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「手を引くのが妙に早いわね……」
事件の顛末を聞いた暮居 凪(
ja0503)は呟いた。
前回も使った、大きな教室。集まるメンバーにも変わりはない。
「んー。会社が駄目になる前に、天界の介入があると思ったんだけどね」
顎に指を当てながら、クロエ・キャラハン(
jb1839)が言う。
「……ま、アレだけで終わるとは思ってなかったけどね」
ウェル・ウィアードテイル(
jb7094)は苦笑した。
今のままでは天界側の者が何をやりたいのか、よくわからない状態だ。
御守によって大量の人を失踪させる、というのが目的だったと言われればそれまでだが、その後に何かを見越して行動を起こしていたと考える方が普通だ。
これで終わるわけがない。それは予感よりも確信に近かった。
「橋本さん、危ない立場なんじゃないかな……」
ぽつり、幽樂 來鬼(
ja7445)の呟きが教室に木魂する。
もし本当に、橋本が何らかの手段で天使あるいは使徒と繋がりを持っていたというのならば。その天界側の意図としては恋の御守という商品ひいてはSEEDisという会社を通じての事件を起こすことだろう。
であれば、今回橋本が会社を畳んだことは橋本の立場を危うくしないだろうか。
「口封じ――うん、あるんじゃないかな。前回あの人、怪我してたし。所詮道具化捨て駒でしかなかったってことだよ」
來鬼の懸念に、クロエも同意する。
「とにかく、事件を解決させるためにももう一度橋本さんに会う必要があると思う」
強く、來鬼は主張した。
もし手駒として使うつもりがあるならば、怪我をさせて無駄に恐怖心を煽ったりしないはずだ。クロエたちが撃退士であることを見破った上で、橋本は関係者ではないと目をごまかす目的があった、というのならばまた別の話になるが。
どちらにしろ、撃退士の方で保護・観察下に置いた方がいいということには変わりないだろう。
異論は上がらなかった。
「それで、どうします? 全員で尋問――失礼、聞き込みに行くのですか?」
Serge・V・Dinoire(
jb6356)は笑みを張り付けながら、言葉を訂正した。
前回とは違い、橋本に好意的な印象を持っているメンバーが多いことが分かって故意に悪意ある表現を使ったのだ。
(……今度は何が露呈するか。あるいは隠されるか)
内心、興味深く思いながらセルジュは笑みを深めた。
前回の事件も考慮に入れつつ、橋本に肩入れしすぎだとセルジュは判断する。橋本が何かを隠していることは明白である。
疑わしきは罰せず、という言葉はあるが一方で煙とは火のない所に立たないとも言う。そう、前回言った人物にセルジュは視線を向けた。だが、九鬼 龍磨(
jb8028)はただ沈黙して座す。
「私、残ろうと思う。何回も会いに行って、不信がられても困るし」
クロエの言葉に、眉を潜めたまま御剣 真一(
jb7195)は言った。
「そうですね……。前回取材班として顔を合わせている僕らは撃退士として会うわけにはいかないですので、会うとしても訪問を分けた方がいいでしょうね」
失踪した人々。彼女たちは叶いそうにない恋に心を痛め、藁でも縋る様に御守を買い求めたのだろうと想像がつく。
そんな彼女たちのことを真一は他人事とは思えなかった。
(獣人と人――。望むことさえ、おこがましい自分だから)
きっと、この恋は叶わない。
だからこそ他の人の恋が叶ってほしいと思う。そしてそんな女性の恋心を弄ぶ輩を許せない。
故に真一は複雑な心境を抱えていた。およそ好意的には思えない橋本だが命を狙われているというのならば守るべきだ。撃退士として。
「ふむ。潜入班が聞き込みに行ってる間、取材班はコレの調査ってことで居残りでいいんじゃァないですか?」
件の箱を指示しながら、百目鬼 揺籠(
jb8361)が話をまとめる。
依頼人が今になって受け取った、箱。阻霊符で封をしている今もなお、天魔の臭いがプンプンとしている。
「――それがいいと思うわ。どっちみち、封を開けたとしてもセットを完成させないと何も起こらないと思うの」
凪は手元にパソコンを引き寄せ言った。そこに開かれているのは一つのブログだ。
「ここ、御守の描写があるわ。つまり、受け取った品をきちんと確認し、それから失踪したの」
そのタイムラグは、セットを完成させる前か後か。つまり、名前を書いた紙と砂を袋に詰める前に天魔は動くことがないのだ。
もちろん楽観視はいけない。箱から阻霊符を剥がした途端に透過して襲い掛かってこないとも限らない。
「今、必要なのは調査と聞き込みの二点。時間の節約はした方がいいわ」
時間をかけるほど、被害は広がってゆく。口にはしないまでも、凪の言いたいことは皆に伝わった。
御守に誰の名前を書くか、また御守を誰が所持することにするかと決定し、龍磨は席を立ちあがった。
正直、龍磨にはまだ橋本が悪か善か判断ができていない。だが問題はそこじゃない。
