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神社の境内、狛犬の一頭に背を見せる様にして棗睦木は石畳の上に立っていた。
時計が時刻を示しても来ない待ち人に、イラつきが抑えきれないのか足元が激しく石畳に打ち付けられる。
不意に、睦木は止まった。
それはあるいは待つことに飽いて、帰ろうとしたのかもしれない。だが、そんな睦木を見ていた彼らにその真意はわからない。それが判明するよりも先に、事態は動いた。
「――ッ来る!」
生命探知で周辺を探っていた幽樂 來鬼(
ja7445)が小さく声を上げ、警戒を促す。
急速接近、常人ではありえない速度だ。
(どこだっ!?)
來鬼のすぐ傍で身を隠しているウェル・ウィアードテイル(
jb7094)は耳栓をしていながらも、來鬼の変化に気付いた。友人の機敏だ、誰よりも早く周囲へ警戒の視線を投げつける。
それは、地面から襲い掛かって来た。
毒々しい紫に浸食された土から飛び出したそれは同じく紫の毒々しい体液を表皮に纏っていた。大きく開かれた咢が狙うのは、人間という贄だ。
恐怖に顔を引きつらせる睦木との間に、フィオナ・ボールドウィン(
ja2611)が入った。強く、睦木の手首を掴み、背に庇う。
フィオナたちとの間に割り込むように多量のトランプが蛇にぶつかってゆく。
「掠ったら終わり、なんて冗談でも嫌だね」
軽口叩きながら、そっとウェルは地面から両手を剥がす。トランプの勢いが途切れた頃、未だ舞い散るトランプの影に隠れ、一本の弓が蛇を貫いた。
トスッ
見事な音を立てて、弓は蛇を貫いたまま木に突き刺さる。
奇襲を予測し、石畳の上で睦木を待機させていたのが幸いした。
そうでなければ地面、その足元から出てきた蛇を躱すことはできなかっただろう。透過能力を見越して阻霊符を使用していたのも助かった。一歩間違えれば、今の状況を無事ではいられなかったに違いない。
「見事な連携、憎たらしいわね」
木々の隙間から姿を現した、使徒・棗御木が告げる。
もう一体、蛇型のサーバントを脇に従えている。
(――素直に姿を見せたか)
社の影に隠れたままの九鬼 龍磨(
jb8028)が心の内で呟く。
「御木、あなた……っ! なんでそんな」
「うるさいわね。貴女っていつもそう。怒鳴ってばかり……『大人しくしててちょうだい』」
訴えかけようとする睦木の言葉を棗が遮った。
「無駄だよ。――今更、過去のこと云々は関係ない。アレは、天界を選んだ」
きっぱり言って、ウェルはサッと睦木の体を反転させた。
「さ、行って」
背を押し、促す。なおも言葉を紡ごうとする睦木はフィオナが封じ、その場から連れ出した。
睦木とフィオナを追おうとする蛇に、ウェルは銃を撃ち込み、牽制をかける。
それでもなお、追いかけようとする蛇の視界を蝶が遮った。
樹上に潜んでいたSerge・V・Dinoire(
jb6356)によるアウルでできた妖蝶たち。
「蛇は人間を地に堕した生物ですが。人間が使役しているとは笑えるお話で」
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(単に使徒になるだけなら。自分の恨みを果たそうとするだけなら――)
暮居 凪(
ja0503)は心の内で思う。
それだけなら、戦いの中でその想いを受け取ることはできたのだと思う。
拳を交せば心が通じ合う、なんて昔の少年漫画のようなことをいうつもりはないけれど。それでも、そこに秘められた想いは誰かに伝わる。
使徒の想いは、撃退士に。
命を賭して戦い合った者同士だから、生き残ったものがその意思を継ぐ。
それは大事な役割だ。
(けれど、貴女は踏み外した)
凪はスコープを除いたまま、唇を噛みしめた。
ブチリッと鈍く皮の破ける音がしたけれども気にせず、歯に力を込めた。
「人間の、人の天敵に成り果てた貴女を――討つ」
