●序章
全員が無傷で帰れるとは思っていなかった。
私は、いつものように依頼を受けて、いつものように任務の顔合わせをし、いつものように準備を整えて現地に出発した。
負傷する人間が何人か出ることは覚悟していたし、もしも危ない仲間がいるならば、私が進んで助けようと思っていた。
そのために自分が怪我をしても、仲間を助けられるなら本望だと思っていた。
どんなに強い敵が相手でも、皆で力を合わせれば、絶対に勝てるはずだ――そんな風に思っていたのだ。
でも。
この時の私は、何も分かっていなかった。
騎士階級の悪魔を敵にするということの意味も。
「犠牲を出さずに勝つのは難しい」、マイが口にしたというその言葉の意味も。
私より強い撃退士たちを一人残さず殺してきた、そんな相手と戦うということの意味も。
何ひとつ、分かっていなかったのだ。
●第一章
警察に借りた車両を使い、B班の撃退士4人が現場に着いた時には、既に街中に人影はなく、乗捨てられた車が点々と車道に放置されていただけだった。どうやら、警察による住民の避難はスムーズに行われたようだ。
運転手と助手席から降り立った向坂 玲治(
ja6214)と華澄・エルシャン・御影(
jb6365)は、地図で場所を確認すると、ディアボロの場所までのルートを頭の中に描いた。後部座席から降りたアリーセ・A・シュタイベルト(
jb8475)と、Erie Schwagerin(
ja9642)も共に、場所を確認する。
彼らが車を降りて5分ほど歩くと、この古都には似つかわしくない、異様な空気を放つふたつの球体が空に浮かんでいた。成人男性がまるまる入りそうな、メタリックな銀白色に輝く球形のフォルム。球の中央からこちらを伺うふたつの目玉。
人類にとって害をなす、撃退士達が排除すべき存在――ディアボロである。
敵を前に、アウルの光を帯び白く発光した武器を構える4人。そこへ、アリーセの持つ無線機に、A班の田村 ケイ(
ja0582)から連絡が入った。
「アリーセです」
「こちらA班、田村。間もなく敵との戦闘に入るわ」
「B班、了解しました。こちらも間もなく戦闘に入ります」
「了解。気をつけて」
田村が通信を終えたのを確認すると、各々の武器を無言で構える。
「よし、行くぞ皆」
先頭に立つ向坂の言葉に、3人は力強く頷いた。
○
最初に動いたのは向坂だった。
向坂は右側に浮かぶディアボロにタウントを放つと、ディアボロの1体が挑発につられ、向坂の方角へと飛んでいった。
ディアボロの目から放たれた熱線を、紙一重の差で向坂が避ける。
向坂の背後でディアボロの光線を浴びた街路樹が、一瞬にして石化した。
(なるほど。こいつを食らったらひとたまりもないな)
向坂と華澄の2人は、アリーセから聖なる刻印を受けていた。
事前に得た情報では、敵は状態異常を誘発する攻撃をしてくるらしい。
刻印は、その攻撃を食らったときのための保険である。
華澄は敵の連携を寸断すべく、もう片方の射程に飛び込むと、ディアボロめがけてソニックブームを放った。狙うは敵の目である。すかさずそれを回避するディアボロ。華澄は攻撃を封砲に切り替えると、再び攻撃の機会をうかがい始めた。
