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「依頼については以上だ。これが、チケット代わりになる」
利峰はA4サイズの紙を数枚、机の上に置いた。机の周りには数人の男女が無造作に座っている。昼の久遠ヶ原学園、空き教室によく見られる光景であった。
初めに手を伸ばしたのは一番近くにいた並木坂・マオ(
ja0317)。パソコンから印刷されたらしきそれに軽く目を通してゆく。
「ふん、行方不明者が出るミステリアスなLIVE……」
命図 泣留男(
jb4611)――メンナクは神妙な顔をしてそう言った後、胸に手を当てて黙り込む。
(人気ネット歌手のライブの影に、謎の行方不明事件、か……)
「穏やかじゃないな」
黒羽 拓海(
jb7256)はパサリ、と資料を机に投げた。
「天魔絡みの可能性ってどれくらいかな。実際、天魔なら攫った人間の「使い道」なんていくらでもあるんだしさ」
どの程度の規模、とジェンティアン・砂原(
jb7192)は穏やかな表情のまま言った。その実、眼鏡の奥の瞳は鋭い。
「天魔かどうかは、はっきりとはな。実際、人身売買だって可能性もあるが――規模は大きく、被害も甚大。そして、計画的犯行だろう」
警察が動き出さない理由。それはこれら一連の事件を一連として認識させないからだ。共通項目があまりにも少なすぎる。バラバラすぎる被害者たちは、無差別が故に連関性がない。
「無事でいて欲しいわ……」
稲葉 奈津(
jb5860)は眉を寄せて呟くと、視線を落としていた資料をそっと撫でた。希望的観測、絶望的。わかってはいるが願わずにはいられない。
「どうやって行方不明者を出すのか……謎ですわね」
ロジー・ビィ(
jb6232)は顎に手を当てて首を捻った。
そう、利峰の資料に掛かれていたのは事件の被害者と目される人物や噂について、ライブの情報等。だが、具体的なことは何もない。
どうやって人がいなくなったのか。それはどのタイミングで。ライブの前なのか、後なのか。攫われたのか、殺されたのか、拘束されたのか。丸で判断がつかない。
「それを、君たちに掴んで来てもらう」
ライブ潜入という依頼の目的はつまり、そういうことだ。
「こちらに書かれているのは全員偽名なのでしょうか」
織宮 歌乃(
jb5789)は言った。
メールを打ち出したと思われるそれらはそれぞれ別の名義、別の住所、別の人格であった。申し込む人の名前が違えば住所や銀行口座が違うのも全員だが、団体での申し込みでなく個人名義でよくこれだけ用意したというものだ。
「きちんと許可を取って使用している本物だ。まず、こちらの身許がバレることはない」
なるほど、もし誰かがヘマをしてバレてしまっても個人単位での申し込みならば芋づる式に全員が素性を暴露されるわけではない、ということだ。
「手が込んでいますね」
ふと、資料から顔を上げて日下部 司(
jb5638)が言った。
「被害者に出身やそのほかの特徴の共通点は見当たらない。逆を言えば、数撃ちゃ当たる。つまり、」
「趣味も出身も性別やそのほか、バラバラの方が相手を引っ掻けやすいともいえる」
そうよね、と鷹代 由稀(
jb1456)が続けたのに利峰は頷いた。
「もし、あちらのパソコンを使用しても?」
ロジーが指した先には利峰が持参したノートパソコンがある。受け取って開いた画面にはAOIと大きく書かれたサイトが表示されていた。
「これは既に発売されているCDだ。催眠等の作用がないことは確認済みだ」
そう言われて、ロジーは受け取った数枚のCDをBGMとして教室内に流し始める。
「それと、今回の依頼はあくまでライブに潜入し事件を未然に防ぐこと。この段階で事件を解決しろ、とまでは頼めないからな」
そう言いながら、プリントアウトされた紙を再び配り始める利峰。そこにあるのは図面だ。利峰は今回のライブ会場だ、と説明する。
「夕方の開場時間までは一応自由にしてもらって構わない。俺にできることならば協力は惜しまない。質問等もわかる範囲で答えよう」
その言葉に、心得たと頷くメンナク。
「俺は行方不明になった連中の詳細が知りてぇな。そのためにもPOLICEに出向こうと思う」
メンナクの言葉に、利峰は資料のいくつかを見せた。
「確実にライブ会場まで入ったことの裏付けが取れているのはこれだ」
片手程の数しかない、名前。それまでのライブ客がライブ一回につき数十人だから、被害者予想の数からして裏が取れている人数が格段に少ないことは明白だった。
「こいつらの名前を出してライブとの連関性を訴えた方が警察にもいいアピールになるか……」
拓海はそう言うとふむ、と頷いて俺も警察に行くと言って立ち上がった。メンナクは必要な資料だけを小さく折りたたむとポケットにしまい込んだ。
「時間はギリギリになるだろうから、直接会場に向かう」
現地で会おう、と言って二人は早々に教室を出た。
「それで、一体どうやってこのリストを?」
沈黙を破ったのはジェンティアンだった。
情報を小出しにするのは良くないね、と言うが表情は笑みのままだった。
「基本的には君らに関係のないことだが……AOIには熱狂的なファンクラブがある。その情報網から俺は探っている」
利峰が今回の件でしたことは二つ。ファンクラブに入り、ライブに招待された人々の名簿をネット上で作り上げたこと。もう一つは音楽界でAOIがどのように受け止められているか。
「AOIのライブに行くと行方不明になる――それは噂というよりも真実だ。言ったと思われる人々は尽く連絡が取れない状態にある。思う以上に、これは大規模なことだ」
