●夜
魔物討伐を終えた撃退士たちが帰り道を急いでいた。
翡翠 龍斗(
ja7594)が思い出したように口を開く。
「そうだ、楓。長期休業中の店舗に占い師が来たらしいぞ」
「占い? 場所は?」
黒椿 楓(
ja8601)が尋ねる。龍斗は道の向こうを指し示した。
「……この先、看板が出ているからわかるだろう。案内したいが、野暮用があるから失礼する」
龍斗を見送り、楓は疲れた足を一瞬止めた。
(……信じる気はないけど、何らかの道標にはなるかしらね)
●明けて、朝
関東地方が梅雨に入り、島の上空にも雨雲が居座っている。
占い部の部長、卜部 紫亞(
ja0256)は傘を差し、歩を進めた。
数ヶ月シャッターの下りたままだった店に灯りがついていた。雨を避けて置かれた看板の文字は「占い・運勢〜よろず悩み聞きます」と読める。
どうぞ、と明るい声がした。紫亞が今日最初の客のようだ。
紫亞は紙に名前と出生データを記入する。希望項目は「占星術」に丸をつけた。
「七月一日のお生まれですね。何を占いましょう」
占い師・鶴見洋子の視線が強く紫亞をとらえる。負けじと紫亞も背筋を伸ばす。
「私がこの先、天使と悪魔をどれだけ滅ぼせるか…でいいかしら?」
戦いの行方。他に知りたい未来はない。
「では、撃退士としての仕事運を見ましょう」
洋子は金星の影響について述べながら、小さなノートパソコンを操作した。
(なるほど、天体の動きはパソコンに入れているのだわ……)
「穏やかに人と接し、ぶつかることは少ないでしょう。周りからも理性的と思われていますね」
「……」
「でも心の底に激しい憎しみがある。内と外のバランスが崩れたとき、体調も崩しやすいです。今の時期は注意です」
紫亞はうなずいた。少し喉の痛みを感じていた。
「戦いにおいては、秋頃まで大きな変化はないと思われます。秋が深まった頃から活発になり、自分自身のやるべきことが見えてきます」
「やるべきこと……天使と悪魔を滅ぼすことかしら」
「使命は、誰よりあなた自身が感じているはずですよ。きっとやり遂げるでしょう」
きっとやり遂げる。それは紫亞の望む未来だ。
「……もし少し時間があるのなら、私が貴方を占って差し上げようと思うのだけれど、いかがかしら」
洋子は占い師から普通のおばさんの顔になり、肩をすくめた。
「私を? 今日はこんなお天気で人通りも少ないでしょうからね」
二人は店の外に目をやった。しばらく雨は止まない、との天候予測は紫亞も洋子も同意見だった。
●昼過ぎ
「……すんません、占って、もらえますか?」
現れたのは魔女帽子をかぶり、頬を染めた亀山 淳紅(
ja2261)だ。
「どうぞおかけください」
淳紅は店内を見回しながら椅子を引いた。
「タロットでは比較的、近い未来を見ます」
淳紅の笑顔が引きつる。
近い未来と聞いて思い浮かんだのは逆に、近い過去のできごとだった。
「自分がこれから先、戦う中でどうなっていくのか、どう進んでいくべきか、知りたいです」
「亀山さんは、学園に来たことを悔やんでいますか」
「いえ、それはないです、強くなりたいし。守りたいものを、守りたい」
淳紅は帽子を脱ぎ、膝の上で握り締めた。
「でも最初あった『恐怖』とか『罪悪感』が薄れてしまって。『成長』なのか『慣れ』なのか」
「変化が怖い?」
「わからへんのです。捨てるべきか、背負い続けるべきか」
「二つの思いが揺らいでいるのですね」
洋子がタロットカードの束に触れる。
紫色の布の上にカードが広がる。
うながされ、淳紅は三つに分かれた束を重ねる。
一枚、一枚、洋子がカードを開いてゆく。
「今は改革の時期……別れは痛みを伴うでしょう」
