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「――それでは、対応よろしくお願いします」
暮居 凪(
ja0503)は電話を切ると軽く溜息を吐きそうになったが、視線に気づいて止めた。
「駄目ね、デパートの方では彼女のことについて把握していないわ。テナントへ直接問い合わせてほしいって」
電話の為にと立ち上がっていた席に座り直しつつ、成果を告げる。
「てことは、棗の情報はカガミヤのデパート店舗のみにしかない、ってことだね」
要約するように言うクロエ・キャラハン(
jb1839)に九鬼 龍磨(
jb8028)は頷いた。
カガミヤの本店に連絡してみても、棗御木という人物を雇ったという記録はないようだ。新たにアルバイトの募集をかけているようでもなく、人員が増えたという事実はない。
「疑うは罰せよ、という言葉がある」
フィオナ・ボールドウィン(
ja2611)が高圧的に言った。だが、それ以上に経験と実力に裏付けされた重みある言葉だ。
棗印のついたブレスレットはとあるデパートの広告に載っていた。その品を売っているテナントは「500円均一のカガミヤ」というチェーン店だ。
しかし、デパートに聞いても本店に聞いても棗の情報があがってこない。ということは、棗の情報は「デパートにあるカガミヤ」で止められている。
「姑息だな。……いや、それだけ必死ということか」
「彼女は巧妙ですよ」
フィオナの呟きに補足するよう、Serge・V・Dinoire(
jb6356)が告げた。
「姿を現さず、手を汚さず。それでいて、私たちを動かすように証拠を少しずつ残してゆく」
まるで誘導されているかのように。
セルジュの言葉に龍磨がピクリ、と反応する。
「もやっとすんだよね、あいつの行動」
その言葉に、室内の皆の視線が入口に集まる。
「ただ復讐するにしてはやけに堂々とした行動だし。こんなに大勢巻き込んで何してぇのよ、あいつ」
ぶつくさと言いながら、入る幽樂 來鬼(
ja7445)をウェル・ウィアードテイル(
jb7094)がまぁまぁ、と宥める。実際のところ、ウェルも棗には頭にきているところもあるのだが。
百目鬼 揺籠(
jb8361)によって入口の戸がピシャンと閉められる。それを待っていたように、來鬼は机の上にザッと地図を広げた。
「それじゃ、明日の話をしようよ」
デパートでのカガミヤの調査から帰ってきた三人から話は切り出された。
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「そろそろですか」
時計を確認するセルジュ。カチ、と小さい音が鳴り時計の針が動く。
昨日のやり取りの通り、放送から「ガス漏れ」のため避難してほしい旨の言葉が流れ出す。デパートの開店に向け、準備を行っていた早番の各テナント店員たち及び清掃員等のデパート従業員は一気に騒然となる。
困惑と恐慌の雰囲気の漂い始めたそこに声を上げたのは龍磨だ。
「僕に付いて来てください!」
声を張り上げ、タウントと併用して一般人の誘導を始める。
早々と人気が無くなった廊下。
静かな階段、二階と一階を繋ぐそこへとセルジュは阻霊符を張り付けた。
「今度こそ、逃げ道はありませんよ」
「棗 御木さん」
デパートの従業員制服に身を包んだ凪はその背に声を掛けた。
品出し作業をしていた髪の長い女性が立ちあがる。
その服の裾からボトボトと何かが零れ落ちる。それを見て、フィオナは苦い顔をするとグッと武器を握って構えた。
「やはり、黒か」
女性から落ちたのは小型の蜘蛛。わらわらと群れ、鋭い爪を床へと突き刺しては引っ掻く様は凶暴な性質を垣間見せる。――サーバントだ。
