大規模施設は、民間撃退士によって厳重な警備がされていた。
降りているシャッターは分厚く威圧的で、施設内に潜む天魔との激闘を予感させる。
「えい」
蓮華 ひむろ(
ja5412)が操作盤に触れる。
鈍い音を立てながらシャッターが上がっていき、締め切られていた会場が数日ぶりに姿を現した。
アスハ・ロットハール(
ja8432)は、何かに押されるようにして一歩だけ後退する。
高位の天魔を前にしたとしても一歩も退かないだろう彼は、数日経っても籠もったままの人の欲望に触れ、恐れはしないがうんざりしてしまった。
「帰っていいか?」
彼の横を通り抜け、ひむろがカートを押しながら中に入っていく。
カートの上には複数の段ボール箱。
どうやら中にみっちりと同人誌が詰まっているようで、カートは非常に重々しい音を奏でている。
「帰るのは仕事を終わらせてからだぜ?」
病院坂陽兎(
jb5057)が軽い口調で笑いかける。
大学部の男子学園生としては低めの背だが、小さい印象はない。
背中は美しく伸び、小袖と狩衣を小粋に着こなしている。
鍛え抜かれた体を戦闘用装備で固めたアスハとは正反対の格好だが、両者は非常に、特定の趣味を持つ者でなくても感心してしまうほど似合っていた。
「どうぞそのままで」
いつの間にか停止して振り返っていたひむろが、2人を凝視したまま手元のメモ帳に何かを書き込んでいる。
陽兎は悠然とポーズをとったりなんかしているけれど、アスハは自身の尊厳が危機に瀕している気がしていた。
「さぁて、かる〜く始めるとするかな」
「押すなよヨウト」
陽気で飄々とした赤目和装少年に、暗い過去と情熱をうちに秘めた赤毛の戦士。
浪漫がとてもよく刺激されてしまう組み合わせであった。
●一般人
ぱら。
ぱらり。
数十の長机によって形作られた売り場。
そこに並ぶ百数十類の薄い本の見本に、陽兎が高速で目を通していく。
技術の巧拙は様々で込められた想いの方向性も多種多様。
しかし籠もった想いの強さと美少年美青年美中年の裸のからみという内容だけは共通していた。
「要するに、趣味とストレスと実益の発散場、だ」
真面目に天魔の襲撃を警戒しながらアスハが説明する。
陽兎は鼻歌でも歌い始めそうなほど上機嫌に、新たな見本を手に取っていた。
その表紙に自分そっくりのキャラクターが描かれていることに気づいて、赤毛の青年は疲れ果てた息を吐く。
「帰って、いいか、な?」
無二の女に出会う前の擦り切れた瞳に戻りつつあるアスハであった。
「ああ、ごめんごめん」
けらけらと笑いながら形だけ謝り、一部拝借して歩き出す。
アスハがついてくるのを足音で確認してから、陽兎が実に楽しげに語り始める。
「最初は同性愛者向けのエロ漫画だと思ってたけど違うんだね」
金色の瞳がやめてと主張している気がするけど無視。
「女性の代わりに美形の男を描いているのが多いね。複数のジャンルに分けることもできそうだけど」
アスハの精神の消耗が激しいことに気づき、悪戯っぽく微笑んでから薄い本を閉じる。
寝具の上に呆然と横たわる自分似の青年が背表紙に描かれていることに気づき、アスハは無言で天を仰いだ。
●変身美少女?
「お待たせ!」
清楚と活発さを兼ね備えた少女(御手洗 紘人(
ja2549))が、露出度の低いドレスを着て会場に現れる。
「民間撃退士さんから色々聞いてきたよ」
正確にはシンパシーで方法を引き出したのだ。
「サーバントの特徴は…」
弱い。
とにかく弱い。
この少女ならV兵器無しでも倒せるんじゃないかなというレベルだ。
「さすがですチェリーさん」
敵の情報は最も重要なものの1つだ。
長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)はチェリーの仕事に感服し、つい余計な質問をしてしまった。
「即売会のマナーついて教えて欲しいのです」
依頼遂行のための情報収集であり他意はない。
「OK! 手取足取り教えちゃうから、覚悟してね」
女性でも魅了されかねない笑みを浮かべて、チェリーは有ること無いこと吹き込んでいく。
走らない大声を出さないという、施設の持ち主や主催者、他の参加者に迷惑をかけないための基本。
買い方や売り方まで含めた応用。
作り手やレイヤーから立身出世なシンデレラストリーという斜め上。
「なるほど。初めて知ることばかりで実に興味深いです」
うなずくと、艶のある金髪がさらりと揺れた。
歴史の古い家の出身らしく、足先から頭のてっぺんまで1つ1つの動きが優雅だ。
撃退士としての修練も万全に積んでいるらしく、体重移動が非常に滑らかで、即座に戦闘を開始できる動きに見えた。
「あれ? みずほちゃんレイヤーじゃなかったの?」
「何のことですか」
軽く目を見開く。
