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夏が近い。陽光は日を追うごとにぎらついてくる。
そんな空気の朝を久留須秋生は一人で歩いていた。何かを探すように視線を巡らせつつずかずかと足を進める。
そんな彼に接触を図った先鋒は桜庭 ひなみ(
jb2471)。小走りに秋生と並び声をかける。
「お、おはよう、秋生くん。久しぶりですけど、その、学校慣れましたかっ」
「何者だ」
厳しい声で立ち止まる秋生。ただでさえ引っ込み思案なところに相手は男の子、慣れない展開にひなみの心臓はばくばくと早鐘を打った。
「そ、そんなに警戒しなくて大丈夫ですよ。同じ中等部の仲間ですから」
「なるほど」
素直に肩を並べる秋生を、ひなみは間近から観察してみた。周囲への警戒心は強い様子だが、それは待ち伏せや奇襲に対する用心であって、生徒たちに向けられている敵意ではなさそうだ。
(そこまで変な人じゃないのかも?)
話せば分かってくれるかもしれない。ひなみは率直な本心を告げた。
「女の子のスカートめくっちゃだめですよ」
「貴様、どこからその情報を得た」
「うっ」
言えない。言えば秋生は、ひなみの事を依頼報酬目当てに接近した人物であると判断するかもしれない。
「そっ、その私、麻由川さんとお話してて!」
とっさに苦しい言い訳をするひなみ。
「ああ。麻由川の学友だったか。名は何という?」
「えっと、桜庭、ひなみです……」
「桜庭か。了解した、今後よろしく頼む」
うなずく秋生。会話はなごやかに終わった。
「って、終わってる場合じゃなーい! だから、女の子のスカートめくっちゃだめですよって!」
ひなみは勢いよく秋生に詰め寄った。その瞬間だ、どこからともなくバレーボールが飛んできたのは。
「はぶうっ!」
飛来したバレーボールはひなみの後頭部をジャストミート、思わず前方につんのめったひなみは勢い余ってドンガラガッシャンと秋生を押し倒してしまった。
「…………!」
どうしてそうなったのか。押し倒したのはひなみのはずなのに、地面に倒れ込んだときはすでに、マウントポジションを取っていたのは秋生の方だった。
「やはり何か企んでいたようだな。お前は明らかに緊張していた。人間が緊張するのは重要な局面に限られる。言え、本当の目的は何だ」
秋生の言葉以前に、重要なのは男の子にのしかかられた挙げ句に真顔で迫られている現状であった。ひなみの思考は完全にショートした。
ぼっと顔に火がつく。
そのとき秋生は慌ててひなみから距離を取った。少し離れた場所から自分たちを観察する川内 日菜子(
jb7813)の姿に気付いたからだ。隠れもせずに堂々と自分の行為を見つめる見知らぬ存在。敵か味方か、秋生は図りかねた。
(一体、久遠ヶ原で何が始まろうとしているんだ……)
ただならぬ凶事の予兆を感じながらも、ひなみに背を向けて校舎へと歩き出す秋生。
「ふあっ……!」
残されたひなみは、ぺたんと地面に座り込んだまま、真っ赤になった顔を一人覆うのだった。
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一限が終わって休憩時間。
「麻由川、状況は複雑そうだ。油断するなよ」
陽気さの欠片もない言葉をクラスメイトに残すと、秋生は用を足すため単身男子トイレへと向かった。便器の前に立ち生理的な開放感に浸る秋生。この瞬間、第二の接触が図られた。男子トイレの個室には下妻笹緒(
ja0544)が身を潜めていたのだ。
「ずいぶんと不用意だな、久留須秋生よ」
「っ……!?」
背後から突き刺さった重い声に秋生は思わず背筋を伸ばした。
「聞いた話では、お前は学園内に敵が潜り込んでいたという事実の発見に至っている筈。にも拘わらず、どうしてそうも堂々と素顔を晒しているのだ」
