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月臣 朔羅(
ja0820)と清純 ひかる(
jb8844)は、ニンジャ松山の実家にいる妹を訪問していた。ボイスレコーダーに妹の声を録音しておけば、正気に戻す手がかりになると考えたからだ。
「もうやめて! お兄ちゃん! 助けてくれるんだよね、私のこと! お願い、あの日の誓いを思い出して!」
迫真の名演技は、兄妹の特別な絆を感じさせた。
「必ず松山君を取り戻してみせるわ」
朔羅とひかるは決意を胸に頷き合うのだった。
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その頃、残る六名は見舞いと聞き込みを兼ねて静養中の田村を訪れていた。
「大丈夫、みんな必ず無事に戻ってくるわ」
シュルヴィア・エルヴァスティ(
jb1002)はフルーツ盛り合わせを差し入れつつ田村を励ましている。
「ああ、すまない。協力に感謝する……って、まさか!」
田村の視線はシロ・コルニス(
ja5727)に釘付けとなった。牛の頭蓋骨を被り上半身は裸、という姿に嘆きの声があがる。
「なんということだ、君達の中からもすでに被害者が……」
「いえ、シロさんは元々こういうファッションの方ですので。ご心配なく」
至って冷静にフォローを入れるイアン・J・アルビス(
ja0084)。
「はい、シロ、ケータイ使えます」
片言の日本語でケータイを振るシロの姿に、田村は動揺を隠せない様子だ。
「と、まあ、それは置いといて。冬山の食糧事情は厳しそうだし、食べ物でも持っていてあげようと思うのだけど。あの子達の好きな食べ物とか教えてくれない?」
東雲 桃華(
ja0319)の問いに田村は真剣に考え込んだ。
「思い出の料理とかあるなら、正気に戻るきっかけになるかもねぇ」
来崎 麻夜(
jb0905)の言葉で田村は何か思い当たったらしい。
「そうだ、佐々木の奴が手作りピザを作って持ってきたことがあったんだ。みんな、野郎の作った飯かと愚痴を言いつつも腹が減っていたので食った。でも、佐々木の奴、ピザにたくあんを入れてやがったんだ。それで、ピザにたくあんとかありえねーだろって、みんなから非難の嵐で……」
「なんと言いますか、もう少し暖かい思い出はないのでしょうか」
「…………」
田村の顔が悔しげに歪んだ。
「あいつら、俺が厳しくしすぎたせいか、遊びとか全然誘ってくれないんだ。寂しくて禿げそう……」
田村が知っていたのは学生図鑑に載っているレベルの物事だけだった。
「いつか心の距離が縮まるといいわね……」
優しく語りかけるシュルヴィアに田村は涙目でうんうんと頷くのであった。
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かくして文明撃退士たる彼らは、桃華の作った和食や、シュルヴィアの持ってきた焼き芋、シロお気に入りの干し肉、双狐(
jb5381)の用意してきたバナナなどを使って野生撃退士たちをおびき寄せる作戦に出た。
「さて、うまくいくでしょうかね」
「かりじゃなく、つかまえるだけ……むずかしいですね」
「捕り物は風紀の仕事ですが、野生化した人間など初めてです」
「ニホンのヤマはドウブツ、すくないですし、アメも、しばらくふってないです。そこ、やりやすいですね」
所感を語り合うイアンとシロの隣を、木々を伝って朔羅が横切っていく。移動に際して地面を歩かないのは、ニンジャ松山が土の中から急襲してくる可能性を考えての行動だ。
高所の枝には、闇を纏って気配を殺した麻夜が物見を兼ねて待機していた。まこと隙のない布陣である。仮に天魔が強襲してきたとしても、容易に彼らの陣形を崩すことはできまい。
その布陣の中央からは、味噌汁や焼き芋の香りが漂っていた。果たして野生撃退士たちは加熱調理された食品の魅力に抗えるのであろうか。
「シャアアアア!」
ここは日本。和食の真骨頂・味噌汁の香りは偉大だった。さっそくインフィル佐々木が木陰から飛び出してきたのだ。
「ウホっ?」
餌の香りに釣られてきたインフィル佐々木は、自分の縄張りに侵入者がやってきたことを悟り「ワオワオー!」と仲間に危機を知らせた。
「ダァァァイ!」
イングリッシュな叫びと共に槍を投げつけてくるインフィル佐々木。ナイフでそれを叩き落としたシロは、縄を構えてインフィル佐々木を追いかけた。
そのとき地中で何かが動く気配があったのを、朔羅は逃さなかった。
「来たわね松山君!」
山の地面には松山が移動に使っていると思しき穴が無数に存在していた。そして朔羅は穴のほとんどを事前にチェックしていたのだ。今、地中から出てくるとしたら。
「ていっ」
朔羅はニンジャ松山が出口にすると思しき穴に、毛虫をバラバラと放り込んだ。
「ホーゥ!」
地中から真っ先に響いたのは歓喜の叫び。