彼女の足元では、アリーセが不意打ちに備えて阻霊符を展開しつつ、負傷者の救護の準備を整えていた。彼女に攻撃が及ぶことは、なんとしても避けなければならない。
「足止めご苦労様ぁ」
向坂と華澄の背後から、Erieの蠱惑的な声が聞こえてきた。
詠唱を終えた彼女の遥か頭上から、小さな隕石が次々とディアボロに降り注いだ。
「巻き込まれないように気をつけてねぇ。私、手加減とか苦手だからぁ」
Erieが笑いながら言った。どうやら彼女は、最初から全力で敵を叩き潰すつもりのようだ。
隕石の一つが、ディアボロの目に激突した。陥没した瞳から炎を吹いて墜落するディアボロ。
そこへ向坂が好機とばかりに、
「そらよ!」
残ったディアボロの瞳めがけて、オーラによって強化された掌から、神輝掌を放つ。
敵との距離を一気に縮め、向坂の掌がディアボロの瞳を砕いた。
「よし、残り1匹だ!」
アリーセはその光景を見つめながら、東で戦っている仲間達の身を案じていた。
――向こうの4人は、大丈夫かな。
○
一方その頃、東エリアでも戦いは始まっていた。
東のメンバー4人は、2チームに分かれて敵を撃破することにした。
チームはそれぞれ、田村とテレジア・ホルシュタイン(
ja1526)、ヤナギ・エリューナク(
ja0006)と草摩 京(
jb9670)である。
(敵の攻撃手段は、目から出る光線だ。となれば、機先を制して、攻撃の出を潰すしかねえな)
ヤナギと草摩が狙うディアボロは、先ほどから視界に入った2人の撃退士を逃すまいと、空中から執拗に光線による攻撃を繰り返していた。如何なる仕組みによるものか、敵の両目は本体である球面上を自由に移動できるようだ。
(背後からの攻撃が無理となれば、こいつで行くしかねぇな)
ヤナギは遁甲の術で民家の屋根に潜むと、目隠を駆使しながら、敵の死角を突いた攻撃を始めた。
突如敵の姿を見失ったディアボロは、その姿を探し出すべく、あちこちに忙しなく目を動かす。
そして次の瞬間、自分から目が離れた僅かな隙を、ヤナギは見逃さなかった。
(今だ!)
ヤナギの手から放たれた鎖鎌の分銅が放物状の軌跡を描き、上を向いていたディアボロの片方の瞳を正確に射抜いた。球体の表面に亀裂が走り、穿たれた穴から黒い煙がもうもうと噴き出す。
ヤナギの攻撃でバランスを崩したディアボロは、浮く力を失い地面に落ちた。しかし、まだ終わってはいない。ディアボロは破壊された瞳を球体の背後に移動させ、残った片方の瞳と入れ替えると、なおも必死に抵抗を試みようとした。
と、そこへ――
「頂きました」
間髪いれず、草摩がディアボロの眼前へと跳躍した。彼女は、ヤナギが敵の片目を砕き、残った瞳が自分達の方を向くチャンスを待っていたのだ。好機は、今。これを見逃すわけにはいかない。
だが、なぜか草摩の手には、何も獲物が握られていなかった。素手なのである。いったい、彼女はどうやってディアボロを破壊しようというのか? ヤナギの鎖鎌に匹敵する破壊力を、いかにして生み出そうというのだろう?
