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現場へと向かう車の中で、撃退士達は作戦の最終確認を行っていた。
「まず、グループをAとBの2班に分ける。A班の仕事は足止めと陽動だ。敵の注意を引きつけ、晶子が下山するまでの時間を稼ぐ」
柊 朔哉(
ja2302)はそう言って、現地の地図を広げた。
「目標地点に到着後、全員で山小屋のある場所まで北上する。敵の進路から見て、北上開始から1時間ほどで俺達と接触することになる。そこでA班が敵を足止めしている間に、B班が晶子たちと合流。A班の背後を迂回して下山する。順調に行けば、作戦終了前に下山できるはずだ」
「じゃ、あたしはB班で」
そう言ったのは、ジェイニー・サックストン(
ja3784)だった。
「相手が悪魔だってんなら、私は楽をさせてもらいますよ」
「分かった。ジェイニーはB班だな」
「それなら、私はA班がいいかしら」
そう言って名乗りを上げたのは、卜部 紫亞(
ja0256)だった。
「事前情報で判断する限り、大した悪魔ではなさそうだわ。でもそんな敵だからこそ、ここできっちりと滅ぼさないとね」
「了解した」
柊はそう言うと、「A班」と書かれたリストに、自分と卜部の名前を書いた。するとそこへ、男の声が割って入った。
「俺もA班で頼む」
嶺 光太郎(
jb8405)である。嶺は面倒そうに頭をかくと、呟くように言った。
「ところでよ、柊。晶子とマリアとはどうやって連絡を取るんだ?」
「どうやって、とは?」
「現場は携帯の電波が届かねえ。かと言ってライトや大声で2人を探したら、こっちの居所を教えることになっちまう。明かりもない真っ暗闇で、すんなりと合流できるとも思えねえが」
嶺の懸念に、イーファ(
jb8014)が答えた。
「それでしたら、私が意思疎通を飛ばしてみます。コンタクトが取れ次第、合流して下山しようと思います」
できれば山小屋で合流できればベストなんですけど、とイーファは付け加えた。
「そうだな。それが一番確実だろう」
イーファの提案に、剣崎 仁(
jb9224)は頷いた。
「俺はイーファ、ジェイニーと共にB班で行動する。もしこちらの存在が相手に知れた時は、俺が足止めしよう」
「よし、分かった。A班が俺と卜部と嶺。B班がジェイニーとイーファと剣崎だな」
柊の言葉に頷く撃退士たち。
その時、車を運転する三連沢時雨が、撃退士たちの方を振り向いて言った。
「もうすぐ着くぞ。準備しろ」
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撃退士たちが現地に到着すると、時雨は彼らにトランシーバーを手渡して言った。
「何かあったら連絡をくれ。いつでも加勢する」
「分かりました。いざという時はお願いします」
そう言ってトランシーバーを受け取りながら、ジェイニーは今後の事を考えていた。
(三連沢サンも元とはいえ撃退士ですから、足手まといにゃならねーでしょうが……下手に悪魔とは関わらず、さっさと2人を下山させて退却したいですね)
事前の説明では、既にダストギールの討伐隊が編成され、こちらへ向かっているらしい。となれば、討伐は彼らに任せておけばいいというのが、彼女の本心だった。
(勝手に逃げれば追いかける心算はねーんですけどね、私は)
ジェイニーはそう呟きながら、仲間達と共に山中へと足を踏み入れた。
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「あっ、待って下さい、皆さん」
山の中腹に来たところで、イーファがふいに歩みを止めた。その視線は、山小屋のある北の方角を見据えている。どうやらマリアとの意思疎通が成功したようだ。
「マリアさんとコンタクトが取れました。山小屋を出てこっちに向かってるみたいです」
「よし、俺達はこのまま北へ行こう」
