●ラプンツェルが臨む夢
からころりん、からころりん。
部屋の中鳴り響くオルゴールのメロディは楽しげな色。
ひとりきり、誰もいない誰かの部屋で、ラプンツェルは涙を流す。
逢いたい、逢いたいと、願う声は未だ届かない。
救済を求め嘆く悲痛な歌声は、誰が為に。
響く足音、喚く救急車のサイレン。
「彼らの”救済”は、叶うのかな?」
一人呟くアベルの声は茜色の空の下で和えかに散った。
●いばらの城のゆめ
フレデリック・アルバート(
jb7056)が道中、病院に尋ねた家族の様子はひどく歪なものだった。
娘を預けた後一度も訪れなかった父親。
幾度も重ねて訪れた現地詰めの撃退士。
看護師、撃退士らとの不和。
「あの子は変わった子だったから」
電話を受けた婦長は言葉を濁して言う。
「父と母、それに冥魔が恋しい――なんて」
一ヶ月の間、一度も訪れなかった父親。
撃退士らは詮無い話ばかりする少女に詰問した。
彼女がひとり泣いていた夜も少なく無かったという。
さみしい、さみしい、逢いたい、逢いたい。
恋い焦がれる家族の情を求めながら、ディアボロと化した一人の少女。
――一度は救助対象として対面した彼女と再びまみえる為、八人は現場へと向かう。
●請い待ちのゆめ
空は暗く、高い。
間近で瞬く警光灯は薄闇の空を煽るよう明滅し、鈍い光を孕む。
鍔崎 美薙(
ja0028)の長い黒髪が、風に煽られ流れた。
「救いたいと願いながら、害為すモノと断じ排する。都合の良い話かも知れん」
けれどその物語を腫物として扱うのではなく、後々に生まれてくる子が知ることが出来るよう、取り計らいたい。
その為に救うべきは、眼前に聳える現在で。
夕暮れの空の許、美薙は息を吐き、ヒヒイロカネにそっと触れた。
「マッポーめいた世の習い……サツバツ。……急ぎましょう。まだ、救える誰かがいるのなら」
発動した阻霊符は懐の内、黒瓜 ソラ(
ja4311)は佇む家を見上げ言う。
やらねばならぬことが有るなら、向かわなければならない。救わねばならぬ命が有るなら、向かわなければならない。
「急ごう、二度目の悲劇を起こさない為にも」
救急隊員らの不安げな面持ちを尻目に頷いたキイ・ローランド(
jb5908)もまたその後を追って門をくぐり、扉に向かう。
「…………」
赤坂白秋(
ja7030)。彼が普段の軽口さえ乗せない寡黙の裏で、静かに想いを馳せるは先日の事件。
救い上げた少女、掬い得なかった絆。彼女のいた病院から聞き伝えられた、様子。
想起する姿は黙考のようにも、悼み偲んでいるようにも窺えた。
「……こんな再会、やり切れないよ」
藤咲千尋(
ja8564)が絞り出すように呟いた言葉は風に融け、容易く消える。それは遂げられることの無かった想いと似ていた。
(――キリカちゃんのお父さんも奥さんもお腹の赤ちゃんも、全員助けるよ)
救いたいと願う心はただ一途で純粋。命も心もすべてを以て救いたいと馳せる願いは強欲で、けれど穢れない白。
強く誓う祈りは、ディアボロと化した少女に届きはせずとも、叶うか否か。
それぞれがそれぞれの想いを抱きながら、彼らは開け放たれた扉の向こう側へと足を踏み入れた。
救助班と捜索班に分かれての作戦で、二階に駆け上がっていくのはソラ、安瀬地 治翠(
jb5992)、エローナ・アイドリオン(
jb7176)の三人。
美薙の生命探知の結果、二階で捕捉出来たのは三体。
先ず目に入るのは、一直線の廊下を徘徊する二体のバンシー。もう一体の所在は判らず、けれど先に気取るべきはその二体。
