●悪魔嬢の退屈凌ぎ
「――はぁ」
そうして女悪魔――ティエルヴァーナはひとつ溜息を吐いた。
傍らには巨躯の黒犬が一匹控えている。ディアボロ『ヘルハウンド』だ。
漆黒の毛並みを背もたれにして、頬杖を突きながら、何とも退屈そうに構えている。
そんな彼女が、ぴくりとして探る視線を止め、身を起こしたのは、たっぷり時間が経ってからのこと。
「――ようやく来たか?」
主人の感情が上向きになってきたのに呼応してか、ヘルハウンドも伏せの姿勢からゆっくりと身体を起こし、ぐるる、と警戒状態に移行する。
「一、二、三…… いや、倍とちょっと、か……? 結構来たな。よーし、んじゃあ、まずはこっちから軽くもてなしてやるか。行ってこい」
言って一撫で。
こく、と確かに頷いたヘルハウンドが、床をたたっと蹴って駆け出す。
それをにぃ、と笑んで見送ってから、さてさて、とティエルヴァーナは改めてくるりと視線を巡らせ――ある一点で止めた。
「――早いな。 おーい、降りて来いよ」
「あら…… 気付いちゃったのォ?」
声は天井近く、商品棚の影から。
「暇だったからな。少しは退屈を紛らわせそうなのが来たと分かったら、見逃すわけにはいかないだろ?」
そこから、すぅ、と姿を現して、ふわ、と烏羽根が落ちるように床へ着地した黒百合(
ja0422)は、それなら、と猫がするような上機嫌な笑みと共に言った。
「暇なのだったら、呑まないィ?」
何処から取り出したのか、手にはワイン瓶。
ティエルヴァーナは、へえ、とそれを珍しそうに見て。 ――ちら、と人質達に視線を向け。
「用意が良いヤツだな。いいぜ。そうだな、取り敢えずは私のワンコが適当にやられるまでは付き合ってくれよ」
などと愉しげに言って、くいくい、と黒百合を手招きするのであった。
●追われて追って、追い込まれて追い込んで
――漆黒の爪が吠え猛る。
「っ!」
鈴代 征治(
ja1305)は咄嗟に近くの商品棚から適当なものを引っ掴むと、撒き散らすようにばら撒いた。
征治を追い掛けてきた漆黒――ヘルハウンドは撒き散られた商品、様々な日用品のおよそ半分を見事な横っ飛びで回避。もう半分を透過で回避し、すかさず征治に迫る。
咄嗟にバックラーで受け流すものの、鋭い爪は容易に征治の腕を切り裂いて、血を流させる。
「く、流石……!」
強い、と脳裏で漏らしながら、征治は油断なくじりじりと下がる。
相対して数十秒。
そうして分かったことは、ヘルハウンドは強敵であり、さながら十分に訓練された猟犬のようであった。
相手が一人と見れば容赦なく襲い掛かってくる。背を見せた時の猛追はそれこそ今のようにだ。
そして生半可な陽動に全く引っかからない。
前準備の段階でぶち撒けた犬用の餌などには見向きもしなかった。
征治の服から強烈に匂い立っている香水も、効き目があるのかないのか――
「っ、のっ!」
静かに跳び掛かって来た再びの漆黒の爪の一撃を盾で防いでからせめてものカウンターを返す。
無駄に吠えることなどひとつもないのが、何とも猟犬らしい。
僅かに怯んだ隙に、一気に距離を離しに行く。
すかさず追ってくる爪音を耳にしながら、征治はひたすらに合流、奇襲地点へとヘルハウンドを誘い込んでいく。
距離は残すところ僅か。
最後の一直線を一気に駆け抜けて、征治はその広く取られた場所へと滑り込むように飛び込んだ。
「来たぜ――」
到着は仁科 皓一郎(
ja8777)もほぼ同時。
ヘルハウンドの鼻っ柱に盾を叩き込むようにして押さえ込みながら、ひとつステップをして奇襲地点へ。
漆黒の爪を確実に、堅実に防御して、一歩一歩。