剣崎はそう言ってスマホで時刻を確認した。21時だった。
「2人にはそのまま待機してほしいと伝えてくれ。山小屋まで行く時間はなさそうだ」
24時にはダストギール討伐隊がこの山間エリアに到着する。そうなれば、この一帯は戦場になるだろう。民間人である晶子を戦闘に巻き込むことは避けたかった。だが、今から2人を山小屋に戻して合流していたのでは、タイムリミットである24時までに下山することは不可能だ。
「仕方ねーですね、行きましょうか。というワケで、後は頼みます」
ジェイニーは先導を務めるため、夜目のスキルを発動した。
「気をつけろよ」
そう言ってB班の3人を見送った嶺。だがその声と姿は、嶺ではなくマリアのそれだった。彼はイーファから聞いた情報を元に、変化の術でマリアに化けたのである。
イーファからの情報では、ダストギールはマリアに対して大きな恨みがあるらしい。となれば、マリアの姿を見れば、ダストギールの注意を引きつけられる公算は高かった。
「皆、覚悟はいいな」
柊のその言葉に、卜部と嶺は頷いた。
事前の情報から判断すれば、敵であるダストギールは彼らのすぐ傍に迫っていることになる。
「さあ、来なさい。その醜悪な性根をふっ飛ばしてジャンクにしてあげるわぁ」
この戦いで、悪魔が一匹死ぬ。それを思う卜部の心は歓喜に震えた。
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柊、嶺、卜部。
ダストギールを探すため、山間中央エリアに散らばった3人の撃退士達は、ふいに虫の鳴き声が止んだことに気づいた。
敵がいる。それも、すぐ近くに。
ふいに柊は、首筋の産毛が逆立つのを感じた。
考えるより先に、体が動く。
瞬時に構えた柊の盾が暗闇からの剣を弾き、散った火花が敵の姿を照らした。
(こいつが、ダストギールか)
柊の眼前に立っていたのは、中背の白髪の悪魔だった。着ている服は土で汚れ、所々に傷が走っている。逃げる途中に負った傷のようだ。
「貴様、撃退士か……」
「待っていたぞ」
ダストギールの問いかけには答えず、柊は敵に向き合った。
戦闘開始である。
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(まずは敵の実力を見極めなければ)
柊はそう自らに言い聞かせ、斧を構えた。お互いの間合いを探りながら、慎重に距離をつめていく柊とダストギール。そこへ卜部が合流した。
卜部はダストギールの背後の樹上にテレポートすると、La main de haine(レ・マン・デ・ハイネ)を発動させた。闇の中から現れた無数の白い手が敵の左腕を捉える。バランスを崩して一瞬よろけるダストギール。柊に向けて放たれた彼の一撃は、虚しく空を切った。
この隙を見逃す2人ではない。卜部はすかさず、眼下のダストギールにフレイムシュートを放った。それに合わせて柊も斧を構えて攻勢に出る。磔刑によって赤い光の宿った柊の斧と卜部の魔法が、ダストギールの周囲から赤い雨となって降り注いだ。
相手が並みのディアボロであれば、この時点で決着はついていただろう。しかし、相手は悪魔である。即座に避けきれないと判断したダストギールは、背中に生えた蝙蝠のような翼を広げて卜部のフレイムシュートを受け止めると同時に、眼前の柊に再度の攻撃をしかけた。
静まり返った山中に、鋭い金属の衝突音が響く。ダストギールの一撃を受けるたび、柊の体には鉄球をぶつけられたような衝撃が走った。
(なるほど、さすが悪魔だけある。手負いとはいえ大したものだ。こちらの損害なしで排除するのは少々厳しそうだな)
ダストギールの攻撃を受けながら、敵の実力をそう評価する柊。
先ほどからダストギールは、対面の柊にだけ執拗に攻撃を繰り返していた。卜部の猛攻を受けたその両翼は、すでに無残に折れて使い物にならなくなっている。窮地に追い込まれた事を悟ったのか、次第にその剣先に焦りが見え始めたことを柊は見て取った。
