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撃退士たちがたどり着いた港は、一目で全体が見渡せる小さな場所だった。
「お疲れさまです。異常はありましたか?」
見張りの警察官を見つけて、ごく自然に鴉乃宮 歌音(
ja0427)は普段使わない敬語を使ってみせる。
今日の彼は、カーキ色のベストと帽子にベージュのズボンをはいていた。発掘現場の考古学者をイメージした服装だ。
「お疲れさまです。外部への移動は確認していません」
警察官は端的に告げた。歌音は頷きを返す。
「こちらはどうすればよろしいでしょうか?」
遥かに年下の撃退士たちにも、警察官は丁寧な調子で接していた。
「避難を先導する準備をしておいてください。もし浜から出る敵を見つけたら、すぐにこの番号に連絡をお願いします」
いつも通りに身を包んだ暗色系の服装の上にブリガンダインを重ね着した雫(
ja1894)が携帯の番号を書いたメモを差し出し、警察官に頼んだ。
8人の撃退士のうち、4人は砂浜にある船へと向かった。
「砂浜は足を取られますわね。その分いいトレーニングになりそうですわ」
ハーフの少女、長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)は青い瞳を足元へ向けた。
そこでトレーニングに結び付けて考えるのは、アスリートならではの発想かもしれない。
「アノマロカリスって、あのちょっと不気味な形してる奴だよね」
みずほと同じくハーフの犬乃 さんぽ(
ja1272)が一番近くにある船を見る。
「そうね。一応アノマロカリスの生態を調べてきたけど、奇妙な形をしていたわ」
セーラー服を着崩した少年に、みずほは答えた。
「久しぶりに一緒の依頼だな〜ジェラルド♪」
軽薄そうな笑顔で鴉(
ja6331)が声をかけたのは、やはり軽薄そうな雰囲気を持った男だった。
「ああ、そうだね……鴉。ま……アノマロカリスじゃボクたちの相手には役者不足だけどさ」
ジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)のトレードマークである長い白髪が、潮風に揺れた。
「でも、んー……漁船を傷つける訳にはいかないねぇ……。素早く、正確に、逃さず……。案外難しい依頼だね……頑張らなきゃ♪」
浜にある船のうち1隻に4人は近づいて行く。
桟橋側でも探索は始まっていた。
「港に潜み人を襲うサーバント……食えるんだったらとっ捕まえて捌いてやるんだがな」
桂木 桜(
ja0479)が袖をまくって気合いを入れる。
「数や居場所が分からないのは厄介ね。慎重に調べましょう」
小麦色の肌を持った悪魔、ナヴィア(
jb4495)はすでに警戒を始めていた。
「ま、海産物と漁師さん達のためにも一肌脱ぐとしようか」
トンファーの持ち手をしっかりと握って、桜が船に近づいていく。
雫とナヴィアも、炎のように波打つ刃を持った剣を抜いた。
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桜は周囲を警戒しながら船に足を踏み入れた。
歌音だけは外に残り、クロスボウを構えて全体を観察しているようだった。
阻霊符は雫が発動させていた。透過能力によって逃げられる心配はない。
撃退士が近づいた気配を察知したのか、生け簀の中からアノマロカリスが顔を出した。
鼻面の辺りから伸びた触手の向こうには、飛び出した黒い瞳がある。
「何と言うか……気持ち悪い造形をしていますね」
雫の言葉には桜も同感だった。
高らかに笛を吹き鳴らす。
「美味なる恵みをもたらす海の平穏乱す怪生物、八百万の神が許しても、この桂木桜が許さねぇ!」
