運を天に任せるという言葉がある。
けれど久遠ヶ原の学生は、たとえ流れを成り行き任せにするときも、その言い回しを使わない者が多い。
未来を天や魔に任せられるはずがない。未来は人間がこの手でつかみ取るものだからね……。
●道中〜白組陣営
「ではそれぞれの組で戦術を練るように」
眠くなりそうなマイク越しの高柳の話が途切れ、ほっとしたのは学生達だけでなくバス運転手も同じだった。
教師らしく振る舞おうと意気込んだ高柳だが、もともと喋るのは得意ではない。高柳はマイクのスイッチを切った。じゃんけん『花摘み』勝負は習うより慣れろだ。こちらが伝えたい以上の何かを、学生達が実地で学んでくれるだろう。
高柳に引率され、一台のバスに同乗した学生二十六名は自然に紅組と白組に分かれて座っている。
「向こうの組と区別するために、これを用意したよ」
神楽坂 紫苑(
ja0526)が白いリボンを取り出して周囲に配った。白組メンバーの分、十三本だ。
リボンを受け取った面々は各々、どこに結ぶか互いを見やる。
犬乃 さんぽ(
ja1272)は高い位置に結わえたポニーテールの青いリボンに白いリボンを重ねて蝶結びを作る。
牧野 穂鳥(
ja2029)はサイドテールに束ねた髪にリボンを絡ませ、グラルス・ガリアクルーズ(
ja0505)は首元にネクタイ結びで垂らす。
「ここだと目立たないかねえ……」
手首に結ぶべく苦戦しているのは金鞍 馬頭鬼(
ja2735)。リボンの端を口でくわえ、もう一方の端を輪にして蝶結びにしようとしているのだが……。
どこに結ぶべきか悩んでいるのは碧水 遊(
ja4299)。周囲を観察した後、カーディガンのボタンホールにリボンを通すことにした。
目印をつけることも忘れてじゃんけんの模擬練習をしている小等部生は、鈴蘭(
ja5235)と木花 小鈴護(
ja7205)だ。
神楽坂が年若い二人にリボンを結んだ。鈴蘭の髪、木花の手首に白いリボンが揺れる。
「そういえば、兄と姉には勝てた覚えがないな…」と木花がつぶやく。
「気迫の差だな」と神楽坂が笑う。
「おばあちゃんが言っていた。グーチョキパーは『愚・著・覇』、愚かな大衆、知恵と法による統治、武力と恐怖による統治を指すって」
清清 清(
ja3434)が披露した知識に、双城 燈真(
ja3216)が首をひねる。
「それだとチョキが一番強いんじゃねぇ? っていうか、グーが弱そうだ。愚かなんだろ」
「昔から数多くの必勝法が編み出されてきたらしいけど、ボクはセオリーなんて無視!」
「今日の俺はいける。ついてる気がするぜ!」
会話がかみ合っているようには見えないが、自信にあふれた点は共通している隣席の二人であった。
「勝ちを目指すのはもちろんだけど、楽しみたいよね」
ソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)は鉢巻代わりに強くリボンを結んだ。
リゼット・エトワール(
ja6638)はリボンの端を指先でいじりながら、車窓を流れる山並みを眺めた。まだ見慣れない本土の風景が新鮮に映る。たった一日といえども、実戦の合間に行楽に出かけられるのは幸せだと感じる。こんなに陽射しが暖かい春の日だから、なおのこと。
●到着〜紅組陣営
午前十時過ぎ、バスは目的地の公園の駐車場に着いた。既に別の観光バスやマイカーが七割ほど駐車スペースを埋めている。まだ昼前であることを考えると、なかなかの人出だ。
学生達は乗降口から降りると、運ぶ荷物を分担する。
「まぁ鏡が相手なら負けんわな、勝負がついたらホラーぜよ」
麻生 遊夜(
ja1838)は苦笑しながら缶ビールの箱を抱え上げ、露草 浮雲助(