(相手は冷静さを失いつつある。いい調子だ。だが……)
既に戦闘開始から1時間が経過しているにもかかわらず、敵の攻撃は衰えを見せる様子がない。先ほどから卜部が光球でダストギールの牽制を試みるも、敵の目には柊しか映っていないのか、こちらには全く目もくれない。
(とんだ敵に好かれたものだ)
柊は苦笑した。だが、笑ってばかりもいられない。このままのペースで攻撃が続けば、持ちこたえるのは厳しいと柊は感じていた。
(よし。あれを試してみるか)
柊の頭に、ひとつの策が浮かんだ。
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「おい、まさかこの程度か? そろそろ本気を出したらどうだ、『ダス何とか』」
柊はそう言って笑った。
さすがにこれが挑発だと気づかないほど、ダストギールは愚かではない。だがそうと分かっていても、その怒りを表に出さずにいるには、彼はまだ未熟すぎた。無意識に吊り上るダストギールの目尻を、柊は見逃さなかった。
(よし、挑発は効く。もっと頭に血を上らせなければ)
挑発で理性を失うほど、敵の意識は柊達に釘付けになる。それは同時に、晶子が安全に下山できる時間をそれだけ長く稼げるという事でもあった。柊はブレスを使用すると、リスクを覚悟で更に相手を挑発した。
「どうした? なぜさっきから黙っている。何とか言え『ダス何とか』」
すかさず卜部が絶妙のタイミングで口を挟む。
「あら、そんなの図星だからに決まってるわ」
「おお、そうか。ロクなことを考えていないんだろうなぁこの…、…うん、其方にも色々あるんだろ、俺達にもある。いやまぁ、言いたい事あるけど、今は唯、踊るか」
ダストギールの攻撃が激しさを増した。しかし、怒りに囚われた彼の動きは、非常に単純かつ読みやすいものへと変わりつつあった。こうなればもう、対処は容易だ。柊と卜部は敵が自分達のペースにはまったことを確信した。
「あら凄い。怖いわぁ。食らったら死んじゃうかも」
笑いながら卜部が言った。
「悪い悪い。怖かったか、卜部?」
「いいえ、全然。あんなもの、当たらなければどうと言うことはないものね」
卜部の言う通りだった。狙いを定めることなく放たれた攻撃は、至近距離でも当たらない。単に武器を振り回すだけの攻撃を避ける事など、2人にとっては造作もないことだった。
「言い返せないから暴力に訴えるなんてね。本当に悪魔って最低だわ。さっさと滅べばいいのに」
「さてはお前、あれだな。小さいころは苛められっ子だったな」
「きっとそうだわ。それで弱い相手に八つ当たりするタイプね。間違いないわ」
「ならば、あれだ。少し手加減してやるべきだったな」
今や感情を制御する術を完全に失い、怪鳥のような叫び声とともに次々と攻撃を繰り出すダストギールとは対照的に、柊らの目には、余裕の色が浮かんでいた。それは彼女達が、既に敵の攻撃が脅威でなくなったことを悟ったからだった。
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一方その頃、イーファらB班も、無事に晶子ら2人と合流していた。
「救援に来ました。晶子ちゃんは無事ですか?」
「ああ、無事だ」
マリアの言葉とともに、晶子がマリアの背後から現れると、晶子は3人に頭を下げた。
「ご迷惑をおかけしました。申し訳ありません」
「子供はそんな事気にしねーでいいんです。さ、帰りますよ。あんたのパパが待ってます」
ジェイニーはそう言って晶子とマリアの前に立つと、再び一行の先導役となり、山を下り始めた。
発見されたときの足止め役を買って出た剣崎は、今まで以上にダストギールの不意打ちを警戒した。しかし程なくして、その必要はなさそうだと分かった。A班の誰かがうまく相手を挑発したのだろう、先ほどからダストギールと思しき怒り狂った男の声が遠くから響いてきたためだ。
