●第四章
○
「彼女は大丈夫ですか?」
Erie Schwagerin(
ja9642)のすぐ傍らに立つ華澄・エルシャン・御影(
jb6365)は、テレジア・ホルシュタイン(
ja1526)の問いに答えた。
「ええ。体の方は大丈夫ですわ。でも……」
(心は大丈夫ではない、ということですね)
Erieは先ほどから仰向けで地面に倒れたまま、蒼白な顔で震えていた。
(今、彼女を前線に立たせるわけにはいかない)
テレジアはそう判断すると、Erieを担ぎ上げた。
「一旦下がります。後を頼みます」
華澄は無言で頷いた。
(しかし、Erie……これは余程の事ですね)
だが、今は詳しい話を聞いている時ではない。剣を抜いたデュラックが、背後に迫っていたからだ。
○
「ここから先は通しません」
「そうか。じゃあ、キミを斬って通るとしよう」
立ちはだかった華澄に、デュラックは笑顔で言った。
(いつまでも攻められてばかりだと思わないで)
華澄は後ろに跳び下がり、アウルを練った。彼女の剣先から生み出された無数の妖蝶が、デュラックの周りを取り囲む。忍法「胡蝶」による幻惑である。
(敵の注意をそらし、月虹を命中させる)
それが華澄の狙いだった。
(デュラックは攻撃力と回避に特化している。それなら攻める時間を与えずに、防戦に追い込んだ方がいい)
相手に時間を与えずに、華澄はすかさず月虹で横薙ぎの一撃を放った。狙うはデュラックの胴だ。そしてこの時、華澄と同時に、デュラックの背後で動いた影があった。遁甲の術で姿を隠した、ヤナギ・エリューナク(
ja0006)である。
(加勢するゼ、華澄)
ヤナギは壁走りでデュラックの頭上へと跳躍すると、手にした鎖鎌から雷遁を放った。
(まずは、確かめさせてもらうゼ。本当にテメーが魔法に弱いかどうか。手札を探ってるのが、テメーだけだと思うなよ)
当のデュラックはと言えば、胡蝶には目もくれずに華澄の一撃を待ち構えていた。依然として、その背はヤナギの方を向いたままだ。
(『気づいてません』、ってか? いいゼ。その誘い、乗ってやるよ)
物理と魔法、両方の属性を併せ持つ雷遁が命中すれば、デュラックの「自分が魔法に弱い」という言葉が真か偽か判断できる。もし反撃なり避けるなりの動作を取れば、敵は自分の姿が「見えている」と判断できる。
(見せてもらうゼ。テメーの手札ってやつをな!)
鎖鎌の分銅は握り拳に収まる程度の大きさしかない。「気配を感じている」程度の察知力では、狙い済ました分銅の一撃に対処することは不可能である。どちらに転ぼうとも、デュラックは自らの手札を晒すしかないのだ。そして――
カン! カン!
