●
――崩壊した市街地の中心、そこに『彼女』は立っていた。
「何だ!? 今までとえらく違うぞ!?」
獅堂 武(
jb0906)の驚きもまた、自然なものと言えるだろう。
何故ならこの市街地は、間違いなく彼女――シエルの手によって破壊されたものであり、彼女と幾度も手合わせをしてきた彼等にとっては尚更、異例の光景だった。
シエルは武たちの存在に気付いたのか、何も言わぬままに振り向く。
「何があったか想像はつく、が……その姿が貴様の答えか、シエル」
アスハ・A・R(
ja8432)が問いかけようとも、彼女は壊れた人形のように不気味に、けたけたと笑うのみ。
「いつもの、貴女じゃ……信念を貫いてた、貴女じゃない……。還ってきて……」
Spica=Virgia=Azlight(
ja8786)は何か裏があると読んだのだろう。
Spicaは『彼女』を求め、声をかけるも、反応は変わらず。
「……どうやら、思い違いをしていたようですね」
そんな彼女の姿にマキナ・ベルヴェルク(
ja0067)が抱いた感情は、端的に言えば落胆であった。
問い、問われ、多くの解を得てきた筈の彼女が最終的に辿り着いたのは、単に無様な末路でしかなかったから。
「今の貴女……私にそっくりよ」
エルネスタ・ミルドレッド(
jb6035)の声を聞き、シエルがおもむろに彼女の方へ視線を向ける。
「当ててあげましょうか。大事なもの、切り捨てたでしょう」
エルネスタがそこまで言うと、シエルは片手で大剣を持ち上げ、その切っ先を彼女の方へ向けた。
「……誇りを捨てたか、恥知らずめが!」
フローライト・アルハザード(
jc1519)の怒鳴り声もいざ知らず、シエルはゆっくりと口を開いて。
「どうでも良い。全部同じ、皆同じ」
だが彼女はそこまで言ったところで、ふっと真顔になる。
「カイくんは……大事。皆大事。どうしたら……帰って、くる? こない?」
どうやら彼女の中には、まだ『切り捨てたもの』の余韻が残っているようで。
「忌々しい木偶風情が、大層な口を利くな!!」
しかしこの状況、全てが終わった後なのである。
フローライトの声を聞いたシエルは、そのまま両手で大剣を構え、翼を顕現させる。
「……何も帰ってこない」
彼女の自我というものは、無意味な破壊の中でとうに崩れ去ったのだろう。
シエルは虚ろな、しかし様々な感情が込められた視線で撃退士の姿を見回し、翼で飛翔する。
エルネスタとフローライトも翼を顕現させ、後を追うが、Spicaとマキナは行動を起こさず、様子見に徹する。
「あの時は何もかもが遅すぎた。だが今は、理不尽な暴力がそこにある……」
シエルが移動を止め、振り向いた事を確認したフローライトは、自ら最前に出て、白い輝きを放つ光を武器に宿す。
フローライトの中に込み上げるのは、怒りと呼べる感情ただ一つ。
眼前に広がる、理不尽で、非情な暴力の跡。まさに地獄と呼べるようなその光景。
抑えられている感情の中で、怒りという最も衝動的な感情が込み上げてくるという事は、それだけこの光景は彼女にとって、悲痛なものだったのだろう。
「ならば……認められる訳が無いだろう!」
光の宿った武器を構え、フローライトはそれをシエルに叩きつけようとする。
そこに、彼女を救いたいなどという意思は無い。フローライトにとって今の彼女は、平穏に害を成す敵でしかないのだから。
「力は込められているけれど、単調ね」
だがシエルは命中寸前で身体を捻り、フローライトの渾身の一撃を受け流す。
そして受け流した体勢から大剣を振り抜き、フローライトに反撃を当てに行く。
フローライトは反撃を防御、自身へのダメージを最低限に抑え込んだが、シエルはすぐさま次の一手を繰り出さんとしていた。