「ならばなぜ、警察は動かないの?」
利峰の言葉に、即座に奈津が反論を入れた。もっともなことだ。だが、先ほども言ったとおりである。
「警察が、被害者の関連性を見つけられないからだ」
利峰は最初、真面目に被害者同士の共通点をくまなく探した。だが、AOIのライブに応募した、それ以外には共通点が何一つなかった。出身地、性別、身長、趣味、サークル、学校同士の繋がり――何もなかったのだ。
そうして、掴んだのはファンクラブのメンバーが入れ替わり激しいことだった。
抽選結果は本人以外に知らされない。だが、応募した者同士で集まれば抽選に外れた者たちも集まる。そして、それ以外が抽選に当たった者たち。
決して推測の域を出ない。本人からの発言も申告もないからだ。そして、抽選に当たったと思われる人々はそのまま一切の連絡が不可となる。
これは、明らかにチケット入手における抽選制度と会場の当日本人告知ということからくる弊害だった。
「なんというか、警察対策を取っている――という感じですね」
困惑、あるいは今一しっくりこない、といった感じで司が言った。だが、それは間違っている。
「正確には、初めから身を隠そうとしている、のですわ」
AOIが仮装で体型や顔を隠そうとするのも。ネット上での活動が主なのも。チケット制度も。AOIを隠そうとし、また観客を隠そうとする意図。
そしてそれは対警察だけでなく、対撃退士にもなりうる。そう、ロジーは推測した。
「AOI様は一体、どのような方なのでしょう……」
じっくり、AOIの歌に耳を傾けていた歌乃が呟きを漏らした。教室には静かに、AOIの歌声が響いている。
AOIの歌はバラードが中心だった。悲しい恋の歌、夜に咲く花のような寂しい歌、悲惨さが滲んだ半生を顧みるもの――それらに多くに「無念」と「恨み」、そして「哀しさ」と「寂しさ」が滲んでいた。
(歌は祈り。祈りは願い。人は歌に想いを託す――)
故に、そのような歌を紡ぐAOIとはいったいどのような人物か。
人を消してしまうような歌など、決して認められない。
だが、彼女がもし天魔に関係のない人ならば彼女もまた――自身の噂や行方不明者に対して心を痛める、天魔の被害者なのかもしれない。
「――ってちょっと待って。AOIって確か、ネットで出始めてからまだ半年ぐらいなのよね?」
これっておかしくない?
奈津はそう言ったが司は首を傾げた。
「CD、半年で数枚出せると思う? 製作だけで数か月かかるわよ、普通」
CDを出すにはまず、歌が複数なければならない。そして、音楽の編集にCD自体の焼きや外形デザイン等の決定に、売り出し。
しかも、それだけの手間と費用をかけるのだから当然、売り上げの見込みがなければ制作などされるはずもない。
「あ、」
AOIがネットにデビューすると同時にCDの作成を始めた?
AOIはネットデビューする当時から売れることを前提に活動していた?
「AOIって、誰なんだろうね?」
ジェンティアンが口にすると同時、ガタッと音が立った。
「あたし、音楽関係者の洗い出しに行ってくるっ!」
椅子を蹴倒しながら立ち上がったマオは誰が引き留めるよりも前に、教室を飛び出した。
その勢いに呆気にとられつつも、最初に立ち直ったのは由稀だった。
「何はともあれ、情報収集ね。会場での配置と対処法を軽く決めたら私たちも動くわよ」
そこからは早かった。それぞれの配置を確認し、それぞれの配役を決めていく。
まず司が熱狂的ファンを装い、サインを強請りにスタッフルームへ向かう。そこで留められれば今度は由稀だ。
報道関係者を装った由稀がAOIへ接触を計る。こういったことはたいていアポがなくても通ることが多い。パパラッチ的ではあるが、何かと話題性のあるAOIにはそういった輩がついているはずだ。隠れ蓑にはちょうど良い。
一方、奈津とロジー、ジェンティアンと歌乃はそれぞれファンを装って他のファンへの聞き込み、情報収集をしつつライブの開始まで待機。
●
照明がギリギリまで落とされた会場に、マオは携帯を閉じた。
メールでの報告を見るに、司と由稀は共に彼女本人に会う以前に食い止められてしまったらしい。警備員たちに止められ、騒動を起こすわけにもいかず接触は断念。
メンナクと拓海は警察から被害者の情報を引き出すことに成功。ただし、連続事件だと訴えても警察は重い腰を上げなかった。
一方、マオが担当した音楽関係者への聞き込み。芽吹かずに隠れてしまうアマチュアが多い世界の為、似たような、という言葉は貰いつつも結局何も情報を入手できなかったに近い。
そして、ファンへの聞き込みを行っていた四人。こちらも成果というほどの成果はなかった。いわゆるネット上のお付き合いだけの人が多いので、現実での名前を出されて答えられる人間も少ないというのが正確なところだ。
「はじまりますわね」
歌乃の言葉にジェンティアンは瞳を一度閉じた。青紫色と緑のオッドアイは瞼に隠され一瞬後、再び光を取り入れた。――青紫色の瞳がヒタと、舞台を見つめる。
人混みの中下げられた彼の指に挟まれた複雑な文様の描かれた紙が薄暗闇の中僅か発光する。
「いい頃合いか……」
ライトアップが足早に薄暗闇を照らしては移動していく。観客の興奮は高く、AOIは歌に声を振り絞る。そんな様子にメンナクは呟いた。
バーカウンターでトイレの出入り口を監視していた拓海は頷いた。
(その本質をカリスマは決して見逃さないのさ)
AOIへと異界認識を行使する――と、その時。フッと、照明が落ちた。
ドンドンドンッ!