響いた金属音が続いて響いた。
ひとつは、デュラックが右手の剣で華澄の剣を打ち払った音。もうひとつは、デュラックが左手で剣の鞘を掴み、先端の鐺でヤナギの分銅を打ち返した音である。打ち返された分銅が空気を裂いて、ヤナギの腹筋にめり込む。ヤナギは受身を取れず、そのまま着地先のアスファルトに叩きつけられた。
(間違いねえ。あの野郎、見えてやがる)
態勢を立て直す時間を与えまいと、すかさず剣を抜いたデュラックがヤナギに迫る。そこへ、
「思い上がるな、この外道がっ!」
威圧する大声と共に、大柄の男が割り込んだ。九鬼 龍磨(
jb8028)である。
「覚悟しろ、悪魔め!」
九鬼は阻霊陣を展開すると、盾を構えてデュラックの前に立ちはだかった。
○
この時、デュラックのはるか遠方から、スコープ越しにこの戦いを見守る者がいた。狙撃手の田村 ケイ(
ja0582)である。
田村は愛銃に回復弾・改を装填すると、負傷したヤナギに撃ちこみ、彼の傷を癒した。
(火力もいる。盾役もいる。なら私のするべきことは一つ)
射程距離の限界付近で戦いを見守る田村の目には、戦いの局面が手に取るように把握できた。ならば戦局の流れを見極め、それを味方の側に手繰り寄せる事が自分の役目。そう彼女は考えたのだ。
(観察者は貴方だけじゃない)
鷹のように険しい視線で、田村は戦場を見つめた。いつでも仲間の援護に応じられるよう、トリガーに指をかけながら。
○
デュラックは今、周囲を草摩 京(
jb9670)、九鬼、華澄の3人に囲まれていた。ヤナギは3人の後方で焔のリングをかざしている。どうやら今度は、後方から3人を援護するつもりのようだ。
最初にしかけたのは草摩だった。草摩は神明剣でデュラックの背後を突くことで、連携の起点を作り出そうとした。
神明剣は命中に特化した攻撃スキルであり、攻撃力自体は元より高いものではない。だが、草摩のような遣い手が放てば、それは恐ろしい凶器へと変わる。勁の脱力と動きを応用し、速さと鋭さに特化した彼女の刃を食らえば、並みのディアボロならば一撃で斃れるだろう。
デュラックは、体を九鬼の盾で押さえ込まれている。この状況で2人の攻撃を避ける事は、デュラックといえども不可能だ。
次の瞬間、彼女の刃はデュラックに命中した。その直後、デュラックの背中に華澄の月虹とヤナギの火遁が襲い掛かり、次々と命中した。
しかし――草摩の顔には、達成の色はない。神明剣が当たった時、彼女の手には、いつもの肉を切り、骨を断つ感触が伝わってこなかったのだ。
刃は届いた。傷も負わせた。だが、浅い。ヤナギの火遁と華澄の月虹も同様のようだ。デュラックは浮かべた笑顔を全く崩すことなく、言った。
「もう終わりかい? なら、今度はこっちの番かな」
○
デュラックの動きを見て、田村は考えた。
(敵は剣士系のタイプと思ってよさそうね。攻撃と回避に優れる反面、防御力と魔法防御に乏しい)
見た限り、先ほどの3人の攻撃では、ヤナギの火遁が一番ダメージを与えたようだ。
(遠距離からの攻撃には、それほど『目』は効かないようね。でも……)
田村の心に、新たな疑問が沸いた。
(どうして奴はあんなに硬いのかしら? 騎士階級の悪魔といえど、あの硬さは尋常じゃない。まして剣士系となれば、そこまで物理防御が高いはずはないのに……)
その時、田村のもとに通信が入った。九鬼と共に予備人員として参加した二人目の仲間――アスハ・A・R(
ja8432)からである。
○
「攻撃を開始する」
アスハは田村に現在位置を伝えると、愛銃の135mm対戦ライフルを構えた。
狙うは前方の道路上に立つデュラックである。
(ここはひとつ、強烈な一発をお見舞いしてやるか、な)
これまでの動きから、アスハはデュラックのモーションを少しずつ掴んできていた。
(奴の戦闘力は、まだ未知数。僕も常に見られていると思うべきだ、な)
阻霊符を展開し、気配を殺したアスハが待つのは、敵が晒す「ある一瞬」である。
(どんな化物も、必ず無防備になる一瞬がある。それは、獲物を狙う瞬間)
程なくしてデュラックが、盾を構えた九鬼に一撃を加えるべく、ためを作る姿勢に入ったところが見えた。
(よし)
そしてデュラックが九鬼に一撃を放つまさにその時、アスハの対戦ライフルから銃弾が発射された。
銃弾は風を裂いて飛び――狙いを外れて、デュラックの後方のビルに命中した。
(……ちっ)
アスハは内心で舌打ちした。135mmは、命中率が低いのが難点なのだ。
(ま、いい。偏差射撃で仕留めるだけだ)
狙撃ポイントを特定されることは、極力避けねばならない。
銃を担いだアスハは、ビルから飛び降りた。デュラックと戦う仲間達に、
(……当たっても恨むなよ)
そう言いながら。
