●前夜
この日は金曜日。世間ではまだ夏休みの最中だが、中学校には生徒が集まっていた。
視聴覚室の前にしずか、鍵のある職員室にあきら、あゆみは前日から来てくれる撃退士の出迎えで校門にいた。
「おっはよう!あゆみで〜す。視聴覚室まで案内するよ」
無駄に元気な声であゆみは腕を大きく振り上げた。そしてさっさと背を向けて歩き出す。
「お化け屋敷、楽しみですね〜。頑張りましょう」
深森 木葉(
jb1711)がニコッと笑ってその背中を追いかけた。
あきらはあゆみ達よりも遅く視聴覚室に着いた。
「……遅い」
「仕方ないじゃないか。先生がいなかったんだから」
しずかの言う文句を、あきらは慣れたように軽くあしらう。そして撃退士に顔を向け、ぺこりと頭を下げた。
「ぼく達のお化け屋敷を手伝いに来てくれて、ありがとうございます」
「最後か……記念に残る物にしようじゃないか」
鳳 静矢(
ja3856)が言った。
「最後の、文化祭……いい思い出、作れるよう、お手伝い……頑張り、ます」
東雲 朧(
jb9523)が言った。
掛けられた気遣いの言葉が嬉しくて、あきらはもう一度頭を下げた。
「えーと。まずは道を作ればいいのかなぁ」
あゆみが振り返ってあきらを見た。
「そうだな。じゃあ、必要のない机と椅子を隣の教室にだそう。お願いします」
あきらは頷いて、また撃退士たちに頭を下げた。
椅子や机がなくなると、今度はパーテーションを運び込み、暗幕を張る。これには鳳とファーフナー(
jb7826)の力が役に立った。パーテーションにはキャスターがついていなかったし、視聴覚室の天井は中学生の女の子には高すぎたのだ。
「わぁ!」
「おっと。大丈夫かね」
椅子を二つも重ねて暗幕を張ろうとしたあゆみが足を滑らせた。倒れたところを、寸でのところで鳳が受け止めた。
ここで問題が一つ起きた。暗幕もそれを吊るすレーンも足りなかったのだ。
「保健室のレーンと、ここの遮光カーテンを使おう。最後の学園祭との事だし頼めば使わせてくれるかもしれない」
鳳の提案は理に適っていた。それを聞いたあきらは、一秒も惜しいとばかりに教室から飛び出した。
ややあって、教師の許しの下なんとか教室を暗くすることができ、一同はお化け屋敷の飾り付けを始めた。
「和風にするのなら墓や塔婆、柳とかか?」
日本の文化祭やお化け屋敷について疎かったファーフナーは、事前にかなりの下調べをしてきていた。
「いいですね。あたしもお手伝いしますよ〜」
深森は楽しそうにダンボールを手に取った。写真をプリントし、大体の形に切り取ったダンボールに貼り付ける。
そして同じくファーフナーの発案で豆電球式の点滅する薄明かりと、お化け屋敷で流すBGMも用意された。
足音。風の音。子供の笑い声。叫び声。猫の鳴き声。読経の声。
「これも恐いですよ」
そう言って深森が探してきたのはひゅ〜ドロドロという、いかにも和風お化け屋敷な音だった。
さらにファーフナーは日本人形やマネキンをレンタルしてきた。マネキンには真っ赤な着物を着せて、白い紐で天井からぶら提げた。
同じ頃。東雲は学校の倉庫から廃材を持ち出していた。もちろん、学校の許可は事前に取ってある。
東雲は廃材を鋸で持ち運びやすい大きさに切り取ると、厚紙を貼って表面を平らにし、歪んだ字で恐怖のお化け屋敷と書き付けた。極めつけは血に見立てた赤い絵の具。おどろおどろしく塗りつけた。
「すごくいいですね。飾り看板もお願いしていいですか?」
横から立て札を見たあきらが、看板用に取っておいた長方形の板を指差した。
「ボク、でよければ……つくり、ます」
褒められた東雲はピンク色に頬を染めた。