ja5229)に渡した。ホラーじゃないもん、と加賀谷が頬をふくらます。
「じゃんけん大会、楽しみだな〜!!」
露草は足取りも軽く、箱を小脇に抱えた。
アーレイ・バーグ(
ja0276)の胸を圧迫するのは、積み上げたピザの箱である。ゆらゆらと揺れるピザタワーが崩れそうになり、とっさにカタリナ(
ja5119)が支えた。
学園側から弁当やお茶が用意されていたが、個人的に飲食物を持参した者も少なからずいる。全員が両手ともふさがった状態になり、さすがにじゃんけんの練習を続ける者はいない。
「重くありませんか」とカタリナに尋ねられたエルレーン・バルハザード(
ja0889)が左右の手に持つ袋に入っているのは大量のスナック菓子である。
「いえ…平気…これ軽いの」
「それならばいいのですけど」
「そういうリナの荷物も重そうです」
権現堂 幸桜(
ja3264)がカタリナの手に手を添える。ほんの少し異なる二人の体温が溶け合う。二人で運べば、重さも二分の一だ。
「ビールを持ってきました」
「先生もかなりビール用意してたけど、さらに追加で? このメンバーだと飲めそうな大学部生、五人もいないよね。余らないかな?」
「何人分でも飲める方がいますから」
カタリナの視線の先には、かんざしで髪をまとめた雀原 麦子(
ja1553)がいた。
「ん? 呼んだ?」
振り向いた雀原に、カタリナが答える。
「人数に対してアルコールの量が多いのではないかと……いえ、愚問でした」
既に雀原は往路のバス車中でいくつも缶を開けている。
公園内に入り、細かな砂利の敷かれた道を池沿いに五分ほど歩くと、岐路が現れた。木製の案内標識が立っている。左は桜山、右は動物広場だ。
「トイレは動物広場の方だからな。道…間違えるなよ……。戻ってくるときはこの看板を確かめるように」
高柳の指示は学生達の耳をすり抜けてゆく。なぜなら。
「うわ――」
目の前の景色が圧倒的な質感で「春」を訴えている。見渡す限りの桜、桜。案内標識に書かれていなかったとしても間違えようがない、斜面のすべてを覆うように桜の木が植えられた山がそこにあった。まさに桜山だ。
少し濁った空の水色と、土と枝の黒、そして花の薄紅色。景色は単純に三色に収斂され、木々の間を動く人影が異なる色彩をちらちらと発する。
「全部が桜なのねぇ」と黒百合(
ja0422)が目を細める。
「綺麗やな。来てよかったわ」
宇田川 千鶴(
ja1613)はジュースとお菓子の入った袋を地面に置くと、思い切り背伸びして深呼吸した。
「これが風流というものですか〜」とアーレイがつぶやく。
「花見ってのはやっぱウキウキするよな」と、月居 愁也(
ja6837)も上機嫌で足を進める。
バスの中で眠っていた星杜 焔(
ja5378)は目をしばたたくと、ゆっくり息を吸い込んだ。土臭い春の匂いが肺いっぱいに満ちる。
「さて……二十七人が座れる場所を確保しないと」
高柳の一言で、レジャーシートを持った数名が走り出す。
最も足取りが軽かったのは、相手チームへの罰ゲーム用品を持ったソリテア(
ja4139)だったかもしれない。
●花摘みの行方
山頂近くの緩やかな斜面に「久遠ヶ原学園」の一角を確保することができた。一般人の花見客の集団から離れており、多少の大声で騒いでも大丈夫だろう。
レジャーシートが舞い上がるほどの風は吹いていないが、飛ばないように四隅に荷物を重しに置く。
たくさんの花を擁した桜は惜しみなく花びらをこぼす。
「……桜の下でのんびりもえぇもんや」
荷ほどきの手を止めて空を見上げた宇田川のおでこに、花びらが一枚落ちた。
