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ヤナギ・エリューナク(
ja0006)は視線を空へと上げた。
街の住民避難の裏側で、青野へ、そして街の各地へと散らばった仲間たち。ヤナギは北西端に存在する要、蛇花と対峙した。そして――五芒星を描く要の一角を討伐、「装置」の破壊を成した。
「マジかよ……」
だが、間に合わなかったのだ。
丘の上に発生した、発光円盤。ぐるりと渦巻くそれは異界の門――ゲートだった。
「――エリューナク」
Viena・S・Tola(
jb2720)は空を見上げるヤナギに声をかけた。
「あれはゲート……丘の様子は気になりますが、私たちの行動も決めなくてはいけませんね……」
丘の上、黒い樹木の森に蓋するかのように展開されたゲートがある。そこでは仲間たちがその場にて戦っているはずなのだ。
青野健という、幾度かまみえたシュトラッサーを脳裏に思い浮かべた。
(それが貴方様の選ばれた道筋であるのならば……)
既に選択された道。その先の未来がどうなるのか、ヴィエナはただ待つだけだ。
正直、失望した。
青野の人となりを知るに、その野心の高さからあくまでも抗うものと思っていただけに、道具のように天使へと従うという結果はヴィエナにとって残念でならなかったのだ。
それでもその先を、見届けることだけはしたい。それが、青野と度々衝突し、この際まで関わり続けたその結果であるのだから。
「決着はまた今度ということでしょう……」
今優先すべきは討伐ではなく、避難。
ゲートが完成したということはすなわち、もう数分もせずにここは天使の領域となるということ。そうなってしまえば、人間は精神吸収の影響を受け、またゲートへと連れさられて彼らの糧となる。
「ゲートと結界の大きさは作成者の実力に寄るんだよな?」
ヴィエナは頷いた。
「……ゲート完成後、結界が張られるまでには数分間かかるでしょう……大きければ大きいほど時間はかかる……」
空に現れたゲートの大きさを見るに、結界の大きさは少なくとも街を半分以上覆ってしまうに違いない。
「俺たちもこうとなりゃ、一時撤退するしかねぇな」
「避難誘導に急ぎましょう……」
丘の状況はわからない。こちらから連絡することが命取りとなる可能性がある。向こうのタイミングを待つしかない。
「地下へ向かった方々が気になります……そちらを追って街を脱出いたしましょう……」
事前に地下の安全は確認してから一般人を誘導した。地上には未だサーバントが大量にうろついているため、地上よりマシだろうと思ったのだ。
だが、状況がこう変化してはそう安心してもいられない。地下は常に瓦礫など崩落の恐れを考える必要があるのだ。
開いたゲートから次々と姿を現し始めたサーバントを見た後、ヴィエナはマンホールから地下へと身を投げた。続いて、ヤナギが下水道へと着地した。
コツ、水音が絶えない地下道に二人分の靴音が反響した。
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「安原殿!」
草薙 雅(
jb1080)の呼びかけに、弾かれるようにして安原 水鳥(
jb5489)は振り返った。
目の前には未だ、蛇蔦の大群がいる。「装置」を発見、破壊後だ。それでも、その勢いは衰えない。
(うまく足止めされているのです……っ)
先の見えない戦いに、スキルは温存してある。だが、その分体力は削られた。握っていたロザリオにもう一度と力を込めて羽を生み出す。それが一斉にナイフのように敵へと襲い掛かった。
その間に水鳥は後退する。
「水原殿、拙者は黒幕たる天使を探すつもりです!」
え、と水鳥は一瞬固まった。
丘の上にあるのはゲートだ。今はまだよく見えないだけで既にゲートからサーバントは召喚され始めているのかもしれない。
そんな状況で、一番に考えるのは危険地帯からの避難と脱出だ。
首謀者たる天使に相対するというのはあまりにも無謀、危険すぎる。
「ゲートを作る利点は支配領域内の人間の確保! 故に、天使がそのまま見逃してくれるはずがありません」
ならば、敢えて受けて立ちましょう。そう、雅は微笑んだ。
考えてみればそうだ。
より効率的な精神吸収の方法がゲートに寄る支配領域の展開である。
通常通りに、サーバントを放って人材を確保するよりも、より確実に大量に糧を得られると確信しての事。つまり、結界内の精神吸収の影響を受ける人間が大量にいる状態でなければその旨味がない。
逃がすつもりはない――。それが天使側の意向。
「もちろん、発見しなければ避難最優先です!」
ヒリュウの視界に頼っての一般人発見、同時に敵を探す。サーバントであれば回避、天使であれば雅が時間稼ぎをする。他に良い案も浮かばない上、状況の変動激しく不確定だ。
「わかったのです」
「では、エリューナク殿とトーラ殿に連絡を入れましょう。丘の方は状況が切迫している可能性がありますが、二人なら余裕があるでしょうから」
頷いて、連絡を付け始める雅を背に水鳥はヒリュウを召喚した。
「ハッピー、よろしくです……行けるです?」
鞄から取り出した紙にペンで大きく文字を記す。「東へ向かえ」と書いたそれをヒリュウに持たせる。一方で、自分用に一枚紙を千切って、「避難は東」と記した。
(一人でも多くの命を……!)