これは剣崎らにとっては僥倖だった。たとえ周囲が暗闇であっても、敵が大声で喚き散らし、殺気を四方八方に発散させていれば、大体の位置は把握できる。
だが、喜んでばかりもいられなかった。昌子は先ほどから俯き加減になり、口元を手で押さえている。恐らく、ダストギールの放つ殺気にあてられたのだろう。
(敵に見つからないうちに下山しないとな)
焦らないよう自らに言い聞かせながら、剣崎は仲間達と共に、慎重に歩を進める。
銃を握る剣崎の手に、うっすらと汗が滲んだ。
時刻は23時を回ろうとしていた。
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嶺が2人と合流したときに見たのは、柊と卜部がダストギールを手玉に取る光景だった。
(女って怖いねぇ)
嶺は気を取り直すと、卜部と柊に合図を送った。
(次は俺が引き受ける)
合図を察知した2人は軽く頷くと、同時にダストギールの前から姿を隠した。
ダストギールの放つ攻撃の威力は、前よりも激しさを増していた。彼の放つ剣になぎ払われた木が、次々と傾いで地面に倒れる。
「どこだ! 出て来い! 殺してやる!」
「ははは……」
撃退士への憎悪を撒き散らすダストギールの背後から、聞きなれない女の声が響いた。
声の方に向き直るダストギール。そこには忘れもしない、マリアの姿があった。
「相変わらずだな、お前は。私が魔界にいた頃と何一つ変わらん」
そう言ってマリア、いや、マリアに化けた嶺は、ダストギールに優しい笑顔を向けた。
決して軽蔑などしない。この手の相手には、蔑みよりも哀れみの方が何百倍も堪えるからである。
「こんなに苛められて可愛そうに。だが心配はいらんぞ。いつものように泣いて這い蹲れば、きっと撃退士たちも許してくれるさ。それが終わったら久遠ヶ原に来い。永久に私の下僕として可愛がって――」
「マリアァァァァァ!!」
もはやダストギールの耳には、マリアの言葉など届かなかった。
地面を蹴ってマリアに向かって殺到し、寸分の狂いもない突きを彼女の心臓目がけて放つダストギール。
なぜ彼女が、突然この場所に現れたのか? 何か罠があるのではないか?
そのようなことを考える冷静さは、もはやダストギールにはなかった。
そしてこの一撃が、彼の命取りとなったのである。
「かかったな」
嶺は体を捻ってダストギールの一撃を紙一重でかわすと、返しざまにダストギールの頭部に侵食を叩き込んだ。
一瞬意識を奪われ、よろめくダストギール。その顔に、嶺は返す刀で毒手を放った。嶺の一撃は敵の双眸を切り裂き、その光を永久に奪い去った。
光を失うダストギールの目蓋に最後に映ったもの。それは、穏やかに笑うマリアの笑顔だった。
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「良かった。無事だったんですね」
無事に下山を終え、出発地点で待機していた昌子とイーファ達のもとに嶺たちが戻ってきたのは、24時を過ぎてしばらくした頃だった。
「悪魔はどうなった?」
「終わったよ。討伐隊の連中が片付けた」
剣崎の問いかけに、嶺が答えた。
嶺の一撃で視力を奪われ、致命傷を負ったダストギールは、なおもしぶとく抵抗を続けていたが、程なくして居場所を突き止めた討伐隊の加勢により、成す術なく討ち取られたのだった。
「残念だわ。とどめは私がさしたかったのに」
「そいつは残念でしたね。でもまあ、あんまり気落ちしねー方がいいです。機会は沢山ありますよ」
不満を漏らす卜部を、ジェイニーが慰める。
「昌子ちゃん、無事にお父さんに会えて本当に良かったです」
「ああ、本当にな」
イーファと柊の視線の先には、再開を果たし、無言で昌子を抱きしめる時雨の姿があった。
こうして6人の撃退士達は、三連沢親子とマリアと共に帰還の途についたのだった。