●第五章
○
一方その頃。
「Erie。大丈夫ですか」
後方へと下がったテレジアは、担いだErieを降ろして、彼女の顔を覗き込んだ。
「テ……テレーズ……」
Erieの声からは、完全に生気が失われていた。余程の事があったに違いないとテレジアは思った。
「Erie。良ければ話していただけませんか。あなたが一体、何を言われたのか」
目の前に苦しむ人がいれば、その苦しみを分かち合い、助けることを優先する。それがテレジア・ホルシュタインである。今の彼女にとっては、Erieの苦しみを分かち合う事が、何よりも優先される事だった。
Erieはしばらく黙ったままだったが、口を開くと、ぽつりぽつりと語り始めた。
「あいつ、私に言ったの」
――ハーフの子に優等生が多い理由。それはね、良い子にしてないと人間に迫害されるからさ。その子だけじゃない、家族までもね。キミみたいに人間嫌いを公言するのは、失う者のいない、家族を奪われた者だけだ。
――人間の世界でも魔族の世界でも表だって生きていけない。それなのに、キミは自分から人間の組織に属し、それでいて人間嫌いを公言する。全く滑稽極まりないよ。
――きっとキミは撃退士に酷い目にあわされたら、今度は撃退士全てを憎むんだろうね。その時は、彼らの首でも持ってボク達の所にでも来るつもりかな?
――言っておくけど、キミみたいな負け犬に来られても、こっちは迷惑極まりないな。言う事を素直に聞く分、ディアボロの方が幾分ましだよ。
「私……悔しいの」
「悔しい?」
Erieは頷いた。
「酷い事を言われたから悔しいんじゃない。何も出来なかったのが悔しいの」
「魔術を覚えて、撃退士になって……やっと、自分が無力じゃなくなったって思えたのに……奪われる苦しみを二度と味あわなくて済むと思ったのに……」
Erieの目から涙が流れた。
「私、あいつに何も言えなかったの。鋳型にはめられたみたいに、口も体も動かなくなって……父さんと母さんを奪われたあの時みたいに……」
今、Erieの心の刃には、亀裂が入っていた。ここで刃が折れれば、恐らく彼女は二度と戦えなくなるだろう。
「私、あいつに何もできなかった……言い返す事も、殴り返す事も……私は、あの時から何もできない、弱いまま……」
(目の前で苦しむ彼女に対して、私は何ができるだろう?)
テレジアは暫し自問して、自分の本心をErieに言おうと決めた。
「Erie、あなたは自分では気づいていないかもしれません。でもあなたは、弱くなどない。仲間のために重傷を負うことも厭わず、常に全力で最善の道を探し続ける、最高の撃退士です」
「……私が?」
「そうです。私にとって、あなたは友であり、目指すべき目標のひとりでもあります。ですが……」
テレジアはErieの目を正面から見据えて言った。
「それは、あなたが戦いに強いからではありません。魔術が使えるからでもありません」
「だったら、どうして?」
「それは、あなたがErie Schwagerinだからです」
この時、テレジアが口にした言葉は、ただこれだけである。
慰めの言葉も、励ましの言葉も、テレジアは一切口にすることはなかった。
だが、テレジアのその言葉は、Erieの心の底へと静かに染みわたった。
「あなたは自分を弱いと言う。でも、自分の姿というものは、自分自身ではよく見えません。私にとってあなたは、任務のため、仲間のため、あなた自身の目的のため、どこまでも自分に忠実に、命をかけて全力で戦うことができる。そんな強い女性なのです。決して弱くなどありません」
「私のこと、そんな風に……?」
「そうです。私の目には、あなたはそう映るのです」
彼女の声に再び生気が戻った事を確かめると、テレジアは仲間の元へと戻る事にした。
「それでは。私は、そろそろ行かねばなりません」
敵は強敵である。恐らく今頃は、負傷者も出ているに違いない。そんな仲間達を、彼女は守りに行かなければならなかった。彼女が博愛を注ぐ対象は、Erieだけではないのだ。
「待って、テレーズ」
「何ですか?」
数秒間の沈黙の後、Erieはテレジアをまっすぐ見つめて言った。
「無線機、置いてきちゃった。悪いけど……貸してくれない?」
「ええ、喜んで」
(彼女の心の刃は折れていない)
テレジアはそう確信した。
(Erie。あなたはやはり、強い女性です)
○
その頃、6人は……
(大事なのは、1対1の状況を作らないこと。波状攻撃を仕掛けて仕留めなければ)
華澄は武器を魔法書「アクアリウム」に持ち替えると、ページをめくりはじめた。
(愛しあうからこそ、傷つけ合ってでも相手の心に触れたい時もある。学園で出逢った最愛の人に剣を向けたこともある。だからこの戦いの最中だけは本気で……!)
