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依頼期限まで残すところ後一日となった本日、夕刻の日差しが差し込む教室で彼らは待っていた。
「みんなお疲れ」
ガラリ、と教室の扉を開けたのはウェル・ウィアードテイル(
jb7094)だった。
その背後には依頼人の姿もある。
「これで全員揃いましたね。えー、では不肖ながら御剣が進行役として、会議を始めます」
コホン、と咳をして御剣 真一(
jb7195)が名乗りを上げた。
この依頼の本格は商品「恋の御守」の流通停止だ。
この商品を買うと行方不明になる、という噂。そこに証拠はなく、SEEDisも「関係性ナシ」の見解を崩さない。だが、人が消えているのは事実だ。
このことを、依頼人はSEEDisの裏には人身販売、もしくは天魔が関わっているのではないかと睨んでいる。
そのことを踏まえ、真一らはここ数日、ネット会社SEEDisについて調べていた。
「では早速、今在る情報を整理しましょう。まずは基本情報から」
真一に促されて、クロエ・キャラハン(
jb1839)は頷いた。
「まず、会社の事ね」
ネット会社SEEDisは三年前、橋本千種・現代表が立ちあげた新企業だ。女性をターゲティングした複数の商品を販売している。「恋の御守」は現在のメイン商品。
立ち上げ当初は事前の宣伝もあって早々に有名となるも、客が定着せず、売れ行きは芳しくなかった。
「恋の御守」の販売は約九か月前に新商品として販売開始。初期の売れ行きは良くなかったが、半年前から急激に売れ始める。
「恋の御守」が好調なせいか、以後に新商品は出していない。
「半年前から急に売れ始めた、という話だけれどその前後で変わったことが二つあるの」
指を二本立てて言ったのは暮居 凪(
ja0503)だ。
「一つには専属契約していたデザイナーが解雇されたこと、もう一つはその直前の移転」
以前のネット会社であるSEEDisは自社製品を大手の製造会社に頼んでいたらしいが、現在は直接製造場を持つようになったようだ。
製造会社に頼むことで大量に作り出すことは簡単だが、個人経営を始めてから時期も浅いSEEDisには過ぎたるものだった。間に業者を入れることで契約や確認など本来は必要ない作業が多くなる上、信頼関係も重要になってくるから下手な会社には卸せない。
となると、必然金額が嵩んでいき、早々の経営不振もあって自転車操業さえもままならなくなる。
橋本氏はそれを回避するため、直接製造場を持つことにした。
一方、そうなると事務所を製造場に近くした方がいいと事務所まで引越し、製造場を同じ敷地内に抱えることになった。
だが、そのことによって社員の一部と専属デザイナーが退職を願ったという。
「んー、もともと橋本氏とうまくいってなかったみたいなんだよね、そのデザイナーさん」
幽樂 來鬼(
ja7445)が椅子の背もたれに体重を預け、ギィと音を鳴らすよう揺らした。
昔会社の有った場所に聞き込みに行ったところ、橋本とデザイナーの関係があまり良くなかったということがわかった。何でも、ワンマンなところのある橋本はいつでも口を出してきて、デザイナーとはしょっちゅう口論していたようなのだ。
事務所が移転し、自宅からも遠くなったことを期にデザイナーはSEEDisを辞めたのだという。
「あんまり悪い人、っていう風にも思わないけどな……」
聞き込みで知った、橋本という人。
赤いスポーツカーを通勤に使用しているあたり、派手さはあるものの。早朝から夜中まで、毎日事務所に詰めているらしいことから勤勉であることは伺える。
ご近所付き合いをするタイプではないらしく、見かけることは少ないが製造所の従業員の多くは地元のパートおばちゃんたちだ。おしゃべりな彼女たちから見て、橋本はキャリアウーマンの鏡、と言ったような人らしい。
「それはどうでしょう。物事は何事も一面だけではないですからね……」
穏やかな笑顔を浮かべたまま、Serge・V・Dinoire(
jb6356)は言った。
「商いは利を求めすぎると身を滅ぼすと言いますからねェ。急な人気に足を踏み外す、というのは痛いほど気持ちはわかるがぁねェ」
煙管から口を離し、百目鬼 揺籠(
jb8361)はフッと息を吐いた。
「心が揺れるのはわかるが、だからと言って犯罪に手を汚していいわけじゃない」
九鬼 龍磨(
jb8028)は普段のおっとりとした雰囲気を捨て、眉を険しくさせて言った。
「煙は火のあるところに起つって言うのと同じだ。灰色は、白じゃない」
実際に被害が出ているのだから、どんなに否定したところでSEEDis側にもその正当性はないのだ。
そう「恋の御守」の購入者が購入から近日中に姿を消しているのは本当なのだ。
恋人と共に失踪、あるいは駆け落ち、行方不明。所々で恋人がなどいなかった、あるいは失踪届が親族から出されていないなど詳細は様々だが、起きていることはその一点に絞られている。