存在に気付き、ゆったりとした足取りで距離を詰め始めるバンシーを前に、ソラはアウルを集中させる。緑色に輝く焔は眸を包んで揺らめいて、バンシーの動きを決して逃さない。
盾を手に前に割り入る治翠の背後から、銃を構えるエローナは躊躇いなくバンシーの腹を撃つ。
「お姉ちゃんの所に行く……邪魔は、させないんだよっ」
アウルに依って生まれ出た無数の蝶は鎌を握る女の身体に纏わりつき、視界を浚い、その意識を奪い取る。
「……復活怪人は負けフラグですよ? ……あぁもう」
朦朧としたふらつく足取りで廊下に立ち竦むその腕を、定めたソラの銃弾が狙いを外さず穿っていく。着弾と共に取りこぼす鎌は、以前と同じく形を揺らめかせ輪郭を朧げにさせる。
「狙いはビンゴ、ってヤツですね」
一体目のバンシーより更に奥まった位置で蠢き、構えたままの鎌を揺らす影。
遮られ通れないらしいその女は、低く呻き声を上げながら眼前の個体――朦朧に意識を浚われていたバンシーの背を鎌で斬り付けた。
「……仲間割れ、ですか?」
怪訝そうに呟く治翠の背後、続けざまに銃弾を放つ二人もまた声を上げる。
「どうして?」
「さーて、どうでしょうね。……何にしたって、今日のボクは苛々さんなので、綺麗にいきませんよ」
戸惑いを隠さないエローナと、射撃の手を弛めないソラ。
朦朧状態から回復し、背後から斬り掛かる存在は無視したまま向かってくるバンシーを受け流しながら、治翠は思案する。
「生前の記憶が関係している? ……いや、そうするともしかしたらこのディアボロの素材は」
以前屋敷に訪れた際、無くなってしまっていた、家にいた筈の”客人たち”の死体。
複数人の女性を家に招いていたと、家主である男は言っていた筈だ。
眼前のバンシーが、その女性らで有るとすれば仲間割れも合点が行く。
奪い合う妻の座。目の上の瘤である娘。優しく媚びを売り、擦り寄り、点数を稼ぐ。
(彼女の家庭環境は――……)
その渦中に居たキリカの心境を思うと、治翠は眉根を寄せ、沈黙して盾を振るった。
首を絞めんと伸ばされた手を、治翠の緑の槍盾が弾く。
下から斜めに大きく切り裂かれたバンシーは鎌と共に輪郭をぼやけさせ、そして、崩れ骸と化す。
ハンズフリーの伝達に依って一人目の救出完了を聞いた三人は、態勢を整えながら二体目のバンシーと対峙した。
●届かぬ果てのゆめ
玄関口から入って少し先、キッチンの入口を塞ぐよう佇んでいたバンシーをいち早く射抜いたのは千尋の焔で光り輝く聖弓での一手。引き絞られた弓から放たれた矢はバンシーの腹を射抜き、空中に霧散する。
「先に倒した方が早いね」
「退路を確保、だな」
冷静に場を読み剣を構え味方を庇うよう立ちはだかるキイと、その隣で武器たる書を手に頷くフレデリック。
その隙間を横切る光球は白秋の持つ白銀の魔法書――フェアリーテイルの生み出した妖精が手繰るもの。
明らかに劣勢と見て取ったバンシーは、大鎌に禍々しい血色の力を篭め大振りに薙ぎ払う。わざとらし過ぎる程に大きなモーション、けれど前衛二人が咄嗟に取った防御を突き抜ける重い一撃。
双方共に切り裂かれた腕から溢れる濃密な血のにおい。
「無理はさせぬよ」
二人から上がる呻きそれぞれに、美薙の治癒の光が降り注ぐ。
傷を塞ぐアウルの温かみに踏み止まるキイとフレデリックの背後、フェアリーテイルを掲げた白秋がシニカルな笑みを浮かべて告げる。
「少々手荒だが――踊ろうぜ、バンシーさんよ」
放たれる光球に宿る蒼は破魔のアウル。宙を滑るように進んだ光がバンシーに着弾すると容易く爆ぜ、その体躯を動かぬ骸へと変じさせる。
土塊と化したディアボロの姿には目もくれず、五人が向かうのは生命反応が有ったキッチンだ。