「障子、ないか?」
入り口付近の飾りをしていた時、ファーフナーが訊いた。
「……茶華道室にある」
しずかは表情も変えず、先に立って歩き出した。大分前に使われなくなった障子は埃を被っていた。ファーフナーはそれを教室に運び込むと、所々穴を開けて赤いスプレーを吹き付けた。
ふと見ると、あゆみが異様に静に座っていた。蛇女の衣装を必死で縫っているのだが、まったく上手くいかない。その様子を、深森が目ざとく見つけた。
「縫い物ですか?お手伝いするのです〜」
ぴょこぴょことあゆみに駆け寄ると、尻尾の先を手に取った。
日が高くなり、また低くなる。教室では未だに細かな作業が続いていた。いつの間にか、校庭でも多くの人が準備を行なっている。その喧騒の中に、学園祭の前夜は更けて行った。
●始まる恐怖
文化祭当日。あゆみたちは、朝一でこの日到着する撃退士を出迎えた。
「我輩は懲罰する者、おはようございますである」
自ら懲罰する者(
jc0864)と名乗った真っ白な布が、少し前に動いた。お辞儀をしたらしい。
「……おはよう」
あゆみとあきらは驚きすぎて声も出なかったが、しずかだけはマイペースに挨拶を返した。
「最後の想い出に、お客さんを阿鼻叫喚の地獄に落としましょう」
雫(
ja1894)は小さく微笑んで、場の空気を和らげた。
校門が開くまでにはまだ時間がある。あゆみたちは男女別で空き教室に入り、お化けに変装した。
落ち武者に扮しようと魔具・魔装を活性化した鳳は、手加減のスキルを使って見える部分の肌を日本刀で傷をつけた。生々しい傷ができた。
「っ!怪我してるんですか!?」
鳳を見て、あきらはハッと息を呑んだ。
「違う、違う。特殊メイクだよ。本物みたいに見えるだろう?久遠ヶ原はこういう技術も凄いのだよ」
これと一緒だと言って、鳳は頭の獅子舞の目から流れている血涙を指差した。こっちは血糊だが、十分に本物に見えるのであきらも素直に引き下がった。
校門が開くと、たくさんの人が入って来た。廃校前最後の文化祭のために、出て行った卒業生たちも夫と子供とやって来たのだ。
「いらっしゃいませ〜。お化け屋敷で〜す」
受付で、あゆみの明るい声が響く。その横で、陰陽狩衣を身に付けた東雲が可愛らしく狐の耳をピクピクさせた。途端に、通りかかった女性客が小さな悲鳴と共に駆け寄って来る。
「いらっしゃい、ませ。恐怖の、一時を……どうぞ」
淡々とした口調とは裏腹な笑顔で、東雲は最初の客を見送った。
客が入り口のドアを開けると、ファーフナーはBGMを鳴らし始めた。お盆に張った水の中にドライアイスをいれ、扇子で風を起こして教室の床いっぱいに煙を広げた。
客が完全に中に足を踏み入れ、入り口のドアが閉められると、ファーフナーは霧吹きで客に水を吹きかけた。驚いた客は早足になり、天井に吊るされた蒟蒻で悲鳴をあげる。
チカチカ点滅する豆電球に薄暗く照らされた中に、一枚の障子が浮かび上がった。障子は斜めに置かれていて、通路は一人ずつしか通れない。客がドキドキする胸を押さえてすり抜けようとすると、その瞬間を見計らって、ファーフナーがガタガタと障子を揺れ動かす。
もう一度悲鳴が上がった。
それでもまだ入り口エリアから抜け出せていない客は、通路の壁際にうずくまる白い着物姿の深森を目にする。長い髪を垂らして、手で顔を覆ってシクシク泣いている。自分たちが最初の客だと知っていた客達は深森を怪しんで、震えながらその傍をすり抜けようとした。
「まって……、おかあさん……」
深森の声に、客は思わず足を止めて振り返った。額が割れ、血が出ている。もちろん、メイクだが。
