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「止まれ!」
警備員が鋭く注意を呼びかけた。
「ここから先は関係者以外立ち入り禁止だ」
「ライトを修理しに来ただけだ」
端的に目的を告げる人物に警備員は眉をしかめた。
「修理? 故障したなんてきいてないぞ」
「俺だって物を見ていないから、なんとも言えないがな。壊れたから修理屋が呼ばれたんだろう。……時間がないと聞いている」
警備員は納得していなかったが、付け足された言葉に、しかたがないと道を譲った。
「すまんな、こっちも仕事なんだ」
作業員はそう言って、警備員の横を通って通路の先に向かった。
暫くして命図 泣留男(
jb4611)はポケットから携帯を取り出した。潜入成功、次の作戦に移る。と短く記して送信ボタンを押す。
「――あんなことがあったのに、のうのう戻ってくるとは……」
AOIの前回ライブ、天魔が登場し中断が余儀なくされた。人々は逃げ惑い、現場にいたメンナクたち撃退士は天魔と戦闘を繰り広げた。
結果、人的被害はなく、AOIは活動停止した。だが、ここに至ってAOIは活動を再開、本日復活ライブを行う。
(ケイオスあふれるこのストリートにはモンスターがいやがるぜ)
厚顔無恥、とはこのことだ。自身がヴァニタスであると特定されたとも知らず、撃退士が包囲しているとも知らず。だが、これは好機でもある。
「ストリートに響くブルー・ディスティニーは、悪の気配を逃がしはしないのさ!」
颯爽と通路を歩きだしたメンナクはしかし、悪態ついた。
「しかし、……この伊達ワルには、あまりに地味すぎるぜ……!」
「説明は以上だ」
AOIが天魔関係者疑いから確定し、依頼メンバーも前回と同じ者が多い。新規者にしても利峰より、現場を知る仲間から聞いた方が早い。改めて説明する必要性は限りなく低い。
簡易説明を終え、早々退出しようとする利峰に黒羽 拓海(
jb7256)は制止を呼びかけた。
「潜入は観客以外でも可能か?」
拓海の質問に、意図がわからず利峰は答えを躊躇った。
「会場には多くのスタッフがいるだろう。その中に紛れたい」
今回の会場となる、野外ステージの警備配置図を指さしながら拓海は言った。利峰は一度頷くと、浮かせかけた腰を再び椅子に落ち着けた。
「服なら入手できる。現場ではそちらで誤魔化してくれるならば、スタッフ潜入は可能だと言っておこう」
利峰の言葉に頷いたのは拓海だけではなかった。
「ナイスな考えだ。俺もやらせてもらうぜ」
メンナクはスタッフ潜入に同意すると、作業員として事前に舞台裏に潜むことを提案した。
「……ふむ。では、警備員と作業員の制服を一着ずつ調達するとしよう」
「警備員ならば、私も混ぜて下さる?」
声を上げたのはロジー・ビィ(
jb6232)だった。
AOIと接触しやすいのは位置的に警備員になる。以前、ロジーはAOIの逃走手段に目を付けていたというのに逃がしてしまった。そのことが歯がゆくてたまらなかったのだ。苦い思いを噛みしめた今、油断はしたくない。
確認を取った後の利峰の行動は素早かった。
それぞれ、メンナクと拓海以外の者たちがどこに配置するかという話し合いを決める頃合いには制服が届き、――現在、ライブ開始五分前。各自が持ち場についていた。
「オールクリア」
直立不動で会場席外縁部の壁際を添うように展開された警戒網で、警備員の一人に成りすました拓海は無線機に告げた。
拓海がいるのはステージ右端。警備配置の中では一番ステージに近い位置でもある。警備員同士は視認できる距離にいないので、万一拓海が警備員として不自然な行動を取っていても見咎められることはないが、怪しまれないために無線に応じたのだ。
実際には、携帯でメンナク――撃退士の仲間から連絡を取り合っている。
「AOIがスタンバイし始めた、注意」
舞台袖、観客席からは見えないAOIの姿を後ろ目で確認し、携帯に打ち込む。
ステージ天井部、吊り下げのライトの故障修理をしにやって来た作業員は既に帰還している、ということになっている。
実際には吊り下げライトの隙間に隠れ込み、上空からステージを見下ろしているはずだ。
一度、AOIが現場入りしたのを確認したロジーは車を破壊したと連絡が入っている。今は拓海と反対側、同じくステージ近くにて警備員に扮しているはずだ。
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観客席の最前列、開幕を待ちイリン・フーダット(
jb2959)は座っていた。
誘拐事件はAOI一人ですべてを行うには事件が大きすぎる。誰かしらの協力があるはずだ。そしてその最有力候補は舞台裏で自由に動けるスタッフたちだ。
故に、イリンはスタッフの動きに注意し、不審なスタッフを冥魔認識で確認していたが一向に成果は出ない。
ライブが天魔に襲われた際にスタッフたちは一緒に襲われていたというが、偽装やAOI側が一方的に協力者を切り捨てた可能性がある。AOIの能力がスタッフを協力者に仕立て上げた可能性さえあるのだ。
(白であるという証明は黒であるという証明よりもよほど難しいものです)
しかし、それもここまでのようだ。照明が色を変えるのをみて、イリンは前を見据えた。
ざわざわとした会場雰囲気が、一瞬で静まった。その視線が集まるところ、ステージ上には一人の少女が立っていた。
「もしかして、あれ……かな?」
観客席、中央部にて並木坂・マオ(
ja0317)は首を傾げた。身を乗り出すようにステージ上を見た。
紫色のワンピースを着た少女だ。ツインテールに右目を眼帯している。ずいぶんと大きな眼帯のせいで、顔が三分の一ほども隠れている。頭の両横に拳大の丸があるが、あれは羊の角っぽい。そんな、一見して普通の女の子が、なぜ天魔と繋がっているのか。
「――うん、やっぱり一度話してみないと」
(AOIさんは何をしたいんだろう?)
