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晴れ渡った冬空、肌を切るように冷たい風。
十二月のとある日、高速道路料金所前。
そこに立っているのは、使徒の零と、彼女を撃退する為に赴いてきた六人の撃退士。
「……何も無いと言う割に、正義とやらに拘る、な」
「何も無いからこそ、私は正義という物に拘っているのかもしれない。無い物を、求めるようにね」
零と面と向かって言葉を交わすのは、アスハ・A・R(
ja8432)。
「レイ……一体、過去に何があった?」
「そうね。一方的に問い続けるだけでは何も分からないでしょうし、良いわ……少しだけ、話す時間を頂戴」
前回の戦闘を経て考えを改めたのか、零はアスハ達に武器を下ろすように伝えた後、自身も地面に刀を置いて。
「簡単に言えば私は、他人に道具として使われるだけの人生を歩んできた。使徒となった今もそれは変わらないのだけれども、私はその影響で空っぽの女と成り果てたのよ」
彼女は、どこまで行っても『道具』としてしか扱われなかった。
身体も、そしてその心すらも汚れ果て、誰にも何も与えられぬまま、今までの人生を歩んできたのだ。
「でもそんな中でただ一つ、欲しいと思う物があった。それが正義という訳」
それを手にする事が出来れば、この空虚な人生を変えられるかもしれない。
彼女はその考えに突き動かされるようにして、撃退士達に正義という物を問い始めるようになったのだ。
「私は貴方達に、何度もこうして言葉を交わしている貴方達に、一つ問いたいの。大切な誰かの為にこの剣を振るう事は、果たして正義と言えるのか否かという事を」
「大切な誰かの為に、か……。だがそれは、果たしてその誰かを守る刃か? その誰かの為に、何かを奪う刃か?」
アスハの問いを聞いた零はその場で瞼を閉じ、深く息を吐く。
「前にそれが正義だって言ったのを覆す様で申し訳ないけど、それは世間の正義とは必ずしも一致しないと思う。それが大勢の不利益になる場合もあるしね」
「私が欲しているのは、ありふれているような正義では無いの。自分自身が信じた、ただ一つの正義という物よ」
アスハに続いて零に声をかけたのは、神谷春樹(
jb7335)。
春樹の言葉を聞いた零は、地面に置いたままだった刀を拾い上げた後、彼の方を真っ直ぐ向きながら、そう答える。
「だけど僕は大切な人がいて、それを守るために戦う事が間違いだとは、絶対に思わない。そうだね、正しい正しくないじゃない。守りたいから守る、助けたいから助ける。少なくとも、僕はそれだけ」
「貴方自身は、それで良いと思っているの?」
「だって、これを曲げたら僕が僕じゃなくなると思うから。っと、正義の味方の撃退士としては失格かもしれないけど、これが僕の正直な気持ちだよ」
春樹が抱く、彼自身の正直な気持ち。
それに触れた零は、微かに笑みを見せ、その手に持っている刀を見つめた。
「実際、あの子の為なら世界を敵に回しても後悔はないしね。だから君も、自分の気持ちに正直になったらどう? まぁ、全力で応じるけど」
「全力で応じてもらえなければ、私とて困るという物よ。でも、自分に正直になるという事は……中々に、難しいものね」
拳銃を構えた春樹に対し、刀の柄に手をかけながらそう答える零。
――果たして、本当にそうする事が正しいのか否か。その『誰か』の為に剣を振るえば、ようやく自分という存在を認めてもらえるのか否か。
彼女の中で複数の感情がせめぎ合い、そして渦を巻く。
「誰かの為に剣を振るう事が正義かどうかは分かりかねますが……誰かを想う心、そしてその誰かの力になりたいという気持ちは、私には否定できません」
「そうでなければ、貴女が私の問いに答える事も無いでしょうからね」
疑問を抱く零に対して、水無瀬 雫(
jb9544)がそう言うと、零は自分の黒い長髪を手で軽く撫でながら、空を見上げた。
「私が慕う方に『勝てば官軍、負ければ賊軍』という身も蓋もない事を言われましたが、それも真実であるのかもしれません……」
「そういう物よ。勝者が正義となり、敗者はそれに従う他無くなる。私がこうして問い続ける他に何も出来ないのは、そういう事なのかもしれないわね」
「ですので、それが正義か否か、正しいのか否かは、それこそ剣で示すしかないと思います」
雫の言葉を聞いた彼女は、特に何も言わないまま頷いた後、鞘から一気にその刀を振り抜いた。
「それを語るには、場が殺風景すぎると思わないかい? 戦いと問答は、基本的に両立出来ないと思うがね。どうだい、互いに武器を下ろしてみないかい」
「戦いの中でしか問えない物もあると、私はそう思うの。勝利に対する欲求が薄い事と、剣を下ろす事はまた別よ」
「……問答を終えたら戦わず帰ってくれると確約するなら、俺の考えを話そう」
ベルメイル(
