●
屋上に立ち、黒い瞳で16人の撃退士を見下ろすザンスカル。
撃退士の中に見知った顔を見つけると、彼女の顔がぱあっと輝いた。
「すっごいドキドキするねえ。ウエヘ!」
「はいはい。……どうやら連中、回復中みたいじゃないの」
ザンスカルの言葉をさらりと流し、隣で呟くヒエマリス。
彼女が目をこらす先では、エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)と浪風 悠人(
ja3452)、雫(
ja1894)が、癒しの風で撃退士の傷を塞いでいた。
どうやら撃退士は、万全の体勢を整えて勝負に出る気らしい。
「だったらこっちも、準備させてもらおうじゃないの」
ヒエマリスは東のビルへと跳躍。グリズリー型ぬいぐるみの召喚獣「ガンバール」を召喚した。
それを追うように跳んできたザンスカルは、何をするでもなく呑気に踊っている。
「ねえヒエちゃん、さっそく何人か飛んできたよ」
ザンスカルが指差した先には、4つの影。
ファーフナー(
jb7826)、黒百合(
ja0422)、エイルズレトラ、ラファル A ユーティライネン(
jb4620)だ。
だが、4人のうちザンスカルに視線を注ぐのはラファルのみ。
ザンスカルはやや拍子抜けするとともに、羨ましそうな目でヒエマリスを見つめた。
「ヒエちゃん大人気だねえ、羨ましい」
「ふふん、日頃の行いじゃないの」
ヒエマリスはガンバールを屋上南側に送ると、固有スキル「生命力回復」を発動。
自身は北側の縁にダッシュし、向かいのビルに視線を送る。
「あの3人、振り切るのは面倒そうじゃないの。私はここで迎え撃つ準備じゃないの」
「生きてたらまた会おうね、ヒエちゃん! ウエヘヒヒー!」
ザンスカルはいつもの笑いとともに、闇の翼を広げて飛んでいった。
●
「お友達とのお別れは済みましたか? お嬢さん」
「いいところに来たじゃないの、おチビちゃん。ちょうど『準備』は終わったところじゃないの」
ヒエマリスの背後から、ダイナモウォークで浮遊するエイルズレトラが声を浴びせた。
エイルズレトラの氷のような視線に負けじとヒエマリスが笑い返す。
「ところで、あの召喚獣は呼ばないんじゃないの?」
「あいにく今日はお留守番です。あなたが蠅の様に飛び回るのでね」
「うふふ、それで? そんな蠅の周りをブンブン飛び回るカボチャさんが何のご用?」
ヒエマリスが闇の翼を広げて飛び立とうとした、その時だった。
「恨みはないですが,倒されてもらいますっ」
明鏡止水で身を隠していた川澄文歌(
jb7507)が、式神・縛を発動。
ヒエマリスの肩に短冊サイズの札を貼り付けた。
「まずはその動きを封じさせてもらいますねっ!」
ヒエマリスの小さな体を、文歌の式神が容赦なく締め付ける。
「……これは、束縛じゃないの」
ヒエマリスは内心で舌打ちする。体の自由を奪われた状態で飛び上がるのは危険だ。
ならばと文歌に『眠蠅』を撃とうとしたヒエマリスの背に、目にも止まらぬ速さで黒百合が回りこむ。
「きゃはァ……撃たせないわよォ?」
黒百合がぶちまけたアウルのペンキ「幻霧」を浴び、ヒエマリスのスキルが封印された。
「あなたたち、殺る気満々みたいじゃないの」
「そういうことだ。ヒエマリス」
後ろのビルから、銃を構えた神谷春樹(
jb7335)が告げた。
「前は戦いを長引かせるのが狙いだったけど、今回は違う。さっさと決めさせてもらうよ」
合わせるようにヒエマリスの周囲を、ファーフナーが、エイルズレトラが、文歌と鳳凰の「ピィちゃん」が取り囲む。
囲みの外側では、黒百合とRobin redbreast(
jb2203)が虎視眈々と攻撃の機会を伺っている。その数、7対1。
一方ヒエマリスの前方に控えるガンバールにも、異変が起こっていた。