淳紅は唇を噛み、洋子の解説に耳を傾けた。
「目標としてきたことが失敗に終わることもあります」
「あの、そのカードは」
「死神です」
旗を持った鎧男の絵は死神か。淳紅は唾を飲んだ。
さかさまの月のカードを手に取り、洋子が続ける。
「でも再出発です。がんばりすぎないこと。いずれ夜が明けて、真実が見えてきます。『恐怖』は『情』から。『罪悪感』は『優しさ』から来るものです。どちらも無理に捨てなくていいでしょう」
淳紅は頭を下げ、静かな声で問う。
「これから何があっても、自分は歌を好きでいられますよね?」
「悩みや苦しみが歌に深みを与えます。歌い続けるのがいいでしょう」
ありがとうございます、と淳紅は再度頭を下げた。顔のこわばりは消えていた。
森浦 萌々佳(
ja0835)は悩んでいた。
「占いを頼りすぎるのはよくないけど〜……」
少しでも悩みがほどけるのであれば頼みたい。ヒントが欲しい。
噂の占い師がどこにいるのか、正確な場所を知らない萌々佳は行ったり来たり、商店街を歩き続けていた。
傘を差しているせいで視界が狭い。実は二回通りすぎた後、萌々佳は洋子の看板を見つけた。
「あの〜……恋の悩みなんですけど〜……」
「どうぞ」
萌々佳は勧められるまま椅子に腰を下ろした。名前と生年月日を記入し、希望項目はタロット占いを選択する。
「彼が草食系で何もしてくれないんですよ〜…キスどころかハグすらあまりなくて〜…もっと積極的? になってもらうにはどうしたらいいですか〜?」
「草食系? 森浦さんは彼と、もっと親密になりたいと思っているんですね」
萌々佳はうなずく。
「では恋の未来を見てみましょう。カードの上に手をかざして、問いを心に思い描いてください」
「はい」
(……どうすれば彼はもっとあたしを欲しがってくれるの〜……?)
「いいと思ったら手を離してください」
萌々佳は両膝に手を置き、カードをさばく洋子の指先を眺めた。
「森浦さんの期待が大きいですね。いえ、決して彼の気持ちが小さいわけではありません。相性はいいです」
ほっとしながら、萌々佳は洋子が示すカードを見つめる。
魔術師のカードの正位置。
「彼が興味を持っていることを話題にしましょう。会話で知的な部分を見せると、彼がぐっと来るかもしれません」
「興味、ですか〜……」
「未来は愚者。未定ですが、自分と彼の相性を信じていいでしょう」
洋子の解説を萌々佳は真剣な面持ちで聞いた。
彼の得意分野をこっそり勉強して、一歩先を行く女になってみるのもいいかもしれない。
アルバイトの休み時間、羽山 昴(
ja0580)は噂で聞いた店に行き当たった。
よく当たる占い師。名前は鶴見洋子。
濡れた傘を店の傘立てに押し込むと、部屋の奥から声がした。
「どうぞ。何を占いましょう」
「家族関係だな。手相を見てほしい」
「ご家族とは離れて暮らしていますね?」
「ああ。実のところ関係はボロボロ、最悪でね。家を出てからも生活に必死で連絡してなかったんだが……」
昴は思い出す。大学受験に失敗し、出て行くと告げた昴に、何か呑み込んだような顔で黙った両親と兄。荷物をまとめる昴を、うかがい見ていた妹。
「では拝見しましょう」
洋子の温かな指が昴の右手をそっと開く。
「……この二本、頭脳線と生命線が離れています。考えるより先に行動するタイプです」
「一生懸命勉強しても、成績が上がらなくてな。兄と妹は俺とは違って優秀だったんだけどな」
「行動派の反面、大事な気持ちをずっと抱えてゆく傾向もあります。生命線の内側の細い線が示しています」
「この前の依頼で、死ぬかもしれんと初めて思った……。何もいい思い出がないのに、家族の顔が浮かんだんだよ」
洋子はうなずき、昴の左手を見た。
