●再び秋霖へ
薄く灰色の雲からぼんやりとした光の差しこむ空。
そこから未だに降り続き、やむ気配のないしとしととした雨。
すでに見飽きてきたその光景だが、再び動物園の内部を進んでいく撃退士たちの表情は真剣そのものだ。
(「まさか天使と戦う事になるとは思わなかったな……」)
久瀬 悠人(
jb0684)が空を仰ぎつつ、昨日の邂逅に思いを馳せる。
いつかと予想はしていた事だが、いざ相手をするとなると手ごわいどころの相手ではない。
「やはり、昨日氷鳥が現れた場所の先が怪しそうですね」
御堂・玲獅(
ja0388)が横を進むシルヴァリティア=ドーン(jz0001)に声をかける。
防犯カメラの映像を確認した撃退士たちは、雨の降り始めたその日からリネリアらしき人物がやってきている事を知った。
一見楽しそうに動物園の内部見て回る彼女だが、スライムにより厳重に守られていたエリアの周囲で映っていることが多い。
もちろん、トラ舎も多く目撃された場所のひとつだ。
「この雨降らしの結界を作っている大元もどうにかしないとね」
レーヴェ(
jb4709)の言葉に青鹿 うみ(
ja1298)も大きく頷く。
雨の絡繰自体は映っていなかったが、それもきっとその先にあるのだろう。
作戦について話す二人の後ろで、後ろで括った艶やかな黒髪を風に流して澄野・絣(
ja1044)は青鹿の様子を伺う。
自身の意識に根付いた仁義。仲の良い年下の少女となれば守りたいのはなおさらだ。
「今日でこの雨については決着を付けさせてもらいますよー」
ふと、撃退士たちは一度足をとめた。
その先にあったのは、一人と一匹の影。
生命探知や異界探知をせずともあれがなにものかわかる。きっともうすでに向こうはこちらに気づいているのだろう。
迂回しても無駄だと感じた撃退士たちは警戒しながらゆっくりと進んでいく。
そこを越えなければ、目的地へは辿りつけないから。
「あぁ、やっぱり来たんすね!」
かけられたのは軽い言葉。
だがその軽さとは、裏腹に辺りの空気が重圧を帯びてのしかかってくるかのような錯覚に襲われる。
人懐こい笑顔に長い紫の髪、腰には鎖の付いた手投げ槍を差し、純白の鎧で補強された衣服を纏う翼をもった彼女はまさに戦乙女といった風貌だった。
「貴女みたいな性格の天使が多ければ、私はここまで天魔に落胆せずにいられたかもしれないわね……」
その性格はいつか自分自身に災いを招く、放たれるプレッシャーに負けることなくそう付け足すイシュタル(
jb2619)。
「そう言われると嬉しいっす。……このまま帰ってもらえるともっと嬉しいんすけどね」
「そういうわけにはいかないんだよな。騎士団って格好良いから好きだけどさ」
先程どおりの軽い調子で言葉を紡ぐリネリアに、二本の大剣を構えながら久瀬が応じた。
「虎は好きだが、人に害なす天魔の手先なら話は別だ」
彼女の傍らで座る姿勢を崩さない白虎をしっかりと見据えながら虎落 九朗(
jb0008)が言う。
「まぁ、そっちにもそっちの正義があるのは分かってるっすよ。お互い譲れない物はあるっすからね。だから――」
リネリアの声から軽い調子が抜ける。
腰に差した手投げ槍を抜くと同時に、白虎が立ちあがった。
「ぶつけ合うしか、ないっすよね。『紫迅天翔』リネリア、いざ行くっすよ!」
それを合図にするように撃退士たちも行動を開始する。
戦いの火蓋は切って落とされた。
●秋霖を払う
イシュタルは青みかかった四枚の翼を、レーヴェは一対の黒い翼を広げ、それぞれ空へと飛びあがる。
呼び出しに応じて現れた紅く輝く単眼をもつ騎竜を駆り久瀬が駆けだすのとほぼ同時に戦場を翔ける白い影。