「初手……勁撃・硬」
草摩は全身の力を抜き、体中の関節の位置を整えた。彼女は自身の体をひとつの武器と化し、全身の、全力を込めた強烈な一撃をディアボロに繰り出すつもりなのだ。
その時、ディアボロの瞳が赤く発光しはじめた。こちらも敵である草摩に対して、攻撃を加えるつもりのようだ。この距離でディアボロの光線を浴びれば、アウルによって守られている撃退士の草摩といえども、無傷で済まない事は明らかだ。
だが、草摩に動じる様子はない。雑念を払った彼女の脳裏にあるのは、敵を破壊すること、ただその一点だけだ。
勁とは、抗力と慣性で拳を発射する技だ。すなわち、下半身から生じる推進力、捻りによって生じる遠心力、筋肉と内臓の圧力によって生じる抗力を三位一体の火薬と成し、肉体という銃身から、拳という弾丸を発射する技なのである。
今、草摩の白く細い手から繰り出された拳が、対物ライフル弾のスピードと破壊力をも上回る凶器と化し、ディアボロの表面を覆う外装を突き破り、瞳内部に取り付けられた機構を完全に粉砕した。
草摩が手を引き抜くと、哀れなディアボロの瞳の穴から、あたかも自らが攻撃を食らっていたことを今になって思い出したように、少し遅れて煙が噴出した。
「二手……勁撃・柔」
草摩は再び先ほどと同じ態勢を取ると、ディアボロにとどめの一撃を放った。
次の彼女の狙いは、ディアボロの球体そのものである。
草摩は、先程よりも拳を握る力を弱めていた。与えた衝撃をディアボロの全身に伝え、体を内部から破壊するためだ。既に瞳をすべて破壊され、抵抗の手段を奪われたディアボロは、成す術なく草摩の攻撃を食らい、その機能を停止した。
(……やったみたいね)
民家を何軒か隔てた場所から黒煙が相次いで立ち上るのを見て、田村は仲間達の勝利を確信した。
(2人が合流する前に、こっちも片付けなれれば)
自分がヤナギと草摩に施しておいた、聖なる刻印が役に立っていればいいと思いながら、田村は前方でディアボロに威嚇射撃をするテレジアに向かって、無線機で連絡を取った。
「テレジア。もう少しだけこちら側に敵を引きつけられるかしら」
「了解しました」
「お願いね」
そう言って、田村は通信を切った。その顔には、周囲への強い警戒心が伺える。
既に敵は1体だけであるにもかかわらず、なぜか田村は先ほどよりも、周囲への警戒を強めているのだった。
彼女が周囲を警戒するのには、理由があった。
任務出発の3日前に、学園の新聞部長の宮沢勝太という撃退士から、今回のディアボロ襲撃の背後には、撃退士への辻斬りを繰り返している悪魔、ヘクセン――本名デュラック――が潜んでいるという事を告げられたからだ。
聞いた話では、彼に情報を提供したマイという名のはぐれ悪魔は、デュラックと深い因縁があるらしい。新聞部の、それも部長が血相を変えて注進に来ると言うことは、それなりに信憑性のある情報なのだろうと田村は判断し、仲間達にもその事を伝えたのだった。
(あのヘクセン……デュラックが、男だったなんてね)
ヘクセンという単語は、ドイツ語で「魔女」という意味である。これまで幾度となく辻斬りを繰り返してきた悪魔の存在は、当然田村も聞いて知っていたが、ついたあだ名から、なんとなく女の悪魔だろうと思っていたのだ。
これまでデュラックの手にかかった撃退士達は、全員が戦闘中に乱入されて命を落としている。既に田村が阻霊符を展開している以上、あまり非常識な登場をするとも思えなかったが、念には念を入れておかねばならない。人や動物だけではない、仲間に化けて出てくる可能性もあるからだ。
警戒を強める田村の前方では、水月を構えたテレジアが、ディアボロを相手に激戦を繰り広げていた。
(やはり、あの目を潰さなければ駄目ね)
田村の心には、僅かに焦りがあった。戦闘の序盤でテレジアが敵の石化光線を食らい、石化を解くために最後の刻印を使用してしまったからだ。敵は残り1体とはいえ、田村らの置かれた状況は決して楽観的なものではなかった。
「OK、テレジア。敵が射程に入ったわ。位置座標0605。射線から離れて」
「分かりました」
遮蔽物の陰から銃を構えると、田村はディアボロの目のひとつに狙いを定めた。先ほどの戦闘で、田村とテレジアは、敵の攻撃には数秒のタイムラグがあることを見抜いていた。
(光線発射の際には、敵の瞳が赤く光る。ラグは2秒から3秒。その間、瞳の位置は動かない)
今、テレジアは田村の射線の左前方にいるようだ。空中から地面を見つめるディアボロの目が、それを伝えている。
程なくして、片方の目の瞳が、赤い光を放った。
(そこ!)
