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暮居 凪(
ja0503)は一つの家の前で立ち止まると、地図に落としていた視線を上げた。
二階建ての一軒家。二階の窓に淡い色のカーテンが引かれているのが見えた。
「じゃあ、押すよ」
表札を確認しウェル・ウィアードテイル(
jb7094)は呼鈴に手を伸ばす。
学校からは一週間の停学と自宅謹慎。母親は専業主婦のため在宅のはずだ。機械越しに応答するウェルの傍ら、幽樂 來鬼(
ja7445)は視線を周囲に向けた。
田山楓――とある学校で傷害事件を起こした少女。依頼は彼女からの事情聴取と見張りである。もっとも、最近学内で頻発している傷害事件の加害者たちと同じよう、失踪しないようにというのが学校意図だ。
來鬼たちは、この失踪には「棗御木」率いる天魔が関わっているのではないかと睨んでいる。事前に掴んだ情報に寄れば、件の学校には棗の知人がいることが判明しているのだ。
(不審者、なしか……。ま、昼だしね)
棗が関わっていると思われる天魔事件はこの街で既に二件。二件とも、棗はターゲットに事前接触し天魔を配布。ターゲットを天魔の暗示スキルによって誘き出し、かどわかす策を取っている。いずれも時間帯は夜。
もし田山楓が棗御木のターゲットだとしても、その失踪は夜になることが予測される。今から警戒していても体が疲れるだけか、と自己完結して來鬼は家に向き直った。
「すみません、お待たせして……」
田山楓の母親らしき人物が出てくるのを見て、九鬼 龍磨(
jb8028)は背を翻した。
「じゃぁ、僕はここら辺で」
別行動を申し出る龍磨に、凪は頷いた。
全員が一塊でいる必要はないし、楓は少女だ。見知らぬ男性である龍磨がいては緊張して色々と話しにくいこともあるかもしれない。
「……そうですか」
一通り聞き終えた凪は出された紅茶のカップを置いた。
現在の楓は自室に籠りきり、家族との接触さえも極力避けているようだ。事件に関することもまるで口にしないままであるらしい。
そんな状態の楓が、初対面である凪たちに会ってくれるかどうかはわからない。だが、他の加害者たちが失踪していることを考慮すれば、一度姿を確認しておいた方がいいだろう。こちらも仕事で来ている以上、心情を慮って引いてばかりもいられない。
「楓さんに会わせていただけませんか?」
凪の言葉にややあって頷いた母親を前に、ウェルたちは二階へと階段を上り一つの扉の前に辿り着いた。
「――楓、お客さんがいらしてるの。開けるわよ……?」
返事はない。その代り、ガタッと大きな物音がした。
咄嗟、ウェルは母親の手がノブを捻るよりも前に扉を開け放った。
勘、しかしそれは正解だった。大きく開け放たれた窓から入り込んだ風が、カーテンを大きく膨らませる。
その隙間から、小柄な少女が桟より身を乗り出しているのが見えた。
ハッと息を飲む母親。一瞬で楓まで距離を詰めたのはウェル。ウェルが抱え込む様にして引き倒した楓のオデコに手を当てたのは來鬼だった。
ウェルの腕の中、抵抗するように暴れるも次第に勢いを失くした楓はそのまま目を瞑ってしまった。
「……え、あ……楓!?」
状況について行けず、今更のように声をひっくりかえした母親の背に、凪の手が当てられる。
「大丈夫です。少し、眠っただけのようですから」
「眠……?」
ウェルは気を失った楓の体をベッドに移動させた。
「少し、気が張っていたみたい。あんんまり寝れてなかったんだろうなぁ……」
楓の顔を覗き込んだ來鬼は目元にはっきりと付いた隈をみて、ベッド脇にしゃがんだ。
(似ているね)
棗御木が起こした、以前の事件の被害者――岸田真紀にも同じ症状が見えた。心の底からわき上がる衝動を抑え込むのに、夜でさえも安心することができず、徐々に精神の均衡を崩してゆく。夢うつつに、半狂乱に。
「お母さん、楓さんが目を覚ますまでは彼女がついていますので、私たちは下にいましょう」
凪がそう言って、來鬼に視線を向けながら階下で落ち着くことを促す。娘が二階から飛び降りようとする様を見たのだ、母親の方も今は混乱しているに違いない。凪について部屋を出ながら、ウェルは扉を閉める際に常人には解らないだろう、部屋の中で來鬼がスキルを発動するのを感じていた。
