●満月の夜
がさり、と小さな茂みの音。
簾 筱慧(
ja8654)は素知らぬ顔で熱心に木の葉と睨めっこ。
黄金と紅の華やかに色彩溢れるドレスを纏う彼女は、背に薄い妖精の羽。
彼女の手元を覗き込むのは、裾に刺繍をあしらった銀糸の膝丈ドレスで、両サイドに結んだ髪にも揃いのリボンの逸宮 焔寿(
ja2900)。
幼い面差しの彼女は、殊更好奇心を詰め込んだ顔で隣へと話しかける。
「何をしてるんです? 豊花」
「秋の準備をしてるの。色を忘れた子がいたら、紅く塗らなくちゃ」
非現実的な会話をするのも、勿論彼女らの演技だ。
「秋か、季節が移り変わる頃は私達も忙しくなるね」
優雅に長椅子に寛いでいる天風 静流(
ja0373)が顔だけを起こして微笑む。
顔は薄いヴェールに覆われており、綺麗な顎のラインや艶やかな黒髪ばかりが見えてやけに神秘的だ。
艶やかな髪に映える青のドレスはシンプルだが品の良いもの。
ふと寝そべっていた少女――フェリーナ・シーグラム(
ja6845)が、あ、と小さな声を立てる。
フリルのブラウスに深いブルーのリボンが連なるスカート。足までも届く長い髪。
動く度に、藍の光が辺りを揺らめかせる。
「あの、今日はお茶会だった…よね?」
『あれ!?今日お茶会だったの!?』
受けるのは桜の花びらを幾重にも重ねて仕立てたような薄いピンクレースに飾られたミニスカドレスの少女(?)、御手洗 紘人(
ja2549)ではなくてチェリー。
フィン・スターニス(
ja9308)が彼女の側で大きな紫の眸を瞬かせ。
「星の橋をもう、渡ってるみたいだよ」
星の妖精らしく、黒を基調に布を重ねた華やかなドレスに金や銀のアクセサリが涼やかな音を立てている。
指先が、天の川を示して動いた。そこから天使が来るのだと。
「あ、そうだった。準備しないと」
簾が立ち上がる。衣擦れの音と共に向かうのは、テーブルへ。
忙しなく、紅茶の缶の選別や、食器のチェックへと動き回る。
「――大丈夫だ、私たち皆で頑張ろう」
天風も涼しげな表情の侭で、テーブルクロスを掴むと大きく広げて風を孕ませる。
目に見える白さが、鮮やかに夜気の中で翻り。
「ふ、フィリナが天使さん呼んできますー!」
ぱたぱたと足音が立つような慌て具合も、全員の仕掛けだ。
彼女が、興味を示してくれますように。
●お茶会
「メルクール! 珍しい花が咲いてるよ」
菓子を盛り付けていた逸宮が賑やかな歓声を上げる。
持っていたお皿もなんのその、身体を弾ませて手招きする。
メルクールと呼ばれたフィンも綺麗だね、と二人で思わず笑いあってから。
「お茶会の準備は、エンジュ?」
首を傾げられて、逸宮は大きく目を瞠る。
「そうだった! てへぺろ☆なのですっ」
少女達がじゃれ合う空気は、如何にも華やいでいて。
「これはこれ、あれはあそこに。うん。いいかんじ」
その間も、てきぱきと働くのは簾だ。
「天使さん、来たよーー!!」
フェリーナが皆に向かってぶんぶんと手を振る。
声に合わせ舞い降りてくるのは翼を背負う二つの影。
世界が虹の光に包まれるのは星杜 焔(
ja5378)の光纏によるもの。
彼とカタリナ(
ja5119)は共に白の長衣に身を包み、空から歩いてくる。
「あらまあ、失礼致しました、ご準備の最中で御座いましたのね。お手伝い致します」
荘厳な雰囲気を纏い片手を差し出すカタリナに首を振るのはチェリー。
『天使様の手を煩わせる訳にはいかないです〜☆きゃっ!!』
言った瞬間に、彼女が大きく躓いてティーポットが宙を舞った。
派手な音を覚悟して首を竦めるが、掌に受け止めたのは天風だ。
「ポットを有難う、チェリー」
