●秋霖の中へ
「……体調が優れないのなら悪化する前に帰って安静にするべきだとおもうのだけれど」
今日はなんだか体がだるいという来園者に対して、イシュタル(
jb2619)はそう声をかける。
やはり、この雨は人体に影響のあるものらしい。
これ以上の被害を防ぐため、本当は嫌いな天魔の考え方に思いを馳せる。
「全く……鬱陶しい雨ね……」
見上げた空から降り注ぐ雨は未だに降りやむ気配がない。
(昔は姉さんとよく来たっけな)
久瀬 悠人(
jb0684)はかつて姉ときた思い出を辿りながら園内に残っている人から情報を集めている。
自分に色々な事を教えてくれた姉。
少しはその背中に追いつけたのだろうか、彼はそう考えていた。
「このジメジメが嫌だな。マジで勘弁……チビ何とかしろ」
反応がないのは予想通り。
一つ、ため息をつくと彼は再び調査に戻っていった。
「職員さんの方で、雨に濡れて体調が悪くなった人とかっていますっ?」
事情を聞きに事務所にやってきた青鹿 うみ(
ja1298)と澄野・絣(
ja1044)。
何かをしているのは確かだが、目的が未だつかめない。ここで何かを探したり待ってたりするのだろうか?
仲の良い二人で動物園を回るのはとても楽しいことだが、もちろん仕事の事も忘れてはいない。
職員からの返答はどこか要領を得ないぼんやりとしたもの。
そのやり取りを見ていた澄野はここに来るまでに話した来園者たちよりも、職員の方が体調不良を通り越して無気力や無表情な状態に陥っていることに気づく。
「時間が関係しているのでしょうかー」
室内で作業していることが多いはずの事務員。
雨に当たっていなくても影響しているのであればその可能性は非常に高い。
それを受けて、職員と避難経路の打ち合わせに来ていた虎落 九朗(
jb0008)が現世への定着を試みる。
その効果は覿面だった。
定着が行われると職員たちの表情にはっきりと変化がみられ、ふぅと一つ息がこぼれる。
それが意味することは唯一つ。
ここで感情の吸収が行われているという事だ。
撃退士たちは園内の探索を切り上げ、職員を含んだ一般人たちの避難を開始する。
避難誘導のために園内を巡回していた虎落は、トラ舎の方へと進んでいく。
このあたりの来援客はおおよそ避難させたはずなのだが、先程確かにちらりと人影が見えた気がしたのだ。
警戒しながら内部へと進んでいくと、そこにいたのは一人の女。
どこか上機嫌にガラスの向こうの虎を眺めていた。
その様子に虎落は違和感を覚える。服装に別段変なところはなく、長い紫色の髪も深い緑色の瞳も学園ではそう珍しくもない。
その違和感の正体、それはこの雨の中でも疲れを感じたそぶりを欠片も見せていないということだ。
とっさに異界認識を発動する。
もしかしたら、人に化けている天魔かもしれないと思ったがその反応は出てこない。
その結果が意味すること、それは彼女が本当に天魔ではないか、あるいは――。
「あなたも、虎が好きなんっすか?」
人懐っこい笑みを浮かべたその女は不意にそんなことを聞いてきた。
「虎はいいよな。巨大な猫、っていうにはちょいと獰猛だが、でかくても猫科の愛らしさは損なわれてないし、むしろそこにプラスして格好良いし」
内心の動揺を見せぬよう、そう答える。
とはいえ、これは本心でもあるので言葉はスムーズに出てきた。
「奇遇っすね、私もっすよ。さっききてた人もそう言ってたっすから、けっこう好きな人も多いのかもしれないっすね」
どこか嬉しそうにそういう彼女に、虎落は避難の指示が出ていることを伝えておく。
あっさりそれに従いトラ舎を出て行く彼女はたしかにこう言った。
