●命を繋ぎに
剣戟が、既にもう背中に遠い。
友人や、知人――同じ学園の仲間が血と汗に濡れながら、余力を限界まで絞りつくしながら、ただ行けと、任せたと紡いだことを知っている。
ぽかりと不吉な穴を開ける、地下街への道。
躊躇う者など、いる筈も無かった。
「随分、広いの。想定内だけど」
配布されている京都駅の地図を束で抱えて、九曜 昴(
ja0586)はおっとりと言う。
とろんとした眠たげな面持ちで、しかし眼差しは真摯に紙面を見据えている。
紙に記された、簡易の構内図。
一番手に入りやすかったこれらに記されている情報は、零れ続ける命の砂時計を留める為の力となるのだと知っていた。
「ややこしいですけど、頭にはしっかり叩き込みました。絵だってかける勢いです」
一緒に地図を眺めながら、権現堂 幸桜(
ja3264)も自分に言い聞かせるようしっかりと頷く。
彼等はもうどれだけ見飽きても、移動時間手一杯に地図を見ていたのだ。
「前回よりは制限が少ないとはいえ‥‥今回も、のんびりはしていられませんわね」
蜜珠 二葉(
ja0568)が、階段を下りながら辺りへと警戒の意識を向ける。
広い駅構内の探索。
時間制限付きで、敵付きともなれば何一つ油断は出来ない。
それでも。
「…頑張ってくれたんだな」
月居 愁也(
ja6837)が一人ごちる。
自分達が消耗なくここまで来れたのは、階段から見える地下道にサーバントが溢れていないのは。
先発の班が、仕事を成したからだ。
だから、彼等は彼等の仕事をする。
全部を、掴み取る為に。
「今、ブラックはこっちにいないみたいです」
権現堂が先んじて調査をしてから、皆を招きに踏み入る。
そろそろと通路を進み始めれば、この辺りには敵の気配は薄い。
地下道自体には最低限の見張りの他はあまり配備されていないのかもしれない。
もしくは、陽動班の方に流れ込んでいるのだろう。
「やはり、本命は店舗街の方でしょうね」
神月 熾弦(
ja0358)は、生命探知の使いどころを皆と相談しながら歩を進める。
スキルでの調査については、使用回数も範囲も限られている。
慎重に彼らはスキル所有者で相談しながら、生命の息吹に耳を澄ます―――。
「衣料品店舗、内部に反応が多くあります。恐らくは、要救助者」
神月の細い指が示す先に、青空・アルベール(
ja0732)が意識を凝らして、敵の存在を探る。
「何か、扉前にいるな」
「見張り、と考えていいはずです。動いていない見張りがいる部屋、イコール要救助者の所在の可能性は考えられますわね」
地領院 徒歩(
ja0689)と一緒に地図と睨めっこをしていた蜜珠が考え深げに顎に手を当てる。
依頼時点では法則性は不明だった。だが、全ての店舗をこじ開けて回っていたら、時間はいくらあっても足りない。
一つの指針として、彼等は頷き合う。
「あそこに、助けを求める人々がいるということか」
アルテナ=R=クラインミヒェル(
ja6701)は、己の手を強く拳として握る。
少しでも多く助けたい、今すぐでも駆けつけたい。
焦燥は胸を焼く。
だが、出来うる限りの最善手を彼女達は打つ為に、店舗を迂回する。
作戦の徹底と意思統一は勿論、索敵や探知をするにあたって、指針ははっきりと出来ていた。
「二体揃っての移動」をするサーバントを探すこと
地図などの準備をし、また仮定を立てた上で、要救助者の分布について法則性に意識を巡らせること。
闇雲な試行より、どれだけかそれは勝機を見出す一助となったろうか。
調査の合間に権現堂はマップにポイントを書き込むことを欠かさない。
この小さな点の一つ一つが、確かに掴める命の在処だった。
幾度目かのスキル行使を重ねたところで、青空が静かに皆に告げる。