物静かながら優しい笑みを浮かべて、早速お湯を沸かしにかかる。
「茶葉はスプーンで人数分にもう一杯。見えないお客様の為に」
歌うように口にする。本で学んだ紅茶の基本を忘れずに。
「俺も並べるの手伝うよ〜」
チェリーの危なっかしさにか焔も結局は手を出して何とか人数分の支度が揃い。
カタリナがお茶会の始まりを告げる。
「本日もお招き有難う御座います」
彼女の声はメリハリの利いたもの。何処かで覗いている観客に聞こえるように。
「秋の準備は整っていますか?」
「うん、今年も素敵な稔りがあるよ」
簾と言葉を交わすのは妖精と天使の会話として。
「紅茶、美味しいね〜」
「月の光の中で摘んだダージリンだ。夜の味がするだろう?」
横では焔が天風と茶葉の話で盛り上がる。元気よくじゃれつくのはフィン。
「次はボクもお茶を淹れたいな! ボク、紅茶を美味しく淹れるのは得意なんだ!……お料理は全然ダメダメなんだけどね……」
最後は肩を落として、満たされた皆のカップを見比べる。
「ボクのお茶、飲んでくれる人いないかな?」
何処かで小さく息を飲む気配。逃さずに、カタリナが視線を流す。
「他にもお客様がいらっしゃるのですか?」
「はーい、フィリナ見て来まーす!」
お喋りに興じていたフェリーナが元気よく立ち上がって、叢の方へ。
蹲る、小さな痩せた少女が――其処には居た。
身繕いも気にかけないのかぼさぼさの髪の、眼ばかりが凍えた色の、栞と言う少女。
全てを失ったとき、自分もこんな痛々しい有様だったのだろうか?
抱き締めたい衝動を堪えて、笑う。幸福や希望の在処を、示すよう。
「あれ、こんばんはー? 今、お茶会してるんだっ。メルのお茶、飲んで行ってよ!」
茂みを掻き分け少女の手をそうっと引く。
『嬉しいな、お客様なんて! わたし、桜の妖精のチェリー☆宜しくね!!』
未だ怯える風な少女に、愛らしいドレスの裾をちょこんと持ち上げてチェリーがお澄ましの礼。
一歩、二歩、少しずつ彼女は進んで皆の端に座る。目だけはずっと皆を追っていた。
「お待たせ! ボクのお茶だよ」
自信満々の風で、一杯のお茶を捧げ持つのはフィン。その侭隣に座ってしまう。
貰ったお茶とフェリーナを見比べる様子に、彼女が率先して自分のカップに口を付ける。
「美味しい! やっぱりメルクールのお茶は最高だよねっ!」
世にも幸せそうに笑って見せれば、――栞も無言でカップを口に運ぶ。
●輪の中で
「私はね。世界中の作物が稔るようにおまじないをかけるの。…ほら。」
未だ、身を固く坐っている少女に話しかけるのは簾。
掌を翳して吐息を吹きかければ、それは大きな風となって空へと消える。
「これで世界のみんなが、豊かに暮らしていければいいよね」
不思議を語る簾にこくり、と頷くのは彼女達が本物の妖精と思い始めているからか。
「お茶菓子も欲しくなってきましたね、ウイスティアリア?」
焔へとカタリナは笑いかける。
「うん、お茶会のお礼に御馳走を振る舞おうか。天使のお菓子だよ〜」
柔らかく頷いて、焔が立ち上がる。指先にぱっと現れるのは、トーチの炎。
準備されているのは飾りタイルや琺瑯であまり生活色を見せないよう工夫をされている調理器具達。
火を移して、その間にカタリナが混ぜているのは粉にミルク、卵は泡立ててパンケーキが膨らむように。
じゅ、と焼けていく優しい音が聞こえ始めて、ケーキの焼ける幸せな匂いが広がっていく。
栞のお腹が、くぅと鳴った。彼女は普段、あまり食事に手を付けてないらしい。
「お料理、お料理だっ! 一緒に食べようね」
聞こえないふりで、けれど楽しげにフェリーナが率先してはしゃぐと驚いた様子で。