「コ……コフ? コフー!?」
「これは、一体?」
数多 広星(
jb2054)のアークを食らったガンバールが、咆哮をあげ、突進の体制のまま止まったのだ。
「……やってくれるじゃないの、あなたたち」
「やはり図星のようですね,ヒエマリスさんっ」
歯ぎしりするヒエマリスに向かって、文歌が勝利の笑みを浮かべた。
召喚獣と術者はバッドステータスを共有する。故に、ヒエマリスが束縛されればガンバールも動けない。
学園の召喚システムがヒエマリスに通じるかは賭けだったが、文歌はみごとそれに勝った。
つまり、これから始まるのは――集中砲火という名の袋叩き。
文歌はその土台を完全に作ってのけたのだ。
「さっさと叩き落してやる!」
「コフー!」
好機と見た悠人が、ウェポンバッシュをガンバールに放った。
命中。しかし、巨大なガンバールの体躯を吹き飛ばすには至らない。
「皆、一斉に攻撃を!」
悠人の言葉に応じるように、浪風 威鈴(
ja8371)が、広星が、アルバ(jz0341)が、ガンバールに雨霰と攻撃を浴びせた。
一方でヒエマリスを囲んだ7人も、序盤から猛攻に出た。
ハイドアンドシークで身を隠したRobinが、穏やかな微笑を浮かべながら、芸術の筆でヒエマリスの羽を切り裂く。
しかし、天魔の翼は使用者のアウルが実体化したもの。破壊された羽はすぐに再生した。
「悪いけど、ここで撃破させてもらう!」
春樹が破魔の射手を発射。
天界のカオスレートを帯びた一撃を受け、ヒエマリスの口から血が漏れる。
「あまり彼女を待たせては悪いからな。さっさと決めさせてもらおうか」
ヒエマリスの肩を鷲づかみにしたファーフナーが、コレダーを発動。
アウルの雷を、ヒエマリスの体に流し込んだ。痛打をくらい、よろけるヒエマリス。
「さあお嬢さん、このまま手も足も出せずに死んでもらいます。命乞いは無駄ですよ」
エイルズレトラが繰り出すダブル・アップの2連撃を、ヒエマリスは篭手でガード。
幻霧の合間に放たれる黒百合のフリーガーファウストG3の砲撃も加わり、彼女の生命力を容赦なく削ってゆく。
(ふん……なるほど、じゃないの)
撃退士の攻撃をひととおり受け、ヒエマリスは敵の方針に当たりをつけた。
メインのアタッカーは背後のふたり、春樹とファーフナー。
彼らに背を向ければ、そこをエイルズレトラが突く。恐らくはそのような作戦だろう。
黒百合は幻霧の散布、文歌はピィちゃん召喚と固有スキル「聖炎の護り」の発動で攻撃に専念し切れていない。
かたや自分は、今もガンバールの固有スキルが傷を塞いでいるものの、しょせん焼け石に水。
このペースで攻撃を浴び続ければ、いずれは落ちる。
「ふふん、じゃないの」
そんな絶望的な状況を前に――ヒエマリスは笑った。どうやら連中は、これで自分を追い詰めたつもりらしい。
ヒエマリスは掌に砲弾状のアウルを形成。背後後方へと発射した。
爆風に巻き込まれ、文歌とファーフナーが負傷する。
「上等じゃないの。その甘さ、体で分からせてやろうじゃないの!」
ヒエマリスの複眼状の双眸がキラキラと光った。
●
一方ザンスカルは、ビルの屋上を跳躍しながらの逃げ撃ちを続けていた。
彼女を追う撃退士は、龍崎海(
ja0565)、佐藤 としお(
ja2489)、鳳 静矢(
ja3856)、雫、ラファルの5人。
蝶の翅を広げたザンスカルを飛び立たせまいと、猛攻を仕掛けている最中だった。
「まずは小手調べだ!」
静矢が絶影を手に、矢を放つ。ザンスカルはこれを、身を切って回避。
「ザンスカルちゃんよ―、俺と遊んでくれよなー。お礼にディキシィを聞かせてやるぜ」
「ウエヘ! そう簡単に当たらないもんね!」
進路正面から回り込むように飛来したラファルが、天狼牙突で一突き。ザンスカルはこれも回避する。
