●踏み出した一歩
時折涼やかに吹く風に、少女の笑い声が乗って運ばれた。
「なんだぁ? 木で作った間に合わせの墓が目印になるくらいに有名なのか? その紅薙村ってやつぁよ」
葵から状況を聞くなりラファル A ユーティライネン(
jb4620)はげらげら笑いながら本人へ問う。
長い金髪が風の所為では無く、笑うたびに揺れている。
葵に限って言えばそれは気にするまでも無い事のようだ。
「墓以外に見所が無い、とも言えるな……観光客が増えているなら……感謝して欲しいものだ」
真顔で堅い口調でも軽口で返せるくらいには、彼も中々図太い神経なのだろう。
そこに優し気……というかむしろ楽し気な空気と共に眼鏡が差し出され、葵とラファルの視線はそちらに奪われた。
「……目は良い方だ」
葵は、差し出された眼鏡から蓮城 真緋呂(
jb6120)の顔へと視線を向ける。
「そうじゃなくて」
真緋呂は葵の手に眼鏡を渡すと、背後に回って髪の長さを確認した。
「印象変えるなら眼鏡と……後ろ髪結ぶ?」
渡された眼鏡を持て余し、結局どうする事も出来ずに装着する。
あぁ、そう言えば、と葵は暗い茶髪の後ろ髪を擦った。
元々肩まで有った髪だったが、あれからまた少し伸びたままだった。
「久遠ヶ原学園に入る事を決断したか。撃退士として生きていく事は、生半可な事ではないぞ。その覚悟はしておくのだな」
輪ゴムをくわえて髪を纏める葵に、チョコーレ・イトゥ(
jb2736)にそう忠告を受ける。
葵は葵で「……精々、足手纏いにならんようにしよう」と、これはまたお堅い返事だったが、彼が気に掛けてくれているのだろうという事は理解している。
その証拠と言ってはなんだが、髪を結びながら返事をする際もずっと釣り目をチョコ―レの視線と合わせていた。
変装後は綺麗に納まった。
元々が中性的な顔つきで細身体型という事もあってか、もし化粧でもすれば「あぁ、こういう女性もいるんだな」と思われるかもしれない。
そうでなくとも、『図書委員の真面目なお兄さん』辺りまでは様変わりしたように見えた。
「服はシンプルにか、逆に天魔討伐でだから制服が自然? ……好みでどうぞ」
真緋呂は笑いながら提案を重ねる。
やはり、少し楽しんではいないだろうか。
そう思いつつも、葵の返答は真面目だった。
「……慣れた服の方が動き易い……このままで良い」
早くもずり落ちて来た眼鏡の、レンズの間の山を人差し指で押し上げ、淡々と言う。
「では……向かうとしよう。紅薙村……俺の故郷に」
●
紅薙村周辺は、何処か物寂しい雰囲気を感じた。
右も左も林ばかり。道程に目印となる場所も無く、用事か案内でも無ければ無理に行こうとは思えない。
「ここら辺……のはずだが」
正午を伝える村の鐘が鳴り終わって久しく、葵が口を開いた。
村は既に目と鼻の先に見えている。彼が差しているのは墓の事だろう。
彼自身、そこに行くのが久しい印象を受けた。でなければ、その鋭い目つきが前後左右をうかがう様子は思い当たらない。
「それにしても、拒絶されてもちゃんとお墓を作るなんて」
紫のシルエットが横目に入った気がして、葵は母親の墓を探すついでにそちらに視線を配った。
不知火あけび(
jc1857)の言葉に、葵は口を閉じたまま鼻で息を吐いた。
「……前にも言ったと思うが……大した理由じゃない。まぁ……言うなら、そこから後には戻らない『区切り』を敷きたかったんだ」
葵は、追悼よりも決別の意を強く墓に込めた。
人はそれぞれ捨てる事や封じる事で、悲しい記憶を消し去ろともする。