林から姿を現した、人の皮被る化物へと向かい、照準を合わせた銃。その引き金を引いた。
それまでの空気を切り裂く、一つの銃弾。
それが戦いの火ぶたを切った。
通常の銃と違って、アウルの込められた銃弾というものは発射音というのがなることがない。けれど、強烈な勢いを持つそれは風を巻き上げる。
そのわずかな音に反応した棗がバックステップでそれを避けた。
攻撃は避けた、けれどそれこそが隙。
対峙していたクロエ・キャラハン(
jb1839)はそれ幸い、と突っ込んだ。手に握る鎖鎌の片一方を回転させ、威力を付けていく。
そんなクロエとは違う方向からもう一人、磁場形成により速度を上げたセルジュが接近する。その進路を阻むよう、蛇サーバントが大きく伸びあがる。セルジュの従える妖蝶が蛇に突撃してゆく。
分銅が棗に投げつけられた。
鞭でそれを払おうとして、けれど棗はなおも後退することを選択した。
前回、クロエの操るワイヤーに鞭が絡め取られたことを思い出したのだ。武器の扱いの熟練度はクロエが上と知っている。
同じ轍は踏むまい、とする。しかし、それ故に動きの遅れた足が銃に追いつかれる。
屋根上から撃ち込まれる、銃撃の連鎖。眼を守る様に顔の前で交差される腕。そこに鎖が巻きつく。
じゃらり、と音を立てて鎖が引かれる。
(軽いッ)
抵抗が軽い。
思った時には、棗の体は空に投げ出されていた。いや、正確には棗が跳躍したのだ。
クロエの予想を超えて距離を詰めた棗に、ぴんと張られていたはずの鎖が長さを持てあまして緩む。
「喰えないお人だ」
クロエの表情が緩むのを見て、百目鬼 揺籠(
jb8361)は引き絞っていた弓を解き放った。
空中で棗を捕らえたはずのそれ、けれど
「……本当に、使徒とは恐ろしい存在ですねぇ」
鏃が貫いたのは棗の体ではない。彼女の腕、そこに巻きつく鎖だ。
ガサガサと音を立てながら、棗が木々の中に落ちてゆく。
自身の武器を引き寄せ、その先に獲物が引っ付いていないことを確認したクロエが森に向かって走り出す。揺籠もまた、この視界の悪い中でどうするべきか考えた。
夕陽が境内を赤く染めている。
森中は特に、木々の影で暗い。――篝火を焚くか。
森に入るクロエと揺籠。
その後ろ姿を追うよう、ひっそりと動くものがあった。地面にひっそりと潜り込みながら、シュルリと舌を巻き餌の隙を伺う生物――。
ブスリ、
「手ごたえあり、かな」
紫色に染まった地面の中に、盾の刃を突き刺した龍磨が呟き、即座にその場を退いた。
龍磨の攻撃は確かに蛇の頭を貫いていた。
傷口から体液が流れだし、周囲がまるで毒池のように沈み込む。その中央に、体液の抜けきった皮がぷらりと浮かぶ。
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ハッハッ。
荒い息が一つ、森の中に木魂していた。
背後を振りかえれば使徒の手先である蛇型サーバントが紫の体液をそこらに撒き散らし、地面や植物と枯れ腐らしながらするすると素早い動きで這って追跡してきている。
一方、息を切らして走るのもおぼつかない程度には消耗している一般人・睦木。このままでは追いつかれるのも時間の問題だ。
フィオナは睦木があまり好きじゃない。
対面してからの時間を考えると、はっきり嫌いという判断を下すには人物像を知らないのだが、その言動の端々に滲み出る自分勝手さと傲慢さが鼻についてしょうがない。
とはいえ、人物的に好む好まざるにかかわらず、フィオナがすべきはサーバントから人を守る事。
(さて、どうするか)
走る傍ら、総試行するフィオナを見抜いたか蛇が追跡から猛然と突進攻撃へと切り替わった。
「……このタイミングでの襲撃は理にかなっている」
もう、後ほんの少しで境内から抜ける。この期を抜かせば蛇に睦木に追いつくことはできなくなる。だが、
「――が、こんかいに限って言えば愚かな選択だ」