「想像していたより美しいですね」とスマートフォンを手にした牧野が言うと、
「ほんと、綺麗です…」
同級の碧水がうなずき、デジタルカメラを構える。今回、白組所属となった高等部一年生は牧野、碧水を含めて六名だ。クラスは異なっても顔は見知った同士もいる。
「既に酔っ払ってる奴、大丈夫かい? 宴の前に鍛練だよ」
高柳の言葉を合図に、撃退士達は立ち上がり、二手に分かれた。
紅組と白組、両者が一列に並び、向かい合う。
人数は双方とも同じく十三名ずつだ。相手チームに指名された者がじゃんけん勝負を行い、勝てば相手を引き抜くことができる。すべての花、つまり選手を失ったチームが負け、というわけだ。
白リボンをはためかせた白組と、紅組の間に立った高柳が片手を上げた。
「花摘み開始。……白組、指名は?」
「白は、アーレイ・バーグさんを」
「紅組は?」
「グラルスくんを」
金鞍の指笛に送られながら、グラルスが一歩前に進み出る。対するアーレイは腰が引け気味だ。
「じゃんけんに負けたらハラキリしなければいけないとは……サムライダマシイですね!」
「いやいや、現代日本で切腹はないよ。ゲームだしね」
「あら、そうなんですか?」
アーレイは肩をすくめた。
「ま、やるからには勝ちにいきたいね。というわけで…」
「じゃーんけーん、ぽんっ!」
アーレイ、グラルス共に出したのはグー。
「あいこで、しょ!」
両者とも、チョキ。
二回続いたあいこに、見守る仲間達も息を呑む。最初から試合は白熱の呈だ。
「あいこで、しょ!」
「……負けちゃったか」とグラルスは自身の手のひらを見つめる。アーレイはチョキだ。
(第1試合:アーレイvsグラルス。紅組アーレイの勝利。)
「グラルスは紅組列に移動してくれ。アーレイはそのままでいいぞ。……さ、次は?」
「紅組は、遊くんが欲しいでーす」
「白は、ほむほむをいただきます」
「う、うわ、指名されちゃったよ……」
碧水は速まる心臓の鼓動をなだめながら、白組のメンバーに送り出される。
「と、とにかくっ頑張ってきます!」
星杜はいつもの笑顔を崩していない。碧水から見れば星杜は、どの手を出すのか読みづらい相手だ。
案の定、あいこが続いた。二人ともパーを連続して出す。次は、折れるか? 碧水は星杜の拳に注目した。より強く握られている。
「あいこで、しょ」
三回目もパーを貫いた碧水に対し、星杜はグーに変えてきた。
(第2試合:星杜vs碧水。白組碧水の勝利。)
続いては、月臣 朔羅(
ja0820)とカタリナの対戦だ。一度、あいこになったが、月臣のグーに対し、カタリナがパーを出した。
(第3試合:カタリナvs月臣。紅組カタリナの勝利。)
「よっしゃ」と指名されて気合いを入れたのは白組の金鞍だ。指名相手は麻生、同じ高等部三年の男同士の対決である。
麻生はずっとグーを出し続けるつもりでいた。相手がかかるか自分がかかるか見ものである。
最初の手はお互いグー。そして勝負はすぐについた。
(第4試合:麻生vs金鞍。紅組麻生勝利)
「…っし、ぜってー勝つ!」
勝負事が大好きな月居は上機嫌に進み出た。背中に紅組の期待を背負い、拳を空へ突き上げる。
「紅組は、犬乃くんをもらいます」
「えっ、ボク? よーし、ニンジャの力で白組を勝利に導くね! 負けないから!」
互いに気迫のこもった対戦である。
「じゃーんけーん、ぽん!」
チョキを出し続けるつもりだった犬乃は、初手で勝利したことに驚きを隠せない。
一方、負けず嫌いの月居はあっけなくパーで敗北したショックに包まれながら桜の木の根元に倒れ込み、膝を抱えた。両手で顔を覆ったそのポーズの名は、絶望――
(第5試合:月居vs犬乃。白組犬乃の勝利。)