「な、何者だ! 姿を現せ!」
「今はまだ決戦段階にはない筈。この局面で重要な事は敵の偵察索敵から逃れることではないのかね」
「馬鹿な! 行動もせずに勝利など得られない!」
「敵情を掴むこともできぬまま無駄な情報を外部に垂れ流す行動が、誰をどのように勝利へ導くというのだ」
「くっ、そ、それは……」
「さらには生身でうろうろと廊下を歩き、のこのこと用を足そうという愚行。私が暗殺者なら、その無防備な背に言説ではなく凶刃を突き立てたであろうな」
「お、俺は……」
打ちひしがれた秋生は、がくりと崩れ落ち小便器の前に膝をついた。
「無力だな、久留須秋生」
「ち、違う、方針を再検討していただけだ」
「ならば清掃用具入れを見よ!」
「何ッ!?」
はっとして立ち上がる秋生。笹緒は言葉をかけるでもなく静かに秋生の行動を待った。トラップサーチのスキルを利用し安全を確認した秋生は、ごくりと唾を飲んでから扉に手をかける。
ゴウィイィン、と独特の振動音を立てて清掃用具入れが開いた。そこに隠されていたのはのほほんと口をへの字にしたクマのキュートな着ぐるみであった。
「久留須秋生。これからは、くま須秋生として生きよ。学園内では着ぐるみを着用し、己の情報をその内に遮断する。それが正しい戦士としての有り方だ」
笹緒は最後にそうアドバイスすると、放っていた気配をシャットダウンした。着ぐるみを前に一人残された秋生。彼は考え始めた。この装備を最も効果的に運用する方法を。
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昼休み、長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)と霧島零時(
jb9234)は弁当を手に秋生のクラスを訪れた。そのとき彼は隣席の麻由川瑠奈と口論を繰り広げている真っ最中だった。
「いいから着ろ。君だって敵に姿を見られているんだぞ」
「訳の分からないこと言わないで」
「分からないのは君の理解力だ。君は弱い上に装備もろくに強化されていない。生身で歩いていては暗殺者の脅威にさらされるだけだ!」
「ちょっと! いま装備とか蒸し返すのやめて!」
ヒートアップしてゆく二人。
「ごきげんよう。ここ、よろしいかしら?」
みずほは、優雅極まりない所作でふわりと両者の間へ割って入った。
「…………!!!!」
またも素性の分からぬ相手の接近を許した秋生は、脳天割りを受けたかのように衝撃を受けた。
「…………」
言葉もないらしい。
「無理強いはしませんが、こんな穏やかな日和が続く日々です。たまには、中庭で食べませんか」
弁当をちらつかせながら、零時は穏やかにそう誘った。
「あ、是非連行していって下さい。お願いします、心から」
という瑠奈の強い推しもあって、みずほと零時は面識がないながらも秋生を中庭へ連れ出すことに成功した。
中庭に着くなりみずほはティーセットを展開し、周囲をベルガモットの芳香で包み上げた。
「美味しい紅茶は心を落ち着けてくれます。ミルクと砂糖はお好みでどうぞ。あ、霧島さんもご遠慮なく」
「では頂きましょう」
何の前触れもなく始まった木漏れ日の似合うランチタイムに、秋生は動揺を隠せない。
「な、何が目的だ」
「いえ。争うべき場所から秋生さんが無事に帰ってこられた。単にそれを噛みしめてみたかったのです」
おかずを口元へ運ぶ零時の視線は、向かいのベンチで談笑する中等部のカップルへと向けられている。
「…………」
秋生は何も語らない。固い瞳の向こうには、ある種の戸惑いと、依然として消えぬ獣の獰猛さが、複雑に絡みついていた。
「お聞かせ頂けませんか。前線にいた七ヶ月間のこと」
「なぜ君に話す必要がある」
「あら、仲間が死地から戻ってきたんですのよ。何かおかしくて?」
「いや……」