「さて、これで事情聴取は終わりよ。――よく、頑張ったわね」
起きてきた楓に行った事情聴取は彼女のペースに合わせたため、結構な時間がかかっていた。
楓の弁解もまた、上手い物ではなく胸の内にあることをきちんと言葉にすることができないようでいたが、それでも懸命に事件を語る楓に凪は最後をそう、締めくくった。
ホッと胸を撫で下ろす様子を見ても、正直、楓は傷害事件を起こすような性格には見えない。
だが、彼女自身からも暴力を振るったのは事実であると口にされたので疑いようはない。
問題は、その理由であり切っ掛けである。
楓は今から思うとなぜあんなことをしたのか、衝動的にカッとなった以外に言いようがないらしく、甚く反省している。
だが、そのことを聞いて來鬼たちは余計に、疑いが深まった。
棗御木による干渉――天魔の暗示による、感情の煽りを受けたのだということに。
「さぁて、難しい話も終わったことだし、ちょっと気晴らしに行かないかい?」
ウィンクして見せたウェルに、一週間の引きこもりをしていた楓は一も二も無く頷いた。
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「それで――」
空教室。手の空いている教師たちを集め、百目鬼 揺籠(
jb8361)とジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)は手分けして加害者と被害者の生徒についての情報、また事件の詳細について事情聴取を行っていた。
そんな中、ジェラルドはポケットに震動を感じて、揺籠に一時その場を預けると教室を出た。
「はいはーい、こちら学内です☆」
『クロエだよ、ある程度情報集まったから定期連絡ね』
学外で失踪者の情報を集めている、クロエ・キャラハン(
jb1839)からの電話だ。
失踪者たちが失踪前に取っていた行動から、あるショップで売られているアクセサリについての話。これから、同じく学外で情報収集を行っているSerge・V・Dinoire(
jb6356)がショップに客として出向く予定だということ。
「へぇ〜、面白いことになってるね」
終話して、先ほど送られていたメールを再度開く。田山宅に行っている來鬼からの写真――ピアス。
「これが天魔、ねぇ……」
依頼を受けた時にも思ったが、今回の首謀者は変わった手口を使用している。
天魔をアクセサリにしてばら撒くとは、これまた趣味の悪いことだ。
「さて、本命との楽しいお話に移りましょうか☆」
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「じゃあ私たちはこれで」
田山家の前で、別れを告げると楓が家の中に入っていくのを三人は見届けた。
「……これから、かしら」
夕陽に、凪が呟く。來鬼は無言でいたが、たぶんそうだ。
闇色に染まて行く中、いつまでも一緒にいては楓たちに怪しまれる。敵もいつまでたっても出てくることはないだろうから、一度別れることにしたのだ。
「気になるのは、あのピアスを買ったショップだね」
ウェルが口にしたのに、來鬼は頷いた。
眠ってしまった楓に異界認識をかけた所、あのピアスが天魔であると判明した。回収する上手い言い訳もなく、ピアスのことを尋ねるだけしてみれば学校から近い駅、地下のアクセショップで買ったとのこと。
最近、学校内で流行っているらしい。
「そっちの首尾も上場といったところだよ」
声を掛けられ、來鬼は振り向いた。龍磨だ。
「学校の方でも色々と成果はあったようだけど……まず、棗御木らしき人物がショップで確認された」
楓の動向が分かるよう、田山家の見える場所に身を潜めた四人。ひとまず、待機しながら情報統合を図っていた。
「本人に会えるなんてね……」
眉を潜めた状態で、ウェルは言った。既に彼らは棗への不信感を募らせている。会えるものならば会い、拘束したい。
だが、一方で凪はタイミングが悪いと眉を顰めた。――彼女は今、他の任務で受けた傷が癒えていない。
「棗のターゲットは富山大地、って先生だけど楓ちゃんのことも見過ごせない」
どう動く、と來鬼は尋ねた。
どちらがいつ、どう動くのかはわからない。けれど、一方に戦力を集中させてもし仮にもう一方が動いたら?