リネリアがふーちゃんと声をかけたその白虎が主人に殺到せんとする撃退士たちにまずは挨拶とばかりに爪を振るう。
――キィン。
甲高い金属音を盾その爪を受け止めるのは、御堂の掲げる魔を払うとされる白銀の盾。
先日は不意を打たれた一撃だったが、今回は違う。
彼女の持つ盾は虎の爪をしっかりと受けきり、力のほとんどをいなしていた。
それに合わせるように急降下したレーヴェの戦斧が弧を描き、次いで澄野の放つ矢が突き刺さるが、まだまだ白虎は健在。
攻撃の勢いを生かし白虎が撃退士たちを通り過ぎた刹那、地面から大量の鎖が現れた。
太さや大小さまざまの鎖は、まるで生きているかのように動き撃退士たちを捕縛せんと迫る。
それは空中にいるものも例外ではなく鎖はがっしりと脚部にきつく食らいついてきた。
「やはり強敵には変わりありませんねー」
後方から戦場を見渡していた澄野は、仲間全員がこの鎖による攻撃を受けているのを見た。
鎖による広範囲の攻撃、だが虎は避けるように撃退士たちを追尾している。
鎖を払いのけられたのは一部だけのように見えたが、人影が一つリネリアに肉薄していた。
白鎧の騎竜を走らせリネリアへともう少しの距離まで迫る久瀬だが、他の仲間たちと同じく足元からの沸き立つ鎖が彼を阻む。
リネリアは目の前に割り込んだ黒い疾風へ手に持つ投槍を水平に構える。
ガンと音を立て銀刃と蒼刃の同時攻撃を受け止めたリネリアは、おぉと感嘆の声をもらす。
「騎士がそっちの専売だなんて思うなよリネリア」
リネリアがふと目をやると、鎖に絡まれたままはらはらと光の粒子を零し還って行く彼の騎竜。
動けずとも騎竜は首を大きく振り上げて主人がリネリアの元へ跳ぶのに十分なだけの推進力を生みだしたらしい。
サーバントかセフィラ・ビーストか、共に戦う存在の違いはあれど、リネリアにはそれがよほど固い絆で結ばれていないと出来ない芸当である事がわかった。
「百聞は一見にしかずってやつっすねぇ、バル」
久瀬のすぐそばに現れた蒼き竜を見据え、リネリアは楽しそうにつぶやいた。
降りしきる雨の中、戦いは激しさを増している。
御堂の手にあるエレメントクリスタルにリネリアは一度視線を向けたが、その後とりたてて狙われるような事はない。
もし、奪われたらわかるような理由があるのだろうか。
そちらの目論見は外れたものの戦場は徐々に木の生えしきるエリア――おそらく雫のあるであろうエリアに移動しつつある。
恐らくこのあたり、と仲間に報告をしつつ御堂は加護を鎖に捕らわれた青鹿へとかけた。
淡く輝く光に包まれた青鹿は脚に絡みついた鎖を払うと、風を纏い木々の隙間に紛れ込んでいく。
凧型の大盾を構え虎の爪や牙を凌ぎ続けている虎落の後ろ、澄野の放つ矢の回避のために身をかがめた虎へと青鹿が投げた扇は燃え盛る焔を纏い飛翔する。
虎の背をかすめた焔を纏う風は、その背を熱と風を以て焦がしていった。
それと同時に噴き出すのは白き靄。
視界を奪う効果をもつ靄が目に入り悶える白虎に桃色の軌跡を残し蒼銀色の一閃が加えられると、白虎の胴に傷を作った。
反撃とばかりに振るわれた虎の前足から飛び出す真空波。
轟という音とともに木々を切り裂きながら飛び出した見えざる刃が視界を奪われたお返しとばかりに青鹿に迫る。
イシュタルが展開した防御網に勢いをそがれたものの、青鹿は肩を裂かれ赤い血が流れたが、虎落の放った白い燐光がそっと一撫ですると傷は塞がっていった。
リネリアの足止めは上手くいっているらしい、白虎とリネリアがもう少し離れたところで作戦を実行しよう。
