●第七章
○
(もう少しだ。もう少しで応援が到着する。それまで何とかして時間を……)
そう考えていたデュラック目がけて、
「この機を逃すか……!」
予備人員として参加した鳳 静矢(
ja3856)がデュラックに駆け寄り、瞬翔閃を放った。首を狙って放たれた一撃をデュラックは僅かに避け損ね、斬られた角が地面に落ちた。
「物理も魔法も……生憎、私はどちらも得意でな」
そこへ更に、アウルで形成された隕石が降り注いだ。Erie Schwagerin(
ja9642)の「Demise Theurgia-Ateras Chasmlunoa-」である。
「この程度……この程度で音を上げてもらっちゃ困るんだけどぉ?」
Erieはそう言うと、射程の限界付近まで後退した。デュラックを逃がさず、確実に仕留める構えである。デュラックは翼を広げて空へ飛び立ち、隕石を回避。そこへすかさず、ヤナギ・エリューナク(
ja0006)の暗遁と草摩 京(
jb9670)の改造弓・天鹿児弓から放たれた矢が次々と撃ちこまれるも、デュラックは暗遁を避け、矢を手にした剣で打ち払った。
(攻める必要はない。10分耐えれば、ボクの勝ちだ)
守りと避けに徹しながらそう考えるデュラックを、翼を広げて追いかける華澄・エルシャン・御影(
jb6365)。すかさず牽制で放たれるデュラックの攻撃を、田村 ケイ(
ja0582)の回避射撃が弾き返した。
「逃がすな。ここで仕留めろ」
地上では、戦いに復帰した向坂 玲治(
ja6214)が、全員に攻勢を指示している。空中ではデュラックを追いかける華澄。地上では悪王子・招来によって強化された草摩の弓から放たれる矢と、ヤナギの闇遁。
そこへ更に、
「……まるで、ガキだ、な。幕引きをさせてもらおう、か」
アスハ・A・R(
ja8432)の蒼海布槍による牽制が加わり、デュラックは完全に防戦に追い込まれた。
一進一退の攻防が続く中、戦いの流れは、次第に撃退士優勢へと傾いていった。
○
勝太からのメールを受けたのは、向坂と華澄と田村の3人。撃退士達がデュラックへの攻勢を強める中、向坂の心に、ひとつの懸念が生まれていた。
メールに書かれていた、増援のディアボロの存在である。
(ディアボロ自体は最初に戦った奴と同型だ。殲滅自体は難しくないだろう。問題は敵の数だ。15体から同時に攻撃されたら、被弾は不可避だ)
時折放たれるデュラックの攻撃を、オーラによって強化された体と盾で受け止めつつ、向坂は考えた。
(ダメージ自体は、受けと回避に徹すればそれほど脅威にはならない。だが、奴らの攻撃は状態異常を誘発する。こいつが怖い。石化にでもなってデュラックを取り逃がしたら笑い話にもならない)
個々の戦力は低くとも、頭数というのは戦闘において圧倒的なアドバンテージとなる。撃退士としてベテランに属する向坂は、その事を痛いほど知っていた。
(何とかして合流前に、ディアボロを仕留めないとな……)
先程から防御と回避に集中しているためか、未だデュラックには殆どダメージが入っていない。少し待てば逃げるチャンスが来ることを考えれば、当然の行動と言えた。
向坂は考えた。最優先はデュラックを逃がさないことだ。それを考えると、ディアボロは今のうちに潰しておきたかった。戦闘開始から既に4分が過ぎようとしていた。勝太のメールによれば、あと5分程度でディアボロの群れがここに来る。迷っている時間はない。
(あと二人。あと二人ディアボロ相手の協力がほしい)
そう思って向坂は、周囲の仲間に目をやった。
ちょうどその時、デュラックの一撃を盾で受け止め、後ろへと吹き飛んだ静矢の姿が目に入った。前方では、デュラックの背後から華澄がチャージングで攻撃。デュラックはその一撃を、身を捻って回避していた。
向坂は静矢をかばうように立ち、口元を盾で隠しながら小声で話した。
(静矢さん)
(何だ、向坂さん)
向坂は小声で要件のみを伝えた。
(勝太からメール。北から敵の増援。15体。あと5分で到着)
静矢は一瞬だけ顔色を変えて、すぐに平静を取り戻した。
(15……か。少々多いな。勝算は?)