本来二つであるべき場所に三つの反応。ディアボロの可能性が高いと読んで急いて入った先――蹲り爪で床を掻く黒い女の姿。床扉を開こうとしているバンシーだった。
「いけない!!」
千尋の声に振り向いたバンシーはその口許に粘ついた笑みを刷く。
救助対象は地下室に隠れ潜んでいると言う。
透過能力は防げども、扉を開ける行為までは防げない。
しかし、五対一。狭いキッチンとは言え、討伐は早い。
傷こそ負えど痛手ではなく、あっさりと下したバンシーを後に救助班は地下へ至る扉を開き、階段を降りて行く。
――階段を降り切った地下室、食物の貯蔵が十分な冷えた部屋の隅、救助対象である二人は寄り添うように座り込んでいた。
「久遠ヶ原の撃退士です、お待たせ致しました!!」
「皆さん……またお逢いすることになるとは」
二度目の救助となる千尋の声。
彼女らの姿を目にした男から漏れる安堵の息。隣にいる怯えた女――妻にもその心境は伝わったのだろう、同様に穏やかな笑みを浮かべた。
「早く、早く彼女を外に出してやってください」
「勿論だとも。もう大丈夫じゃよ」
美薙は言葉と共に気取られぬよう注意しながら暖かな力を孕むアウルを周囲に散らし、二人を落ち着かせるべく努める。
マインドケアの効果か否か、緩く頬を綻ばせた女は頷き、男の手を取った。
「本当に有難う御座います、それで、もう外には……」
「――旦那さんには、少しお話しなければならないことが有るんです」
「え?」
目を瞬かせる女の手を取る千尋は柔らかな口調で言い、その後を継ぐようにフレデリックは返す。
「奥さんは、先に救急車へお連れします」
「そう……ですね。妻を先に、連れて行ってやってください。私のことは後で構いませんので」
男の言葉からほんの少しの躊躇いの後、解かれる指、離れる手。
その相貌は妻の身を案じる夫そのもので、疑いようがない。
様子をつぶさに観察しながら、白秋は目を細める。
「少しでも痛かったら言ってくださいね!!」
細腕で事も無げにひょいと女を横抱きにすると、千尋は頼もしい表情で言う。
それに付き添うのはキイ。提げた剣は警戒の証、いつ飛び込んで来られても対処出来るよう構えているものだ。
振り向きざま、駆けてゆく千尋の後を追いながら口を開いたキイは男に向かって告げる。
「絶対に後悔しない選択を。キリカちゃんの為にも、その奥さんの為にもな」
室内に反響、残響。キイから投げ掛けられた声に対する返事を持たない男は驚きから曖昧に頷き、その背を見送った。
二人と一人が立ち去った後、地下室に残されるのは撃退士三人と、男一人。
「……出来れば、聴かせて頂きたいのですが…お嬢さんは、どんな子でしたか?」
不意に切り出したフレデリックの言葉に、面食らった男は目を丸くする。
「どんな、と言うと……」
「事情を、おぬしら側の事情を多く知らぬ身じゃ 正解を提示は出来ぬ。それでも、おぬしの力になりたいと思うておるよ」
美薙の穏やかな語り掛け。既にディアボロと化してしまった娘に想いを馳せ、痛ましげに目を眇めた後、男は首裏を掻き項垂れた。
「……可愛い娘でした。思い遣りが有って優しく、少し幼い所も有りましたが、目の中に入れても痛くないくらいに、愛しい娘で。私が護ってやらなければ壊れてしまいそうな程脆くも有って」
父親として、滲み出る愛情。すらすらと口をついて出る言葉それぞれに偽りは感じられず、だからこそ、尚の事胸中の違和感を煽る。
静観する白秋、美薙にもその違和感は過った。
「では、何故彼女の病院に行かなかったんですか?」
「――……」
問い掛けに途切れる言葉。フレデリック、白秋、美薙の三人を値踏みするよう目を細めた後、男は短く息を吐く。
