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夜の気配が駅を包み込んでいた。
電灯さえつくことのない街中で唯一、駅のみが非常灯に照らし出される様は不気味そのものと言えた。人気がない、ということが更に拍車をかける。
「連絡がないってことは、連絡入れる前に行動不能にされたか、連絡できない状況が続いてるってことだ」
地領院 恋(
ja8071)は駅舎を睨みつけながら、現状を口にした。
街の各地に散らばって戦闘をこなしていた恋たちが再び駅まで戻る頃には、北西守衛隊と西守衛隊からの定期連絡が途絶えて既に半日が経過していた。
「む、一撃でやられちゃったのかにゃ?」
「守衛隊の方々は総勢八人ですし、それは考えにくいですねぇ」
首を傾げた狗猫 魅依(
jb6919)に神雷(
jb6374)が否を唱えた。
実際、奇襲を掛けられたとして一撃で全滅したのでなければ誰かが連絡を入れるぐらいの隙はあるはずだ。
「広範囲の状態付与系……それならば……あるいは……」
ふと、Viena・S・Tola(
jb2720)は口を開いた。それに向坂 玲治(
ja6214)は頷き、思案する。
「罠か……」
たとえば踏み込んだ瞬間に、仕掛けが発動する。もしくは仕掛けられたそれに獲物が自ら踏み込んでゆく。そうして、碌な状況理解もできないまま体が動かなくなる。敵の思うまま、という奴だ。
(だが、その場合は相手に情報が洩れてなきゃ、待ち伏せなんて――)
「思った以上に……早い……」
ヴィエナが小さく呟きを漏らす。
そう言えば、以前にも地下ルートを使用して結界内から街人を安全に避難させたという。敵からしてみればしてやられた感があったろうが、今回はそれを逆手に取ったということか。
以前、敵から逃げおおせた道ほど安全の確定しているルートはなく、使わない手はない。
「卑怯な手、使いやがって!」
怒りに語気を荒くする幽樂 來鬼(
ja7445)の隣、鳳 覚羅(
ja0562)は武器を握り直した。
「守衛隊の奴らが心配だ、行こうぜ」
夜劔零(
jb5326)が声をかけて駅に踏み込んだ。
身は軽く、けれど警戒は最大限に八人は夜闇から光の方へ向かう。
非常灯に照らされるだけのホームに入り込んだ時、甲高い音が暗闇に響いた。
「何か、来る!」
音のやってきた方向を睨みつけながら覚羅が注意を喚起する。玲治を先頭にしてホームを歩んでいた一行は線路から離れるよう、壁側に移動した。それからほどなく見えたものに、來鬼は思わず声を出した。
「電車……?」
速度を落としながらホームに入ってくる鉄の箱は電車だ。けれど理性でわかる。それはありえない、と。
「こんなもん、嘘っぱちだ!」
夜も暗い田舎町に止まる電車などない。特に、閉鎖されている街になどやってくるわけがない。けれど來鬼の言葉など知らぬとばかり、電車の中に詰めこまれた人たちがホームへと降りてくる。
偽物か、本物か。來鬼に考え込む必要などなかった。
「皆様……暫し……お耐え下さい……」
ヴィエナがその背に翼を出現させると、羽ばたき始める。彼女が上昇するためのものではない、前後へと動かす翼は徐々に速度を増してゆき、その場の空気をかき混ぜる。
「ふんにゅ……っ!」
滑りやすいホームに足を突っ張らせながらやり過ごした魅依が見た時には既に線路上の電車もホームにいた人たちも消えていた。それと代わるようにいたのは、
「青野……っ!」
「やぁ、久しぶりと言っておこうか――撃退士?」
毒々しいほどの蛍光緑の巨大虫を横に、長身の男――青野は顔の前に交差していた両腕を解くと激昂する來鬼たちへと親しげな笑みを浮かべたのだった。
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「成程、人命優先の撃退士にはうってつけの幻覚、ってわけか」
青野を睨みつける零の視線に、青野はただ肩を竦めるだけだった。その動作が余計に腹立たしい。
「……っあそこに!」
空気が入れ替えられ、幻惑の解かれたホームに神雷は目を瞠った。
ホームの壁が白く汚れていた。ベッタリと張り付く白いソレと壁の間に、僅かだが何かが挟まっているように見える。大きさと形から、それが人だとわかる。
神雷の指摘に、來鬼は壁を見るともう一度、サーバントを見た。巨大な虫型のそれは芋虫ワームと呼ぶに相応しく、またくちゃくちゃと動かされ続ける口元に白いものが見えている。
「糸――。幻覚をかける間に拘束する、って作戦だな?」
白いものの正体を言い当てた玲治に、だが青野は笑みを深めるだけだった。
「それが分かったところでどうということはない!」
青野は欠けたはずの腕に携えた鞭を振るおうとし、
「――っなぜ、」
「チマチマやったんじゃ、あんたには適わねェ。こっちは最初っから全力なんだよっ!」
急に動きの止まった青野に、恋は踏み込んだ。シールゾーンの効果範囲内、から更に踏み込む。
ヴィエナが幻惑を破った際に無ノ咆哮の衝撃を浴びせたのだ。距離が届いていたかどうか、一か八かな部分もあったがこれで先手は取った。
(いけるっ!)