彼女たちとナヴィアは接近戦を得意とし、高い攻撃力を誇る阿修羅であった。
実に3人もの阿修羅がそろってアノマロカリスに切りかかる。
雫が闘気を解放する間に、ナヴィアが刃を鋭く突き出した。
2人の攻撃に合わせ、桜もトンファーを振るった。浜から遠い側の舷へと移動しつつ、衝撃波を放って敵を牽制する。
歌音のクロスボウの矢も船外から飛んできた。
「落ち着け……後で相手してやるから待ってろ」
だが、敵もすぐさま逃げ出そうとはしなかった。
太い触手が伸びて、雫とナヴィアへと襲いかかる。
攻撃を受けながら雫は大剣を下段に構えた。9歳の少女がそうすると切っ先が船板の表面すれすれに位置する。
三日月のような軌道を描いた斬撃は、2体の敵をまとめて切り裂く。
より弱っている一方へ向かって桜は踏み込んだ。
懐へ入り込むと、甲殻が重なり合った腹が目に入る。
「まずは1体だぜ!」
一閃したトンファーがアノマロカリスをしたたかに打ち、サーバントは倒れていた。
煮ても焼いても食えそうにない……桜は思った。
砂浜側でも撃退士たちは船に踏み込んでいた。
最初に選んだのは、桟橋からもっとも遠い船だ。合流する方向へ移動するためだ。
「……ボクが、先に行くよ? 援護、お願いね☆」
ジェラルドは仲間たちに声をかけて、真っ先に入る。
装着した手甲からは3本の爪が伸びている。
彼と同じく前衛のみずほが続き、さんぽも古刀を抜いて船に上がる。
インフィルトレイターの鴉が最後に船へと載った。
「荷物と荷物の間とか、道具の隙間とかにも気をつけなくちゃね、ジェラルド先輩」
「そうだねぇ、奇襲受けちゃうとかカッコ悪いしさ♪」
へらへらと笑いながら答えるジェラルドが本気で言っているのか、傍目には判別がつかないだろう。
踏み出した足元から赤黒い触手が伸びる。アウルが赤紫の光を宿し、青年の体が陽炎のようににじむ。
大きなプラスチックの箱を除けて覗き込んでいく。
いくつめかを除けた場所に、巨大なエビのような姿が見えた。
「……居た……ね……」
ジェラルドよりも頭1つ小さな姿が勢いよく立ち上がる。
「アノマロカリス……奇妙なエビ……とはよく言ったものだ。カンブリア紀最大の動物……頂点的捕食者……」
爪を構えて一歩下がる。
振り下ろされた触手がジェラルドの爪を弾いて黒いスーツに包まれた体を打つ。
後方から、銃声が響いた。
鴉のリボルバーから放たれた弾が硬そうな甲殻を傷つける。
「普通に撃っても効かないほどじゃなさそうだぞっと」
もっとも、さすがにダメージは高くないようだ。
さんぽの刀とみずほの拳が銃弾に続いた。
鴉と違って、2人は悪魔側に近い技を使う。天使への打撃はより強化されていた。
「生体には多様性が見られるが……この場合は現代オリジナルの行動にも注意する必要があるか……」
ジェラルドも同じだ。
大きく飛び出した目を狙い、爪を突き出す。
『神の獅子』の名を冠した白色の刃が黒い瞳を貫いた。
「ま、硬い相手へのセオリーだよねぇ☆」
片目を失って暴れる敵に、撃退士たちは止めを刺した。
2体目のアノマロカリスも片付けて、桟橋組は次の船に移っていた。
雫は死角ができないように意識して探索を続ける。
どれだけ気をつけても、1人ではすべてに注意を払うことはできないものだ。
「……いました」
座席の間から飛び出してきた敵から目を離さずに少女は闘気を解放する。
触手が足元の板から跳ね上がるようにして襲ってくるのを、雫は避けることができなかった。
痛みにも表情を変えないのは、かつて感情を天魔に奪われたせいか。
歌音の放ったクロスボウの短い矢が敵に突き立った。
仲間たちがすぐに駆けつけてくる。
「お前の相手はそっちだけじゃないぜ!」
トンファーを囮に桜が蹴りを叩き込んだ。
ナヴィアの波打つ刃が甲殻を引き裂いて痛みを与える。