「紅組は、牧野さんを」
「権現堂くんを白組にください」
指名され、緊張した面持ちの牧野に、権現堂は柔らかな微笑みを向けた。
勝負は勝負だが、これはあくまでも仲間内での鍛練なのだ。
「よろしくお願いします♪」
権現堂の態度に、牧野の強張りも緩む。そしてじゃんけんの結果は牧野のグーに対し、権現堂がパーで勝利した。
「わぁ勝った!」
(第6試合:権現堂vs牧野。紅組権現堂の勝利。)
「ソフィアさんを」
「露草くんを」
トランプや球技など、数名が集まって行うゲームを好む露草は、今日の花見に合わせて開催される『花摘み』競技を人一倍楽しみにしていた。
じゃんけんは強くないが、直感を信じて臨むつもりだ。
ソフィアは小麦色の手を閉じたり開いたり、あえて露草に見えるように動かした。パーを出すと、見せかけて……。
「じゃんけん、ぽん!」
「くうう……」
ソフィアのフェイントに引っかかってしまった露草は、チョキで敗北となった。肩を落とし、紅組の列へ移動する。けれど落ち込んではいられない。次の試合を見るために顔を上げる。そう、紅組の皆を応援しなければ。
(第7試合:露草vsソフィア。白組ソフィアの勝利。)
「最初はグーを出しますね」
「……」
心理戦で挑むソリテアに対し、木花は真っ向勝負で行くつもりだ。
初手は、パー対パー。ソリテアは宣言したグーなど出してこない。木花は焦る。次は何だ?
「あいこで…ショ!」
お互い手を変えたが、勝利の女神はソリテアに味方した。
(第8試合:ソリテアvs木花。紅組ソリテアの勝利。)
「白組は雀原さんを」
「紅組はリゼットちゃんをいただくわ♪」
雀原の目は漫画のハートマークのごとく変化し、リゼットの姿を追っている。
リゼットは、頑張りますねと味方に誓い、前へ進み出た。
「じゃーんけーん、ぽーん」
気が合うのか、お互いチョキであいことなった。
「あーいこーでしょー」
「……わぁ〜、勝ちましたぁ♪」
リゼットがぴょんぴょんと飛び跳ねる。髪につけた白いリボンが風に踊る。
雀原は紅組メンバーとしばしの別れを惜しみつつ、再会祈願の乾杯をした。
(第9試合:雀原vsリゼット。白組リゼットの勝利。)
続いて指名されたのは、白組の神楽坂と、紅組の黒百合だ。身長差の大きな二人が向かい合う。
「あんまり強くねえんだよ…自分」と苦笑混じりにつぶやく神楽坂に、
「貴方はパーを出しそうな気配ねぇ…」と黒百合が揺さぶりをかける。
ふたを開けてみれば、黒百合のパーを斬った神楽坂のチョキという顛末であった。
(第10試合:黒百合vs神楽坂。白組神楽坂の勝利。)
「白は宇田川さんを」
「紅は双城くんをもらいます」
「燈真は不幸な体質だが俺は違うぜ!」
双城は腕を回して気合を入れる。『翔也』人格が表に出ているのだ。
そんな双城を見て、宇田川はにっこりと微笑んだ。余裕綽々の怖い笑顔である。
「じゃんけん、ぽんっ」
「よっしゃー!」と、双城の雄叫びが桜山に響いた。手首の白い蝶結びが桜吹雪の中にかざされる。
(第11試合:宇田川vs双城。白組双城の勝利。)
白組に指名されたエルレーンは、びくっと身を縮こまらせた。
「はぅ……」
対する鈴蘭は余裕たっぷりだ。
「リリーの手を読める?」
「うぅぅ……いざいざ勝負、なのぉ!」
目をつぶったまま出した拳が、鈴蘭のチョキを打ち負かしたことに気づき、エルレーンは目をみはった。
(第12試合:エルレーンvs鈴蘭。紅組エルレーンの勝利。)
「このじゃんけん大会で勝利して、満足しようぜ!」
セオリーは無視し、運のみで勝負するとバス車内で宣言していた清清と、鏡相手のじゃんけん練習を積んだ加賀谷の対戦だ。
