○
早朝、リブラの事務所内にて。
「今日は一日、よろしくお願いします」
中学校の引率の先生が、店の責任者に一礼をすると、生徒達を振り返って言った。
「皆、他のお客さんに迷惑をかけないようにな」
「はい!」
生徒達は挨拶を済ませ、事務所の外に出て行った。既に新聞部のふたりは、店内で待機済だ。
程なくして、店のラジオが7時の時報を告げると、客が店に入ってきた。
カフェ「リブラ」、開店である。
○
「モーニング。2人前頼む」
朝一番で入店し、カウンター席に座った鐘田将太郎(
ja0114)が、眠たげな声でメニューを注文した。彼は起きがけの散歩の時に、ちょうど良いとばかりリブラに立ち寄ったのだ。
運ばれてきたモーニングのトーストを口に入れ、コーヒーで流し込む鐘田。体が芯から温まるような味に、米派の彼も思わず顔が綻んだ。
(ま、たまにはトーストもいいモンだ)
2人前のモーニングを一口で平らげると、鐘田は眼鏡を外して目を閉じ、瞼の上から眼球を軽く押した。
「ふうっ」
今日も一日、頑張っていこう。
……と、その前に。
「パンケーキ頼む。メープルシロップたっぷりで。あとコーラも」
「かしこまりました」
キッチンに注文を伝える店員の後姿を眺めていると、隣のカウンター席に座る者がいた。
「おう。あんたも朝飯か?」
「ええ」
そう言ってぎこちなく頷いたのは、雫(
ja1894)である。
鐘田の注文の品を運んできた店員にお勧めのケーキと紅茶を注文すると、雫はそれとなく周囲の様子を観察し始めた。依頼でここに来ている以上、任務の方もきっちりと果たさねばならない。
(パフェの方が良かったかも……でも、それだと紅茶は合わないし、う〜ん)
そんな事を考えながら店内を観察していると、すぐに注文の品が運ばれてきた。
「美味しいですね……私に御菓子作りの才能があれば好きな時に楽しめるのですが」
ケーキを頬張り、顔を綻ばせる雫。だがそんな彼女の顔に、ふと緊張の色が混ざった。
(先程から僅かに視線を感じるのですが……同じ依頼を受けた人でしょうか?)
雫は僅かに眉根を寄せて、ちらちらと背後を見渡した。だが、店内にいるのは数人の中学生と思しき子供達だけだ。
(子供達だけ? でも、他にもどこからか視線を……)
果たして雫の勘は当たっていた。この時、天井から店内を伺う、一人の撃退士がいたからだ。
彼女の名はRobin redbreast(
jb2203)。依頼を受け、リブラの調査に来た一人である。黒い覆面バラクラバを被り、目鼻をすっぽりと覆ったその姿は、まさに闇夜を渡り歩くナイトウォーカーそのものだ。
なぜ彼女はこのような行動をしているのか? それは、彼女が斡旋所で読んだ依頼文書の文言にあった。
『覆面……調査……? 目立たないように、気づかれないように……?』
暗殺組織出身の彼女にとって、街中の喫茶店への潜入などは朝飯前だ。少し前の任務で負傷したこともあり、リハビリには丁度いいとばかり、Robinは任務を受諾した。
『分かった。調べてくればいいんだね』
ハイドアンドシークとサイレントウォークを駆使し難なく店の裏口から忍び込むと、Robinは調査票に店の概要をメモした。
『客の出入りは頻繁。客層も良い。店員の接客態度にも問題は見られず』
Robinはダクトから戻り、物陰に隠れながら店内の衛生状況をチェックした。バラクラバをまくり上げ、部屋の隅に置かれた殺鼠剤を手に取りさっと匂いを嗅ぐと、微かなシナモンの香りがする。
『殺鼠剤は血液凝固阻害系の薬物を使用。喫食痕なし。衛生状況も良好と見られる』
