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「わかったよ、ありがとうね☆」
終話ボタンを押してジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)は携帯を閉まった。そうして反転すると視線を向けている仲間たちにヘラリ、と笑みを零した。
「向こうは問題なし、何も起こってないってさ☆」
錦はホッと安堵の息をついた。それだけで心底彼が心配していたのだと伝わってくる。
AOIの襲撃から、三日が経っていた。
河原での襲撃の後、慈からの申し出があった通り、錦には護衛がついた。
AOIは自らの過去に関与する人物として錦に殺意を向けている。襲撃予告までしている以上、近いうちに錦がAOIに襲われるのは既に決まった様なものだ。
一方、同じく芙蓉のメンバーである慈・樒の二人は未だAOIに認識されていない。錦と一緒にしては被害が及ぶかもしれないと、学園の監視下に入った。
「でもなんで街中なんだ?」
既に空となった紙コップを弄りながら錦が尋ねて来た。
「錦ちゃん、木の葉を隠すなら森の中って言葉知ってる?」
ジェンティアン・砂原(
jb7192)は苦笑しながら尋ねた。
昨日も一緒に行動を共にしたので、錦についての理解を深めたジェンティアンは次の言葉は予測できていた。
「知らない」
案の定、錦は素直に答えた。錦は相当に馬鹿である。
それも学がないのと同じに、頭があまり働かない。直感で動くような性格だ。
自身の知識のなさを躊躇うことなく晒す錦にジェンティアンは頭が痛くなるような思いだった。
「襲撃を想定した場合、人混みに紛れることは定石ということです」
イリン・フーダット(
jb2959)は至極簡潔に言ってのけた。そのことに解ったような、解らないような頷きを返す錦。
「もし貴様を狙おうとしても、遠距離では狙いが定まらず、AOIは必然的に近寄らなければならない。そして近寄れば俺たちに見つかる」
黒羽 拓海(
jb7256)は周囲に視線を走らせながらそう告げた。
いつも以上に表情が硬いのは分厚い制服の下に未だ癒えない傷を抱えているからだ。常から表情を大幅に変えるような性格ではないため、よほど観察しなければわからないほどの些細な違いだ。
「ボクらが隠れないでいれば、AOIも護衛してるよってわかるからね……」
ソーニャ(
jb2649)は両手で支えた紙コップにフー、と息を吹きかけた。
「――もう、近くに来てるのか?」
先ほどまでとは一転、表情を硬くさせて錦は呟くように口に出した。
指先に力が入り、コップが潰れた。その様子を織宮 歌乃(
jb5789)は痛ましげに見た。
錦が思うのは、消えきれない恋人への想いか。身の裡を震わす恐怖が故か。
(せめて、……過去の願いと魂をこれ以上、穢させはしません)
真に憎むべきは、歌姫の歌声を利用した悪魔。
まるで祈る様に合わせた両の手で、葵と錦、そして己の心へと誓う。
「……錦、お前の哀しみ……俺が終わらせてやる」
ガッシ、と肩を掴んで真摯な瞳を向ける命図 泣留男(
jb4611)に錦はえぇ?と若干間の抜けた声を上げた。
先ほどまでのシリアスな雰囲気がなぜだかぶち壊れる、メンナクの神秘。
「暗くなっても仕方ありませんし、休憩も終わりにしましょう」
髪を掻きあげながらロジー・ビィ(
jb6232)が声をかけ、オープンカフェの席を立つ。
昨日は来なかった。けれど、今日は――
ぞろぞろと店を出る皆の最後尾、九十九(
ja1149)はチラリ、と背後を振り返った。
●
翼に負った傷は未だ痛みが残っている。しかし羽を仕舞い込めるまでに至ったAOIは街へと出向いていた。