「だったら、これで!」
そこへ海がレイジングアタック。天界のカオスレートを帯びた一撃だ。
ザンスカルはこれを受け、対抗スキル「蝶々腐塵」を発動。装備コストを削る光の矢が海の体を貫く。
だが、海は多少の生命力こそ失ったものの、気絶には遠いレベルだ。
「残念だけど、そのスキルは通じない!」
海は先の戦いで得た情報を分析し、装備を調整して対策を立てていたのだ。
かたやザンスカルは、スキル使用の反動で防御力が低下。攻撃のチャンスと見た撃退士が、更なる攻勢に出る。
「穏やかな曲調より激しい方が好きそうだな!」
静矢の放った紫鳳翔を、ザンスカルは跳躍で回避。
対抗スキル「花蝶風月」で黒い蝶を生成するも、即座にとしおが向かいのビルから狙撃で破壊する。
「ここで仕留めさせてもらいます」
神威で体を強化した雫が、ガラテインを手に跳躍。
首を狙った横薙ぎの一撃を、ザンスカルは身をかがめて回避した。
「ひゃっはー、落ちろザンスカルー」
光学迷彩「ミラーイメージコロイド(通称ミラコロ)」で姿を隠したラファルの蹴りが空を切った。
ザンスカルは瞬時に身をかがめ、それを避ける。
(もう。このままじゃ、埒が明かない)
手練揃いとは言え、5人。屋外戦闘でこの数ならば、避け続けることはザンスカルにとってさほど困難ではない。
だがこんなお堅い戦いを続け、チャールストンが来てはい終わりという結末など、彼女は望んでいないのだ。
ザンスカルは思考する。この状況を引っかき回す一手を、必死に模索し続ける。
被弾覚悟で飛び上がるべきか。だが、ただ飛ぶだけでは芸がない。何かないか――
その時、見覚えのあるルーン文字がザンスカルの足元に浮かび上がった。
身を隠していた6人目、若松 匁(
jb7995)が発動する<Rad>のルーンである。
(ぶっつけ本番だけど、やるしかないよね。うん)
匁が潜んでいたのは、ザンスカルの向かい側に建つビル、その最上階だった。
――きっと戦いは、ビルの谷間での空中戦になるはず。
――あたしがザンちゃんに一泡吹かせるには、やっぱり奇襲かな。
そう考えた匁は、<EOH>で浮遊し、壁を地面に見立ててテレポートできないかと考えていたのだが……
残念な事に読みは外れ、屋上が戦場となってしまった。
そこで匁は作戦を変え、ビルの中からザンスカルの眼前にテレポートする事にしたのだ。
(転送と同時に、フォトンシザーズで斬りかかる。狙いは右肩のエンブレム。外したら背中へ魔法攻撃!)
匁の心臓の場所に、ルーン文字の「R」が浮かび上がる。
Rad、発動。
匁がビルの屋上へと転移し、映画のカットのように匁の視界が切り替わった。
(さあ行くよザンちゃん――あれ?)
だが、そこにザンスカルの姿はなかった。フォトンシザーズを構えたまま、周囲を見回す匁。
「匁ちゃん♪」
「あうっ!」
いきなり背後から、匁は体を羽交い絞めにされた。腕一本で、抱きかかえるように。
手を捻られ地面に落ちたフォトンシザーズが、匁のヒヒイロカネに自動で収納される。
「わたし、匁ちゃんと思いっきり踊りたいな! ウエヘ!」
自由な右腕でエンブレムを取り外し、匁の服の心臓部分に装着するザンスカル。
次いで右腕で、彼女は匁の両肩をがっちりと押さえ込んだ。いわゆる「後ろからハグ」である。
「ザンスカル、貴様……!!」
「おーなになに? 面白そうじゃん、俺も混ぜてもらうぜー」
匁の背後から、静矢とラファルの声が聞こえた。
いずれも意識はエンブレムではなく、ザンスカル本人へと向いているようだ。
「みんな追っておいで! ウエヘヒヒー!」
ザンスカルが匁を抱きかかえたまま、床を蹴って空へと跳躍。
人ひとり抱えたことで、その動きは先ほどより鈍っている。
