人は分からないけれど、僕は君をどうこうしようとかは考えてない」
飲み物を渡してやる。
「僕の目的はただ、君と友達になりたい。始めて出会ったときから、それだけだ」
真っ直ぐな視線はタナの不純な瞳を貫き心に届く。
「う、うん……」
タナは、牛乳瓶を両手で抱えもじもじする。
「どうしたの?」
「あの、天使対人間って殺し殺されがデフォだし正直罪悪感ないんだけど」
どうやらこれがタナの本音らしい。色々言いたいことはあるけれども、白布は無言でタナに先を促した。
「真正面からこられるとなんだかとっても、えーっとその」
甘酸っぱい雰囲気ではない。まるで、初めて出会った対等な存在に戸惑っているように見えた。
後一歩踏み込めば落とせる可能性がある。でも白布は今踏み込もうとは思わなかった。
「また会いに来るよ」
情報を引き出すだけならこのペースで十分だ。焦るつもりはない。
「だから頑張ってね」
戸惑うタナは、己の天敵が近づいて来ているのに気づけていなかった。
数時間後。
ハル(
jb9524)による尋問あるいはカウンセリングが始まった。
「動く絵と音で場面を表現して、物語が……」
いっしょーけんめーに作品の紹介、というよりアニメのすばらしさを布教しようとする。
「それが、漫画? アニメ?」
静かすぎる赤の瞳がタナを映す。
「それは、何?」
仮にハルがジャンルや個々のコンテンツを否定するつもりならいくらでも反論できた。
しかし現実は違う。
ハルはタナとは違いすぎて、タナの能力では伝えられないのだ。
「もっと……分かり易い物、がいい。例えば、天使が好き、とか、人間が好き、とか、悪魔が好き、とか」
ひょっとしたら単なる好き嫌いじゃなくて哲学的なことを聞かれているんじゃぁ……と考えたタナの頭が茹だって目が回る。
「どの種族が一番、好き?」
ハルは人間離れして白く、天使でも悪魔でもない高次の存在にすら見える。
「好きな個人はいても種族はないかなー」
意識して考えずに答える。最初に会った大柄なひと(信男)とは別の意味で怖い。正面から受け止めたら腹のうちから心の奥底まで引きずり出されてしまいそうな、そんな恐ろしさがあった。
「ふーん……そうやって作る、んだ」
いつの間にか、サーバントの具体的な創り方まで引き出されていた。
「タナ、は……天使のエライ人、なの?」
「ないない。下っ端下っ端」
実は凄腕だとか誰にも負けない一芸がある、なんてタナ大好きな展開はあり得ない。
「じゃあ、そのサーバントにも、意味が合って……作った、んだね」
無意識にうなずこうとした自分に気付き、タナは慌てて首を振る。
「ハルは……難しいこと、分からない。けど、タナは色んなこと、知ってる」
邪心無き瞳がタナに己の偏りを否応なく自覚させる。
「ねぇ。そのサーバントは……何処へ、行ったの?」
知らないと答える声は、無様に歪んでいた。
日付が変わる。
ハルとの会話から半日はたっているのに、タナは全く回復できていなかった。
人目を避けて月丘 結希(
jb1914)が訪れたときも、毛布にくるまってか細い呼吸を繰り返していた。
「生きてる?」
「精神的に死にかけてるー」
うへへとわざとらしく笑っても力が出ない。不出来なサーバントの方が生命力に溢れているだろう。
「ねえ」
無造作に一歩を踏み出しタナを見下ろす。
「あんたも捕まって大変だと思うんだけどさ、サーバントの作り方教えてくんない?」
天使は答えず、表情を変えず、瞳だけを動かして周囲を探った。……結希以外に誰もいない。
「応用するだけで文明が格段に進歩するってのに、倫理上の問題だか何だか知んないけど、研究自体禁止されてんのよね」
「倫理に喧嘩売ったら組織じゃなく社会が喧嘩買ってくれるよぅ」
「利益と建前があれば許容されるわ。違う?」
華やかに笑うが瞳は冷たい。
光纏が展開され、中空に現れた画面が結希の美貌を不吉に照らす。