雑踏の中、標的は護衛らしき撃退士たちとともに歩いている。
AOIは歯ぎしりした。その間にも視界の中には行き交う人々が標的の姿を一時隠してゆく。こんなところで見失うわけにはいかない、と小走りにAOIは標的の姿を追った。
「来てるさね」
小さく、九十九は呟いた。
それに気付いた拓海は錦を守るよう、警戒したまま身を寄せる。ジェンティアンは目立たないよう光纏する。
「ここで仕掛けてくるつもりか?」
強い殺気が放たれるのに、メンナクがそう口にした。
「俺……」
「錦ちゃん? 心配しないで、皆君を守る――」
様子のおかしい錦にジェンティアンが励ますような言葉をかけるが、それを最後まで聞かずに錦は走り出した。
「ちょ……っ」
「俺、良い場所知ってるっ」
そう言って錦は路地の間に入り込む。予想外の行動に唖然とするも、ハッとしてジェンティアンは追いかけた。
「で、どういうつもりなんだい……?」
ジェンティアンは錦を背後に問いかけた。
ジリ、と砂利音が立ちながら半歩下がる。「えっと……ここなら、警戒するのは前だけで済むだろ」
こないだのおっきいのは入れないし。
そう、言った錦に溜息つきたくなった。
「敵があの達磨よりも小さい者を連れている可能性も十分にある。それに、これでは俺たちも戦いにくい」
もっと下がれ、と指示を出しながら拓海が錦に指摘する。
錦の隣にいた九十九が弓の先を変えないまま錦を背後に庇う。
「三日も遅れちゃったわね」
街の活気を背に、その小柄な人影は歩を進めてきた。
その影が膨れた。体の両横に突き出す、――翼。
「でも、」
口が弧の形を描く。それはすぐさま強気な笑顔へと変わった。
少女の姿を借りる化物。その上空に三体のディアボロが羽ばたきと共に控えていた。
「約束は守る主義なの」
ヴァニタスAOIは殺気に満ち満ちていた。
「一度約束を破ったって、聞いてるけどねぇ?」
首を傾げたジェラルドに、AOIは酷薄と笑みを浮かべた。
「出来るだけ、よっ」
その言葉尻が上がると共に、ジェラルドはワイヤーを放った。
その手に握られるマイクに向かってゆく糸を振り払うよう、AOIは言葉を発する――。
「注意力散漫ですわね」
ハッとして、AOIは空を見上げた。迫りくる黒い衝撃波にAOIは攻撃よりも逃げを打った。後転するようにして回避するも、前回に比べその動きは遅い。
ロジーの封砲はAOIの翼とマイクを掠って地面に深く後を刻み込んだ。
「く――っ!」
その影響波によって空中で錐揉み状態になるも、AOIは壁と翼を上手く使って体勢を立て直す。壁に足を着き、蹴り出すように身を前進させながらAOIはマイクに言葉を吹き込んだ。
「震えろ震えろ震えろっ! あたしの前に跪けぇえ!」
亀裂の入りこんだマイクはAOIの感情に呼応するように威力を増してゆく。
真上から二撃目を放とうとしたロジーに向かって不可視の斬撃が幾つも飛ぶ。腕を前面で交差させ、防御の体勢を取ったロジーは軌道から外れようと翼だけで後退する。
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路地に向けて封砲を放ったロジーに向け、AOIからの迎撃が飛ぶ。
後退したロジーに、直線的攻撃でしかない斬撃は空へと消えて行った。そこを、一体の鳥が鳴き声をあげて突撃してゆく。
イリンは目を細め、ラジエルの書からカードを取り出した。
(敵が攻勢に出た今こそ、好機)
先ほどまで、鳥たちは三体とも一つ所に留まっていた。
標的である錦は細い路地に降り、真上からはさぞかし攻撃しやすいだろうにそれをせずにイリンたちと対峙していた。
それはなぜか。――路地の死角にいるためだ。