(俺と田村さんと静矢さんで対応できると思います。ふたりとも、一度奴らとは戦ってますから。動きは大体分かります)
田村は魔法銃を用いたコメットによる範囲攻撃が可能だ。自分と静矢が敵を引きつけ、そこへ田村がコメットで攻撃。取りこぼしを2人で仕留めれば、撃破は可能だろう。
(分かった。行こうか)
静矢の判断は早かった。
(華澄さん。向坂さんと北に行ってくる)
静矢が視線とサインで華澄にそう伝えると、華澄は事情を察したのか、無言で頷いた。
○
向坂は北へと走りながら、スマートフォンで田村に連絡を入れて援護を要請した。田村からのOKの返事と共に、向坂と静矢に聖なる刻印が施された。
(移動と戦闘で、およそ10分)
向坂と並走しながら、静矢は往復までの時間を弾き出した。
静矢が事前に得た情報では、デュラックはディアボロが捉えた映像をダイレクトに知る事が出来るらしい。となれば、静矢達が北へ向かいディアボロと接敵した時点で、デュラックは自分の手の内がばれた事を知ることになる。
(そうなれば、恐らく……)
恐らくデュラックは、攻めに出るだろう。それも、死にもの狂いで。
(華澄さんのためにも、早く戻らねば)
静矢は、星煌を手に取って言った。
「敵は私と向坂さんが挑発で引き受ける。田村さんはコメットで敵を撃ち落としてくれ」
「了解」
向坂と静矢の視界の先に、空飛ぶ黒い球の集団が見えた。
○
一方その頃。
静矢の懸念通り、デュラックはディアボロの映像を通して、敵が自分の手の内を把握していた事を理解した。恐らく、何らかの方法で自分のゲートの位置を特定したのだろう。
「なるほど。どうあってもこのボクを、生かして帰すつもりはないわけか」
「あらぁ、あなたまだ自分が生きて帰れると思ってるのぉ?」
Erieは笑い声をあげた。だが目は笑っていなかった。
「ふざけんじゃないわよ。好き勝手言ってくれたお礼は、この程度じゃ終わんないわよ」
「……いいだろう」
デュラックは考えを切り替えた。この状況においては、逃げの発想は足枷でしかない。
――逃げられない? 結構だ。ならば、皆殺しにするまで。
――今一度、心を奮い立たせろ。
「10分だ」
空を舞うデュラックの瞳が金色に輝いた。
「10分以内に、皆殺しにする」
○
攻勢に出たデュラックは、先ほどよりも隙が増えていた。攻撃の際に隙が生じるのは、先の戦闘でも分かっている。そして当然、撃退士達はその隙を突いた。
草摩の矢がデュラックの背中に命中。バランスを崩して墜落したデュラックめがけ、ヤナギが分銅を放った。ここで拘束して、一気に勝負をつけようと考えたのだ。ヤナギの手に、分銅が命中した手ごたえが伝わった。
分銅は――デュラックの掌中だった。力をこめて分銅を取り戻そうとするヤナギ。だが、分銅はびくともしない。
デュラックは体を捻りながら、手中の分銅を力で手繰り寄せた。ヤナギの体が引きずられ、宙に浮いた。それと同時にデュラックは体にスピンを加え、体の軸を傾けながら、ヤナギを体ごと振り回し始めた。洗濯機の脱水機の衣服の如く振り回されるヤナギ。
デュラックは遠方で自分に向けて魔法を詠唱するErieに狙いを定め、鎖鎌ごとヤナギを投げ飛ばした。
放物線の軌跡を描き、砲弾と化したヤナギがErieへと吹き飛ぶ。回避が間に合わず、Erieはヤナギの下敷きとなった。
すかさずヤナギとErieの方角へ跳躍し、デュラックは封砲とソニックブームを立て続けに放った。
「Erie!」
とっさに自らの下敷きになって気絶したErieを、封砲の軌道上から弾き飛ばすヤナギ。次の瞬間、ヤナギの体がデュラックの封砲に貫かれ追撃のソニックブームが命中した。
ヤナギは倒れた。
○
(ヤナギが倒れ、エリーは気絶。サキサカとシズヤとタムラはまだ戻らない、か。これ以上調子づかれると面倒だ、な)