軍事、産業、技術。あらゆる分野で使える。否、そういう名目で研究し己の知識欲を満たせると結希は確信していた。
「悪魔の誘いは止めてよぅ」
タナがはふうとため息をつく。
「私隠し事下手だし政治出来ないし、欲かいたら何も得られず破滅するだけだもん」
「そ」
素っ気なく答えて思考を切り替える。
「どうやって作るの」
「支給された材料にエネルギー入れてこねこね」
「人間の死体を入れずに創る方法は」
「専門じゃないから分かんない」
「あんた使えないわね。1つも役に立つ情報ないじゃない」
「下っ端天使な職人に期待しすぎだってば」
嘘、ではないだろう。
「邪魔したわね」
去っていく結希も、あくびをするタナも、罪悪感0だった。
●情報ゲット
連日硬軟おり交ぜて迫られ、タナは消耗すると同時に強い警戒感を抱く。
「こんにちわっ」
ルミニア・ピサレット(
jb3170)が訪問したのは丁度そんなときだった。
2人分のハンバーガーセットの匂いが漂ってきても耐えられる。日曜朝のアニメのヒロインフィギュアを見せられても耐える。
「んー」
ルミニアは強い拒絶を感じ取っても退かない。仲良くなりたいなっという感情で瞳をひきらきらさせつつ、厳かと表現してもよい手つきでフィギュアのスカートをめくった。
「下着のしわまでっ。ううん厳密には捏造設定だけどこの服装でシマシマはキャラ的に有り」
くわっと目を開きルミニアを見上げる。無駄に高度な技術で刺繍されたTシャツの少女とフィギュアは微笑みあっているようにも見えた。
「お姉様、それアイちゃんなのですね!」
「イエース!」
ちっちゃな手と職人の上でがっちり握手する。
数十分後。天使と堕天使は背中合わせの体勢でスマフォを弄っていた。
「お姉様は器用だしサーバントとか作ってたですよね?」
「創ってたけど上からの注文とか多く手ねー」
ゲームに熱中しているせいで情報がダダ漏れだ。厳しく攻められた後で同好の士に出会ったことでもともと緩い警戒心が完全に消え去っている。すべてルミニアの狙い通りだ。
「上手だからですよ。どんな人が欲しがったですかー?」
「なんか人間の領域で工作してるっぽいひとから注文があったよーな。使徒化人間の偽物っぽかったよ」
これが警察の知りたかった情報だ。その日ルミニアが報告してすぐ、深夜にも関わらず本格的な尋問が始まった。
「ふ、不当な、要求には」
不規則な呼吸をしながら、精一杯の虚勢で拒絶する。
「そうですか」
雫(
ja1894)は残念そうな気配もなくリモコンを操作。するとOP開始から5分のアニメが終了5分前までスキップされた。
「ちょっ!?」
直前まで主人公と激烈に対立していた美形がデレている。
「展開だけ教えるのはんたーいっ!」
かつてない大泣きである。
「言う気になりましたか?」
雫が東北地方の地図を掲げる。タナがぽろっと漏らした情報をもとに、最近久遠ヶ原に亡命した元天使に監修させた戦力配置図だ。タナがもらした情報は最新の地図には1つも残っていない。
「だからもう全部言ったってば」
次話へスキップ。今度は因縁の対決で大活劇らしい。
「言ったよ? 言ったから……」
5分後にまたスキップ。切ない音楽と戦場跡が映し出されてエンディングロールが流れていく。
「くすん。言ったもん」
タナは、パイプ椅子の上で膝を抱えて暗い瞳でアニメをみつめている。
雫は無言で天使を観察する。技術があっても知性は低く、巧妙な演技などしようと思っても出来ないタイプだ。だから、天使の戦力配備状況に関して嘘は言っていないはず。これ以上聞いても正確な情報は得られないだろう。
「良いでしょう」
淡く微笑む。
「あなたが手がけたサーバントの顔を一枚書く度に」
捕縛後放映されたアニメの録画DVDを机に並べる。
「スキップせずに見せて上げましょう」
タナに抵抗する気力は残っていなかった。