攻撃とは一方で大きな隙を生む。
さらに言えば、対峙しているのがこの「我」ではな。浅慮が過ぎる。
白刃が暗く始めた森に煌めく。
切り裂かれた蛇が遠くに転がる。毒液が切り口からジワリと地面を浸食して広がる。
素手でも、通常武器でも危ない毒。――だが、フィオナのそれは通常の刀ではない。
雪村――物理的殺傷能力がない一方、アウル纏いし魔法の刀。
「……少し、跳ねたか」
飛散してきた毒雫を手甲で遮れば、その部分が溶け、穴を空ける。
しかし、それだけだ。
一瞬の交錯。
それ故に被害は少ない。睦木に至っては今もって必死に階段を駆け下りているため敵が取れたことにも気づいていない。
「……虫の息、っていうのはこういうことだね」
來鬼が見下ろす先、フィオナに切られた蛇が未だ這いずりまわっていた。
揺籠の放った矢によって木に張り付けにされていたはずの蛇がいつのまにかいなくなっていた。來鬼とウェルは生命探知で追ってきたのだ。
加勢は必要なかったようだが、蛇は未だ生きている。
手に持ったマッドチョッパーを一振り、高速のそれに生み出された衝撃波が蛇の体を遠くに弾きながら真っ二つに断絶した。
「さぁ、早く戻ろうか」
生命反応が完全になくなったことを確認し、來鬼たちは踵を返す。まだ、戦いは終わってない。
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あちこちに細かい傷を作りながらも、五体満足のまま着地した棗。
だが、ずきりと体が鈍く痛む。それは戦闘を続けるうちに徐々に広がっているそれ。
「……まだよ」
棗は一息ついて、痛みを思考から追い出す。そんなものは脳の発する信号でしかないと知っているからだ。
「――マリエステル様」
(どうか……待っていてください)
「『マリエステル』――それが、あなたの主の名?」
「お前が、人間風情がその名を口にするな!」
クロエの問いに、棗が激昂し飛び掛かる。
それを余裕を持って避ける。距離は開け、鎖を振るう。
「貴女の主、助けに来ないですね」
クロエは口を開いた。
棗はその言葉に眉を上げた。激しい交戦の最中だ、挑発に決まっている言葉。けれど棗にとって聞き逃せない言葉もある。
「信じてる、とか任せるとかそういう言葉を掛けられて勘違いしてません? それって【道具】をその気にさせるための常套句ですよ?」
「失敗ばかりしているあなたは見限られたんです。だから誰も援軍が来ない。悲しいですね、家族さえも断ち切ったあなたには何も残らない、あなたが縋るものも何も」
「うるさいうるさいうるさい! あんたに何が分かるッ!」
大きな素振りで鞭を振るう棗。――完全に挑発に乗った。好機だ。
「何もわからないよ。――グローリアカエル」
闇を纏う弾丸を至近距離から棗に打ち込む。
「がっぁ!」
直前、身体を捻った棗の脇腹にそれは入り込んだ。天界側のものには毒の、冥魔側の力を込められた弾。
「――ッ!」
鞭が、クロエを打った。至近距離からのそれを避けることもできず、クロエも弾き飛ばされる。
「ハッ、よくやってくれたわね……!」
ウェルの持つ漆黒の大鎌が振るわれた。
強烈な一撃は隙も大きいが、渾身の一撃だった。
まるで違う方向からの突然の攻撃は不意打ちだった。クロエに追撃かけようとしていた棗はもろに受ける。
「く……ッ」
呻き、地面に転がる棗。直前、後方に飛んで攻撃を浅くしようとしたが、それでも攻撃の威力は大きすぎた。
切り裂かれた部分からとめどなく、血が流れ出す。
何とか立とうとするも、立ちくらみそのまま地面に倒れ込んだ。
棗は前回の戦いでも少なくない量の血液を流している。既に貧血状態はひどかった。
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動けない棗に追撃が加わる、というその時。
棗への全ての攻撃が弾かれた。
(これは、あの時の――ッ!)