「デュラック」
華澄は、魔法書のページをめくりながら言った。
「戦うしか道はないけど、あなたを愛してみたかったと言ったら?」
「結構だ。好きなだけボクを愛してくれ」
デュラックは言った。
「ボクもキミを愛している。単に、ボクとキミ達では愛の形が違うだけさ」
「笑わせないで」
ふいに、華澄の声に攻撃的な色が加わった。悪魔とのハーフである彼女の、悪魔の力が顕現しているのだ。
「似たような絶望など見飽きたでしょ。繰り返しても同じよ。他人をもっと知りたい? 何千回ゼロに戻されても愛してるなら折れたりしないで一緒の時間を重ねていくしかない。ガキは帰りなさい」
華澄がアクアリウムを開くと、本の中から小魚の姿をした光の群れが、デュラック目がけて飛んで行った。だが、デュラックは微動だにしない。
(避けないわね……そう。それでいいわ)
華澄は武器を火竜布槍に持ち替えると、槍にアウルを送り込み始めた。
(華澄君が攻めるか……!)
九鬼は華澄に庇護の翼を付与すると、防御陣を展開してデュラックを抑えにかかった。
(彼女も本気のようだ。ならば僕は、彼女の盾に徹するのみ!)
光纏した九鬼の両目が白い輝きを放ち、周囲に陽炎がゆらめき始めた。対峙した相手にプレッシャーを与える事で、動きを封じようというのだ。華澄を背に2人の間に割り込むと、九鬼は盾を構えてデュラックを威圧し始めた。
「まさか、ボクと心中する気かな?」
「無論。覚悟の上だ」
九鬼は即答する。
「優先すべきは、デュラック。君に傷を負わせる事!」
「なるほど」
デュラックは苦笑して肩をすくめた。視線だけは、九鬼から片時も離さずに。
上背と体格に勝る九鬼に視界を遮られたデュラックは、内心で舌打ちした。これでは背後の華澄のモーションが見えない。先程から九鬼の放つ闘気には、いささかも乱れがなかった。体も重心をしっかりと据え、微動だにしない。
(まずいな。こいつは本気だ)
そう判断したデュラックは、空へ飛んで逃げ、闇の翼を広げようと考えた。
(足元には敵が多すぎる。先に遠巻きに撃ってくる敵を黙らせよう)
その直後、
「いけっ!」
華澄の掛け声を聞いたデュラックは、合わせたように空へと跳躍する。
そこへ間髪入れず、華澄の火竜布槍から渾沌の矢が放たれた――空へと向かって。
渾沌の矢は、デュラックの右側をかすめて飛んで行った。
(まさか。ブラフ……)
翼を広げたデュラックは、防御態勢を取ろうとする。そこへ――
「もらったわ」
偏差射撃で放たれた華澄の封砲が、デュラックの胴を貫いた。
デュラックの口から、血が溢れた。
(食らったか……! 魔力の高い相手でなかったことが幸いしたな)
デュラックは、翼を広げると、剣を抜いて封砲の構えを取った。
(だが、僕の行動に変わりはない。まずは、うるさいハエを潰す!)