機を逃さず、田村が銃の引き金を引く。
狙撃銃から発射されたスターショットが、ディアボロの瞳を砕いた。
テレジアは、田村の一撃がディアボロに命中したのを確認すると、頭上に浮かぶディアボロに跳躍し、残った片目に魔具「水月」を突き立てた。両目を失ったディアボロはあえなく墜落し、破壊された。
○
(何とか排除には成功したものの……こっちもそこそこやられたわね)
合流した面子を眺めて、田村はそう思った。
(重傷のメンバーもいないようだし、前衛の2人は合流後にアリーセに回復を頼もう)
今回のメンバーの中には、負傷者を回復できる能力を持つ者はあまり多くない。
重傷などの緊急時以外は、回復能力の使用を極力避けたいと田村は考えていた。
「こちら田村。東は片付いたわ。今からそちらに向かいます」
全員が合流した事を確認すると、田村は無線でB班のアリーセに状況を報告した。
だが、無線機からの応答はない。胸騒ぎを覚えた田村は、再度無線機に呼びかけを行う。
「B班? どうしたの、応答して」
程なくして、無線機からノイズの混じったアリーセの声が聞こえてきた。
「……村……デュ……こっちに……電波が……」
「B班! デュラックがそっちに出たの!?」
「向……刺され……ディアボ……まだ残って……」
即座に状況を把握した4人は、即座に西へと向かった。
●幕間
これは、撃退士達が任務に赴く前日の話である。
「この依頼契約書にサインしろ。出発は今夜だ」
「どうした、いきなり。撃退士をやめて押し売りにでもなったのか」
「いいからサインしろ」
「断る」
久遠ヶ原、新聞部部室。話しているのは勝太とマイだった。
その日、最後まで部室に残っていた勝太が、部屋を閉めて取材に行こうとした矢先に、マイがやって来たのだ。
「この任務は危険なのだ。だからお前を誘った」
「人の話を聞け。俺はこれから取材に行く。お前に関わっている時間はない」
「時間がないのだ。協力してくれ。特ダネになるかも知れんぞ」
「他の奴を誘え。戦死したら三面記事にでも書いてやる」
「タダでとは言わん。サインしたら、お前の言う事を何でもひとつ聞いてやる」
「……それは本当か」
勝太の態度が変わったのを見て、マイの顔に勝利の笑みが浮かんだ。
「本当だとも。私に二言はない。さあ言ってみろ。お前は私に何をしてほしいのだ? ん?」
マイは勝太を挑発するように、頭に生えた角の先端で、彼の頬を器用につんつんと突く。
「簡単だ。ひとつ、お前に聞きたいことがある。それに正直に答えてもらおう」
「聞きたいことだと?」
「ああ……お前がデュラックを殺そうとする、本当の理由だ」
マイの顔から笑みが消えた。
●第二章
アリーセは、微かな旋律を奏でながら、向坂の背中の刃傷を治療していた。
呼吸を整えながら、向坂が眼前の悪魔に言う。
「まさかディアボロの死体から出てくるとはな」
「驚いたかな? 多くの人間は、死体には注意を払わないからね」
向坂と会話を交わす悪魔の姿を見て、華澄は、即座に敵の情報を頭に叩き込んだ。
(中肉上背、髪の色は黒。角と翼は隠している。武器は剣。悪魔の騎士階級の制服を着用)
4人の前で微笑を浮かべて佇むデュラックの姿は、いかにも品の良さそうな好青年といった風情だ。
だがその瞳には、爬虫類を連想させる酷薄な色がある。
「お仲間が着くまで、もう少しかかりそうかな?」
「お仲間? 何のことだ」
笑みを崩さず語りかけるデュラックを見て、何故か向坂は体中に毛虫が這うような不快感を覚えた。
「隠さなくてもいい。あのディアボロの目はね、攻撃だけじゃなくて、主であるボクに映像を送るカメラの役割も持ってるんだ。だから他の4人の情報も、ボクには大体分かる」