それを敢えて作り置く事で、先の自分に過去を意識させ、難題を乗り越えさせようとしたのかもしれない。
「区切り、は……乗り越え、られ……ましたか……?」
そっと語り掛ける苑邑花月(
ja0830)に、葵は目を閉じて頷く。
「……だと、思いたいな」
少なからず、撃退士達の協力のお陰で。
それをどう伝えようかと葵が言葉に悩み、再び口を開こうとした時、場に緊張感が張り詰めた。
気配に気付く撃退士達は一斉に真剣な表情に切り替わる。
葵も表情を強張らせ、辺りを見ると九十九(
ja1149)も人差し指を口の手前で立てていた。
「お出ましさぁね」
電子機器が立ち上がるような音、そして草木の揺れと共に革靴が地面を蹴る音。
予想よりかは態勢を整える時間は与えられた。これも余裕からか。
片手で押さえられたシルクハットで表情が良く見えず、傍で漂う球体はノイズのような音で点滅している。
ペンギン帽子のツバを持ち下げたラファルが、駆動音を鳴らしつつ嘲笑か冷笑か鼻で笑い、睨み合う合間にチョコ―レは相手を見やりながら葵に話す。
「雁真、お前は下がっていろ」
抜きかけの剣を止め、葵は翼を顕現させたチョコ―レを見ずに返事をした。
「黙って見ているのは……飽きたな」
それがチョコ―レにとって肯定か否定の言葉だったかは定かでは無い。
周囲に合わせ、葵が剣を抜き、チョコ―レが糸を構えて阻霊符を発動させた直後に、ラファルの合図が響いた。
「行くぜッ!!」
●
二体のディアボロへ横っ飛びに散開した合間から、あけびの棒手裏剣が強襲。
無数の影に身を刺されてルファースが一瞬遅く仕込み杖を構え、同時に動いたエネルヒアの眼前にラファルが迫った。
「よぉ」
片目を突き出すようにして、ラファルの瞳が尾を噛む蛇を映し出す。
凝縮したように縮こまったエネルヒアと対角線上の位置で九十九が瞬時に気配を断つと、ディアボロ達の頭上から彗星の大群が押し迫った。
その真緋呂が放った圧潰魔法の隙間をラファルだけが綺麗に縫い切り、側面へ飛び出した花月が二体を直線上に捉え、開かれた魔法書から紋様を浮かばせると豪炎を走らせる。
合わせ、飛行からチョコ―レの鋼糸がルファースの肉体を絡め、削ぐ。
だが、攻撃の際の急降下のせいか間合いギリギリに入ってしまったチョコ―レに、ルファースの反撃が唸った。
シルクハットを押さえつつも刃先を一閃。
葵の剣をひらりと躱し、見ればチョコ―レは間合いよりも一歩遠く、その場に残されていたのはスクールジャケットのみ。
動きを鈍らせていたエネルヒアも放電の魔法をラファルへ放つが、軽々身を逸らして放電を掻い潜り、逆に拳をエネルヒアへと突き出す。
その、たった一瞬の動作の合間。
ラファルの腕よりも速く、あけびの刀がルファースに突き刺さった。
軌跡に残る紫の花弁が散るより先に刀を抜くと、入れ違いにラファルの掌が歪んだ。
そう見えても仕方は無い。それも、そう見えるかどうかさえ凝視しなければ気付く事さえかなわない。
不可視の圧力はエネルヒアの球体を拘束していく。
自身の刀へ、空から降り注ぐありったけの光を収束させた真緋呂は、エネルヒアへ向けて眩い赤光を撃ち放つ。
途切れた光線の先では、花月が村を背に回り込んだ。
風を纏った花月が両手を仰ぐと、突風の冷気がエネルヒアを押し出す。
ルファースの剣先はあけびへ向けられたが虚しくも空を斬り、代わりにチョコ―レの糸の一つ一つがルファースの身体に細かな乱れ傷を作り、糸に合わせて九十九の大弓から放たれた矢がルファースの方へ突き刺さる。