「……貴様の守りたかったものが、守れなかったものが、お前の今の姿を望んでいると思う、か?」
ただこの瞬間、フローライトを一気に落とそうとしているが故に、シエルにも隙が生じているようで。
アスハが手をかざすのと同時、蒼い輝きを宿す微細な魔法弾が降り注ぎ、シエルをその中へと呑み込んでいく。
光の如く、雨の如くシエルを呑み込んだアスハの一手は、防御されようとも、彼女に確実なダメージを与えた。
「どうしようも無い選択に迫られて、自分の意志を捻じ曲げて。そんな自分が許せなくて仕方がない。仕方がないから、考える事すら止めてしまって」
そこへ更に、エルネスタが蠍の腕による追撃を試みる。
シエルはその追撃も防御、蠍の腕を振り払うが、アスハとエルネスタの言葉に何かを感じたのか、動きが止まる。
「抗う事もせず、子供を殺し。それはただの逃避であって、何の意味も成さない」
彼女が最終的に選んだ道が逃避であったが故に、マキナは失望を禁じ得ず。
マキナが投じた苦無は疾風の如くシエルの元へ飛んでいくも、彼女は再び言葉に反応を示すように、それを被弾寸前で受け流す。
「守る為じゃ、なくて……壊すだけの、戦いなんて……意味がない……」
受け流し直後のシエルは、もはや防御にも回避にも転ずる事は出来ないと踏んで、Spicaは彼女を狙撃、弾丸を直撃させていく。
Spicaの狙撃は重い一手となったのか、シエルは彼女の方へ視線を向ける、が。
「派手にやりやがった分、ぶち当ててやらぁ!」
それはむしろ武にとっての好機となり、今まで潜行していた彼は、シエルの背後から鎌鼬を放つ。
鎌鼬は言うまでもなく直撃し、それによって更にダメージを受けたシエルは、地上へ真っ直ぐ視線を向け、大剣の柄を握り締めた。
「その程度……その程度の軽い意志で、この者たちの平穏を奪ったのか!」
だがそう簡単にはいかせまいと、フローライトは再び武器に光を宿し、シエルの元へ詰め寄る。
「辛い? 私も辛い。だって意味が無い。だから、今……楽にしてあげる」
シエルはフローライトの接近に気付くや否や、大剣の刃に一瞬で光を宿し、自らフローライトの懐へと飛び込んでいく。
これは恐らく、シエルから『自我』が失われているが故の事なのだろう。
「……貴女は仲間を守って落ちる。それだけ」
思考と言う名の鎖を奪われた彼女の力は、もはや彼女自身にも抑える事は出来ない。
密着した状態から繰り出される、反撃や回避を許さぬその一撃は、瞬時にフローライトの腹部を貫き、意識までもを一撃で奪い去っていった。
「アルねぇ!?」
武の反応を気にも留めず、シエルはフローライトが落ちていく様を眺めながら、再び地上へとその視線を向け、大剣を構え直す。
「想いを込めて、意志を込めて、矜持と誇りを持って振るっていた刃……今はどう?」
「貴女には、関係無い……」
「……随分と軽く感じるでしょう。空っぽだものね」
地上に視線が向けられている事を受け、エルネスタが言葉での挑発を試みるも、シエルの視線が彼女の方へ向けられる事は無く。
しかし、エルネスタの指摘は全て的中しているのだろう。
意味有り気に口元を引き締めたシエルの表情は、何処か悔しそうで、何処か悲しそうに見えたから。
「殲滅する他に、道は無し……」
シエルは呟き、そして滑空する。
彼女が狙っているのは、Spica。狙撃を受けた際、彼女はSpicaを最優先で処理すべきであると判断したのだろう。
「でも、私は……本当に、何も出来ないと言える?」
一気にSpicaとの距離を詰め、大剣に光を宿した上で走り始めるシエルだったが、数々の言葉から疑問が生まれ、本当に自分は何も出来ないのかと自らに問う。
