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学園に依頼が舞い込んだのはとある昼時の事だった。
緊急を要するものではない依頼は珍しい。転移装置で現場近くまで飛んだ彼らは地図をもとに住宅街を歩いていた。
「ん? こっちの方になにやら気配を感じるな……」
桜榎(
jb8884)は眉を寄せた。依頼自体に天魔が関わっていると明記されていなかったが、天魔の気配を近くで感じるのだ、件の事件に天魔が関与している可能性は高い。
その言葉に、皆で顔を見合わせる。
「……天魔か? 少し急ごう」
夏野 雪(
ja6883)は淡々とした声音を崩さないまでも、皆を急かす。
やがて見えたのは人垣だった。
母子が数組、井戸端会議するように集まっている。だが、目を凝らせばそこに漂う気配が通常の和やかなものとは違うことにすぐ気付けた。どこか緊張したような、あるいは不穏とさえいえるかもしれない強張った雰囲気――。
そこに、フォルド・フェアバルト(
jb6034)が声を上げた。
「ちょっと通してくれ!」
フォルドが先頭切って人混みを割って進めば徐々に道が割れた。そこにすかさず皆で続いた。
こじんまりとした公園だった。
ブランコや滑り台といった遊具は多少古臭いデザインだったが、丁寧に使われているのか破損は少なく、公園の端に設置されているベンチと水道は真新しい。
植えられた木々が葉を風に揺らしている。
「む……」
公園の中央、噴水から少し距離を置いたところで仁王立ちしていた老人が横にいた人物に言われ、振り向いた。
「久遠ヶ原学園から来ました、長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)ですわ」
懐から生徒手帳を取り出しながらみずほは自己紹介をした。
依頼人はこの公園の管理人だと聞いている。老人の横にいる青年は巡査官の青い制服を着ているので、この老人が依頼人なのだろうとあたりを付ける。
「撃退士の或瀬院 由真(
ja1687)です、よろしくおねがいしますっ」
ガバッという勢いで由真は頭を下げた。
「私は木暮 純(
ja6601)。依頼を受けさせてもらうことになった、のでよろしく。さっそく、色々と聞きたいんだが……」
管理人に尋ねはじめる純たちとは別に、雪は噴水に近寄った。
ボコボコと泡立つ水面を見せる噴水は明らかに異常状態だ。桜榎が気配を感じ取るまでもない。雪は近寄りすぎない距離を保って足を止めると、生命探知を掛けた。
「……水の中、複数の反応がある。なかなか素早いな」
水中に動き回る複数の生態を知り、雪は呟きをもらした。生命探知に知ることができるのは命の反応であり、しかと天魔であることがわかるわけではないが、桜榎の感知するところによると天魔だろう。
雪の表情は感情に乏しいものだが、若干眉にしわを寄せて警戒を強める。
それを聞いて管理人と共に噴水について話していた巡査官は一気に顔色を青くさせた。
「天魔だなんて、私はいったいどうすれば……」
「巡査官さん、ここはこれから戦闘になります。みなさんに移動してもらいましょう」
ユウ(
jb5639)が集まる人々に視線を向けながら言うと、巡査官は堅く頷いた。
「皆さん、これから戦闘になります。巡査官の指示にしたがって公園の出入り口から外へ移動してください」
「皆さん、ここは一時的に封鎖します。いいというまで近づかない様に!」
未だ顔を青くさせたままだが、巡査官はユウに続いてママさん方に声を張り上げた。
皆、地元民ということもあって巡査官のことも良く知っている。管理人や巡査官のことを心配気に見つめながらも、暫く退いていようという気配が漂い始めるが、そうもいかないのが子どもたちだ。
「ねーお母さん、何が始まるの?」
「また後で来ましょうね」
なかなかその場を離れようとしない子供たち。噴水の異常事態は好奇心旺盛な子どもたちにとって注目の的だ。
「みんなのいこいの広場はこの情熱の騎士とその仲間達が成敗してやるぞ!」
フォルドが強く、熱くそう言葉を述べると子どもたちの興味は噴水ではなく、フォルドに移った。
「お兄ちゃん、ヒーロー? ねぇ、ヒーローなの? 背中にあるの、剣?」
「おいらは天魔っていうモンスターを倒す騎士なんだぞ」
子どもたちに言いながら、フォルドは背負っていた大剣を引き抜き天に向け掲げた。
「おいらがモンスターを倒すまでみんなは近づいちゃダメなんだぞ。フォルド・フェアバルトとの約束だぞ!」
一躍、ヒーローという位置づけとなったフォルドは目を輝かせる子どもたちに離れているよう、約束させ、ユウと巡査官が母親たちを誘導してゆく。
そうこうしながら、徐々に人波が薄れてゆき、公園から人の気配が遠のく。
「では、引き続き道の封鎖をしてきます」
他の巡査と連絡を取り合って、人々が近づかないように手配をするといって青年巡査官は背を向けた。