「一ヶ月ぶり、ってところかしら。会いたくはなかったのだけれど」
ゆっくりと振り向いた女性。それは髪の長さなど、多少の違いはあれど以前見た使徒・棗御木に相違なかった。
「こっちも、だね」
龍磨が硬い声で告げ、視線を上げる。そこには濁った鳴き声を短く上げる、鴉。こちらは棚の影にでも隠れていたのだろう。
フィオナは凪に視線をツィ、と向けた。
それと分からないほどに微かに、凪は頷く。そして、
「ハッ!」
踏込と同時に、武器へとかけた手。それは一瞬にして攻撃を放った。
蜘蛛群れに、というよりは床に向けて放たれたそれに、蜘蛛の子は陣地を守ることも忘れ、床を散開する。
(道は開いた)
棗へと阻むものが無くなったそこへ、フィオナは踏み出す。一気に、先制を仕掛ける。
しかし、それを予想していたかのように鞭がしなる。
「残念だが……その程度で我から逃げられると思うな」
鞭を剣で払い、更に距離を縮める。
中距離攻撃である鞭は懐に潜り込まれると弱い。一歩退きながら鞭を引き戻す棗。
しかし、その動きは不可視の重力場によって留められた。止まった棗の体に黄金の鎖が巻きつく。
「――弱いな」
接近戦及び実践に慣れていないという動作の棗に一言、フィオナは剣を振るった。
棗の腹部に大きく穴が開く。
「お前らの相手はあたしだよ!」
ついて来い、というように背を向けるクロエに隙と見たか鴉どもが突撃してゆく。
(かかったっ!)
クロエは一歩進むごとに腕を振るった。そうして、鴉どもを引きつけながら、少しずつ、少しずつそれを形成してゆく。
狭い陳列棚に入り込んだクロエ。逃げる場所のないそこに、鴉は好機と見て急下降の突撃姿勢に入った。が、突然透明な何かに激突した。
「鶏頭、って言うのは良く聞くけど鴉も馬鹿だね」
ゆっくりと、クロエは振り返る。
以前にもクロエは同じ手を使ったことがあるというのに、敵方は忘れたらしい。
「追っている内にいつの間にか逃げる側になっていた、なんてよくある話だよね」
ワイヤーに羽が絡まって身動きが取れなくなっている鴉たちはいい。後は、
「じっくり弱点を探してあげるよ」
ここは既に、ワイヤーの張り巡らされた袋小路。クロエのテリトリーだ。
辛うじて後方にいた群れは突っ込む前に仲間の惨状に気付いた。不利と見て、通路を戻ろうとする鴉の群れ。
しかし、それを阻む様に立つのはデパートの従業員たちを避難させ終えたウェルだった。
「無一文な木端に用はないよっ」
鴉の群れに、ウェルは自ら飛び込む様に翼を羽ばたかせた。
体内で練り上げたアウルが爆発的な加速を生み出す、一閃を擦れ違いざまに放つ。
●
(なんだろ……どこか、変)
物陰に身を隠し、來鬼は見つめる。
揺籠から放たれる弓。それが棗の動きに制限を与えて、フィオナが攻撃を仕掛けてくる。フィオナの攻撃を真正面から受けることを避けようとすれば、先回りしたセルジュからの攻撃を受け、止まれば弓に当たる。
だから棗はフィオナの攻撃を受けるしかない。
実際、棗は接近戦が得意ではないようで動きに精彩はなく、攻撃力も防御力も高くないのだろう。確実にダメージを与えている。最初に与えられたと思しき腹部の傷もある。
なのに、なぜ未だ棗は動けるのか。
「チッ!」
息を切らし始める、フィオナ。一方、棗は動きが鈍る所か素早くなっていく。
これだけ動けば腹部の傷は開いたまま、出血多量で死亡してもおかしくはない。なのに、最初に流れたほかは腹部から血液の出血があまりに少ない。
しかも、フィオナは普段ならこんなにも早く息を切らすことがない。
(体力でも吸われているのか……)
棗の能力に見切りをつけ、しかし大きく息を吸うとフィオナは笑みを浮かべた。
「面白い――」
弱い使徒。しかし、予想外に手こずらせてくれる。