一度、皆で話し合う必要があるのだろうが、どちらも眼を離せない。いっそ、二人に全て詳らかにして、一緒に行動してもらうあるいは両方共を学園等で保護してしまうか。しかし、一体いつ終わるかの見通しもないまま動くことはできない。
「少なくとも、富山さんには事情を話すしかないだろうね。棗の事を聞くにも、協力してもらうにも……」
最後は考え込むように言う龍磨。その時、ふらりと楓が家から出て来た。
「――お出ましか」
來鬼が低く言った。その視線の先を辿れば、二匹の蠍がいた。
(いや、そんなわけがない)
龍磨はすぐさま否定する。蠍が住宅街に出るはずがなく、この遠目で確認できる大きさならば実物は原寸大の蠍を遥か超えるだろう。
「容赦する必要はないね」
確認するように言ったウェルに、凪は頷く。矢のように飛び出した來鬼の手には闇があった。蠍へと距離を詰める間にも、それは握られナイフと成した。
ウェルとともにそれを追おうとして、龍磨は一瞬止まった。凪に刻印を刻んで、影から飛び出す。
「……また、援護ね。頑張らせてもらうわ」
前に出ることのできる三人を見送って、一息つくと凪は光纏し、狙い済ました。
「っ硬!」
ナイフを突き立てるも、弾かれた。そのことに驚くよりも先に、空に浮いた毒々しい色の尾が、グリンと動いて來鬼に向かってきた。
規則ない、動きが読めず苦戦しながらも間一髪で避ける。追撃をかけようとした蠍が、けれど鋭い一撃に吹き飛ばされる。
「一人で飛び出すなんて、まったく相変わらず無茶するね」
軽口を叩きながら、ウェルが來鬼に並んだ。素早く、龍磨が楓のピアスを破壊し、気を失った楓を抱えてより後方に退く。
「あの尾は毒っぽいし、殻は硬い。どうする?」
「タッグで重要なのは連携だかんね」
來鬼の言葉に、ウェルは了解と一言返した。
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「ちょいとそこのお嬢さん、一緒に飲みませんかね」
富山が角に曲がり、見えなくなるのを見計らって揺籠は棗に声を掛けた。
さも、飲んだくれであるというように酒気を纏い、足元はふらついている。実際にはこれからの戦闘を考え、然程飲んだわけでもないのだが、商人として目を鍛えている揺籠はしっかりと飲んだくれの動きを模倣することができる。
そして、もう一人の飲んだくれ、ジェラルドも徹底した役者ぶりだった。
笑い上戸のジェラルドに、絡み酒の揺籠。二人の登場に、棗はわかりやすく顔をしかめていた。
当然のごとく、無視して通り過ぎようとする棗の腕を、揺籠はしっかりと掴む。
「ああン? 俺の酒が飲めねーってんです?」
瞬間、棗は暴力的手段に訴え出た。
「私に触らないでちょうだい」
キッと、目元を険しくさせたかと思うと、そう命令した。途端、揺籠とジェラルドの体は意図とは別に、動けなくなっていた。
そして、揺籠の掴んでいる腕を大きく振り上げると、腕を振るって拘束を振り払った。――成人男性である揺籠をぶら下げたまま行われた凶行は、常人の女性に出来るものではない。
吹き飛ばされた揺籠は壁に激突する寸前、体勢を立て直した。
(なんでぇ、あれは……?)