「私には、新しい家庭が有る。あの子がそれを受け入れられるとは思いませんでした。あの子の病気のことだってそうです、私も妻も、付きっ切りであの子の看病が出来る程の余裕は無かったんですよ」
「じゃから、病院に預けっ放しにした、と……?」
「然るべき機関で診て貰うのが一番だと判断しただけです」
驚愕に声を洩らす美薙に少々ばつが悪そうに頬を弛めると、男は肩を竦めて切り返す。
驚く程傲慢で、自分本位で、冷徹。聖人君子でも無ければ偶像の神でも無い、男の告げる心意は実に人間らしく、残酷だった。
割り切りと人は言い、それを悪と呼ぶか、善と呼ぶべきかは定められていない。
「……俺達はこれからあれを倒す。化け物になった以上殺す以外にない。思うに、人生っつーのは結局のところ最後に何を思うのかだと思う」
「ええ」
白秋の台詞に頷く、少女の父親だった男の目に映るものは、現実。
「娘さんの人生はどういうものだった? あんたの娘の人生はどういうもので、どういう最期を迎えようとしている? ――ずっと待ってたそうだぜ、家族を」
パパ、ママ、そう呼び続けた少女の声。もう口に出すことも出来ない、声。
「何か言いたいことはねえか。一言でも言わなければならないと感じることはねえか。もし有るのなら、俺たちが――」
「私は、目の前で化け物と化した娘の姿を見ました。あれは、私の娘――キリカではありません、ただの化け物です。それこそ、あれをキリカと呼ぶ方が冒涜では無いでしょうか? ……そうである以上、私はその化け物に心を砕くより、妻の傍に付き添って居たいと思います」
白秋の訴えかけを遮り、淡々と告げるのもまた、少女の父親だった男。
それは正論。過去の死者より未来へ繋ぐ生者を求めるのもまた必須。
余りにも情を割り切った物言い。歯痒さに、虚しさに唇を開き掛けた美薙を制し、フレデリックは首を左右に振った。
「待たせたことについては、悪いと思っているんですよ。……ですから、妻を待たせたくはありません。お手数をおかけしますが、連れて行ってください」
悪びれずにそう言い切った男を糾弾する言葉を、撃退士たちは持たなかった。
何が正しく何が誤っているのか、その答えは当事者のみが知り得ることで。
――この男に、少女だった”モノ”の声は届かない。
そう判断した三人は男を屋外の救急隊員に引き渡し、別班と連絡を取りながら急いで二階へと向かった。
●眠り姫のゆめ
治翠のサンダーブレード――振り下ろされた雷の刃で袈裟斬りに裂かれたバンシーの体躯に咲く華は、稲光を散らし煌めく。
生命探知の反応で得た情報に依れば、奥まった個所、恐らく子供部屋にも反応が一つ。
廊下のバンシーと戦いながら、エローナはふと聴こえる音に耳を傾ける。
からころりん、からころりん。
小さな音だが、確かに聴こえるそれ。
「お兄さん、お姉さん、何か聴こえない?」
「何です? ――……んん、聴こえますね」
銃を構えるソラもまた、前方のバンシーへの警戒は怠らぬまま辺りへ気を配る。
「オルゴール、ですかね」
治翠の言葉を追うように響く音。
からころりん、からころりん。
一定のリズムで鳴り響き続けるそれが最奥――子供部屋からのものであるのだと気付いた瞬間、三人は顔を見合わせる。
「子供部屋から聴こえるよ」
エローナの声には期待と不安が綯交ぜに有った。
(パパさんはキリカお姉ちゃんのことをちゃんと覚えてくれている? それとも――)
ハンズフリーの受話口から耳に入って来る言葉は反して残酷で、期待と共に銃口を揺らがせる。