前回のライブは失敗した。もう一度失敗したやりかたを選ぶなんてマヌケだ。それを考えると、撃退士を誘っているんじゃないかって思う。考えるのは苦手で、考えるだけこんがらがる。だけど、わかることもある。
(悲しい気持ち)
綺麗な歌だが、悲しい気持ちが伝わってくる。そんなの、マオは嫌だった。皆で笑うのが好きだ。だから、直接聞くのが早い。
「行動あるのみ、だね!」
その時、合図があった。行動、開始だ。
「あ……」
海野 三恵(
jb5491)は飛来してきた黒い影に、小さく声をもらした。
ステージと壁際に設置されたライトがキラキラと周囲を照らしている。それを、樹上でぼんやりと見つめていた三恵の視界に四体の異形。
携帯を取り出して、皆に連絡すると翼を出す。
「いかなきゃ、です」
皆に加勢するため、三恵はステージのほうへと向かって飛んで行った。
携帯が震えた。
それを合図に織宮 歌乃(
jb5789)は観客席から立ち上がりステージへと上った。
AOIはちょうど、歌の振付で観客に背を向けていた。AOIがその異常に気付き、足を止めた。いや、彼女が足を止めたのは動けなくなったからだ。
「悪いが、ヴィシャスなライヴは緊急中止ってやつだぜ!」
天井から降り立ったメンナクは審判の鎖でAOIを拘束していた。
退路を塞ぐよう、警備員扮するロジーが構える。歌乃もまた、AOIを挟み込むような位置に立ち、光纏した。
「仮面と仮名の歌姫様、今度こそは、お名前と御顔、拝見させて頂きますよ」
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歌乃が出ると同時、稲葉 奈津(
jb5860)もまた最前列から立ち上がった。しかし、奈津はステージではなく、観客へと振り返った。
これは一体どういうことなのかと、ざわめく観客に、奈津は声を張り上げた。
「ライブは中止よ! ここに、天魔がやってくるっ」
その一声は、危機感を煽るには十分だった。
「誘導します、落ち着いて。撃退士が対応しますので、速やかに避難を!」
警備員扮する拓海が率先して、誘導の声を上げた。他の警備員も遅れて声を出し始める。
奈津は一般人の誘導を警備員に任せることにして、襲ってくる天魔の警戒に、光纏した。
ジェンティアン・砂原(
jb7192)は観客席の外縁部、壁際に座っていた。ジェンティアンが光の輝きを発動させた。一気に光が充満する。薄暗くなった屋外に、それは十分に目立った。困惑した後に、一気に避難へと向いた人々の意識はジェンティアンのいる場所へと集中した。
「避難経路はこっちだよ」
出口はこっちだ、と示すことで方向性を得た人々は誘導に従って動き出す。
ジェンティアンはそうして、一般人の誘導を横に、天魔の警戒をした。
「ようこそ、とは言いたくないね。招かれざるお客さん」
天魔は観客席に飛来した。一体は、ジェンティアン側――避難する人々の背へと向かってきた。眼鏡の中の瞳を眇めて、ジェンティアンは銃を構えた。
「攻撃は最大の防御、ってね」
飛んでくるディアボロの翼に、銃声を浴びせる。突っ込んできていた敵は、翼を打ち抜かれて、ゴロゴロと後ろへと転がって開いた観客席に沈んだ。
「今のうちに、早く!」
鋭く、ジェンティアンが叫んだ。視線は、未だ転がっている敵にある。
呆然と、すぐ横でされた一連の作業に固まっていた一般人の流れがワッと、再び動き出す。天魔が襲ってくる、それが現実になったのを理解したのだ。
「シー、も。全力で、まもる、です」
言葉と同時、起き上がり始めた敵を光る鎖が拘束した。携帯で敵を発見したと知らせた後、追ってきた三恵がふわっと着地したのだった。
ステージ上を越えて飛んできた三体の敵の内、一体に狙いを定めてイリンは飛んだ。光の翼を背にだし、敵が特攻をかけてくる勢いに特攻で相対する。
振りかぶられた敵の爪を、刀で防ぐ。勢いを突き返して、距離を離した。
その攻防の間にもう二体は下へと降りて行ったが、仲間に任せることにして眼前の一体に集中する。
蝙蝠によく似た翼を夜臼、鬼面の二足歩行ディアボロだ。太く長い尻尾と、爪・牙が武器といったところだ。頭部には四つの角がある。表皮は鱗状で防御力もなかなかありそうに見える。
「近接戦は不利ですね」