「羽山さんは将来、安定した家庭に恵まれます」
昴は目を丸くした。冗談だろ、と。
「争いが絶えない家庭は、お互いの嫌な部分を引き出してしまっているんですね。でも、受けた傷を癒し、新たな関係を築いてゆく力が羽山さんにはあります」
「連絡ぐらいはした方がいいかなって思うんだが」
「便りを送れば、ご家族も心の底に溜まった泥をぬぐい取れるでしょう」
洋子の優しい笑顔に昴は「母親」を見た。
(ありがとう、鶴見さん)
●夕刻
白い傘が行ったり来たり。傘の陰から店内の様子をうかがうのは菊開 すみれ(
ja6392)だ。
噂を聞いたときには興味のないふりをしたが、こうして一人、店を訪ねた。
儀礼服姿のの男子生徒が出てきた。自分の番だ。
深呼吸をして店に踏み込む。タロットによる恋愛相談を希望する。
「菊開さん、今は恋人と呼べる相手はいない?」
「あっ…はい」
「好きな人は?」
「……まだ」
(相手もいないのに恋愛相談なんておかしいかな)
すみれはパーカーのすそを握り締める。
「友達が、初めてできたんです。学園に来て。今までは力のせいもあって一人だったので。嬉しくて、でも距離感がつかめなくて」
見透かすような洋子の視線が苦しい。すみれは声を絞り出す。
「それに、最近は周りにカップルが増えて……私にもそういう存在がいたらいいな、って」
微笑を向けられ、すみれの肩の力が抜ける。
「どう自分を変えれば恋人が作れるか知りたいです」
「彼氏を手に入れる方法ですね」
「別に女の子でもいいんですけど。……あっ、もちろん男の子がいいですよ!」
「わかりました。これから出会う人について見ましょうか」
「お願いします」
すみれは洋子の案内に従い、カードの束に願いを込める。
洋子が開いてゆくカードはさかさまの絵柄が多かった。
「未完成ですね。可能性はありますが、次のステップに進むには困難があると思われます」
「そのカードは?」
「世界です。今の生活にさらなる波乱を起こしたくない、という菊開さんの潜在意識があるのでしょう」
「潜在意識……」
「恋人を作ろうとするのではなく、気づけば好きになっていた、そんな恋ができるといいですね」
すみれが去った後、洋子はつぶやく。
「あなたに想いを寄せている男の子が何人か来たけれど、すぐに成就はなさそうね」
次に席に座ったのは春日 暖陽(
ja7920)だった。
手相占いを希望し、暖陽は切り出す。
「こういう答えが欲しいっていうような悩みじゃないんですけど、占ってもらえますか?」
「ええ。おみくじを引く気分でいらしていただいて構わないんですよ」
「本当ですか。うーん、私って、特にこれといって得意なものもなくて、撃退士にはなってみたけど、本当は戦うんじゃなくて仲よくできたらいいのになんて思ってしまったりで……」
「誰もが撃退士になれるわけではありませんよ。春日さんはとても輝いて見えます」
いえいえ、と顔の前で暖陽は手を振る。
「経験も実力も全然ないのに、こんな中途半端な調子でうまくやっていけるでしょうか」
「では手を見せてください」
暖陽は両手を洋子の前に出す。
「行動的ですね。春日さんの純粋な発想や行動が事態を塗り替える可能性があります」
「私が…事態を?」
「故郷を離れても新たな地で活躍できる星のもとに生まれています」
そうかもしれない、と暖陽は思う。日常はある日、壊れ、貌を変える。
「実はくよくよ悩む日もあるでしょう。でもその気持ちを抑え込んでしまう傾向が見えます」
「どんなことがあっても落ち込まずにがんばりたいんです」
「そんな春日さんの明るさに救われている人も多いでしょう。立ち止まらずに前へ進んでください」
「はい」