Spicaはシエルとの間合いを維持するべく離脱を図り、エルネスタを除く三名が彼女の後を追うが、しかしシエルの機動力は尋常ではなかった。
「もう戻れない、だから戦うしかない。でも戦うべき相手は、誰……?」
自問自答を続ける彼女は、移動を続けながらも三名の立ち位置を確認、直線上に並んでいない事を把握する。
並びにマキナに関しては、前回の戦闘から、一撃で落とし切る事は絶対に不可能であると考えているのだろう。
故に彼女はそのまま前進、翼を利用して最後の一歩を詰め、両手で大剣を構えながら腰を捻る。
「壊すだけの戦いに意味は無い。こんな姿、カイくんが……」
だが。
「望む訳が、無い……」
言葉と記憶が結合した刹那、僅かながらも『彼女』の自我が動き、大剣の軌道を逸らす。
大剣から放たれた光は剣波となり、剣波は一瞬にしてSpicaの元へ到達。彼女の肉体を切り裂いた、が。
僅かに自我が働いた事によって直撃は免れ、剣波を受けながらもSpicaはその場で踏み止まった。
「想いも熱もない攻撃が……届くと思う、な」
そしてシエルに追いついたアスハは、異界から幾本の腕を呼び出し、隙を見せているシエルの拘束を試みる。
「届かない、いつだって。届かなかった、いつも。怯えているのは、たぶん……私」
アスハはそのままシエルの元へ踏み込み、彼女の気付けを狙うが、彼女は腕に捕まれる寸前で離脱し、剣を振るう事でアスハまでもを後退させた。
「――逃げた先には、碌な事が待っていませんよ。分かっているでしょう」
「違う、私は……私はただ、一人に……」
しかしアスハの任を引き継ぐように、繋げる形でシエルの懐へ潜り込んだマキナは、回避に転ずる事も出来ない、うわ言を呟き続ける彼女に、終焉を内包した一撃を放つ。
シエルは防御に転じ、大剣でその一撃を受け止めようとするが、幕引きと成り得るマキナの一撃は防御を無意味とし、彼女の肉体を撃ち抜く。
「そう、私はっ……もう一人になりたくないからと、あの時……」
「やらせは、しない……目が、覚めるまでは……」
徐々に自我を取り戻し、後悔に苛まれつつあるシエルの元へ、Spicaが詰め寄る。
Spicaの手には、具現化されたレーヴァテイン。紫炎を纏いし剣の姿があり。
「怯えていたのは私だ、逃げていたのも私だ。嵌められたのだとしても、抗う事ぐらいは出来た筈……!」
対するシエルの手中にも、破滅の大剣の姿があり。
そして、反撃の一閃が繰り出される。
「……!?」
だが。Spicaの放った一閃は大剣を弾き飛ばし、防御だけでなく、反撃までもを無意味としたのだ。
「ならば貴女は、何をしたいの? 何をすべきなの? 考えなさい、逃げるばかりでは何も変わらないでしょう?」
Spicaと入れ替わり、蠍の腕による一撃を狙うエルネスタの言葉には、様々な想いが込められていた。
ここで腐るなと。ここで折れるなと。
逃げず、諦めず、面と向き合い、そして再びあるべき姿を取り戻せと。
彼女はまだ輝きを失ってはいない、今ならばまだ間に合うかもしれない。彼女に宿る燐光を掴むように、再び彼女に光を与えるように。
「私は――」
エルネスタの問いを受けたシエルは、転がるようにして蠍の腕を回避。そのまま飛翔し、大剣を光として呼び戻して、唇を噛み締めた。
「……何で貴方たちはそこまでして戦えるの、何でその身を犠牲にしてまで誰かを助けようとするの?」
私は臆病だから、とそこまで言いかけて、彼女は口を閉じる。
「俺は自分を犠牲になんかしちゃいねぇよ。好きでやりてぇ事してるだけさね」
武が治癒膏により、Spicaの傷を癒しながら答えると、シエルは顔を伏せて。