キリカに届けたい言葉が、想いが有った。けれど、それを伝えることが叶うのだろうか。それを伝えることで、キリカは救われるのだろうか。
「チョージョー! 一丁上がりです!」
エローナが迷うその合間、弾けるソラの銃弾がバンシーの胸を貫き、眼前で崩れ落ちる灰。
「……見てきてみるんだよっ」
急いたエローナは、二人の声も待たずに走り出す。
開け放つ子供部屋の扉、その先に居たのは長い長い髪を揺蕩わせたキリカだったもの――ラプンツェルの姿。生前の面影が濃く、ディアボロであるのだと言われても咄嗟に判断は出来ないだろう。
からころりん、からころりん。
鳴り響く電子音はベビーベッドに取り付けられたオルゴールメリーから。
以前見た子供部屋とは大きく異なり、キリカの為のベッドも無ければキリカの為の大きな窓も無い。
部屋の隅にぽつんと置かれたベビーベッドと、赤子用だろう、家具や玩具の色調は淡く優しい。
「あ……」
ラプンツェルは泣いていた。ぽろぽろと涙を溢しながら、部屋の中心で髪を揺らして佇んでいる。それがディアボロであると知りながら、エローナは声を上げた。
「お姉ちゃん、自己紹介して逢いに来たよって言っても笑ってはくれないよね。でもね、その気持ち少しだけ判るの。何故って……」
顔を上げるラプンツェルと、その間に護るよう割り入る治翠。髪がざわめき、部屋を這う。明確な敵意を向けられていると肌で感じながら尚、エローナは言葉を続ける。
「私もママが消えちゃったんだよ」
人形のリックを握り締め、つたないながらも痛みを孕む想いを吐露するエローナに向けて髪の波が襲いくる。
それはしかし、治翠の盾によって防がれた。
弾いた髪、けれど腕はびりびりと痺れる。相当な力が篭ったそれを護りのみで堪え凌ぐ自信はない。
ソラは考えあぐねてその背で眉を寄せるものの、緑の焔を眸に灯すと銃口をラプンツェルの脚へと据える。
「今でもママが大好き。寂しいのもずっと変わらないの、でも寂しいってリックに聞いて貰えると、ほんの少しだけど大丈夫って思えるんだよ。だから、私達に寂しいって言って――……」
浮かべる笑みに篭める想いは、いつかは笑えると伝えたいが為。
そのいつかが眼前のディアボロにはもう訪れないのだと、理解出来るまで時間が足りない。
空気を裂いて宙を飛んだアウルの銃弾が、ラプンツェルの脚に突き刺さる。
それを見たエローナは、戸惑いと、哀しみとを織り交ぜた悲痛な面持ちでソラを見た。
ざわめく髪は、蠢きながら再度エローナを襲う。
「キリカお姉ちゃんは何も悪い事なんてしてない、寂しいだけなのに……なんで!」
「懸念はあったのに防げなかった私の罪故の義務です」
問いに答えたのはソラではなく、槍盾で髪を振り払った治翠だった。千切れた髪が空を舞い、裂かれた頬から血が伝う。
「そして、家族を求めただけのあの子に親殺しをさせたくない、自己満足です」
「お話したら、聞いてくれるかも知れないよ。まだ、判らないのに」
震える声のエローナの後ろ、ソラは再度銃弾を放つ。
「こうなっちゃった以上、キリカさんとはもう友達にはなれないんですよ……残念です」
銃声、ラプンツェルから上がる小さな悲鳴。
蹲るディアボロを中心に、長い長い髪は幾本かの束になってうねる。
「そんなのやだよ!」
幼さゆえに上がる声。治翠の庇う盾から離れ、ラプンツェルへ差し伸べようと手を伸ばす。――けれど、それは届かない。
「……あっ!」
伸ばされた腕ごと、束となった髪は無残にも切り裂いた。
布地を、肌を勢い良く裂く髪はまるで刃物のようで。言葉を断ち肉を斬り骨を砕き、絡んだ髪はそのままエローナを地に叩き付ける。
飛び散る鮮血に染まる髪束は鮮やかな真紅で、まるでいばらの花のよう。