罪を犯したということ。罪はどこまでも憑いて回る。
橋本は悪人じゃないかもしれないが、だからこそ真相を明かし危難を祓う。それが橋本の償いであり、龍磨たちの仕事なのだ。
「なぁに、大丈夫さ。私たちの手元にカードはある。これから獲り返して貰おう」
クロエに軽くウィンクをして、ウィルは教室を出た。
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高級マンションを見上げ、龍磨はインターフォンを押した。
「あそこで居座られても困るから、入れただけです」
龍磨たちにカップを出した橋本は一番にそう口を切った。
事件以後、気弱な様子になったと聞いていたが橋本は意外にもきっぱりと口にした。それでも顔色の悪さと怯えた態度は隠しきれていなかった。
「でも、私は何も……」
「以前の事件の時『神がついている』といったそうですね?」
全てを拒絶するような言葉を紡ぐ橋本を龍磨は遮った。
「い、いったい何を……。わたしはそんなこと――」
「自社商品には自信があって然るべきかと思いますが、橋本サン。あんたちょいと不自然なんですよ」
揺籠が紫煙を吐き出した。煙管をトントン、と叩く小さな音が室内に反響する。
「ま、売れ行き商品にはよくある話ですが、心中の御守なんてぇ噂もあったよォで。――効果が絶大なら商売に自信がある? そんな馬鹿な話はないんですよ」
商売は人の信用あって成り立つ。悪質な噂は致命的な傷になることを揺籠は知っている。
「あんた、この商売が絶対儲かるってぇ知ってたんじゃないですか? それこそ、あたかも神様が縁を結んでくれたように――恋は必ず成就するって」
橋本は机上で両手を握り無言を貫いた。
(ここだな……)
そこが橋本の核心なのだと、來鬼は察した。
「本当に神様がついているのなら、もっと違うことになったとは思わなかった?」
まるで祈るかのように、机の上で固く握られた橋本の手に來鬼は両手で包み込むと橋本はハッと息を飲む。
來鬼は力を入れ過ぎて真っ白になった指にアウルを流し込む。
「貴女と皆を、守ります。だから、安心して話してください」
戸惑う様な視線を來鬼に向ける橋本の背を押すよう、龍磨は安全を保障する。
「あなたが秘書にしていた岡田さんが夫婦揃って行方を晦ましていることは知ってますか?」
來鬼が柔らかに本題に入れば、橋本は躊躇いながらも頷いた。
「では、この写真の人物について教えて貰えますか?」
ウィルの尋ねに、橋本の顔が強張った。
「事件日、会社に取材があったようですね。その時記者の方が撮られた写真です」
「……私の友人です。あの、でも事件には関係なくて……」
「念のためなので、そう緊張しなくて大丈夫ですよ。では『棗』に心当たりは?」
「――彼女の名前です」
写真に写った女性は橋本の高校時代の友人であるらしい。棗というのは彼女の苗字で、元々その日に会う予定があったようだ。棗との用事が長引いて取材に遅れることとなった。
そこまで聞いて、事件に関係ないだろうと写真の女性についての話を一端止めた。
「不安なことがあったら何でも言ってください」
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「お帰り」
教室を開けた真一に、來鬼が声を掛けた。
それに真一は首を振る。取材班の成果は芳しく無いようで、潜入班の聞いたことを再確認するだけに至ったようだ。
「――とすると、橋本さんのあの話が当たりってことか……」
クロエが呟いた。
橋本の話によると以前から意見の合わないデザイナーに反発するよう、自身が手掛けた商品が「恋の御守」である。しかし、当初それは売れ行きが良くなかったらしい。困り果てていたところ昔の友人・棗に再会した。
その時、棗は橋本の相談に親身に相談してくれた。その上で、自身の入っている宗教にその御守を卸してほしい、と頼んできたそうだ。
橋本はその宗教組織の事を良く知らなかったが、言われたのはとある柄を刺繍してほしいということだけだった。何でも、その柄――棗柄が好きなだけの集団で棗柄のものを何でもかんでも集める収集家のサークルのようなものらしい。
橋本にしてみれば、これからデザインを変えようと思っている商品にリクエストがついただけ、それだけで確実に買ってくれる客ができるのだ。橋本は話しを受けた。
そして、新しくなった「恋の御守」は成果を出す。宗教の結果――まさに「神様のおかげ」である。「恋の御守」が絶大な効果を発したこと、また話題になったこと自体は橋本にとって埒外の事である。
これによりデザイナーとの仲はさらに拗れたがこれ幸いと橋本は製造ラインの見直しを含め、事務所を移転させた。
これが半年前にあった出来事だ。
「宗教――神か」
「友人の棗さんも気になるところだね……」
断言する龍磨に、ウェルは付け加えたがこれ以上は依頼人に委ねるしかないだろう。今回の依頼から本題が離れすぎている上、時間もない。