葵がルファースへ突きを繰り出すとほぼ同時に、ラファルも唸りを上げながら刀状武器をエネルヒアへと突き刺し、離れ間際に声を掛けた。
「離れとけよ」
咄嗟に葵が身を退く、直後にエネルヒアの球体内から激しい爆発が起こった。
「……面白い技だ」
彼も彼で不躾かもしれない。戦闘中に何だが。
エネルヒアは反撃にラファルのみに絞って炎を放つ。だが、こちらも灰となったのはジャケットのみ。
葵を挟み、あけびと九十九の矢がルファースへと飛来。矢が刺さったと同時にあけびの刀が一閃、対応を見せたルファースによって惜しくも二撃目には繋がらなかったが、チョコ―レがルファースに対して糸を振り払った。
逆サイドでは接近を仕掛けた真緋呂に対して、エネルヒアは自身も巻き込んで爆炎の魔法を決行。
収束させたアウルの盾でそれを防ぐと、真緋呂の刀は爆風ごと球体を袈裟斬りに。手応えはあまり感じられなかったが、エネルヒアの発光は見るからに弱まっている。
エネルヒアと距離を保った花月の掌から激しき風の渦が巻き起こり、動けぬエネルヒアはもろに渦の餌食となった。
繰り広げられる攻撃の応酬を間近で見て、葵も見よう見真似で剣を振るう。
大した外傷は与えられないものの、彼らと共に武器を振るう事は、葵の中で特殊な勇気を感じさせた。
が、ここでルファースが深く腰を落としている事に気付く。
横薙ぎに一閃したルファースの剣が葵とあけびを巻き込む。
あけびは着物の裾に切り口が入っただけだが、葵の構えた剣に直撃した。
幸か不幸か直撃で軌道がずれ、頬を切っただけで済んだが、もしまともに当たっていれば胸か胴に一本線が付けられていたことだろう。
エネルヒアの元へ跳んだルファースが構えたまま待機をする。
動く気配が無い。
その時、僅かにエネルヒアの身体が膨張した。
吸収……。
させる訳にはいかない。
「そんな浪漫戦法を通すわけにはいかねェな。俺達はセオリー通りにあほ面晒して眺めたりしないぜ」
詰め寄ったラファルが再びウロボロスの瞳を向け、動作を鈍らせる。
あけびの斬撃がルファースを裂いたところに、真緋呂が多色の炎を落とす。
炎の延長でルファースへと構えられた大弓が一つ。
九十九が弓に宿した蒼天の一矢に、ルファースが気付いたのは。
身体に到達した、数秒後の事であった。
真緋呂の炎に直線の炎が重なる。
それは、花月から放たれた猛火。
巻き込まれたエネルヒアが炎の中でその身を消滅させ、同時にルファースは煙を上げながら、両の膝を突いた。
●決意の証
「……済まん、手間を掛けさせる」
活動を停止させたルファースを背に、真緋呂は葵を中心に傷の手当てを行う。
といっても、実質負傷したのは葵くらいだったが。
「進み始めたばかりだもの、焦らずゆっくり行きましょう」
遠くから傍目に見れば、村はのどかという感想だけが浮かんだ。
「此処が……葵さん、の……居た、場所……」
何処を見渡しても必ずと言って良い程畑ばかりが目に付く。
ただ、外には見えないだけで屋内に行けばそれなりに人間は居そうだ……が。
「情報収集……と言っても、俺が村で動き回るのもな」
チョコ―レは自身の外見を気にしてか、フード付きのコートを目深に被り中へ進む。
眼鏡の位置を修正して続く葵に、真緋呂は声を掛ける。
「雁真って姓は珍しいし、葵さんと呼んだ方がうっかりバレないかな?」
言われればそうだな、と葵は納得した。
「……そう、だな。下の名で呼ばれるのは抵抗が有るが……それで頼む」
「名前で呼ばれんの嫌なのか?」
そうラファルが訊いたところ。
「女のようで気になっている……いや、どうでも良いな」