「どんな食べ物なのか楽しみ。あれもこれもいいなっ。もちろん一緒に食べるんだよ」
簾にまで言われてしまえばじっと彼女は光景に見入る。
彼女の目の前で舞うのは狐色に焼けたふわふわのパンケーキ。焔がぽうんと飛ばせば、カタリナが空を飛んで皿へと受ける。
飾られるのは同じように焼いたフルーツや、とろりと白いクリームに花の蜜。
薔薇の形が綺麗に残る、花の砂糖漬け。しかも、それを浮かべた紅茶まで。
『天使様の料理凄く美味しい!!』
栞が食べていいか迷うのを見て、早速手を付けるのはチェリー。とろける甘さに演技でなく表情を綻ばせる。
「ほんとですっ。甘くって、ふわっふわでお花の素敵な香りがします。一緒に食べるのですっ」
もく、もく。食べる動作は洗練されているのだが、ひたすら幸福そうな顔で逸宮は金色の蜜が滴るパンケーキを頬張り、勧める。
彼女らの様子に励まされ栞も手を付ける。
「……おい、しい」
小さな小さな、声が聞こえた。
●一夜限りの
会話の合間ふと、カタリナが首を傾げる。
「エンジュが前教えてくれた曲はなんというのでしたっけ」
鼻歌でメロディを再現してみせる。途中で忘れてしまいました、と終える。
「エンジュが実演するのです。お月様の曲なのですっ。
……お月様…月見団子が食べたい。天使さん、エンジュにお団子ください。団子です団子」
意気揚々と銀の笛を取り出しての台詞に、思わず栞がきょとんと目を丸くしてしまう。ぎこちないながら、逸宮の様子は和まされてるようで。
「後で準備しとくよ〜」
無茶ぶりに応える焔の態度もまた平然としたもの。
逸宮は銀の笛を大事そうに取り出す。
表情を引き締め、楽器に口をつけると透明な音色が夜の底を渡る。
彼女はそうして星の輝きを纏いながら、軽いステップで舞い踊り。
繊細で豊かな響きが妖精達の夜に相応しい彩りを添える。
音に呼ばれ立ち上がるのは天風だ。
ヴェールが揺れる、緩やかな動きから。
激しい踊りでは無く、夜の光を映すスローテンポの舞。
空に向けて片腕を差し出しながら足を上げていく動作は、殊更にゆっくりと。
体勢のキープは力が必要なものだが、指先まで力の通った仕草は彼女の武に培ったしなやかな肉体の賜物だろう。
『みんな凄〜い!チェリーも楽しくなって来ちゃった!』
スカートを弾ませて、チェリーは辺りを見渡す。
何をしようか、迷うように。
「ね、一緒に歌おうよ。…そうしたら、きっともっと楽しくなると思うんだ」
フィンが言葉を受けて、天使達や他の皆――勿論栞にも水を向ける。
「それじゃあ、フィリナもとっておきを披露するよーっ!」
藍の光を少女は纏って、フィンと並び立つ。
お互いに目を合わせ呼吸を整えながら。
二人とも、きっと知っている。音楽に込められる想いの尊さを――人の心に、響くことを。
「Twinkle…♪」
皆が知っている童謡を、歌う。
合わせて、チェリーが翡翠の竜笛を奏でる。
逸宮のフルートと重なり、追いかけ、遊ぶように旋律は戯れ合い。
『夜空に虹の楽譜を描いてくるー!』
虹の光がチェリーに合わせて空へと走り――音符の形を一瞬作る。
簾も立ち上がり、天風が舞い踊る横へと星と花のきらめきを添えながら加わる。
二人で時に背中合わせに対照的に、かと思えば手を取ってくるりと小さなスピン。
天風が、踊りの振り付けの一つのよう、栞へと手を出す。
『栞ちゃんも一緒に踊りましょ!』
チェリーが華やかな声で、言葉を足す。自分も回って見せると共に幻想的な光の球を周囲に生んでいく。
天風のエスコートで見よう見まねに手足を動かし始める少女に、カタリナも加わっていく。
輪になって皆が踊り始めるのに歌い手達はより声を高らかに。