「あの時と同じかぁああ!!」
青野は以前、恋のシールゾーンの効果を受けて攻撃が強制中止された。その結果、追いつめられて利き手を焼き失うこととなった。その時を思い出したのか、激情のまま吼え新しい腕に握る鞭を振るいあげた。
「く……っ!」
鞭がしなりをきかせながら襲い掛かってくるのに、恋は後退を余儀なくされた。回避に専念する恋を猛追する青野の鞭を、槍が絡め取った。
「よう、こっちも相手してくれねぇか。青野さんよ」
にやりと笑いながら思い切り腕を退く。
「このまま綱引きといこうぜ」
玲治の握る槍と青野の握る鞭の引っ張り合いはそう長い時間均衡を保たれなかった。壊したのは零だった。密かに死角から接近した零が腕を突き出す。
「黄泉に誘いし我が粉塵よ! その身固まり全てを封じん!」
零の声に呼応し、立ち昇る粉塵に包まれ身動きが取れなくなる青野。鞭を握る腕だけが粉塵の檻から覗いている。新緑色の、植物の腕だ。
「あんたは譲れないもののために戦った。あたしはそのことを忘れない。だから、その誇りを抱いたまま、消えろ!」
恋は所持していたウォッカを青野の腕に投げつけた。同時に、オイルライターに火をつけ、投げ込む。
「―――ぁああああああっ!!!」
地獄を覗いたかのような、絶叫が上がった。
「おいおい、お前の嫌いな天使様がわざわざ作ってくれた腕だろう……?」
零は揶揄を込めながら言った。
植物の腕が燃やされたあの瞬間、体に燃え移るのを防ぐために青野は自らの腕を千切ったのだ。
「……ハッ! 大嫌いな天使様にもらった腕だから、だよっ!」
痛覚はあったはずだ、と零は眉を寄せた。
青野は明らかに憔悴している。粉塵の壁から抜け出すのにも尋常でなく力を使ったはずなのだ。立っていることさえ、もはや青野には難しいはず。だが、
「――温情は、掛けねぇぜ」
敵と戦うのに、その理由や背景など関係ない。
零は瞬きすると、憎悪に染める銀の瞳で青野を睨み据えた。
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「幻惑の能力か……。いまいち判明しないな、下手に近づかない方が得策かな……」
ワームの口から断続的に放たれた糸切り払いながら覚羅は口にした。その背後で、ガトリングを構えた神雷が掃射に入る。
ワームはかなり大きく、駅舎の中では自由に動くとはいかないようだった。攻撃を糸で迎撃しているが、ほぼ通っていると言っていい。ただ、油断はできなかった。いつまた、幻惑に囚われると限らない。
接近戦を避けねばならない故に、攻めあぐねているのもまた事実だ。
その時、絶叫が聞こえた。青野と戦闘している恋と玲治の方だ、何か進展があったのだろう。それと同時、ワームの気が逸れた。それは確かな好機だった。
魅依がアブラメリンの書から生み出した幾本もの槍を一斉にワームへと放った。ワームの口から吐き出される糸が槍を撃ち落してゆく。
「そこ、だぁっ!」
槍の雨の作った多くの死角の中を縫い接近した來鬼が村雨で斬りつける。軽い感触とともに内部の柔らかな肉の感触が刃に伝わる。
痛みに体を來鬼とは反対側へと捩らせたワームの目に映ったのは蒼色の風だった。
巨大な赤目を真っ二つに割られ、甲高い声を出して喚くワームは盛大に身を動かす。無茶苦茶な動きではあるが、その巨体にぶつかられてはかなわないとヴィエナと來鬼は再び距離を取った。
「……なんだ?」
急に動きを止めたワーム。その背が、パリパリと割れてゆくと低い振動音とともに現れたのは毒々しい色合いをした翅だった。
脈の浮き出る薄い羽根に続き、身が殻から姿を現す。
「……これは……鱗粉……?」
人よりも感覚の優れているヴィエナが初めに気付いた。
翅に纏わりついている、鱗粉。それは幻惑の効果のあるそれだった。
「色々出て来ますねぇ……わしはさっさと本丸と戦いんですよねぇ」
虫の次は蝶か、と神雷は溜息をつく。
はぐれとはいえ、神雷は悪魔だ。本心を言えば、早く天使と戦いたいのだが、敵方は手を変え品を変え、と対応しそろそろまだるっこしい。
「炎焼」
顔を上げたその手もとに、槍が現れる。物質的な槍ではなく、炎を槍の形状にして留めたものだ。燃え盛る槍の熱が空気を暖めるよりも早く、神雷はワームの羽へと投げつけた。
またもワームは――いや、蝶は甲高い鳴き声を出した。
右側の羽が鱗粉ごと焼失したことで崩したバランスを、糸でどうにかしようとホームに吐きつける。