既に狙撃ポイントの割り出しは出来ていた。デュラックは、封砲の構えをとり、背後のビル目がけて発射した。
デュラックの一撃はアスハの狙撃ポイントに命中し、ビルの一角が区画ごと削り取られて瓦礫と化した。
○
「ぐ……」
アスハは瓦礫の中から身を起こすと、スマートフォンを取り出し、田村へ連絡を入れた。
「アスハだ。ああ、何とか無事だ。ところで、お前にひとつ頼みがある。聞いてくれるか、タムラ。いいか、僕が……」
「……というわけ、だ。頼んだぞ」
「分かったわ。気をつけて」
それだけ言うと、田村は通信を終えた。自分の五体が動く事を確認すると、アスハは足をひきずりながら狙撃ポイントのビルを出た。
(よし。ここまでは計算通りだ、な)
ビルの上空を舞うデュラックの目は、負傷してビルから出てきたアスハの姿を捉えていた。デュラックは待ち構えていたように剣を構えると、アスハの方へと飛んでいった。
程なくして、よろめいて歩くアスハもデュラックの姿を視認した。
「ぐ……く、来るな……」
デュラックは、アスハの懇願を無視して斬りかかる。そして――
パン!
薬莢音と共に吹き飛んだのは――デュラックだった。
「嘘だよ。バカめ」
そう言ったアスハの手には、手甲のジルニトラが装着されていた。
(回復を頼む)
アスハが右手を上げて田村に合図を送ると、アスハの体に回復弾・改が撃ち込まれた。
傷口を塞いだアスハは、地に膝をついたデュラックを見下ろして皮肉な笑みを浮かべている。
「僕が遠くからデカい無駄弾を撃つだけの無能だとでも思ったのか、な」
――僕が合図を出すまで、回復は必要ない。
アスハは先ほど、田村にそう伝えていたのである。それは、何故か?
これまでの戦いで、アスハは2つの事実を掴んでいた。すなわち、
「物理による攻撃は、デュラックには殆ど効かない」
「とどめを刺す瞬間は、デュラックといえども無防備になる」
この2つである。言い換えればこれらの事実は、
「とどめを刺す瞬間を狙って魔法を撃てば、デュラックに傷を負わせられる」
という事である。しかし、アスハの切り札である火力魔法「魔弾杭」は、射程が短いという問題があった。敵は回避能力が非常に高い。こちらから近づいて攻撃しても、確実に避けられるだろう。
これらの情報をすべてふまえ、アスハがとった戦法。それは――
「簡単な話、さ。目の前にエサをぶら下げればいい。くたばりかけた僕の命というエサを、な」
アスハは、デュラックの攻撃を避けられなかったのではない。あえて受ける事で、敵を誘い出すために利用したのである。
「瀕死の僕が姿を晒せば、貴様は必ず僕を殺しに来る。そして、その瞬間だけは確実に無防備になる。そういうわけ、さ」
「なるほど。ありがとう、勉強になったよ」
そう言って肩をすくめるデュラックの笑顔には、未だ余裕の色が残っていた。
(魔法に弱いというのは本当のようだ、な。だが……もう一発当てないときつい、か)
敵には確実にダメージが入っている。アスハの攻撃が命中したデュラックの胸の周りに、白い服を通して赤い血が滲んでいることからも、それは明らかだ。
(しかし、僕に何度も隙を見せるほど、敵も馬鹿じゃあないだろうし、な。今のメンバーで、僕かそれ以上の火力魔法を使えるのは一人しかいない)
いま、デュラックは確実に追いつめられている。だが、逆転にはあと一手が必要なのだ。
(やはり逆転の鍵は、エリー……お前だ、な)
○
今や完全に迷いを振り払ったErieの頭脳は、すぐさま任務達成の方策を探し始めた。
(デュラックは、私の心が折れたと思っている。つまり今の私は、奴にマークされていない。この状況を利用しない手はないわよねぇ)
戦線に戻る前に、何かひとつ、策が欲しかった。闇雲に敵に挑んでも、返り討ちにあうのは間違いない。
とはいえ、先ほどから無線機を通じて流れてくる情報は、こちらに不利なものばかりだった。
既にアスハは切り札を使ってしまった。火力として残っているのは、自分と草摩だけ。そして、物理攻撃に特化した草摩では、デュラックに致命傷を与えるのは難しい。つまり、自分の魔法を命中させなければ、逆転は望めない。
この状況で、どうすれば勝てるのか? Erieは考えた。敗北という選択肢は、既に彼女の中から消え失せていた。
――そもそも、どうしてあいつ、物理攻撃が効かないんだろう?