そう考えたアスハは手をかざし、掌から三日月型の刃を次々と生成。眼前のデュラック目がけて放った。
(ここで使うつもりはなかったが……まあ、いい。まずは当てる事が最優先、だ)
死刃蒼月。
かつてアスハが死闘を繰り広げた悪魔の技を模倣したスキルである。
刃が次々とデュラックを襲い、その体を服の上から切り裂く。デュラックの体に無数の赤い切り傷が走った。
(魔法が効くのは間違いない、か。さて……)
再び眼前に死刃蒼月を放ち、悪意穿槍でデュラックの攻撃を弾きながら、アスハは考えた。
(空に逃げられると厄介だ。ここは隙を見せたら一気に叩き潰すべきだ、な)
右腕を覆うニヴルヘイムを、アスハは強く握り締めた。幸いにして、敵の注意はこちらへと向いていない。再び悪意穿槍を展開しながら、アスハは考える。
(……使う、か。『あれ』を)
程なくして、デュラックが華澄の攻撃を弾いた時に生じた一瞬の隙を、アスハは見逃さなかった。
(今だ)
アスハはデュラックの懐へと潜り込んだ。
背後から接近するアスハを察知し、わずかに遅れて剣で迎撃を試みるデュラック。しかし、
「遅い、な」
アスハはその攻撃を悪意穿槍で弾き、がら空きになったデュラックの胴に右腕を突き出した。
アウルを集中させた右腕に、超大型バンカーを形成するアスハ。
「お別れ、だ。詐欺の手並みは見事だった、な」
弾が射出され、空薬莢の音が響いた。
大きな光のドームが、アスハとデュラックを包んだ。
切札(ジャックポット)。
アスハのアウルによって形成されたバンカーから魔力弾を射出して敵を撃ち貫くスキル。
比類なき大火力を誇る、文字通りのアスハの切札である。
周囲に立ち上る土煙の中で、確実に命中させた手応えをアスハは感じていた。
伺い続けた好機を見出し、撃った必殺の一撃である。致命傷は免れ得ない。
しかし――
漆黒のアウルに覆われたデュラックの拳が土煙を切り裂いて現れ、アスハの腹を抉った。
呼吸が止まり、体が硬直したアスハの顔面目がけて、更に拳が打ちこまれる。
拳の一発が顎を打ち抜いた直後、デュラックの蹴りが胸板に命中し、アスハは後方へと吹き飛ばされた。
切札の反動によるダメージを受け、デュラックからの追撃を受けてもなお、アスハの意識は鮮明だった。
(やはりくだらん、な。この程度か)
アスハは立ち上がると、再びデュラックを見た。
(『彼女』との戦いに比べれば、こんなもの……ピンチですらない)
デュラックの翼の翼膜は焼け焦げて失われ、左脇腹には拳大の風穴が開いていた。アスハの一撃によるものに間違いなかった。
(風穴が開いても死なない? それがどうした。ならば今度は……)
デュラックの頭部に狙いを定め、攻撃を試みるアスハ。だが、彼の足は動かなかった。
(その取り澄ました顔に当ててやるまで……だ……)
ふいに、地面が壁のように起き上がり、アスハの眼前に迫ってきた。
アスハは前のめりの姿勢で地面に倒れた。
○
アスハの攻撃の衝撃で地面に落とした剣を拾うデュラック。そこに、
「『10分以内に皆殺しにする』。だったかしらぁ?」
気絶から回復したErieのコメットが飛来した。
「あと2分しかないわよぉ」
Erieが「2分」と口にした時には、すでにデュラックはErieへと襲い掛かっていた。
そんなデュラックめがけて、Erieは「Pallidamors Steuer」を発動した。命中に優れる、雷の魔法だ。
Erieの一撃がデュラックに命中。しかし、デュラックの勢いは止まらない。既に彼は、Erieの眼前まで接近していた。デュラックの剣から、封砲が放たれた。
そして――
「ずいぶん追い詰められてきたみたいねぇ。じゃ、こんなのはどう?」
Erieはデュラックに本命の一撃を繰り出した。