敵の動きが止まった隙に、座席を蹴って雫は背後に回り込んだ。
後ろから見ても、やはり可愛くない。
懐いてくれる可愛い動物を飼うのが雫の夢だが、仮にサーバントでなくともこれを飼いたいとはとても思えなかった。
「早めに片付けましょう」
振り上げたフランベルジュに力を込める。
切るのではなく、刃を叩きつける。
衝撃は内部へと貫通し、動けない敵を悶絶させた。
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砂浜側も2隻目に移動していた。
さんぽは船の上を見て眉をしかめる。
おそらくはしばらく使われていないのだろう。船の上は乱雑に物が置かれている。
「少々探すのに手間取りそうですわね」
みずほの感想に、さんぽが船の上へと進み出る。
刃を手にした手を静かに頭上へ伸ばす。
まだ日の高い港が一瞬暗くなったような気がした。
「隠れてたって、ニンジャの目にはお見通しだもん……ボクが相手だっ!」
まるでスポットライトのように、陽光がさんぽの周囲に集まる。
ジェラルドが口笛を吹いた
「きみ、派手にやるねぇ♪」
船板がきしむ音がまるで音楽であるかのように響く。
足の、腕の、首の動きに、少年の踊る姿が重なっていた。
飛び出してきた2体のアノマロカリスが、少年へと一気に襲い掛かった。
「簡単には捕まらないよ♪」
攻撃をかわす動きにも皆は舞いを幻視する。
「降り注げ、ボクのヨーヨー達……鋼鉄流星ヨーヨー★シャワー!」
アウルで作ったヨーヨーをさんぽは放り投げる。
由緒正しき日本の戦闘服……セーラー服をまとったさんぽが、そう簡単に倒れはしない。
「父様の国の平和は、正義のニンジャのボクが守る!」
ヨーヨーは激しくアノマロカリスへと降り注いで痛打を与えていた。
みずほは囲まれているさんぽへと急ぐ。
背中から噴出するアウルを推進力にして、甲板の上を滑るように移動する。
放出されたアウルは蝶の羽にも似た姿を形作っていた。
舞い散る残滓は、まるで麟粉のようにも見える。
「わたくしの仲間を守らせていただきますわ!」
ファイタースタイルの構えから、繰り出すのは激しいストレート。
しかし、さんぽに引き付けられたアノマロカリスは執拗に彼を狙い、触手で捕らえる。
少年を噛み付こうとした口の中にジェラルドが拳銃弾を叩き込む。
「あなたの相手はわたくしでしてよ!」
上体を左右に揺らしながら接近し、スピードの乗ったフックをアノマロカリスの頭に叩き込む。
一撃で終わりではない。
左に、右に、体重移動を繰り返して勢いをつけたフックを連打する。
隙が大きいため現代のボクシングではあまり使われなくなったデンプシーロールだが、知能の低いアノマロカリスにならば十分に通じる。
1体を叩き伏せて、みずほとジェラルドはさんぽを囲んでいたもう1体を狙った。
回復手が不在なメンバーのせいか徐々にダメージは蓄積していた。
桟橋にあった4隻目の船の中には、2体の敵がいた。
いや、戦闘音を聞きつけて動き出したのを、歌音が見つけたのだ。桟橋組は急いで4隻目に飛び込んだ。そして――。
ナヴィアは悪魔の翼を広げて低空を飛行する。
目の前では桜が触手に捕らえられていた。
「大丈夫? 今、助けるから」
「この程度……大したことないぜ!」
桜は逆に触手を引っ張って動きを止めようとしているようだが、さすがに無理があるようだ。
徐々に引きずられていく。
歌音のクロスボウが飛び出した目を狙って放たれる。
急いで助け出さなければいかにそれほど強くないとはいえ倒れてしまうだろう。
しかし、そんな状況であってもナヴィアにも雫にも焦りはなかった。
(早く助け出せば、それだけもう1体を倒すのが楽になる)
冷静な判断を下しながらナヴィアが敵の頭上を取った。
雫の刃が傷ついた目の片方を切り飛ばした。