――物理防御力を強化するスキルでも使えば別だろうけど、発動に時間が必要だし、かけなおしも必要だし……
――でもそれって、時間があれば防御力を強化できるって事よねぇ。
――!!
「まさか……」
Erieはそう呟くと、何かを指折り数え始めた。
「……そういう事だったのねぇ。どうして気づかなかったのかしらぁ」
そう呟いた時には、Erieは立ちあがって走り出していた。仲間達の待つ、戦場へ。
「いいわぁ、久々に面白い悪魔に会えた……。本気で潰してあげる」
顔には、強い意思と決意がこもっている。自然と頬にも笑みが浮かんだ。
「デュラックぅ、私からもサービスよぉ♪ あなたにはもう少し見せてあげる。他の子ばかり相手して、痛い目みても知らないんだからぁ♪」
●第六章
○
「それがキミ達の切り札かい?」
地面に降りて態勢を整え、再びアスハめがけて切り込んできたデュラックの進路を華澄が防いだ。
「草摩さん」
「承知」
草摩はゆっくりとした動作で刀を構えた。
「悪王子・招来……特と御照覧あれ」
草摩の体から、低い唸り声とともに、黒い焔が溢れ出した。やがて焔は、草摩の背後で巨大な武人へと姿を変えた。草摩はいま、巫女として魂に神を降ろし、心を産土と1つにして無となったのである。
「名を産土より授かり、心は武に生き、魂は神に捧げしもの。京は千三百年間、私達が守護してきた祇園様のおわす地……」
自らの故郷である京都を、これ以上悪魔の好きにさせるわけにはいかない。その思いと共に、草摩は再び神明剣の構えを取った。
「おや、また同じ手を使うのかい? 無駄と分かっている技を何度も使うなんて、破れかぶれにしても工夫がなさすぎるよ」
草摩はデュラックの言葉に耳を貸さなかった。この悪魔の言う言葉には、真実など何一つない事を理解していたからだ。
草摩は決して破れかぶれになったわけではない。先ほど、華澄との戦いでデュラックが負傷するところを見た草摩は、デュラックの硬さの理由におよその見当がついていた。そして、彼女の見込みが正しければ、この攻撃は間違いなくデュラックに通るはずなのだ。
「刀術奥義・明鏡止水。静謐な心に邪念及ばず、邪念を心の水鏡に映して見切り、意の無い剣を見切る事難しく神速となる」
死への恐怖に克ち、無の境地に達した者のみが扱いうる必殺の剣を、草摩は使うつもりなのだ。
「明鏡止水か。聞いた事がある」
それを見たデュラックもまた、草摩の方を向き直ると剣を構えた。彼の笑顔は相変わらず変わらない。だが、目は笑っていなかった。
「いいだろう。勝負だ」
デュラックの呼びかけに、草摩は答えなかった。
○
テレジアが仲間のもとへと到着した時に目にしたのは、草摩とデュラックが激突する瞬間だった。そして両者の刀と剣が激突し――
一瞬の空白の後、倒れたのは――草摩だった。
デュラックは足元の草摩を見下ろしながら、優雅な仕草で来ていた服を少しはだけて見せた。服の隙間から覗いた彼の胸板には、刀傷の痕が赤く走っている。草摩の放った一撃に違いなかった。