Silberblitz Unicornis。
命中した相手の意識を飛ばす、電撃による攻撃である。
Erieの電撃とデュラックの封砲が、同時に対象に命中した。
封砲の直撃を受けたErieの目に映った光景。それは体のあちこちから落雷と通電による煙をあげて意識がとんだデュラックが、背後から撃たれた草摩の弓で針鼠と化す姿だった。
「ふ……ふふふ。あっははははははは」
傷口が開くのも構わずに、Erieはデュラックを指差して大声で笑った。腹を抱えて笑った。
実際、これほど愉快な事はない。
「いい眺めねぇ、デュラックぅ。今のあなたの姿、実に惨めで滑稽よぉ♪」
Erieは倒れた。
○
「惨め、だと……」
デュラックはつぶやいた。彼の脳裏に、かつて自分を嘲笑ったふたりの女が蘇った。
マヤとマユ。マイの妹達だ。
――本当に惨めだわ。そう思わない? マヤ。
――ええ、そうね。惨めだわ。マユ。
――あんな血筋しか取り得のない男、生きてて惨めじゃないのかしら。
――そんな事を言ったら駄目よ。マイ姉さんが可愛そうだわ。うふふ。
――マイ姉さん、どう思ってるのかしら? あの男のこと。
――そんなの、嫌いに決まってるわ。マイ姉さん、いつも言ってるじゃない。弱い男は大嫌いだって。
「死んでもなお、嗤うのか。ボクの事を」
デュラックは振り返り、草摩を見た。その顔に、マヤを斬られて怯えるマユが重なった。
草摩の放った矢が、デュラックの左目に命中した。
「ならば殺してやろう。もう一度」
潰れた目など存在しないかのように、弓を手にする草摩へと跳躍するデュラック。
それを待ち構えていたかのように、ふいに草摩の右腕が膨れ上がった。
鬼喰。
魔具を炎と化して腕に巻きつけ、叩き潰す技である。
「華澄。必ずデュラックを仕留めて下さい。頼みましたよ」
草摩の鬼喰がデュラックめがけて振り下ろされると同時に、デュラックの剣が草摩の体を薙いだ。
血飛沫が舞い、草摩は倒れた。
相打ち覚悟の草摩の鬼喰を食らったデュラックの足はふらついていた。だが、目には意思の光があった。意識を奪うまでには至らなかったのだ。
華澄は月虹で攻撃を加えた。デュラックの左肩に、華澄の一撃が命中。だが致命傷には程遠い。
デュラックからの反撃による横薙ぎの一撃を受け、華澄の体は吹き飛んだ。
何とか根性で立ち直り再び月虹で攻撃を加えるも、デュラックはこれを回避。
剣を戻そうとする時間を与えず、デュラックの剣が突き出された。狙いは華澄の首である。
だが、その時。華澄の背後から声が聞こえた。
「すまない。遅くなった」
○
「静矢さん!」
静矢の紫鳳翔が命中し、デュラックは吹き飛んだ。そこへすかさず、
「楽しそうだな。俺も混ぜてくれよ」
静矢と共に復帰した向坂のシールドバッシュが、追撃でデュラックに叩き込まれる。
「デュラックくんよ。もうお終いだぜ」
体勢を崩したデュラックの左腕を、向坂の神輝掌が粉砕した。
その背後で発射された田村の回復弾が、華澄の傷を癒した。
「お前に勝ち目はねえ。降伏するなら捕虜にして生かしておいてやる」
だが向坂の言葉は、デュラックには届かなかった。
残された右腕で剣を握りしめ、なおも撃退士を殺さんと迫るデュラック。そこへ、
「殺せると思った相手に追い詰められる気持ちが理解出来たな」
静矢の瞬翔閃が一閃した。
デュラックの首が飛び、宙を舞った。
○
「終わり……ましたね」
「ああ」
華澄の言葉に、静矢は頷いた。
「向坂さん、すまない」
「気にしないで下さい。それより、皆が心配だ。早いところマイや勝太とも合流」
ふいに向坂の言葉が途絶え、華澄は訝しく思った。
「向坂さん?」
「……! 華澄さん、下がれ!」
静矢の言葉を聞いて、思わず後ろへと下がる華澄の目に映ったのは、背中から剣が生えた向坂だった。