ソラがバランスを崩させる目的で撃ち抜く脚、けれど効果は無し。
悲鳴を上げる間も無く沈んだ少女を再度庇うように治翠は盾を構え、ラプンツェルを髪ごと押し退けた。
「アイドリオンさん!」
リックを抱き締めたままぐったりと倒れ伏すエローナに治翠が呼び掛けれど、返事はない。じわりと絨毯に広がる赤い血だまりを踏み締めながら護るべく盾を構えるものの、室内で膨れ上がり広がる髪は逃れる場所を作らない。
ハンズフリーから聴こえる声によれば、合流まで後少し。
持ち堪えられるか否か、治翠とソラは見極める。部屋を内側から包むように包囲している髪の中、負傷者を抱えての離脱は難しい。
困窮。二人は身構えながら、数歩と後退して距離を取る。
――蠢く髪にどこから攻撃されるか判らない今、進退どちらも許されない状況、だった。
開け放たれた扉から洩れる髪を斬り、掻き分け、覗き込んだ千尋の声は悲鳴にも似ている。
「――……っ、みんな!?」
1F救助班が2Fに訪れた時、既に部屋の中は血塗れだった。
肌を裂き、肉を抉り、部屋中に飛び散った血痕はまるで花畑。
傷だらけ、けれど辛うじて持ち堪えているといった様子の治翠、そして横たわるエローナとソラ。戦況は最悪だった。
「一旦下がって、回復に専念して」
言いながら前に身を滑らせるキイと、それに追従して髪の海へと飛び込むフレデリック。
呼応するよう頷き、下がる治翠に治癒を施していく美薙。
「救いは命有ってのものじゃ。あたし達が倒れては元も子も無いのじゃよ」
「……助かります」
救いを掲げる冥魔に反するよう言う美薙の言葉。
迷える死者を送る為に、今一度殺すこと。それしか救いの手を持たない自分が、安寧の為、解放の為に取る手段。――美薙はそれを受け止め、現実を見詰めるべきだと考えていた。
「すまねえ。お前の仇は必ず取る――そう、約束する」
乗せない軽口は痛みを悼む心に織って、白秋は宣言する。
笑みは浮かべない、それが手向けになるかは知らずとも。
ずっと一人きりで待ち続けた少女への餞たれと、向けた魔法書から放たれる光球は、幾束かの髪を灼き切ってラプンツェルに向かう。
「これがきみの為だとか、色々と理由は幾らでも付けられるだろう。だけど、救済なんて誰が作り上げる事でもない」
真っ直ぐ振り落とされたキリカの髪束を寸での所で回避しながら、フレデリックは曖昧な表情を浮かべて言う。
「だからせめて、今俺が出来る手向けを」
ラプンツェルの願いを叶えることが出来るとは決して思わず、彼女をディアボロ化させた冥魔――アベルの行為を救済だとも思わない。
そうである以上、フレデリックはただ自身の有るがまま、思うがままに歩むのみ。
からころりん、からころりん。
鳴り続けるオルゴールをバックミュージックに、キイは剣を携えたままラプンツェルに尋ねる。
「今、自分に叶えられることはあるかな?」
少女が望むものが有るのならば、叶えられることが有るのならば、それが真の救済になるだろうと祈る、願う。
けれど返歌は後ろから、鋭い横薙ぎの一撃。
「やっぱり、救うには戦うしか無いんだね」
背を深々と裂く一撃に、キイの大人びた表情は一瞬年相応のそれで寂しげに笑い、そして刃で斬り返す。
正しいこととは何だろう、義しいこととは何だろう。
少年はただ兵士として剣を振るい、血に塗れてしまった髪を斬り散らす。
「”救済”の為なら盾になる。――わたしはもう誰も失いたくない!!」
千尋は声を挙げた。
眼前のディアボロを倒す。ただそれだけのことと、言い切る程彼女は割り切れない。