「待ちなさい、ザンスカル!」
駆け寄った雫が、ソムニウムの照準をザンスカルに合わせた。
攻撃を当てるには絶好のチャンスだが、一歩間違えば匁に攻撃が当たってしまう。
雫は逡巡のすえ、銃口を下げた。
「静矢さん」
「……ああ」
雫の言葉に、静矢もまた紫鳳翔の構えを解いた。
識別可能な攻撃スキルといえど、密着した状態で片方だけを射抜くのは不可能に近い。
「追いましょう。いつでも攻撃に出られるように」
●
静矢たちの追撃を振り切ったザンスカルは、そのままヒエマリスのいる屋上へと乱入した。
「ウエヘヒヒー! 楽しそうだね、わたしも混ぜて!」
ザンスカルは宙を舞いながら蜂蝶随光を発動。ファーフナーや文歌の背後を、光る蝶が取り囲む。
「大変だねえ、ヒエちゃん。運んでいってあげようか?」
ザンスカルは匁を抱きしめた体勢で、右手を空けた。
「悪いけど、今いいところじゃないの」
「そうとも、レディ。これ以上、焦れて此方にちょっかい出してくるなよ?」
かぶりを振って、申し出を拒否するヒエマリス。そこへファーフナーも会話に加わる。
「後で誰にも邪魔されずに、お前と派手にやりあう前に、俺はこの邪魔者を先に片づけるから、そうしたら、お前が言っていた夢を叶えてやるよ、約束する」
ヒエマリスをあごで指し、目だけでザンスカルを睨むファーフナー。
そんな彼の言葉に、ザンスカルは笑って応じる。
「うーわ、ヒエちゃん邪魔者だってさー。酷いんじゃない?」
「私にはあなたの方が邪魔じゃないの」
「……酷い言われようだね、ザンちゃん」
「匁ちゃん、分かってくれる? ぐすぐす」
匁の慰めに空涙を流すザンスカル。
ファーフナーは、そんな彼女に不敵な視線を送る。
「もう少し待っていてもらおうか。これだけ人数がいれば、力を出し尽くして破滅の渦に溺れられるだろう?」
「ふふふ。なら楽しみに待ってるね。途中でのパートナーチェンジはダメだからね!」
ザンスカルは右手の人差し指で天をさし、鉛筆ほどの小さな矢を生成した。
撃退士相手なら大した威力ではないが、蝶一羽落とすには十分だ。
「頑張って。これはわたしからの気持ち♪」
光る蝶の一羽が破裂し、残りの蝶も連鎖的に次々と破裂。
巻き込まれたファーフナーと文歌の生命力が削られ、ファーフナーに毒が付与された。
「あ〜ら? だいぶいい顔になって来たじゃないの。こっちもガンガン攻めさせてもらおうじゃないの!」
追撃で放たれたヒエマリスの砲弾が、ファーフナーと文歌、ピィちゃんに追い討ちをかけた。
●
(何とか……何とかして「これ」を壊さないと)
匁はザンスカルに抱きかかえられた体勢で、胸元のエンブレムに視線を向けていた。
見たところ、強度はそれほど強くなさそうだ。魔具で攻撃を当てれば、一撃で壊せるだろう。
だがヒヒイロカネから武器を出そうとすれば、ザンスカルはエンブレムを外してしまうに違いない。
スキルを使おうか? だが匁はいま、ザンスカルによって両手を後ろ手に拘束された状態。
ならばヒリュウのクーヤを召喚すれば……いや、駄目だ。今から活性化しても使用回数は残っていない。
追って来ている仲間達も、匁を傷つけることを恐れ、手を出しあぐねているようだ。何か方法は……
(そうだ。あれなら……)
そのとき、匁の脳裏にひとつのスキルが浮かんだ。
ファイアーブレイク。
火球を炸裂させる広範囲攻撃魔法だ。これならば、どこから撃ってもエンブレムを巻き込める。
とはいえ、いまの匁は素手。魔具なしでのスキル攻撃は、悲しいほどに威力が落ちてしまう。
エンブレムを破壊できるかは賭けだったが、やるしかない。被弾は覚悟のうえだ。
「ねえザンちゃん。この踊りが終わったら、また会えるかな?」
「匁ちゃんたら。こんないい時に、野暮なこと聞かないで! ウエヘ!」