「残念だけど、キミが切ったのは皮と、その下の僅かな肉だけ。骨までは絶てなかったようだね」
草摩の剣は、確かに届いたのだ。しかし――命を奪うには足りなかった。
だが、この時。
デュラックは得意げな言葉を吐きながらも、心の中では全く別の事を考えていた。
――まずいな。骨をやられた。
――このタイミングで仕掛けたという事は、こいつは勘づいている。ボクの秘密に。
――首の皮一枚で助かったが、こいつは手練だ。次はないだろう。ここで殺した方がいい。
――だが待て。あと30秒もすれば、時間が来てしまう。アレの発動が先だ。まずは時間を稼げ。発動までの時間を。
そう考えると、デュラックは瞬時に行動を起こした。
回復弾・改を装填した田村の射線を遮りながら、デュラックは言う。
「明鏡止水、か。大したものだ」
草摩の返事はない。うつ伏せで地面に倒れたまま、荒い息をたてるだけだ。彼女はいま、重傷を負った自分の体を、リジェネレートで必死に癒していた。
「確かに、ボクら悪魔には人間と同じ心を持つ事はできない。従ってキミの明鏡止水を避けることは、ボクには無理だ。認めようじゃないか。でも……」
(あと少しだけ時間を稼ぐんだ。もう魔法を撃てる奴はいない。まだ大丈夫だ)
「キミはひとつ、重要なことを見落としている。キミの明鏡止水とやらは、『刀で斬られたら死ぬ』という前提がなければ成立しない。要は、悪魔の騎士であるボクには通用しないということさ」
(いいぞ。あと15秒だ)
「キミのやったことは、鎧を着こんで、鋼鉄の剣を抜いて迫ってくる相手に、木の棒切れを神速で当てるようなものだ。ボクの服を切り裂き、皮を切り、僅かながらも肉まで切った。でも、それだけだ」
(よし。あと5秒だ。それでボクの勝利は決まる)
「まあいいや。もうキミ達の手の内もだいたい分かったしね。悪いけどキミにはここで――」
ここで死んでもらうよ。気取った仕草でデュラックが草摩に勝利を宣言しようとした、その時。
撃退士達の目の前で、デュラックの背中が赤白く光り、爆風が撃退士達の髪を弄んだ。
○
最初に撃退士達の目に飛び込んだのは、体から煙をあげ、よろめいて膝をつくデュラックの姿だった。デュラックから最も近い場所にいた九鬼は、それを見て一瞬だけ、
――まさか、これも彼の奇策なのか? やられた振りで、こちらを誘おうと……
そう考えたものの、即座にそれを否定した。苦痛と驚愕に顔を歪めながら、地面に這いつくばるデュラックの姿を見れば、それが芝居などではない事は明らかだった。
――間違いない。デュラックは攻撃を食らったんだ! でも、一体誰から?
――これは遠距離の魔法攻撃だ。という事は、これを撃ったのは……
果たして九鬼の思った通り、彼の視線の先には一人の少女の姿があった。
デュラックの後方で傲然と胸を張り、勝利の表情を浮かべるErie Schwagerinの姿である!