デュラックはそう言うと、残った最後のディアボロに聞き取れない言語で指示を出した。
それを聞いたディアボロの目が、即座に街の東に向けられる。
「軽薄そうな赤毛の男が1人。黒髪の女が2人。銀髪の女が1人。車で此方に向かってるね。到着まで大体、20分くらいかな」
「ご親切に、ありがとよ」
仲間の情報を正確に言い当てるのを聞いて、向坂はデュラックの言葉が偽りでないことを理解した。
「ああ、そうそう」
頭上のディアボロに向かってデュラックが指でサインを送ると、ディアボロは両目を閉じたまま空中で静止した。
「今、ディアボロに指示を出した。キミ達の応援が来るまで、アレは君達には手を出さない。安心してかかってくるといい」
「へっ。てことは、俺達がディアボロを攻撃しても、奴は一切反撃しないって訳だな」
「その通り。何なら、試してみるといい。……出来るものならね」
そう言うと、デュラックは剣を構えた。
華澄の視線は、デュラックではなく頭上のディアボロへと向けられていた。
敵は状態異常を誘発する攻撃能力を持っている。これとデュラックの戦闘力が合わされば、それは8人にとって恐ろしい脅威となるだろう。彼女は味方が到着するまでに、何とかして8対1の状況を作っておきたかった。
華澄は陰影の翼をはためかせて空に飛びあがると、玉繭によってアウルの糸をまとい、封砲の構えを取った。
そんな彼女を追いかけるようにデュラックもまた翼を顕現させると、宙へと飛び立つ。
幸いにしてデュラックは、A班の4人が到着するまでは、ディアボロには手を出させないという。その言葉に嘘はないと華澄は判断した。つまり今は、ディアボロを撃破する最大のチャンスなのだ。
「デュラック、あなたは何故戦うの? 何故私達に興味があるの? 敵を一度で殺して全て理解できるかしら」
華澄は、デュラックに話しかけながら封砲を放った。これは、仲間が到着するまでの時間稼ぎの意味もあったが、それよりも彼女は、敵である彼の心を知りたかったのだ。
華澄の封砲を難なく避けると、デュラックは華澄の問いに簡潔に答えた。
「『楽しいから』『面白そうだから』『できる』。以上、回答終わり」
話は終わりとばかりに、デュラックは華澄に肉薄すると、剣による猛烈な連撃を浴びせ始めた。
「これ以上を知りたいのなら、力ずくでボクの口を割ることだ。ああ、言っておくけど……ボクがキミにディアボロを攻撃する隙をあげるとは思わない方がいいよ」
デュラックの言う通りだった。彼の攻撃は正確に華澄の防御の隙を捉え、彼女の体を守る玉繭のアウルは、みるみるうちに削られていった。だが、それにも怯む事無く、華澄はなおもデュラックに問い続ける。
「最後の最後にあなたが私達をどう見るか。あなたを私がどこまで知ることが出来るか。
お互い何を想うか。答えが出るまで私はあなたと戦い抜く。地獄の底へでも追ってゆくわ」
「……残念だけど、それは不可能だね。なぜなら」
デュラックは華澄の繰出す攻撃の一瞬の合間を縫って彼女の間合いに割り込むと、僅か一手で華澄の剣を打ち払った。
手にした剣を跳ね上げられ、がら空きになった華澄の華奢な身体めがけて、デュラックの容赦ない蹴りが浴びせられる。
「地獄に行くのは、キミ達8人だからさ。ボクはキミ達が地獄でのたうつ姿を、高見の見物で見届けることにするよ。とっておきの酒でも飲みながらね」
渾身の蹴りを食らった華澄は、凄まじいスピードで地面に叩きつけられ、大きな土埃が周囲に立ち上った。
○
「ヘクセン……不意討ちばかりとは、なかなかの卑怯者みたいね」