向坂の体が、音もなく崩れ落ちた。
「一体、何が……」
そう呟いた華澄の目に、更に信じられない光景が映った。
ふたりの眼前に、首のないデュラックが立っていたのだ。
デュラックは剣を地面に刺して落ちた首を右手で拾うと、胴の上に乗せた。
○
デュラックの傷口から湧き出る黒いアウルが、体を覆った。
それを見た静矢は、ショーウィンドーの黒いマネキンを連想した。
「キミもボクを裏切るのか」
出血して膝をつく向坂を見下ろしながら、デュラックの首が喋った。
デュラックの目に映る向坂に、かつての許婚――マイの姿が重なった。
――何故だ。何故こんなことをする。妹達が、お前に何をしたというのだ。
――自分のした事が分かっているのか。お前一人の破滅では済まされんのだぞ。
――お前のお父上が、どれだけお前の事を案じているか、そんな事も分からんのか。
――もういい……もういい。お前は馬鹿者だ、大馬鹿者だ。
「マイ。やはりキミは、ボクを嗤っていたのか。キミの妹達が言っていたように」
「デュラック!」
向坂にとどめを刺そうとするデュラックに、華澄が背後から封砲を放った。それに合わせて、静矢も紫鳳翔を放つ。2発の衝撃波が、デュラックの胴に命中した。一瞬だけ黒いアウルが吹き消され、その下から骨と肉が覗いた。しかしその傷口は、すぐさま黒く覆われた。
デュラックは振り返り、静矢を見た。
「何故です、父上」
デュラックの首が言った。
(奴め、一体何を……?)
デュラックが相対しているのは、言うまでもなく静矢である。
だがこの時、デュラックの目に映る静矢には、彼の父の姿が重なって映っていた。
――この大たわけめ。
――もう良い。爵位は下の息子に継がせる。家の名に泥を塗りおって。
――騎士の席に空きを作っておいた。今から貴様はそこに行け。二度と私の前に姿を見せるな。
――何故、こうなった。私は、どこで間違ったのだ……
デュラックのアウルが、剣を握る右腕へと集まった。そのアウルは、黒かった。この世のあらゆる色を吸い込む色だった。
デュラックの剣が振り上げられた。静矢の盾は、一撃で吹き飛ばされた。
「なぜ私をそのような目で見るのです」
デュラックの剣が、静矢の心臓目がけて突き出された。速い。デュラックが攻撃を終えて始めて、静矢は自分が刺された事に気づいた。
静矢はすぐさま根性を発動して立ち直った。これまで幾多の戦場を潜り抜けた彼の戦士としての本能が働き、考えるよりも早く、反射的に身を捻って急所を逸らしていたのだ。
田村の回復弾が、静矢の傷口を塞ぐ。
「あなたも私を蔑むのですか? マイのように、彼女の妹達のように……」
静矢から狙いを逸らそうと、玉繭を纏った華澄がデュラックの背後から2発目の封砲を放つ。
デュラックはそれを避けると、背後の華澄へと跳躍した。その剣先は、華澄の心臓へと向けられていた。
「華澄さん!」
間に合わないと判断し、華澄をかばい、デュラックの前に立ちはだかる静矢。
静矢の胸を、デュラックの刃が貫いた。
○
「まさか、あの二人が……」
田村は、向坂と静矢にヒールを使用した。射線を遮られた時のため、地から湧き出るヒールを用意しておいて良かったと心から思った。
幸い、二人は命を取り留めた。だが思っていたより彼らの傷は深い。自分のヒールだけでは回復が追いつかない。
その時、田村のスマートフォンに連絡が入った。マイからだった。
「はい。田村」
火傷をした手で、田村はスマートフォンを取った。先ほど、ディアボロとの戦闘で受けた傷だった。
「マイだ。たった今、ゲートの破壊に成功した」
●第八章
○
向坂が倒れ、静矢が倒れ、ただひとり残された華澄。
彼女の脳裏に、様々な思いが巡っては消えた。
どうして、こんなことになったんだろう?