突如、暗闇になった会場に、連続して頭上から音が響いた。至る所で悲鳴が上がり始める。それは司が中立者のスキルを使った直後だった。
AOIは黒だった。だが、既にそれを伝えられる状況にない。
(今は混乱を、治めないと!)
だが、誰が動くよりも前にパッと電気が一部ついた。そして、舞台の上に一人の少女が跳んだ。――奈津だ。
「私は撃退士だ! 今、ここは攻撃を受けているっ 誘導するから、指示に従って動いて!」
簡潔に、真摯に、状況と伝えたいことを伝える奈津。
その照らし出された舞台上にAOIの姿はない。だが、一方で奈津の背後に小さな影が複数あった。
それを認めた者たちが、一斉に表情を恐怖に染め上げる。
――ダダンッ!
狙撃。
「誘導、よろしくね」
それはパフォーマンスとして、最高のタイミングだった。
司は頷くと同時、舞台へと走り、上がった。
「僕についてきてください! 避難しますっ」
言うと、司は先陣を切った。
舞台脇から出現した子鬼は最初三体ほどだったが次々と姿を現した。だが、出現が前方のみに限られている。
舞台を降りて客に接近する子鬼に引いていく観客。拓海はあえて子鬼が十分に近づくのを待った。そして、子鬼の軽い身体がぐるりと回転し吹っ飛んだ。
「これ以上、先には行かせない」
足を肩幅に開き、腰を落とすとそう拓海は宣言した。
きゃぁ。
避難する列の中に小さな悲鳴が上がった。ともに移動していたジェンティアンは躓いた少女に手を差し伸べた。
「撃退士がいるから、大丈夫だよ。焦らないで」
先ほどまでは抑えていた光纏の白光を纏い、ジェンティアンは言った。自信に溢れたその姿は人々を安心させるのに十分だった。
ホッと息をつき再び歩き始めた列の元、ジェンティアンは笑顔を保ちながら入口に向かった。
先ほどから、上から響く打撃音が聞こえる。つまり、
(敵は、外にもいる――)
阻霊符のせいで、中に入ることのできなかった子鬼だろう。
笑顔のまま、ジェンティアンは隙なくアウルを練り上げる。
子鬼に囲まれ、孤立無援のような立ち位置になった歌乃はけれどおっとりとした表情を変えることはない。
あくまでゆっくりと、歩く。子鬼は呆然として、歌乃の動きを止めることはなかった。武器を動かして、けれど戸惑ったようにその動きがはっきりとしない。――惑っているのだ。
方向感覚を狂わされ、動こうとしても自分が何をどうしているのかが分からない。武器を振り上げようとしてくらり。足を進ませようとしてくらり。
そんな子鬼たちの内、一体の顔に靴の裏の後がくっきり刻まれた。
どさっ
「よぉし、当たり!」
マオがそのままの勢いでもう一方の足を振り上げ、回転と共に子鬼を蹴り飛ばした。
ロジーは翼を広げて、他にもう敵が隠れていないかの確認をした。
屋根の上には多量に、窪みがあった。子鬼に叩かれて歪んだのだ。もしかしたらこの建物は一度立て直しする羽目に、などと思いながらぐるりと建物全体を見回す。
そして、気づいた。
「機材車が――」
ライブ前には止まっていたはずのトラックが無くなっていた。
「AOIはやはり、黒か」
拓海が零した。
「もう、間に合いませんわね……」
トラックには事前にディアボロの気配がなかったことから中は空だったのだろう。つまり、あれは誘拐した者を捕まえ、移動させるためのものだった。
「誘拐が食い止められただけで、今回は成果上々というところね」
顔をしかめさせる皆に、由稀はそう言ったが煙草を吐き出したその顔は苦々しいものだった。