jb2483)の言葉を聞いた零は、一瞬だけ刀を握る手を下ろしかけたが、その手にぐっと力を込め直して。
「それは出来ないわ。私がそうしてしまえば、貴方達が私の大切な人に刃を向ける可能性があるから」
零の返答を聞いたベルメイルはその瞬間に口を閉ざし、拳銃を構えた。
「仮に俺がその問いに否と答えたところで、あんたはそれを正義の行いではないと納得し、誰かの為に剣を振るう事をやめるのか?」
「納得するには、それ相応の理由が要る。貴方がそれを示せたのであれば、私は剣を振るう事を止めるかもしれない」
久井忠志(
ja9301)の問いを受けた零は、彼の方へ冷たく鋭い視線を向けながら、そう答えた。
「やめると言うのなら、やめて正解だろうな。そんな安っぽい正義など、捨ててしまった方が良い」
だが続けられた忠志の言葉を聞くや否や、零は刀の鞘を地面に落とし、刀を片手で構える。
「皮肉を言っているつもりなら、今にでも貴方を斬るつもりよ。どうなの?」
「前にも言ったが、俺には大切な者がいる。俺は彼女を守る為なら、時に力を振るう事もする。他人にどう言われようと、それを曲げるつもりはない」
正宗から贈られたその刀は、片手で構えるのには少し重いのか、忠志の言葉を聞いた彼女は若干構えを変えて。
「曲げてしまったら、それは俺の正義ではなくなるからだ。生憎、俺は他人に言われて曲げる安っぽい正義など持ち合わせてはいない」
「私とて、そんな貴方の正義に負けるつもりは無い。少しずつ形を成し始めたこの正義、それを私は……この力を以てして、示したい」
「さて、あんたの正義は安っぽいものか否か、どっちかな?」
忠志がそこまで言い終えた途端、零は忠志の元へ接近を試みようとする、が。
「己が生き方を、他人に正否を委ねるな、レイ……自分の正義を、信じてみせろ」
「――背後!?」
その瞬間にアスハは『零の型』を駆使して、零の背後を取った。
零がアスハの方へ視線を向けるのと同時に、春樹は彼女を高速道路側面の壁に追い込むように、通常よりも素早い銃撃を行う。
それに即座に反応した零は、瞬時に身体を動かして弾丸を避けるが、春樹が狙っていた通りに、壁のすぐ近くに着地する。
「壁、側面……包囲が狙いという訳ね」
春樹と雫はアスハが作り出した隙を上手く利用し、零の背後を取った。
それにより、六人は零の事を壁際に追い込み、包囲網を築き上げようとする。
「でも、背後に回り込んだのが二人だけと言う事は……分かっているわね?」
だがその瞬間、零はニヤリと笑みを見せた後、突如発生した冷気に身を隠した。
しかし次の瞬間には、零は自身の分身二体を従え、雫に対して同時攻撃を試みる。
「誰かの為に……ね。その誰かってのを、信用して良いのぉ? 利用されてるだけじゃなぁい? 遊ばれてるだけじゃなぁい?」
それを見たErie Schwagerin(
ja9642)は、雫が自分ごと攻撃して構わない、と作戦前に言っていた事から、破滅の空間を呼び出そうとする。
「損得抜きに何かを与えてくれたからって、それが善意や好意とは限らないのよぉ?」
「全て分かっているわ、貴女がこうして仲間ごと全てを押し潰そうとしているように――!」
前回の戦闘でそうされた事を覚えていたのか、零はそのまま雫を斬ろうとするのではなく、Erieの魔法の範囲外へ脱出しようとする、が。
Erieの力によって呼び出された破滅の空間、朽ちる事を定められた必滅の世界は、零の事を逃そうとはしなかった。
脱出がギリギリ間に合わず、雫と共に零は、その空間の収縮に呑まれた。
「ただの興味かもしれない、飽きたら棄てるかもしれない。ねぇ、ホントウニイイノ?」
「棄てられたら棄てられたで、私は所詮、道具に過ぎなかったの一言で済む話……!」
しかし、破滅の空間が零の事を完全に捕らえていた訳でもなく、彼女はその重圧を受けながらも、魔法の範囲外へと転がり出た。
「私なら、裏切られても許せるって思えた人の為でなきゃ、動かないけどねぇ。ま、片手で足りる程度しかいないのだけど」
「私にとっての大切な人はただ一人、この人生を通して一人だけ。唯一私に物を与えてくれたあの人に、少しでも良いから恩返しがしたいだけ……!」
裏切られるかどうかは、もはや零には関係の無い事だった。
Erieの言葉を聞き、若干の揺らぎを覚えようとも、彼女はその『師』に報いようとしていた。
「それが出来るなら、の話だがね」
「ッ……!」
重圧を受け、思ったように身動きが取れない状態の零に向け、ベルメイルが上空から弾丸を放つ。
零は即座にそれに反応、氷の壁を生み出して弾丸を打ち消した。
「これを正義と言おうが言われまいが、私は――」
「それでもそれを証明出来なければ、意味は無いのよぉ?」
顔を上げ、零がErieの方に視線を向けると、Erieは氷の壁が消え去るそのタイミングで、閃電を纏う車輪を形成する。