「二体、――角を曲がった後に」
戦いの準備に、皆が各々の魔具を改めて整える。
牧野 穂鳥(
ja2029)が魔法書を抱える指先は、今は強く表紙に食い込む。
後詰めの為に戦闘からは離れる三人の仲間を一瞬だけ見て。
「無様な姿は、見せません」
地領院には聞こえない距離、聞こえない音で。
彼女が師匠と呼ぶ彼に、約するように。
●白の交錯
居並ぶのは、装甲を纏った男女。但し、のっぺらぼうの姿はマネキンそのものだ。
「この位置なら、少なくとも今は他の敵に挟まれないの」
九曜が地図と現地点を見比べて、小さく頷く。
すう、と腹に呼吸を溜めて。
月居が扇を取り出せば彼の紅く纏う炎を更に燃え上がらせるよう風が鋭く舞う。
ガーディアンの手番を待ってやる義理なんかない。
風纏う扇の恩恵か、彼の身体は常より軽い。
その軽さを、戦うことにのみ注ぎ込む。
腰だめに構えた扇の、投擲。
「――アあああああああああ!!」
絹を裂くような、女の悲鳴が上がった。
動作は俊敏、しかしながら的確に腹を扇が裂いていったのは、彼とこのサーバントの間による相性の関係だ。
「つまり、やられりゃすごい痛いってことだろ。上等だ」
緊張も覚悟もしながら、それでも不敵に唇を笑う形に歪み曲げて見せる。
「そう、先に沈めればいいの」
銃を構えた九曜は眠たげに目を瞬かせて。
――す、とその焦点が引き絞られる。
自身の中にある力の質の、変容。
意図してそれを成し遂げ、引き金に指がかかった瞬間黒い霧が浮き上がり。
「黒き力よ、敵を屠るのっ!」
己の中の荒れ狂うアウルにすら、傲然と命ずる強さで狙うのは月居と同じ、女の方。
「やれやれ、皆思い切りの良いことだよ」
涼やかに笑う青空の左半身には黒の刻印がびっしりと刻まれている。
笑う目の色は、血が凝ったような。
体中に纏うのは黒の炎、それが一点に撓められてゴオオオオと、激しく風が吹き荒れる。
地獄までを吹き降ろすような暴風と共に打ち出された弾丸の狙いは正確。
九曜が放ったものと着弾は、同時。
肩の両端を撃ち抜いて、ばきん、と陶磁器が割れるかの如く軽い音が弾けた。
「少しの間‥‥おとなしくなさい!」
蜜珠が疾風のように駆け込み、もう一体へと飛び掛かる。
疾走の勢いを借りての抜刀から、大きく跳躍しての薙ぎ払い。
弾き飛ばす力を込めた一撃は、しかしあまりにも俊敏なガーディアンのステップで、紙一重に交されてしまう。
懐に飛び込む一瞬の交錯で、蜜珠の腹部にじわりと紅い染みが滲む。
見れば、いつの間にか男型サーバントの手には、鋭い鉤爪が血を滴らせている。
運気が流れれば、全く逆だったかもしれない攻防に、鉄錆びの味がする唇を蜜珠はきつく噛み締めて。
「私達、大事なものがあるんです」
早く、と牧野は思う。だが、それで焦ってしまう訳にはいかない。
魔法書のページを繰る指先は、あくまで静かに。
声だけが、強く。
「だから、手間をかけさせないで下さい」
ふ、と生まれるのは椿の木。幽玄の、まぼろし。
だがその幻はと炎を孕む蕾をサーバントの頭上から降らせ――文字通り、大輪の炎の花が咲く。
濃赤の花は、炎の花弁を持って咲き誇り焼き尽くしていく。
既に多くを爛れさせたサーバントに、ハルバードを振り翳して切り結びに行くのは、銀色の影。
「後は、私達がお預かりします」
同じく抜刀するサーバントと拮抗する形で、刃を切り合わせる。
もう一体に立ち並ぶのは、権現堂だ。
「前は、防ぎます! 後ろを――!」
壁として敵を惹きつける先に出る二人は、後衛が危機にさらされることの懸念は無い。
何故なら、しんがりには未だ控える騎士がいるからだ。
二体のサーバントは、同時に動く。
妨害に来た前衛を厭うでなく、――呼吸一つの合間で姿が掻き消える。