棗を振り払うよう、大きなモーションで棗を弾き飛ばす。
だが、追撃を仕掛けようとするフィオナを羽交い絞めにするよう、腕が絡んだ。
「一般人……!?」
驚きの声を上げる、龍磨。皆が、同じように一般人に拘束されている。
「一ヶ月もの間、近くで暗示を重ねてきたのよ。この程度なら動かすのに造作ないわ」
棗の指示に従い、拘束する腕の力が強まった。
操られているとはいえ、彼らは一般人だ。下手に抵抗し、もし傷つけたら。
その躊躇いは戦場では枷だった。
「さて、存分に甚振らせていただきましょうか」
棗が酷薄な笑みを浮かべる。
その様子を見た途端、間髪入れずウェルは自身に闘気を纏った。
本来、目に明確に映るものではない闘気がアウルを込められたことで重苦しい空気となって可視化される。それはウェルの銀髪までも黒く染め上げる。
黒纏うウェルに、赤に変色した虹彩が異様に目立っていた。
「……傷つけたな?」
飄々とした雰囲気もポーカーフェイスも抜け落ちた、心底の無。そして敵意が溢れだす。
新しく戦場へと参入したウェルに気付いた棗が振り返るよりも先に、凪は棗へと疾駆していた。
大きな攻撃の後には必ずできてしまう隙。そのことを考えることもせずに突っ込んだ結果の重い一撃、それは敵の破壊にのみ特化された攻撃だ。
「一閃・奔」――ウェルの誇る最大の攻撃。
棗は鞭を振るおうとした。だが、びぃん!
鞭はクロエのワイヤーに絡め取られ、振るえない。
咄嗟に、棗は鞭を手放して防御の体勢を取った。それでも体は廊下の奥へと投げ出される。
棗は上半身を置きあがらせるも、噎せあがるものに吐血する。
「さぁ、支払いの時間だよ。なに、君の命を殺掠すれば一括さ」
敵意の鋭さを持ったまま、飄々と告げるウェルに棗の体は逃げを打った。だが、
「ッ」
潜んでいた來鬼による攻撃が棗の背を抉る。
今度こそ、棗は起き上がれない。――フィオナの持つ鋭い刃が棗の目前にあったからだ。
「撃退士の強みはその身体能力でも攻撃の特殊さでもないわ。――仲間との絆よ」
改めて武器を握り直し、凪が言う。
棗が防御へと回った瞬間、乱れた操りのコントロール。その一瞬で彼女らは拘束を解いていた。
「これ以上、関係ない人を巻き込まないでください。でないと、無条件での殲滅対象と見なします」
気絶させた一般人を床にゆっくりと横たえながら、「死にたくはないでしょう?」と暗に告げる龍磨。
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「さて、口を割ってもらおうか、使徒」
フィオナが更に刃先を近づけるが棗の答えは沈黙だった。
「二度は、ない」
棗の首の皮一枚、切り裂きフィオナは殺気の籠った瞳でひたと棗を見据えた。
「私はあの方に仕えているの。情報を売る気はない」
「キサマ――」
真っ向から否定する棗に激昂しかけたフィオナだが、その前に凪が制止をかける。
剣を収めることはせずも、留まったフィオナ。
フィオナに変わり、龍磨がごく冷静に問いかける。
「君の動機は? 恨みを晴らすだけ? それとも……」
ただ、復讐のためだけに動いているとは龍磨にはとてもじゃないが、思えなかった。
単純に利益のため、復讐の為ではない。それよりももっと複雑なものがそこには絡んでいるような気がする。
「時間稼ぎか何かですかぃ?」
口を噤む棗に揺籠は尋ねた。
「算段のないまま行動に出ることはないでしょう。貴女はそう言う人だ。――献身的ですね、捨て駒にされてまで……」
「あの方は私を捨て駒になどしない! 裏切らない!」
激昂。
卑劣にして狡猾な棗だが、実際には感情的な面も多い。だが、それにしても琴線に触れたという様な反応だった。セルジュは笑みを浮かべ、棗へ問うた。