「じゃあ、次はこっちだね」
クロエは机の上に並べられた二つの御守に視線を移した。
一つは岡田から貰った物。もう一つは揺籠が製造場から持ってきた物だ。前者は無地、後者は「棗柄」が金刺繍されている。橋本の話は確かなようだ。
「開けるわ」
確認するよう、皆の顔を見てから凪はスマフォのボイスレコーダーを録音状態にした。
ペリペリと箱が開けられていく。
「――」
取り出した中身のうち、「紙」を見て、凪の手は一瞬止まった。けれどすぐさまそれに触れ、「九鬼龍磨」と名を記した。砂とともに紙を袋の中に閉じ込める。
ふぅ、と詰めていた息を吐き出した。
(どうかしらね……)
過ったのは迷い。
自身の心には偽るべくもなく、想い人がいる。龍磨は戦友であって好きな人ではない。だから天魔が反応しないのではないか。いくつもの可能性が浮かび、そのうち凪は心に違和感を得た。
「――共に、行け。約束の地へ」
皆が息を殺し見守る中、凪は心に浮かんだ言葉を口にした。
ソレは凪に行動を強制するまでの力はない。すぐさま、皆に向かい頷く。
「同じ言葉を繰り返しているみたいだわ。多分、その場所に言ったらまた別の言葉になるんでしょうけど……」
言いながら、凪は立ち上がる。
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電車を乗り継ぎ、向かったその場所は山近い倉庫だった。
「なるほど。これならば彼らの足取りが不明なことも納得ができますね」
セルジュが一つ、頷く。
失踪者が自ら痕跡を消すよう、カメラなどに映らない様にしながら移動していたのだ。警察等が足取りを終えなくて当然だ。
セルジュは揺籠・ウェルとともに前方にいたクロエ・真一・來鬼に合流した。既に御守を持つ凪と、彼氏役の龍磨は倉庫に入り込んでいる。
敵の出現を警戒し、尾行を前後二班に分けたがそれは杞憂だったようだ。
「早く攫われた人たちを取り返しに行こう」
倉庫の見張りをしていた狼型のサーバント二体の命を音もなく闇色の矢で狩ったクロエは促す。
彼らが覗き込んだ倉庫の中。一般人らしき人が数名ボウっとした様子で立っている。その中には凪と龍磨もいる。ただ、動けない。
一般人たちの目前に10体の狼型サーバントがいるからだ。
他の人が暗示にかかっている以上、今戦端が開けば一般人に被害が及ぶ。二人は今、暗示にかかっているフリをしなければならない。
狼が攻勢を示していないことだけが幸いだ。だが、彼女らをどこかに連れ去ろうとしている動きが見える。
それを見てクロエは勢い込み、突入した。
「天使の餌になんかさせないんだから!」
群れに向け、クロエは弓引いた。それに続くよう、セルジュもマライカの引き金を動かす。既に真一がその場に阻霊符を掲げ、倉庫内を透過不可にしていた。
埃っぽい倉庫は銃撃の嵐で視界が白く染まる。それを避けるよう、揺籠は自らの背に翼を出現させた。
「――残念ながらァ、この先は有料ですねェ」
視界が戻ってくる中、天井近くにいる揺籠は狼たちによく見えた。標的を見つけ、上を向いた狼たちに、――「そこ退いて」
隠密を使って接近していた來鬼が鋭い一撃を加えた。凪と龍磨に近い一体の頭が大鎌に刈り取られる。その隙を逃さず二人は光纏し、素早く一般人を背後に庇う。
「その命じゃぁ、恋心を買い取るには安すぎるでしょう」
急直下した揺籠は一体の頭を握りこむよう、腕を伸ばした。薄く笑みを浮かべながら、幻術を施す。――百の眼が見せる『夢』に意識が虚ろとなった狼を振り払うよう、揺籠は投げた。
「まだですか?」
セルジュの急がす声が聞こえたが答える暇もなく、ウェルは御守の破壊に集中した。一般人たちは凪たちのようにはいかず、完全に暗示がかかったままなのだ。幸いなのは、御守が眼に見える場所にあること。
獅子が如き姿でサイドステップを駆使し、一撃離脱を繰り返していた真一がウェルの前にまで後退してきた。戦場が近づいてきている。
(早く避難させないと)
龍磨が一般人を誘導する声を上げる間にも來鬼の放つ雷の轟音が入る。
「こっちだよっ」
クロエが数体の気を引きながら狭い場所に入り込んでいく。
後を追う狼がその背に攻撃を入れようと、爪を一閃させたがその前に闇が現れた。全身を包む闇に、爪は的を外す。
その間に、するりと倉庫の箱と箱の間に入りこんだ小さな背中。追って、狼たちが入り込み――刻まれた、
眼に見えない細い糸で構築したトラップに狼は細切れとなる。
狼たちの眼前に、無数の蝶が現れた。それに気が逸れた瞬間、その体は冷たい眠りに誘われていた。二度と目覚めないそれに、セルジュは糸を纏いつかせ、切り裂いた。
「さあ、私たちのターンは此処から……反撃開始だっ!」
残り少ない敵に向け、ウェルは大鎌を振り抜いた。アウルが衝撃となって放たれる。
それを狼たちは避けた。だが、それだけだった。
狼たちの避けた先、凪が柄に手を触れた。そして、その瞬間には終わっていた。