「あなたをうらやみ、足を引っ張る人が現れます。笑顔で近づいてきますから、だまされるかもしれません。でもその後、一番頼れる友達がわかると思います」
「はい……」
「もし誰も信じられない気持ちになったなら、私を訪ねてきてください。秘密は厳守しますよ」
自信だけではない、不思議な気持ちに包まれつつ、暖陽は「久遠ヶ原の母」の店を後にした。
●再び、夜
「ボク、両性具有なんだよね」
峰谷恵(
ja0699)の相談は告白で始まった。
「鶴見さんは『久遠ヶ原の母』になりたいんだよね? ボクはそう聞いたとき、皆と同じ『母親』のイメージを持てないことに気づいたんだよ」
「お母様のことを話すのはつらいですか?」
「うん……母親って、子を虐待する存在としか思えないんだよ。ボクだけでなく、兄も同じ目にあってたから、この体のせいではないと思うんだよね」
「お兄様もですか」
「ん……襲撃で死んじゃったんだよ」
洋子は黙ってうなずく。恵は椅子に座り直した。長い黒髪が揺れる。雨音が聞こえる。
「峰谷さん、ご自身の出生地と出生時刻はご存じですか」
「わからない。でも昼ではないと思うよ」
「では七月十七日生まれ…で見ていきましょう」
洋子はパソコン画面を見つめ、口をつぐんだ。
漠然とした悩みを持ち込んだのに、思いがけない凶兆が出たのかと恵は不安を覚える。
「……数年間は落ち着かない時期が続きます。でも今の峰谷さんはご自分の内面を把握できていますから、よくない状態にはまり込むことはないでしょう」
「よかったっ」
「多くの人とのコミュニケーションの中から、悩み解決へのヒントが得られるでしょう。どんな苦しい状況からも学ぶことはあると私は信じています」
「ボクの悩みって、ボクだけに特異なものじゃないのかな?」
「家族への傷ついた思いを抱える人は少なくありません。特に撃退士は。お友達と話す機会があったなら、新たな見方が得られるかもしれませんね」
そうかぁ、と恵は首をかしげた。
「お友達との冒険や出費も悪くないでしょう。峰谷さんは大勢の人が持つ『母親』のイメージを持てない。でも逆に、大勢の人が持ちたくても持てない何かを、お持ちなのではありませんか?」
(ここが翡翠はんの教えてくれた店……)
二十一時を回っていた。楓は店の扉を開いた。
「噂を聞いたの……。占いとお話…聞いてもらっても大丈夫……?」
「もちろんです。どうぞ」
洋子は照明を落とした部屋で、その日最後の客になるであろう楓を迎える。
「タロットにしてみようかしら」
楓は椅子に背を預け、話し始める。家のレールに敷かれた道を歩んできた自分を思い返しながら。
「うちは…うち自身の存在を、いつか見つけることができる?」
「本当の自分を探す旅の行方ですね」
洋子がカードを切り始めると、楓は立ち上がった。
「……ううん…やはり占いはやめるわ」
「知る準備ができていませんか」
「今、結果を聞いたら……うちは歩みを止めてしまうと思ったの」
「また占いに惹かれるときが来たら、お寄りください」
楓は苦笑を浮かべ、洋子を振り返る。
「一つだけ教えて。占いで…相手の不幸が垣間見えたとしても…貴方は、占道を進むの?」
洋子も椅子から腰を上げる。
「不幸は人の潜在意識が呼び寄せることもあります。逆に、夜道の落とし穴を避けて歩く人もいます」
楓は思う。撃退士は明日をも知れぬ身だ。恐怖や過酷な運命ごと包み込む存在が久遠ヶ原には必要だ。
この人は手を広げ、そんな存在になろうとしているのかもしれない。
「私にできるのは、落とし穴への注意を呼びかける助言だと思っています。絶対に決まった運命はないのです」
外を行く車のヘッドライトが室内に光の帯を描いていった。