「ヘクセン? ああ……確かキミ達撃退士が、ボクを呼ぶ時の名前だったね」
「違う名で呼ばれるのが嫌なら名乗りなさい。同じ悪魔の血が流れる者に名乗れない名前ってわけでもないでしょう?」
「いや、いいよ。ボクもその名前、結構気にいってるしね。ただ……」
デュラックはアリーセの方を向くと、首を傾げて笑った。それは嘲笑に近いものだった。
「どうしてキミがボクの事を卑怯者と思ったのか。その事には興味があるな」
Erieの放つコメット。
華澄の放つ封砲。
向坂の放つ神輝掌。
それらが混然一体となって雨のように降り注ぐ中を、デュラックは何事もないかのように平然と舞いながら、アリーセと話を続ける。
「今ボク達がやってるのは、スポーツでも試合でもない。殺し合いだ。なら、そこに卑怯なんて理屈が介在する余地がないことくらい、少し戦場に立った撃退士なら知ってそうなものだけどね」
それを聞いた向坂が鼻で笑う。
「よく言うぜ。不意討ちに失敗するような奴の言う台詞じゃねえな」
「ははは。それについては、認めるよ。悔しいがその通りだ。ところでキミ」
「あん? 何だよ」
「『13人』。これが、何の数字だか分かるかな?」
「てめえが今まで手にかけてきた撃退士の数だろうが」
「残念ながら、外れだね。それだとボクとキミ達、両方の持ってる手足の指を全部使っても数えきれないよ」
そこまで言うと、デュラックは何を思ったか、手にした剣を鞘にしまった。そして――
「答えは簡単だ。ボクの不意打ちを躱して、なおかつ今のキミと全く同じ文句で僕を煽った人間の数さ。今はもう、全員墓の中だけどね。たぶん今日中に14人になるよ」
デュラックはそう言うと、向坂の鳩尾に鉄拳を放った。
「な……」
向坂は体を硬直させ、地面に崩れ落ちる。
――何が起こった!? まさか俺は倒れたのか!?
――息ができねえ。攻撃を食らったんだ!
――腹だ。腹をやられた。いつの間に!?
――あいつ、何の前触れもなく、間合いに入りやがった。
――何だこれ。体が動かねえ。立て。立たねえと、やられる!
腹を抱えて倒れた向坂に向かって、デュラックは話し続ける。
「ちなみに。今の攻撃を避けるか防ぐか出来たのは、13人中11人だね。もうちょっとキミには頑張ってもらいたいな。そうでないと殺し甲斐がない」
手に持った武器の棍を杖代わりに、ふらつく足で立ちあがる向坂。
それを見たデュラックは、芝居がかった仕草で驚いてみせた。
「おっ、立ったね。驚きだ。これを食らって立ったのは、キミが初めてかな」
「畜生……20年前の少年漫画の3流悪役みたいなセリフかましやがって」
「おや、そのうえ喋れるんだね。大したものだ。内蔵の1個か2個は破裂してると思ったんだけどな」
デュラックがそう言い放った、その時。
彼の頭上で、ディアボロが爆発した。
○
地上からの攻撃によって体を切り刻まれたディアボロは、爆炎と共に破片を周囲に撒き散らしながら地面に墜落した。
「よそ見してんじゃないわよぉ、バーカ」
デュラックの背後から、Erieの嘲笑う声が聞こえてきた。
彼女は、自らの手から無数の刃を放つ魔法「Demise Theurgia-Louisette BoisdeJustice」で、ディアボロを撃ち落としたのである。
「おっと、やられちゃったか。残念だな」
ディアボロの残骸を眺めながら、口惜しげな言葉を呟くデュラック。だが、その両目は抑え難い好奇心に光っていた。
「見たことのない技だね。キミが考えたのかな?」
「そうよぉ。あんたの首もこいつで刎ねてあげるわぁ」
「そうか。じゃあ、ボクからも一個、キミ達にプレゼントだ」
そう言うと、デュラックはErieに微笑みかけた。