両脇が固められている路地は真上以外の上空が見えない。敵は路地の真上を避ければ下から狙われることはない。あくまで、ディアボロの目的は錦ではなく、上空組だということ。
(ならば、真上に移動させてしまえばいい)
カードを操り、ロジーへと突撃する進路を阻むと、その標的がイリンへと変わったのが分かった。
凝視する視線に、イリンは路地の真上へと、徐々に移動してゆく。
切り取られる視界に、九十九は舌打ちを堪えた。
だが、そこにイリンの姿が見えた。そして、追ってくる敵の姿も。
(せっかく廻って来たチャンスを逃すわけにはいかないさね)
心を整え、神経を研ぎ澄ます。けれど慎重になりすぎない程度に弓を構え、――射た。
空気を裂いて飛ぶ矢が、その胴に撃ち刺さった。
「なるほど……」
小さく呟き、ソーニャは頷いた。
イリンが路地上へと移動し、誘き寄せられる鳥を見て納得。
ソーニャは自慢の羽で残りの二体をかく乱するよう、あちこちに飛びながら路地上へと近づいて行った。
「さぁ、セッションだよ」
路地上空、二体が挟み込む様になってくるのを待ち、ギターに手をかけた。
今日のソーニャはAOIに合わせて、フリルワンピースにギターを背負っている。
指が、音を打ち鳴らす。衝撃が空に奔る。
「緋獅子――椿姫風」
フッと呼吸を小さくもらした歌乃は刀を振り抜いた。
一閃。その気流に乗るかのように無数の深紅の花びらが舞い、鳥二体へと収束してゆく。鳥の体に花弁はくっつき、動きを制限してゆく。
次第に、翼を上下させることもできず、鳥は地面に激突した。その上に折り重なるように、もう一体の鳥も墜落する。
そこへ刃が差し込まれた。始終、錦の護衛として張り付いていた拓海が止めを刺したのだ。
「さて、これで余計なものは片付けましたよ……」
歌乃は赤い刃を翻し、AOIへと向き直った。
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一方、ロジーへと攻撃する際、空に乗り出したAOIへは網が投げつけられていた。
本来、只の物質である網が何ら拘束力を持つわけがない。だが、不意打ちにはもってこいだった。
「……うっとおしいっ!」
空中で体勢を崩したAOIがその強力で網を破り、再び翼で体勢を立て直す。が、
「さあ、哀れな小夜啼鳥……これでおしまいだ!」
審判の鎖による拘束。AOIはまともに翼を動かせず、地に落ちた。
そこをすかさずジェラルドが弾き飛ばす。
的確な一撃は軽いAOIの体を吹き飛ばし、壁にめり込む。
「狙ったオンナノコは……逃がさないよ……☆」
身体が痺れるのか、すぐには起き上がらないAOI。両手で、どうにか立とうと苦心するも、その努力は身にならない。
持ってきたボイスレコーダーを起動させた。
「これ、君の友人だった人たちからの言葉だよ。思うところ、ない?」
「ないわよ。そんな言葉、……煩いだけよ」
俯き、放たれた言葉は冷たく鋭かった。
これ以上、どうしようかとジェラルドは内心で思った。
決して、響いていないわけではない。心に過るものがあるからこそ、AOIは錦に執着する。だが、これほどまで頑なだと人の側に来るよう説得するのは難しい。
ずっと後方で、錦が顔を伏せたのがわかったが、慰めるのはすべてが終わった後だ。
巨鳥が三体とも撃破されたことを横目で見たジェンティアンは前に出た。AOIを対象にシールゾーンを発動する。
「何か言いたいこと、ある?」
AOIは答えなかった。いや、答えるよりもジェンティアンが言葉を繋げた。
「今更ないよね、約束破ったのそっちだもん。歌えなくなっても仕方ないよね?」
銃口を突き付け、ジェンティアンは微笑した。
不意に、AOIは俯いていた顔を上げた。
「――っ!」
その額にある瞳がジェンティアンを映すのに一瞬、身構えた。