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「この痕、かなり鋭利な刃物で切られたようだな……。断面がかなり綺麗」
鉄パイプを上下逆にひっくりかえしながら純は口にした。
管理人が噴水に突き入れた結果、それは途中で切られたかのように元あったより長さを短くしているという。
管理人がほぼ抵抗を受けていないことから、その切断は一瞬で行われたものだとわかる。しかし、鉄を一瞬で断ち切るのならばそれは力押しなどではなく純粋な技術と獲物の質の良さが分かるというものだ。
「単なる沸騰、とは違うようですわね。厄介ですわ」
みずほは噴水の泡を見、それから鉄パイプに視線を戻し溜息ついた。
問題は一つではない。
水中に入りこんだ鉄パイプは先を尖らせ切られるばかりか、その表面を爛れさせている。水中に突き入れてから鉄が切られるまでのごくわずかな時間でこれだけの変化を鉄に与えている。
水が沸騰しただけでなる変化ではない。
「御老人、これを何と見ますか?」
「酸性じゃないかと疑っているが……その、天魔だとかいったか? それのことならば常識も通じんだろうしのぉ……」
危険物の扱いに詳しい、管理人にみずほは意見を尋ねてみた。返ってきたのはやはり、というべきか。
「敵は水中に潜んでいるようだし、水を抜いたらどうかな」
「すまないが、水を抜くバルブは噴水の台の底にあるのじゃよ。それに、この強酸をそのまま流すのはのぅ……」
「石灰を持ってきましたから、それで中和させましょう。それに、普通の鉄パイプは切られても、V兵器なら敵の攻撃にも強酸にも耐えられます」
純の提案に、由真は持ってきた石灰を鞄から取り出した。
依頼時に付随していた写真から、ある程度強酸についての推測は立っていたので用意してきたのだ。
切断の件に関しても、V兵器ならば問題ない。
「そのまえに試してみたいことがあるんだぞ! 水中ならおいらのサンダーブレードで感電させることができるかもしれないんだぞ!」
うーん、と唸った後フォルドがパッと表情を明るくさせて言った。
「物は試し、ですよね。色々やってみましょう」
由真の言葉に皆頷き、フォルドが噴水に近づく。
敵が飛び出してくる場合を考え、みずほだけが近くに待機して他は管理人を守るよう、下がる。
「私の眼からは逃れられない。……そこか」
生命探知で雪が敵の密集地を割出し、すばやくフォルドに指示した。剣状の雷が水中に差し入れられる。
水面は一瞬その泡の量が減らした、ように見えた。だが、
「……うぅ……」
恥ずかしそうに顔を俯かせてフォルドは少し下がった。
結局のところ、雷ではあってもそれは剣だ。的確に敵を攻撃しなければ威力を発揮しない。確かに電撃は水中に走っただろうが、天魔に単なる電撃は意味をなさないからだ。
「次の手、ですね。管理人さん、指示をお願いします」
由真は振り返ると、管理人に指示を仰いだ。
(やっと手に入れたマシンピストルは試せそうにないな……)
純は心の中で残念に思いながらも、立地から槍を手にして噴水の縁横に立った。噴水を挟んだ反対側には背に翼を出現させた由真がいる。
槍を構え、純が頷くと由真は石灰の入った袋を持ちながら空に飛んだ。低空を維持しながら、噴水に石灰を流し込んでいく。
「何かあったらおいらが庇うから大丈夫なんだぞっ」
純から少し離れた後ろから、噴水の様子を見守る管理人を庇うような位置に立ちながらフォルドが言った。
「……動いた!」
生命探知で水中の動きを具に観察していた雪が声を上げた。泡の動きにも変化が出る。噴水の中に散らばっていたそれは由真が石灰を流し込む所へと集まっていく。
反対側に回り込んだ純は構えると一気に水中に槍を突き入れた。ガチッとした感覚を手に、素早く槍を動かした。
バルブが回転し、ゴポッという音共に水が抜けていく。
「管理人さんは安全なところまで下がってほしいぞ!」
背後の管理人を庇うよう、片手を横に広げフォウルは告げた。その燃え上がるような瞳は強く、噴水を見つめている。
「さぁ、姿を現すがいい。私は人々と秩序を麻持つ天井の調停者――貴様らの魂に私という盾を刻み込んでやる!」
下がっていく水面にその姿を認め、雪は平素の淡々とした語調を荒くさせた。
だが、水が最後まで抜けきることはなかった。
「――身を詰めるとは、馬鹿なことだ」
バルブの栓をするよう、敵が体を詰めていた。
「被害が出ないよう、力加減をするつもりだが……生憎、情けを掛けるつもりはないのでな」
フッと息を吐くと、桜榎は片足をグッと背後に引いた。四肢に作りだしたアウルの爪が地面を引っ掻く。いつでも飛び掛かれるよう、腰を低くして脇に力を入れる。
引き寄せてある腕には黒と青の混じるアウルが収束しており、闇蜘蛛と呼ばれる武器が装着されていた。
「それほどまでに出て来たくないとは立派な引きこもりですわよ」