次いで、ボリボリムシャムシャと、毛虫を良く噛んで食べる音が聞こえてきた。
「…………」
何とも言えないやるせなさに襲われた朔羅は、つま先で穴に土の塊を放り込んでやった。
「ブホアっ!」
効果は抜群だ。窒息しかけたニンジャ松山が、苦しさに耐えきれず地中から飛び出してきた。朔羅は、やっかいな忍者を射程内へ引きずり出すことに成功したのだ。
「見つけたわ、松山君。大事な妹が呼んでいるわよ?」
ひかるも、ボイスレコーダーと写真を取りだしてニンジャ松山に呼びかけた。
「思い出せ、大切な妹さんの事を、君がここでこんな事をしている間にも、危機が迫っているかも知れないぞ!」
松山妹の写真を見せながら、畳みかけるようにして録音した声を響かせる。
「もうやめて! お兄ちゃん! 助け……」
「アーアアー!」
声の後半は、蔦を振り子のように使って乱入してきたルインズ北村の不思議な雄叫びによってかき消された。
「…………」
対峙するひかるとニンジャ松山の間に、わずか一瞬の沈黙が流れた。
そして。
「妹に何をしただァー!」
「うわあああーっ!」
何を勘違いしたか身体を一本のドリルに見立てて捨て身の特攻をかけるニンジャ松山に、ひかるは吹き飛ばされた。そしてニンジャ松山もまた、勢い余って彼方へと飛び去っていくのだった。
「今、松山君は言葉を喋ったわ」
野生動物は言語を持たない。多かれ少なかれ、ニンジャ松山は人の心を取り戻したのだ。だが、それは一時的なものに過ぎないのかもしれない。ニンジャ松山との戦いは続く。
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イアンは、ルインズ北村を一人で食い止めていた。
ルインズ北村は力なき人々の盾になるため撃退士となった男。
「僕は盾。己も他も守れと任された者です。あなたも僕と同じ志なのでしょう?」
イアンの言葉にルインズ北村は動きを止めて、「ウホ?」と何事か悩み始めた。どうやら一石を投じられたようだ。
やがてルインズ北村の顔に一つの表情が現れた。それは、頭上に「?」が大量に浮かんでいる情けない表情であった。
野生化した頭脳には内容が難しすぎたのだ。
「ホワァータタタタタ」
ルインズ北村は両の拳を交互に繰り出してイアンに再度襲いかかった。イアンは右に並ぶ者がそうそういないほど守りに長けた撃退士だ。直撃を受ける道理もない。しかしルインズ北村の連撃は、油断があればイアンの装甲をも抜けかねほどに研ぎ澄まされていた。
「ほう、なかなかやりますね」
「ワフッワフッ」
一度後退するルインズ北村。
その息遣いには、「俺の攻撃を全て受け止めるとはなかなかやるな」といった驚嘆が含まれていた。
そして、再び連撃を繰り出すルインズ北村。
「ホワァータタタタタ」
「む、なかなかやりますね」
「ワフッワフッ」
二人の距離が離れる。そして。
「ホワァータタタタタ」
「おや、なかなかやりますね」
「ワフッワフッ」
かくしてイアンとルインズ北村の戦いは、終わりのない無限ループへと突入していった。
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「はい、捕まえたよー」
桃華とシロによって追い詰められた挙げ句、退路を麻夜によって塞がれたインフィル佐々木は、抵抗もむなしく取り押さえられていた。
インフィル佐々木は今、シロの縄で木に縛り付けられている。
ここで気がかりなのは、まだ姿を現していないダアト宮川とバハムート竜崎だ。そこで文明撃退士たちはインフィル佐々木を利用することにした。
「おおきいこえ、だすといいですよ。ヤマはこえ、ひびきますから……たすけてくれるかも?」
奪った槍を突きつけて脅迫しつつ、木の陰で息を潜めるシロ。助けが来ればそのまま奇襲で捕獲する算段だ。
北海道に住む熊は、鉄の檻に捕らわれたとき野生を汚された怒りでめちゃくちゃに暴れ回ったという。インフィル佐々木もまた、「ウオー、ウオーッ……」と悲しげな声を上げてじたばたと暴れ狂った。
その声を聞き、ドドドと地鳴りを響かせてバハムート竜崎が駆けつけてきた。もちろん手懐けた猿に乗っての登場だ。四足歩行を活かした高速機動でインフィル佐々木めがけ切り込んでくる。
立ち塞がったのはようやく戦列に復帰してきたひかるだ。アウルの光を散らしながらバハムート竜崎の進路に割り込み、その突撃を身体で受け止める。はね飛ばされないよう踏みとどまりながら、ひかるはバハムート竜崎の瞳に語りかけた。
「猿でいいのか竜崎くん、君の竜達は悲しんで居るぞ!」
「フオ!?」
バハムート竜崎は心外そうに拳を突き上げると、猿と一緒にガッツポーズを取った。「以心伝心、俺達は最高のパートナーだ」とでも言わんばかりだ。
「それでいいのか! 思い出せ、あの日々を!」
さらに言葉を続けるひかる。バハムート竜崎は耳を貸さず、落ちていた鳥の糞を拾って投げつけてきた。