いや、目にも止まらぬ速さでの移動。
暗殺者が持つような抜身のダガーが、ずぷり、と神月の腹へと差し込まれる。
く、と唇が噛み締められて悲鳴を殺す。
権現堂も同時に、指先に纏った鎌鼬のような刃で思い切り首筋を掻き切られたのが分かった。
大きく、赤の華が咲く。
「まだ、まだ行けます!」
気丈に張る言葉を遮るような――狼の吠え声が届いた。
増援、その事実に誰もが歯がみをする。それでも、通路を戦場としている分挟撃はあっても、囲まれはしないことが救いと言えるだろう。
全力での突進、その勢いを殺さずに灰色狼は背後から九曜を押し倒そうと迫る。
「この私の前で、通すか!!」
カイトシールドを全面に、身を持って割り込んだのは鎧姿のアルテナ。
狼の爪が憎々しげにシールドの表面を削るのに、顎を上げて笑って見せる。
「護りは任せろ、だが――こちらも放っておくわけにはいかんな」
「ありがと。後でちゃんと、ぶっ潰す、なの」
長い髪を軽く揺らして、今にも狼が迫っていたというのに振り向きもせずに悠然と九曜は言う。
仲間が、そこにいる以上背を晒すことに恐怖は無いと言わんばかりに。
だが、戦況に余裕はないことも理解している。
過ぎる時間を肌で感じながら、躊躇なく銃を両手で構えて――真っ直ぐ銃弾は傷ついたガーディアンへと向かう。
より精密な一撃を放つスキルを使っていなければ、届かなかったかもしれない紙一重。
弾丸に穿たれた額がぴし、ぴし、と罅を広げ全身を爆ぜ割れさせた。
「これ以上、増えさせるわけにも行きませんわね」
蜜珠の手にはまだ蛍丸、けれど武器を変える手間すら今は惜しい。
ざあ、とインラインスケートが整備された床を綺麗に滑って、一気に狼への距離を詰めると手首を返して逆手から斬りかかる。
刃が分厚い毛皮を裂いて、腹の肉を大きく削り取る嫌な手ごたえにけれど、揺らぐ暇もない。
彼女の攻撃によって跳ね飛ばされた狼の身体の着地点、そこには青空の手がすらりと伸びて、銃口は的確に狼の足元へ。
「呼ばせません……!」
銃声は、牧野が放った魔力の塊と交差する。
今にも咆哮をあげに牙を剥き口を開いていた灰色狼は、その姿の侭で絶命した。
「よっし、後一体!!」
月居が肩で息をしながら、改めて残ったサーバントへと狙いを定める。
神月と権現堂、二面の盾で挟まれてはいるものの、彼らの負傷も少しずつ蓄積している。
だが、身体を朱に染めながら権現堂は一歩も引く気配無く、踵を強く踏み締める。
「僕たちは、守りに来たんです。掴めるものが、あるなら!」
召炎霊符を血に濡れた指で重ねて、叫びの侭に火の玉を生み出して真正面から叩き付けた。
ごう、と音が響いて炎がサーバントの肩を焦がすのと同時に、権現堂の胸は斜めに鉤爪が埋まり、ごぼりと血が喉元にせりあがってくる。
「ご無理はどうか、なさいませんように」
支援をとの言葉に控えていた観月 朱星(jz0086)が手を後ろから添えるように、癒しを向ける。
これ以上は危険な域と判断すれば、主となる皆の力を温存する為に。
「長引かせはしないよ」
青空が銃の焦点を、削られつつあるサーバントへと向ける。同時に、九曜へと目線だけを流して。
「出し惜しみ、なしなの」
着実に削っている、時間をかければ倒せる相手だ。
だが、今はそのかける時間すら惜しい。
足元を狙う速射は、青空に重ねて蜜珠も。
いかに俊敏と言えど、無数の銃弾を受ければ動きは鈍る、――其処に重ねの九曜のストライクショット。
「これでも落ちないなら、無理やり落とす!」
大きく跳ねるサーバントめがけて走り出す月居の腕に装着されたのは、蛇の頭のような手甲。
身を屈めて、身体を斜めに敵の懐へ。そこから、肘を胸に打ち込み反動をつけての掌底!