秋生はぽつぽつと語り出した。緒戦においてシュトラッサーの能力が分からぬまま両軍が激突したばかりに19名が重傷を負った事や、偵察任務中に包囲された仲間を救出すべく決死の突撃をしかけたときの事などを。
「秋生さんはとても勇気がありますわね。何が秋生さんにそこまでの力を与えたんですの?」
「彼は帰るべき家を失っていた。彼の死を弔う個人は世界のどこにもいない。だから死なせるわけにいかなかった」
秋生は一旦言葉を止めると、哀しげに付け加えた。
「シュトラッサーにさえ、その死に涙する主が居たんだ」
みずほと零時はひそやかに顔を見合わせた。その時、限定ジャンボチョコパンを手にした双城 燈真(
ja3216)が現れた。
「あ、隣良いかな……? 何だか寂しそうだから……」
大きすぎるチョコパンを無理矢理飲み込んだ燈真は、お茶をぐいぐいと流し込みながらぜーはーと息を整え、改めて秋生の隣へ腰掛ける。
「7ヶ月も戦場に居るって凄いよね……、俺だったら逃げ出してそうだよ……」
眩しげに秋生へ微笑みかけた燈真は、たちどころに満面の笑みを浮かべると勢い良く語り出した。
「転入早々だったらまだしもだぜ! もっと怖い思いして俺以外の人格がバンバン生まれてたかもな!」
「ああ」
秋生は納得した様子で頷いた。
「二重人格か、今までも何人かいたな」
「俺……、大事な人を天魔に殺されたんだよ。そのときに生まれたのが翔也で……」
「秋生! 困ったことがあったら言えよ! 誰も一人では戦えないんだ!」
「あ、ああ……感謝する」
こうして昼休みは穏やかに流れていった。
その別れ際。
秋生は燈真に生真面目な顔をして告げた。
「我々は君の大切な人を守れなかった。すまない」
翔也は、そんな秋生の背中を乱暴に引っぱたいた。
「仲間だろ、そういうの、なしだ。これから一緒に戦っていこうぜ」
「ああ」
秋生は控えめに頷いた。そんな彼を、日菜子は例によって少し離れた地点から堂々と観察していた。
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そして学園は、何の非常事態もなく放課後を迎えた。続けて秋生に接触を図ったのはみくず(
jb2654)。
(聞こえますか……今貴方の心に語りかけています……ごはんを食べるのです……)
「のああああ!?」
午前中の失態から警戒を強めていた秋生だったが、直接頭に語りかけられるのは想定外だったようだ。
「飯くえ〜、飯くえ〜」
追い打ちをかけるように、のぞき穴の開いた白いシーツを被る星杜 焔(
ja5378)が秋生にゆらゆらと接近、その手には重箱の如く八段積みにされた弁当箱がそびえ立っていた。その様はまさに飯食えお化け。
「何かと思えば補給部隊だったか。だが只者ではないな。あの者が言った『己の情報をその内に遮断する』という行為をまさに実践している」
秋生は感心している。
「飯くえーい」
焔は何もかもをスルーして弁当の山を差し出した。
「いや、俺には十分な物資が分配されている。食糧なら他の者に…・・」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ー……」
手作り料理を事務的に拒絶された焔は、見た目に違わぬ怨念を漏らした。
「こ、この演技力、凄まじいまでの遮断性だ。敵に正体を特定される可能性が全く見当たらない」
焔は畏敬の念を向けられたが、そんなことはどうでもいい。
「飯くえええええええ!」
激しい怒号が秋生の耳につーんと響く。そのときだ。
くいっ。
焔の被るシーツをひっぱる姿があった。みくずだ。
「星杜さん、おやつー!」
「おお、みくずちゃん。どんどんお食べ、さあ!」
焔は八段積みの弁当を地面にバアンと広げた。そして秋生が何かを判断するより早く、みくずは五人分の弁当をばばーっと平らげた。
「あ、そこのキミー! おやつ一緒に食べない?」