「ふむ、お二人は先に地下へと誘導した人々の安全確保に向かうとのこと。地下が安全との連絡が来次第、拙者たちも地下へと人々を誘導するとしましょう」
「とにかく、頑張るしかないのです!」
ハッピー、と呼んで水鳥は共有視界で周囲を見回した。紙を精いっぱい頭上に掲げる。
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「ははっ」
余裕の笑みを浮かべる青野を前に、地領院 恋(
ja8071)は立っていた。
片腕を負傷し、敵に近距離で攻撃を受ける間近の現在、青野がなぜそんな態度を取るのか。恋は眉をひそめた。
「もう、ゲームオーバーだ。――君たちがね」
その言葉が放たれると同時、頭上が陰った。
「っ!」
恋は飛びのきながら空を見上げた。
それは恋だけではない。後ろに控えていた三人も、この時ばかりは青野から視線を外した。
一瞬にして、四人と青野の頭上を覆った「何か」――巨大にして不吉。頭が既に理解していた。
「ゲート――!」
恋の頭上には平面があった。だが、恋の視界に映る限りの空全てがそれで埋め尽くされており、全体像が把握できない。
ただ、ひたすら近接にあるそれに圧迫感と異様さを感じた。
青野が作り出した黒い森。それにまるで蓋をするかのように、発光する円盤があった。ただ、森の木々に視界を制限された恋たちにはそれが見えていない。常に頭上は円盤の平面であり、その平面の奥しか見えない。
「ゲートが、開く……っ!」
鍋島 鼎(
jb0949)はゾッとした。
そこにあるのは平面だ。発光してはいるが、薄っぺらい奥底のないもの。しかし、その平面の中に息づくものがあることに気付いた。
たくさん、たくさん、たくさん。――どこにも奥行きのない平面の中に潜む存在。
鼎がそれの正体に気付いた時、それは唐突に、姿を現した。
――目。
平面から立体が飛び出してくる。無数のサーバントが巨大な平面に頭を出していた。
「なんて、数……」
圧倒。不吉何て言葉では表しきれない、おぞましさ。ある種の絶望で、恐怖。
次々と、サーバントは姿を見せる。
天界にいたサーバントが、ゲートの中の異界を通り、そして地上へと放たれてゆく。
「青野……お前は何処にも行かせやしねぇ!!」
夜劔零(
jb5326)の声に、幽樂 來鬼(
ja7445)は寸前までの状況を思い出した。
飛び退り、距離を取った恋に対して青野は立ちあがっていた。片腕を抑えたまま、身を翻したところを零に発見されたのだ。
(自分だけ逃げるつもりだったかっ!)
怒りが湧く。青野にも、このゲートを作り出しただろう、未だ姿の見えない天使にも。
「逃がさない、逃がしてなるものかぁっ!」
今逃がせば確実に、被害が拡大する。
ゲートだけでも被害の拡大は簡易に予想ができる。だが、それだけではない。シュトラッサーや天使が前に出て行動して来たら?
青野を討つならば今だ。負傷が激しい今しかない。
來鬼はカレンデュラを手に、青野に突進を掛けた。視界の端で、恋と鼎の二人が腰を低くし、今すぐにでも飛び出せるように体勢を整えるのを見る。
小型の杖であるカレンデュラでは射程が短い。刺突を連続するも、たわいもなく躱され、あげく青野の操る植物に足を取られた。
だが、それで十分だ。
「勝利を確信した、その時こそが一番の隙なんだよ――!」
明鏡止水により潜行した零が青野の死角から攻撃を放った。
「ぐっ!」
視界をゼロにしながら淀んだ気が青野を包み込む。同時に巻き上がった砂塵が青野を全方位から攻撃した。攻撃力はさほどではない。だが、
「な……っ」
青野の足元が砂に埋っていた。そのまま石のように硬化した砂によって移動が不可能となる。隠密・移動・回避が得意の青野にとってこれほどに対処のできないものはない。当然、攻撃の回避などできなかった。
「焼き尽くされな!!」
炎が剣のように切っ先鋭く青野へと飛んだ。
せめてもの防御に、植物の壁が何層にも形成され、炎と青野との間を埋め尽くすがそれ以上の速度で炎は青野に迫った。
「ぐぁああああああ!!!」
青野は炎に怨嗟の声を上げた。
「次は、お前だ――」
右目に銀の色を湛えながら、零は視線を上げた。
いつの間にか、黒の樹木の一つに腰かける存在がいた。
「やぁ、撃退士諸君。私はリノフェス」
今後ともよろしく、と呑気ともとれるほど気安く、それは声をかけてきた。怒りを向ける零を気にすることもなく。
「天使。天魔を生み出す最悪な野郎が、こそこそ隠れて行動か。情けねぇな……」
構えを解かないまま、零は挑発するように言った。攻撃の隙を伺っている、如何にもそう言いたげに。
一方、零はこの状況を脱する機会を狙っていた。
(青野は倒した。後はあいつの注意さえ逸らせれば……)