美形な彼女がそんな表情をすると、年相応の可愛らしさが強調される。
「流行りのアニメのコスプレだと思ってた」
視線で島の1つを示す。
金髪ストレートロングでブレザー風衣装の、みずほを二次元化して男の欲望多めに脚色した少女が、何百冊もの薄い本の表紙を飾っていた。
「予想外ですわね」
興味は惹かれたようで、予定していた行動を微修正することにしたようだ。
「さっさと終わらせてお茶にいたしましょう」
油断はせず、しかし天魔には油断に見えるよう、商品見本を確認しながらみずほ似の魔法少女に近づいていく。
「わたくしに似たキャラですか……」
その薄い本には、R18の表示はなかった。
中身は全てのコマにへそチラ、ぱんチラ、むねチラがある、そーゆー趣味の持ち主にはたまらない逸品だった。
話はコメディ調エロ。もういっそ成人指定にしろよと言いたくなる内容ではあるが、危ない箇所の描写はぎりぎりで避けていて、しかし素っ裸より劣情をそそるものに仕上がっている。
「こ、この」
白い肌が桜色に染まる。
なお、みずほを冥府魔道に近づけたチェリーは、BL島で漫才風やりとりをするアスハと陽兎に魅入っている。
「このような不埒なものが」
我を忘れて絶叫する。
実に分かり易い隙を見逃すことなく、ついにサーバントが動く。
みずほ似の魔法少女が薄い本ごと立ち上がり、鋭い刃に変えた腕を表紙からみずほの背中に伸ばそうとした。
「ふふ不埒ですっ」
極度の混乱状態でも、積み重ねた修練は彼女を裏切らなかった。
アウルを勢いよく放出して数歩分移動しつつ方向転換。
サーバントは派手に空振りして体勢を崩し、みずほの照れ隠しのパンチを横からぶつけられ砕かれる。
「あ」
事切れたサーバントが裏返ると、近くの薄い本からコピーした内容が表に出る。
みずほ似の魔法少女が、ちょっと誌面に載せられない感じのあれこれをされてた。
安全装置が自動的に作動して、みずほの意識を落とすのだった。
「絶対魔法美少女プリティ☆チェリー♪」
虹色の光の筋が回転しながら天井に登り、一番上で破裂して桜吹雪になる。
チェリーは魔法少女風の衣装のまま、倒れかかるみずほを優しく支え、満面の笑みを浮かべて高らかに宣言する。
「れっつ☆じぇのさーいっどっ」
極彩色のアウル光が、惨劇を可愛らしく演出していた。
●深淵へと続く道
「きゃ〜、コピ本製本してたら大遅刻ゥ委託先のサークルさん怒ってるよね」
ごろごろと大重量のカートを引きずりながら、ひむろが空きスペースに侵入する。
商品を降ろして梱包を解いて美しく並べる様は、匠の技に通じる熟練がある。
中等部1年蓮華ひむろ。
既に深淵に踏み込んだ、勇者の1人である。
「ふーん」
緋野 慎(
ja8541)は並べられた薄くない本を眺め、不思議そうに首をかしげる。
所々に男児の特徴がある女の子……に見えるのと、性格悪そうだけど徹底はできなそうなちょっと年上の男の組み合わせ。
全身鍛え抜かれた筋肉のおっちゃんが追い詰められている場面。
なよなよした男と筋肉だるまの集団の……笑顔のスクワット。
「ぜんぜんわからない」
「えー」
毛嫌いされた方がましだったかもしれない。
新刊と既刊の全てに無関心という反応をされるのは、作り手としてダメージが大きかった。
「ひょっとしてああいうのが好みですか? 最近の売れ筋は……」
みずほ似の肉弾系魔法少女について客観的な説明をしていく。趣味的視点を排した娯楽作品としての評価で、慎も良い作品なのだろうとは思うのだけど、どうにも惹かれない。
慎は体を動かし新たな知識を得るのが楽しくてたまらない年頃なのだ。
「あっちで探してくるよ。見つけたら教えられた番号にかけるな」
自分のスマホを示してから、慎はより肌色の少ない本を目指して動き出す。
途中でサーバントかどうか本を開いて確かめていったけれど、全くそれらしき反応が無い。
会場の反対側からみずほ達の声が聞こえてきたりもした。
が、すぐに決着がついてしまったため援軍にも向かえなかった。
「おっ」
慎の足が止まる。
「おおー」
視線の先には薄い本はない。
一度TVで見たことはあるロボットと、特撮戦隊の人形が展示されていた。
ロボットは設定の1/100スケールで、関節部分や装甲の端が、撃退士の視力でようやく見分けられるほど細かく作られている。
特撮人形はロボットに比べれば細部の造詣は甘いものの、体の動きは計算し尽くされている。スーツアクターの個性まで完璧に表現されていて今にも動き出しそうだ。
「非売品か」
値札がついていたら高くても買っていたかもしれない。
慎は近くで凝視するために一歩を踏みだし、人形の背後でうごめく薄い本に気づいた。
「させるかっ!」
跳躍して展示台を飛び越え、慎は己を盾にして人形を守るのだった。
●肌色世界