匁は甘えた声でザンスカルに話しかけ、会話で注意を引こうとした。
この時、こっそりEOHを発動する事も忘れない。これで放り出されても墜落は免れる。
一方ザンスカルも、匁の気配に何かを感じたのか、エンブレムへと手を伸ばした。
やるなら今しかない。
「ザンちゃん大好き♪」
「え? もう、やだなあ匁ちゃ――」
匁の手中で、火の玉が膨れ上がる。
ファイアーブレイク、発動。
アウルの炎が、ふたりを包みこんだ。
●
戦場から少し離れたビルの屋上で、威鈴は狙撃銃のスコープ越しにガンバールを狙っていた。
彼女の仕事は、悠人とアルバ、広星とともにガンバールを足止めし、ヒエマリスと合流させないことだ。
「悠人……そっち……大丈夫……?」
『ああ、何とか!』
ハンズフリーのスマホから、悠人が返事を送ってきた。
封砲による魔法攻撃でガンバールにつけた傷は、すでに再生スキルで塞がっていた。
かたやこちらの物理攻撃は完全にガードされ、血が滲んだ程度のダメージしか入っていない。
「コフ……コフー!」
と、その時ガンバールの足が動いた。文歌の式神の効果が切れたのだ。
(大丈夫、食い止めるだけなら何とかなる。問題は俺達の背後、ヒエマリスの方だ)
悠人が視線を送った先では、ちょうど文歌がピィちゃんを再召喚し、ヒエマリスの両脇を塞いだところだった。
現状、撃退士とガンバールの戦いは五分と五分。問題はヒエマリスだ。多勢に無勢、一見優勢に見えるが、状況はそう楽観的ではない。
特に大きいのが、文歌とファーフナーの負傷だ。ふたりともヒエマリスの砲撃を浴び続け、蜂蝶随光による連鎖爆発を受け、生命力を削られている。加えてファーフナーは、爆発で毒を付与されていた。
つまりここでヒエマリスを仕留め損ねれば、前線が一気に崩れる危険があるのだ。
だが、威鈴の最大の不安は、そこではなかった。
先の戦いで苦戦を強いられたハゲワシの召喚獣――
ドジッターの姿が、見えないのだ。
●
「けほっ、けほ」
匁は黒い爆炎を突き破り、手近なビルに着地した。
拘束から解放された匁が空を見上げると、ザンスカルのシルエットが煙の中から現われた。
「ウエヘ……危ない危ない」
ザンスカルは服の煤を払い落とすと、エンブレムを手ににんまりと笑った。破壊には失敗したようだ。
「やるねえ匁ちゃん。でも一歩及ばずだったね!」
「――では今から、及んで見せましょうか。一歩ならず、二歩三歩!」
そこへ、ふたりを追跡し続けた仲間達が割って入る。
先頭を走る雫が神威を発動し、ソムニウムでザンスカルを狙撃。
ザンスカルの黒いドレスの脇をすり抜けた弾丸が、蝶の翅を散らした。
紙一重で攻撃が外れるのを見て、静矢が眉をしかめる。
「ブリーフィングで聞いてはいたが、大した身のこなしだな」
「鳳さん、あれを!」
海が指さした先では、ザンスカルの翅の色が薄くなりはじめていた。闇の翼が切れかかっているのだ。
●
「さあ可愛らしいお嬢さん、そろそろお家に帰る時間ですよ。あなたが還るべき、表札に『地獄』と書かれたお家へ送って差し上げましょう」
四方八方からの攻撃を浴び続け、傷だらけのヒエマリスに向かって、エイルズレトラが冷酷に告げた。
「言い残すことはありますか? 1秒くらいは覚えておいてあげます」
「……召喚に必要な条件。知ってるんじゃないの?」
「おやおや、この期に及んで時間稼ぎですか? 往生際が悪いですよ、お嬢さん」
予想外の返事に、なかば呆れ顔で笑うエイルズレトラ。
一方、傍で話を聞いていた文歌は、学園で習った召喚術の基礎を思い起こした。
召喚に必要な条件。
それは召喚獣を呼び出す空間が確保されていることだ。これさえ満たせば、基本的にはどこでも呼び出せる。
たとえそれが、窓や壁のような遮蔽物ごしでも――
(窓ごしでも?)