「ボクは、魔法に弱い。だからキミの攻撃を食らったら、結構ダメージは大きいだろうね」
「あらぁ。ありがとう、おバカさん。それじゃあお望みどおり地獄に送ってあげるわぁ」
負けじとErieも妖艶な笑みを浮かべて返す。
「見てたんなら解るでしょぉ? 私、隕石も使えるの。他に突風もあるわぁ。でも、あとはヒミツ。あんたはどれで死にたい? 選んでいいわよぉ」
「そうだね、結構迷うな。ちなみにキミのお勧めはどれだい?」
「隕石はあんまりお勧めしないわぁ。見かけの割に威力は低いし、こっちの味方にも被害が出るし。まぁ、別に人間なんか何人潰れても構わないけどぉ」
「うわぁ、怖いな。じゃあさ、最後にもうひとつ教えてほしいな」
「なぁに? 間抜けな騎士の悪魔さん」
「キミさ、家族への伝言は何かあるかな? 万が一ボクが地獄に行くことがあったら、ちゃんと伝えてあげるよ。無力で非力な、一匹狼気取りの魔法使い君」
Erieは相変わらず笑顔を浮かべたままだ。だが、その瞳には暗い光が宿っていた。
○
「ねえ、デュラック」
「おや、やっとボクの名前を呼んでくれたね。何かな?」
「どうして、分かったのぉ? 私の家族が人間に殺されたって」
Erieはデュラックにマジックスクリューを放った。風の渦に敵を巻き込み、敵の注意を散らそうというのだ。
「簡単さ。キミ、ハーフだろ? 人間と悪魔の」
Erieの攻撃をまるで意に介さず、デュラックは答える。
「答えになってないわねぇ。そんなの、あんたみたいなド低脳でも見れば分かるわぁ。私は、どうしてあんたが気づいたのか、って聞いてんのよぉ」
「ハーフの子ってさ、人間に比べて優等生タイプが多いんだ。あの金髪や黒髪の子みたいにね。なぜか分かるかい?」
「興味ないわねぇ。それが私の質問とどう関係するわけぇ?」
向坂と華澄の攻撃を難なくいなしながら、デュラックはさらに話し続けた。
「ははは。興味津々って顔だね。理由は簡単だよ。それはね……」
○
デュラックには、ひとつの悪癖があった。
彼は、自分の好奇心を満たす相手を何より愛する。
そして、いつもその愛が行き過ぎて、つい知りたくなってしまうのだ。
愛した相手が、どんな顔をして泣き叫ぶか。どんな顔をして苦しむか。
どんな顔をして絶望し、どんな顔をして発狂し、死んでいくか。
それらを知りたいという欲望に、どうしても抗う事ができないのだ。
彼の名は、デュラック。
欲望という名の主人に仕える下僕である。
●幕間
「答えてもらおう。お前がデュラックを殺そうとする、本当の理由についてな」
勝太がその言葉を口にした瞬間、マイの顔から笑みが消えた。
「お前は先日、お前がデュラックを殺したいほど憎む理由をこう言った。奴が自分以外に女を作ったからだと」
「……ああ、言ったとも」
「俺はこう見えて、記者歴は長い。だから話を聞く時、相手が嘘をついているかそうでないかは、勘で分かる」
「ふん。ならばお前の勘とやらは、大した事はないな。私はあの時、嘘など言わなかった」
「その通り。お前は嘘など言っていない。だが……重要な情報を、幾つか抜いて話しただろう?」
「う……」
「更に言えば……お前が魔界を出奔して、はぐれ悪魔となった理由も、恐らくはデュラックと関わりがあるはずだ。違うか?」
マイは答えない。
――この饒舌な女が黙り込むと言う事は……図星のようだな。
勝太はさらに言葉を続けた。
「お前はなぜ、デュラックをそこまで憎む? 魔界を出奔してまで、騎士という地位を捨ててまで、裏切り者の汚名を背負ってまで、お前が奴を殺そうとする理由は、一体何だ?」
「……書類にサインをしろ。そうすれば話してやる」