蛇の牙がまさしく獲物を喰らいに胸の真ん中へと食い込み、サーバントの身体が崩れ落ちていく。
●命掴む手の数
「私が癒しましょう。権現堂さんは、この後に温存して下さい」
幸いにして、癒し手は豊富。
ブラックガーディアンを抑えることになっている権現堂を気遣って、神月が癒しの風を行使する。
神月がアウルへと力を巡らせる。途端に、柔らかな風が広がり、傷を負った者達の身体に力が戻っていく。
「まだ、護れるな」
自分の手を握り、開いて確かめるのはアルテナ。傷を負うこと自体は、彼女の苦ではない。
守る力を失うことこそが、一番恐れるべきことだった。
「地図に書いておきました。よろしくお願いします」
集まったのは、地下鉄に向かう通路から少し逸れた店舗のカフェスペース。
広々とした作りに、全員の収容が出来ると判断してのことだ。
九曜が準備した地図には権現堂が探知の結果をマークしている。
それを示して、皆で手分けの手筈を立てていく。
時計を見てみれば、既に30分以上が経過している。
ガーディアンの捜索と撃破を最優先とした故のロスであり、彼等の作戦の上では必ず消費せざるを得なかった時間だ。
各人に悔いも在ろう筈がない。
早く動く、今はその意志を行動に移すのみ。
「リナも、これ」
カタリナ(
ja5119)にも、地図を一つ手渡す。
「ここに来た意味を果たしに。一人でも多く運んでみせます」
お互いに、心配も懸念も無い訳ではない。眼差しを交して、カタリナが己の胸に手を当てて見せる。
「皆を連れて、帰りましょう」
神月が呟くのに、何人もが頷く。
心は、皆ひとつ。
意識を研ぎ澄まして背筋を正す、夜来野 遥久(
ja6843)の肩を触れていく淡い感触がある。
月居はただ通り過ぎるだけ、振り向きはせずに。
必ず、会うのだから。
言葉は要らなかった。
総勢で、十二人。
彼等の手がどれだけ何かを掴めるかは、全てこれからにかかっている――。
●救出開始
「やっぱり、と言いますか」
蜜珠は敢えて軽い口調で、首を竦めて見せる。
大きなファーストフードチェーン店。そこで、全く動こうとしない灰色狼の姿を見てしまえば、嘆息くらいは漏れた。
どうやら、いわゆる見張り型のサーバントは固定の位置らしい。
「そういう命令なのでしょうね。逃がさないようにと」
こちらの存在に気付いているのかいないのか、窺う先にサーバントは身動ぎもしない。
「なら先手必勝なの」
幼い口調で言いながらも、既に銃を向けての臨戦態勢を取る昴。
「先に行きます、後はお願いします」
神月が準備を整えれば、蜜珠もライフルを手に九曜と呼吸を合わせてのスリーカウント。
ゼロ、のタイミングで弾丸が迸り、その間を縫うように舞う神月が、ハルバードの一閃を撃ち込む。
気づき、抵抗に喉元へ齧りつこうとする狼は、けれど遅い。
片腕を口に押し込んで神月がいなす間に、再度の銃撃。
相手が臨戦態勢でないことも合わせてこの程度であれば、撃退士達の敵ではない。
見張りの役は弱い個体にさせているのかもしれなかった。
だが。
「……問題は、どれだけいるかですね」
懸念を蜜珠が落とせば、皆が無言で頷く。
時間と消耗、両方のロスが今の彼女達には一番の敵ではあった。
慎重に、神月を先頭にして煌々と蛍光灯が照らす店内へと踏み込んでいく――。
中には、机に突っ伏す幾人もの人間達。
「……ああ」
小さく、神月が息を零す。
彼等の目にはもう、光がない。
こんな異常な事態だというのに、そして救いの手が来たというのに、何一つ身動ぎもしない。