依頼内容を少々誤解しているようではあったが、これはこれでオーライである。程なくして調査を終えた彼女は任務完了の報告を行うべく、斡旋所へと向かったのだった。
その頃リブラでは、龍崎海(
ja0565)が朝食を頼んでいた。。
「アイスティーひとつ。それからサンドイッチをふたつ貰おうかな。このチリクラブサンドというのを」
「かしこまりました」
「……さて、と」
料理がくるまでは、多少時間があるだろう。その間に、すべきことをしなければ。そう思った龍崎は、読書用の本を読むそぶりをしつつ、それとなく店内の様子に目を光らせ始めた。
そこから少し離れた影野 恭弥(
ja0018)の座るテーブルには、甘味系の品が所狭しと並べられていた。
「お待たせしました。ダージリンティー1ポット、超大盛りチョコレートパフェ、デコレートシフォン1ホール……」
注文を読み上げる店員が、キャリアーに乗せられたひと皿まるごとのケーキを次々とテーブルの上に並べていく。
「レアチーズケーキ1ホール、特大パンケーキ五段重ね、以上でお揃いでしょうか」
「……」
影野は無言で頷くと、皿を手に甘味を頬張り始めた。任務で体を動かせば、このくらいのカロリーは消費する。
そこへまた、新たな客が入店してきた。ファーフナー(
jb7826)だ。
『トーストとコーヒーを』
ファーフナーは喫煙席に腰かけると、注文を受けに来た店員にシカゴアクセントの英語で言った。
彼は日本語の会話は問題なく行えるが、今日は依頼でここに来ている。サービスの質を計るには、英語で話しかけるのが一番だと考えた彼は、あえて母国の言葉で注文をしたのだ。
「えっ、ええと――」
『かしこまりました。すぐにお持ちいたします』
たじろぐ茜の背後で、傍を通りかかった店員が返した。
『それと、灰皿をいただけるかな?』
『はい。ただ今お持ちいたします』
『ありがとう。頼む』
そう言って会話を終えたファーフナーは、喫煙席で英字新聞を広げた。
新聞に目を通しながら、ざっと店内をチェックする。あくまでこれは依頼であり、仕事なのだ。ついでにくつろいでいこう、という発想は彼の中にはない。
(……混雑する時間帯を選んで来てみたが、問題と言う程の点はないな。接客態度、配膳の手際、いずれも及第点といっていいレベルだ。清掃も隅まで行き届いている)
あえて問題を挙げるならば、先ほどから自分を見つめている中学生くらいか。過去に逃亡生活を送った経験を持つ彼は、他者の視線には敏感なのだ。
(Gaijinが珍しいのか? ……まあ、気にする事もあるまい。放っておくか)
運ばれてきたトーストとコーヒーを事務的に口に入れると、ファーフナーは代金を払って店を出た。行き先は無論、報告書の提出先である斡旋所だ。
「ありがとうございましたー」
「……さてと。そろそろ行くかな」
ちょうど同じ頃、注文したデザートを食べ終え小一時間ほど読書を楽しんだ龍崎も、会計を済ませて学校へと向かった。
○
昼前になると、外の日が照ってきて、テラス席にも客の姿が目立ち始めた。
(カフェの覆面調査の依頼かぁ。ゆっくりできそうだね♪)
そんな心情で店を訪れたのは、川澄文歌(
jb7507)である。
テラスの席に腰かけてヘッドフォンで音楽を聴く川澄。紅茶を口にのんびりとした時間を楽しみつつも、店内を見回してのチェックは忘れない。たまに曲から何かのインスピレーションを受けてか、テーブルの上のメモに歌詞らしき文章をさらさらと書き留める。
「窓から見える、淡い雪が……ここを、うん……」