思い出したように秋生へ声をかけるみくず。
「い、意図が掴めんのだが」
「えー。だってご飯食べたら幸せな気分になるよねえ。ほら」
ひょい。
有無を言わせず、箸でつまんだおかずを秋生の口へ放り込む。パン粉に包んだ白身魚にハーブで香りを加えた至極の一品だ。
「…………」
秋生は面くらいながらも、良く噛んでからごっくんとおかずを飲み込んだ。
「確かに、うまい。非常食とは次元が違う」
「うんー。一緒に美味しいもの食べてほっこりしたら、もう仲間なんだよー」
にこり笑いかけるみくずの隣で、焔はぷるぷるとシーツを震わせていた。初対面の秋生が自分の手料理を食べて美味いと言ってくれたのだ。料理の道を往く者として嬉しくないはずがなかった。
それをどう解釈したのか。秋生は改まった仕草で深く敬礼すると。
「これほどの厚遇、心より感謝いたします。恩に報いるため科学室にて装備を強化して参ります、これにて!」
と、すたすた去って行った。
「あれー、おやつなくなっちゃったー。もうないのー?」
「まだまだあるよ! もっと食べてねみくずちゃん!」
放課後のおやつはまだまだ続くようだが、それはまた別のお話。
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部活動で賑わう校舎の中、燈真は科学室で秋生と鉢合わせた。
「あっ、秋生くんだ……」
「何を強化するつもりなんだ? 俺達はこの伝家の宝刀の雪村だぜ!」
親しげに愛刀をかざして見せる燈真と翔也。
「俺はこれだ」
秋生は自分が強化しようとしていた装備を二人に示す。それは笹緒が彼に託したクマの着ぐるみであった。
「な、何だそりゃ」
「俺は未熟だ、早くさっきの補給兵のようにならねば。そのために必要な重要装備だ」
「そ、そうなんだ。うまく強化できるといいね……」
「うむ」
ずももももも。
久遠ヶ原の学生たちを繰り返し一喜一憂させてきた装置が、クマの着ぐるみに新しい力と姿を与えてゆく。
ちーん!
「…………」
「くじけるなよ、じゃあな!」
慰めの言葉を残し翔也が去ってゆく。
クマの着ぐるみは、変異してたった一枚のブロマイドになっていた。
科学室に残されたのは呆然とした秋生と、朝からつかず離れずでずっと秋生を観察してきた日菜子。
「で、あんたはこの変異をどう解釈するんだ?」
傍観に徹してきた日菜子がついに問いを投げかけた。
「貴重な装備が失われた。確率上ありえる範囲ではるが損失には違いない」
「損失?」
日菜子はぐいっと秋生に詰め寄った。
「あんたの致命傷はそれだ。無駄に悲観的なんだよ。本当にその変異は損失なのか?」
「何?」
意味を図りかねた秋生はブロマイドを手に取ると、ちらっと一瞥した。刹那、確かに秋生の表情にハッとしたような何かが浮かんだ。
ブロマイドに写っていたのは、この一日で秋生に接触を試みた者達の集合写真だった。穏やかに、あるいは朗らかに整列する仲間たちに混じって秋生自身も照れくさそうにはにかんでいる。
「そういうの、強い装備に負けない値打ちがあると思わないか」
「……そうだろうか」
「ピンと来ないのか? だがアイテムだって変異できるのだ。あんただっていつかきっと変われる。そいつの値打ちがわかるようになれるさ」
そう言うと日菜子は、話相手ぐらいにはなってやると連絡先を残し立ち去った。
もう一度、集合写真に視線を落とす秋生。
(そうだ、ここは我が同朋たちが集う神聖なる学舎……)
彼の心に、これまで以上の激しい決意が燃え上がってゆく。
(久遠ヶ原の中で仲間の血が流れることを防がねばならん。俺は教師の殺害を企む敵の正体を必ず暴いてみせる! そしてこの手で討つ!)
仲間たちの笑顔を前に秋生は誓った。果たして彼は学園に平和を取り戻すことができるのだろうか。終わりのない戦いは、まだ始まったばかりだ。
完