そう青鹿が考えた刹那、白虎が突然リネリアのいる方へと下がり始める。
(「来られたら、一番嫌なところに合わせるの……」)
ふと、作戦を立てる上で考えたフレーズが頭をよぎる。
今回の作戦でされてしまったらもっとも困ること、それは――。
風を斬り一本の鎖が飛んでくる。
その鎖は隊列の後ろで戦闘に参加していたシルヴァリティアに絡みつくと彼女の体を高く高く持ち上げる。
一拍の間を持って、鎖は引き戻され彼女はリネリアの傍まで引き寄せられた上で地面にたたきつけられた。
「妨害が邪魔で進めないなら寄せればいいってか!?」
全体への打撃で防御力を確かめたリネリアは装甲の薄いところから一人ずつ撃破することにしたのだろう。
森を駆けシルヴァリティアに襲いかかろうとする白虎へと隕石を打ちこむ虎落。
飛来する石を避けるため虎の速度が落ちた隙に、御堂が彼女と白虎との間に割り込めた。
障壁を展開したものの、立つのも精一杯といった彼女に虎落と御堂が癒しの光を重ねるが完治には至らない。
そこからそれほど遠くないところでリネリアは体をひねり両手をそろえ振りかぶっていた。
戦闘中、何度か見たその光景。
虎が射程内にいない今ならばと、生み出された巨大な真鍮色の鎖が振りまわされようとした瞬間、虎落がリネリアの目の前に立ちはだかる。
「……下手したら死ぬっすよ?」
他人の回復と鎖からの解放を優先し味方の盾となり続けた結果、彼の服は真っ赤に染まってしまっている。
それでもなお、彼は揺るがずに鎖をまっすぐに見つめていた。
迫る鎖。
彼の構える盾と防御に特化された彼のアウルとが合わさり、展開される。
見事彼は守るべき者に届く前に鎖を受け止め――。
そしてまだ立っていた。
「負けません、勝つまではって奴だ」
虎落はにやりと不敵な笑みを浮かべると、口元の血を袖で拭った。
自分と連携し同時攻撃を試みた白虎は、翼をはばたかせ割り込んだレーヴェの斧を避けようとしたところ、足元に展開された結界に足止めされているようだ。
その結界は恐らくかつての同胞のもの。
既にかなり消耗しているはずの撃退士たちだが、その闘志は全く衰えを見せる気配はなかった。
「ねぇ、あれ!」
低空飛行をしていたレーヴェが何かに気づく。
それは、木の根元に空いた洞に隠れるように置かれた蒼く輝く小さなもの。
「どうやら、あれのようですね」
御堂、レーヴェ、イシュタル、久瀬の四人に行く手を阻まれ、石の方へと進めずにいるリネリア。
もう少しで撃退士たちが石に辿りついてしまう、 そう思った刹那、連れ添う白虎が駆けだしていた。
石を狙う撃退士たちまであとわずかのところで、シルヴァリティアの詠唱に呼応し足元から突如現れた腕に絡みつかれる。
「来るって、わかってました」
……信じてた、かも。そう小さく付け足して身動きが取れない白虎へと青鹿が走り寄って行く。
リネリアの表情に初めて焦りの色が見える。
すぐに青鹿を狙い振るった鎖は、体力に余裕のない彼女にとって致命的な一撃になりうるはずだった。
戦場の後方で戦況を眺めていた澄野は、青鹿へと飛来する鎖がよく見えた瞬間、弓を刀に持ち替え走り出していた。
もちろん、彼女の術の成否がこれからの戦況に大きく関わっているというのもある。
それに、小さいころから教え込まれた義侠心に駆られたというのはもちろんある。
だが、それ以上に――。
大切な友人が地に伏して血を流す様など、見たくはなかったのだ。
迫りくる鎖はどこかコマ送りのようにゆっくりと見えていた。
友人よりも鎖の側へ、彼女の考え通り鎖は彼女を補足するとそのまま体を絡め取っていく。
千日紅の紅緋は、終わりのない友情の章。