そして彼女の手中に集約しつつあった光は黒く染まり、内包されていた『破壊』その物とも呼べる、紅い稲妻が解き放たれる。
黒き光は呪いとなって、紅い稲妻は憎悪となって。彼女の右腕を包み込み、その力を増幅させていく。
「私はあの時、愚かな選択をした。一人になりたくないからと、自らを助けてくれた存在を切り捨ててまで、自分を認めてくれる何かに縋り付こうとした」
彼女が選んだのは、カストル。自らの兄。
彼女は全てが『幻影』だったと分かっていながらも、それでも孤独への恐怖から、自らの信じる幻影に再び縋りつこうとしたのだ。
「……っ!」
先程Spicaに攻撃を命中させられなかった為か、彼女は片手剣を呼び出し、自傷。
その痛みによって狙いを正確なものとし、立ち位置を変え、残る撃退士たちを一定方向へ追い込む形を作る。
「貴様の無念、怒り、悲しみ……その全て、受け止めてやる」
「……本当に馬鹿馬鹿しいわよね。信じていたものは全て幻影で、それらに尽く裏切られて。でも一人は嫌だからとまた自ら幻影を見て、それに縋り付こうとするなんて」
アスハの声に反応を示したシエルは、言われるがままに、その視線を彼の方へと向ける。
だがこの状況、既にシエルとの距離を取り直したSpicaを除き、彼女にとっての『範囲』に全員が収まるのだろう。
彼女の右腕に宿りし呪いと憎悪は、徐々に彼女の手中へと集約し始め、槍の形状へと変化していく。
「……慟哭に咽ぶまま、終わりを望むと?」
「いいえ。どうあっても縋り付こうとした幻影の為に、私は貴女たちを殲滅する」
マキナに問われたシエルは、呪いと憎悪によって形作られた紅黒の槍を構え、その視線を真っ直ぐ『敵』の元へと向ける。
「――崩壊に呑まれた私の一投。受け取りなさい」
もはや自我を取り戻しつつある彼女は、自らを支配し続ける幻影と決別すべく、最後の一手を投ずる。
「それが貴様の望んだ形、か」
アスハは布槍を盾にシエルの一投を真っ向から受け、起死回生の力を以て耐え抜き、そしてその場に立ち続ける。
だが着弾と同時に放たれた衝撃は、一瞬の内に広範囲へと広がり、マキナと武をその中へと呑み込んでいく。
呪いと憎悪に焼かれ、武は一瞬の内に意識を奪い去られるも、マキナは自らの力を解き放つ事で持ち堪え、その一投を耐え凌いだ。
しかし解き放たれた力は最終的に、再び一ヶ所へと集約。一瞬にして空へ伸びたかと思うと、紅の十字架が展開された。
「そう。私はきっと、こうなる事が分かっていたんだと思う」
十字架はエルネスタを刺し貫き、一撃で地上へと落下させるも、シエルは落ちていく彼女の姿を眺めながら、一筋の涙を零す。
「……終わり。私の負け、さようなら」
その涙は、傀儡としての彼女に課せられた最後の任務の失敗と、どうあっても縋り付こうとした『兄』との別れを意味していた。
項垂れるシエルに向け、マキナが苦無を投擲すると、彼女は抗う様子も無しにそれを受け、地上へと落下する。
「カイくんも、街の人も……ごめんなさい」
仰向けに、虚ろな視線を空へ向けるシエルは、自らの行いをただひたすらに悔やむ。
「……終われるのなら、終わらせてください」
鎧すらも消えていき、その場にぺたりと座り込んだシエルは、歩み寄ってきた三人に対し、終わりを乞う。
「もう、やめたい……。だから、お願い……」
しかし、そんなSpicaの言葉を聞いた彼女は、はっとしたように顔を上げ、ぼろぼろと涙を零し始めた。
「――奴を止めるため、シエルが欲しい」
そして彼女は、アスハの言葉に対し、首を縦に振る。
「この力、必ずや貴方たちの為に使います……。贖う事は出来ずとも、必ずや」
と。