白が視界の全てを埋め尽くするのに悟った龍磨は盾を持ってタックルするように突っ込んだ。
ガンッと重い衝撃、光が止む。
「一度ならず、二度までも……っ!」
体勢を崩した状態の棗が突然、そう叫んだ。
その視線の先には、セルジュ。そして、十字架があった。
「どうやって、そういう顔をしていますね。簡単な事ですよ、これが私の能力というだけです」
もちろん、能力の詳細をお教えするつもりはありませんがね。
そう笑みを浮かべたセルジュ。もちろん、種も仕掛けもあり、金属物質である十字架を磁力によって引き寄せたというもの。
前回は即座に奪い返されたが、今回はあの時のように棗の能力は効かない。セルジュは即座に後衛に下がる。
「さて、これで貴女は逃げの手を使えなくなりました」
棗にとって大切な、十字架。
それを無しに、棗はこの場から去ることはないだろう。そう、揺籠たちが確信するほどには、十字架の繋がる先――主たる天使への傾倒ぶりは見せつけられている。
揺籠が幻影の腕に力を籠め、地面へと棗の体を強く押し付ける。それでもなお、抵抗は強い。
いや、むしろ十字架しか目に入っていない。
その体に更にクロエの鎖が巻きつき、地面へと固定するが鎖に体が傷つけられるのもまるで厭わず、動こうと、動こうとする。
「お前は一体何がしたい?」
這い蹲る棗の前にしゃがみ、來鬼は尋ねた。
静かな声が、問う。
「家族を、縁深い人を殺したいの? ……違うよね、それならそうでもっと他の方法があった」
お前の目的は何?
その時、漸く棗の目が來鬼に――、今に合わさった。
それまでの棗が見ていた物未来でも希望でも使命でもない、現在を写す。
「私はただあの方の為動く」
「それ以外の何物でもない。あの女も、それ以外もそこに意味なんてない――だが、お前らは!」
グッと地面を握りしめた棗の掌から、砂礫が放たれる。
子供の遊びにも負ける、攻撃。難なく來鬼はそれを躱す。
「あの方の!脅威に、なるッ!」
見過ごせない、捨て置けない!
そう、告げながら四肢に力をいれ立ち上がろうとする棗。――必死さは、伝わった。
だからこそ、
「――」
喉を潰す。
「言い遺すことはありますかぃ? 今後、貴女の天使に会うことがありゃァ、伝えましょう」
告げた揺籠に、微かな笑いが返った。
「わた、し……まだ……こ、ろはあの方と……ともに、だ……ら」
くぐもった声。
それでも、撃退士の鋭敏な聴覚はその言葉を正確に聞き届ける。
「『心は共にあり続ける』……こんなことを言われて、なんで!」
呼吸の音が、一つ減り。
妙な沈黙の落ちたその場に、龍磨が怒りの言葉を吐き出した。
棗はその主との絆を信じ続けた。忠誠を、命までも捧げて。
なのに、
「裏切り者ッ!!」
棗の持っていた十字架を握りしめ、龍磨は叫んだ。
「――ッ裏切り者……!」
顔も知らない天使。この言葉を聞いているかもわからない天使に向かって、ありったけの想いをこめ、龍磨は再度侮蔑の言葉を吐き出した。