人でなくなってしまった、キリカではなくなってしまった彼女を倒すと心に決めて、今すべき事を成す。
そうでなければ救えない、成し得ない。
生きている者を救い掬ってこそ、過去を見送ることが出来る筈であるから。
「キリカちゃん、ごめんね」
引き絞る弓に篭める聖なるアウルは千尋の想いを乗せて、うねる髪を裂き、ラプンツェルの腹を深々と撃ち抜いていく。
「あいったた……ヤバレカバレ、中々やりますね、キリカさん」
美薙の治癒の力で気絶状態から復帰したソラは、咳払いしつつ身を起こす。
傷を癒され態勢を整え直した治翠は、深手を負い目蓋を閉じたままのエローナを抱え護るよう、美薙と共に部屋の隅へ。
絡まり合い四方八方から裂き来る髪は脅威であれど、その中心であるラプンツェル自身の動きは鈍い。
蝶を舞散らせ霊符を振るうフレデリックに依って意識を断たれたラプンツェルはよろめき、あっさりとその身を横たえた。
その隙を縫って髪を引き攫んだ白秋は、哀悼の意を篭めた眼差しでディアボロと化してしまった少女を射抜き、アウルを束ねた一撃を至近距離で放つ。
「――グッドナイト」
光球が、絡まる髪に巻き込まれ、爆ぜる。
生を失くして眠りについた、憐れな眠り姫には永遠の安らぎを。
救いになるかは知れずとも、それが撃退士に課せられた、与えられた力である為に。
からころりん、からころりん。
鳴り響くオルゴール。
止まない少女の嘆きの雨。
「忘れぬよ、美しい栗毛のキリカ」
美薙の治癒が傷ついた者を癒し、護る。
――千切られ、撃ち抜かれ、嘆くディアボロは歌を唄った。
醒めない夢を抱いて眠っていたラプンツェルが最期に見る、請いの夢。
●楼上のゆめ
ママ、ママ、帰って来てね。
パパ、パパ、迎えに来てね。
(わたしの夢は、パパのお嫁さん。
だけど、ママがパパのお嫁さんだから、取り合いになっちゃうね。
それじゃあわたしの夢は――――そうだなあ、ママとパパの、むすめ!)
――ずうっとずうっと、待ってるからね。
●ラプンツェルの褪せた夢
からころりん、からころりん。
部屋の中鳴り響くオルゴールのメロディは哀しげな色。
ひとりきり、誰の声も届かない姿で果てた、ラプンツェルは涙を流す。
逢いたい、逢いたいと、願った声はもう届かない。
彼らは肩で息をしながら、その末路を――短い幻影を見せて力尽きたラプンツェルの亡骸を見詰めていた。
髪は床を滑りざらざらと萎んでいく。
長い髪を床に散らした、キリカだったものの亡骸。
「討伐は流石専門。御見事、といった所かな」
再度屠られた魂の行方を見送る撃退士らの背後で、渇いた拍手と共に声がした。
振り向けば、扉を開け放ったままの廊下。
そこには金髪碧眼――薄笑みを浮かべたアベルの姿。
程度の差は有れど全員が消耗している今、戦うには厳しい相手だというのは共通認識だった。
揃って警戒を強める中、一人だけ軽口を乗せてソラは首を傾げた。
「ドーモ、デビル=アベルサン。今日の脚本の首尾は如何で?」
「デビル? ――止めてくれよ、人聞きが悪い。あんなものと一緒にしないでくれ」
ソラの問い掛けに対し、口許には笑みを刷いたまま、冷えた殺気を薄らと滲ませるとアベルは言った。
「それはシツレイ。セプク……とは行かずとも、お詫びしときます」
凍てついた零度の殺気におどけて背を震わせたソラは、一礼。
「では、ヴァニタス――ですか」
「そう。俺だって、きみたちが救済したがる、”悪魔に目を付けられた憐れな存在”ってわけ」
治翠の台詞に対して冗談めかして言うアベル。
その傍らでエローナを庇うように立っていた美薙もまた、語り掛ける。
「おぬしは夢に沈めて魂を弄ぶ事を救済だと言うが。……おぬし自身こそ、現実から目を背け続け夢の中に生きたいと願っているようじゃ」