学生服を着たカップルは、女の方が床に伏して横たわっているのに、男はただぼんやりと椅子に座って見下ろすだけ。
泣き叫んだ涙の跡が残る子供は、虚ろに誰もいない場所に手を伸ばした姿勢で、動かない。
感情を搾り取られつつある人々は、まるで抜け殻。
「助けに、きたの」
きゅ、と眉を寄せて九曜は声をかける。幾人かの首がのろりと動いたが、それだけだ。
「背負って行こう」
即時に手当てが必要なものはいない。
判断すれば、彼等は動き出す。
地領院が抱き上げた子供の身体は嫌になる程軽いが、体温も呼吸も正常だ。
「こちらへ、きて下さい。順番にお連れします」
神月が声を上げて、誘導を始める。
手分けして背負わせたり、誘導を指示したりしながら、知らず皆は人の数を確かめている。
何人いるというわけでもなく、予定されている五十人が絶対でもない。
数に拘るつもりもない。
だが、ここにいる人の数は、助けるべき掛け替えのない命。
背負えば背負う程、この先は辛くなる。
彼等を抱えて襲撃を防ぐのは難しいだろう。
それでも、―――抱くべき命が、ここにあった。
「…いない」
一人一人の顔を確かめ、密やかに蜜珠は呟きを落とす。
前回、救えなかった人。
彼女だけを、を助けに来たのではない。
心に刺さった棘のように、けれど己を苛む思いがある。
「行きましょう。…生きましょう」
優しく、子供を胸に抱き締めながら。
一つに偏らず全体を見ることも、また彼女の心。
理性と感情を否定せずに、目に見える全てを、救う為に手は休めない。
●心の行方
同じように見張りを排除して進む、別班。
灰色狼を屠り、入り込んだ衣料品店で真っ先に目に入ったのは―――。
「ここまで、するのかな」
青空の声が、微かに弱く落ちた。
収容され、座らされているのは様々な年代の女性が多い。
元々の店構えから、此処にいた客が主を占めるのだろうが。
「外道、というやつだな」
アルテナが、トマホークを引き抜く。その手が震えるのは、けして竦むものではない。
人々を取り囲む、一面の死。
不慮の事故で死んだのだろうか、幾つもの子供の死体がある。
更には、子供を「素材」に使ったサーバントがいる。
「――オカアさん、…ケテ、……タスケテ…」
儚い子供の声で、その場の女達に感情の刺激を与える為だけの人形が。
「……いや、――いや、彩……っ!」
感情吸収が完全には終わりきっていない女性の一人が、譫言のように紡ぐ。
素早く振り返ったのは、アルテナだ。
「朝霧殿――!」
感情を忘れて、期待することもやめて俯いてしまった少女を、アルテナは知っている。
食い入る程何度も見た、彼女の母親の姿も。
どれだけ面変わりしてしまっても、見間違えることなどない。
叫びに、青空の肩が震える。
顔の片側を覆い隠すように掌が表情を覆う。
不明瞭な記憶が、心の端を掠めていく。
己を襲おうとした、かつて母親だったもの。
絶たれた絆。
――それでも、彼は生き残った。
「貴女の娘は生きている!……だからどうか、1人にしないで!」
思考より先に、感情が奔流となって込み上げる。
孤独を思い、命を思い。
――生の意味を、願いながら。
声は、届くかも分からない。
僅かに、朝霧の目が青空を見てふ、と意識を手放す。
はやる心と反して、身体ばかりは冷静に動く。持っていた帯を、観月達へと預け。
「見せないようにしますね」
カタリナが小さく言うと、夜来野と頷き合って女性達に丁重に声をかけ、抱き上げ、落ち着かせるよう言葉を囁いていく。
「少しの間、ご不便を」
女性に出来るだけ不安を与えない口調で夜来野が抱き上げると、カタリナはぼうっと座り込む少女を立たせて手を引く。