敵の意識が観客に向かない程度に、距離を離しながら武器に書をめくった。
開かれた書から、白いカードのような刃が生み出される。敵が突っ込んでくるのに、カードを放ちながら距離を取った。
カキン、と小気味よい音と共にカードが弾かれたが、敵の攻撃も中断された。
(どうにか、隙を造り、弱点を狙うしかありませんね……)
まずは敵の弱点を見極めよう、と武器を書から槍に切り替えると積極的に球抽選を仕掛けた。
イリンが空中で一体を止め、一体はジェンティアンに向かった。そこは避難誘導の出入り口でもあり、一般人が殺到している。そちらを手伝いたいが、奈津も奈津で精いっぱいだった。
眼前に、観客席を足で踏みにじるディアボロがいる。
「ゆっくり、あなたの相手をしてる暇はないのよっ!」
自分よりも大きな背、立派な体躯。しかし、シャインセイバーを手に奈津は怯むことなく斬りかかった。夕闇に、白光が眩く、刃は輝く。
鬼面の敵は奈津の刃に、爪で対抗した。力比べに、圧倒的な体格差で跳ね返される。
「く……っ」
体勢を整えながら、もう一度斬りかかろうとした時、素早く飛び込んだ姿があった。
「閃光魔術!」
黄金に輝くアウルの軌跡とともに、マオが敵へと飛び膝蹴りを繰り出した。
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「これ以上、自由にはさせん」
眉をしかめ、拓海は刀を抜いた。
警備員の仮仕事は他の警備員が誘導に流れたことで、場を抜けてきた。動きを見るに、任せて良さそうだ。
それよりも、とAOIに目を移した。
AOIは初撃でメンナクの攻撃を受けて拘束された。それ以降、何の動きも見せていない。抵抗するそぶりも、喋る事すら一切。
何を考えているのかわからず、不気味だ、と拓海は更に警戒を深めた。
「もう、これでおしまいね」
漸く、AOIは言葉を紡いだ。ライブが中止になってから、初めての言葉としては、些か降参が早すぎる。とはいえ、現状は撃退士に囲まれ、拘束された身。
それが、AOIの現実だ。
「あなたはAOIで間違いないですわね?」
ロジーが確認を取った。目の前にいる少女がヴァニタスであることは確認済みであるが、謎の歌手AOIと同一人物なのかどうか。先ほどまでは歌っていたのだから、AOIであろうが、ネット上のAOIとライブ開催をしているAOIが同一人物とも限らない。
顔を隠しているのだから、影武者でも、偽物でも一切の確認は本人に聞く以外はできないというもの。
「そう。初めまして、撃退士の皆さん。あたしはAOI――あなたたちの、いわゆる敵かしら」
くすり、と笑んで見せたのがわかったが歌乃は挑発には乗らなかった。
「何故、歌を用いて貴女様がこのようなことをしているか……是非とも聞きたく」
AOIの目的とは何か。尋ねた歌乃にAOIは顔を向ける。
「――歌が好きだから。悪魔が人の魂を欲しがるから。だから、利害が一致したの」
歌が好きだから歌う。それに集まった観客を悪魔は欲する。だからこその誘拐である。そう、AOIは答えた。実に明快な式である。
「貴女様自身に目的はないのですか? 歌にある、無念や恨みは何処へ向けられているのですか?」
「無念、恨み……? わからないわね」
心当たりがない、とAOIは首を傾げた。そこに嘘があるようには見えなかったが、違和感が残る。
「人の確保はできなかったけど――」
チラリ、とAOIはステージ外を見た。避難誘導に従う人々は壁の内側にもう、少なく。鬼面の天魔は防戦、最後の一体が倒されるところだった。
「もう、用は済んだから退散させてもらうわ」
言うが早いか、AOIは拘束を力づくで解いた。その背に、黒い翼が生えている。
「待てっ」
拓海が高速にワイヤーを放ったが、AOIはそれを交した。掠ったのか、前髪が跳ね、額が露出した。そこには
「三つ眼……!」
するり、と眼帯も落ちた。隠されたそこには鱗の皮膚と、黄色い鳥眼。
ハッとした時にはAOIは空へと駆けていた。翼をだしたメンナクが追飛する。だが、
「ウェイブ」
ビィン、と空気が振動し、空気抵抗を受けた。それはステージ上にいた四人全員を圧迫した。その一瞬にもつかぬ間――AOIは悠々、空を飛んで逃げたのだった。