紅茶を飲み終えると、川澄は式神の符を作り始めた。川澄が召喚する鳳凰は、彼女が独自に改良を加えたものなのだ。
「あっ――」
その時、川澄の傍の席で中学生のひとりが手を滑らせ、飲み終えた空のコップを落としてしまった。咄嗟に川澄は符のひとつを手に、鳳凰を召喚する。青いアウルの炎の中から、小さな青い鳳凰が現われた。
「ピィちゃん!」
鳳凰のピィちゃんがコップの真下へと滑り込み、背中でコップを受け止めた。
「危なかったね。はい,どうぞ♪」
「あ、ありがとうございます」
礼を言う中学生に、川澄は笑顔で手を振った。
そんな彼女の隣のテーブルでは、蓮城 真緋呂(
jb6120)と樒 和紗(
jb6970)が店員に食事を注文しているところだった。
「お腹すいた〜。美味しいといいな♪」
笑顔を浮かべた真緋呂が席に腰掛け、店員を呼んでメニューの「メインディッシュ」の頁を開いて見せた。
「メニューのここからここまで、大盛りで」
そう言ってページを全て指し示し、店員に注文を出すと、
「か、かしこまりました」
さすがの店員も一瞬たじろいだ。こんな注文をする客は滅多にいない。年頃の少女となれば尚更だ。
「足りなかったら追加で頼めばいいし、あ、日替わりとか季節のお勧めもあるのね。そろそろ桜スイーツとか良いわよね」
「……平常運転ですね」
慣れきった顔で和紗も店員に注文をした。
「和風ランチを1人前」
「かしこまりました」
厨房に注文を伝えに行った店員を見送りつつ、真緋呂はうきうきとした笑顔で言った。
「やっぱりテラスにして正解だったね。カウンターやテーブルじゃ料理載らないし」
「……平常運転ですね」
同じ台詞を二度言いながら、和紗は店内に視線を送った。間もなく店は、ピークの正午を迎える。店員の対応を見極めるには、これ以上の時間帯もない。
(学園の生徒がちらほらと見えますね。同じ依頼を受けたのでしょうか)
ちょうどレジでは、食事を終えた川澄が会計の店員にアイドルの微笑みを送っていた。
「ありがとうございましたー」
「ごちそうさまでした♪」
程なくして、店内のラジオが正午を告げた。
○
昼過ぎになると、店内は混雑し始めた。
「カレーと紅茶を下さい」
窓際のテーブル席に腰掛けた黄昏ひりょ(
jb3452)は、店員に注文を済ませると、ぼんやりと窓の外を見つめた。
運ばれてきた食事を食べながら、ゆったりした時間を過ごす黄昏。ここ最近は色々と忙しい日々が続いた事もあり、気分転換にのんびりしようと思いつつ、黄昏はゆっくりと背もたれによりかかった。
それから暫くして。
黄昏が食後のチーズケーキを食べ終えてまどろんでいると、ふいに彼を呼ぶ声がした。
「この席いいかしら?」
誰かと思って視線をやると、雪室 チルル(
ja0220)だった。
「あっ、どうぞ」
起こしてくれた礼を言って黄昏が頷くと、チルルは席に着いた。
「ブラックコーヒーをいただけるかしら」
「……ブラックコーヒー?」
あんな苦いものを、という顔を黄昏が浮かべると、
「あら、大人のレディーならこのくらい当然だわ」
大人のレディーといえばブラックコーヒー。最近彼女が見た漫画で仕入れた情報である。
程なくして運ばれてきたコーヒーのカップを、チルルはそっと手にした。
「いただきまーす」
だが、チルルは一口啜るなり顔を歪めた。
「…………」
「……雪室さん?」
「ふ、ふふんたいしたことないわねこのくらい」
目を白黒させてカップをソーサーに置くと、チルルはそろりとシュガーポットに手を伸ばした。しかし、
(だ、駄目なのよチルル! 大人のレディーはそんなことしないわよね!)