「あたしを……、おいてかないで…………」
深森はカックンと首を横にかしげ、不気味な微笑みを浮かべて客に近づいた。猛烈な悲鳴が教室の外まで聞こえた。
やっとのことで出口エリアにたどり着いた客は、突如身体が動かなくなる。それは一瞬のことだが、客は動揺しすぐに反応できない。そこに、ガシャガシャと派手に鎧を鳴らす鳳が前からゆっくりと近づいてきた。
『私の……仇は……どこだ……』
驚きすぎて声も出ない客に見向きもせず、鳳は淡々と低い声で喋る。
手を口に当てて必死に悲鳴を押し殺す客は、なんとか鳳をやり過ごすと早足で出口を目指した。
「……マイナーな上に見た目が余り怖くない様な気がして来ました」
出口の直前。雪童子に扮した雫は自分の出番が来るのを待ちながら、何度も自分の格好を見下ろした。
そこに、足音が聞こえてきた。雫は急いで隠密を使う。
目の前を、客が通り過ぎようとした。その時。雫はスキルを発動させて吹雪を演出した。前の客が乱れ雪月花なら、後の客には氷の夜想曲。どのスキルでも、客に怪我をさせないように気をつけた。
「あの〜」
雫は客の背後から声をかけたが、少しビクッとされただけで、客はなんだろうと首を傾げて出て行った。
悲鳴は部屋の外から聞こえて来た。客は雫にかけられた骨っ粉でスケルトンになり、お互いの姿を見て腰を抜かして驚いた。
他にもミイラっ粉、フランっ粉、吸血っ粉、死霊粉を使ったのだが、お化け屋敷が和風なものだから骨っ粉の使用率が高くなった。
時には客がリタイアすることもある。小さな子供だけで入って来た時は、高確率で起こった。
「リタイア者が出るとは思えないのですが、一応は用意しておきましょう」
配置に付く前の雫の言葉が実用された。雫はリタイア者を迎えにいくと、宥めながら出口まで案内するのだ。
●盛大な祭
午前の部が終わった。休憩を申し出た撃退士が少なかったので休憩時間も交代するだけで、お化け屋敷は続けることになった。
受付にいたあきらは、椅子を引っ張り出してお弁当を食べ始めた。
「昼時なので、交代してきてください」
玉子焼きを頬張りながら、東雲に声をかけた。
お化け屋敷では、ファーフナーが仕事を続けていた。ただ蒟蒻がだめになってしまい、代わりに炎焼のスキルで人魂を作っていた。火災には十分注意しているようだ。
東雲は深森と交代した。
東雲はパーテーションに掛けたカーテンの中に身を隠した。トワイライトを使って、足元だけをぼんやりと照らす。
そこに客が通りかかった。東雲はすぅっと光を消した。それに釣られて、客達の目がカーテンに向けられる。それを察知して、東雲は身体を半分ほど覗かせた。妖狐らしく、獲物を狙うかのように、東雲はその瞳を光らせた。
「な、なになになになになに」
客は顔を引き攣らせ、小走りで逃げた。
さて、休憩に出た深森は食べ物を中心に出店を回った。お団子にたこ焼きに焼きそば。深森はおいしそうだと思った物を次から次へと頬張った。
「私、お化け屋敷をやっているんですよ。是非、いらしてくださいね」
店に並びながら、そして料理を受け取るとき、深森はにっこり笑って宣伝した。
およそ二時間後。すっかり満足した深森はお化け屋敷に戻り、再び東雲と交代した。
午後になると、声を掛けてくれる客も多くなった。
「どうしたの?」
また一人、女の人が声を掛けてくれた。
「おかあさんとはぐれちゃったの……。ぐすんっ。ねえ……、いっしょに……、さがしてくれる?あの……、かわの……、むこうで……」
深森は顔を挙げ、不気味なほどにっこりわらいながら血を流す割れた額を見せ付ける。今回の客も、顔を真っ青にして逃げていった。