生気と力に満ちた一対の角が、麗しい銀の髪から顔を出している。
中等部女子としては小柄な体を包むのは、高い技術で丁寧に作られた、フリルやレースのあしらわれた黒系統の衣装。
同人ショップや即売会にいて違和感がない姿にも見える。が、少々存在感がありすぎるというか、天魔らしさか滲み出てしまっていた。
「天魔が狙うのも頷けるのお」
本来の参加者はこの場にいない。
残っているのは商品や描きかけのスケッチブック程度だ。
だが、商品ひとつひとつ、作品一つ一つに情念が籠もっているのがはっきりと感じられた。
「これがそくばいかいですか」
桜庭 ひなみ(
jb2471)は薄い本を拾おうとして、ひゃっと可愛らしい声をあげてスカートを抑える。
サーバントの襲撃を誘うために即売会関係者から借りてきた魔法少女装束は、肌の露出は少ないが極端にスカートが短かかった。
「どうした。似合っておるぞ」
堂々と薄い胸を張り、本心からひなみを褒める。
「あ、ありがとうござ……」
会場に来る途中で陽兎に褒めちぎられたことを思い出し、ひなみは赤面して俯いてしまう。
「うむ」
イオ(
jb2517)は重々しくうなずき、きょろきょろと周囲を見回し始める。
「即売会とは、人の妄想や欲望が渦巻く魔窟と聞いたのじゃ。しかし、どのあたりが魔窟なんじゃろうな?」
「ふつうっぽいですよね?」
元気少女が表紙の薄い本が長机に延々と並べられている。
男性向けの直接的な色気の表現はなく、見た目小等部の2人の目には、普通の漫画のように見えていた。
この即売会ではある程度分かり難い場所にR18表示をすることが許されていたため、幸か不幸か2人とも気づいていない。
「お、ひなみ。ひなみの衣装と同じ娘が表紙の本があるぞよ」
イオは最も大量に用意されていた、最も目を惹きつける出来の薄い本を手に取り、開いてしまった。
「ぎょわ〜〜!?」
ひなみの目に触れないよう高速で閉じて、机の上に叩きつける。
手をどけると、長机に小さな手のひらの凹みができていた。
「イオさん」
外見だけなら市販の女児向け玩具と区別のつけづらいV兵器を薄い本に向ける。
「い、いや気にするな。天魔ではないぞよ」
驚きのあまり展開してしまった片翼を戻しながら、魔法少女本をひなみから隠そうとしているようだった。
ひなみの大きな瞳に疑問が浮かぶ。
事情の説明を求めているようだが、イオは何も言えない。
元キャラクターよりひなみに近い少女(薄い本の作中では成人です)が夜の運動会を頑張る姿を思い出してしまう。頭を振って忘れようとしても、頭から消えてくれない。
不審に思ったひなみが薄い本手を伸ばすのを体を張って遮り、ひなみの顔を見るたびに汁多めの光景が脳裏に蘇る。
「へんなイオさん」
マジカルステッキを振り下ろす。
混乱中のイオの背後から忍び寄ってきていた本型サーバントに命中し、鈍い音を立てた。
●排除完了
「うわーん助けてー!」
全長1メートル強にまで巨大化した薄い本が、慎の下半身を包み込んでいる。
人形達は無事だ。
しかしサーバントの注意を惹きつけるために派手に動き回った結果、それまで潜んでいた薄い本達が目覚めて慎に止めを刺すため動き始めていた。
なお、慎の受けたダメージはかすり傷程度である。
「危ない」
アスハは棒読みで言ってから引き金を引く。
銃口からはき出されたアウルの弾丸は、本型サーバントを薄紙を裂くように葬り去り、ついでに近くにあったBL本の群れにも止めを刺していく。
施設にも長机にも被害が出ていないあたり、何を目的とした攻撃か非常に分かり易い。
「ん、分かった分かった」
こんな状況でも平然と同人誌を読んでいた陽兎が一歩前に出ると、寸前まで陽兎がいた場所に弾痕が刻まれる。
「後何匹かな」
陽兎が弾痕を蹴りつけると、床と同色のサーバントがぱたりと転がる。
「後1つ……0です」
スマホ越しのひむろの声と重なるように、アウルの弾丸が宙を裂く音が聞こえた。
慎を離して商品の中に潜もうとしたサーバントが、ひむろの銃弾に射貫かれ。その特徴的すぎる生を終えるのだった。
●防衛成功
「いちどしかたたかえなかったね」
ひなみの顔には微量の申し訳なさと、イオと心ゆくまで遊んだことによる満足感があった。
少しだけ赤くなっているのは、激しいぱんちら本を目にしてしまったからである。
「うむ」
イオは上の空だ。
ひなみ主演エロ漫画にしかみえないブツを隠し、あるいは抹消するため、すさまじい気苦労を強いられたのだ。
「不幸な偶然でした」
チェリーに解放されているみずほを下敷きで扇ぎながら、ひむろが沈痛な面持ちでコメントする。
作り手として配慮は必要だが、配慮しても偶然にこういうことも起こりうる。
「不幸な事故だったな」
商品とサーバントだけが滅ぼされた会場を眺め、アスハが満足げにうなずいていた。