文歌の顔が青ざめた。まさか。まさか……
そっと屈んだ体勢になり、向かいのビルの窓にそっと目を凝らす文歌。
果たしてそこには、翼を振りかぶるドジッターの姿があった。位置はファーフナーの真後ろだ。
「そんな……!!」
すべてを察し、絶句する文歌。
ガラスが割れる音と同時に、ファーフナーの背にドジッターの羽が突き刺さった。
ダメージが蓄積されていたところへ、意識しない背後からの一撃である。
「ぐおっ!」
ファーフナーは体勢を維持できずに落下し、翼で着地すると同時に気絶した。
窓から飛び出したドジッターが、ヒエマリスの体をつかんで上空へと舞いあがる。
「うぷぷ! おチビちゃん、さっきの顔は最高に傑作だったじゃないの!」
「逃がし,ませんっ」
「回避じゃないの、ドジッター!」
「クエー!」
文歌の投げた最後の式神の札が空を切る。
お返しとばかりに撃ち出されたヒエマリスの砲弾が、文歌とピィちゃんを吹き飛ばした。
●
敵の足を止めて能力を封じ、四方を取り囲み集中砲火を浴びせる。
撃退士が立てたヒエマリス討伐の作戦は、要約すればこの一言につきた。
たしかにこの計画が最後まで予定通りに進んでいれば、相応の成果を出せたに違いない。
しかし、である。
もし、包囲したところを他の敵に襲われたら?
敵がヒエマリスを救出して逃げたら?
敵の攻撃で陣形が崩れたら?
これらイレギュラーな事態を、撃退士は想定していなかった。
そして今、そのイレギュラーがことごとく撃退士に降りかかってきていた。
●
「ドジッター! まずは優男の銃使いから血祭りじゃないの!」
「クエー!」
「させるか、落ちろ!」
春樹がリボルバーCL3でイカロスバレットを発射。
回避したドジッターが、返す刃で春樹の背後から羽を射出。
追い打ちをかけるように、ドジッターの足を飛び出したヒエマリスの砲撃も飛んでくる。
二連続の攻撃が、春樹に命中した。直撃だった。
「くっ!」
必死に意識を繋ぎ止め、ビルの中へと退避する春樹。応急治療で回復を終えるまで、前線復帰は困難だろう。
一方文歌は戦場に留まり、マホウ☆ノコトバで残った仲間と自分を強化した。
ここでヒエマリスを食い止めなければ、壊走に陥る危険がある。
次にヒエマリスは、悠人らに狙いを変えた。ドジッターの羽とヒエマリスの砲弾、ガンバールの突進が4人を襲う。
「いらっしゃい」
広星が忍法「魔笑」でドジッターに幻惑付与を試みるも、失敗。
反撃で放たれる羽が、広星の体に突き刺さる。
「く……っ! それなら!」
血の滲む脇腹を押さえ、広星が再度ドジッター目がけて星の鎖を放つ。
命中。しかしドジッターの翼に巻きついた鎖は、光の粒となって消えた。
「ダメか……!」
舌打ちする広星。その頭上で、ドジッターが大きく翼を振りかぶり、攻撃態勢に入る。
「クエー!」
「悠人……危ない……」
威鈴のストライクショットでドジッターの翼に命中。
返す刃で放たれるドジッターの羽が、威鈴に突き刺さった。
威鈴は倒れ伏し気絶。流れ出た血がアスファルトに染み込んでゆく。
「威鈴!」
「大丈夫、威鈴お姉さんは僕が!」
闇の翼を広げたアルバが、全力移動で気絶した威鈴を担ぎあげ、ビルの窓ガラスを破って中へと逃れた。
「皆さん、退避してください! これ以上はもちません!」
悠人の最後のシールドを弾き、ガンバールはそのまま包囲を突破。文歌らのいる北側まで突進した。
「コフー!」
「――!!」
芸術の筆でヒエマリスを狙っていたRobinが、ガンバールの突進を食らい、ビルから突き落とされた。
マホウ☆ノコトバで墜落のダメージは免れたが、Robinは飛行能力を持たない。屋上組との合流には時間が必要だ。
「がら空きだぞ、ヒエマリス!」
そこへ背後から、最後の力を振り絞り、陰影の翼で飛翔したファーフナーがレイジングアタック。
攻撃を受け止めたヒエマリスの籠手に、小さな亀裂が生じた。
「ちっ……やるじゃないの!」
ヒエマリスの顔に、僅かに焦りの色が浮かぶ。彼女もまた、ギリギリのところで戦っているのだ。
砲弾が飛ぶ。被弾したファーフナーの体がぐらりと傾き、再び落下した。
そこへRobinがダッシュ。ファーフナーを受け止める。
(これ以上の戦闘続行は危険と判断。形勢判明まで、潜伏に専念する)
傷ついたファーフナーを担ぎ、Robinもまたビルの中へと消えた。
「ずいぶん好きにやってくれたじゃないの。あなた達、覚悟はいいじゃないの!」
「おやおや、あまり調子に乗られては困りますね」
ヒエマリスの行く手を塞ぎ、エイルズレトラが笑う。
「分かっていますか? 僕と仲間達が体勢を立て直せば、今度こそあなたはお終いですよ」
その気になれば、貴様などすぐ殺せる。
そう暗にプレッシャーを与える事で、エイルズレトラはヒエマリスの腕を縮ませようとした。
とはいえ、これは完全なブラフだった。たしかに彼を含め、余力を残したメンバーがいるのは事実。
だが、これから体勢を立て直して、どこで戦う? 陣形はどうする? 召喚獣の相手は誰がする?