いつものように依頼を受けて、顔合わせをして、準備をして……
負傷者が出ることは覚悟していたし、危ない仲間がいたら、私が進んで助けようと思って……
自分が怪我をしても、仲間を助けられれば本望だと思って……
どんなに強い敵が相手でも、皆で力を合わせれば絶対に勝てる――そう思っていたのに……
私は誰も助けられなかった。仲間もみんな倒された。
私は何のために、ここに立っているんだろう? 任務を達成するため? 人に害をなす悪魔を討つため?
私は目の前の悪魔をどうしたいんだろう? 私を嘲り、私を傷つけ、私の心をかき乱した、この悪魔を。
私は一体、何をしたいんだろう? 放っておいてもいずれ死ぬ、この悪魔に。
彼が死ぬのを、ただ待つだけ? 相打ち覚悟で、戦う?
いいえ……違う。
――必ず皆で生きて帰ろう。
――自分の全てを尽くして戦おう。
――恐怖も怒りも欲望も、全てを置いて、もう一度だけ……彼と戦おう。
――それで駄目なら……死ぬだけ。
華澄の心中に渦巻く、矛盾し相反する想いがひとつに溶け合った時。
華澄の口から、デュラックへの言葉が流れ出た。
○
「ぐ……」
転がるようにして地面へと倒れこむ静矢。そこへ剣を持ったデュラックが歩いていった。
「父上。マイ。一体何故……」
身動きのとれない静矢に剣が振り下ろされようとした、その時。
「……いいえ。違うわ」
凛とした、華澄の声が響いた。
振り下ろされかけたデュラックの剣が止まった。
「今あなたが斬ったのは、あなたのお父様でもなければ、マイさんでもない。私の仲間、鳳静矢さんと向坂玲治さんよ」
華澄は言った。
「あなたは間違っているわ。あなたのお父様も、マイさんも、その妹さん達も、誰一人あなたを嗤ってなどいない」
もちろん華澄は、デュラックの父やマイのことなど何一つ知らない。だが、デュラックの言葉を聞いた彼女は、自分が口にした言葉が事実であると確信していた。
そして同時に、理解したのだ。デュラックが本当に知りたかったものが何なのか。求めていたものが何だったのか……
「憎しみや蔑みから、愛は返ってこない。あなたは今まで……そんな事も知らなかったのね」
華澄は刀を構えた。何と悲しい悪魔なのだろうと思った。デュラックに感じていた恐怖も怒りも、既に彼女の中から消え去っていた。
「来なさい、デュラック。最後よ」
ついに力尽きたからか?
ゲートが破壊され、魔力が途絶えたからか?
それとも死を前にして、華澄の言葉が彼の心に届いたからだろうか?