最後の一歩で、態と盾を開けて注意を引き。跳び掛かって来たヘルハウンドに、左腕をくれてやる。
凶悪な牙が魔装の上から肉に食い込み、穴を開け――
「――裁きの時、来たれり」
刹那、ざんっ! と上から断罪の刃のように振り下ろされた曲剣が、ヘルハウンドの身体を痛烈に斬り裂いた。
身を悶えさせ、即座に攻撃を中断し、ヘルハウンドが横っ飛びに離れる。
「灰は灰に…… 塵は塵に」
フードの下から見据えて、上方からの襲撃者である央崎 枢(
ja1472)は、その手の異型の双剣を構え直した。
皓一郎と対面、ヘルハウンドを挟み込む位置へ。
「央崎、任せるぜ――そら、こっちに来い」
枢がしっかと独特の構えで隙なく迎える一方、皓一郎はどこか気怠げに盾を構えて、隙を見せ。明らかに誘うように。
二人が一致で対処する形へと持っていく。
「かかっ、こっちも――貰うぜぇ! 懺悔室の解放だ!」
一方でも、影から滑り込んできた七水 散華(
ja9239)が、征治に跳び掛かろうとしているヘルハウンドに横合いから滑り込んだ。
そして下から腹を蹴り上げるように一撃。
流石に攻撃のモーションに入ってからそれは回避できるものではなく、腹にいい一撃を貰って攻撃を中断させられながら、ヘルハウンドは横へ飛ぶ。
勿論、それをそのまま逃すことはない。
「ええいっ!」
気合一声。
征治が刃の一撃から衝撃波を繰り出し、体勢を立て直そうとしたヘルハウンドの動きをすぐさま潰しにかかる。
退避行動の直後でありながら、ヘルハウンドはこれをすんでのところで回避――空を切った衝撃波が棚の一部を、商品を粉々に薙ぎ払う。
しかし無駄ではない。
そこを逃すことなく、散華が衝撃波の後を追うようにして更に距離を詰める――!
「そーは、させるかーって!」
追撃の回し蹴りが胴体を横殴りに。アクロバティックな踵落としが強烈にヘルハウンドの背を叩く。
それでもまだまだ堪えた様子はなく、ヘルハウンドは犬歯を剥き出しにし、その漆黒の爪を躍らせてくる――
●悪魔嬢との歓談
――一方その頃。
「派手にやってるな、あいつら」
棚や商品が派手に薙ぎ倒される音を背景に、ティエルヴァーナは両手に花でワインを嗜んでいた。
花とは、黒百合は勿論、後から少し遅れて加わったアリーセ・ファウスト(
ja8008)である。
二人を両側に侍らせているその姿は、正しく好色な悪魔そのものであった。
「まあ、流石にこんな店内だからねェ…… あんな大きいワンちゃん相手に形振り構ってられないと思うわよォ」
「限度を超えない限り、ボク達が弁償するわけじゃないしね。使えるものは気にせず使えるから、場合によっては楽しいよ」
「ま、それならいいけどよ。 おーい、そっちは宜しく頼むぜ。騒ぎ出されても困るしな」
「もう…… 勿論、分かっております。でも、先ほどのゲームの約束、成功したらちゃんと守ってくださいね?」
ティエルヴァーナの呼び掛けに応えつつ、人質達を看ているのは神城 朔耶(
ja5843)。
棚や商品の粉砕音に怯えないよう励ましつつ、一人一人を診ていく。
人質の中には足回りに怪我をしている者もおり、この時間にと持ち込んだ救急箱やライトヒールで治癒を行なっていた。
「大丈夫だっての。天使の奴らとは違って、悪魔は約束を反故にはしない。上手いこと騙すことはあるけどな。けけっ」
「期待してるよ。ボク達も出来れば面倒は抱えたくないしね。ふふ、分かるでしょ?」
「全くな」
す、と身を寄せるアリーセに、満更でもなさそうにティエルヴァーナは、にぃ、と笑む。
尻尾がうねりと寄って、アリーセの腰を抱くように。