加賀谷のパーを、清清のチョキが斬って捨てた。
(第13試合:加賀谷vs清清。白組清清の勝利。)
全員が一度は指名され、じゃんけん勝負を済ませた。
この時点で、紅組で残っているのはアーレイ、カタリナ、麻生、権現堂、ソリテア、エルレーンの六名。
白組で残っているのは碧水、犬乃、ソフィア、リゼット、神楽坂、双城、清清の七名であった。
「紅組、ドンマイ〜!! まだまだこれからだよ〜!!」
既に摘まれてしまった露草が自軍にエールを送る。
第14試合:アーレイvs碧水。グーでアーレイ勝利。
第15試合:カタリナvs犬乃。グーでカタリナ勝利。
第16試合:麻生vsソフィア。パーでソフィア勝利。
第17試合:権現堂vsリゼット。グーでリゼット勝利。
第18試合:ソリテアvs神楽坂。チョキであいこ。パーでソリテア勝利。
第19試合:エルレーンvs双城。チョキでエルレーン勝利。
第20試合:アーレイvs清清。チョキのあいこが二回続き、グーで清清勝利。
紅組はカタリナ、ソリテア、エルレーンの三名が残った。
白組はソフィア、リゼット、清清の三名である。紅白とも同人数のじゃんけん猛者が勝ち残り、『花摘み』勝負の行方は読めない。
●拳と拳のぶつかり合い
白組はカタリナを指名し、紅組はソフィアを摘む宣言をした。
「運の要素は強いけれども、やっぱり勝ちたいね」と、ソフィア。ここまで勝ち進んできた以上、欲が出る。
気合い十分なソフィアを見て、カタリナは後ろへ引いた。
「私はパーで行きます。さあ、チョキでどうぞ」
手の内を明かして大丈夫なのかと心配する紅組メンバーを片手で制し、カタリナは助走をつける。髪をなびかせ、山肌を削る勢いで跳び、高い位置から拳を繰り出す。
「勝負ですッ!」
互いの拳が作った形は、カタリナが宣言通りのパー。そしてソフィアはカタリナの挑発に正面から乗り、チョキを選んでいた。
(第21試合:カタリナvsソフィア。白組ソフィアの勝利。)
「カタリナちゃんも摘まれちゃったか。でもお疲れ様♪」
雀原がチームメイトをねぎらう。
「残念ながら負けてしまいました」と、カタリナが白組列の横、紅組捕虜エリアにやってくる。
「ソフィアさんってじゃんけん強いんですねー」
権現堂は感嘆の声を上げた後、そっとささやき声で恋人の健闘をたたえた。
「最初はチョキを出しますね」
ソリテアの宣言は言葉通りの行動を伴うとは限らない。何しろここまでの試合で、ソリテアは対戦相手を翻弄し続けている。
リゼットは戸惑っていた。せめて白組の足を引っ張らないようにと思って臨んだ『花摘み』だが、ここまで残ってしまうとは。勝てるだろうか。ソリテアがチョキを出すと言ったら、きっとチョキ以外の手を出してくるはず。ならば……。
「じゃんけん…ぽん!」
リゼットは目を疑った。パーで裏をかくつもりが、ソリテアのチョキに敗れてしまった。
「んぅ…すみません。負けてしまいました…」
まるで花がしおれるようにしょげるリゼットに、
「がんばったね、リゼットさん」と声をかけたのはグラルスだ。
「相手はハッタリ女王だ。しょうがない」
リゼットは弱々しくうなずく。
(第22試合:ソリテアvsリゼット。紅組ソリテアの勝利。)
続いての試合は、桜吹雪に目を奪われがちなエルレーンと、強運を自覚する清清が当たった。
指名される度、エルレーンは不安になる。勝てるだろうか。相手の青い目の中に映る自分は頼りない。でも先に負けた紅組のメンバーが応援してくれている。
……逃げない。
(第23試合:エルレーンvs清清。紅組エルレーンの勝利。)
紅組はソリテアとエルレーンの二人が残ったが、白組はソフィアを残すのみとなった。ソフィアが負ければ白組の敗北。紅組の勝利が確定する。