体を固定しようという方策が見え梳き、覚羅はカーマインの鋼糸をもう一方の羽に絡ませた。
「もう飛ばさせにゃいんだっ!」
壁の柱を伝って、飛ぶ蝶の巨体に飛び降りた魅依。その体を取り巻くように三日月形の刃が無数に出現している。魅依が蝶の体に着地するのに応じて、刃がその体を、翅を、斬り付けてゆく。
もはやバランスを取るどころの話でなく、両翅を失った蝶型サーバントはズンッ、と重い音と共にその巨体を地に落とした。
「なん、で……植物じゃないん、じゃっ!」
月の光に血色が反射する大鎌を來鬼は振りかぶった。淡青色の炎が刃から出現し、ワームを滅多斬りにした。
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ワームを倒したことで全員がフリーとなったことを見て、青野は溜息を一つ吐き出した。
皆、十全とは言えなくとも戦いに響く様な傷はないと見える様子に、笑いが込み上げる。
「――虫は植物を食すものだ。しかし、時に植物は虫を食うと、君らは知っているかい?」
笑いを押しつぶして、青野は紡いだ。
青野にとって、ワームは相性が良くない。ワームの幻惑範囲に入らないよう、注意しなければならないし一方で青野は自分の攻撃を当てないように手加減しなければならない。そもそも、青野は戦闘タイプではないし正面からの激突もスタイルには合わない。
つまり、
「使徒を、なめるんじゃないよ人間どもぉおおお!!」
シュトラッサー青野健の本領発揮は、これからだということだ。
叫ぶと同時、青野が両手を勢いよく地面につける。突然の行動に警戒を強めるよりも早く、それは起こった。
「……っ!!」
地震。
(いや、そんなはずない。これは――)
「屋根が……っ」
神雷の声に、視線を跳ね上げる。そこにあったのは植物の蔦。
「――な、」
何故、とは口に出なかった。無ノ咆哮の効果時間はそう、とっくに過ぎている。
ハッとして正面に向け直した視線の先、地面から伸びあがる植物と植物の間に笑みが見えて、恋は歯を食いしばった。
抜かった。油断したつもりはなかったが、甘かった。
青野足元から地面に向かって放たれていたスキルは目に見えずとも、駅舎を軋ませ、ゆっくりと――けれど確実に覆い囲っていた。
張り巡らされた包囲網の中、徐々に増えてゆく植物に向かって無茶苦茶に槌を振るい、取り払う。植物の奥、泰然と笑みを浮かべる青野まで、あとどれほどの距離か。
「くそぉおおおおお!!」
目前の植物を退かすのに、あるいは気絶したままの守衛隊を護る為に動く者たちの中、一人、猛然と青野へ走る者がいた。
襲い掛かってくる植物を恐れもせず、歩みを躊躇うこともなく、前へ前へと突き進む。モーションなどはないに等しく、植物の壁の間に微か服の切れ端が見えるのみの姿をけてどヒタと見据え、振りかぶる。
「青野ぉおおおおお!!!」
まるで殴りつけるかのように放った零の攻撃はその衝突地点から炎を生み、青野を火達磨にして吹き飛ばした。
「これで救助対象は全員か?」
意識を失っている守衛隊の面々から糸を剥ぎ取りながら玲治が言った。
戦闘中に一回も意識を取り戻さなかった彼らはよほど深い眠りについているようだが、これも幻惑の作用かも知れない。
「……早く……目を覚まされると良いのですが……」
結果的に、青野を誘き出すための餌の役割を果たすこととなった守衛隊たちに罪悪感を抱きながら、ヴィエナは目を伏せた。
動くことのなくなった植物を退かし、恋は青野へと歩み寄った。
「……なんて、顔してやがる」
劫火の炎は未だ消えることなく、けれど動くこともないその青年の姿に背を向けた。
人の悪であり、又悪役たろうとした青野健。その死顔は何とも、――満足そのもので。グッと拳を握りしめる。
來鬼は青野を一瞥するが、すぐさま聞こえた言葉に視線を動かした。
「……残りは、あの怠け野郎を消すだけだ」
忌々しげに呟いて空を見上げる零。
そこにあるのは闇色に染まる夜においてもその存在感を失わない、輝くゲート。不気味で不吉なその扉の内にはどんな世界が広がっているのだろうか。きっと、主人に似てくそみたいな世界に違いない
「――潰してやる」
來鬼は低く、短く、胸中を吐露して歩み始めた。
東の空が白く、明らみ始めている。
対策本部から伝えられている次の作戦はゲート内部の調査。念入りな準備を必要とするだろう。再び太陽が顔を隠す時間まで、撃退士たちに暫しの休息が訪れたのだった。