――ゲームの約束。それは、ティエルヴァーナが従えている三匹のヘルハウンドをこの場にいる三人抜きで片付けるというゲームを達成することが出来れば、人質を連れて行っても良い、というものだ。
人質達もこれを告知されたからだろう。固唾を飲んで騒ぎの起きている方を見つめている。
撃退士達にとって容易くはない。
だが決して難しい要求でもない。
むしろ本音で言えば撃退士達がこれを呑んでくれないと退屈な時間をずっと過ごすことになるので、困るのはティエルヴァーナの方であるというのは内緒だ。
「――で、なんだっけか。なんでヴァニタスとして迎えられないか、だったか?」
「そうそう。結構、お買得物件だと思うんだけどなあ、ボク」
茶目っ気を効かせてウィンクしつつそんなことを言うアリーセは本気なのかそうでないのか。
そんな彼女の顎を笑みと共に、つぃ、と撫でつつ、ティエルヴァーナは言う。
「確かアウルだったか? それのせいでヴァニタスにするのが面倒ってのもあるが、私は親父から『ヴァニタスを持つのはお前にはまだ早い』とか言われててよー」
まったく、やれやれ、とでも言いたげにティエルヴァーナは肩を竦める。
脳裏に浮かんでいるのは父親の姿なのだろう。
そんな様子を遠目に見つつ、朔耶は怪我人の応急処置を終えて、時計を確認しながら腰を上げた。
未だ激しく破壊音と衝撃音を響かせている方向に視線を向けてから、ティエルヴァーナの相手をしている二人に歩み寄る。
「黒百合様、アリーセ様。人質の方の手当て、終わりました」
「あ、お疲れ様」
「ご苦労様ねェ」
「お、んじゃあお前も代わりに何か話せよ。えーっと」
「神城・朔耶です」
「サクヤか。私はティエルヴァーナだ。退屈が紛れるような話を頼むぜ」
興味深げな視線がティエルヴァーナから向けられているのをありありと感じつつ、朔耶は小さく首を傾げる。
「退屈が紛れるような…… ですか」
「ああ。例えばサクヤが着てるその服についてとか」
勿論、巫女服のことだ。
「服ですか。それでは失礼ながら――」
アリーセを抱き寄せながら、語るほどに目を輝かせ、興味深げに率直に疑問をぶつけてくるティエルヴァーナを見て。
朔耶は、変わった悪魔の方もいるものですね、と感想を新たにするのであった。
●ゲームエンド
「――暴れるのは、めっ、なの」
まだまだ子供と言っていい若菜 白兎(
ja2109)の声と共に、アウルが強力に練り上げられ、白銀の鎖となってヘルハウンドを辛うじて捕らえた。
「っ、と。助かる」
腕に足に傷を負いながらもどうにかヘルハウンドの一匹を誘き寄せた多岐 紫苑(
ja1604)は、お返しで最後に一発大太刀を浴びせながら、小さく距離を取る。
締めを取りに行くのは、ヘルハウンドの背後から迫る千堂 騏(
ja8900)。
「喰らいやがれッ!」
アウルを纏った拳がめり込んで一拍、ずがんっ! と轟音。
杭打ち機の一撃が、鎖に縛られて満足に動けないヘルハウンドの身体を穿ち、吹き飛ばす。
まだ撃破には至らない――だが、満身創痍なのは見て明らかだ。
いくら上等な地獄の猟犬とは言え、動きが本質的に犬である以上、囲まれては撃退士に敵うわけがない。
主人がその場にいて指揮を取っていれば、話は違っただろうが――そのご主人様はお楽しみ中である。
奇しくも、決着はほぼ同時。
「いぬっころ、いーもん喰わせてやんよっ」
征治が盾で殴りつけてヘルハウンドを弾き飛ばし、そこから立て続けに放った封砲の影。
背を低く、地面を這うように駆ける散華と、封砲を受けながらも散華に跳び掛かろうとするヘルハウンドの交錯。
爪に肩を裂かれながらも、懐に潜り込んだ散華は、その凶暴な牙が並ぶヘルハウンドの口内へ拳を一撃――
「くかかっ、ちゃーんと味わえ、よっ?」