また後でっすよ、と。
「四国各所での不穏な動き。今になってようやく天使たちが動き出したって事かな……」
職員と共に避難誘導を行い、職員たちもまた逃がした後の無人の動物園をレーヴェ(
jb4709)が見回って行く。
青鹿の作成したメーリングリストも功を奏し、避難は驚くほどスムーズに進んだ。
降り注ぐ雨に合わせて今回の相手も水系列のものなのだろうか。
園内の水があるところ、堀のあたりや動物用のプールが怪しいのではと目星をつけ園内を歩むと案の定。
水から水へとぼんやりと空間が歪んでいるのが目に入る。
だが、撃退士であるレーヴェにははっきりとそれがそこにいるなにか、おそらくスライムのせいで奥の景色が歪んで見えるだけなのだとわかった。
「単純というか……本当にいるとは思わなかったわね」
仲間に連絡をすると御堂・玲獅(
ja0388)の生命探知と異界認識の甲斐もあり大体の敵の場所は判明したらしい。
敵はおそらく今発見したものを合わせて5体。
他にあった反応は檻の中の動物たちと空を飛ぶ反応、見たところ鳥くらいだという。
レーヴェは巨大な両刃の戦斧を構え直し、敵を誘いこまんと行動を開始した。
●秋霖に紛れ
無人になった動物園のほぼ中央。
サルのいるエリアで撃退士たちはサーバントと戦闘を開始した。
対峙するサーバントは青味がかってはいるものの限りなく透き通り反対側が透けて見えるほどのスライムが5体。
そのスライムは、ぐねぐねと体を曲げ伸ばしさせて撃退士たちに近づいてくる。
木々の間に紛れ気配を消す術を駆使しながら、青鹿がスライムたちのすぐそばまで接近していく。
呼び出すものは火炎の蛇。
突如木の脇から飛び出してきた業炎で作られた蛇はうねるような軌道を描き、3体のスライムを飲み込んでいく。
半分液状のその体を舐めるように丹念に焼いて行く炎で中央の一体はぶすぶすと黒い煙を上げているが、それ以外の二体は何事もなかったかのように青鹿の方へと自身の体で槌を形作って叩き下ろす。
「わわ、効かないっ?」
その槌の一撃を地に転がって避けると、身を隠すのに使っていた木が根元から叩き折られた。
「まだ終わりではありませんよー」
攻撃で身体の伸びきったスライムに突きたてられる無数の矢。
長大な和弓から澄野の放った矢にスライムは慌てて身を引き戻して体勢を立て直そうとする。
「ここでなら……私のアクスでも思いっきり振り回せるな!」
その一体を狙い、レーヴェの持つ戦斧が振り下ろされた。
横薙ぎ一閃から、大きく振りかぶり叩きつけられた斧の一撃にぶちりと音を立て一体目のスライムが両断される。
「っと、やっぱりか」
先程まで自分がいた場所に噴出された高圧水流をバックステップで回避した。
青鹿の火の蛇を逃れた二体と魔法の効いていた一体に無数の彗星が降り注ぐ。
灼熱の彗星の衝突に一体は降り注ぐ彗星のほとんどをはじいたものの残る二体は表面が焦げ、その姿が目視しやすくなった。
「あれが狙い目ですよー」
後衛から戦況を眺めていた澄野が指をさした個体は多くの攻撃を受け、今にも崩れ落ちそうなもの。
御堂が頁を手繰る童謡から放たれた小さな光球を受けようと盾を形成するスライムだが、光球はスライム掠めて背面へと抜けると急旋回。
無防備な面に光球の直撃を受け、じわりとスライムは溶けていった。
(最近四国で確認されている雨、吸収という面では近いのはゲートだけど……)
紅い単眼を輝かせ神々しい純白の鎧を持つ騎竜を駆り、戦場を翔ける久瀬。
縦横無尽に戦場を抜け、大型の剣二本を器用に操りスライムを斬り裂いて行く。