けれど、出て来たくないのならば出て来たくなるようにするまでの事だ。
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みずほは他のメンバーにアイコンタクトで次の作戦を実行することを伝える。
「私がカバーします。全力で行っちゃって下さい!」
由真からの頼もしい言葉に、みずほは噴水の下に大きくしゃがみこんだ。そしてカエルのように跳びあがり、噴水に向かって左フックを放つ。
直後、敵の動きが止まった。そして、
「ほら、かかってらっしゃい……ませ!」
くい、と挑発するよう指を曲げるみずほとほぼ同時、突如として水の中から何かが飛び出した。
みずほは一瞬、その姿に呆気にとられた。けれど、気を取り直したように拳を突きだす。
「エビがボクシングをする映画がありましたけど、まさかカニとボクシングをすることになるとは……」
けれど、問題はない。
次々と飛び出してくる蟹にみずほは左右の拳を突きだした。サイドステップで位置を調整しながら、軽いフットワークで蟹を弾く。
そんなみずほの背に跳ねる様にしながら蟹が飛んできたがすぐさま由真の操る槍が横薙ぎに払い、蟹が転倒する。
「グーとチョキならグーが勝つのは道理……ジャンケンではありませんけど!」
全身から右拳に集められた高密度のアウルが黄金に輝きながら放たれた。驚異的な速度で突きだされた拳がぶつかって、蟹は腹の甲羅から破裂、跡形も残らないほどに四散した。
「悔い、改めよ!」
みずほの拳で弾き飛ばされた蟹を雪が焼き焦がした。
焼き蟹というよりも炭化した物体と言った方がふさわしいようなその姿を確認することもなく、雪は次の蟹に標的を移した。
弾き飛ばされながらも大きな鋏で雪の攻撃を受け止めようとする蟹。だが、
「その程度で、私の盾は砕けない!」
一切の躊躇も手加減もなく振り下ろされた攻撃は星の如き輝きを秘めながら蟹を打ち潰す。グチャッ、と甲羅ごと平たくされる蟹。
「我が盾ある限り、貴様らの凶刃は誰の命も刈り取れない――」
そんなことは許さない、と雪は口の中に呟く。
「――しまったっ」
みずほが弾いた蟹を対処していた純は撃ち漏らしに、思わず声を上げた。
宙で上手くバランスをとった蟹は転倒することもなく着地し、素早い動きで純を抜かした。蟹はこの場で最も弱い存在に目をつけ、一直線に進む。
蟹の獲物は一般人である公園の管理人だ。
だが、それが分かったところで純には何もできなかった。次々、噴水から上がってくる蟹を倒すのだけで手いっぱいだった。
だが、蟹の歩み出した道に立ち塞がるものがいる。
蟹の足を攫うよう、大剣が振るわれた。
蟹は甲羅が硬いため、足が切断されることはなかった。だが、足が救われたことに違いはない。正面から地面に倒れ込む、蟹。
そこに、影がかかった。
「みんなの公園を返してもらうぞ、この蟹モンスターめ!」
大剣が、甲羅を難とせず背から突き刺さる。
不利を悟った蟹は噴水の中に戻ろうとした。だが、その背が止まった。
陽光にも反射しない、極細の糸が桜榎から放たれていた。
「戻しはしない。お前らに安全地帯など、ない」
そこへ、眼にも止まらない速度で接近したユウが烈風突を放った。上空からの下降の勢いを含め、威力を増加させたその攻撃に、蟹がバウンドしながら地面に転がる。
「甲羅が硬いといえ、衝撃は内部にまで届くはずです」
ユウはスゥ、と息を吸い込むと他の蟹へと今度は薙ぎ払いを仕掛けた。
「これが! おいらの切り札だぞ!」
言うが早いか、フォルドの両脚に雷のアウルが灯った。そして体には風のアウルが。
フォルドは疾風迅雷が如き速さで蟹たちの間を通り抜けた。一瞬後、蟹たちが一斉に倒れる。
通り過ぎざま大剣によって足を傷つけられた蟹たちは再び立ち上がることもできず、その場で転がり蠢く。
「貴様らはここにいていい存在じゃない……。今ここで消えろ!」
そんな蟹たちを、鈍色の刀剣が突き刺していった。
「これで、またいつもと同じように皆さんが公園で遊ぶことができますね」
公園の遊具などに破損がないか点検していたユウは笑みをこぼし、言った。
「そうだな、公園というのは平和の象徴のようなものだ。失われずに済んでよかったと思う。みんなも大きな怪我がないようでよかった」
棒付きの飴を舐める桜榎は公園に目を配り言った。
「ここはこの地元民、皆の思い出の場所なんじゃ。本当に良かった……」
皺の深い手を遊具に添えていた管理人がホッとしたよう、呟いた。
「撃退士の皆さん、ありがとう」
ほっこりとした笑みをこぼす、管理人にフォルドは明るい笑顔を見せた。
「もし天魔かな? と思ったら深追いせず連絡するんだぞ、じいちゃん!」
「何だか蟹が食べたくなりましたわね」
程よい疲れを感じながらみずほは笑みをこぼし言った。
その言葉を肯定するよう、夕刻に染まりかけた公園で噴水が水を噴き上げた。