フェリーナにとって、この曲は家族とかつて歌いなれたもの。
もう、その頃の家族は誰もいない――けれど。
空に仰ぐは、消えぬ星。
お伽噺は嘘かもしれないけれど、幻かもしれないけれど。
此処にあるのは、確かな歌で。
フェリーナの純粋で澄み切った声が、光のように溢れていく。
フィンは彼女の歌声に添うよう、包むよう。全てを愛して、光と世界をつなぐ。
差し出した手の先から、エナジーアローが放たれて虹の光が浮かぶ空に、星を流す。
「……わあ」
憧れを込めて栞が顔を上げたのを見て、カタリナが誘う。
「お空も、飛んでみます?」
「えっ…?」
迷う、小さな身体をお姫様のように抱き上げるのは焔だ。
彼が地を蹴ると大きく翼が羽ばたき、全てが虹の光に包まれる。
下を見れば夢みたいな薔薇園に、妖精達の輪。
「空を…飛んでる…」
信じられない、と栞の小さな呟きが零れる。
「天使の魔法だよ〜」
焔は、そう優しく笑って彼女の望む侭飛び回る。
●夢の眠りを
小さく、カタリナが欠伸をする。
「今夜もとても楽しかったです。そろそろお時間ですね」
『え!?もうそんな時間!?いけない!!お開きしないと!』
チェリーが名残惜しげにしている栞へと、優しく微笑む。
『チェリーのとっておきを見せてあげるね☆』
彼女は光纏を解き放つ。――七色の光が絡み合い、回転しながら空へ。
そうして、光は弾けて桜吹雪を鮮やかに舞い散らす。
夢に咲く、一面の桜。
「妖精のお花だよ、キミにもあげる」
フィンが見惚れる彼女へと、甘い香りのポプリが詰まった刺繍袋を差し出すと大きく目が見開かれた。
悲しみも、孤独もフィンにも胸に添うものはあって。
想いが――少しでも届くよう。歌が、全てが彼女に優しくある様にと少しだけ、手を握る。
フェリーナは声をかけようか考えて、ただ結局手を振って笑う。
自分の一番の、とびきりの。幸せな時の、笑い方で。
『それじゃあ、栞ちゃん…おやすみなさい…またね☆』
その一瞬に、チェリーが優しい眠りを齎して。
「では・・良い眠りを」
天風の囁きは、届いただろうか。夢の続きに、明日を繋げるおやすみなさいの声は。
「すっかり眠っちゃったね〜」
焔は彼女の手にと、小さな何かを握らせる。
何を掴むことも諦めているような気がしていたから。
かつて、焔自身も全てを奪い去られたと思っていた。けれど、絶望と孤独の先に、救いはある。
彼女の手も、掴めるものがあるのだと祈るよう。
――助かった命だけでも、幸せに。
カタリナは小さな頭を撫でながら、心の中だけで呟く。
あの京都から生き抜いたなら、どうか、どうかこの先も。
「――これからも」
幸せに眠る栞の横顔を見遣り、フェリーナもまた小さく拳を握る。
自身が、希望となれるなら。共に、添う人がいるのなら。
戦い抜いていける、そう、胸に力が満ちて。
●後日
少女は、ポプリの匂いに包まれて目を覚ます。
薔薇と妖精を彫った、小さなブローチが手の中にあるのに、気づいて。
夢かと呟く声に、答えは無い。
ただ、思い出せる。
美味しいお茶やお菓子、不思議な夜、音楽に歌――優しい人々。
「…楽し、かったぁ…」
ずっと固まっていた表情はぎこちなく。
でも瞼に浮かぶ飛び切りの笑顔を思い出して。
あんな風に笑えるように、あんな風にいられるように。
そうしたら、夢見るように笑えて。
頬には、涙が伝った。
数日後、届いた手紙の内容をきっと彼女は大人になっても覚えている。
『夢を忘れずにいればきっとそれが実を結ぶ時がくるから。その時は貴女の前に現れます』
豊花、と記された宛先を撫でて。
彼女は生き続ける。
美しいものを、不思議なものを、愛しながら。