直撃を受けた味方は御堂が放つ癒しの光により大事には至っていないが、火力は十分に高い。
自分の姉もこのような戦いを切り抜けてきたのだろうか。
そのようなことを考えていると唸りを上げ向かってくる高圧水流。
――バジッ
何かに爆ぜるような音を立て、御堂はその水流を盾で受ける。
久瀬は手短に礼をいうと最後の一体へと向き直り、ランパードを走らせすれ違いざまに一閃した。
大きく揺らぐスライムにレーヴェの斧が叩きこまれ、焔を纏った扇、必殺の一矢がそれに続く。
「これで、終わりね」
蒼みがかった翼をはばたかせイシュタルの突き出したランスにスライムはもう二度と動かなくなった。
「ねぇ、乾いたにしては早すぎない?」
戦闘後、周りを見回していたイシュタルがふとそんなことを言う。
先程の戦闘では傘をさすわけにもいかず、ほとんどの人がレインコートを着ていたが、激しい動きにフードが取れてしまう場面があった。
当然髪は濡れてしまっている――はずだった。
だが、再び差し直した傘で濡れなくなった途端に濡れていたはずの髪が乾いていってしまったのだ。
「やはりまだ何かがあるようですね」
「……ちょっと、不愉快な雨……」
応じた御堂の横でレーヴェが未だ雨の降りやまない空を見上げて呟いた。
「このあたりに何かありそうやないですかっ?」
仲間たちが集めた情報が書き込まれたパンフレットの地図の中、青鹿はとある一点を指差して言う。
虎落が集めた情報によるとそのあたりでの空間のゆがみ、つまりスライムの活動とみられる目撃証言が多いという。
また、御堂による生命探知でも他の地点は一体ずつなのに、この付近では二体と厳重な警戒が伺えた。
「それでは、そのあたりから回ってみましょうかー」
澄野の呼びかけに一同は移動を開始する、が。
「……?」
最初に違和感に気づいたのは御堂。
何かに見られているような違和感に、辺りを見回した。
「やっぱり何かおかしいよな」
久瀬も共にあたりを見回し始める。
付近には人影は見当たらない。
強いて言うならば近くの木の上に鳥がとまっているくらいで……。
鳥……?
あの鳥はいつからそこにいたのだろうか、思い返してみると戦闘が始まった時にはすでに。
「なるほど……」
御堂がわずかに残っていた異界認識を試みる。
その結果は――。
撃退士たちからの一斉攻撃に鳥は慌ててその木から飛び上がる。
偽装を解き、薄氷色に染まった翼を大きく羽ばたいた鳥は空中で旋回。
撃退士たちの方へと向かってきた。
「延長戦だな。来い、エルダー」
久瀬が回路を高速展開し、傍らに現れたのは蒼竜。
片方の角が折れた首をもたげると接近する氷鳥を翠色の瞳でじっと見据える。
「もう一羽来ますよっ!」
自分たちの進行方向、怪しいと思っていたエリアから氷鳥がもう一羽飛んでくるのに気付いた青鹿が声を上げた。
二羽を相手に挟撃を受けぬよう、撃退士たちは陣形を整える。
既に近づいていた一羽は頭部を大きく上げると、氷の息吹を吹き付けてきた。
多くの範囲を巻き込み、極寒の息と細かい氷片が撃退士たちを切り裂いていく。
「いくら来たって倒していくだけだよ」
蒼竜の加護があったとはいえ身に纏わりついた氷を振りおとしつつレーヴェの斧が振り下ろされる。
ぎゃんと耳障りな悲鳴が聞こえ、氷鳥の一羽は慌てて一度距離を置いた。
凍てつくような低温で、体の動きが鈍った青鹿へと二羽目の氷鳥が迫る。
両者の間へと、彼女を庇うように澄野が薙刀を構えて前に出た。すっと刃先をさげ、まっすぐに向かってくる氷鳥を目で捕える。
標的を変更した氷鳥の鋭い爪が彼女の肩を抉るのと同時に突き出された薙刀は翼の付け根に深々と突き刺さる。