すぐにそう思い直し、彼女は再びコーヒーカップを両手で抱えて飲んだ。
「……ふうっ。飲んでやったわ! あたいったら大人のレディーってやつね!」
半分涙目になりつつも勝利の笑みを浮かべたチルルは、
「それでは、お先に失礼するわ。ごめんあそばせ」
そう言って伝票を手にレジへと向かった。
後日、斡旋所に提出されたチルルの報告書にはただ一言、
「とっても苦かった」
と、書かれていたという。
一方、テラスでは。
「和紗さん、何書いてるの?」
料理を平らげながら、真緋呂が言った。既にテーブルの大皿の半分は空だ。
「自宅でも作ってみようかと思いまして」
和紗がメモ用紙に書いていたのは、彼女が食している和風ランチについてだった。料理の一品一品をじっくりと味わいながら、味付けや調理法をイメージし、それを書き留めていたのだ。
(男の友人の方が料理が上手いので頑張らね……ば!)
これも女子力UPのため。そう思い、和紗は静かに内なる炎を燃やしていた。
そんな彼女を向かいの席から眺めながら、
(絶対あれ、女子力云々考えてるわよね)
真緋呂は空になったパスタの皿を積み上げた。
(さて。和紗さん小食だから、多分もうすぐ……)
「お腹いっぱいになりました。真緋呂、良ければ残り食べます?」
待ってましたとばかりに、真緋呂は元気よく手をあげた。
「ああ、はいはい。貰うー。あ、店員さーん。このページのここからここまで、大盛りで――」
和紗は小さく溜息をついた。
真緋呂の饗宴は、当分終わりそうになかった。
○
昼を過ぎ、13時をまわった頃、団体の客が来た。
「4名様ご来店です、奥の席へどうぞー」
麻生 遊夜(
ja1838)、来崎 麻夜(
jb0905)、ヒビキ・ユーヤ(
jb9420)、麻生 白夜(
jc1134)である。
「今日はビィの独り立ちってことでお祝いだ!」
遊夜は案内されたテーブル席に座ると、ビィ――白夜に笑いかけた。
「好きに頼みな、今日は奮発すんぜ。……あ、おかーさん達は自腹だからな?」
「え?」
「……!?」
一瞬ぎょっとした表情を浮かべた来崎とヒビキを見て、麻生は再び笑った。
「そんな顔すんなって、冗談だよ。夕飯もあるんだから食べ過ぎんなよー?」
そう言って笑うと、遊夜は店員を呼んだ。
「びっくりしたよ〜……さぁ、いっぱい食べよー♪」
「良かった……ビィ、コレ食べよう?」
ほっとした顔で笑う来崎の隣では、ヒビキが白夜にメニューを見せて何やら相談を始めた。
程無くしてテーブルに並んだ料理に舌鼓を打ちつつ、4人は幸せな時を過ごした。
「やれやれ……平和で何よりだね、まったく」
麻生が微笑を浮かべて3人を見ていると、ミルクレープをほお張った白夜がテーブルの容器を指差して来崎に言った。
「ねえ、これなあに?」
「それはねビィ、ミルクピッチャーって言うんだよ。紅茶やコーヒーに入れるミルクが入ってるの」
「ふーん」
「ほら、見てごらん。今から使うから」
そう言って来崎は、ヒビキがピッチャーを取るのを示して見せた。
「おかーさん、コーヒーに入れるの?」
「ん」
ヒビキは頷いた。
コーヒーの液面にミルクで絵や文字を描く、「ラテアート」をやりたかったのだ。
(完成品、ユーヤにあげる。ここは、シンプルに「Love」、がいい)
慣れない手つきで、カフェモカの液面に文字を書くヒビキ。黒い液面に白い文字が描かれてゆく。
(でき、た)
「L0レ巳」
(……ううううう)
ヒビキは眦に涙を浮かべると、やけ気味に泡クリームをコーヒーにのせた。
「こーら」
それを遊夜が嗜めた。
「食べ物で遊ぶな。行儀悪いぜ?」
「ち、違う。それ、ユーヤ、に」
「俺に?」
ヒビキは小さく頷いた。
「そうだったのか、なら貰うぜ。怒って悪かったな」