「もう少しの辛抱だ。かならず、娘御のところに連れて行こうとも」
アルテナが、気を失った朝霧を抱きかかえて力強く囁く。
運び出されれば、黙ってはいられないとばかり子供型のサーバントが動くのに、青空は黙って銃口を向けた。
今はただの、サーバントであるかつての子供らに。
「――おやすみ」
生き損なった、命に。
●重ねていくもの
「月居です。倉庫内に、二人。荷物が崩れて動けなかったようです」
「こちら、牧野。通路脇の従業員通用口で、子供を発見しました。かなり消耗しています」
光信機からは、別に動く者達の連絡が入る。
大きな場所を救出班が回っていく間に、事実上の遊撃となっているブラックガーディアン用の対策班が細々と見て回る方針は上手く稼働していた。
少しでも、と繋ぎとめようとする彼等のお蔭で確保人数は増えていく一方。
少しずつ消耗を積み重ねながらも、ここに居ると言われていた大体の人数を既に回収している。
神月の行使した現世への定着によって、少しは快方に向かう人々もいれば、怪我人は豊富なサポート陣の惜しみないフォローも齎されている。
彼等が的確に人員の運搬と治療を行っていたのも大きいだろう。
「歩ける人も、かなり増えましたわ」
蜜珠の声に安堵の色。いざという時、自走できる人の数が増えるのは有難い。
「それでも、かなりは背負って行かないといけないの。…戦いになったら、危ない、ね」
呆然とへたり込む人々を見渡して、九曜は自分の身体を見下ろす。
小柄な彼女でも、勿論体力はある。だが、いざという時に背に庇う者がいるといないでは、戦い方は違ってくるのだ。
「私は防衛側に残ります。気を付けて」
神月が言い、九曜と蜜珠、それからサポートとして加わる面々が先に半数を護送する手筈となる。
「…昴ちゃん、お気をつけて」
「大丈夫、なの。朱星もまた、すぐ、ね?」
堪えきれず声をを向ける観月に、いつものとろんとした目が優しく笑う。
それだけで、彼女達は動きだし。
「じゃあ、僕も行ってきます」
先へと向かう一団を見送った後に、決然と権現堂も立ち上がる。
彼等を無事に先へと通す為に、何が必要か――。
「第一弾、護送開始しました。僕も、そちらに向かいます」
「了解しました。現在、南側より改札口付近に進行中。足止めを、開始します」
光信機で交すのは、牧野とのやり取り。
どうしたって、行かせてはいけない敵がいるから、権現堂は走り出す。
「位置が悪いな」
牧野と共に影に身を潜めながら、月居は眉を寄せる。
地下鉄駅へと向かう道を巡回するサーバントを、彼等は終始監視していた。
幸いにも、索敵に鈍感なサーバントは気づいてはいないようだが、着実に移動を進めている。
此の侭では、一般人を含んで移動力に劣る護送団を襲うのは、間違いがない。
「僕が、突っ込みます」
追いついてきた権現堂は既に情報は把握している。
躊躇いは、無かった。
心の中だけで誰かの名を呼んでから、一気に権現堂は走り出す。
カシャ、カシャと金属音を立てるのは、真っ黒な西洋風の鎧。がらんどうの、存在。
「こっちに来い!」
意気をアウルに込めて、炎を札から放つ。
がしゃん、と鎧が大きく前のめりになるのが見えた。
―――そして、鈍い動作で振り返り。
掌を権現堂に向けた途端、赤黒い霧が彼を中心にして巻き起こる。
「……っ、あ!」
肌を焼くのは、酸に似た何かの感触。
露出した部分の肌が腐食し、熱を持ちじくじくと疼く。
「幸桜くん!」
「…大丈夫、です。僕たちで良かった。こんなの、皆に向かわせるわけにいかない!」