それは、隙だ。
AOIは地面へと突き刺していた指を抉るように動かした。コンクリート地面の一片が剥がされ、ジェンティアンに投げつけられる。
回避するように後退しながらジェンティアンは銃弾を打ち放った。ジェラルドも糸を操る。だが、AOIは放たれる糸を掻い潜り、弾を避け、前に踏み込む。
「あたしは歌手だ! 翼がなく、マイクがなくとも観客が一人でもいれば歌えるっ」
自身の身体こそが武器だと、特攻するAOIの拳と歌乃の刃が交差した。
「言った筈です、貴女の歌は認めないと」
刀越しにAOIを見つめ、歌乃はアウルを刀に集中させた。真紅の花びらが周囲に渦巻く。
その間にも銃弾がAOIの翼を撃ち抜き、苦悶の表情を浮かべるAOI。歌乃の攻撃の気配が高まるのを感じ、後方へと跳び退る。
ボロボロの羽ではまともに機能せず、まるで跳躍のような飛び方だった。だが、正面からの攻撃を交すだけならばそれだけでも十分だった。
赤い花の渦が抜けた所へ、再びAOIは接近する。
「往生際が悪くてよ……っ!」
ロジーは上空から急下降し、大剣を重みに任せて振るった。
「っぁああああ―――!!」
大剣に、翼は潰れていた。
けれど、AOIは止まらない。背から、翼がもげても前に進む。目指すは、一人。
「……AOI、お前はどうしてそこまで……」
驚きに、上空にいたメンナクは言葉をもらす。
同時に、横でソーニャが笑みを零した。
「君の歌は素敵だ。命はあまりに短いけれど、最高に輝いている……」
あまりの執着、固執。盲目なまでの強い意志に突き動かされてAOIは動く。
「震えろ!!!」
言葉が、伝播する。
直線状にいた錦と拓海に向かって、空気が尖った。
あまりにも異常なAOIに気圧されていた皆の中、ジェラルドがその気配に気づいた。
「……させるわけにはいかないんだよねぇ……」
ワイヤーでAOIを拘束し、後方に勢いよく引きずり倒した。
「AOI――悪魔に魂を売って、それでお前の望む歌は歌えたのか?」
拓海の質問に、AOIは虚を突かれたような表情をして、一気に破顔した。
「悪魔はあたしの歌を好きだと言った。だからあたしは歌う」
AOIにとっての観客は、悪魔なのだ。
そして観客がいるからこそ歌手は歌手たり得る。
「――あたしはね、あの悪魔に詩を捧げたいの」
背中から、途切れることなく血を流しながら、全身ボロボロになりながら、AOIは胸を張って言った。
「あなたがそこまで忠誠を誓う悪魔とは……」
「ふふ。教えてあげないわ」
名を尋ねた歌乃に、AOIは得意気な笑みを浮かべた。秘密の話をする、子供のような、純粋で甘やかな、彼女本来の笑顔だった。
「同じ歌い手として、私がこの手で――……」
歌乃は哀しみを覚えながら、刃を振り下ろした。
「AOI……」
ロジーは目を伏せた。
AOIは悲しい存在だと思った。そして、その哀しさが故に悲劇を生み出す。
それを失くそうとするのは単なるエゴだ。
人を害する存在だと命を積むのは、本当に良いことなのか。今を生きていることには変わりないというのに。
(それでも私は……エゴでも通して見せますわ)
貫けば、それは正義になると信じているから。今ここで立ち止まれば、犠牲になった者たちの意味が失われてしまうから。
ロジーはそっと赤に染まる少女へ、白薔薇を捧げた。
九十九は黙祷を捧げた。
その小さな体の中に、あれだけのエネルギーを持っていたことに感服した。
そして歌への執着、錦への憎悪、そして悪魔への忠誠心。いくつもの感情が大きな渦となってその身に取り巻いていたのだ。
AOIの死に、同情と敬意を強く抱き、九十九は遺体へと手をかけた。
「勘弁さね」
撃退士には天魔の死骸を回収する義務がある。
もう少しだけ、安らかには逝かせられないのだ。