白組勝利のためには、ソフィアはソリテアとエルレーン二人を勝ち取らなければならない。
いよいよ最終決戦だ。
進み出たソリテアが言った。
「グーを出しますね」
「あたしは…どうしようかな」
ソフィアは深呼吸し、指を動かした。フェイントが通用する相手には見えない。そしてソリテアの出す手も読めない。勝つためにはどうすればいいのか。緊張の中、ソフィアはこの上ない充実感も覚えていた。
ギャラリーは白組、紅組の区別こそできているものの列は曲がり、変形した円陣を成し、勝負する二人を取り囲んでいる。
ソフィアは強く拳を握り、前に出した。
果たしてソリテアの手は――パーであった。
(第24試合:ソリテアvsソフィア。紅組ソリテアの勝利。)
ソフィアは鉢巻代わりの白いリボンをほどいた。
「ふむ…白い花は全部摘まれたか。紅組の勝ちだ」
高柳の終戦宣言と同時に、紅組がわっと沸く。白組への罰ゲームを適用できるとあって、目に異常な光を宿した者もいる。
「白組の皆さん、これをつけてくださいね」
ソリテアが取り出したのは、猫耳カチューシャ。頭に当たる部分は伸縮する素材でできており、男性も装着可能な「逸品」だ。耳部分の毛の色は白い。
「え、俺…似合わないと思う……」と長い手足を縮こまらせる木花に、
「語尾は『にゃ〜♪』でお酌してもらうで」と宇田川が追い打ちをかける。
「皆、よく健闘したね。飲み物を用意して乾杯しようか」
高柳の提案に、学生達は声をそろえて答えた。
「賛成ー!」
●白猫ちゃんチームと紅の王家チームの宴会
「ほな、やってもらおか」
宇田川は清清に猫耳カチューシャを渡した。
「こんなんじゃ……満足、できねぇぜ……」
「何や? 猫ちゃん、何か文句あるんか? ジュース足りへんでぇ」
「すみませんにゃー」
色白な清清は「猫ちゃん」呼ばわりされる中、けなげにジュースをついで応じる。
エルレーンは猫耳カチューシャ軍団となった白組メンバーを携帯電話片手に追い回す。
「うふふ、こっち向いてぇ…なの!」
デジタルカメラで花見イベントを撮影するつもりだった碧水は、逆に猫耳姿を激写され、頬を赤らめている。
「まさかこんな恰好をすることになるとは…にゃ…ボク……」
「遊くん、しょうがないよ。覚悟を決めて猫になりきるんだにゃ〜」
背筋を伸ばしたグラルスは、血統のいい猫の気品を漂わせている。
「オッドアイで綺麗な猫さんですね」と、ソリテアも満足そうだ。
太い桜の幹の陰に隠れたリゼットを、権現堂が見つけた。
「仔猫ちゃん、出ておいで♪」
「んぅ……」
リゼットの茶色の髪からのぞく白い猫耳に、権現堂は白いリボンを結んだ。
「姉が可愛い可愛いってうるさいわけがわかりました」
「罰ゲームですから特別ですにゃぁ……。桜弥さんには言わないでくださいにゃ」
「どうしようかなぁ?」
「もう、幸桜さんったら〜」
「照れてるリゼットちゃんも可愛いですね。さぁ、あっちでご馳走を食べましょう」
権現堂が示した方角には、金鞍にコップを差し出し、酌をさせるカタリナの姿があった。
「はい、注いでください。……猫だか馬だかわかりませんね」
「ええ、喜んでお酌させていただきますともにゃ! って、自分、こんな耳が生えてしまいましたが、れっきとした馬ですよ。ええ。にゃひーん」
馬面。さらに猫耳オン。もし実在したならば奇妙な生物である。
「ふふ。いつもはお酒を出す側ですし、こうして外でゆっくり飲める場は貴重です」
既にかなりのアルコール量を摂取しているはずだが、カタリナの顔色はほとんど平時と変わっていない。