そう言って遊夜はカップを手に取ると、一気にモカを飲み干した。
「うん。うまかった」
「あ、ユーヤ、口の周り……」
すかさずヒビキはハンカチを手に、遊夜の口の周りを拭った。
「あ、……悪いな」
「ううん、問題、ない」
ヒビキはそう言ってハンカチを眺めると、いそいそとモンブランを口にし始めた。
その向かいでは、クラムチャウダーを食べながら白夜が頷く。
「ん、これなら作れそう……かな」
その光景を、来崎は自分のケーキを食べつつ微笑ましく見つめていた。
「ボクもいっぱい食べたいけど、我慢我慢」
もうおかーさんだからねと、自制する木崎。ふと麻生は、彼女の頬にケーキのクリームがついているのに気付いた。
「ハハッ、おかーさん、ほっぺたにくっついて……」
そう言いかけて来崎の頬に指を伸ばそうとした時、ふいに麻生は白夜の視線に気付いた。普段ならば遠慮しないところだが、白夜の前、しかも喫茶店の中となると話は別だ。
「あー、おほん」
麻生は来崎に咳払いをすると、自分の頬を指差して、
(頬についてるぞ)
というサインを来崎に送った。
だが偶然にも、麻生の指先の示す先、麻生自身の頬にもまた、ホットドッグのパン屑がついていた。
しかもあろうことか、彼はその事に気付いていない。
「あっ、ごめんね?」
来崎はひょいとパン屑を摘むと、自分の口に放り込む。このパン屑は、自分以外の誰の口にも入れるわけにはいかない。
「おとーさんったら、照れ屋さんなんだからぁ♪」
「いや、そうじゃなくてだな……」
頭を抱える麻生の前で、白夜が来崎の頬を紙ナプキンで拭った。
「うん、そういうことだな。偉いぞビィ」
「ん」
白夜は頷くと、チーズケーキを食べた。照れる木崎、微笑むヒビキ、そして笑う麻生を眺めて、
(ん、こういうのも幸せ……かな?)
そんなふうに考えながら。
「いやー食った。美味かったなー」
「うん。ダブルで、美味しかった」
モンブランを食べ終え、ヒビキがハンカチで口を拭っていると、そこへ黒のアタッシェケースを抱えた男が速足で入店してきた。ダークスーツにワインレッドのネクタイ、顔にはサングラス。どこかのスパイ映画から出てきたような出で立ちである。ミハイル・エッカート(
jb0544)だ。
「ナポリタンひとつ。ピーマン抜きだ」
切羽詰った表情でカウンターの端に腰かけ、スマートフォンを操作するミハイルの姿を、傍に座る中学生たちは興味深げに見つめていた。
(スパイかな)
(スパイだな)
ひそひそと話すふたりの視線の先で、ミハイルがスマホを手に誰かと話し始めた。
「俺だ。……何、今日だと!? うむ……うむ……」
ナポリタンを運んできた店員に、
「ああ、そこに頼む」
と早口でテーブルを示すと、通話を終えて再び誰かに電話をかけはじめた。
「俺だ。急いでアレを手に入れて欲しい。ああ、先を越されるな、手段は問わない。謝礼は弾むぜ。ターゲットは……」
真剣そのものの表情で話すミハイルを、目を輝かせて眺めるふたり。
(取引かな)
(取引だな)
一体何を扱う気なんだろう。中学生達は、あれこれと危険な妄想を膨らませた。
それから程なくしてミハイルが食事を終えると、店の前にタクシーが止まり、
「待たせたな」
ミハイルと同じ背格好の男が店に入って来た。手には袋を提げている。
「待ちくたびれたぞ」
「すまんな。……ああ、アイスコーヒーを」
男が包みから出した箱を開けると、中に入っていたのは……
「ケーキショップ・クロイツェルの限定かぼちゃプリン。確認してくれ」
「確かに。不意打ちで限定品を出すとはな」
「あと5秒遅かったら手に入らなかったぞ」
「恩に着る。これは礼だ」
そう言ってミハイルが男に手渡したのは「イロカネ堂 ケーキ食べ放題券」である。
「おお……間違いない、恩に着る」