もちろん、購入者リストが手元にあるわけでもないので、全員とは言えない。
だが、身許を辿れた者たちは全員そうであったし、身許を辿れなかった者も多くがブログなどの更新が途切れるなどしていて、少なくともネット界からは姿を消しているようだった。
「それで商品の方はどう?」
真一はクロエに話を振ったが帰って来たのは否定だった。
「現在品薄状態でお届けには一週間かかる、って。フリーアドレスに連絡が来るようになってるけど……」
依頼期間後、しかもSEEDisがどうなっているかはわからないが、受取人には依頼人を指名、コンビニ受け取りにしているので問題はないだろう。
「明日の方は?」
「取材の申し込みは受理されてるわ。ホームページもあるし、不審とは思われなかったようね」
明日、凪はとある雑誌の記者としてSEEDisに向かい、橋本と面会する。そこには同じく記者のセルジュ、カメラマンの真一、雑誌モデルとしてクロエが同行する。
そのため、子供コスメ雑誌としてホームページを作っておいたのだ。時間が少なかったので簡単にはなってしまったが、新しく起業した出版社だとでも言えば誤魔化せる。
そうして橋本を引き付ける裏で來鬼たちはSEEDisに潜入する。
アルバイトなど求人募集をしていればその方が自然だったが、生憎そこまで都合よくいかない。
「じゃぁ、後は細かなことを詰めようか」
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「ああ、お話は伺っています。奥へどうぞ」
案外すんなり、事務所内に入りこめた凪たち。一番怪しまれると思ったクロエも説明すれば問題なく通された。
一応は学生身分である凪たちだが、もともとこういった現場での態度や度胸、経験は年齢以上だ。
「私は橋本の秘書をしております、岡田と申します。現在橋本は席を外しておりまして、少々お待ちください」
「ねぇ、岡田さん。橋本さんてどんな人?」
クロエは首をかしげて尋ねた。椅子に座った足は地面まで届かず、ぷらーんぷらーんと揺れている。
「それとね、御守ってどんな感じ? 誰が作ったの?」
矢継ぎ早に尋ねる様子は好奇心そのもの、といった風で子供らしい。
岡田はクロエの質問に目を丸くした後、凪たちに目をやった。
「私もぜひ聞きたいですね。これから会う人ですから、橋本さんの人となりは知っておきたい」
クロエに同意するよう、セルジュが言えば岡田は口を開いた。
「橋本は責任感があって頼りになる人ですよ。真面目で、融通が利かない所もありますが勤勉です」
セルジュが先読みを使いながら会話を進めてゆくのを聞いて、凪は眼鏡の奥で眼を細めた。中立判定で岡田のレートはゼロ、一般人だ。
岡田は橋本に対して好印象のようだが橋本が岡田の思うような人物であるかどうかはわからない。
「御守はこれです。もっとも、これは少し古い奴なのですが……」
「貰っていい?」
「ええ、どうぞ。後で隣の製造所も案内しますね」
その時、シャッター音が鳴った。
「あ、すみません。間違えて押してしまったみたいで……」
真一はすまなそうに顔を下げ、カメラを弄りはじめる。
実際にはそこに映されたものを確認するためだ。
(あれ、誰か映ってる……まぁ問題ないかな)
今、真一が撮ったのは岡田だったが、その後ろに女性がいた。淡い髪色のおかっぱ女性。ピントがずれていたため、顔は写っていない。
「遅れてしまいすみません」
真一が顔を上げた時、事前に写真で知っていた橋本がやって来た。
(ここからが本番だ)
セルジュが落ちた髪を耳に掛ける動作をする。合図だった。
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「――合図だ」
補聴器型のインカムに入った合図に、龍磨は言った。
それにウェルは頷いてその背に翼を出す。
SEEDisは二階建ての事務所と、一つの倉庫で成り立っている。大通りに面した門は右に二階建ての建物、左に一つの倉庫を抱えている。
彼らがいるのは右、事務所の裏手だ。
目的地である橋本の執務室には大きな窓があり、それは彼女らが今立つ場所から見上げることができた。
周囲に木々がないことが不安ではあるが駐車場に車が止まっていたのが幸いだった。
建物に触れた。指はまるで障害物を感じないかのよう、壁の中に埋まる。
「さぁ、行ってくるよ。少しの間だからきみ達も見つからないようにね」
二階の高さにまで上がったウェルはそう言うと、指先を壁に押し付けた。いや、それは壁を難とせず通過していた。
そのまま水に入るかのように、ズボッと壁の中――事務所二階、執務室へ入り込む。
(こんな侵入が出来るなら、私は賭博師よりもシーフの方が向いてたかもね)
廊下に通じる扉をそっと開け、人影がないことを軽く確認してから窓際に戻った。
鍵を開け、ロープを垂らす。
「これ、どこ探すのさ」
登って来た來鬼はぐっと口を曲げて言った。
執務室は綺麗だった。じゃっかん、綺麗すぎるほど。