そこへ、ナヴィアのフランベルジュが一気に降下していた。一気に貫き通した刃の下で、敵はまだ動いていたが、力尽きるのは時間の問題だった。
それぞれの戦場で遭遇した敵を片付けるまでに、さほど時間はかからなかった。
歌音は周囲に青色をしたモニタのような光を浮かべる。
手のひらをモニタの上に走らせる。
「まだ1体いるぞ」
モニタに映し出された生物の情報を見て取って、歌音は仲間たちに声をかける。
それも、ただ『いる』だけではない。
どうやら船から離脱しようと動いているようだった。
「桟橋にある船の下だ。気をつけろ、逃げようとしてる」
白衣に戻った歌音は仲間たちに警告を発する。
そして桟橋を駆け足で移動した。
巻き上げたままのクロスボウを手にして、彼は出現した敵がいるはずの方向を追っている。
「捕捉。距離15m」
観測手になりきった彼は、敵への距離をおおまかにながら把握していた。
引き金を引くと、小さな矢は吸い込まれるようにアノマロカリスの体を貫いた。
鴉は逃亡を計っている敵に拳銃を向ける。
小さき道化、と呪文を唱えると『子』と刻まれた特殊な弾丸が手の中に出現した。
「ツレねぇな〜、もっと楽しもうぜっと♪」
橙色の光を残して銃弾が飛んでいく。
光と同じ色をした鼠がアノマロカリスに噛み付く幻影がを見て鴉は笑った。
これでもはや敵の位置を見失うことはない。少なくとも、敵を倒すときくらいまでは。
「逃がさないよ、幻光雷鳴レッド☆ライトニング! ……ガンブリアだってパラライズ★」
さんぽの指先から真紅の雷光が一直線に飛んだ。
「一匹残らず潰してあげるわ」
飛行したナヴィアが上から刃を振り下ろす。
「掻っ捌いてやるぞっと♪」
鴉は今度は、『酉』と刻まれた弾丸を生み出す。
黒い羽を撒き散らしながら飛んだ銃弾は、着弾と同時にアウルの斬撃を生んだ。
歌音が再び放ったクロスボウが、切り裂かれた敵に止めを刺していた。
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敵はそれですべてだった。
歌音がさらに一通り敵を探し、そう結論付けた。
今は、船の主に頼んで出港してもらおうとしているところだ。
「ちゃんと動くところを確認するまでは安心できない。全て倒したと思ったときが一番危ないからな」
彼は慎重な姿勢を崩さない。
「問題なかったら……そのまま船に乗せてってもらってもいいよね? 釣りがしたいんだ☆」
ジェラルドは軽い口調で言った。
もっとも三本爪はまだ装着したままだったが。
他の仲間たちも敵が出現してもいいよう武器を構えている。
果たして、船はエンジン音を立てて動き出した。敵が出現する様子もない。
「どうやら大丈夫そうだな」
「もう化け物はいないかい? 助かったぜ、撃退士の兄ちゃんたち」
船主が胸をなでおろした。
もちろんジェラルドのリクエストには快く応じる。
「みんなはどうするぅ? 釣りに行くかい?」
「魚を捕って料理するのもいいかもしれませんね。いつもは野生動物なんですが」
小学生ながらもサバイバル料理を得意とする雫が、思案顔をした。
自分で釣った魚をさばくのも、やはりサバイバル料理なのかもしれない。
「俺はせっかく北海道に来たんだし、美味いモン食って帰りたいぜ」
桜が言った。
「そろそろティータイムの時間ですわ。美味しいお店を探しながら、紅茶でもいかがかしら?」
みずほが提案する。英国出身の彼女にとって紅茶は欠かせないらしい。
「仕事の後の一服は大事だね。付き合おう」
やはり紅茶党の歌音が誘いに応じる。
釣りに興味を持った者たちを乗せて船は港を出て行く。
「んー……こうやって太公望を決め込むのも悪くないねぇ♪」
海はまだ肌寒かったが、ジェラルドは糸を垂らして北海道の午後を楽しんでいた。