そう考えていたのは何も零だけではない。
來鬼はアウルの衣を零に付与した。
これまで、共に組んできた経験からか作戦をわざわざ言い合わなくてもこの状況での最優先課題など解りきっている。
まずは、この場を後にする。そして、他と連絡を取り合う。それから避難と脱出だ。
シュトラッサーと天使の二人を相手に戦闘など、無謀もいい所。現状を脱するには負傷し弱っている青野を優先的に相手取り、敵の数を減らしてから逃げる。
考えずとも、それくらいは皆の考えが読める。
(夜劔ちゃんがあれだけ好戦的になっていれば、逃げるなんて敵も思わないはず)
どちらにしても、防御を高めて置いた方がいい。逃げるにしても、攻撃をするにしても。
「んー。情けないとかさぁ、君たちの料簡で私の考えを測ってほしくないんだけども。小蠅をいちいち処理するなんて面倒じゃん?」
(……。かなりイラっときた)
身を隠さなければ撃退士が行動を邪魔しに来て面倒だと、そういうことを来鬼たちを蠅に例えて述べている。
「面倒、か。ならばなぜゲートを作った! 何のために……!」
恋が吠えるように言った。
これまでの事件で出た被害者たち。それに意味があるとは思いたくはない。人の命だ、失われて良い理由なんてあるはずがない。だが、それ以上に。
失われた意味さえもないことは許されない。
「効率的だから。それだけでしょ?」
君たち人類ってわかりきった問答をしたがるよね。――恋の怒りが最高潮に達すると同時、思考が冷静になる。言葉交しなど無意味。同じ言語を離しながら、意味など通じていない。
(まずい……。これでは時間が――っ!)
ゲートが完成してからどれくらいだろうか。
天使はこれから結界を張るはず。そのためには再度呪文し、動けなくなる。結界を張られたら、携帯等の通信機器が一切聞かない上に一般人の結界外への脱出ができなくなる。
天使の気を結界から反らしているのはいいことだ。この間に少しでも多くゲートからの距離を稼げればいい。
けれど、これでは自分たちが脱出できない。
(どうにか、隙を……!)
そう思ううちに、零が天使に距離を詰めた。
同時に反対方向へ、鼎は動く。森からの脱出。すぐ後を恋が追ってきた。零と來鬼は来ない。心配だった。だが、
「私は北西の二人に連絡を取ります。その後、北へ」
「わかった。草薙君に連絡する。後でまた連絡し合おう」
それきり、恋は別方向へ向かった。
鼎は街の地図を脳裏に浮かべながら、他の撃退士たちへも確認と指示をしてゆく。走りながらの事だ、ところどころ問答してゆけばゲートの事や結界の事は向こうも承知していた。急ぎ、陰陽師・アスヴァンの能力をメインに動くことに決まる。
(この街は方々を山に囲まれてる。駅があるのは東だけ。けれど、今はそんなことも言ってられない!)
結界は街全体を覆うまでの大きさを持たない。ならば、多少の危険を覚悟してでも今は結界の範囲外から出るべき。
そう、判断して山陰への退避も指示した。
「俺は、俺は、貴様らを絶対許さねぇ!!」
そう言いながら、零は天使の腰かける樹上へと跳躍した。
攻撃を放つがごとく、体勢を向けつつ――
「あれ?」
天使をスル―した。
そのまま天使の後方を走る。それを天使は樹上に腰かけたまま、背を捻ってみていた。
「えー、と」
とりあえず、と言いたげに天使は正面に向き直った。もう一人いたはず、と。
だが、いない。それもそうだ。零が跳躍すると同時に來鬼も森を走り始めた。既に身は木々に隠れている。
「あれれー?」
樹上に腰かけたまま面倒面倒と繰り返す天使に、すぐさま追尾行動などできるはずもない。
「リノフェス」
そんな天使の元、隣に立った者がいた。――片腕が焼けただれ、再起不能となった青野だった。
「やぁ、生きてたんだ」
「――くそっ!」
右目を瑠璃色に輝かせながら、零は悪態をついた。
その隣、水鳥はドーム状に覆われた街を見下ろす。街から脱出、それぞれに住民を率いながら夜も更けた現在、合流を果たした。
「……何の意味があってこんなことをするですか……悲しすぎるです」
ヴィエナは告げる言葉を持たない。
「天使、リノフェス」
正面からは対峙することのなかった、天使の名を雅は胸に刻み込む。
「――私は、忘れません」
救えなかった命を、忘れない。鼎は目を瞑って誓った。
「……待ってろよ。必ず、取り返してやるからな!」
恋は泣くのを堪え、背を向けた。
來鬼は怒った様な顔をして、けれど負傷者の手当てに向かった。
ヤナギは煙草を一本、手向けた。――これで終わりではない。奪われたら、奪い返す。だからこそ。立ち止まるわけにはいかない。
けれど今、皆に休息が必要だった。
一昼夜の戦いは一応の幕を下ろしたのであった。