「今はデータ管理が当たり前な社会ですからねェ……」
書類のまるでない机に、ポツンとあるパソコン。とりあえず、と龍磨はパソコンを開いた。今は時間もないのでメモリに移すだけでいいだろう。
「んー?」
來鬼は早々、机以外の場所へと目を向ける。
室内はソファ、観葉植物、ガラスの嵌った戸棚、カレンダー……。
「あ」
本日の予定、のところに二つの書き込みがあるのに気付いた。
一個は取材、とあり凪たちの事なのだろう。その上に、「棗」と言う一字がポツンと書かれている。
「ふむ……何かのメモのようだけれど」
呟きに、來鬼はウェルの方へ視線を向けた。
手元には机の上にあったメモ帳が、黒い斜線で塗りつぶされている。その中に白く浮き立つ文字――筆圧の関係で前のページの内容が残っているのだ。
「とりあえず写真に残しておきましょうかねェ」
揺籠はカメラでいくらか部屋の様子と共に撮影してゆく。
「――何か、いる……」
カサカサ、という微かな音に眉を潜め、ウェルは言うが早いか行動した。
開け放たれた廊下への扉。そこに、それはいた。
即座にウェルは後ろに退いた。その瞬間、蠍型天魔はその尾を動かした。
「これは決定的証拠と言っていいだろうな」
自らの手に剣を握り、構えながら龍磨は言った。
天魔、サーバントの数は見えるだけで六体ほど。体は小さいが、鋏は大きいし長い尾は見るからに危険だ。先ほど尾の触れた床は毒々しい色に染まっている。
「偶然というには、ね」
ウェルも龍磨に同意する。しかし、思うのはそれらが廊下にいたということ。
「違う場所にも出てるかもしんないな」
ウェルの懸念は來鬼が口にした。その手で、聖なる印をウェルに刻む。
「何にせよ、ここは狭い。移動してしまいましょう」
部屋の入口を封じられている状態で言う言葉ではないが、彼らには手段があった。
さっと、揺籠は來鬼と龍磨を捕まえて窓に身を乗り出した。その背には翼が現れている。
その行動に蠢きだしたサーバントを、ウェルが止めた。
「マンティスサイス――鋏と鎌、どちらが有利かわかりやすくないかい?」
弧を描くよう、大きな刃を敵群れに向けてからウェルも外へと身を投げた。
これから工場見学に行こうというその時、突如その場に入り込んだその小さな存在に凪は椅子を蹴り飛ばした。
蠍の形をした化物はそれをすり抜けた。透過能力だ。
「早く避難を!」
その言葉は橋本と岡田に向けられている。顔が蒼く動揺しているのは二人とも同じだ。
「でも、あなたは……」
「私は元撃退士です。これらの対処は心得ています」
「行きましょうっ」
真一が先行するように事務所を出た。その後を岡田、彼女に手を繋がれたクロエが飛び出す。そして橋本が、セルジュが出て行った。
その間にも蠍は凪の元へ集まってきていた。
「これでボロを出してくれればいいのだけど」
言いながら光纏した凪が武器に手を置いた瞬間、その攻撃は終わっていた。あっという間に、蠍は木端微塵となる。だが、全てではない。
「一体どこから……」
「危険ですから建物の中に入らないでっ!」
橋本が声を張り上げて、製造場から人を出していた。
ちょうどクロエたちが外に出て来たと同時に、製造場でも天魔の襲撃があったようだった。混乱し悲鳴の上がる人々を、橋本が主だって誘導する。
幼い少女であるクロエがこの場で冷静だと不自然なため、怖がるように岡田に身を寄せ、客人身分である真一とセルジュは橋本の指示に従っていた。
岡田は未だ、蒼い顔をしている。社長という立場とはいえ、この非常時で毅然としていられる橋本のほうが不思議なのだ。
「大丈夫よ、すぐに収まるわ。信じて、私たちは助かる」
熱心に、それこそ本当に信じているように橋本は言う。
「なぜ、そこまで言えると? 天魔という頂上の存在に人は無力でしょう」
セルジュは妖しく美しい笑みを浮かべ、橋本に疑問した。
「それは――きゃぁっ!」
橋本の悲鳴が上がった。その足に、蠍が尾を巻きつけ、毒を流し込む。
「な、なぜ? 私たちは、私たちには神がついているというの……」
ぽつりと漏らされたその言葉。あるいはそれは先ほどの疑問の答えだ。
セルジュは笑みを深めた。
ザシュッ!
音がして、橋本の足は解放された。
「大丈夫ですか」
「偶然近くを通りかかった撃退士です。一般人の方はこれで全員ですか?」
経った今来た、という龍磨に橋本は頷く。
「今、僕の仲間達が建物の中を確認に行っています! 皆さん、ここを離れないで!」
龍磨は蠍に向き直る。タウントで蠍の注目は龍磨に集まって続々、姿を現している
剣に力を込めると、それは銀の炎に包まれた。それを駆けだしながら、撃ち放つ。
「人は既に退避済みのようだね」
ウェルは倉庫内を見渡した。
いくつもの長机と広げられた布、ミシン。袋詰めにされた砂袋が二種類、それとリボンの大量に入った段ボール。それらはたった今まで誰かが弄っていたと思わせる態を成している。
生憎と今は蠍だけだ。
完成品のように見える御守セットをそっと失敬した揺籠は戦闘に挑んだ。