それらを共有できていなければ、立て直すも何もない。
「あ〜ら、それは大変じゃないの。ねえおチビちゃん、次の手品は一体なあに? せっかくだから、ガンバールやドジッターも笑える演目が見たいじゃないの」
不幸にも、ブラフは通じなかった。
優しく無邪気な笑顔で笑いかけるヒエマリス。もはや彼女は、エイルズレトラを脅威と認識していないようだ。
普段のエイルズレトラならば、こんな挑発は鼻で笑って終わりだったろう。だが――
お前を地獄に送ってやる。命乞いなど無駄だ。
そう宣言して仕損じた敵に、面と向かって嗤われたという事実は、彼にそれを許さなかった。
元より先に挑発を仕掛けたのは彼なのだ。ここで引き下がれば、それは負けを認めたのと同じだった。
エイルズレトラは矢のように速く鋭い動きで跳躍。ヒエマリスの顔をギャンビット・カードで斬りつけた。
ヒエマリスは両腕をクロスしてこれをガード。貫通したダメージが、露出した彼女の両腕を切り裂く。
攻撃は当たった。傷もつけた。……だが、それだけだった。
次の瞬間には、エイルズレトラのつけた傷は蛆虫のアウルでほとんど塞がっていた。
「ごめんなさい,皆さん。もう時間がありません。私はザンスカルに向かいますっ」
その時、文歌が傷ついた体を引きずりながら隊を離れた。
あたかも櫛が欠けるように、ひとりふたりと抜けてゆく仲間達。
(きゃはァ……まずいわねェ、これは仕損じる流れだわァ……)
少しでも敵を釘付けにすべく、フリーガーファウストG3でヒエマリスを砲撃する黒百合。
エイルズレトラは相変わらず、我を忘れたようにヒエマリスを攻撃し続けている。
いっぽう黒百合もまた、先ほどからドジッターに付け狙われていた。持ち前の機動力で無傷を保っているものの、とても攻撃に専念できる状態ではない。
総崩れ。
黒百合が目にしている光景は、そうとしか形容できなかった。
●
一方その頃。
窓を隔てたビルの中で、クリアマインドでザンスカルのエンブレムを狙う者がいた。
としおである。
(ザンスカルの闇の翼は、もうすぐ切れる。そうなった時が最大のチャンス)
翼が切れてから着地までは自由落下の状態。すなわちザンスカルの回避能力はほぼゼロになる。
そこを精密狙撃で狙い撃ち、エンブレムを破壊するのだ。
とはいえ、この狙撃は非常に条件が厳しかった。
ザンスカルの位置は屋上の上空、およそ30メートルの高度。着地までの時間は、2秒あるかないかだ。
加えて、エンブレムを着けた右肩がとしおの照準に収まる姿勢で落下しなければならない。
(でも、やるしかない。今はただ、皆を信じて待つ!)
としおの脳裏に浮かぶのは、初めてザンスカルと戦った日の事。
あの時もザンスカルは、囚人を扇動する装置を身に着け、自分たちを翻弄した。
(二度は仕損じない。今度こそ……!)