「それにしてもカタリナさんは、単なるじゃんけんとは思えないほどの気迫でしたにゃー」
金鞍がボトルを傾ける。
花びらが一枚、ひら、と風にはぐれてコップの縁についた。
「桜って食べられるんでしたっけ?」
「にゃ…にょえっ!?」
激しく動揺する金鞍に、カタリナは表情を変えず答える。
「……私が言っているのは決して桜肉のことではありませんよ?」
「ふぅ〜……勝負の後って、清々しい気分になるわね♪ いくらでもビールが進むわ」
カタリナと金鞍の隣では、雀原が次々と缶ビールを空にしている。持参した弁当は料理自慢の雀原の手によるもの。菜の花や筍など春の食材を使ったおにぎりと、色鮮やかなおつまみにあふれている。
「リゼットちゃん、ほら、食べて。あら、お酌してくれるの? 嬉しいわ♪」
おにぎりといえば、ソフィアも負けていない。
「おにぎりっていろいろな種類があるんだにゃ。コンビニに売っているのを参考に、大量に作ってみたから、よかったらどうぞにゃ」
雀原達が座っている一角に乗り込む。
「あら、おいしそうじゃない。ソフィアちゃん、乾杯〜♪」
積み上げたピザを次から次へと口に運ぶのはアーレイだ。合間にコーラも注ぎ込む。加賀谷が声をかけた。
「カロリーが心配じゃない?」
「このコーラはノンカロリーだから太らないんですよ?」
「へぇ」
「脂肪は胸にはつきますけど……」
どうやらアーレイの胃袋は底なしのようだ。
「罰ゲーム…さらに俺の作ってきたお弁当を食べる、というのは…ダメかい」
星杜が手製の弁当を広げた。「紅白勝負」と「桜」をテーマにした内容だ。
双城が耳をぴくりと動かし、忍び足で近づいてくる。まさに野良猫の動きである。
「すげえ美味そうだけど、激辛だとか、毒が入ってるとか…ねえよな?」
「ないない。ほら、まず俺が食べてみせるから安心してよ、腹ペコ猫くん」
星杜は巻き寿司の断面を見せ、一口、自分の口に運んで見せた。
「……ね?」
安全な料理だとわかり、警戒を解いた双城は俄然、身を乗り出した。
「寿司か。分けてくれ…にゃ! 最近、貧乏料理しか食ってねぇんだ……」
「どうぞ〜。この寿司は切る場所によって切り口の模様が変わるんだよ〜。ほら、このあたりはグー、ここらへんはチョキ」
「よっしゃー! 今日はご馳走だ、にゃ!」
双城は細工巻きの施された巻き寿司の端からぱくついてゆく。
「うっま! マジで美味い、にゃ! 全然、罰ゲームじゃないにゃ〜」
「それはよかった」
米を喉に詰まらせないよう、星杜は日本茶を出した。双城は与えられるまま素直に食べ物も飲み物も口にする。
「綺麗だし…すげえな、同い年とは思えねぇよ」
双城の絶賛を受け、星杜はこしあんから作った桜餅の包みも広げ、周囲に声をかけた。
「勝ったチームの皆も…よかったら…」
「いただきます!」
ソリテアと宇田川が桜餅に手を伸ばす。
双城のつまみ上げた桜餅が、口元へ運ぶ前に消え失せた。
「あ…れ?」
桜餅消失の瞬間を、上から目撃していた人物がいた。
横に張り出した桜の幹に腰かけ、桜の花を浮かべた一杯を楽しんでいた黒百合である。
「まぁ、犯人が誰か言う必要はないかしらねぇ……春を飲むには素敵な日和よねぇ……」
料理に加えて紙皿や紙コップ、胃薬まで用意してきたのは気配りのひと、神楽坂だ。
「ちょっと胃薬、もらっていいかい」
最初に薬の世話になったのは高柳だった。
「どうぞ、先生。食べ過ぎですか」
「……ああ、皆みたいに若くないからな。しかし神楽坂、君はあまり食べてないね」
「ええ、自分は食が細いので給仕です」
「……なるほど」
「先生も無理しないでください」
神楽坂が作ってきたのは稲荷寿司と唐揚げ、野菜のベーコンエッグ巻き、さらには桜色の苺クッキー。腹を満たすだけでなく栄養バランスの取れたラインナップである。