一般人に、この攻撃が浴びせられていたら一撃で落ちていたかもしれない。
「ならば、抑えて見せます―!」
牧野が魔法書を捲れば、幾つもの黒い腕がそこから湧き出す。
黒い鎧に纏わりつく、無数の束縛。
異界から招かれた腕は不気味に動きの鈍いサーバントを絡め取ろうとして、しかし叶わない。
攻撃を見極めて動くのは、月居。
牙持つ手甲が鎧と噛み合う。手首に変えるのは、固く鈍い感触。
勢いの侭薙ぎ払おうとするも、頑強な鎧を弾き飛ばすのに後、あと少しだけたりない。
「……だからって、諦めるかよ。伸ばさなきゃ届かないってのに!」
赤黒い霧は、牧野と月居へもまた向けられる。
咄嗟、射程外に逃れようと後ろに跳ぶが、サーバントの射程の方がまだ広い。
鎧に覆われた指が僅かに動くだけの、発動。
なのに巻き起こる霧は、吸い込んだ呼吸で内臓すら焼きそうに軋む。
喉を傷めたのだろうか、牧野の唇から赤色が零れた。
苦痛は、見せないで毅然と彼女は顔を上げる。
「守る為に来たんですから」
両足があって、立っている。一つだって、揺らがせる気なんかない。
立ち位置を変えて、出来るだけ月居の盾になれる場所を探しながら、牧野は取れる手を思考する。
そこに、柔らかな風が吹いた――。
二人を包む形のアウルは、権現堂の齎す癒し。
「僕が、倒れさせません!」
傍らから聞こえる力強い声に助けられながら、牧野は再度黒い腕を呼び招く――。
●糸を辿って
「……来たみたいだ」
壁に寄りかかっていた青空が、ふ、と顔を上げる。
聞こえるのは、複数の足音、獣の息遣い。
「ここが正念場、ということだな」
一番外側に待機していたアルテナも、武器ではなく盾を手に人々を背にする位置へと立つ。
「先程、第一陣は改札近くの場へと一時保護が叶ったようです」
観月が皆へと振り返り、頷く。彼女は、夜来野から借り受けた阻霊陣を発動させながら、通信を請け負っている。
先んじての第一次護送は、他班との兼ね合いや移動の時間も考え、地下鉄内でなく至近へと一旦護送することになった。
後は、この後半を皆で移動させる手筈ではあるが――次第に、増えていく獣の気配に緊張は高まっていく。
現れたのは、灰色狼が一体、角を持つ巨大な兎が二体。
サーバント達は迷わずに、一般人を目指して突撃を開始するが――。
「蟻の子一匹、この私が通すものか。随分侮られたものだな」
ふん、と気丈に笑うアルテナの腕は、狼の顎がきつく食い込んでいる。
片手の盾で兎の突進は凌いだものの、囲まれてしまえば動きづらくもあった。彼女の高い防御力をもってしても、無傷とは言えない。
振り向きはしないが、背に庇う重さを彼女は知っている。
母を待つ子、――恋人を、家族を、そして、全ての命。
「私達は、全員を連れて帰ります。これ以上の邪魔は、許しません」
神月がもう一体のサーバントに向き合い、ハルバードをくるりと回して立ち塞がる。
「そういうこと。私も、そちらに譲る気はないな」
強く見据えた眼差しで、青空がアウルを込めた弾丸をアルテナに食いつく狼のわき腹に叩き込む。
ギャウン!と短い悲鳴を上げて床に伏した狼は、更に一般人へと突き進んでいく。
そうすれば、撃退士達が庇う為に己が身を挺さなければいけないことを分かっているかのように。
矢面に一番立つのは、アルテナだ。
神月は手数の多くを治療に回しても、新しい傷はすぐに生まれる。
だが、呆然と戦いに怯える少女に向かうはずの牙は、吸い込まれるようアルテナの構えた盾へと重ねられる。
幾つもの傷を負いながらも、正しく城壁の如く彼女は立ち続ける。
――騎士の、矜持として。