デュラックの身を覆うアウルが剥がれていった。だが、その右手は未だ剣を握ったままだ。
○
自分を嘲ったマヤとマユ。見下したマイ。蔑んだ父。薄れゆく意識の中で、それらが全て幻だと華澄に告げられて始めて、彼は気がついた。彼らは皆、デュラック自身の姿だった。何もかも、彼が作り出した虚像に過ぎなかったのだ。
デュラックは自身の最期を悟った。だが、いま彼の心にあったのは、怒りでも憎しみでも怨恨でも恐怖でもなかった。
それは、後悔であった。
――全ては……幻だったのか。
――父もマイも、その妹達も……ボクが憎むべき理由は何一つなかったというのか。
――なぜ……なぜボクは、今まで気づけなかったんだろう?
目の前に映ったのは、幻を払った声の主――剣を構えた金髪の剣士だった。
自分のことを、「ガキは帰りなさい」と言った、あの剣士だ。
――ガキ……か。キミが正しかったな。
どうやら彼女が、自分の最後の相手になりそうだ。
デュラックはそう思い、剣を構えた。
――どうか最後に教えてくれ。このボクの人生は、一体何だったのか……
それを知るまでは、死ねない。
○
華澄もまた、剣を構えた。彼女の目の前にデュラックが迫った。
アスハによって胴に穴を穿たれ、Erieによって身を焼かれ、草摩によって片目を失い、向坂によって左腕を失い、静矢によって首を斬られ、そしてマイによってゲートを破壊され……それでもなおデュラックは生にしがみつき、剣を離そうとしなかった。しかし、そのデュラックのアウルも、今や風前の灯だ。
次の一撃で、勝負は決まるだろう。
(彼を斬る。今の私は、そのためだけに在る)
華澄は、玉繭を解いた。
自分の命に保険がある、その思いは刃を鈍らせる。
デュラックを斬るのには、邪魔になる。
――デュラック。あなたがどうして殺戮を繰り返しながらそれを愛と呼んだか教えてあげる。
――私の仲間のように、心が悲鳴を上げても、それを乗り越えてあなたに向かう強さがあるひとは、誰もいなかった。豹変した後のあなたを知ろうとは誰もしなかった。
――あなたが知りたかったのは、刃を振るっても、変わらぬ強靭さであなたを知ろうとするか……。そんな愛があるか。
――でも……あなたも……あなたを愛した人が受けた痛みは……知ろうとしなかった。
――さようなら、デュラック。
万感の思いを振り切り、華澄は剣を構えた。
一刀両断の構えである。
死してなお、自分達を殺さんと迫るデュラック。
それを瀕死の体で迎え撃つ華澄。
両者の最後の剣が、いま振り下ろされた。
デュラックの剣が、華澄の体をかすめた。
華澄の剣が、デュラックの胴を縦に割った。
デュラックは心臓を露出させながら、仰向けに倒れた。
死してなお動き続けるデュラックの心臓を、華澄の剣が貫いた。
○
「愛しているわ」
地面を転がるデュラックの首を、華澄は抱きしめた。
せめてその空虚が埋まるよう祈りながら。
デュラックの閉じた目から、涙が流れた。
それは求めていたものをついに得られた、喜びの涙だった。
デュラックは死んだ。
○
全ての決着がついた後、8人の撃退士達は久遠ヶ原の病院へと搬送された。
ヤナギとアスハと静矢は重体。
残り5名も負傷。
現場にマイと勝太が到着して始めて、華澄は自分が負傷していたことに気づいたと言う。
●終章
○
そして、デュラックとの戦いから2日後。
新聞部の牧原茜は、負傷して入院していた部長の宮沢勝太と、新入部員のマイの見舞いと、戦いに参加した撃退士達への取材に来ていた。
マイの病室へ行く途中で、牧原は静矢に出会った。衣服の間から覗く、包帯の巻かれた胸板が痛々しかった。
「マイさんなら多分、華澄さんと屋上にいるはずだ。一緒に行くかい?」
挨拶した牧原に、静矢はそう告げた。
「いいんですか?」
牧原が言うと、