ずんっ! と。
牙が腕を噛み砕くよりも早く、口内で実体化した刃が、ヘルハウンドの顎を斬り裂いた。
「貰ったっ……!」
串刺しになって止まったその瞬間を逃さずに、距離を詰めた征治が胴を両断する一撃。
一匹――
「――そら、こっちだ」
多量の傷を負いながらも、誘導に徹する皓一郎。
血の匂いを滴らせながらも倒れない敵に、ヘルハウンドは果敢に正面から向かう。
「いいね――だが、わりぃな」
瞬間、皓一郎の手元で瞬くフラッシュの強烈な光。
流石にこれを至近で受けて、僅かに軌道が鈍る。
それを逃さず、皓一郎は盾を放棄して牙の一撃を紙一重で避け、がっちりとその首を捉えた。
「央崎――」
ほぼ同時に、二振りの曲剣が揃ってヘルハウンドを刺し貫いた。
捻ってから、斬、と切り払い。
「はい終了、と。じゃあな…エィメン」
葬送の句と共に、フードの下で枢はひとつ息を吐いた。
二匹――
「っ――!」
がんっ! とヘルハウンドが衝突した衝撃で揺れる棚に大剣を突き刺してしがみつきながらも、白兎は片手をぐっと伸ばす。
淡青のアウルから生まれいでた星のような輝きが、ヘルハウンドとがっつり殴り合う紫苑と騏の傷を癒していく。
「頑張ってっ、くださいっ」
「任せなって――そら、千堂、行くよ」
「は――そっちこそ、合わせろよ!」
互いに声を飛ばし合って、まずは騏。
真正面から突っ込み、ヘルハウンドの跳び掛かりに全力で応え、へし折りに行く。
「お――らあっ!」
牙と爪に腕を切り裂かれながらも、パイルバンカーの一撃をヘルハウンドの胸元へ見舞いに行く。
タイマンなら無謀とも言えるインファイト。
だが、追った傷を端から白兎の輝きが治癒していく。
「く……逃がさねえぜっ!」
痛みに歯を食い縛りながら、ヘルハウンドをそのまま抑え込む。
魔界の獣に対して、阿修羅だからこそ成しうる、圧倒的な力業。
紫苑が大太刀を上段から振るう。
深淵の黒を伴う、青紫のアウルを伝わせ、纏わせて――上から覆うように、歪な刃を。
「――っ、は!」
それで一閃。
鬼に喰らわれるように、ヘルハウンドの胴は消失した。
「――終わったか」
「ん?」
ティエルヴァーナはぴくと顔を上げて、す、とアリーセと朔耶から離れた。
腰を上げ、翼と尻尾を払う。
丁度そこへ、ヘルハウンドを片付けた七人が雪崩れ込むようにやってきた。
「お疲れさん、と――お。なんだ、お前らもいたのか」
「お、おねーさん、こんにちは」
「しばらくぶりだな」
「なんだ、他にも面白そうな――まったく」
ティエルヴァーナは皓一郎と散華、そしてに全員に笑みを向けつつも。
「お前らからも話を聞いてみたかったが、ま、ワンコを片付けたからには仕方ない。人質、連れて行っていいぜ。 ――でも、ここからは私も追い掛ける」
にぃー、と笑んで。
その言葉と笑みに、撃退士達は改めて身構える。
「どれだけ楽しんで、楽しませられるか分からないが――」
ばさ、と翼を広げ。戦闘の構えを取って――
しかし、そこで言葉が止まった。
笑みの代わりに浮かべたのは、痛烈に不快そうな顔。
同時、撃退士達の通信機も音を立てる。
オペレータ曰く、ゲート奇襲隊がゲートの作成阻止に成功した、と。
「――上司が助けにこいってよ。 あー、まったく」
がりがりと角の下辺りを掻くティエルヴァーナ。
「……なんというか。大変だな」
皓一郎の声に、ティエルヴァーナは頷き。
「悪いがお預けで頼む。 ――次こそ、もっときっちり遊びたいもんだな」
そう言って、ぶぁさっ、と翼を畳んでは駆けて行くのであった。
そうして、この一件は終わる。
一風変わった女悪魔の印象を、撃退士達に残して――