誰も退けとは言わない。
誰も退きはしない。
戦いながら、護りながら、待っている。
さして、時間はかからなかった。
遠くからの銃声。
そして、黒の力を纏った弾丸が的確に狼の頭を狙い、ぐしゃりと爆ぜ割れさせて。
「お待たせ、なの!」
「時間を、頂きました。片づけてしまいましょう」
柔らかな二人の声が、ひびく。
●糸を辿って
権現堂の設定したアラームが鳴る。
撤退の、時間だ。
既に、スキルの殆どは使い果たしていた。
牧野が辛うじて束縛を齎してなければ、権現堂の癒しがなければ、月居の薙ぎ払いが成功してなければ。
疲弊は、今の比ではなかっただろう。
既に全員、顔こそ辛うじて庇っているものの肌の見える位置は焼け、生々しく肉が爛れている。
中でも、月居は相性的な問題で傷が深く、今にも膝は崩れ落ちそうに揺らぐ。
何が、出来るのか、やれるのか。
過去に戦った初めての戦闘依頼。そうして、今。
「…駄目です! こちらを」
再度彼を狙う霧に、牧野が攻撃を己の方に向けようとするのが聞こえる。
途切れそうな意識を、無理やりにそれで、引き戻す。
倒れてしまえば、膝をついてしまえば、つかめたものが指を擦り抜けるかもしれない。
血を吐きながら、苦痛に喘ぎながら。己は、己の責務を果たす、――立つ。
月居のアウルが一気に真紅へと燃焼し次の瞬間、爆発的な勢いで懐への接近。
武器へと纏う焔は、紫。
腹の中央に突き込む拳の強さは、正しく閃光の如く、鬼神の如く。
「先を掴むのに倒れてられねえよ!」
「ええ、……そんな暇ありません」。
重ねて伸びた牧野の指の先、オニユリの蕾が幾重にもつく柱が産まれ。
一斉に、紫の雷を放つ――。
「行きましょう!」
猛攻に蹈鞴を踏むガーディアンを留めとばかり炎の球で弾き飛ばして、権現堂が声を投げる。
全力で、走り出す。
足元に描かれているのは、青の道。
青空が皆へと道を示す正しい経路を、踏み締めて、走る、走る、走る。
ああ、見える。
ぼろぼろの身体を引き摺って、折れない心を誇り高く抱いた侭。
仲間の、――大事な誰かの。
誰かは不安げな、愛おしそうに、あるいは労うような表情が覗いて。
三人もまた三様に、けれど皆胸を張って、こう言えた。
ただいま、と。
そうして改札口まで辿り着いた彼等は、付近を守る別働隊の横を駆け抜けていく。
宜しく、も任せろ、も、心で、言葉で。
各人が請け負う、責任を誰一人揺らがせない。
「もう少しですから、頑張って下さい」
労わるよう蜜珠が励ましを口にし続ける。
帯を使い背に子供を負った青空も何くれとなく反応の無い子供を構いながら。
「…見えた、なの」
九曜がぱっと表情を明るくする。
シャッターを越えた先には、地下鉄のホーム。
其処には彼等が乗り込めるだけの列車が用意されていて、確保に動いた仲間達が一人も欠けずにある。
その手も借りながら、抱えきった命を列車へと乗り込ませていく。
一人ずつ、大事に、丁寧に。
抱えた人の身体は時に驚く程に軽く、同時に、重い。
神月は抱きしめたいような衝動を堪えて、一人ずつ乗せていく。
全員が、繋ぎとめた命。
全員が、抱えた想い。
儚くも強く、尊いもの。
手に掴めるだけを、腕に抱えるだけを閉じ込めて、彼等は漸く電車へと乗り込む。
先のことは、信頼できる仲間に委ねて。
「皆で、帰りましょうね。今も、この先も」
小さく目を瞑って、観月は言う。
封都の中には、未だ多くの人が捕らわれている。
帰るべき場所も、帰るべき人も奪われた侭。
それでも。
掴んだ物の重さは、確かに。
この先へと続く糸を、繋げながら。