宙を舞う彼女は、まるで一輪の花のようだった。
「絣さんっ!?」
駆け寄りたい衝動に駆られる青鹿だが、友人が身を挺して稼いでくれた時間を無駄に使うわけにはいかない。
動けぬ虎を抱え上げ飛びあがるとまっすぐ頭から叩きつける。
「ふーちゃんっ!!」
背後から聞こえる叫びにも動じず虎が意識を失ったのを確認すると味方に一斉攻撃の合図を送った。
辺りを焼きつくす火炎に戦斧の一閃が加わったところで、ふらふらと頭を振りながら白虎が起き上がる。
御堂の銃弾の援護を受け、斬り込む虎落は回復が打ち止めだからか大剣を構えている。
迎撃するように駆けだした虎。
虎の爪が虎落の左肩を抉ると同時に、大剣の切っ先は白虎の右眼を貫いていった。
大気を震わす白虎の悲鳴にさすがになり振り構っていられなくなったのか、強引にそちらへと向かおうとするリネリア。
上空から降下してきたイシュタルの一撃をリネリアは翼の羽ばたきで回避する。
「……今の私では貴女の相手にはならないかもしれないけれど、やれるだけの事はやらせてもらう」
今のところリネリアが受けた傷はほぼ全てかすり傷。
実力もはるかに及ばないかもしれない、だがそれでも後ろの仲間たちの方へ向かわせてはならない。
「ったく、そんな顔するなら戦うなよな」
二刀を携え、久瀬が駆けだした。
この天使はどこか自分に似ている、サーバントを家族のように扱いこんなに必死になっている。
だが――。
「俺達も必死なんだよ。だから柄にもなく、俺も頑張ってるってな!」
迎え撃つように伸びる鎖を蒼の竜は代わりに受けてくれた。
心の中で小さく礼をし、跳躍をすれば目の前にいるのは鎖を投げた姿勢のリネリア。
久瀬が横薙ぎに振るった大剣に合わせるように、イシュタルもまた聖槍を突き出す。
撃退士たちの必死の思いが乗った一撃。
その気魄に押されてか、白虎の事で精いっぱいだったか、たった一瞬リネリアの回避が遅れてしまう。
それはほんのわずかな時間だったかもしれない。
だが、それでも久瀬の双剣とイシュタルの聖槍は天を翔ける風を斬り裂いた。
「今ですっ……!」
それとほぼ同時。
青鹿の投げた扇が纏う焔風が蒼く煌めく宝石へと命中する。
唯の石ならば瞬時に砕かれるであろう焔に焼かれるが、蒼の宝石ははじけ飛び地面に転がるのみ。
だが――。
石の放つ蒼い輝きはゆっくりと消えていき、それに呼応するように雨は徐々に弱くなっていった。
●雨上がりの風
「まだ、やる?」
槍を突き出した体勢でイシュタルはリネリアに問う。
彼女の聖槍はリネリアの左腕に傷を作りその服を鮮やかな赤で染め上げていた。
「いや、『雫』を守り切れなかった時点で自分の負けっすよ」
自身の受けた傷、そして地面に転がった蒼い宝石を見遣り、リネリアはそう答える。
石が機能停止した以上、再設置するには撃退士たちを全滅させたうえで再び時間をかけなくてはならない。
また、石の機能がまだ生きているかどうかすら分からない以上、ここで出すべき答えは決まっていた。
地上に降りた彼女の足元に隻眼になった白虎が駆けよる。
そっとその頭を撫でると、敗走だというのにどこか満足げな顔でリネリアは言った。
「次は負けないっすからね!また来るから、覚悟をしておくといいっす!」
天使が去った後、『雫』と呼ばれた宝石を回収し撃退士たちはその場に座りこむ。
既に気力だけで立っていた者たちも少なくはなかった。
だが、それでも誰ひとり死者を出すことなくこの人数で天使を退ける事に成功したのだ。
青鹿が倒れた澄野を抱き起こし声を掛けると、彼女は弱々しいながらも笑みを以て応える。
見上げた空には輝く太陽が戻ってきていた。