と返答された。
中学校へと赴いたあけび、ラファルは教職員との接触に成功。
「ゲート跡地の調査ついでに、近年起こった天魔事件を調べています」
老年の職員が多く、お陰で昔の話には事欠かなかった。
「近年、ねぇ……あぁ、ありゃ二、三年前かねぇ。突然天魔ってヤツが襲ってきたのさ! あの時、確か誰かの母親が連れ去られた……とか」
「攫われたお母さんは事件前、変な様子はなかったですか?」
葵の話とも一致している。あけび達は質問を重ねた。
「いいや、いつも通りだったね。まぁ、あの人の場合、いつも通りってのが……ま、変な様子だったのは事件後だけどね」
そこで、二人は疑問を抱く。
「……事件、後?」
「急に大人しくなっちゃって! 家にも居ないし。前はあんなにウチの子がーってヒステリー起こしてたのにね! あ、そんな事言っても分かんないわよね」
同時刻、役場に行った花月と真緋呂も同じような情報を得られた。
今回の天魔は三年事に二回起こった事件とは重ならない。
天魔に襲われ始めたのは約六年前で、他の天魔の被害と比べて特別な共通点は無い。
この事から、葵が小、中の卒業後に襲われたのは偶然だったと言えそうだ。
ゲートは三年前の時点で破壊されており、それは後にあけびが行った確認でも証明された。
二度の天魔事件では、行方不明者は葵の母親のみだったため、早くに収集が終わった。
因みに被害だが、一度目は村が半壊、二度目は対策を強め、負傷者は多数出たものの行方不明者も死者も出なかったらしい。
何れも空が黒ずんだかと思えば兆候なく襲われ、後手後手に回って被害が拡大したのだとか。
襲撃事件は他の家庭も多大な損害を受け、それで村を出て行く人間も少なくなかった。
雁真家については、語る人物は少なかった。
早くに父親を亡くし、母子家庭の二人暮らしで育って来た事は関わり合いがなくとも知っていたそうだが、自らあの家庭に首を突っ込む事はしなかったそうだ。
母親が先か、葵が先かは判らないが、他人と打ち解けない葵に腹を立てた様子の母親は、どうにかして周囲の気を葵だけに向けようと泣きつくように話していた……らしい。
「光を向いて顔を上げてる花。……お母さんに宣言出来るでしょ?」
真緋呂とあけびからは向日葵の花束、花月からカモミールの花を、ラファルのケイトーも受け取り、九十九の唄の中で目の前の簡素な十字墓にそれらを添える。
そして、真緋呂とあけびからある可能性を聞いた。
それは、天魔が他の生命から造られている事。
自分の親が……そうなっている可能性も有り得る事。
流石に暗い表情を隠し切れなかったが、それでも真緋呂が手を握りしめてくれ、あけびも「私は葵さんを信じてます」と言ってくれたことで幾らかは緩和されたように思う。
もしも知らぬまま現れたとしたら、葵は今度こそ立ち上がれない気さえした。
「雁真。母親にはちゃんと報告できたのか?」
「あぁ……」
戻ったチョコ―レから声を掛けられ、立ち上がった葵は、目を見張った。
軽く嗚咽を漏らし、木に寄り掛かる。
「どうしたさぁね?」
九十九の言葉に、葵は目の前を睨んで答えた。
皆の視線がそこへ集まる。
そこに、女性の影があった。
葵と同じ暗茶の長髪。鋭い瞳。
だが、撃退士達からすれば明らかに異様な雰囲気を持った人ならざる者。
それはこちらが視線をやると、フッと村の中に姿を消していく。
「……あれは……アイツは……!」
葵が唸った。
そして、彼女らが言った言葉を十二分に理解した。
何処に居たと言うんだ。
アレは。
俺の……母だ。