ベチャ。
糞はひかるのこめかみに直撃した。
「っく、大自然という領域はここまで人の心を解放させるのか」
想像を絶する悲しみがひかるを襲った。
ひかるを突破したバハムート竜崎はインフィル佐々木へと進撃してく。バハムート竜崎と猿の友情は本物のようだ。このままでは彼を野生から引きはがすことができない。
「そこで必殺バナナアルよ! 食らえ!」
猿はバナナが好き。双狐はすかさずバナナを掲げて猿の気を引いた。
「ウホ!」
思わず足を止めてバナナに見入る猿。
「アーウ!」
バハムート竜崎は猿の頭を引っぱたいてインフィル佐々木のほうを指さした。目先の食い物より仲間だ、という意味だろう。
猿は悩み始めた。友情をとるかバナナをとるか。
「バナナは偉大!」
追い打ちとばかりにバナナへ星の輝きを灯す双狐。半径20メートルを照らすバナナは何だかとても特別なように見えた。
「ウホオオオオ!」
バナナに屈した猿は、インフィル佐々木を見捨て、背中に乗ったバハムート竜崎をも振り落とし、ひたすらにスターライトバナナへと駆け寄っていった。
「ていっ!」
双狐はバナナを力の限り投げ飛ばした。山の外まで飛んでいく勢いのバナナを、猿はどこまでも追いかけてゆく。猿は仲間ではなくバナナを選んだのだ。
「あ、あああああーっ!」
心を通じ合わせた相棒を失ったバハムート竜崎は、衝撃のあまりガクリと膝をついて泣き崩れた。
「う、う、うあああああー!」
野生の悲しみを乗せて地面をバンバンと叩くバハムート竜崎。
「立つアル! 立つアルっすよ!」
双狐はバハムート竜崎の胸倉を掴むとその身体を引きずり起こし、持っていたハリセンでビシバシと引っぱたいた。
「思い出せアル! 撃退士を目指したあの頃を! 守りたいものがあったはずアル!」
機械と同じで叩けば元に戻るかもしれない。双狐は容赦なくハリセンを往復させた。
そのときだ。仲間の嗚咽を聞いてのことか、これまで行方知れずだったダアト宮川がついに姿を現したのだった。
「ハアアアアオ!」
威嚇と共に空から降ってきたダアト宮川は、修行の果てに体得した新奥義スリープミストを発動した。ただし修行に何かのミスがあったのか、魔法は口から出た。
8日もの間、歯磨きもうがいもしていないダアト宮川。その口から噴き出した霧が、文明撃退士たちの陣営を包み込んでいく。
あまりの威力に何人もの撃退士たちが倒れた。
「何なの、その技! 貴方にも誇りはあったはずでしょうに!」
下品極まりない必殺技に、シュルヴィアの中で何かがぷっつりと切れた。
「躾のなってないっ!」
スライディングでダアト宮川の足元に潜り込んだシュルヴィアは、その両足首を掴んで洗濯機のようにぐるぐると回したかと思うと、遠心力を乗せて一気に投げ飛ばした。
ぽーんと宙を舞うダアト宮川。跳躍して追ったシュルヴィアは、ダアト宮川の首を膝で挟むと空中で一回転した。
「まずはその尖った根性を……叩きなおしてあげます!」
膝で首をロックしたまま急降下。
「こ、この世の春が来たァ−!?」
ズガアアッ!
つい日本語の悲鳴をあげたダアト宮川は、頭部から地面に叩きつけられた。
敗れたダアト宮川は、悔いるようにして呟いた。
「思い出した……自分達は大切なものを失っていた……」
その言葉には灯っていた光は野生ではなく理性。
イアンと戦い続けるルインズ北村、熊のように暴れるインフィル佐々木、双狐に往復ビンタされるバハムート竜崎。三人の仲間に向かって、ダアト宮川は静かに語り出した。
「今、太ももに挟まれて思い出したんだ……女の子の柔らかさを。みんな・・…このま山にいては女の子と触れ合えない、学園へ帰ろう!」
その言葉に三人の野生撃退士たちはハッとした。
「ハッ!」
地中からも気付きの声があがった。おそらくニンジャ松山だ。
沈黙が流れた。おそらく彼らの中で野生と理性の激闘が繰り広げられているはず。
文明撃退士たちは彼らの信念を信じて待った。
その時、桃華の足元でゴリゴリっという音がした。
「太ももーっ!」
地中から、桃華の太ももをめがけて飛び出すニンジャ松山。
げしっ。
桃華はもぐら叩きの要領で、出てきた頭を思いっきり踏みつけた。
「貴方、力の使い方を間違ってるんじゃないかしら。信念の歪んだ力は暴力に成り下がるわよ」
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その後も多少の紆余曲折はあったが、野生撃退士たちは辛うじて文明の輝きを取り戻すことができた。
アウルの覚醒によって広がった人間の可能性。それがどのように発現するかは、ひとりひとりの生き様を示すものなのかもしれない。
「貴族たるもの、簡単に自意識を染められてはいけませんわよ」
「はい!」
後日シュルヴィアに弟子入りして帝王学を学び始めたダアト宮川たちを見て、麻夜は思わず呟いていた。
「うーん、あれって、言ってるそばから染められちゃってるよねえ」