東雲が受付に戻ると、今度はしずかがお弁当を食べていた。東雲は彼女に会釈すると、宣伝用に立て札を持って興味津々に学校を歩いた。そして人とすれ違う時は決まって、
「お化け屋敷…やってます。是非、来てください」
と言って微笑んだ。東雲は気付いていなかったようだが、彼の容姿に魅かれ、お化け屋敷には明らかに女性客が多い。
「ねえ、本当に恐いの?」
強気な少年が東雲の服の裾を掴んだ。
「もちろん……恐い、ですよ。来て、ください」
東雲はその言葉に悪魔の囁きを使用した。少年は一瞬キョトンとすると、お化け屋敷の方に歩き出した。
校内を一通り歩き終わった東雲は、校庭へ出た。街中の人が中学校に集まってきているようで、校庭は人でひしめき合っていた。縫うように人を掻き分けて出店も見て回る。たこ焼きと焼きそば、そして団子を買ったが、明らかに一人分ではなかった。
戻って来た東雲はパーテーションの裏側に入った。
「腹が、減っては……お化け屋敷は、出来ぬ……です。お客さんに、見えてない内に……こっそり、食べて、下さい」
休憩に出なかった人に食べ物を配って回る。受付に戻ると、東雲は尻尾を横にパタパタ振って客に対応した。
午後になっても人の足は途絶えなかった。
お化け屋敷の中央。そこを持ち場としているのは懲罰する者だ。予想通りなのだが、彼はそのままの姿でお化け役をやった。白い布で身体を覆われ、和風ではないものの完全に幽霊である。
客が来た。懲罰する者は物質透過で床下に潜むと、客の真横から姿を現した。
「うらめしや〜である〜」
布が持ち上がった。懲罰する者が両腕を持ち上げたらしい。客は叫びながら滑って転び、近づいてくる布にさらに悲鳴をあげた。
懲罰する者は単に心配して屈んだだけなのだが、ここはお化け屋敷である。客は思わず懲罰する者を払い除けようとした。その指が、彼の目元に当たる。
「目を突くんじゃないのである〜!」
懲罰する者が身体を逸らしてその指から逃れると、客は必死の形相で逃げ出した。
次の客の時、懲罰する者は背後から出て来た。気付いてもらえるよう、出る前には意思疎通や悪魔の囁きで振り向かせた。
「待つのである〜」
逃げ出す客を懲罰する者は不気味なロボットダンスで追いかけた。しかし客の逃げ足は思った以上に速く、ついには見失ってしまった。
「む……暗くて周りが見えないのである……」
キョロキョロしていると、前に誰かが見えた。
「で、出たー! お化けである!」
蛇女を装ったあゆみであった。懲罰する者は自分の持ち場まで全速で逃げ帰った。
午後に入るとき、雫は一旦持ち場を離れた。雪童子ではあまりにも驚いてもらえなかったので、パサランの帰ぐるみを着てみた。顔が出る口の部分は予め黒い布で覆ってある。その姿のままで、雫は抜身の剣を手に無言で立ち尽くした。
「傍から見たらシュール的な怖さがありますね……」
今度は客が小さく悲鳴をあげるのを見て、雫は小声で呟いた。
●打ち上げ
文化祭が終わり、お化けたちの役割も終わった。鳳は一人だけ遅れて教室から出てきた。あゆみたちにバレる前に、剣魂で傷を癒す必要があったのだ。
校庭にはキャンプファイアーが組み立てられている。轟々と燃え滾る炎はまるで学校の最後を悼むかのようだった。卒業生達の目にも薄っすらと涙が見える。
けれど今日この日の記憶に最後に残るのは、寂しさだけではない。
皆が、皆で、華やかな思い出を作ったのだから。
「今日はありがとうございました」
あきらが礼儀正しく撃退士たちに頭を下げた。その横で、しずかがそっと背後の校舎を振り返る。人気のなくなった、静寂な校舎。
「……一生忘れない」
静かな声が、ゆっくりと夜空に染みこんだ。