「なに、困った時はお互い様だ。これからもよろしく頼むぜ」
「ああ、こっちこそ。……じゃあ俺はそろそろ行くぜ。次の仕事が待ってるんでな」
「また会おうぜ」
そう言って男を見送ると、程無くしてミハイルも店を出た。背中に感じる中学生たちの視線に、
(ふっ、これだと決めたターゲットは全力で手に入れるものだぜ)
そう語りながら。
○
次々と入れ替わるように行き来する撃退士達を、中学生達は物珍しそうに観察していた。その中の一人が先程から見ていたのは、軽食を食べながら読書をする只野黒子(
ja0049)と黒百合(
ja0422)である。
本の内容に興味を引かれた中学生達は、さっとタイトルを盗み見てみる。撃退士、それも歳の近い彼女らが、どんな本を読んでいるのか気になったのだ。
只野が読んでいるのは、情報系の本だった。「ニューロシステム」「分散処理」というタイトルは目に入ったものの、肝心の内容に関しては、彼らにはさっぱり想像できなかった。
もうひとりの黒百合はと言えば――
「拷問・処刑・虐殺全書」「図説 日本呪術全書」「世界殺人ツアー―殺人現場の誘惑」……いずれも本にカバーはかかっていない。表紙には死体と思しき絵や、モノクロの遺体写真が所狭しと写っている。並の者が目にすれば、食欲をなくすこと受け合いだ。だが黒百合はそんな本を平然と、微笑を浮かべて読んでいた。よく見ると、うっすらと頬も赤い――こんな時の彼女が浮かべる表情は、年相応の少女そのものだ。
そんなふたりの隣の席では、エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)が、注文したココアとチョコレートケーキを食べ終えて、さあ書くぞと批評の目を店内に向けていた。
「……?」
だが、程なくして彼は、妙な違和感に気付いた。数人の中学生くらいと思しき子供達が、ちらちらと自分を見ているのだ。自分の行動に注目しているのならば、と思い、エイルズレトラはトランプを取りだし手品を始めた。
トランプに息を吹きかけてマークを変えたり、ジョーカーをカードの束に入れ、指を鳴らして一番上から取り出したり……そうして少しの間他愛のない手品を続けると、ふいにエイルズレトラは立ち上がり、中学生の一人のテーブルに相席した。三つ編みのお下げが可愛らしい女子生徒だ。
「こんにちは。学生さんですか? 僕はこの学園の撃退士です。名前は……お互い聞かないでおきましょうか」
そう言うと、エイルズレトラは単刀直入に話を切り出した。
「恐らく、学校の社会見学で撃退士を見に立ち寄ったとか、そんなところでしょう? いいレポートは書けそうですか?」
つい頷いてからあわあわと慌てる中学生を、エイルズレトラはそっと制した。
「まあ、落ち着いて。折角こんな辺鄙なところまで来てくれたんだ、折角ですから、この学園のとある撃退士の話でもしようかと思いましてね。書くか書かないか、それはあなたが決めてくださって構いません。……どうでしょう? 話だけでも、聞いてもらえますか?」
エイルズレトラは恐る恐る頷いた女子の顔を覗き込み、囁くように言った。
「ありがとうございます。……実はこのカフェの地下にはね、学園の『懲罰房』があるんですよ」
「ちょ、懲罰房……ですか?」
「そうです。この地下にはね、悪さをした生徒達を閉じ込めておく部屋があるんです……」
無論、ウソである。だが、エイルズレトラの顔はあまりにも真に迫っていて、有無を言わせぬ迫力があった。
「こう見えて、学園の罰はとても過酷なんです。今も時折、彼らの声が……ほら、耳をすまして下さい。聞こえませんか?」
そう言ってエイルズレトラは、生徒の足元に霞声の小箱をそっと転がした。メッセージを伝える対象は彼女ひとりだ。箱はすぐに破裂し、中から声色を変えたエイルズレトラの声が流れ出た。