一通り食べた木花はレジャーシートに片膝をつき、桜を眺めてぼうっとしている。
牧野は神楽坂の料理を味わいながら感激していた。料理が苦手な牧野にとって、右を見ても左を見ても皆の手作り弁当が広げられている状況は夢のようであり、しかも外の清浄な空気の中、惜しみなく咲き誇る桜が山腹から裾野まで山肌を埋めている。
目にも舌にもおいしい午後だ。
静かに花びらは散り、季節は巡るけれど、また来年もこうして皆と新しい春を迎えられればいい。
牧野の平和を打ち破ったのは、右手に持っていたコップの中身だった。
お茶を飲んでいたはずなのに、景色に見とれている間にお酒にすり替わっていた。一気に流し入れた液体が喉を焼き、牧野は咳込む。
「落ち着いて飲めよ」と、神楽坂が苦笑する。
「あ、露草さん!?」
ちょろちょろ動きながら各所の料理をつまみ食いしていた露草は名を呼ばれ、踏み出す足を宙で止めた。
猫耳をつけた牧野がにらんでいる。
「私の飲み物にいたずらしませんでした…?」
「え、僕じゃないよ〜?」
「あら、ごめんなさい。誤解でしたか」
無実を主張する露草だが、思い至ることがあった。自分と同じようにあちらこちらを歩き回っている鈴蘭が、他人の手から料理をかすめ取っているのを見たのだ。
あの素早さならば、飲み物にいたずらするのも可能かもしれない。
「こらー!」
ふと目をやれば、雀原が追いかけているのは鈴蘭だ。きっといたずらがばれたに違いない。笑いながら雀原の手をすり抜ける鈴蘭の逃げ足は速い。
缶ビールとさきイカを手に持ち、近辺を散策していた月居は、同じく一人で山道を出歩く麻生と出くわした。
思うところは同じということか。
「たまには静かに花見酒ってのもいいよな」
月居の言葉に麻生がうなずく。
「春であるな」
お互いの邪魔をしない暗黙の了解を取りつけ、二人は少し離れた位置に腰を下ろした。
音もなく花びらが舞い散る。その潔さに自らを重ね合わせる。儚さから連想して浮かぶものは――胸の中に秘めておく。
「……久遠ヶ原の皆ー、集合写真撮るぞー」
神楽坂と高柳の声が聞こえてきたのは、それから半時ほど過ぎた頃だった。
「忍法桜隠れ!」
走り回って花びらを集めた犬乃が、両手に貯めた花びらを一気にまき散らしながらはしゃいでいる。
碧水のデジタルカメラを高柳が預かり、ファインダー越しに学生達を追う。
「全員集まったかな? 迷子はないよな?」
「二十六名そろってまーす」
「よし、じゃ、じゃんけん勝負のかけ声で撮るぞ。星杜、もう少し右に寄れるかな。OK、行くぞ…じゃんけん、ぽん!」
高柳がシャッターボタンを押す。
紅組の十三名と、猫耳をつけた白組十三名。
記念の一枚に収まった学生達はグー、チョキ、パー、それぞれが信じる得意な手を披露していた。
「もう一枚行くぞ」
常に必勝の手はない。グーはパーに負け、チョキはグーに負け、パーはチョキに負ける。
けれど、負けると決まった手もないのだ。自分を信じ、敵の動きを読み、あざむく作戦を練れば必ず勝機は来る。
「片づけは協力してやってくれよ。ゴミは持ち帰るように」
「はーい」
木花と露草が率先して片づけを始める。ビニール袋にまとめた大量の缶を神楽坂が背負う。
「ねぇ、碧水くん、今日の写真、後で分けてもらってもいい?」
「あ、私もお願いしたい」
「俺も頼む」
「俺も」
「わ、わかりました。皆さんに送りますね。ところでこの猫耳カチューシャはいつまでつけていればいいんでしょう…」
碧水は今日一日で親しくなった仲間達に囲まれ、半ばもみくちゃにされながら、笑顔で帰りのバスに向かった。