それは零の左腕を瞬時に捉え、そしてその左腕に多大なるダメージを残していった。
「それを証明出来なければ意味が無い、それを出来なければ何も変わらない……それなら、私は何をすれば良い?」
そんな事を呟きながらも、更なる追撃を警戒するように移動を続ける零。
だが忠志はそんな零の元へ接近し、それを見た彼女は、撃退士の攻撃の射線上に誘導されないよう、警戒を強める。
――しかし、忠志はそんな零に対して直接、目にも留まらぬ一撃を繰り出した。
「何、フェイントだと言うの……?」
警戒していた事が裏目に出て、回避が間に合わないと考えた彼女は、刀で直接忠志の攻撃を弾き返す。
その内に再構築された包囲網は、零の事を壁際に追い込んだまま、逃そうとはしない。
零が自分以外の方へ注意を向けている事を理解した雫は、その隙に体内のアウルを放出、水のように変質させたそれで自らの傷を癒した。
「……自分が成すべき事を貫き通す為には、負けていられない。負け続けるだけでは、何も変えられない」
そう呟いた零は重圧を振り切り、唐突に春樹の元へ急接近する。
それを見た春樹は、地中から伸びた根が身体に絡みつく幻覚を見せる事で、零の拘束を試みる。
しかし零はその幻覚に負けず、春樹の横を通り過ぎ、状況の立て直しを図ろうとしているようだった。
「捕らえようとしていた獲物が逃げれば、狩人は決まってそれを追う。それと同じように、きっと」
だがそれはフェイントで、零が目的としていたのは、自分の事を追ってきた敵の迎撃。
そんな彼女を逃がすまいと、瞬間移動で後を追うアスハ。
「貴方とはいつか、一対一で正面から渡り合ってみたい。その中で、道を見出せそうな気がするから――!」
アスハの姿を捉えた零は、冷気の力で一瞬の内に彼の正面へ接近、強い冷気を纏った刀を一閃させる。
それに対するアスハは、構えている武器から腕にかけてアウルを集中、腕の前方に魔法陣を展開。
そのまま腕を魔法陣に通過させ、槍状に再練成されたアウルで、その一閃を受け止めようとする。
「ただの一度で良い、それで己の正義を示せると言うのなら……」
槍と刀が衝突したような、その瞬間。
「私は、勝利が欲しい――!」
今まで零が抱く事の無かった、抱こうともしなかったその感情は、アスハの防御を打ち破り、彼の事を吹っ飛ばした。
「正義を問うだけに留まらず、勝利を渇望する……か」
「っ!」
攻撃後の隙を突くように、ベルメイルは上空からの射撃を行い、回避行動を取った零の事を、再び壁際へ追い込んでいく。
そして零が地面に着地したその瞬間、忠志は彼女に向け、輝きを宿した大鎌で斬りかかる。
零は即座に刀を構え、そんな忠志の攻撃を受け流すように迎撃した、が。
「迷う必要はありません。貴女が想うその気持ちを剣に乗せ、ぶつかり合えば、答えが出ると思います」
天を蝕む魔水を纏った、雫の武器。
それによって生み出された水の牙は、刀を構え直した零を押し切り、壁に叩きつける。
「休んでいる暇は無いわよぉ? その誰かを信用するなら、裏切られても許せるって言うのなら、示してみたら?」
「休んでいる暇も無ければ、迷う暇も無い。もう私は……戻れない」
Erieの手によって『蒼褪めた死の車輪』が放たれたその瞬間、零は壁を蹴って宙に跳び上がり、それを避けようとする。
だがそれは零の脇腹を掠め、決して少なくはないダメージを彼女に与えた。
「それを示す為には、向き合わないといけない。私自身と、そしてこの現実と」
宙に舞い上がった零の瞳は、澄み切った青色に変色しており、それと同時にその刀には、途轍もない強さの冷気が集まり始める。
身体を捻り、彼女が上空で放とうとしているのは、その『奥義』だった。
「変わらなければ貴方達に勝つ事は出来ない。ならば、変わる他に選択肢は無い」
その構えを見た六人は、それぞれの持てる技で迎撃を行おうとする。
レティの熱愛と名付けられた、ベルメイルの一撃。
アスハが構えている対戦ライフルから放たれる、魔断杭。
そしてErieが現界させる、破滅の空間。
「一式」
零がそう呟くのと同時に迎撃の体勢を取る春樹と忠志の横で、アスハの行動を待つ雫の姿。
「絶対零度――!」
巨大な氷の刃が放たれるのと同時に、それを打ち破らんとする六人の技。
攻撃後の隙を狙うように動くアスハだが、彼が狙っていたのは、雫が追撃する為の目くらましで。
そんなアスハの行動に合わせ、零本体を巻き込むように、蛇の姿をしている水のようなアウルを放った雫だった……が。
絶対零度が打ち破られたその先には零の姿は無く、彼女は奥義迎撃の瞬間を利用して、既に撤退していたようだった。
雫の放ったそれは零が居たであろう場所を的確に捉えていたものの、既にそこには居ない彼女を撃ち抜く事は無く。
零が撤退し、静寂に包まれたその場所には、彼女が使っていた刀の鞘と、キラキラと輝きを放つ氷の破片だけが残されていた――。