「女の子は夢見がちで可愛いね」
対するアベルの返事は、冗句。
それぞれが真意の図れない回答に眉を顰めつつ、警戒は露わにしたまま視線を向ける。
「実の所、今回は少し期待してたんだよ。もしかしたら――なんて。でも、駄目だった。きみたちは彼女たちを救えなかった」
「だから自分がやる事が救済だって?」
「そこまで傲慢にはなり切れないね。……あくまでただの手伝いをしているだけさ」
フレデリックの問いに答えるアベルは目を細めて笑い、絵本を掌に具現化させるとその頁をゆっくりと捲る。
新たに白紙の頁に刻まれた、長い長い髪のラプンツェルの絵。
「残念だったよ、凄くね」
「貴方から見たら、ボク等なんてちっぽけなんでしょうけど。それで、わかったつもりになられちゃ、困るんですよ」
告げるだけ告げて踵を返そうとしたアベルを呼び止めたのは、ソラの声だった。
「――だからこれは……この世の主役を、ちっぽけな舞台で使い捨てにした脚本家に対する……」
ポーカーフェイス、ソラの浮かべた表情は変わらない。
手にしたヒヒイロカネにアウルを篭めると、皮肉めかせて笑った。
「ちょっとした、意趣返しめいたクレーム、です」
瞬時に具現化した鎌がソラの手に生まれ、それとほぼ同時に放たれた斬撃がアベルの元へ跳ねる。――が。
「――本当、夢見がち」
「……っ」
放たれた鎌に依る斬撃は一瞬のブランクを挟み、アベルではなくソラの胸へと突き刺さる。
開かれた絵本の頁は見えない。その瞬間何が起こったのかを、見得た者は居らず。
アベルは本で口許を隠すと眉尾を下げ、小さく嘆息を吐く。
「あまり御転婆は良くないよ」
飽きれ雑じりのその言葉に、エッセンス程度の皮肉も少々。
「アベルっ……!!」
喀血し崩れ落ちるソラの体躯を支える千尋はアベルを睨み据えながら、胸中で如何としようもない憤りを噛み締める。
「……やっぱりてめえの全てが気に入らねえぜ、ヴァニタスのクソ野郎」
「ああ、光栄だよ」
獰猛な獣。そうも評せる白秋の唸りにも似た声に返すアベルの音は逆に軽快で、怒りを煽るよう。
崩れ落ちた少女を脇目で見下ろしつつ、踵をゆっくりと返して彼は言った。
「次こそは期待してるよ、――きみたちなりの”救済”を」
今度こそ歩みを進めるアベルの背を追う者も、声を掛ける者も居ない。
取り残されたのは撃退士ら八人と、ディアボロの憐れな亡骸ひとつ。
ひとつの物語がまた、こうして終幕を迎えた。
●わたしたちの望んだゆめ
「……ごめんね」
キイは小さく呟くと、少女と母親の眠る墓前に花束を手向けた。
真の救いも、願いも与えられなかった後悔の責。
「やっぱり、王子なんて柄じゃなかったな」
ひとりごちるフレデリックもまた、そっと花を添える。
せめて墓の中では母娘共にと、嘆願したことは救いになっただろうか。
良い母親だったと、病院で聞いた。そして心を病んでしまったのだとも。
真の救いとは、真の救済とは何か、未だ答えは出ない。
少女と撃退士たちの求めるものは、綺麗過ぎた。
――そして現実は、残酷過ぎる。
誰にも叶えることの出来なかった少女の夢は、彼女と共に眠りにつく。
残された彼らに出来ることはひとつ、稚い魂が安らかになるよう、祈るのみ。
キリカの父親は新しい妻と共に新たな場所で、新たな人生を歩み始めていると言う。
その末を知る者は居らず、その末に関われた者も居ない。
御伽噺を外れた行方は、誰もが信じるハッピーエンド。
そうして、救済を命題に掲げる冥魔は嘆く。
――すべては死の眠りに鎖されて、少女は永遠の安らぎに、身を任せた。