「もちろんだ。私もついさっき、出歩きの許可が出てね。2人に顔を見せようと思っていたんだ」
静矢はそう返した。ふたりは屋上へと向かった。
「あの……華澄さんも静矢さんも、MVP、おめでとうございます」
屋上へと向かうエレベーターの中で、茜は静矢に話題を振った。
「ん? ああ。ありがとう」
「もうひとりの方……Erieさんにもお話を伺いたかったんですけど、退院されたみたいで」
「彼女の傷は、それほど深くなかったからね」
早く退院して、友達に「ただいま」って言いたい。そう話していたErieの顔が、静矢の脳裏に蘇った。恐らく今頃は、友達と会っているに違いない。
「小耳に挟んだんですけど、最初はアスハさんがMVPの予定だったって……」
「ああ、そうだ」
MVPの理由は「敵に致命傷を与えたから」。静矢も同じ理由だった。華澄の理由は言うに及ばずだ。
だが、学園の職員が入院中のアスハにそれを報せに行った時、アスハは受取を拒否したのだ。
―
『あんな騎士の尻に敷かれる馬に蹴られた野良犬一匹仕損じて、MVP? ふざけないでもらいたい、な』
一触即発の空気が壁越しに伝わるのを、隣の病室で寝ていた静矢はよく覚えていた。そしてその時、アスハの傍にいたErieが場を収めたのだ。
『購買に欲しい服があったの。ちょっと高くて買おうか迷ってたんだけど、MVPでお小遣いが入るなら丁度いいわぁ。私に譲ってくれない?』
『服だと……はっ。下らん、な。好きにしろ、バカバカしい』
『はい、どうも。じゃあ遠慮なくいただくわ』
―
(……怪我人が出なくて何よりだった)
静矢は目を瞑り、安堵の溜息をついた。
そんな静矢の態度を見た茜はそれとなく事情を察したのか、それ以上その話題には触れなかった。
エレベーターのアナウンスが、屋上への到着を告げた。
○
静矢の言ったとおり、華澄は病院の屋上にいた。その隣には、マイもいた。
華澄はマイに話した。自分がデュラックとどう戦い、どう斬ったかを、余すところなく。
そんな華澄の言葉を、マイは静かに聞いていた。
「そうか……そんな事がな」
「はい」
かつての許婚だった女性を前に、なんと言っていいのか華澄には分からなかった。
だが華澄の思いに反して、マイの顔は穏やかだった。彼女は微笑んで言った。
「良かった。奴は満足して死んだだろう」
「……マイさんは、これからどうされるんですか?」
「私には、帰る場所と相手が出来た。だからこれからも、ここで生きていく事にした」
マイの言葉を聞いて、華澄は気づいた。全てを終えた後、マイは死ぬつもりだったのだ。
「この世界に来て……ほんの少し前まで、私はひとりだった」
マイがぽつりと呟いた。
「本当にひとりになった者は、道を誤る。自らが過ちを犯したとき、叱る者も諌める者もいない。庇ってくれる者もいない。そして奴は、生まれてからずっとひとりだった」
「……」
「あの戦いが終わって、私は何度も考えた。もしも私がもっと早く、一度でも奴を叱っていれば、奴に『愛している』と言っていれば……奴がここまで道を誤ることはなかったのではないかと」
そこまで言って、マイはかぶりを振った。それは心にくすぶる未練を断ち切ろうとしているかのようだった。
「遅かれ早かれ、こうなる事は分かっていた。最後の相手が華澄、お前だったことは……奴にとって幸いだったろう」
「マイさん……」
「奴の最期を看取ってくれてありがとう。礼を言う」
離れた場所でそんな2人を眺めながら、静矢は牧原の肩を軽く叩いた。
「牧原さん。……行こうか」
「はい」
静矢は少しだけマイと華澄の方を振り返ると、牧原と共に病室へと降りていった。
(人と天魔が何の障害も無く手を取り合い、共に歩める世界。道を誤らなければ彼もまた……その世界に生きられたはずだったのだろうか?)
そう自問しながら。
静矢と牧原が去った後も、マイと華澄はしばらく空を眺めていた。