『やめろ、やめてくれ……』
『ここから出してくれ……』
『知ったからには、お前は生きて帰れないぞ……』
「――!!!」
「嘘ですよ。これは作り話です」
ケラケラと笑うエイルズレトラの肩を黒百合が叩いた。
「ほらァ、イタズラはその辺にして帰るわよォ」
呆然とする女子生徒に向かって、エイルズレトラはタネ明かしとばかり、最後の小箱をテーブルに置く。霞声の小箱が破裂し、声が飛び出た。
『さようなら。いいレポートが書けるといいですね』
女子生徒は呆然とした表情で、会計を済ませて店を出てゆくエイルズレトラ達の背中を見つめていた。
「ケーキセットをお願いします。ケーキはおススメがあれば、コーヒーは香を楽しみたいので何が良いです? ……では、グァテマラで」
カウンター席に座った黒井 明斗(
jb0525)はケーキセットを注文すると、店員の動きに注目した。
彼が店を訪れたのは、ティータイムにはまだ早い14時頃だった。彼がこの時間を選んで来たのには理由がある。今はちょうど忙しい昼食の時間帯が終わり、ちょうど店員の気が抜けやすい頃なのだ。
「リラックス出来るお店なら、時々、通いましょうかね?」
そんな事を思いつつ、鞄から取り出したナンプレを解きながら、調査のために随所に目を光らせる黒井。
客への対応には、問題らしき点は見当たらない。どの店員も受け答えは明瞭で、笑顔が板についている。
注文の品も手渡しでなく、きっちりテーブルやカウンターの上に置いていた。たまに注文の品をトレイごと手渡しで渡す店もあるが、これは熱いコーヒーなどが乗っていた場合、大変危険だ。この辺りは基本中の基本なのだが、徹底出来ていない店は意外と多い。
そうこうするうちに、黒井の注文した品が来た。
「お待たせいたしました」
「ありがとうございます。……さて、まずはいただきましょうか」
店員に礼を言い、ケーキとコーヒーを口にしながらナンプレに没頭し始める黒井。
その頃レジでは、
「あー食べた食べた」
昼前から食べ始め、やっと食事を終えた真緋呂と、彼女に同行した和紗が、レジで会計を行っていた。
代金を支払う和紗の隣で、
「ちょっとのんびりしちゃったかな? でもこのくらい普通よね」
入店時と全く同じ体型の真緋呂が言った。
「……そうですか」
若干呆れ顔の和紗と共に、ふたりは店を出た。
○
「ごちそうさまでした。……まぁまぁですね」
食事を終えた黒井が店を出ると、時刻は15時ちょうどだった。そこへまた、新たな撃退士が訪れる。六道 鈴音(
ja4192)だ。
「えっと、カフェラテとクッキーください」
テラス席に腰かけ、店員に注文を済ませると、六道は暖かい日差を存分に楽しんだ。
「ほれ、あんまり暴れると追い出されちゃうから、おとなしく食べてるのよ」
運ばれてきたクッキーを小さく砕くと、店の人から許可を取って召喚したヒリュウにも分け与え、六道はさりげなく店内の様子を探ってみる。
(別にこれといって変わったトコロはないけどな)
そんな彼女の隣の席では、神谷春樹(
jb7335)が注文したパンケーキとコーヒーを楽しんでいた。図書室で借りた冒険小説を手に、コーヒーを口元に運ぶ。ほんの少し香りを楽しみ、一口飲めば納得の味だ。得心したように頷きパンケーキを口に運ぶと、神谷の顔が綻んだ。
(このところ忙しい日が続いたから、少しは羽を伸ばさないとね)
テラスでぽかぽかとした陽気を浴びていると、春が訪れつつあることを実感する。
(落ち着いた店で本を読みながら、食事を楽しむ。至福のときだ)
とはいえ、彼も依頼を受けた身である。召喚したヒリュウの視覚共有で、店内の様子をしっかり伺っていた。そんなヒリュウの視界には、客に交じってテーブルに相席で座るラファル A ユーティライネン(