バランスを崩した鳥に飛来するアウルの槍、次いで放たれた二刀の斬撃。
虎落の放った戦乙女の槍が氷の鳥の体力を奪い、久瀬の斬撃はその美しい羽を散らしていく。
御堂による清らかな光で低温を振り払った青鹿がお返しにとばかりに焔を纏う扇を投擲した。
冷気を得意とするものに炎は苦手だったのか身を焼く焔にふらふらと不規則な飛行を続ける氷鳥に正確な一矢が撃ち込まれる。
狙い通り頭部に矢が突き刺さった氷鳥は地面へと落下して行った。
「同じ手は食わないよ」
再び吹きつける氷と冷気の嵐を身にまとう網と白銀の盾で受けるイシュタルと御堂。
攻撃後の隙にイシュタルは白銀の聖槍を振るい、御堂は傷ついた仲間を癒す。
もう一羽が撃破された時点で氷鳥に勝機はない。
戦斧の一閃、槍の刺突、黒鉄色の銃弾を身に受けた氷鳥は御堂の振るう復讐者の名を持つ双剣の前に散った。
地に落ち動かない二羽の鳥の元にレジャーシートを片手に近づいて行く。
そっと、その鳥を回収しようとしゃがみこむと――。
●秋霖の元へ
「危ないっ!」
慌てたイシュタルの声に、倒した鳥を回収しようとしていた御堂が盾を呼び出し掲げる。
――ギィンっ。
鈍い金属音をたて、盾が防いだのは大きな鋭い爪。
盾越しですら感じる衝撃の強さに一瞬顔をしかめるが、傷はそれほど深くはない。
爪の一撃を加えた影、巨大な白い虎はその攻撃が防がれたのを悟ると大きく跳躍し撃退士たちをじっと睨みつけていた。
「本当に、私の予想以上っすね。その子たちまで倒されるととは正直なところ思わなかったっす」
後ろから不意にかかった声に撃退士たちは白虎の動きを警戒しながら振り返る。
そちら側から肌を刺すようなプレッシャーを確かに感じながら。
そこにいたのは長い紫色の髪をした女。
しかし先刻虎落が見たときとは違い、外から当てる形で白銀の鎧を取りつけたしっかりとした作りの衣服を身にまとっている。
「ほんとはこんなに早く出てくるつもりはなかったんっすよ?でも、その子たちを連れて行かれるわけにはいかないっす」
柔和な笑顔ではなく真剣な表情で彼女はゆっくりと近づいてきた。
「あなたは、誰なんですか?」
しっかりとその女の目を見つめ御堂が問う。
「私は、『紫迅天翔』リネリア。ツインバベルの栄誉ある『焔劫の騎士団』の騎士、っすよ」
突如現れた天使、今の状態ではとても戦えるような状態ではない。
だが――。
「その子たちを返してくれるなら、今回は戦うつもりはないっすよ。また、来るんだったらわかんないっすけど」
あっけなく、リネリアはそう言った。
「何に使うつもり?」
後方の白虎に警戒をしながらレーヴェが尋ねると、リネリアは弔ってあげたいだけだと答えた。
「戦力が増えるかもしれないのが不安っすか?だったら、次来た時は私とふーちゃん、あぁそこの白虎だけでお相手することを騎士の名にかけて約束するっすよ」
こちら側としては願ってもない提案。
だが信じられるのか……。
「……今回は退こう」
周りを見渡し、久瀬がそう提案する。一度戻って、そして再びこの地で勝利を手にするために。
「そうですねー。一度報告をする必要はありますしー」
「うんっ。また戻ってきますからっ」
しっかりと前を見据え言う澄野の言葉に合わせて青鹿がリネリアにそう告げる。
「いつでも、受けて立つっすよ」
応えるリネリアの視線は最後に虎落に向けられた。
確かに先程虎はいいと言ったが、自分たちの後ろにいる虎は間違いなく人に害をなすもの。
「俺は虎落だ。今度来るときは、この動物園に来る人のために、付近に住む人を護るために――」
――その虎を狩ってみせる。
秋霖を払う希望は次へとつなげられた。