内心で冷や汗掻いたのはジェラルドも同じだった。体の自由が効くと同時、後退して棗から距離を取る。
「……何よ、あなたたち」
揺籠に受け身を取られたこと、ジェラルドの素早い身のこなしに棗も勘付いたように、警戒を始めた。
「やっと会えたね。宣言通り『代価』の取り立てに来たよ」
「……撃退士」
物陰から出て来たウェルの言葉に、棗が口にする。頷く必要はなかった。沈黙は肯定だ。
「その怪力、天に与すると見て間違いない、のか……」
龍磨は悔しげに呟いた。目前で見せられた、超常の力は、棗が人外であることの証だった。
龍磨の横には顔色を失くした、富山がいた。そのことに気付いた棗は皮肉の笑みを浮かべ、これ以上の隠し事はナシだというよう、滑らかに喋り出した。
「直接会うのは初めましてね、撃退士の皆さん。ご存じのとおり、シュトラッサーよ」
棗本人の口から語られた言葉に、一気に警戒を強くする皆。だが、
「でも、捕まって上げる気はないのよっ!」
棗は何処からか、取り出したものを握り、地面に叩きつけた。
ピシッと、高い音を立てて撓ったそれは鞭だ。そして、それに従うよう闇から現れたのは天魔――蠍型サーバント。
「さっき見たのと同じだわ」
凪が敵を見咎めて、口にした。攻撃手段や戦闘スタイルのわかっている敵を今更出してきたことに疑問を思うよりも早く、敵は一斉攻撃をかけてきた。
放たれる、尾からの毒液に既に情報の回っている皆が、距離を取る。だが、それこそが棗の狙いだ。
「待てっ!」
開いた距離に、棗が走り去る。
追おうと、踏み出したクロエの足元にビシャッと毒液が放たれた。急いで回避するクロエ。
「くそっ」
既に棗は遠い。追いかけようにも、蠍が邪魔するのでそれはできない。
これは、以前兎型のサーバントと戦った時と同じ戦法だ。一方で足止め、もう一方は逃亡。しかも、今回は蠍の放つ毒液は神経毒――動きの制限なので、攻撃が掠れば完全に追えない。敵の攻撃を無視して追いかけるということもできず、足止めを受けてしまっている。
「下がっていて」
富山を下がらせて、來鬼はヴァルキリーナイフを構える。その一歩前にウェルも身低く構えた。闇に紛れて見にくいが、敵は六体。地面に這うよう、素早く動くので一瞬の油断も許されない。
敵、蠍たちはこの場、唯一の一般人である富山を狙っている。――闇が落ちる中、緊張が高まってゆく。
フッと、その場に微風が吹いた。そして、蝶が舞う。
その幻想的光景は敵に隙を生んだ。龍磨は素早くタウントを使うと蠍たちを富山から引きはがす。
攻撃目標の優先順位が変化したことで動きが乱れる。ジェラルドはすかさず、ワイヤーを放つ。尾に絡んだそれが、続けざま他個体の尾にも絡む。
尾を引っ張られた蠍に、クロエは一瞬で近づくと胴体と尾の境に刃を当てた。ぷすり、と比較的楽に入り込んだそれは容易く身を切断し、切り離す。
断面から漏れる体液に触れないよう、一撃離脱を心がけ退避するクロエ。一方で、体液撒き散らす蠍を駆逐するよう、凪からの遠距離銃撃が行われる。
「逃げられちまいましたねぇ」
どうします、という揺籠の言葉が事後処理をする皆の間に落ちた。
セルジュは蠍の死骸を冷ややかに、笑みを浮かべる。
「そんなこと、考えるのは私たちではないでしょう」