jb4620)と川内 日菜子(
jb7813)の姿があった。
「へー、なかなかいい店じゃねーか」
奥のテーブル席にふたりで腰掛けると、ラファルは持ち込んだノートを広げた。
「さてヒナちゃん。依頼の」
びくっ。
依頼という言葉が出た瞬間に体を強張らせた川内に内心ため息をつきつつ、ラファルは話を続けた。諜報活動の類が苦手な彼女は、「依頼」「覆面」という単語を聞くと、それが顔と態度に出てしまうのだ。
「前の依頼の反省会、だぜ」
ふたりは前回別々に受けた依頼で、それぞれにミスを犯していた。今日はその反省と対策を話し合うために来たのだ。
「とりあえず何か頼もーぜ。あ、俺はミルク」
「ジ、ジャアカフェモカデオネガイシマス」
店員に注文を済ませると、ラファルは緊張でかちこちに固まった川内を見つめた。
「さて本題だぜヒナちゃん。依頼では、敵陣のふくめ――」
「わあああああ」
おかしな声をあげる川内を無視して、ラファルは続けた。
「敵陣の覆滅が達成条件だった。ミスの要因としては」
「ラ、ラル。ラル」
「何だよさっきから」
「ふ、普段の私とは、どうしていたのだったか?」
川内は縋るような目でラファルを見た。何とかして今の状態を克服したいらしい。
そんな彼女に、ラファルは溜息をついた。
「俺が言ってどうこうなるもんでもないだろ。依頼の件もそーだけどさ、失敗しても大丈夫だ、味方を頼ろう。そういう気持ちも時には必要だと思うぜ」
「……背負いすぎ、だっていうのか?」
川内が言った。少し気持ちを切り替えられたようだ。
「ま、ヒナちゃんはそこんところ完璧主義傾向だからな。ちょっとずつ慣れていって損はないと思うぜ。その点、失敗しても人が死なない、傷つく人もいない任務とか最適だと思うんだけどなー」
「うっ」
そこへ店員が、カフェモカとミルクを運んできた。
「ありがとさん。さて、飲んだら続きやろーぜ。ヒナちゃん」
「……ああ。ありがとう、ラル」
どうやら川内にも、普段の調子が戻ってきたようだ。
注文の品を飲み終えると、ふたりは反省会にとりかかった。
「ごちそうさまでしたー。ほら、ヒリュウ。行くよ」
「お会計をお願いします」
食事を終えた六道、神谷と入れ替わるように入店したのは、牙撃鉄鳴(
jb5667)だった。
「アイスコーヒー」
牙撃は店の奥で飲み物を注文すると、アタッシェケースから紙を取り出した。先ほど彼が解決した、別の依頼の報告書だ。運ばれてきたアイスコーヒーを飲みながら、牙撃は書類に記入を済ませていく。店員には分からないよう内容をぼかしつつ、今の依頼の内容をメモするのも忘れない。
(他愛もない依頼だったな……さて)
記入を終え、牙撃が愛用の武器のメンテナンスを終えた時、携帯がメールの着信を告げた。斡旋所からだ。
(依頼か)
味覚のない彼にとって、食事は栄養補給以上の意味を持つものではない。内容を確認すると、伝票を手に席を立った。くつろいでいる時間はない、既に新たな依頼が彼を待っているからだ。
(そういえば中学生くらいの奴が何人かやたら見てたな……)
気にはなったが、どうでもいい。任務には関係ない事だ。牙撃は会計を済ませ、店を出た。
○
それからしばらくして、リブラは閉店の時刻を迎えた。
「今日は一日、お世話になりました。牧原さんとマイさんも、ありがとうございました」
そう言って、閉店後の事務所で教師が礼を述べると、生徒達も口々に礼を言った。
「ありがとうございました。勉強になりました」
「撃退士さんって色んな人がいるんだって思いました」
「でもあの歳でプリンは驚いたよな」
「そんなこと言ったら、俺の見た人なんか――」
こうして一日の潜入ルポを終えた中学生達は、店のスタッフに礼を言って帰路についた。