○
「ふふ。おバカさん。私のブラストレイの味はどうかしらぁ?」
「き、貴様……」
剣を杖代わりに立ち上がったデュラックの顔からは、完全に笑顔が消えうせていた。
それを見たErieは、愉快そうに笑う。
「残念だったわねぇ。もうバレてるわよぉ。何もかも」
「バレた、だと。一体何が――」
Erieはデュラックの言葉を鼻で笑って遮った。
「あなたが物理攻撃に強いのは、スキルで防御力を上げているから。でも、発動する時は殆ど身動きが取れず無防備になる。そうよねぇ?」
「……どうやら、考えていた事は同じのようですね」
リジェネレートと田村の回復弾・改によって回復した草摩が言った。
「あなたが長話に拘った理由は至極簡単。それはスキル発動の時間を稼ぐ為。貴方が華澄の封砲で負傷した時から、その見当はついていました」
華澄の封砲をくらって血を吐いたデュラックを見た時、草摩は敵が内臓にダメージを受けた事を察した。それは即ちデュラックの体に、かなり大きな物理ダメージが通った事を意味する。しかし、草摩の神明剣と華澄の封砲を比較した場合、物理的な威力は神明剣の方が高い。にもかかわらず、デュラックは封砲で大きな物理ダメージを受けている。
これは一体、何を意味するのか?
「恐らく華澄の封砲を受けた時点で、スキルの効果が切れ始めていたのでしょう。私が神明剣を準備した時、あなたの声色には焦りがあった。スキルの効果が完全に切れるタイムリミットが迫っていると分かったからこそ、時間を与えずに私は攻めたのです」
リミットの時間は僅かに読み違えましたが、と草摩は付け加えた。
草摩の言葉を継いでErieが言った。
「最後の火力である草摩が倒れれば、あなたは安心してスキルをかけられる。だから私は、倒れた草摩に高説をたれてるあなたの背中めがけて、ブラストレイを撃ち込んでやったってわけよぉ」
「戦いの前に予め物理と魔法の防御力のどちらか片方を選んでおき、選んだ方の防御力を飛躍的に上げられる。あなたのスキルの正体はそんなところでしょう」
「最初にディアボロを使って集めた情報では、魔法使いは私だけ。だからあなたは、物理防御を上げる方を選んだ。そして『ボクは魔法に弱い』、そう言って物理攻撃が効かない事を示せば、当然私達は高火力の物理系スキルの使用を控え、魔法メインの戦いになるはず。そうなれば、物理攻撃がメインの私達の力を大きく削れる。戦法や立ち回りも誘導できる。あの言葉にはそういう狙いがあった。違うかしらぁ?」
デュラックは答えなかった。その沈黙は、2人の指摘が事実であることを示していた。
「ホント、バカよねぇ。私を追い詰めた時も、さっさと首を刎ねれば良かったのにねぇ。どうせ私の絶望する顔が見たいとか、そんな下らない理由で生かしておいたんでしょ?」
「Erieの言う通りだ。自分勝手に調べて、納得して、終わらせちゃう……礼儀も物も知らない、寂しい子だねぇ。君は絶対に、自分のことさえ、何も分かってやしない」
九鬼が言った。
「君は傲慢すぎた。その愚かな慢心がなければ、今そこで惨めな姿を晒すことはなかったろうに」
「そういうことよぉ。だ・か・ら……私に教えてくれる?」
Erieはデュラックに笑顔を向けて言った。
「無力で非力な、一匹狼気取りの魔法使いに叩きのめされた気分はどうかしらぁ? 自分より弱い相手にしか粋がれなくて、小細工に走るしか能のない、どうってことないヘナチョコの、馬鹿で阿呆で間抜けで愚図なお調子者のトーヘンボクのクズ悪魔さぁん」
デュラックの口から、言葉にならない呻き声が漏れた。
撃退士達は、状況が逆転した事を確信した。
○
(奴の化けの皮は剥がれた。ここで一気に決着をつけるわ)
田村は回復弾を装填し、負傷した仲間に次々と撃ち込んでいった。
その時、田村のスマートフォンが着信を告げた。
(学園から着信……「最優先」メール?)
「最優先」メールは、学園関係者のみが発信できる緊急メールであり、任務遂行の結果を大きく左右しかねない、重要な情報を扱ったものである。
(何だというの。こんな時に)
田村は焦りを感じながら、スマートフォンを操作する。
画面に表示された発信者の名前は――宮沢勝太だった。