来るであろう「その時」に備え、牙を研ぐとしお。
折りしもスコープの向こう側では、文歌が静矢達に合流し、最後の攻勢に出ようとしていた。
「いくぞ、ザンスカル!」
最初に仕掛けたのは海。
シュトレンを構え、ザンスカルの胴めがけて突きを繰り出す。
ザンスカルは回避。だが、これは海の誘いだった。
「何処にエンブレムが有ろうとも、当人が巻き込まれれば破壊は可能な筈」
雫は先ほどの匁の攻撃で、それを確信した。ならば、とっておきのこれを使う時だ。
「クレセントサイス!」
三日月の刃が次々とザンスカルの周りを舞い、その体を切り刻んでゆく。
切断されたザンスカルの髪が、服の切れ端が、刃と一緒に宙を舞う。
だがその中に、三日月のエンブレムの姿はない。
「三日月に三日月? ウエヘ、そういうセンス、嫌いじゃないよ!」
「瞬翔閃!」
すぐさま静矢が両手両足にアウルを集中させ、跳躍。
紫色の矢となってザンスカルに迫り、天狼牙突を一閃した。
「ウエヘ! いいねえ、お兄さん!」
微かな風に流されるようにひらりと身をかわし、「花蝶風月」で3羽の蝶を生成するザンスカル。
蝶が次々と破裂し、静矢と海が巻き込まれる。
「鳳さん、大丈夫ですか!」
「何とか!」
ライトヒールで静矢の傷を癒す海。
その上空では、ミラコロで姿を隠したラファルが、パンチにキックに平手打ちにと、自由自在に攻撃を繰り出す。
「ほーらザンスカル、踊らせてやるぜ。キリキリ踊れ、ほら踊れ」
「ウエヘ? ウエヘ!?」
奇妙なダンスを踊るように、空中をくるくると舞うザンスカル。
被弾は免れているものの、意識はラファルの攻撃へと集中しているようだ。
そこへ――
「さあ,私とも踊りましょう?」
文歌が抱えるSanctus M7のスピーカーから、アウルを乗せた澄んだ声が最大音量で襲いかかった。
スタンエッジつきの一撃。ダメージを与える事こそ失敗したが、いかにザンスカルといえど音は避けられない。
「――!!」
反射的に両手で耳を抑えるザンスカル。
闇の翼が、完全に消滅した。
(今だ!)
射線、クリア。
としおの狙撃銃の照準機に、エンブレムが収まった。
一発の銃声が響く。
砕けたエンブレムが、アスファルトの床に散った。
●
ケッツァー所属の悪魔、チャールストンの介入があったのは、それから程なくしてだった。
――これ以上戦っても、お互い得るものはない。そうだな?
冥魔側に戦闘継続の意思はなく、市民に危害を加える意思もない。ただし攻撃するならば、容赦はしない。
程なくして戦闘は中断され、ふたりの女悪魔は緊迫した空気の中、傷ついた体でチャールストンの元へ戻った。
「ほんと、あなたに付き合うと損ばっかりじゃないの」
「でも、面白かったでしょ? 撃退士の皆はさ。ウエヘ!」
「……退屈はしなかったじゃないの」
ヒエマリスは小さく口の端を歪めた。
体の成熟に必要な「ブツ」――覚醒者の涙を求めてケッツァーに参加して、魂を得る機会も逃した。
最後の最後まで貧乏くじを引き通しだったが、不思議と気分は悪くない。
「話はそこまでにしろ、ふたりとも」
応援として到着したチャールストンが、ザンスカルとヒエマリスに釘を刺した。
両手には銃を構え、対峙する撃退士の攻撃に、いつでも動ける体勢を取っている。
緊迫した空気の中、傷ついた体で下がってゆくザンスカルとヒエマリス。
「そうそう、匁ちゃん。さっきの質問だけどね」
ふとザンスカルが、背後の匁を振り返った。
「わたしはもう、人間界には来ない。だけど――」
だけれども、とザンスカルは思う。
もし、いつか撃退士が魔界を訪れるような日が来たのなら。
「きみ達が魔界に来たときは、必ず迎えに行く。その時は、また踊ろうね。ウエヘ!」
そう言い残し、ザンスカルは最後に大きく手を振った。
こうして悪魔達は去り、戦いは終わった。
●
女悪魔ザンスカル、討伐失敗。
女悪魔ヒエマリス、討伐失敗。
ディアボロ制御装置、破壊成功。
なお解放された市民については、保護を行った撃退署が全員の無事を確認。
以上をもって、任務の報告を終えるものとする。