マイは勝太の問いには答えずに、依頼署名用の紙を一枚差し出した。肝心の依頼内容の紙は、まだマイの手の中だ。勝太がサインをするまでは、どうあっても見せる気はないらしい。
「私は奴を殺すために、どうしてもこの依頼を達成しなければならない。それは今でなければ、お前がいなければ出来ない事なのだ。そのためなら私は何でもする」
マイが危険というからには、この任務はよほど危険な内容に違いない。最悪、死ぬ可能性もありうる。普通であれば、この状況でサインをするなど正気の沙汰ではない。だが勝太は、どうしても知りたかった。目の前の女が、なぜそうまでしてデュラックを憎むのかを。彼の中で、事件の真相に対して抱く好奇心が、死の恐怖を上回ったのだ。
――俺もある意味、デュラックの同類なのかもしれん。
勝太は内心で苦笑した。
「さあ、サインしたぞ。教えてもらおう」
「よかろう。これでもう、私とお前は一心同体だ」
(それを言うなら『一蓮托生』だろう)
「理由は簡単だ」
マイは勝太の目を真っ直ぐに見つめて言った。
「奴は私の妹達を殺したのだ」
●第三章
A班の4人が現場にたどり着いた時、最初に彼らの目に入ってきたのは、翼を広げて空を飛ぶデュラックの背中だった。
前方に見える小さな4つの人影に向かって何かを話しているところを見ると、どうやら彼はB班の誰かと話しているようだ。
それを見た田村は、即座に銃を構えてデュラックの背後から発砲する。
だがデュラックは、まるで背中に目がついているかのように、田村の銃弾をあっさりと回避した。
「そこまでよ、デュラック」
銃を構えたまま、田村はデュラックに呼びかけた。
デュラックはそんな田村たち4人の方に振り返ると、悠然と笑みを浮かべて言った。
「おや、もう着いたのか。でも、ちょっと遅かったね」
○
「4人は向こうにいる。行ってみるといい。今なら面白いものが見られると思うよ」
デュラックが指差した先には、B班と思しき4人の人影があった。
しかし、デュラックがその言葉を言い終える前に、テレジアは4人の元へと走っていた。
最初にテレジアの目に入ってきたのは、向坂だった。恐らく、腹に痛打を食らったのだろう。左手で腹部をかばい、顔をゆがめて荒い息をしている。
だが、彼は既に呼吸を整えつつあった。まだ肩を上下させてはいたが、ほどなく回復するに違いない。
華澄はちょうど向坂とデュラックの間に立つかたちで、自らの傷を剣魂で癒していた。
向坂の体勢が整うまで、デュラックから向坂を守るつもりなのだろう。
アリーセも、特に問題はなさそうだった。体のあちこちに軽い打撲や切り傷は見られたが、普通に動いて会話もしている。彼女もすぐに回復するだろう。
しかし、アリーセが話しかけている相手……Erieだけは様子が違った。
3人の姿を見たとき、テレジアはErieがもっとも軽傷そうだと判断した。傷の程度はアリーセと変わらなかったが、彼女がこちらの方を見て微かに笑う姿が見えたからだ。
しかし、テレジアがそう思った次の瞬間。
ふいにErieの表情が一変した。それは表情というより、形相という表現の方が正しい顔だった。そして彼女はその顔つきのまま、まるで極寒の凍土に放り込まれたかのように、両腕で自身の体を抱きかかえると、何ごとかを早口で呟きながらその場に崩れ落ちた。
そんなErieの異変を感じ取ったのか、Erieの隣にいたアリーセが倒れた彼女に駆け寄り、必死に彼女をゆさぶっていた。
「さてお立ち会い。これから地獄に旅立つ撃退士8人の感動のご対面だ」
半ば廃墟となった京都の市街地に、ただデュラックの哄笑だけが響いていた。