「そうそう、“棗”を誕生花に持つ人は信心深い方が多いようですが、あなたはどうなのですか?」
いきなりの核心にブルリ、と棗の体が震えた。瞬間、
「おやおや、――このようなところに」
ジュッと焦げるような音が鳴ったかと思うと、棗とセルジュの距離はゼロとなっていた。磁場を形成し、摩擦抵抗を失くすことによって可能となる高速移動。棗が反応できないまま、首元からそれはぶちりと音を立てて、引きちぎられた。
「通信機、ですかねぇ?」
十字架。それは棗が“彼女”とのやり取りを行うのに使用する通信機だ。それを手に弄ぶセルジュに、棗の顔色が変わった。
「そろそろ、あなたではなく、あなたの“親”の顔でも拝ませていただきたいものだわ。さぞかし“盲信”が形になったような姿なのでしょうね」
凪がセルジュの手からそれを受取ろうと手を伸ばす。
「――返せ」
ゾッと、怖気の走るような瞳だった。
「それを、返せ」
再度、告げる棗。
ずり、と脚が動いた。
(これが……あなたの能力……)
凪の手は、身体は、何かに引き立てられるように動き、十字架を棗へと差し出した。
棗はそれを引っさらうように奪取し、握りしめる。それから動けない皆に向けて鞭を振り上げた。
それは虫の知らせのようなものだった。
『しかし、先日のアレ、気になりますね』
『こちらからは突然動きが止まったように見えたが』
『そうですねぇ……、いつの間にか手から力が抜けていた、と言った感じでしょうか。体が勝手に反応していたような気がします』
『暗示とはまた別なのか――』
『ちょいとした賭けなんですがね、思いついたことがあるんですよ』
自身の持つ能力への絶対の自信。それは慢心だ。
揺籠は走る。
「あなた、なんで動け――」
「悪いね」
動揺のまま、まともに動くことのできない棗へ揺籠は左手を伸ばした。
首元を掴まれた棗は揺籠の体中に在る目が瞼を開くのを直視し、目を見開いた。
「ぁ――……」
棗は投げ飛ばされ、受け身も取れずに廊下の壁にぶつかった。頽れる体にかぎ爪のついた鎖が巻きつく。
きゅぽん。揺籠の両耳から耳栓が抜かれる。
「賭けは俺の勝ちってことで」
言って、飄々とした笑みを浮かべ揺籠は口元に煙管を寄せる。
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サクッ。
(なッ――)
店の中、物陰に隠れて潜んでいたのだろう。取りこぼした蜘蛛が揺籠に傷を与える。それはかすり傷程度だが、流れ込んできた神経毒は速攻で全身を回った。
揺籠の手から力が抜け、鎖の拘束が緩む。それは一瞬のことだった。
「私は……ここで死ぬわけにはいかない!」
緩んだ拘束から、棗が抜け出し逃走に入った。
「逃がしはしません」
セルジュが指先から蝶が生まれ出る。
無数のそれは羽ばたき、棗の前方を塞ぐように埋め尽くす。
だがそれを見ても棗は足を止めることはしなかった。攻撃的なアウルの蝶に正面から突っ込む。
「――主よ、力を!」
直前、棗を白が包み込んだ。蝶が白の膜によって弾き飛ばされる。
「これは……」
目が眩む。
セルジュは膝を突き、視界を塞いだ。その間に、棗がすり抜ける。
「ただで帰すわけにはいかないわ! 私の一手、受けていきなさいっ」
凪はスナイパーライフルに掛けた指に力を込める。
素早く退いた指は二度、衝撃を与えた。アウルの込められた弾が背を向ける棗の肩を打ち抜く。
「――さすがに、血痕を拭う余裕はなかったようね」
はぁ、と溜息落として凪は言う。
彼女の足取りを消すには流れ出る生命力が多すぎた。――これを辿れば、すぐに追いつくことができる。
「さて、どこへ行く気か。……既に逃げ場はないでしょうに」
血液の残す足跡を見て、揺籠はそう嘯いた。